[3405] 前向きポジティブ風に目標をたててみる

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《お願いだから普通の格好して》

■アナログステージ[90]
 艶っぽいオトコはいかがですか
 べちおサマンサ

■デジタルちゃいろ[29]
 前向きポジティブ風に目標をたててみる
 browneyes

■ローマでMANGA[60]
 コウモリは役に立つか
 midori




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■アナログステージ[90]
艶っぽいオトコはいかがですか

べちおサマンサ
< https://bn.dgcr.com/archives/20130122140300.html
>
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年明け早々、今年のデジクリコラムの方向性を、ドコに持っていくか非常に悩んだ。クリエイター向けの情報やコラムは、あちらこちらに溢れているし、ワタクシの仕事も、ある意味、クリエイティブはクリエイティブだけど、デジクリのスタンスに沿ったクリエイティブっぽさでもない。

かといって、特定のマニア向けにコラムを綴るほど、マニアックな色も持ち合わせていない。じつに中途半端なポジションにいることが分かったのだ。「これではいけない、なにか自分らしさの色を見つけて確立しないと、不特定多数の読者さんに飽きられてしまう」ということで、見直しました。そのまま(現状維持)でいこうと。

ということで、2013年スタートです☆

●なんでメンズには花柄がないの

昨年の夏終わり頃から、スキニーのカラージーンズとパンツにハマってまして、ラボでも普段着でも、カラージーンズやパンツばかり穿いております。赤系のジーンズが多いのですが、最近は、ちょっと濃い目のピンクや紫がお気に入り。体形的にスキニーではなく、ルーズのほうが、腹のお肉ちゃんを隠せそうですが、スキニーのホールド感が心地よくて、腹をひっこめて穿いてます。

カラージーンズにモデルチェンジする前は、エスニック系のファッション中心で、そりゃもう、ビールとホルモン焼きで肥やした腹が楽でした。どれだけ飲んで食べても、腰紐を緩めるだけ。しかし、カラージーンズ...... しかもスキニーを穿いていると、「おい、オッサン、飲みすぎ!」といった具合に、ジーンズが教えてくれます。

戒めのために穿いているわけではありませんけど、アホ飲みは随分と減った。サルエルパンツからスキニーと、まったく正反対なファッションに変わったと同時に、腰近くまであった髪の毛を、フェイスラインまでバッサリとカット。「人形の毛のほうが健康的」と、友人の美容師から言われてから、キューティクル保護活動を行っていたのですが、チリチリに戻すまえに飽きてしまった。

今年に入って、上着を既存のエスニック系、下をカラーデニムの組み合わせでコーディネイトしてみると、恐ろしいほどフィットすることを発見。ムスメの部屋で、姿見に映ったのを見ると、またもやヘアースタイルだけ、なんとも謂えない「不具合さ」を感じたので、耳が隠れるくらいまでの長さにバッサリとカット。

わずか半年で、ほぼ別人になってしまいました(笑) 久しぶりに会う友人も、ワタクシだって一瞬気がつかないほど。ファッションって凝りはじめると、靴だのバッグだの、あれこれと出費が重なりますよね。でも、楽しい。誰に見せるわけでも、見られるわけでもないけれど、カメラを持って外を出歩くのが、本当に楽しくなった。あとは、20代の頃の体形を取り戻すだけ。

横浜や渋谷を歩いていると、花柄のジーンズやパンツを穿いている女性を、チョロチョロと見かけるようになった。50人、いや、100人に一人くらいだけど、見かけると目を奪われる。それがいつの間にか、「可愛いなぁ、女の子らしなぁ」から「あれ、欲しい」に変わった。

・こんな花柄のジーンズが欲しいのだ! その1
< http://pinterest.com/pin/211950726184915723/
>

・こんな花柄のジーンズが欲しいのだ! その2
< http://pinterest.com/pin/347129083748268996/
>

誤解されるとアレなので、先に書いておきますが、女装子(じょそこ)とかではないです、ハイ。A面とB面もありません。単純に、模様とか柄とかデザインが気に入れば着るだけです。カミさんからは「へ? あんたそれ着るの?」って顔で眺められますけど......。

エスニック系のファッションは、ユニセックスがたくさんあるので、選択の幅がかなり広かったけれど、ノーマル(と言っていいのかは分からないけれど)のファッションだと、どうしても、メンズとレディースという区分けがある。同じフロアにメンズとレディースが展示してあっても、まったく異世界の服たちが並んでいる。

この壁がかなり高い。『男はオトコらしく』『女はオンナらしく』というのは、普通に考えればごもっともなことで、特定のブランドに固執していなければ、気に入った服が見つからなければ、別の店で探すだけの話しになる。ただ、女の子でも、メンズのデザインや色合いが気に入ったりすれば、「これ、レディースでないかなぁ...」って、とりあえずは、ないのを承知で探してしまいますよね?

結局、レディースでは見つからずに、メンズの一番小さいサイズを試着してみるも、やっぱり肩の作りが違うから、イメージしていたスタイルとかけ離れてしまったり。逆もまた然り。どうしても諦めきれずに、似たようなデザインの服がないか、放浪の旅に出歩いたり。

連休中、ブラ撮り(目的なく、ぶらぶらと散歩しながら撮影すること)しながら、アチコチの街で花柄ジーンズを探したが、ない。独特の世界観がある下北沢に期待を寄せたが撃沈。渋谷も隈なく探してみたけれど、メンズはゼロ。レディースでは、チラホラあったけれど、柄がイマイチだったので触手が伸びず。

後日、ららぽーと横浜をウロウロしながら買い物をしていたら、Forever21で、上記で載せた画像に近い、ドンピシャな花柄のジーンズを見つけ、「うっひゃひゃー!」と大喜びしながら、ほかと合わせて試着してみた。一番大きい28のサイズを持ち込んで穿いてみたど、ムリ。足は通ったものの、ファスナーを閉めるとかのレベルじゃない。

無理を承知で試してはみたが、なにか悔しい。姿見で映った姿は、花柄のジーンズを試着しているはずなのに、花柄のレギンスを試着しているように、パッツンパッツン。肝心の花柄も、横に伸びてなんだかラフレシアみたいで毒どくしくなっている。仮にこれを穿いて出歩いていたら、母親のお下がりを穿いている中年男性みたいで、なんだか気の毒な情景も浮かんだり。

その代わりにお隣のH&Mで、いい色合いのピンクのジーンズを購入。しかも2,980円。生地がしっかりしているので、数回の洗濯でヨレヨレにならない。お買い得だ。横に真っ赤なジーンズも並んでいたけど、そっちは3回洗濯したらヨレヨレになりそうな生地だったのでスルー。色はすごくきれいだったんだけど。

・お買い得だったピンクのジーンズ
< http://web.stagram.com/p/372089062548525726_2640211
>

思うに、どこのどのブランドでも、ファッション(デザイン)コンセプトがあって作っているのは、重々承知している。「花柄のジーンズが欲しい!」なんて騒いでいるオトコなんかは稀であろうから、そんな珍種はさておきで、もう少しだけ、男女共通で着れる、ユニセックスのデザインがあってもいいんじゃないかなぁ。

ボトムスに限っては、男性と女性では、体の構造が違うから仕方ないにしても、ラフな上着は増えて欲しい。家族間のファッションセンスが合えば、家族で着回すこともできるし、箪笥の肥やしも減らせると思うんだけど、家族でも服の趣味って、なかなか合わないのが現実だったり。

高3のムスメに、「最近、エスニックはやめたの? あれはあれで似合っていたけど、こっちのほうがキャラ立ちしていいかも。なんつーの、艶っぽいw」と褒めてくれたのか、相手にするのが面倒だから適当に言ったのかは不明だけど、そんな言葉に喜んだりするのが父親。

その後ろで、「お願いだから普通の格好して」と嘆くカミさんがいる。

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp
NDA拘束員であり、本当の横浜を探しているヒト
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まとめはコチラ→< http://start.io/bachio
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NEW!☆音楽垂れ流しアカはコチラ→< http://twitter.com/bachio_nowplay
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△▼過酒雑記──今日の酒は明日の肥し▼△

○2月に近づいておりますが、謹賀新年でございます☆読者の皆さま、ゆっくり静養されましたでしょうか。オイラは12月24日から1月6日まで、まるまる休みました。こんな大型連休は10数年ぶり。本文のとおり、ほとんどの日をD90ぶら下げてブラ撮りしておりました。

連休慣れというか、休み慣れていないせいか、初めの数日は、出歩きながらも仕事のことが頭の片隅に残っており、ソワソワしたような、そんな具合。4日目あたりから、仕事のことを思い出すことなく、「遊び」に集中できました。

すっかりJOB毒素が抜けきった状態で、2013年を迎えることができました。本年もご愛読のほど、宜しくお願いいたします☆

○下の茶目(browneyes)さんも、チリチリロン毛にエスニックなファッション。茶目さんと会うまでは、ファッションの話はしたことなかったので、初めて茶目さんと会ったとき、「うし、仲間がいた」と心が弾んだ。エスニックファッションも、今では、街でたくさん見かけるようになったけれど、2年前は、オリエンタリーなヒトを見かけるのは珍しかった。

でも、先に裏切って(?)しまったような罪悪感があったり......。うにゅにゅ。


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■デジタルちゃいろ[29]
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browneyes
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●一年の計は......

遅ればせながら、あけましておめでとうございます! さすがに皆さん、既にあけおめ気分ではないでしょうが、個人的にはデジクリ書き初めですので、勝手に軽く正月気分アゲイン(笑)。いや、無理やり正月風味にしなくてもいいんですけど......ね。

我が家の年越しはもう何年も、最寄りのやや大きめな神社の初詣の列に並びながら自然発生的に起こるカウントダウンに混ざり、そのまま初詣、そしておみくじ。今年は夫婦で大吉、幸先良し!

みんな一週間前にはクリスマスでチキンだケーキだと、横文字の食べ物でワイワイやってるのに、翌週にはお賽銭してニ礼ニ拍一礼ですよ。自分もご多分に漏れずでいながら、つくづく面白い国ですよね、ホント。

なんてコトを考えつつも、初詣を済ませると、次はオートメーションのごとく「一年の計は元旦にあり」が頭に浮かぶのですが、今年はもう、目標を決めては挫折する、という輪廻に嫌気がさしてしまい、目標を定めない、を目標にしようと思い、敢えて思考停止してみました。

●二週間後

そんなこんなで今年ももう二週間も過ぎたわけですが、たまたま先日某マユツバ情報で見かけた目標の立て方が、意外に「なるほど」という気がしたので、元旦になかった一年の計をこの方法で試してみようかなー、と。

見かけた先では、どちらかというと、オカルトやら不思議現象方面の儀式めいた願掛けっぽい紹介で、「願いがよく叶う!」みたいな記述に終始してたのですが、いやこれはむしろ、自分の心持ちを目標に対していい具合にコントロール出来たが故なんじゃないか、と。

記憶している範囲で説明すると、目標を書くための手帳を用意して、
・(実現したい目標を)実現したイメージを書いていく
・とにかく具体的に書く
・時間の縛りめいたものは書かない
・肯定的に書く

分かりやすいまでに安直な例:
「気づいたらウエストが細くなってベルトの穴が2つも狭い所になってた」

で、書いたらメモは適当にしまっておく。以上。

個人的には手帳を用意する、という部分については、「願掛け専用のノートを用意しましょう」的に、儀式めいた感じで書かれていましたが、明記して後で見返せるものならいいんじゃないですかね、なんて、合理的に勝手に断定。

目標のポジティブな結果のイメージを書くっていうのは、スポーツ選手のイメトレ的な感じもするし、具体的に明記することで、心理的に願望に対しての姿勢が全然変わると思う。気は心。

例えて言うなら、それまでは棚の下で口だけ開けて、落ちて来るかすらわからないボタモチを「落ちて来るといいなぁ」みたいな消極的且つ受け身だった願望が、棚の上から一旦目を離して、周囲で脚立になりそうなものを見つけて、自らボタモチを取りに向かう、みたいな。

実際、これが「効果」があるかどうかは、保証はありませんが、というか、書き方ひとつで目標に対する心のベクトルが変わることで、目標達成率が上がるとよいなぁ、と。そんな訳で人柱実験方々、ここでいくつか目標を立ててみようと思いついた次第です(笑)。

いくらなんでも、こういう他者の目のあるところに書くとなると、書く際に、自分以外の読み手も考慮することは避けられず、どうしたって不要で邪魔になる心理も働いてしまう筈なので、明記をした時点で役に立たない目標になってる可能性はありますけどね。

●日に日にアイデアの取りこぼしが減ってネタ帳がぎっしりに!

こんなところに書くのもアレなのですが、ワタシ、それなりにアイデアは溢れ出てると思うんです。あの、思考だったりフレーズの断片だったり、脈絡なく湧き出る系の思いつきアイデア。頭頂での電球は眩しいほどに頻繁にピカピカ点滅してる筈なんですよ。

そうは思うんですが、ほぼ大半が、風呂の排水口だったりトイレだったり、外のそよぐ風だったりに、きれいサッパリ流れゆくんです。なんでいい思いつきに限って、どうにもこうにも留めておく術のない時に現れるんでしょうか。

先日も散歩してる道すがら、いきなり頭頂の電球が何度も点滅してて、あっ、あっ、忘れちゃう! 忘れたくない! と思いながらも複数のアイデアや言葉の切れ端をきれいサッパリ忘れ去りました。頭を抑えようが抱えようが、サラサラと流れてしまうのです。散歩後半はもうホントに己のメモリの脆弱さを呪うばかり。

この目標は、実は自分の中でも漫然と呪ってばかりのフェーズは超えつつあり、既にホンキで自分の中でも改善アイデアは温めつつある段階なので、書くまでもなく改善可能な感触があります。

でも明記することで、確かに自分の背中(というか重い尻)を押すことになって、確実にやりそうな気がしますね。そういえば、こういう「既存の問題」や「特定のお題」に対して考えこむ類のアイデアはあんまり忘れないし流れませんね。所謂インスピレーション系が流れやすいんだな。

●気がついたら積読本が10冊減ってた!

20冊......とか書きかけたけど現実的に軌道修正(笑)。本の質は問わず、昔はかなりの本の虫だった気がするのですが、インターネットが出来て、Twitterとあいほんが現れて、何の時間をって、最もすげ替えられてしまった時間は読書時間なんだろうと思います。

インターネットだって基本はほとんど文字情報を読む訳で、インターネット上で考えたら比較的「文字」は読んでる方だとは思います。でも読みつつじっくり思考するというプロセスは何故かかなり軽くなってしまうんですよね、ネットだと。何故なんだろう。まとまった文章じゃないことが多いからかな。

もしくは漠然と、それなりの分量で完成された「世界」を通して思考したがってるのかしら、今のワタシは。なのでエッセイや実用書じゃないのかも。まぁ、でも、ジャンルに縛りはかけないで、ちょっと動機は自分の中でも曖昧ですが、紙か電子かは問わず、「本」を通じてする思考を欲してるんだと思います。

これも実は暮れあたりから読書欲が高まってるコトもあり、実現は手の届くところな気もします。そんなのばっかりでチートっぽい? でも明示しなかったら今感じてる「もっと読みたいなぁ」という意識も、気づいたらフワフワとなくなってしまいそう。

●ひみつ日記に沢山書くようになったら文章表現の幅が広がって、久しぶりに書くのが楽しくなってきた!

ひみつ日記って、懐かしのポスペからインスパイヤされたタイトルの、ワタシの非公開日記のコトです(笑)。非公開だけど、書いてるという事実は別にひみつではないので。

中学〜大学入学くらいまでは結構マメに日記書く人でした。ほとんど見返さないけど、大人になりきったある日、目に止まってパラパラと、過去の青臭い自分に顔を赤らめてみよう、と、読み返してみたら、当時は感情に任せて書いてたつもりの日記が、意外に冷静に客観的に感情や出来事が記録されてて、逆に現在の自分に情けなくなったという。

で、数年前から思いつきで、自分の思考を纏めるために某所でひみつ日記を書きはじめたのです。しかし、あんなに毎日(しかも手書きで)書き続けてたのに、もはやまともに続けることすらなかなか難しい。これもあの頃からしたら劣化なんでしょうか...。

なんだか書きながらあれこれ思いを馳せてしまってますが、昔の方が情報もやれるコトも今よりはまだシンプルだったが故に、否が応でも今より集中しやすい環境だったのかな、なんて思ったり。いや、今の利便性の中で散漫傾向に寄ってしまうのは、己の情報や行動の取捨選択がマズいだけなんでしょうけど。

それはさておき、すっかり錆びついてる「書く」という行為へのリハビリを楽しんでしつつ、ブラッシュアップしたいなぁ、と。ココにも定期的に書かせていただいて、Twitterも先日100,000ポスト超えするほどに書き散らかしてるワケですが、脳内もすっかり140字に断片化されすぎて、年々稚拙になり、非論理的になりすぎてる感じが拭えません。

そんな感じでもっと「書く」も取り戻したいですね。

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デジクリ用だから、と、とりたててピックアップしたつもりはないのですが、何故かアイデア・読む・書くにまつわる目標ばかりで、書きながら自分でもちょっと意外。

特にここ10余年を振り返ってみると、仕事も趣味もビジュアルが主体の成果物のものになり、紆余曲折を経て、言葉で補足・誘導するのではなく、ビジュアルそのもので表現したい、という気持ちに至りました。

基本的には今も同じように考えていて、他者に見せる成果物としてはそのビジュアルのみで、言葉による補足・誘導なしで、受け取りたいように受け取ってもらいたい、と思ってます。

それがここ最近、だからといって、制作の過程で、自分の中で、言葉による思考をなくしすぎてはいけない、あまりに感覚に頼ってしまいきってはいけない、という心持ちに変化してるのかもしれません。

思考の欠乏を感じ始めてるのは新たな成長段階なのかなー。というか、長い時間かけて退化しきったものを改めてやっと、進化させようと思い始めた感もありますが(笑)。

このポジティブ目標、書き始めたら他にもゾロゾロ書き留めたい目標が出てきますね。悪くない傾向(笑)。それらはひっそりと「ひみつ日記」に書き連ねていこうっと!

●今回のどこかの国の音楽

□Umi Marcano "Miss Independent"
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今回は普段とはやや宗旨替えしてカリブ方面へ。コッチ方面はそんなに深堀りできてませんが、これはトリニダード・トバゴを中心にカリブでポピュラーなソカというジャンル。非常にWest Indiesなカリブって感じでしょうかね。

一般でちょっと前に有名だったところで言うと、Kevin LittleのTurn Me Onあたり。

□Kevin Little "Turn Me On (video) featuring Spraga Benz"
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実は音楽というよりもダンスが紹介したかったりするのですが、上記のどちらの動画でも出てくるオネイサンの腰つきと、どちらの歌詞でもチラチラ出てくるWine。これはお酒のワインではなく、ソカでよく踊られる、ザ・カリブなダンス。

なんというか、腰というか尻をクルクルクネクネ高速で振ったり回したりなダンス。女性限定という訳ではないものの、主に女子がwiningしてる背後に男子がwiningしたりすると、それなんてボノボ(笑)。や、男女でだけでなく、女子が連結して楽しくwiningしたりもするんですけどね。

うーん......こちら、紹介していいレベルかなぁ......。これはまぁ、カリブではなく北米のカリブな皆さんのクラブイベントなようですが、一般的な方々(多分)でもこんな感じでWineを楽しんでおります、というコトで。
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【browneyes】 dc@browneyes.in
日常スナップ撮り続けてます。アパレル屋→本屋→キャスティング屋→ウェブ屋(←いまここ)しつつなんでも屋。
□立ち寄り先一覧 < http://start.io/browneyes
>
□デジタルちゃいろ:今回のどこかの国の音楽プレイリストまとめ
└< http://j.mp/xA0gHF
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以前、とあるウェブサービスでとても仲良くなった異人さん。

個人的なコトは一切表で語らない彼は、みんなの喜ぶ簡易サービスをチャチャっと作って提供する程度にプログラミングが出来て、ジャズに詳しく、ややオリエンタルな文化への知識も持ってることも手伝って、博識で話の面白い人として結構人気者で、主に欧米圏のアルファなソーシャルネットワーカーな人たちと英語中心に活発にコミュニケーションしてました。

そんな人気者がワタシと仲良くなったのは、単に相手がアニオタの日本好きだったからでしたが。時折英語に、フレンチ風のミスタイプが混じるのでフランス語が母語の人なんだな、と思ってたのですが、ある日ダイレクトメッセージで、実はアルジェリアに住んでて母語はベルベル語のムスリムなんだ、みんなには内緒だよ、みたいな打ち明け話をしてくれました。

ワタシがイスラム文化贔屓なのは彼も知ってたが故に打ち明けたのか、何故みんなには知らせたくないのか、など、色々気になりつつも、なんとなく答えは解ってるような気がして、余計なことは聞かずにその後も時折ダイレクトメッセージでは母国の民謡だとか、言葉だとかを教えてもらってました。

政府の所業も西側の所業も、何についても「これが悪い」と簡単に判断のしようのないような歴史を抱えた国で、日本人としては今、被害に遭ってしまった日本人について考えるべきなのかもしれませんが、何より気になるのは、そこに暮らしてる友達の暮らしは今でも平穏か、になってしまう。


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■ローマでMANGA[60]
コウモリは役に立つか

midori
< https://bn.dgcr.com/archives/20130122140100.html
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●そうだ、問題が持ち上がったのは掲載開始前だった。

前回の記事でこう書いた。

「ユーリ最終話が校了に入る時点で単行本の打ち合わせが始まった。単行本の打ち合わせで、日本市場優先頭とヨーロッパ市場も視野に入れたい頭がぶつかることになって、この平和なひとときがまた崩れるのであった。」
< https://bn.dgcr.com/archives/20121218140100.html
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講談社・モーニングの海外支局をしていたのは17年ほど前の話で、手元にあるファックスを引っ張りだして資料としてこのテキストを書いている。

残しておいたファックスは、通常の文章だけのやり取りはそれだけをまとめて保管し、作者からのラフ原稿添付もあるやりとりはラフや下書きと一緒に保管してある。

「日本市場優先頭とヨーロッパ市場も視野に入れたい頭」がぶつかった事件はよく覚えているのだけれど、この部分のファックスが見つからずに、ネットでのやり取りに移った後だったのかなと思っていた。このテキストを書くにあたって、もう一度よく保管場所を探してみたら、下書きの保管ケースにあった。

それが起きたのは1995年12月初めだ。

問題のファックスは2日付けで、作者のイゴルトから担当編集者に宛てた日本語訳だ。元のイタリア語がないから、作者と私は電話で話したのかもしれない。

第1話を翌年早々の1月11日発売号に掲載することになっている時に持ち上がったから、ボローニャ、ローマ、東京で不安とイライラが大きく膨れ上がった長い日だった。

●マネージャー頭が気がついた

イゴルトがいよいよの掲載を目の前にして、アーティストからマネージャー頭になり、日本で掲載された後の海外版の心配を始めて、問題をほいっと投げてきた。

イゴルトはこれまで作家として作品制作に没頭していたから、いざ掲載の運びになってこうした具体的な問題が頭に上がってきたのだと思う。

マネージャーは「イゴルトはイタリア人作家である」「故に本国、並びにヨーロッパでも作品を発表し続けなければ作家生命が終わってしまう」「日本での作品発表は本国及びヨーロッパでの作家活動にプラスの働きをせねばならない」「日本とのコラボでできた作品は欧州のマンガ界にとって新しい......」

そこでマネージャー頭がハタと気がついたのだ。

当時はどの業界にも今ほどコンピュータが入っていない。だから作者は郵便でカラーの生原稿を送り、印刷所は4色に分解して4枚の版を作る。白地の吹き出しの中に黒い文字が入る場合はそれほど問題でもないけれど、このユーリの場合は吹き出しなしでト書きで進んでいく。つまり、絵に字がかぶるわけだ。

そうなると、4枚の版、それぞれ字の部分が穴になる。つまり、そのままでは言語が変わると使えないのだ。つまり、この問題はコンピュータがまだ普通に使われていなかったこと、「ユーリ」がオールカラーで(版が4枚!)、普通のマンガではなく絵本のように吹き出しなしであるという、「ユーリ」企画の特殊な性格ゆえに出てきたものだった。

マネージャー頭は続けて考える。

日本の雑誌掲載のために作る版が使えないとなると、ヨーロッパで出すためにはヨーロッパ言語用に新たに版を起こす必要がある。ヨーロッパのマンガ出版社はどこも規模が小さい。4つも版を起こさなくてはいけないという条件では出版が難しくなる。

そこでイゴルトは、文字が入る部分に縦書でも横書きでもうまく入るように幾何学的な模様で抜いて半調にしたらどうか、と編集部に提案した。

さらに、本来はゲラを見ながら文字の色や形などもコントロールするのが自分のやり方だから、せめてゲラをファックスで送って見せてほしい、とも言った。

イゴルトは当初から「ユーリ」を日本以外でも出版するつもりであることは編集部に伝えてあり、この期に及んでなお相談の余地ありと思ったのだろう。

●週刊誌編集部の担当編集者はうろうろできない

週刊誌は毎週その都度に企画を立ててその週のうちに作るわけではないことは、週刊誌制作に関わってない人も想像できると思う。

編集者は作家と打ち合わせをして原稿を無事に時間内に手に入れ、新シリーズのタイトルや広告などの制作をデザイン事務所に依頼し、印刷所とも連絡を取り続ける。だから、発売予定の40日前に作家から何か言われても、できることとできないことがある。

イゴルトの海外出版のことは知っていたので、印刷所でカラー雑誌版を作るときに同時に別版を作ることでコスト的にどうか印刷所と業務と相談すると、イゴルトに報告した。

これが編集としてできることの精一杯であり、事前に報告したのも作家にお知らせすべきと思ったからで、作家のために別版を作るのは編集部の義務の中に入ってない。これに対してイゴルトが、あーだこーだと、注文をつけてきたので編集者は大いに困惑した。

●間に入ってオロオロする通訳

編集者と作家がコンフリクトに入った時、間に入る通訳はオロオロしていいのだろうか。いいとか悪いとかではなくて、大いにオロオロしてしまった。

編集者の都合も作家の要求もよく理解できるだけに、編集者の言葉を伝えるときには編集者の気持ちになり、作家の要求を伝えるときは作家の気持ちになった。心がけてそうしたということではなく、性格からだと思うけれどそうなってしまうのだった。

それだけに、面と向かって言い合っているような気分を盛り上げてしまったかもしれない。双方に伝えて、双方から困惑やら怒りやら呆れやらを受け取るたびに、イソップ物語の中のコウモリの気分になった。コウモリに悪気はまったくないのだ。もっと事務的に伝えるべきだったのか。事務的に伝えても内容は変わらないから同じことだったかもしれない。

作家の要求への返信で、編集者からほぼ怒りのファックスが来た。

今回のように文字を白抜きに黒で乗せるのではなく、カラーの下地に字を乗せる場合、印刷所で作るカラー4版を日本語版から海外版に流用するのはそもそも不可能だ。だから別版を作ると言っている。タイトルのロゴデザインも色もこちらで決める。6号からの掲載に合わせて、5号の予告も6号の表紙のデザインもそれぞれの担当者が進めているからここで予定を変更にするわけにはいかない。でこれ以上ごちゃごちゃ言われるのはかなわないから、週刊誌掲載が終わったら原稿を返すから海外版は勝手にしてくれ。。。。

コウモリのせいで編集と作家の関係が悪くなり、単行本出版も危うくなる?

ファックスでは「このまま伝えてください」とあったけれど、いま、このまま作家に伝えたらこの関係はここで終わりになってしまう! ということはコウモリによくわかった。

だから、このまま伝えることはせずにまず編集者にファックスを送った。

イゴルトが尊大に振舞って見えることもあるけれど、最高の形で読者に届けたいという気持ちの現われだ。

日本の雑誌作りを理解していないのが罪であるなら、イゴルトも私も罪人だ。(すべて理解をしていたら、イゴルトの言葉をそのまま子供の使いのように伝えるのではなく、できることとできないことを説明できる)

ここは喧嘩を売るのではなくて、日本の市場を考えて日本の読者向けに雑誌を作るのが任務であるモーニングができることをわかってもらうことを主眼に伝えたいと考えるがどう思うか、という内容だった。

普段、ファックスの往信には時間がかかるけれど、この件でファックス2往復、ローマ/ボローニャ/東京間の電話が行き交ったのはイタリア時間で12月2日、たった一日のことだ。

●コウモリも役に立つ?

私が送ったファックスの後は、5日の編集者からのファックスが残っている。

私の判断のおかげで無事掲載の運びになったという内容でほんの数行だ。空気が収まった雰囲気を伝えている。

その後のファックスは私から編集へ宛てたもので、イゴルトに電話で内容を伝えた時のイゴルトの沈んだ様子を伝えている。

ここは、編集者の勝ち(?)で終わり、でも実際には連載にこぎつけ、第二部にもつながったのだから作家も勝ちだ。

どんな仕事も人と人が繋がって進む。人には感情があるから、感情が絡んで複雑になることもある。

この問題で、自分の意見が通らないとわかって電話で沈黙したイゴルトも、海外作家企画が終わった時、堤さんは天才編集者だ、ヨーロッパで編集をしてくれたらどんなにいい作品をプロデュースしてくれるだろう、と言ったほどに信頼関係で終わった。

互いに誠実に仕事をしていくなら信頼関係で終わる......というのはお伽話ではなく本当に起こると信じたい。

【みどり】midorigo@mac.com

久しぶりにガイド仕事でフィレンツェに行ってきた。フィレンツェ、というかトスカーナは肉が美味しいので有名。トスカーナの牛を精肉したTボーンステーキ「フィオレンティーナ」は更に有名。

フィレンツェの旧市街を避けるように流れるアルノ川の向こうにある、三代続くレストランでこのフィオレンティーナを食べてきた。

よい精肉の技術、よい焼き具合、肉に合った赤ワイン。ただ生き延びるためではなく、食べることをこうして文化にしてしまう人間ってすごいと思える至福の時を過ごしてきた。

↓このブログにまだ書く時間がとれないでいるけれど、いずれステーキの写真を載せます。

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/
>


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編集後記(01/22)

●第24回日本ファンタジーノベル大賞・優秀賞の三國青葉「かおばな憑依帖」(受賞時タイトル「朝の容花(かおばな)」を改題)を読む(新潮社、2012)。かおばなとはこの物語で重要な役回りを演じた朝顔のことだ。作者は若い頃からのSFファンであり、いまは「時代ものオタク」を自称する50歳の女性。

この作品は、SFと時代ものをミックスしたとんでもない怪作である。ほぼ主役のマザコン美剣士に、怨霊、生霊、忍者、剣豪らが入り乱れての大バトルを展開し、八代将軍・吉宗をはじめ田沼意次、青木昆陽ら実在した有名人が意外なキャラクター、役割で登場する。なにしろ田沼家は隠密集団の元締で、紀州徳川家を支え、世継ぎを狙う怨霊がとりついた尾張徳川家と闘っているのだから、でたらめもいいとこだ。それぞれキャラ立ちの具合もよろしく、ほとんどマンガだ。

でも、文章はうまいから読みやすく、読む側としてはよけいなことは考えず、スピーディな展開に乗ってさえいればいいんだからお気楽だ。果ては、時代物最大のスターであるあの剣豪も霊体で登場するんだからサービス満点である。たしかにこの作品は、作者の尊敬するという柴田錬三郎の名言「花も実もある絵空事」に通じている。このばかばかしさは相当ランクが高いと見た。

もうひとつの優秀賞は関俊介「絶対服従者」(「ワーカー」を改題)である(新潮社、2012)。アリやハチなど昆虫が突然変異、体長10〜15センチに巨大化し、知性を持ち、人間の労働の一翼を担うようになった世界が舞台だ。ものすごく面白い設定だが、人間と昆虫が会話を始めたらどうにもリアリティが感じられない。ようするに、その場面が目に浮かばないのだ。文体も好きではない。20ページぐらいで本を閉じてしまった。

最近、歳のせいか自分のテイストに合わないものに対して寛容ではなくなった(って、昔からそうだろうといわれればそうなんだけど)。イントロで、直感的に、こりゃダメだと投げ出す本や映画DVDが少なくない。「トランスフォーマー/ダークサイドムーン」でさえそうだった。それでいて、明らかなバカBC級映画は我慢して見ているんだから、やはりただの偏屈老人なのか。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103330813/dgcrcom-22/
>
かおばな憑依帖
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103331119/dgcrcom-22/
>
絶対服従者


●体組成計続き。比較した末、思い切って『UC-411PBT-C』を購入。Bluetooth接続で記録するiOSアプリ『bodycloud』やAndroidアプリ『からだログコンティニュアアプリ』がある。アプリ単体でも使用可能だが、経由して『gooからだログ』にも記録できる。『gooからだログ』は匿名で交流可能なSNSになっていて、「毎日記録することで自分が見えてくる。」と書かれてあった。

ここには172のグラフがあり、自分で追加もできる。一番参加者数が多いグラフは「太もも」で30,677人。次いで、「ぺたんこお腹体操」の24,236人、「ぺたんこお腹体操食物チェック」の23,462人。ジョギングや勉強時間なんてのもある。

まずは習慣づけないと、とiPhone充電ケーブルのある棚の前に置いた。ここの前には、毎日絶対に立つ。夜中のうちに消耗したのを充電しようとするから朝に立つ。見栄えが悪いと反対する家人の反対を押し切った(あとで徹夜したら立たないことに気づいた。キッチンコンロの前の方がいいかもしれないが、邪魔すぎるな......)。

この体組成計は最初に登録しておけば、乗るだけで電源が入り、測定した結果で家族の誰のものか特定してくれる。こちらはBluetoothをオンにし、iPhoneアプリを立ち上げるだけだ。特定に失敗することもあるのだが原因はわからない。続く。(hammer.mule)

< https://itunes.apple.com/jp/app/id566827486?mt=8
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bodycloud iOSアプリ『bodycloud』
< https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.ne.goo.karada.aandd.continuaapl
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Androidアプリ『からだログコンティニュアアプリ』