武&山根の展覧会レビュー 美術よりも美術館によく似合う──【アートと音楽 ─新たな共感覚をもとめて】展を観て
── 武 盾一郎&山根康弘 ──

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武:こんばんはー!

山:こんばんは! いやー、2013年も始まりまして。どないですか。

武:おおそうか。明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします! そういえば今日、夕方走ろうと思って家を出たんですよ。

山:おお、はいはい。


武:しばらく歩いてちょっと膝が暖まって来たなあって思ったら走り出すんだけど、「よし走るか」っと思った瞬間、先日降った雪が凍ってる場所だったんでスッ転びそうになったんですよ。

山:危ないやん。

武:もう、自分の中ではてんやわんやですよw

山:そりゃびっくりするわな。


武:で、走るの断念してずっと歩いたんだけど、その時、なんかすんげえ面白くって自分で「ちょーウケルー」ってなってたw

山:ちょっと待て、なんで走るの断念すんねん!

武:歩いてて転ぶ寸前なんだから走ってたら絶対転ぶじゃん。

山:あー、他にも危ないとこいっぱいあるから、ってことか。


武:あっさり断念する自分が面白くて、1秒前は走る気満々だったのにw

山:何の話やねん! ではとっとと展示行きますか。って、今回はわたくしは行けませんでしたので、武さんお願いします!

武:はい。武盾一郎ピンで展覧会レポートをいたします〜!


【アートと音楽 ─新たな共感覚をもとめて/東京都現代美術館】
< http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/138/
>
< http://www.mot-art-museum.jp/music/
>




まず、チケット売り場に行列ができていてビックリしました! そう言えば、最近どの美術館行ってもそれなりに混んでるんですよね。一昔前は「美術館」ってのはほんの一握りの「アートピープル」っていう「マイノリティ」がそのちょっと特殊な自我を確認する為に行くものっていう偏見を持ってたけど、程よく「一般的な娯楽・エンターティメント」になってきてるのかな。それはそれで喜ばしいことではあるが、盛況なのはスターの大型展に限るんですよね。

ひょっとしたら、アート業界も経済ヒエラルキーと同様に二極分化してるのかも知れない。スターは更に人気を集め、それ以外はまるで食えない、みたいな構図。この僕に陽の光が差し込むことを願ってやまないです。

混んでた理由として、坂本龍一というスーパースターがアドバイザーとして(アドバイザーなのに)前面にバーンと出てる影響が大きい気がします。東京都現代美術館は以前から有名人を「何の脈略なんだ?」という感じで客寄せパンダとして使ってる印象があって、「そんな所に金使うならもっと(僕みたいな超有名でもなくかといって超シロウトでもない)アーティスト支援とかしろやゴルア!」とひがみ続けていたのですが、今回のはハマった感があります。単純に坂本龍一が好きなのかも知れないですが。

●代表的なインスタレーション

展示は全体的に「音を取り扱うインスタレーション」なワケだけど、一番好きだった作品は、入ってしょっぱなに展示されてたインスタレーション

セレスト・ブルシエ=ムジュノ『クリナメン』
< http://www.mot-art-museum.jp/music/celeste-boursier-mougenot.html
>

「音楽」としてこれは心地良かった。リンク先の画像を観れば分かりますが、円形プールに様々な大きさの白いお椀が浮いてる。とある一か所から水が押し出されてプールには水流が出来てる。大小さまざまなお椀は漂い流されて水流口に集まってくる。

吹き出す水に押されてそのお椀たちぶつかり合って、「コーン」「カーン」と音を出す。ぶつかるお椀の大きさで音程が、ぶつかる強さで音量が変わる。アトランダムな音はどこか癒し系なアンビエントである。

人間が「メロディ」というのを意識して、任意的に作っているものを一般的に「音楽」と呼ぶけど、人間の作為、恣意、任意から「音楽」を解放させようとする方向がノイズや現代音楽にはよく見受けられる。「音の出し方(装置や行為)」と「出た音(通常これを音楽と呼ぶ)」で分けるとするなら、前者に比重があるのが現代音楽とかノイズとかアートだったりする。

ジョン・ケージ『4分33秒』は「ピアノを弾かない音の出し方」をして、「出た音」は音楽家の演奏に依らず会場全体の雑音、ノイズであり、作家の任意の外に委ねられてしまう。こういうコンセプチュアル・アートな「音の出し方」ってのは確かに面白いっちゃあ面白いんだけど、結果「出た音」が面白いかというとそうでもない。

理屈が面白がっても、感覚が面白がってくれない。このジレンマに我慢して面白がると「アートな人」という「ちょっとハイレベルな人」の称号が与えられたりするんだろうけど、僕はちゃんと感覚で楽しみたいんですよね。

そんな僕の好みに一番合ったのが、このセレスト・ブルシエ=ムジュノ『クリナメン』でした。「音の出し方」が最終的に(人工的ではあるけど)水流という自然に委ねられていて、なんと言っても「出た音」がきれいだったから。

一方で、坂本龍一が関わった作品は本展覧会の目玉なんだろうけど、わりとどうでもよかった(笑)。

オノセイゲン+坂本龍一+高谷史郎『silence spins』
< http://www.mot-art-museum.jp/music/seige-ono_ryuichi-sakamoto_shiro-takatani.html
>

サイトには"小さな空間から無限大の宇宙を聴く、日本の茶室からインスピレーションを得た《silence spins》"と書いてある。入るまでが長蛇の列で、やっと順番が回って来たけど、「さんざん待たせてこれかよっ!」と、たむらけんじのように横を向きながら悔しがる突っ込みを入れてしまった。

音楽スタジオとか音の反響しない閉鎖空間に入ると、一瞬耳の周りに空気が張り付くような感覚がフッと来るんだけど、その感覚も起きなかった。それなりの人がいると音の肌感覚も変わってしまう。人の少ない張りつめた雰囲気の会場なら、茶室に入った瞬間に異次元な感覚になるかも知れないけど。

家族連れやカップルなどで混雑した会場での茶室《silence spins》は雑多にまみれると装置の効用が発揮されなくて、コンセプトの無力を感じずにはいられなかった。

坂本龍一+高谷史郎『collapsed』
< http://www.mot-art-museum.jp/music/ryuichi-sakamoto_shiro-takatani.html
>

"2台のピアノとレーザーを用いた《collapsed》は必見です。"とあるけど、気まぐれにピアノの音が鳴るありがちなアンビエントだった。壁にレーザーで言葉が映し出されていて、その言葉に対応した音が出るらしいのだが、そうなると、「言葉と音を繋ぐプログラムの恣意性」が気になってしまうのだ。そこに何か面白さが見いだせるならいいんだけど見つけられない。

言葉を音に変換するっていっても、プログラム次第で激しい音楽にもメロディアスにもできてしまうじゃないですか。「そのプログラムがどうであるか」に「コンセプチュアル」があるのに、肝心の変換装置が「ブラックボックス」過ぎるのだ。

例えば「現在進行形で株価の高さを音程、変動落差を音量にプログラム」して、壁面に株価が映し出されていく方が面白くね? とか思ったりするんですよ。

もうひとつ大きく会場を使ったインスタレーションは、大友良英リミテッド・アンサンブルズ『with "without records"』
< http://www.mot-art-museum.jp/music/otomo-yoshihide-limited-ensembles.html
>

リンク先の画像のように、100台以上のターンテーブルが設置されている。それらはプログラムでON・OFFパターンが組まれているが、ターンテーブル全体の挙動は無限のパターンになるそうだ。

インスタレーションの中を散策できる、さながらターンテーブルの雑木林に迷い込んだみたいだ。なんか変なプロペラがぶら下がって回ってたり、ターンテーブル以外の音の鳴る意味不明の機器もある。

「カサカサカサ」「ゴリゴリゴリ」「キイー」「ポンッ」といった、どうしょーもないノイズが所々から聴こえてきて、「ぷっ」とか「かわいい」とか思う雑木林なのだ。「アナログ装置」って憎めないんだよね。そこら辺が「ずるい」というか(笑)、そういう作品。
(参考:『without records』< http://vimeo.com/1802336
>)

●場所に依存する作品

で、インスタレーションを観て思ったのは、「これらはみな美術館依存作品だ」ということなんですね。これらの作品が公園や路上に設置されても、まったく人目を引かないと思うんです。しかも、人目を引く以前に「音を出す装置」として機能できないだろうと思うんです。

セレスト・ブルシエ=ムジュノ『クリナメン』のプールを野外に設置したら、苔は生えるわ、お椀は砂入って沈んじゃうわ、そのうちアメリカザリガニとか雷魚が棲みだしてしまうか、または干涸びて落ち葉が貯まってる汚らしい場所になってしまいそうだし。

大友良英リミテッド・アンサンブルズ『with "without records"』も、野外に設置してもターンテーブルに鳥の糞が積もって動かなくなるだけだろうし。

「出た音」も、車の轍の音や、鳥の鳴き声、人の靴音、そういった環境音に勝てないと思うんです。美術館の外に出れば、それこそ「音」は無限のバリエーションだ。ノイズ・アンビエントの装置を野外に置いても「そもそもそれ要らないじゃん」てのが結論になる。

オノセイゲン+坂本龍一+高谷史郎『silence spins』の茶室も野外に設置されたら、そのうちホームレスの人が住み始めたりして役には立つかも知れないが、作品のコンセプト通りの受け止め方をする人は皆無だと思う。

また、これらのインスタレーションは残念ながら個人宅で成立できるものでもない。ちゃんと守られた美術館以外では作品を楽しめない意味において「美術館ならではの作品」だと言える。

場所に依存する作品ってのはその他にもある。例えば、今はもうほとんど見ないけど、テント芝居とか野外劇団とか。火や水を使うなど、野外やテントならではの場所性が作品をワイルドにしてくれる場合が多い。

僕も新宿西口地下道や東京大学駒場寮や被災地の神戸など「場所の霊性」にとても敏感に感じながら作品を作ってきた。なので場所に依存する作品、その場所じゃないと成立しない作品、というのは元々僕の好みなのだ。

じゃあ、美術館じゃないと成立しない作品ってどうなの? と、自分に問いかけると、なんとなく「権威にすがってないと生きていけない学歴エリート」みたいな気がしてしまう。

なぜ美術館でしか成立しないインスタレーションを肯定的に観れないのか?

美術館じゃないと成立出来ないインスタレーションを発表したい場合、アーティストは美術館関係者や有名人や業界人と、どうやって繋がるかが最重要課題になる気がするのだ。作品を考えるより、アーティスト自身によるアート業界へのインストールに力点が置かれる気がするのだ。

要するに、どうやって「偉い人と繋がるか」ということになる。そうしたら結局、生まれ育ちの階級だ。偉い人たちの多く住む場所の人が勝つだろう。という考えに行き着き、つまらなくなる。卑屈が混じった感情が沸き上がる。こんな感情を持つ自分がさもしいが。

とはいうものの、実際には多分、現在においてアートの主流って「オルタナティブ」なんだと思う。「オルタナティブが主流」ってなんか矛盾した表現だけど。自分たちの出来ることを自分たちでやっている人たちは、美術館依存作品は作らないだろうし、今後ますますその傾向は強まる気がする。

そうすると、美術館ってどうなっていくんだろう? 音楽やアニメなど時間軸を必要とする作品を展示する場所になっていき、美術は美術館で展示されなくなるんじゃないだろうか?(笑)などと思ってしまったのだ。

●自然を音に変換する

それから気になったのは自然を音にする作品。八木良太『Vinyl』はムーンリバーかなんかの曲のレコード型に水を入れて凍らせて、ターンテーブルでかける作品。まあ、「出た音」はノイズになるわけです(笑)。装置のアイデアは面白いけど、出た音をずっと聴いていたいってワケではなかったりする。

バルトロメウス・トラウベック『Years』はちょうどLPレコードのような大木の輪切りがあって、レコード針は年輪をスキャンしながらそれを音に変換するという作品。

「出た音」はピアノのきれいなアンサンブル。どんな「音」にするかはプログラム次第なので、木の年輪よりプログラムが気になってしまう。僕の「線譜」を回すとどんな音になるんだろう?とか。

大西景太『Forest and trees』は、音の出るシンプルなループアニメが何種類も並べられていて、一個でも作品として自律してるけど全体でも作品になっている。例えると、新宿駅はプラットホームごとに発車メロディが違うけど新宿駅全体で聴いても心地悪くならないようになっているらしい。そんな作品です(違うかw)。

上記の例えは置いといてw、このコンセプトはとても好きなんです。
・単体には「小さな法則」「繰り返し」「自律」がある。
・ちょっと違う単体が複数あるいはうんと沢山ある。
・各々が単体でも成立してるし、全体で観ても成立してる。
・組み合わせは無限大になる。

デジタル作品だけどタイトルは『Forest and trees』、それはどこか自然を音に変換しようとする意思を感じるのだ。

植物って、例えば、「一本から二本に枝別れする」というシンプルな法則で伸びていたりする。結果、あの複雑でフラクタルな枝の形となる。単体のシンプルな法則とそれが集積した時の複雑な様相。音楽を人間の恣意性から解放させ、偶然性や組み合わせの無限性を取り入れて来た現代音楽やノイズやアンビエントは、自然を音に変換しようとしてるのではないだろうか。

ところで、ここで自分の好みが分かった。
1.美術館依存しない作品
2.自然を音にする、あるいは自然な音がする作品
3.音が心地良い

こうやって考えると日本にあった。「ししおどし」と「風鈴」だ。ししおどしが機能してる家はもうほとんどないと考えると「風鈴」だ。「音の出し方」のプログラムは風、そして「出た音」は「チリーン」と心地良い。「風鈴」こそが現代音楽、ノイズ、アンビエントの行き着く先なのだ(笑)。

などとあれこれ書いてまいりましたが、音楽的アプローチの作品の方が今の美術館に合っている気がしました。ノイズ・アンビエント・現代音楽は美術館がよく似合う。美術よりも美術館によく似合う。以上展覧会レポートでした!


山:なるほど〜。行ってないけどよくわかりました!

武:で、告知していいっすか?

アートラッシュ企画展Vol.184 『宇宙創生』〜祈り〜 展
会期:2013年1月23日(水)〜2月4日(月)11:30〜20:00
月曜日17:00まで 火曜日休館(入場無料)
< http://www.artsrush.jp/
>


山:結局告知かいな。

武:今回はでもね、初の試みがあるんですわ。

山:じゃあ一応聞いとこか。なんですの。

武:今までは描いて来たものを展示してたんだけど、今回は展示のテーマ『宇宙創生』を描いたんです。線譜を映像にもしてみました! プロトタイプだけどPV。

線譜『宇宙創世 祈り』
<
>


山:題材が先にある描き方をしたことないって言ってますけど、「宇宙創生」をずっと描きたいって思ってた訳だから、題材あるっちゃあるやん。

武:そっすね。「宇宙(世界観)」を描きたいだけですから、俺。

山:まあ頑張ってください。

武:ぜひ応援してください!

山:がんばれー。

【アートと音楽 ─新たな共感覚をもとめて/東京都現代美術館】
< http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/138/
>
< http://www.mot-art-museum.jp/music/
>
会期:2012年10月27日(土)〜2013年2月3日(日)10:00〜18:00
(入場は閉館の30分前まで)月曜日休館
観覧料:一般1,100円、大学生・65歳以上850円、中高生550円

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/書き初めは「成功」「勝」】
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