ショート・ストーリーのKUNI[133]片付ける
── ヤマシタクニコ ──

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妻「あらダーリン、朝から何をしてらっしゃるの」
夫「ああ、起こしてしまったか。すまないな。いや、ちょっと部屋を片付けていた」

妻「どうしていまごろ、急に」
夫「君には黙っていたが、一年の計は元旦にありということわざがある」

妻「知っていますわ」
夫「それで、毎年この時期になると部屋を整理しようと思うんだ。自分に必要なもの、不要なものを分けるのだ」

妻「いいことですわ。最近はやりの断捨離というやつね。でも、あれ時々転倒してけが人が出るそうよ」
夫「それはだんじりだ。断捨離ではない」




妻「あら、ごめんなさい」
夫「とりあえずこちらは『残す』こちらは『捨てる』。かたっぱしから分類してるところだ」

妻「すばらしいわ。あら、小学校のときのテストね。93点。これは残すのね」
夫「もちろんだ。それを見るといまでも当時の教室の風景がよみがえる。始業を告げる鐘の音や校庭のざわめきも聞こえてくる」

妻「それは幻聴よ。で、これは捨てるのね。算数のテスト。17点」
夫「あたりまえだ」

妻「まあなんでしょこのズボン、ウエスト70センチ。これは残すの?」
夫「もちろんだ。いまでもちょっとダイエットすれば入るさ」

妻「いま88センチなのに?」
夫「万が一入らなくても、ものには思い出というものがあるじゃないか。思い出をとっておくことも大切だろ、ベイビー」

妻「確かにそうね。でも、このウエスト93センチのズボンは捨てるの?」
夫「それは悪い思い出だ。そもそもいまの私とかけ離れすぎている。今後はくことがあるとは思えない」

妻「あら。古いプリンタが『残す』に入ってるわ。スカジーだからもう使えないんだ、と先週言ってたんじゃなかったかしら?」
夫「私も悩んだ。去年は悩んだあげく『捨てる』に入れた。一昨年もとても悩んだあげく『残す』に入れた。その前の年は泣く泣く『捨てる』に入れた。その前の年は」

妻「ダーリン、もういいわ」
夫「君は私のことをきっとこう思ってるだろうね。なんてめめしいやつだと。いや、『めめしい』は差別語だからこんにゃくの腐ったようなやつだとかふやけた春雨のようなやつだとか思っているんだ。いや、こんなことを言えばこんにゃくや春雨がかわいそうだ。じゃあどうすればいいんだ」

妻「私とあなたは去年結婚したばかりですもの。私の知らない側面をあなたが持っていても不思議じゃないわ。こんにゃくや春雨にはあとで謝っておけばいいのじゃないかしら」
夫「そうだね。ということはやはり、こんにゃくの腐ったようなやつだとかふやけた春雨のようなやつだとか思ってるんだ」

妻「思ってないわ、ダーリン。それに、いつか異星人が地球を侵略して、地球のすべての機器をスカジー仕様に統一する、そんな日がこないともいえませんわ」
夫「それは遠回しに私をばかにしているね」

妻「あらどういえばわかってもらえるのかしら。それよりこの手編みのセーターは何なの。『残す』に分類されてますけど」
夫「あ、それは」

妻「タグもついていないから、本当の手編みのようね。あら、どうなさったの。妙にうろたえて......わかったわ。これにも思い出があるのね。とてもすてきな思い出が。そうね、そうなのね」
夫「誤解しないでくれたまえ。それは」

妻「いいのよ。だれにでも過去というものがあるのよ。あなたがかつてほかの女性からプレゼントに手編みのセーターをもらったからといって不思議じゃないわ。でも、今度から私の目にふれないようにしていただきたいわ。ぐすん」
夫「だから誤解なんだ」

妻「どこが誤解だっていうの」
夫「それは私が自分で編んだのだ。実は私は手編みが趣味で」

妻「えっ」
夫「そのセーターも自分で編んだのだ。自分のために心を込めて」

妻「何それ。気持ち悪い」
夫「ところが出来上がってみて、袖を作り忘れたことに気づいた」

妻「まあほんとですわ。これを着たら両腕をしばられてるようなものね。拷問用にいいかも」
夫「そうなんだ。拷問にぴったりだから捨てられない。いや、そうではなく。極上の毛糸を使って、これを着る人の気持ちに寄りそい、心を込めて編んだのだ。この精巧な模様編みはどうだ。まったく完璧ではないか。袖がないということを除けば」

妻「致命的だわ、ダーリン」
夫「とりあえずそういうわけで、私も迷わないでもなかったが、これは捨てられないんだ。そうとも、またしても私のことを生焼けのお好み焼きのようだとでも思っているんだろうが、その通りだ。私こそは生焼けのお好み焼きだ。どこからみても生焼けのお好み焼きだ」

妻「何も言ってませんわ」
夫「では今年はこのへんで終わろうか」

妻「えっ」
夫「君には黙っていたが、一年の計は元旦にありということわざがある」

妻「それはもう聞きました」
夫「それでつい、年が明けてすぐに整理を始めるのだが、そのころはいつも冬で寒い。私は寒いとやる気が出ないのだ。それでこうして毎年やっているにもかかわらず全然進まない」

妻「わかってたらどうにかしたらどうですの」
夫「うむ、確かに。そうだ。いま思いついたが、『捨てる』と『残す』の間に『中間処理場』を設けたらどうだろう」

妻「何それ」
夫「捨てようかどうしようか悩むものをしばらく寝かせておくんだ。そうしている間に適切な処理方法を思いつくかもしれない。何より『中間処理場』の設置ということでそれなりに成果があがったようにみえる」

妻「好きにしてくださいな」
夫「そうしよう。ではそのセーターもスカジーのプリンタも、それからフロッピーディスクもMOも、この57点の理科のテストや61点の社会のテストも中間処理場行きだ」

妻「どれだけテストを保管してるんですか」
夫「いやあ、つい迷ってしまって。しかし、こうなるとどんどん『中間処理場』行きが増えて、『捨てる』も『残す』もほんの少しになってしまいそうだ。これはなんだ。私はそんなに中途半端な人間なのか。ええい、私のことをこれから人間中間処理場と呼ぶがいい」

妻「そんな呼びにくい名前はいやですわ」
夫「愛称ちゅーちゃんでいい」

妻「わかりましたわ、ちゅーちゃん。ぐすん」
夫「どうして泣くんだい、ベイビー」

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先日、新潟方面に行き、バス(越後交通)に乗ったらいつも通勤で乗っているバス(南海バス)で見るのと同じポスターがあってびっくりした。車内事故防止のための啓発ポスターで、よく見たら「公益社団法人 バス協会」のものらしい。全国的に同じポスターが掲示されてるわけだ。驚くことでもないか。でも、このポスター、前から「なんとなく不思議な絵だな......」とか「車内が透視できてるように描いてるわけだよな......」とか思ってたので。
< http://www.bus.or.jp/kinkyu/anzen002.html
>