[3422] 31年後にする後悔

投稿:  著者:  読了時間:33分(本文:約16,000文字)


《アニミズムとテクノロジーとオタクの日本》

■映画と夜と音楽と...[577]
 31年後にする後悔
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[577]
31年後にする後悔

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20130215140200.html >
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〈1900年/太陽がいっぱい/シェルタリング・スカイ〉

●淀川長治さんの映画の本を初めて買った

淀川長治さんの「究極の映画ベスト100」が河出文庫から新刊で発売されたので買ってみた。淀川さんの映画の本を買うのは初めてだ。テレビの映画解説で充分だと思っていた。編集・構成は淀川さんと長い付き合いがあったという岡田喜一郎さんである。岡田さんの経歴を見ると僕よりひとまわり上だったから、改めて淀川長治さんとの年の差を実感した。淀川さんが存命なら、今年で104歳である。

淀川さんは、5・15事件のときに訪日中だったチャップリンと会った人だ。20世紀初めから亡くなる1998年まで映画を見続けた。戦前、ジョン・フォードの「駅馬車」(1939年)の宣伝を担当したこともある。戦後は「映画の友」編集長を経て映画評論家になった。僕が初めて見たのは、テレビ西部劇「ララミー牧場」の最後に出てくる「サヨナラおじさん」としてだった。

「ララミー牧場」の解説をやっていた頃から亡くなるまで、淀川長治という人に対する僕の印象は変わっていない。相当な年配に見えた。しかし、「ララミー牧場」時代の映像を見ると、きっと髪も黒々として若かったのだろう。印象が変わらないのは、ずっと喋り方が変わらなかったからではないだろうか。あの「サヨナラサヨナラ」の記憶を消すのは無理である。

僕の記憶が違っているのかもしれないけれど、「ララミー牧場」というと三ツ矢サイダーのCMを思い出す。「リボンシトロン」という飲み物のCMもあったような気がする。主演者のひとり、流れ者を演じたロバート・フラーに人気が出て来日したことがあった。そのときの大騒ぎの様子を芸能誌(「平凡」か「明星」だ)で読んだ記憶がある。

「ララミー牧場」は僕が小学生の頃に放映されていたが、中学生になった頃から「日曜洋画劇場」を見始めた。淀川長治さんがさらに有名になった番組だ。洋画の放映前に解説者として登場し、「あの場面、凄いですねぇ、コワイですねぇ」という独特の喋り方で視聴者の期待を煽り、放映後に登場して「サヨナラサヨナラ」とフェードアウトした。

以来、テレビの映画番組では解説者が登場するのが当たり前になった。僕が好きだったのは「日本映画の本当の面白さをご存知ですか」と視聴者を挑発し、いつも強面の怖そうな顔で解説していた元キネマ旬報編集長の白井佳夫さん、穏やかな話し方で知的な雰囲気が漂い髭が似合う品田雄吉さん、歯切れのいい解説だったが早くに亡くなった荻昌弘さんだった。

そう言えば今の会社に入ってから、僕は淀川長治さんには一度、荻昌弘さんには何度かお会いする機会があった。僕が今の出版社に入った頃、ビデオ雑誌の編集長だった大先輩が荻さんに心酔しており、何かというと「荻さんが...、荻さんが...」と口にした。ビデオカメラが隆盛になった頃、その大先輩は荻さんにビデオ作品コンテストの審査員をお願いした。

やはり同じその20歳先輩の編集長から聞いたのだが、僕が入社する10年以上も前から淀川長治さんには執筆拒否にあっているということだった。以前には、淀川さんに月刊「小型映画」という8ミリ専門誌にときどき原稿を書いてもらっていたが、あるとき、某編集者が原稿依頼にいき「埋め草に使いますから」と言ってしまったというのだ。

当時は、今で言う「囲み記事」「コラム」のことを「埋め草」と言った。活版印刷の時代だから原稿を鉛の活字で組み、スペースが余ったときに短文の囲み記事を書いて頁を埋めたことから「埋め草」と呼ばれたのだろう。印刷会社に出張校正し、さあ校了だ...となったとき、空いたスペースに「埋め草」記事をすぐに書けるのが優秀な編集者の条件だった。

「埋め草」には「穴埋め原稿」の意味がある。その編集者は無知だったのか、あえて口にしたのかはわからないが、かの淀川長治さんに「埋め草原稿」を依頼したのである。淀川さんは怒った。無礼だ、と編集者を追い返した。それ以来、僕の勤める出版社には「二度と原稿は書かない」となったのである。

●若い頃に一度だけ淀川さんと知り合える機会があった

淀川長治さんと一度だけ会ったのは、31年前のことだった。1982年の夏の頃だと思う。なぜ、そこまで限定できるかというと、ベルナルド・ベルトルッチ監督の6時間近くもある超大作「1900年」の試写会場でのことだったからだ。フランス映画社が輸入した「1900年」は、上映時間の長さばかりが話題になっていた。

ロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューというアメリカとフランスの名優が共演し、イタリアの才人ベルナルド・ベルトルッチが監督したのだから、もっと早く公開になってもよかったのに、日本での公開は制作から6年も後のことだった。その頃はまだ、ロバート・デ・ニーロもドバルデューも若手俳優だったのだ。

当時、僕は「小型映画」編集部に在籍し、双葉十三郎さんの映画評の頁の担当で、毎月、原稿をもらっていた。もう何年も担当していたので、その頃はどこかの試写会場で原稿を受け取り少し話をするだけだった。少ししか話せないのは、いつも試写が始まる前の時間を指定されたからである。

その日も僕は双葉さんの原稿を受け取るために、銀座和光裏にあるフィルムライブラリーの試写室に出かけた。後に「川喜多記念財団」に変わったはずだけれど、その頃はまだ「フィルムライブラリー」と言っていた。「シネスイッチ」の入ったビルの上階だった。そこにある試写室はこぢんまりしていて、僕の好きなスペースだった。

その試写室で僕はロベルト・アンリコ監督の「ふくろうの河」、フランソワ・トリュフォー監督の「あこがれ」、アルベール・ラモリス監督の「白い馬」「赤い風船」などを特別に上映してもらったのだ。それは「小型映画」に登川直樹さんの解説付きで全カットを掲載するための連載の仕事だったのだが、とても幸せな時間だった。

さて、その日、少し早く着いた僕は試写室の前にある別室で待っていた。試写室の準備がまだできていなかったのだ。まず、おすぎとピーコがやってきた。そして、次に淀川長治さんが登場した。小さな人だった。評判通りニコニコしながら、そこにいた全員にほほえみかけ、「こんにちは」(「ごきげんよう」だったかも...)と言った。

知り合いであろうがなかろうが、そこにいる人には挨拶するとは聞いていた。しかし、僕は「あっ、淀川長治さんだ」と有名人に会ったぞ〜状態だったので、とっさに挨拶が返せなかった。オドロキが継続していたのだ。僕は黙ってうなずくのが精いっぱいだった。その瞬間、淀川さんは「無礼な奴だ」的な目をしたが、そのまま僕の横の人に挨拶をした。

そのとき、双葉さんがやってきた。淀川長治さん、双葉十三郎さん、野口久光さんは同世代であり、昔からの友人だと聞いていた。三人とも戦前から映画の世界に関わり、戦後は映画評論家として活躍していた。双葉さんと淀川さんは長い付き合いなのだと思っていたが、ふたりの出会いはあっさりしたものだった。僕は立ち上がり、双葉さんに挨拶をした。双葉さんが原稿を取り出した。

あのときの淀川長治さんの顔が忘れられない。テレビで見るニコニコした表情が、僕がきちんと挨拶を返さなかったために一瞬凍った。淀川さんは「ぼくは未だかつて嫌いな人に会ったことがない」という言葉を残しているけれど、無礼なことに対しては寛容ではなかったのではないか。そして、どんな映画も誉めたけれど、本音では言いたいことがいっぱいあったのではないか、と本を読んで思った。

●同性愛傾向を生前から明らかにしていた淀川さん

淀川さんが「太陽がいっぱい」(1959年)のトム・リプレイ(アラン・ドロン)とフィリップ・グリーンリーフ(モーリス・ロネ)の関係を、ホモ・セクシャルの視点から評論しているのを読んだことがある。「淀川長治 究極の映画ベスト100」の中でも「太陽がいっぱい」が取り上げられていて、その視点で語っている。かなり極端な見方である。

──ヨットの上でドロンが坊ちゃんを殺すところ。坊ちゃんが仕掛けたのね。あいつが俺を突いたら、エクスタシーを感じるかもしれない。ドロンは引っ掛かったの。これは男同士の最高のラブシーン。

これは、テレビの解説者として不特定多数の視聴者に語りかけていた淀川さんではない。「こうした映画を舌なめずりして見られるようになったら最高ですよ」と、映画耽溺者の本性を見せている。僕は、こちらの淀川さんの方が好きになった。この文庫本の中で語っていることのひとつは、映画を性的な観点で見ることである。特にホモ・セクシャルの観点は頻出する。

淀川さんの同性愛傾向は、今ではよく知られている。亡くなる前、自ら同性愛者であることを認める記述をしたり、発言もあったようだが僕は知らなかった。亡くなった後、そのことを知り納得した。淀川さんがベストワンにあげる「ベニスに死す」(1971年)の主人公の、美少年に惹かれる心情が僕には理解できなかったが、同性愛者だったヴィスコンティの視点が淀川さんの琴線に触れたのだろう。

「淀川長治 究極の映画ベスト100」の中には、もちろん「ベニスに死す」も取り上げられている。年代順に掲載されているが、1910年代から30年代までの映画が20本取り上げられているのは、淀川さんのセレクションならではだろう。淀川さんは、それらを公開時に見ているのだ。僕は15本しか見ていなかった。

40年代の映画は12本セレクトされていたが、僕が見ていたのは9本。50年代が19本中の18本、60年代が14本中の13本、70年代は10本中の9本、80年代が13本のうち12本、90年代が12本のうち10本だった。合計するとベスト100のうち85本を見ていた。これは多いのか、少ないのか。

60年代以降で選ばれているのは49本だが、43本は見ている。見ていない6本は見逃しているというより、あまり積極的に見たいと思わないもの、できれば敬して遠ざけておきたい作品ばかりだった。おまけに「カオス・シチリア物語」(1982年)という映画は、存在さえ知らなかった。タヴィアーニ兄弟、こんな作品撮ってたっけ?

●瑞々しい感性を持ち続けたイノセントな人だった

淀川さんのセレクションを見ていると、この人は最期まで瑞々しい感性と柔軟な頭脳を持ち続けていたんだなと思う。淀川さんが80歳を過ぎていた90年代作品に選ばれた「髪結いの亭主」(90年)「シェルタリング・スカイ」(90年)「テルマ&ルイーズ」(91年)「ピアノ・レッスン」(93年)「日の名残り」(93年)「スモーク」(95年)「キッズ・リターン」(96年)など、頭が堅い人は絶対に選びそうにない。

それ以外に選ばれている90年代作品は「シザーハンズ」(90年)「アダムス・ファミリー」(91年)「さらば、わが愛/覇王別姫」(93年)「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」(93年)「オリーブの林をぬけて」(94年)であり、守備範囲の広さがよくわかる。ハリウッドの異端派ティム・バートン監督とイランのアッバス・キアロスタミ監督が並んでいるのである。

中でも「シェルタリング・スカイ」について語っている淀川節がとてもよくて、ああ、そうだったのか、と啓発されることしきりだった。「シェルタリング・スカイ」はベルナルド・ベルトルッチ監督作品で、僕にとってはとてもお気に入りの映画なのだが例によって難解な部分や謎があり、うまく人に語れない作品だったのだ。淀川さんは、そこを明確に分析していた。

──愛というもの、愛にしがみつく夫婦の姿を、厳しいタッチで見せました。変な言い方ですが、西洋人の愛というものがよくわかる。この「嵐が丘」のような怖い鬼のような愛。ベルトルッチの見事な名作です。

僕は世界の古典の中で「嵐が丘」が大好きなのだけれど、ここで「嵐が丘」に通じる愛(妄執)を描いていると指摘されたことで、「シェルタリング・スカイ」に抱いていたモヤモヤしたものがスッと消えた。夫(ジョン・マルコヴィッチ)が死んだ後、魂が抜けたようになって砂漠をさまよう妻(デブラ・ウィンガー)の姿が甦ってきた。

原作はポール・ボウルズの世界的ベストセラーだそうだが、僕は読んでいない。ベルトルッチの映像的不可解さをそのまま感じたかったからだ。ベルトルッチ作品は謎に充ちていて、その謎が心地よい。「シェルタリング・スカイ」も美しいサハラ砂漠の映像に酔わされ、不可解な人間関係を見つめるうち、さらに深い謎に包み込まれる映画だった。

作曲家の夫と劇作家の妻が、ひとりの青年を伴って北アフリカを旅する。芸術家の夫婦だからなのか、それぞれに自意識が強く複雑な関係である。そこに青年が加わるから、人間関係はさらに錯綜する。夫は現地の女を買い、妻は青年と関係する。夫婦の間に愛は存在するのかと気になりながら見ていると、夫婦は共に離れ難いと思っているらしい。

やがて、夫が熱病に冒されて死ぬ。妻の彷徨が始まる。砂漠をさまよい、現地の隊商のような集団に拾われるが、現地人の誰にでも躯を開く。「愛と青春の旅立ち」(1982年)のリチャード・ギアとのコンビで、一躍青春スターとなったデブラ・ウィンガーもすでに30半ばになり、ハードなセックスシーンで不思議なエロティシズムを漂わせる。

その妻の状態を淀川さんは、「無のような何もない透明人間になった」と指摘している。夫婦の行き詰まりを感じていたのに、妻は夫の死によって愛を甦らせたのだ。だが、その愛の対象は、すでにこの世に存在しない。「嵐が丘」のヒースクリフが死んだキャサリンを求め続けたように、「シェルタリング・スカイ」の妻の魂も夫を求め続ける。だから、肉体はもう不要なのだ。

ウーン、やはり「サヨナラサヨナラ」だけの人ではなかった。僕は今までテレビ解説者としての淀川さんしか知らなかったことを猛省した。あー、あのとき、たった一度会えたあのとき、きちんと挨拶を返し、親友だったという双葉さんに改めて紹介してもらい、社名を告げたうえで遙か昔の先輩編集者の無礼を詫び、映画の弟子にしてもらうのだったなあ、と31年後に僕は悔いた。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

世の中は65歳定年でいろいろと騒がしい。年金の支給年齢を繰り上げたいから政府が打ち出したことだが、東京都は70歳に定年延長した企業に奨励金を出すという。いずれ70歳になるのだろうけど、何だかマラソンのゴールが少しずつ延ばされているみたいでうんざりする。

●長編ミステリ三作の配信開始→Appストア「グリフォン書店」
→以下でPC版が出ました。
< http://forkn.jp/book/3701/ > 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/ > 愚者の夜・賢者の朝
< http://forkn.jp/book/3707/ > 太陽が溶けてゆく海

●第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」受賞 既刊4巻発売中
「映画がなければ生きていけない1999-2002」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2003-2006」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2007-2009」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2010-2012」2,000円+税(水曜社)

●電子書籍版「映画がなければ生きていけない」シリーズもアップ!!
「1999年版 天地創造編」100円+税
「2000年版 暗中模索編」から「2009年版 酔眼朦朧編」まで 各350円+税
※書籍版も電子書籍版もhonto.jpで購入できます
< http://honto.jp/netstore/search_10%E5%8D%81%E6%B2%B3%E9%80%B2.html?srchf=1 >


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■Otaku ワールドへようこそ![169]
世界へ届け、ニッポンのカオス! アイドルグループ、始動!

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20130215140100.html >
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育成中のアイドルグループのプロデューサ陣の一員という形で、写真撮り役を仰せつかってきました。今までは、「練習フェーズ」ってことで、その存在を半ば地下に隠しながら、ライブ活動など行ってきましたが、そろそろ長めの冬眠から目覚めて地上に出てくる機が熟してきた感じです。

●おもしろ大国ニッポンを代表したーいっ!

今までは、「C(ハート)A」(読み方は「シーアイエー」)というグループ名を掲げてました。けど、変更します。検索かけたら間違いなくトップに出てくるようなユニークな名前に。と言いつつ、まだ決まってなかったりするわけで。いい名前、ありませんか?
< http://www.ness2000.com/va2.html >

中心メンバーは4人です。菜々海(ななみ)、小倉 星(あかり)、豊田冴香(さえか)、ミッシェルめぐみ。小学生と中学生です。

菜々海と星はダンスが得意。NHKの「紅白歌合戦」でバックダンサーを務めたこともあるのだとか。冴香は長野在住で、ほぼ毎週、高速バスを使って東京まで練習に来ます。ピアノが得意。ミッシェルは父親がアメリカ人。母国語は日本語だし、生活習慣もほぼ日本人なんだけど、何につけても自分はどう思うかっていうのをハッキリと明言してくるあたり、どっかアメリカ的な空気を吸ってるなぁ、と思うことがしばしば。

ところで、日本って、世界からどんなふうに見えているでしょう。さすがにもはや「フジヤマ、ゲイシャ」ではないと思います。サムライがちょんまげ結って刀差して江戸の町を闊歩してると、いまだに思い込んでいる人はそんなに多くはないでしょう。けど、寺社仏閣や日本庭園は古代の遺物としてではなく現役で存在するし、柔道や剣道などの武道や茶道、華道などの伝統文化は現代にちゃんと場所を占めて生きています。

自動車産業、家電産業、半導体産業などで高度成長を遂げ、GDPで世界第3位を誇る工業国というのが割と一般的なイメージでしょうか。最先端の技術の追求と自己犠牲的なまでの仕事っぷりが経済を支える、真面目で堅実なイメージですね。

その一方では、漫画、アニメ、ゲームなどを通じてヘンな情報を発信してくる「オタクのメッカ」というイメージも、そうとう定着しているのではないでしょうか。

漫画、アニメ、ゲームのようなオタクコンテンツを基軸として、その周辺にメイドやネコミミに代表されるような「萌え」の文化や、原宿系のロリロリっとしたファッションに代表されるような「カワイイ」の文化が醸成されてきたのではないでしょうか。こういうイタくてハズカシイ文化、どっかに隠しておけるもんではなく、すでに世界のよく知るところとなっているようです。

つまり、ひとつには、自然との調和を基盤とした伝統美があり、またひとつには、先端技術と勤勉さに支えられた工業国としての経済繁栄があり、さらには、オタクの妄想によって開花した萌えやカワイイの文化があるというわけです。わび・さびと科学技術と萌え。アニミズムとテクノロジーとオタク。これらの三者は、概念的には互いに異質で、とても混ざりそうな感じがしないですね。

ならば、日本が3つの地方に分離して、それぞれがあたかも別個の国のように排他的に独自の文化を醸成しているのかといえば、そういうわけではなく。地理的には、混ぜこぜですね。混ざりそうもないものが、混ざっています。

それでいて、変な化学反応が起きて大爆発するわけでもなく、世は平穏に回っています。この状態って、そうとうカオスなんじゃないかと思います。つまり、今の日本を特徴づける、ひとつのキーワードとして「カオス」があるんじゃないかと。

カオスというと、無政府状態ってことで、秩序が崩れて治安が乱れているのかといえば、そうでもないですね。生活の基盤となる、生産、流通、交通、インフラ、金融等々は、細部の細部まできっちりシステム化され、完璧に近い秩序の下に回っていますね。日本から外へ出ると、世界のどの国に行っても、なんかユルいなぁ、と感じます。それだけ日本が、極端にきっちりしてるってことです。

つまり、生活の基盤においてはきっちりとした秩序が支配的で、その一方、思想や文化においてはまるでばらんばらんの無秩序状態。考えてみると、ヘンな国ですね。けっこう独特なもんがあるんじゃないかと。この独特の「変さ」はある種の象徴的な形に凝固させることができれば、世界からウケをとり、ニッポンが誇ることのできる「価値」へと転化しうるのではないかと。

なので、このアイドルグループは、ニッポンのカオスを代表する親善大使となって世界へ羽ばたいていけたらいいなぁ、と思ったりなんかしているわけです。そんな希望をこめて誕生したオリジナル曲が「かおす de じゃぽん」です。

YouTube にアップしました。どうです? カオスっぷりが表れてませんか?
< >

もののついでですが、ワタシもがんばってます。がんばれるケバヤシ、Gun Barrel GrowHair。わずか26秒のジョーク映像ですが。
< >

●小中学生の目に映った日本文化をFacebookで発信

彼女らの役割は、日本偵察に海外から派遣された特派員。みたいなもん。日本のさまざまな側面を見て、本国にレポートするのが使命。ただし、海外から派遣された特派員と違うところは、日本の小中学生視点で見て、意識にひっかかったものが取り上げられるという点です。

生まれ育ってきた文化的背景が異なると、同じものを見ても、意識にひっかかるものと、何の関心も呼び起されずに素通りしちゃうものとが違うのですな、これが。私なんぞは、古い寺社を訪ねたとき、狛犬やら灯篭やらが青々と苔むしていると、古さや自然との調和が表れていて、趣きがあっていいなぁ、と感じるのですけども。

以前にイタリア人たちと一緒に日光東照宮へ行ったとき、彼女らは興味をひかれて夢中になってバシャバシャ写真を撮りまくるのだけれども、そういうほうへいっこうに目が行かないので聞いてみたら、苔はただの苔であって、ちっとも美しいとは思わない、と言われて、ひどくショックを受けたことがあります。

同じ日本人どうしであっても、おっさんと小中学生の女の子たちとでは、やはりおのずと目の行く方向が違うはずなわけで。われわれおっさんは、小さいころの日本の風景は今とは違っていたことを知っていて、数10年の間に日本がどう変わって今に至るかを見てきています。

けど、若い子たちにとってみれば、最初っからこういうふうになってたわけで。そういうわれわれだって、その前にどういう経緯があったかは、ある程度大きくなってからの伝聞によってしか分からないわけですが。

みんな、生まれてきたときは、「その前」を知りません。ものごころついたときにはすでにこうなっていたニッポンを素直な心で受け入れ、抵抗なく適応して暮らしている彼女たちの見ているニッポンは、おそらく、というかほぼ確実に、おっさん視点とは違うはず。戦争を知らない子供たちを知らない子供たち。

彼女らが見たニッポンを海外に発信してみるってのは、面白い試みなんじゃないかと思います。そういう狙いをもって、アイドルグループとしてFacebookアカウントを取得しました。徐々に記事を上げています。

海外の人たちに読んでいただくことを意識するなら、記事は英語で書くのがよかろうと思うわけです。で、英訳担当は、私だったりするわけです。本来でしたら、アウトプットされる英文も、小中学生が書くようなスタイルのものだったら一番いいわけですが。さすがにそれは手に余ります。

英語が母国語の国で生活してるわけではないし、そういう人の書いた口語的な英文を日常的に読んでるわけでもないし。ま、そこはしょうがないってことで。どなたか英語ネイティブの中学生の女の子、私とお友達になってくれませんか?

で、あんまり得意でないからってこともあるんでしょうけど、苦心惨憺です。小中学生の書く日本語を英訳するのがどんなに困難か、やってみるとハタと気がつきますな。言語の違いは意識の違い。翻訳なんて、そもそも不可能な作業なんじゃないかと思えてきます。

そう言ってもピンと来ていただけないかもしれないので、練習問題をご用意してみました。実際に出てきた文です。英訳してみてください。英語なんか知らん、という方は、少なくとも和英辞典に載ってそうなレベルの標準的な日本語に言い替えてみてください。

(1)心がほっこりしました

(2)ゆるーい感じの服が好き
(サイズがぶかぶかという意味ではなく、「ゆるキャラ」の「ゆる」。)

(3)じゃーん!!!

(4)突然ですが、クイズです

(5)ぶりっこ

(6)人からよく天然って言われます

(7)テンションが上がっちゃいました

(8)学校のグラウンドがうっすら雪化粧

(9)岐阜県の栗きんとんは形が茶巾絞りです

(10)地元の神社ですっごく趣のある写真が撮れました!

いかがでしたか? では、解説(になってない)です。いちばん頼りになるのはSPACE ALCのサイトです。見出し語や多くて、例文が豊富で、新語・俗語もよく載ってます。
< http://www.alc.co.jp >

あと、Googleの[もっと見る]─[翻訳]も、割と参考になることがあります。

(1)心がほっこりしました

Google先生ったら "dust" だって。先生、それは「埃」ですっ。SPACE ALCでは "chillax" とか "unwind" とか。その意味としては国語辞典にも載ってないのに、和英辞典にはもう載ってるって、たいしたもんだ!

(2)ゆるーい感じの服が好き

「ゆるい」で辞書を引いたのでは、「だぶだぶ」の意味しか出て来ないので、まずは別の日本語表現に置き換えないとならないのですが、その時点で困ります。服なので、"super casual" ぐらいでごまかしましたけど、「力の抜けた、軽く笑えるかわいらしさ」という感じは伝わらないでしょう。

(3)じゃーん!!!

よく映画なんかでものを見せびらかすとき「タダー!」って言ってますけど。あと、フランス語から借りてきて「ヴォアラ!」と言ったりもしますね。どういう場面でどう使い分けるのか、そういうのって両方で暮らしてみないと分かりませんね。"Ta-dah!" か "Voila!"

(4)突然ですが、クイズです

「突然ですが」なんてわざわざ言うほうがむしろ「突然、何を言い出す?」って感じで不自然ですね。この「感じ」はぜったいに伝わりません。

(5)ぶりっこ

「ぶりっこ」と「かまとと」の感じの違い、日本語で説明できますか? 「かわいいふり」と「純真無垢なふり」で、合ってます? 辞書によると「ぶりっこ」が "act cute" で「かまとと」が "feign innocent" なようですが。

あと、「ぶりっこ」には "cutesy poo" とか "coy" といった訳語も載ってますけど、それらの語の響きがさっぱり分からないので、そのまま採用していいもんかどうか、悩みます。

(6)人からよく天然って言われます

「天然」は「天然ボケ」のことでしょうけど。どうします?
"have the natural innocence of a fool" という表現が見つかりましたけど。
これで感じが伝わるかどうか...。

(7)テンションが上がっちゃいました

文字通り直訳することは可能だけど、それで感情が伝わるかどうか...。

(8)学校のグラウンドがうっすら雪化粧

「雪化粧」を「雪の薄い層で覆われた」と客観表現しちゃうと味も素っ気もなくなりますね。いやぁ、日本語って美しいな。じゃあ、それに匹敵する美しい比喩表現をひねり出して英語で記述すればいいかというと、そうでもなく。

無生物があたかも人間の感情をもつかのような表現(例:「怒れる海」)を英語で "pathetic fallacy" と言いまして、これを直訳すると「痛ましい誤謬」となります。擬人表現がそんなにお嫌いなんでしょうか。ま、Wikipediaによれば、この場合の "pathetic" とは「感情表現における」ぐらいの意味で、侮蔑的な含意はないとのことですが。

いずれにせよ、この種の擬人表現は空振りに終わりがちなので、気をつけたほうがいいようです。ロマンチックで文学的な表現をしたつもりで気取ってたりすると、気持ち悪がられるか大笑いされることがあるようです。まったく「雪化粧」ひとつで、こんなに悩みます。

(9)岐阜県の栗きんとんは形が茶巾絞りです

「茶巾絞り」を "tea cloth squeeze" と返してきたGoogle先生のゴマカシのセンスに脱帽です。けど、きっと通じません。

(10)地元の神社ですっごく趣きのある写真が撮れました!

「趣き」。どうしましょ? もしそういう概念が存在していなければ、それを表す言葉も存在しようがないわけで。翻訳の不可能性、限界が、そこらへんにあるんではないかと。"quaint" という単語は存在していて、割と近いようですけど。感じが伝わるかどうか、定かではないけど、他にどうしようがあるわけでなく、それでごまかしました。

余談ですが、翻訳の不可能性ってことで、ひとつ思い出したことがあります。よい文章のひとつの典型として「起承転結」がある、と学校で習ったりするわけですが。この概念、万国共通ではありません。西洋にはそんな概念、存在しません。

だから起と承と転と結をそれぞれ英訳してつなげるしかないわけですけど、そうしてみたところで「だから何?」って感じでしか受け取られないでしょう。名文と呼ばれる和文を、仮にきっちり英訳できたとしても、それが名文とは受け取られないかもしれないわけです。

英語を勉強することの最大のメリットは、それを通じて日本語をより深く知ることができるってところにあるんじゃないかと思います。

ま、そういうわけで、翻訳者の呻吟を経て世に送り出されつつある、アイドルグループのFacebook記事なわけです。海外からウケるといいなぁ。これから徐々に記事をアップしていきます。実はすでに相当数、受け取っているのですが、英訳でつっかえてたりします。うわー、がんばらなきゃ。
< http://www.Facebook.com/Chaos.de.Japon >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。

新宿を歩いていたら、テレビカメラに捉えられちゃいました。2月9日(土)のことです。アルタ前を通りがかったら、そこで人待ちしている人から「写真撮っていいですか?」とリクエストがあったので、ポーズとって撮られてたら、便乗して撮ろうと人だかりができてしまうのはいつものことですが。

かなり距離を置いたところから、ずーっと動画を撮ってる人がいまして。そのカメラに向けてもポーズをとったりしてたんですが、いつまで経ってもやめないんで、だんだん飽きてきました。

そしたら近づいてきて、「テレビ東京なんですが」と。え? そのカメラ、やけに小さいんですけど。テレビカメラって、四角くてでっかくて、やたら重くて、肩にかついで撮るんじゃなかったっけ? それ、ただのハンディカムじゃん。って、最近はそういうもんらしいです。

歌舞伎町のほうへぶらぶら歩いていくところを、少し離れてついてきて、その姿も収録されました。私とすれ違ってから「ツイッターで見た人だ!」と言う人がけっこういたとか。それは知りませんでした。ネットユーザたちの間では、割と知られた存在になってきてるってことでしょうか。ヤバいなぁ。会社にはナイショでよろしく。

行きつけの女子高生喫茶の前で、インタビューを受けました。女装歴とか、今までその姿で行ったとことか、いろいろ聞かれました。真面目に答えちゃったもんで、あんまり笑える受け答えにはなってなかったかも。放送に使えそうなところ、あったでしょうか。

テレビ東京の火曜夜23:58からの「特報!B級ニュースSHOW」という番組だそうです。ボツになったり放送日変更になったりしなければ、3月5日(火)放送予定だそうです。ネットで話題になっているセーラー服のおじいさんを、ついにテレビカメラが捉えました、みたいな感じでしょうか。楽しみです。

ところで、その女子高生喫茶のトモエ(仮名)が痴漢にあって、ムカついたのでとっ捕まえて警察に突き出したって話は以前に書きました。で、検察ががんばってくれました。起訴されて、近々東京地方裁判所で公判があるそうで。起訴罪状は「公衆に著しく迷惑をかける暴力的な不良行為等の防止に関する条例違反」。これって東京都のいわゆる「迷惑防止条例」ですな。

傍聴しに行こうかなー、と。痴漢の裁判で、傍聴席にセーラー服着た変態のおっさんって、けっこう面白くないかなー、と。これもテレビ放送してくれませんかね?

1999年8月に大船渡で撮った写真、ウェブアルバムにアップしました。
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/Ofunato9908 >


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編集後記(02/15)

●「週刊新潮」「週刊文春」の最新号は揃って、中国が戦争をしかけてくると伝えている。今日の「週刊現代」「週刊ポスト」も続いた。平和的解決の可能性があるとか、最後まで話し合いをすべきとかいう平和ボケな希望は失われようとしている。残念ながら、尖閣で日中軍事衝突は必ず起こる。宮崎正弘「習近平が仕掛ける尖閣戦争」(並木書房、2012.11)を読めばわかる。筆者は中国ウォッチャーの第一人者だ。

表紙折り返しに「すでに中国バブルの崩壊が始まり、各地の暴動は収まる気配がない。共産党幹部の腐敗に対する国民の怒りは頂点に達している。これらの矛盾をすり替えるため、中国指導部は必ず対日戦争を仕掛けてくる」とある。これがエッセンス。対日戦争勃発の必然性は本文でくわしく解説されている。また、多くの「尖閣本」のなかにあって、軍事的要素よりは経済問題に焦点をあてているのがこの本の特色である。

なぜ尖閣戦争が勃発せざるを得ないのか。「第一に決断力に乏しい習近平が政治局と軍の強硬派に振り回されるからだ。第二にいよいよ崖っぷちにきた中国経済のバブル崩壊が始まり、貿易は急減して労働者の失業が激増し、社会不安が増大している。

第三に大規模な反政府運動が中国全土で起きるだろうが、これを回避し国内の矛盾を対外問題とすり替えるには日本に戦争を仕掛けることしか思いつかない」ということで、じつに分かりやすい。尖閣「問題」が偽装なのも世界中にバレバレである。

そんな中国の国内事情というか、共産党独裁政権の延命のために戦争を仕掛けられたのではたまったものではない。日本は、自主防衛力を高めて独立主権国家として米中の狭間を生き抜く、という選択しかない。ようやく憲法第9条妄信馬鹿も目がさめるであろう。空母もステルス戦闘機もなにもかもがハリボテ、中国強しというのは幻影、という説もある。そうあってほしい。中国のネットでは習近平は「ラストエンペラー」と呼ばれているそうだ。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4890632999/dgcrcom-22/ >
宮崎正弘「習近平が仕掛ける尖閣戦争」


●続き。A4クリアファイルが折らずに入る、何でも飲み込む大きなバッグが好きだけど、マイボトルや充電器類を持ち運ぶようになってから肩こりがひどくなった。重いのよ。なので必需品入れとサブバッグに分けることが増えた。

サブバッグにも友人のこだわりがある。マチが7cm以上あり、防水加工が施されているもの。華美でないもの。4cmのマチで納まるものなんて、そんなに売っていないわよ〜。

マイボトルや化粧品の外箱だって4cmは越えるし、パンを入れようものならぺったんこ。観劇時にも持ち歩きたいから、横型で隣の席に迷惑をかけたくなくて、縦型。歩いている時にも人に当たりにくいし。

ハロッズのものは高値が気になり、安いものはデザインが気になる。便利なのは、大量に買った時に入れてくれるジュンク堂の緑の不織布バッグなんだが、友人にはデザインと防水の面で却下された。丈夫で軽いのに〜。(hammer.mule)

< http://goo.gl/HVIl6 >
ハロッズのバッグ。これの黒が気になっている
< http://blog.goo.ne.jp/lazybones9/e/a8dcdf7c21b1eb816c2ade6d18be1fd3 >
ジュンク堂の不織布バッグ。すぐにたまる
< http://banban0501.exblog.jp/7977925 >
布のサブバッグは自分でも作れるのだが、いかんせん時間が〜。それに今の家にはミシンないわ。手縫いになる〜。
< http://www.peachmade.com/NewFiles/topics_32.html >
ファスナー付きビニールコーティングのバッグ。これの縦型
< http://superclassic.jp/?pid=41001 >
笠居さんが持っていて欲しくなった「ひらくPCバッグ」
< http://www.kinokuniya.co.jp/ebook/20130213171009.html >
紀伊國屋書店のWebストアで電子書籍ポイント10倍キャンペーン
< http://densho.hatenablog.com/ >
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< http://www.gizmodo.jp/2013/02/50gbbox.html >
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