武&山根の展覧会レビュー失恋がその男を画家にさせた──【ポール・デルヴォー展 夢をめぐる旅】を観て
── 武 盾一郎&山根康弘 ──

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●いきなり90年代の話


武:こんばんは!

山:こんばんは〜、おまたせしました。えーと

武:そういえばな、昨日「海外からお荷物届いてます〜」って郵便屋さんが来たんですよ。

山:ん? なんや唐突に。


武:「なんだろなー?」って受け取って開けてみたら、本だったんですわ。

山:本? 海外から?

武:毛利嘉孝さんの『ストリートの思想』の韓国版だった。
< http://www.facebook.com/take.junichiro/posts/4663765714419
>


山:へ〜。そんないきなり、いったい誰から送られてきたんや?

武:韓国の出版社かな? あ、届きましたメール出してないや。

山:ストリートの思想ってこの本ね
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140911395/dgcrcom-22/
>


武:僕もエディマン( http://edimantokyo.com/#/books/397/
)から新宿西口地下道段ボールハウス絵画を中心に本にする。迫川尚子さん(写真家・新宿ベルク副店長)も当時の段ボール村の写真集出すんだよね。


山:色々重なってんのか。どうしたんや。

武:90年代ブームw

山:何故また今。





武:今ある現象は90年代に元を辿れるんじゃないだろうか? というのが僕の仮説。去年の12月のチャットレビューでの「会田誠=20年後に美術界に来た「だめ連」?」って話もそうだし。
  < https://bn.dgcr.com/archives/20121212140200.html
>

  坂口恭平さんがホームレスの生活と家を文化として捉えてブレイクしてるけど、元をたどると詩人の小川てつオくんのエノアールや、新宿西口地下道段ボールハウス絵画に行き着くんじゃないのかな? 90年代の動きが今、形は違うけど世に広まってる感っていうかさ。


山:20年経って、か。

武:そうそう。90年代ってやっぱなんか動いたんじゃね?

山:そうなんかな。90年代ってどんなイメージする?


武:80年代って身体を排除していく感じがあるんだよね、90年代にそのより戻しがドワッとくるというか。グランジとかさ、音楽もワイルドに戻るじゃん。「プリミティブに回帰した年代」という印象。身体性の回復とか、泥臭さとか、そういう方向、振り出しに戻った感。段ボールハウス絵画ってまさしくそれだし。

  けど、経済的にはバブルがはじけて疲弊してくので、文化として大きく花開かない。それでも細々と脈々と息を繋いできて、今、別な角度から花が咲いてるというか、咲き乱れてるというか、脈略もごちゃごちゃになって咲いているという感じ。

  グランジ
  < http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8
>


山:武さんはいまだに経済的に疲弊してるやんw

武:原発爆発して本当のところは結構ヤバいんだろうけど、経済の本当のところもヤバいんだろうけど、俺は気持ちは元気w

山:もうすぐ箱根山が噴火するらしいぞ。


武:隕石は落ちるわ、噴火はするわ、地震は起きるわ、原発は爆発するわ、か。地球から、宇宙から、そして人類自らの手で。。

山:90年代は阪神淡路大震災やしな。


武:ああ、なるほど。それもなんか示唆的だな。あとは宇宙人が登場するかアセンションするかだなw
  < http://www.jp-spiritual.com/2012event1.htm
>


山:これから先も何が起こるんかわかりませんが、とりあえず今日のところはチャットを進めようw さて今回の展示は、先日の日曜日に初台のICCに行ったのですが、なんと、、

武:保守点検日で休館じゃったのだ!! あるか? ふつー


山:凄いタイミングやなw で、何にも見れなかったので、ベルクでコーヒー飲んで世界堂で買い物して、酒も呑まずに帰りました。

武:「休館日:月曜日(月曜が祝日の場合翌日)年末年始(12/28?1/4)保守点検日(2/10)」と書いてあるじゃん!」
  < http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2012/AnonymousLife/ticket.html
>


山:書いてるな。でも当日、このサイト見れんかったんよな。

武:そうそう。なんでだか。

山:保守点検で見れなかったってことか?


武:保守点検日の情報が保守点検日で見れねえなんて、ドイヒー!

山:まさか日曜日休みとは思わへんよなあ。

武:うん。ありえない。


山:なので今日は展覧会レビューなしです! 雑談の回にしましょう! と言うと、編集長に怒られそうなので、どうします?

武:別にそれでも良いぞよw

山:90年代の話をこのまま続けるか。


武:うーん、それはダルいな。しょーがないなんかないかなあ。あ、この間、埼玉県立近代美術館に行ったんすよ。「ポール・デルヴォー展」やってて。
  < http://momas.jp/exhibitionguide/exhibition/ポール・デルヴォー展/
>


山:ちょっと前に府中かどっかでもやってたよな。巡回してるんやな。

武:なんつかね、この2013年に、ポール・デルヴォーを観る意味があるのだろうか? と。

山:意味ってw じゃあなんで観に行くねん。


武:この人1994年まで生きてるんだ!

山:ほんまや。100年近く生きた訳だ。

武:ポールデルヴォーが死んで、俺たちが新宿に絵を描き始めた。まるでデルヴォーの志を継ぐかのように。

山:むりやり意味を作るな!


●デルヴォーの印象


武:デルヴォーって自分の中でどんなポジションだった?

山:そうやなー、ほとんど興味はなかったな、知ってはいたけど。いつか観た絵の印象で、アンリ・ルソーみたいな人なんかなあ、と、ぼんやり思っていた気がする。


武:ビミョーなところにいるよね。澁澤龍彦がなんか紹介してたよなあとか、シュールレアリスムの人? みたいなイメージとか。「趣味っぽい絵」って感じもある。絵面はまあ「ボーッした女性が突っ立ってる絵でしょ」みたいな特徴があるんだけど。それ以上、突っ込んでみようという感じではなかったんすよね。


山:じゃあ、ちゃんと展示で多くの作品を観たことはなかったんやな。僕もないけど。

武:裸婦を描く画家としては藤田嗣治よりかは好みだった、くらいかな。

山:へー。僕は断然フジタやね。


武:俺はデルヴォーの方が好きだったなあ。シュール近辺だからかな、シュールは好きだったんだ、俺。

山:でもシュルレアリストってわけでもないんやな。運動には参加はしてない。シュルレアリスム展には出品してたみたいやけど。


武:そうそう。「シュルレアリスムの詩は私を引き寄せその理論は私を遠ざける」って言ってるんだよね。その気持ちよく分かる。展示で分かったことはいくつかあって、初期は「あの画風」ではなくて、いろんな人の影響を受けて真似っこしてた感じなんだよね。最初からあそこにイッちゃってた人かと思ったら割とフツーの人だった。ポロックもそうだったじゃん。


山:そうやな。普通にデッサンとかしてたもんな。これなんかデルヴォーの初期の作品なんやろうけど、えーと誰やったっけ。モンマルトルあたりにいた画家、、
  < http://goo.gl/Xs4Vb
>


武:モジリアーニ!

山:そうそう。モジリアーニにちょっと似てる。

武:パクリじゃん!的なw

山:流行もあるんやろうけど。


●初恋の女性、通称「タム」


武:いろんな人の画法や画風を真似てからデルヴォーの絵になる。そのきっかけは何か。ポイントはこれだと思うんだけどね。

「その女性の名は、アンヌ・マリー・ド・マルトラール。デルヴォーが32歳の時に出会った、初恋の女性です。彼の初恋は残念ながら実りませんでした。それは、彼の母親が猛烈に反対したからです。」
< http://island.geocities.jp/hisui_watanabe/art/artist/delvaux/delvaux.html
>


山:32歳で初恋、ってあるかね。いくら内気だったとは言えども。

武:あるんじゃね? ネットでは「非モテ」ってよく見かけるよ。30代童貞、異性と付き合ったことない人って案外多いってこと。それはいつの時代も一定量いる、と。


山:ん? 童貞だからって恋をしてない、ってことではないやろうに。付き合ったことがないとかじゃなくて、初恋って初めて人を好きになった時のことなんとちゃうんかいな。

武:だから本当に初恋なんでしょ。なおかつ相思相愛になったんだよ。


山:そうなんかな。まあとにかく母親の大反対で、それは実らなかった訳だ。

武:憂鬱そうなあの女性たちはみな「タム」なんですよね。失恋からデルヴォーの画風が安定してくる。

山:絵の中の女性ね。もう有り得ないぐらい好きやったんやな。


武:すごい執着だよね。ずっとタム描くんよ。

山:なかなかそんなに思い続けらんない。

武:デルヴォーは思い続けてるよな。


山:ずーっと描いてるわけやからな。現実には恋に破れているのに。

武:母親に別れさせられたから尚更なんだよね。

山:あーそっか。自分の意志でも相手の意思でもない。


武:二人で付き合って、厭な部分を見たり幻滅したり喧嘩したりして、別れたわけじゃないからね。

山:そうね。

武:彼にとって母の意向は神の意志くらい絶対だったんだろうね。ウルトラスーパーマザコン。


山:さっきのサイトによると、母親は死ぬ間際まで言い続けてるからな。二度とタムと合うな、と。なんでそこまでw

武:すごい独占欲だよね。母。で、デルヴォーは母の言いつけ通り違う女性と結婚しちゃう。本当に好きなら独身通せよ的な突っ込み入れたくなるww

山:無理矢理結婚したってことなんやろか。

武:親や社会慣習には無抵抗なんだよね。それがあの閉鎖的で憂鬱な世界観に繋がるんかな、、

山:ボンボンで内気でマザコンである意味変態、、わかりやすいっちゃわかりやすいw


武:で、絵に登場するモチーフは繰り返し執拗に絵かがれるんだよね。汽車とかランプとか。デルヴォーは「鉄ヲタ」なんだよね。

山:あと骸骨か。そういったところが、「趣味性」を感じさせるところなんやろね。


武:ボンボンで内気でマザコンで鉄ヲタで粘着で30歳で童貞。

山:大変やな〜。でもほんまに童貞やったんかな。

武:タムが初めての女性だとしか思えないよ。


●失恋と幸福と絵


山:あれだけ束縛の強いあの母親やとしょうがないんかな。で、恋と性に目覚めて、確固たる絵の方向性が決まってきたってことになるんやろか。

武:失恋がその男を画家にさせた。タムと無理矢理別れさせられなければ、デルヴォーはずっと誰かの真似っこだったと思うよ。


山:ほう、そうなんかな。

武:で、さらに何が凄いって、49歳でタムと偶然再会するんだよな。

山:どんな運命やねんw

武:離婚してタムと結婚するんだよね。


山:ここで母親の言いつけを初めて破るわけか。

武:齢50にして初めて大人になったんだね。

山:母親も亡くなってからだいぶ経ってるし、画家としての地位も安定してたんやろうしな。


武:タムと結婚してから絵が枯れたとかいう話は聴いてない。失恋という絶望がデルヴォー独特の世界を形成させたかも知れないが、じゃあ恋が成就して幸福になったからといって絵がダメになったかっつうとそうでもない。幸せになると表現辞めちゃう人もいるからさ。


山:そうやな。ということはどういうことやろ。

武:描く世界が出来上がってたってことかな。「なきタムを思う絵」が完成したのを待ってタムと再会する感じだもんね。


山:なるほど。そうすると、世界観を形成するきっかけであったタムに再会することによって、さらにその世界観が強固になる、とかもあるかもな。

武:それはあるだろうなあ。思い続けた恋人には再会するわ、絵の世界は更にパワーアップするわ、個展の仕事は入るわ。

山:いいこと尽くしやん。ノリノリやろなw


武:タムを思い続けながらひたすら描いた15年が花開くわけだ。タムとの再会で画風が激変するわけではないってのも面白いよね、安定するんだね、仕事もプライベートも。幻想画世界を自由に描いて行く感じになるのかな、がらんどうの女性と荒涼とした風景と電車とかランプとか、定番のアイテムをちりばめて。なんかいいなあ、羨ましい。タムが死ぬまで制作は続けられるんだよね。先にタムが死ぬってのも凄いけどね。


●絵の中のデルヴォー


山:デルヴォーって、ずっと同じようなモチーフを描き続けてたわけやけど、狂気性みたいなものは絵からあまり感じられない、気がする。「束縛の強い母親に対する一見矛盾した愛情、そして最愛の女性に対する愛情、この二つの愛情の狭間で苦しみ、精神を病みながらも独自の世界観を形成する」なんてのが、芸術家が語られる時によくありそうだけど、そういうのないんやな。


武:狂気というより趣味性なんだよね。静かな憂鬱。今回の展示は下絵と完成が観れたんだけど、下絵には情念というか、もっと自分が出てる感じがした。下絵の方が俺は好きだ。

山:なるほどね。


武:下絵にはハットを被ったシルエットのオッサンが登場する。あれはきっとデルヴォーなんだろうな。完成作品にはそのオッサンいない。下絵では絵の中に自分がダイブしてるんだけど、部分を決めて行ったり、完成させるプロセスでだんだん他人事のような絵面になっていき、自分は絵の世界から出て行って絵が抜け殻になると完成。みたいな感じ。


山:今はドローイングも作品として認知されるわけだけど、当時の近代絵画は、タブロー(作品)>下絵(デッサン、ドローイング)やから、タブローではそういう部分を見せないように作る、って考えがあったかもね。


武:なんだろな、タブローはちゃんと亡骸にするのがデルヴォーの制作プロセスだったんだなあって。なんとなく分かる気がするんだ。熱を奪って行くというか。「下絵は熱いんだけど、完成品は冷たくさせる。」ってよくあるよね?


山:まあ、それが普通なんかも知れんけど。

武:てことは普通の描き方だったってことかww

山:ドロッとした部分は見せない、って言うのが普通やったんとちゃうんかな。その後の絵画の流れはドロドロしたもんも出していくんやろうけど。


●晩年の絵


武:デルヴォーの描く女性は抜け殻みたいになってるけど、最晩年、絶筆かな? の絵が展示されていて、女性が生きてるんだよw

山:どういうこと?


武:デルヴォーの描く女性は生きてないでしょ。

山:人形やな。

武:そうそう。だけどそういう制御がなくなっちゃったのか、描かれてるのは「生きてる女性」だったんさよ。


山:それはデッサンとかではなく、タブロー?

武:そうそう。女性が人形になるように、風景ががらんとした静寂と憂鬱になるように、情念やドロドロを制圧してくのが仕事なわけじゃないですか。最晩年はそれがなくて、どこか生命感と直結しちゃってる感じで、生き生きしてるんだよw

山:どうしてしまったんやろw


武:「あー、なるほどなー」ってなんか思ったよ。「表現とは抑圧である。」って言えるよね。ちょっとこんがらがるけど、表現という形式にするには自分の欲望を制御する必要があるわけで、その「表現の抑圧」がなくなってしまったって感じかな。「あー、なるほどなー」ってなんか思ったよ。二回言うけどw


山:なんでなくなったんや。年のせいか、それとも新たな境地か。絵を観てないから何ともわからんが。

武:90歳も超えるとあのように世界が見えるのではないだろうか? ただのやっつけ仕事にしか見えないんだけどね。


山:手がもう動かなくなってきただけ、とかね。でもなんで「なるほどなー」なんや?

武:これ見てごらん。
  < http://goo.gl/pcNTo
>

山:なるほどねー、、あ、僕も言ってもうたw


【ポール・デルヴォー展 夢をめぐる旅/埼玉県立近代美術館】
< http://goo.gl/TOCa4
>
会期:2013年1月22日(火)〜3月24日(日)10:00〜17:30 月休
観覧料:一般1100円、大高生880円

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