[3442] 不信と裏切りの世界で生きるには?

投稿:  著者:  読了時間:32分(本文:約15,800文字)


《「感性が乙女だね」と言われました》

■映画と夜と音楽と...[581]
 不信と裏切りの世界で生きるには?
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[581]
不信と裏切りの世界で生きるには?

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20130315140200.html >
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〈テイラー・オブ・パナマ/ハバナの男/ナイロビの蜂/裏切りのサーカス〉

●「シコふんじゃった」に登場するイギリス人留学生の名前

「シコふんじゃった」(1991年)は、公開前からタイトルが話題になっていた。映画好きでなくてもニヤリとするタイトルで、中には「ふざけんじゃない」と怒る人もいた。若乃花・貴乃花の若貴兄弟が現役で相撲ブームだったから、にわか相撲ファンが多かったのかもしれない。今では、周防監督は日本を代表する監督のひとりとして一般的にも知られているが、当時は新人監督だったし一般的な知名度はほとんどなかった。

僕は前作のお寺を舞台にしたコメディ「ファンシイダンス」(1989年)を見て感心し、周防正行という名前を憶えた。兄と同じ名前なので、特に印象に残ったのかもしれない。兄は子どもの頃、「タダユキちゃん」と親戚に呼ばれていたが、少し後に生まれた従兄弟が「貞行(サダユキ)」と名付けられ、親戚内で間違われることが増えた。

そんなとき、前々から不満に思っていた僕の母は決然と立ち上がり、「うちの長男はタダユキではない。マサユキなのだ」と親戚中にふれをまわした。以来、「マサユキ」と正しく呼ばれるようになったいきさつがあり、兄の名前を見ると必ずその頃のことを思い出す。だから、「ファンシイダンス」のラストの監督名を見たときも同じだった。

「シコふんじゃった」は評判もよく、僕は楽しみにして映画館へいった。期待以上の面白さだった。うまい...と、清水美砂がシコを踏むラストシーンでも感心した。「ファンシイダンス」は少女マンガを原作としていたが、「シコふんじゃった」はオリジナル・シナリオである。シナリオの出来のよさにも感心した。肩肘張らない軽やかな作風の監督がでてきたものだと思ったのを憶えている。

「シコふんじゃった」を見ながらニヤリとしたのは、貧乏なイギリス人の留学生に相撲部への入部を勧誘にいくシーンだった。イギリス人留学生の名前がジョージ・スマイリーだったからだ。スマイリーという名前からバンドメンバーに背中を向けて指揮をする、不気味な笑顔のバンドマスター・スマイリー小原(知らない人はテレビ草創期を知っている人に訊いてください)を連想したからではない。

僕が初めてジョージ・スマイリーと出会ったのは、中学生のときだ。「寒い国から帰ってきたスパイ」という本が、「スパイ小説の金字塔」というキャッチフレーズで話題になっていた。僕は、「金字塔」という言葉の意味も知らなかったが、何となく凄そうな気がしてその本を読んだ。その小説にもジョージ・スマイリーは脇役で出ているのだが、最初に読んだときには僕は気付かなかった。

主人公の名前はアレック・リーマス。東ドイツのスパイ組織のトップがハンス・デューター・ムントという名前だった。「寒い国から帰ったスパイ」(1965年)として映画化されたとき、アレック・リーマスはリチャード・バートンが演じ、ムント役は「恐怖の報酬」(1953年)でニトログリセリンを積んだトラックを、油田に運ぶ運転手のひとりを演じたペーター・ヴァン・アイクだった。

その後、作者のジョン・ル・カレの処女作「死者にかかってきた電話」が翻訳され、少し高かったけれどハヤカワ・ノヴェルズというソフトカバーを買って読んだ。処女作の主人公がジョージ・スマイリーだった。イギリス情報部に勤めている冴えない中年男である。妻とも問題を抱えていた。ジェイムズ・ボンドが全盛だった60年代だから「こんなおじさんが主人公なの?」と14歳の僕は落胆した。

その後、ジョージ・スマイリーは「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」「スクールボーイ殿下」「スマイリーと仲間たち」という、ソ連情報部(モスクワセンター)責任者カーラとの情報戦(死闘)を描いた三部作で堂々たる主演を張り、処女作「感傷の街角」の主人公である佐久間公が大沢在昌さんの分身であるのと同じように、ジョージ・スマイリーは作者ジョン・ル・カレの分身であることを証明した。

●ジョン・ル・カレ原作の映画化が続いている気がする

最近になって、ジョン・ル・カレの小説の映画化作品を見ることが増えた気がする。「テイラー・オブ・パナマ」(2001年)と「ナイロビの蜂」(2005年)を見て、WOWOWで放映されたイギリス制作のテレビムービー「高貴なる殺人」(1991年)を見たからだろうか。しかし、なぜ「高貴なる殺人」は原作が出て30年後に映像化され、さらに20年も経って日本で放映されたのだろう。

「テイラー・オブ・パナマ」はパナマに左遷されたイギリス情報部員(ピアーズ・ブロスナン)が、パナマで成功した仕立屋(ジェフリー・ラッシュ)をイギリス時代の逮捕歴を脅しに使ってスパイに仕上げ、ガセネタでイギリス政府から大金を引き出そうとする話だった。僕は「ハバナの男」(1960年)を思い出した。グレアム・グリーン原作、キャロル・リード監督、アレック・ギネス主演のスパイの世界を茶化した名作である。

「ナイロビの蜂」は僕の好きなレイフ・ファインズが、ケニア・ナイロビのイギリス大使館に勤める外交官を演じた。妻(レイチェル・ワイズ)が殺され、その謎を追ううちに国際的な陰謀に近づいていく。ケニアの風景とレイフ・ファインズのイギリス紳士風の佇まいがうまく調和し、ラストシーンでは何とも言えない寂寥感が伝わってきた。ル・カレ原作の映画にしては、すごく叙情的でメランコリーな映画だった。

そんな中、「よっ、真打ち登場!」と声をかけたくなったのが、「裏切りのサーカス」(2011年)だ。しかし、この邦題はどうかと思う。「サーカス」という言葉でロンドンの「ピカデリーサーカス」などを連想する人なら別だが、どちらかというと僕は空中ブランコが浮かぶ方だ。劇中、「サーカス」はイギリス諜報部を指す言葉として使われるが、そんなのは見ないとわからない。原題は「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」である。

映画を見るとわかるが、ティンカー(鍵掛け屋)、テイラー(仕立屋)、ソルジャー(兵士)、プアマン(貧乏人)などは、諜報部の幹部に付けられた暗号名だ。イギリス諜報部(サーカス)の幹部職員5人の誰かがソ連の二重スパイだという疑いがあり、その〈もぐら〉を探し出すために諜報部チーフのコントロール(ジョン・ハート)は幹部たちに暗号名を振る。ジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)も5人の幹部のひとりである。

冒頭、コントロールの自宅を諜報部員ジム・プリドーが訪ねる。コントロールは「誰も信じるな。特に主流にいる者たちは...」とプリドーに言う。イギリス諜報部にもぐりこんだ二重スパイの正体を知るハンガリーの将軍が亡命を希望しており、彼を西側に連れてくる命令を受けプリドーはブタペストへ赴く。しかし、将軍とつなぎをする男とカフェで会っていて不審を感じ、立ち去ろうとして撃たれる。そのプロローグがどうつながるのか...という謎が物語を牽引する。

●スマイリーが諜報部を去るシーンから本編が始まる

ブタペストでの工作の失敗の責任をとらされ、コントロールが諜報部を去るシーンから本編が始まる。誰かが「スマイリーは?」と尋ね、コントロールは「私と一緒に去る」と答え、初めてゲイリー・オールドマン演じるジョージ・スマイリーが映る。彼は意外なことを聞くといった表情で黙ったままコントロールを見つめるが、次のシーンではふたり揃って諜報部を出ていく。ジョージ・スマイリーは引退し、コントロールは不審な死を遂げる。ここまでがタイトルバックだ。

コントロールと右腕だったスマイリーが去り、イギリス諜報部のロンドン本部はティンカー、テイラー、ソルジャー、プアマンと名付けられた幹部4人によって運営される。ある日、イギリス政府の諜報部を監督する官房官レイコンのところに、イスタンブールで敵側に寝返ったと思われているイギリス諜報部首狩り人(殺人も担当する現場の諜報員)リッキー・ターが電話をかけてくる。リッキー・ターは「イギリス諜報部内の〈もぐら〉の情報を持っている」と告げる。

引退したジョージ・スマイリーが呼ばれる。渋々、〈もぐら〉探しを引き受けたスマイリーは、「ピーター・ギラムと組みたい。それに引退したロンドン警視庁特別保安部警部だったメンデルも必要だ」と条件を出し、彼らはこぢんまりとしたホテルの部屋で調査を始める。ピーター・ギラムは、イギリス諜報部ロンドン本部の首狩り人の責任者だ。指名するくらいだから、スマイリーはギラムを信頼しているのだろう。

しかし、リッキー・ターが東側の国から諜報部内に〈もぐら〉が潜伏しているという情報を連絡した夜のロンドン本部の警備日誌を入手するようにギラムに命じた後、スマイリーは「もし捕まっても私の名は出すな。助けられん」と感情を出さずに言う。それを事前に知らせておくだけスマイリーは誠実なのかもしれないが、それにしてもひどい話だ。一方で、ギラムに拘束され尋問されても何も喋るなと言っているわけである。

ギラムがロンドン本部の資料室から当夜の記入がある警備日誌を盗み出すシーンが、この映画の面白さを象徴している。自分が勤務する諜報部の資料室である。鞄は持ち込めないし、資料を持ち出さないように監視の目が厳しい。諜報部だから当たり前なのだろうが、職員をまったく信じていないシステムだ。時代は1970年代前半だから、資料はすべて紙である。その資料をどうやって盗み出すのか、スリリングなシーンだ。

見付かれば、ギラムは間違いなく二重スパイとして告発される。イギリス諜報部のために働いているのに、その諜報部から告発されることになる。本当の理由は話せない。そんな背景があるから、日誌一冊を盗み出すだけなのに、本当にドキドキしてしまう。だからこそ、元警部のメンデルが自動車修理工場に入り電話をかけるカットがインサートされ、なるほどそういう方法で盗み出すのかとわかったときはカタルシスが訪れる。

この辺のカット割りの的確さ、観客をドキドキさせてサスペンスを高めておき、一挙にホッとさせてカタルシスを味あわせるテクニックはなかなかのものだ。「ぼくのエリ 200歳の少女」(2008年)で注目されたスウェーデン出身のトーマス・アルフレッドソン監督である。「ぼくのエリ 200歳の少女」(2008年)もハリウッドでリメイクされた「モールス」(2010年)も僕は見ているが、スウェーデンの雪のシーンが印象的なオリジナル作品の映像が記憶に残る。

●最初から最後まで緊迫感が漲る「裏切りのサーカス」

「裏切りのサーカス」はアクションはまったくない。人が死ぬシーンは何度も出てくるけれど、殺された後のカットばかりで殺すシーンはない。唯一、ブタペストで捕まり拷問されているジム・プリドーの眼前で、〈もぐら〉の情報をリッキー・ターに漏らしたソ連通商代表団のイリーナが射殺されるが、それも一瞬の出来事だ。衝撃的だがリアリティのあるシーンだった。そんな風に、静かで残酷なスパイの世界が展開する。最初から最後まで緊迫感が漲り、引き込まれる。見終わっても、もう一度そのクールな雰囲気を味わいたくなる。

タイトルにも「裏切り」という言葉が入っているように、「裏切りのサーカス」は不信と裏切りの人間関係を描いた作品だ。コントロールが冒頭でジム・プリドーに言う「誰も信じるな」というフレーズが、映画全体を象徴している。それぞれが自分だけを信じて生きている。自分以外は誰も信じられないからだ。疑うことが前提の世界だから、現場から帰還してもその報告の真偽を疑われ、最初に尋問が待っている。裏切っていないことは、自分しか知らないのだ。

ジム・プリドーは東側にあるイギリス諜報部の情報網の人間たちが逃げられる時間を作るために、過酷な拷問に耐えて時間を稼いだ。しかし、結局、情報を漏らしたために東側の協力者たちは捕らえられ、ジム・プリドーが寝返って情報を売ったと思われる。リッキー・ターは〈もぐら〉からの情報を得たソ連側の迅速な動きで、情報源イリーナを捕らえられイスタンブール支部の責任者を殺される。しかし、ロンドン本部はリッキー・ターが支部責任者を殺し、敵に寝返ったと思っている。

リッキー・ターは、ソ連側からもイギリス側からも命を狙われる。そのリッキー・ターの報告を信じたスマイリーも、〈もぐら〉を誘い出すためにリッキー・ターの命を餌にした罠を仕掛ける。リッキー・ターが命を懸けるのは、イリーナを西側に救い出すためだ。リッキー・ターは「誰かと交換しろ。絶対に彼女を救い出せ」と条件を出す。しかし、イリーナがすでに殺されていることを知っているくせに、スマイリーは「努力する」と答える。

このシーンを見たとき、スマイリーも信じられる人間ではなかったのだと僕は思った。といって、反感を持ったわけではない。表情を変えずに嘘が言える資質が、誰も信じられない「不信と裏切りに充ちた非情な世界」で生きていくために必要なものなのだ。経験豊富で人間の裏の裏を読む、腹の底で何を考えているのかわからない初老のジョージ・スマイリーを、淡々と演じるゲイリー・オールドマンが素晴らしい。アカデミー主演男優賞を受賞できなかったのが信じられない名演だ。

僕は人間が成長するというのは、周囲の人々の信頼を得ていくことだと思っている。家族に信頼される。仕事仲間に信頼される。友人たちに信頼される。そのことのために僕は努力し、男を磨いてきた。しかし、「裏切りのサーカス」が描く世界は、まったくの逆だ。スマイリーは愛する妻アンの裏切りを目撃し、同僚たちの裏切りを調査する。すべてのことを信じず、すべての他者を疑う。情報源から得た貴重な情報を「本物か?」と問う。スマイリーに上司のコントロールは言う。

──もはや本物など存在しない。

しかし、なぜ今になって70年代を舞台にした「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」を、ジョン・ル・カレは自ら制作総指揮を買って出てまで映画化したかったのか。ベルリンの壁が崩壊しドイツが統一された。ソ連崩壊からでも20年以上が経過した。東西冷戦時代の情報戦などは、遙かな昔の歴史物語だ。しかし、僕はラストシーンを見て理解した。東西冷戦の緊迫した時代を背景に、いつの世でも変わらない人間の本質を描きたかったのだと......

スパイたちは様々な形で様々なものを裏切る。だが、不思議なことに彼らの裏切りの背景には、裏切る動機には、純粋で深い「愛」が存在するのだ。首狩り人リッキー・ターはイリーナを愛し、彼女を西側に脱出させるために自らの命を的に疾走する。ジム・プリドーは「愛」のために命令に従い、「愛」のために拷問に耐え、「愛」のために人を殺す。そして、スマイリーの元には裏切った妻アンが戻ってくる。

不信と裏切りの世界に生きる人間も、「愛」がなくては生きていけない。そして、彼らは理解しているのだ。自分が心の底から愛している相手でも裏切ることがあることを......

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

カミサンがベトナム・カンボジア旅行に出るという。「アンコール・ワットも見たいから...」とのこと。「ベトナムに平和を」とデモをした僕は、ベトナムに観光旅行にいく気にはなれない。カンボジアだって、かつては「キリング・フィールド」だった。ちなみに、筒井康隆の「ベトナム観光公社」が掲載されたSFマガジン持ってます。

●長編ミステリ三作が「キンドルストア」「楽天電子書籍」Appストアの「グリフォン書店」で出ています/以下はPC版
< http://forkn.jp/book/3701/ > 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/ > 愚者の夜・賢者の朝
< http://forkn.jp/book/3707/ > 太陽が溶けてゆく海

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「映画がなければ生きていけない1999-2002」2,000円+税(水曜社)
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■Otaku ワールドへようこそ![171]
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●大回り乗車で読書、意外と快適

3月4日(月)、いつもと違う経路で帰ってみた。新宿駅で150円の切符を買う。これで中野まで帰れる。中央線快速電車なら、新宿の次の停車駅が中野で、所要時間は約4分。

ところで、JRの運賃は、基本的に乗車した経路にしたがうが、条件によっては例外的に、利用者が経路を選択できるルールがある。その条件とは、
(1)東京近郊区間から出ないこと
(2)経路が自身と接触したり交差したりしないこと
(3)途中のどの駅でも改札口を出ないこと
(4)一日で完結すること
というもの。

この日、私がとった経路は、新宿─(埼京線)─大宮─(川越線)─川越─(川越線)─高麗川─(八高線)─八王子─(中央線)─中野。

「関東北西部大四角形」と呼ぼう。所要時間は約3時間。いい感じに直通電車が走っているので、実際に電車を乗り換えるのは、川越と八王子だけ。しかも、それぞれの電車の終点なので、乗り過ごす心配がない。

日が暮れてからだったので、車窓からの景色を楽しむためではない。
本が読みたかったのである。意外と快適。

・全行程、座って行ける。
・室温が快適(喫茶店や漫画喫茶などは、時として暑すぎて、集中できない)。
・明るさも読書にちょうどいい(喫茶店は、暗すぎることがある)。
・静か(通勤時間帯は、人が大勢いても非常に静かなのが東京)。
・安い(喫茶店よりも)。

どうです? 快適な読書環境なんじゃないかと。

月曜日にこの経路を試してみて、イケると分かり、火、水、木、金もそれで帰った。標準的な通勤経路になりつつある。

●国家試験という名の崖から落ちた

大回り乗車して読んでいたのは、電子書籍ではなく、紙の本なので、物理的には硬くはないのだけど、内容がそれはそれはもう......。何しろ、知的財産の管理技能に関する国家試験を受験するための参考書なのである。

出題範囲に関連する法規として、民法、特許法、実用新案法、意匠法、商標法、不正競争防止法、独占禁止法、関税法、著作権法、種苗法、パリ条約、特許協力条約、TRIPs 協定、マドリッド協定、ヘーグ協定、弁理士法、とこれだけある。目次だけでうんざりしてきますな。

読めばいいってもんではなく、内容を頭に叩き込まなくてはならない。これはもはや読書ではなく、勉強である。そうだ、勉強だった。

勤め先の、雲の上におわしましまする偉いお方が、「自己研鑽しないやつはウチの会社にゃ要らんから去れ」みたいなことをのたまわったらしい。わが上司であるM山氏は働く女性の鑑のようなお方であるが、「わが部は私が守る」と頼もしいことを言ってくださった。「けど、その代わり、みんなちゃんと自己研鑽してちょーだいねっ♪」。

「はーい♪ シャイな性格を克服するために、セーラー服を着て街中を徘徊してまーす」。会社的にはそういうのを自己研鑽とは呼ばないらしい。

形で示すには、試験を受けてなんかの資格を取得するのが鉄板だ。会社の推奨資格リストというのがあり、私なんぞに多少なりとも手の届くチャンスがありそうな感じがするのは、「知的財産管理技能検定」ぐらいだ。それも、3級じゃだめで、2級以上とある。げー、勉強しなきゃだよー。

学科試験と実技試験がそれぞれ1時間ずつで、40問ずつ。両方とも80%以上正解すると合格である。この年になって、試験勉強とはちとしんどい。つーか、そんなまとまった時間なんて、とれやしないのだ。

分厚い参考書を買って、大回り乗車して読むのが精一杯だった。本来なら、過去問か模擬試験問題を解いてみるべきところである。読んだだけでは、たいていの場合、頭に入っていないものである。こんなんじゃ、まず、受からん。

見込みがこうも薄いと、セーラー服着て、なんてノリノリな気分にはなれず、B面で臨む。A面B面については、こちらの過去記事をご参照くださいませ〜。
< http://bn.dgcr.com/archives/20130118140100.html >

空気が黄色く霞んで粉っぽい3月10日(日)、東大の駒場キャンパスに向かう。同じ部署の人とばったり会う。あーやっぱり。私以外にもこれ受ける人いるに違いないと思ってた。あんまり選択肢なかったからなー。

受けた感触では、自信をもって回答できたのが、約7割であった。ということは、残る3割のうち、3つに1つ当たっていれば、合格ラインを超えることになる。もしかすると、受かってたとしてもおかしくはないかも。

合格発表があるのは5月7日(火)である。しかし、問題用紙に自分の回答を記入して持ち帰ってよく、試験翌日には模範解答が発表されるので、自己採点できる。突き合わせいくうちに、すーっと血の気が引いていく。自信回答したつもりだったのが、ボロボロなのだ。

結果、学科試験は40問中29問正解で、72.5%だから不合格。実技試験は40問中35問正解で、87.5%だから合格。総合結果、不合格。浪人でござる。次回は、合格したほうは受験免除となり、不合格のほうだけ受けなおせばよい。

次は7月28日(日)だ。それまでにはしっかり勉強しておいて、こんどはちゃんとセーラー服で臨みたい。

●寒風吹きすさぶ屋外でも元気いっぱいな[東京女子流]

アイドルグループ「東京女子流」をすぐ目の前で見ることができたのは、ラッキーであった。2月24日(日)に、下北沢駅南口近くの、ちょっと引っ込んだところにあるダイエー系のスーパー「foodium 下北沢」の前で、ミニライブが開かれたのである。入場無料。というか、どこへ入場するのだ、という狭っこいオープンスペース。

東京女子流は、'10年1月1日に結成された5人組のアイドルグループである。平均年齢15歳。このところ勢いがよく、昨年12月22日(土)には、日本武道館で単独公演を開催している。東京女子流と下北沢を両方知っている人なら、「えっ? あのグループがあんなところでライブ?」と、ちょっとびっくりするに違いない。

実際謎である。オフィシャルサイトでは、まったく告知されていなかった。あんなとこに1万人も集まっちゃったら大変である。かといって、誰も来なかったら寂しいことになるわけで。ちょうどよく100人ぐらい集まって、歌に合わせてちゃんとフリをコピーしていた。うん、謎だ。

私がその場にいたのも謎であるが、天の思し召しか、異常なまでに鋭い嗅覚か、ただの偶然か、まあ、そんなようなものである。何でもない一介の市井の人にとって、自分という目立たぬ存在が有名人の記憶の中に少しでもとどまるようなことになれば、なんだかあやかってちょっとばかりビッグになれたような、わくわく感に浸れるものである。

あのアイドルグループにはありえないほどの小規模なライブだったので、もしかしたら、ちょっとくらいは本人たちの記憶にとどまることができたかもしれないかな、などと勝手に想像してにまにましているミーハーな私である。特に、その日は偶然にも、セーラー服を着ていたので、その多少なりとも特徴ある姿によって、印象に残ってくれてればなぁ、なんて。

歌の他に、リーダーの山邊未夢(やまべ みゆ)さんがバルーンアートを実演してくれたりもした。立ってるのもつらいくらいの寒い日で、かじかんだ手で風船を操るのは難儀そうではあったが、寒いなんてまったく顔に出さず、明るく元気にふるまっていた。うん、若いのに根性あるなぁ。

一介の市井の人にすぎない私は、「これらかもがんばれよぉ」と、心中密かに応援するのであった。

●肉絲湯麺さがしの旅

かつて、埼玉の奥地に「らんざん」というラーメン屋があった。メニューの中で一番高いのが「肉絲湯麺(ろーすーたんめん)」。850円。これが、めっちゃ美味かった。

胡麻の香りの効いた醤油系のラーメンの上に、細切り肉を細切り玉ねぎなどと炒めた具がどかんと載っている。具は、とろみがついていて、それがスープに溶けていき、なかなか冷めない。スープには、細かく刻んだきのこ類が何種類も入っていて、いい風味を出している。

悪いけど、それ以外のメニューはそれほど格別にどうということもなかった。繁盛してないわけではなかったが、4〜5年前だったか、閉店してしまい、跡地は別のラーメン屋になった。

以来、同じようなのを出す店はないものかと方々を探し歩いているが、いまだに出会えていない。まず、肉絲湯麺をメニューに掲げる店自体が少ない。表記は「肉糸湯麺」だったり「ルースーたんめん」だったり「ロースたんめん」だったりするけれど。ネットで検索して食べに行っても、たいてい、思ってたのとかけ離れている。

メニューに載ってなくても、たいていの中華料理屋では、頼めばそれっぽいものを作ってくれることが分かってきた。メニューに「ラーメン」と「青椒肉絲(チンジャオロース)」があれば、まあ、載っけるだけなので。でも、やっぱり違うんだな。それはそれで美味いと思うときもあるのだが、あのとろみときのこ風味に欠けるのは、いまひとつもの足りない。

そういうわけで、この場をお借りして、全国に指名手配しちゃいます。どなたか、美味い肉絲湯麺を出すお店をご存じの方、ぜひご一報ください。国内ぐらいなら、どこへでも参ります。さすがに、かぐや姫にリクエストされてなんかを取りにいくような、どっかの国の辺境までは行けるかどうかはなんとも言えませんが。

●熱弁ふるった弁護人のがんばりは報われたか

前回、東京地方裁判所へ痴漢の裁判を傍聴しに行った話を書いた。
< http://bn.dgcr.com/archives/20130301140100.html >
その判決が3月8日(金)に下された。私は行けなかったので、後日、被害者から聞いた。

判決は、懲役4か月、ただし、3年間の執行猶予つき。こ、これって求刑通りじゃん。この裁判のポイントは情状酌量がどれだけ認められるかにあり、弁護人は時間いっぱい使ってあんなに熱弁をふるったというのに、酌量なしですかそうですか。まあ、「もうしません」と3回誓った上での4回目の犯行なわけだし、しゃあないか。

判決の日は、裁判長からの説教があったわけでもなく、約15分で、あっさり閉廷。被害者の感想、「ざまあみろ」。ううむ、やっぱJK爆弾だ。

執行猶予期間中に罪を犯すと、取消しとなり、即、豚箱行きとなる。今回有罪判決を受けた被告人は、3年の執行猶予期間の満了を待つことなく、またなんかやらかすのではないか、というのが大方の見方である。あれは一種の病気みたいなもんで、頭ではどうなるか分かっていても、手が勝手に動いちゃうんじゃなかろうか、と。

私もそう思う。やっぱクサイ飯を食って頭を冷やしたほうがいいのかも。

●ローマに残ってた私の痕跡

1月26日(土)に赤坂のホテルニューオータニで結婚式を挙げた友人二人は、その後、新婚旅行でイタリアに行っていた。

結婚披露宴の二次会にお呼ばれした話を以前に書きました。セーラー服で行き、大いに盛り上がったのはいいけれど、主役を食っちゃったというか、割と強めのインパクトを残してきたようなのでありました。
< http://bn.dgcr.com/archives/20130201140100.html >

イタリアはヴェネツィア、フィレンツェ、ローマと回ったとのこと。ローマにいるとき、ダンナさんからツイッターの@ツイートが来た。「スターショップに行った?」。

あー行った行った。一昨年の4月だ。イタリア語に翻訳された日本の漫画がずらーっとすごい数揃っているお店だ。ゲームやコスプレ衣装も置いてある。いちおうオタクの端くれである私としてはチェックしておかねばなるまい、と行ったのであった。けど、なんで分かったの?

店員さんと雑談してたらしい。で、二次会にこんな人来たよ、とスマホかなんかで写真を見せたらしい。そしたら、店員さんが、あ、その人ならウチに来たよ、ってなったようで。

遠くローマに行ってまでケバヤシの幻影に出会っちゃうって、さぞかしびっくりしたことであろう。

●『猫弁』の弁は弁護士の弁

大山淳子『猫弁と透明人間』を読んだ。面白かった。弁護士が主人公なのに、やっぱり人殺しのシーンは出てこないんだね。動物殺しも虫殺しも出て来ない。

作者は「ぶんぶん便」というメルマガを発行していて、私は2005年から購読していた。いい文章書くなぁ、人知れず地味〜にメルマガ書いてるのをたまたま発見できてよかったなぁ、なんて思ってたら、脚本の勉強始めましたとか、賞を獲得しましたとか、あれよあれよという間にメジャー街道へ。わお!

「夏休みの犬」がすごーくよかったなぁ。どっかに出てないかなぁと探してみたら、メルマガ配信サイトに過去ログとして置いてありました。
< http://www.emaga.com/bn/?2007030060516083006404.embbb >

うっかり、するよね? うっかりされたほうはたまったもんじゃないけど。目の前にいるときだけ、かわいがってやさしくして、いいことしたな自分、いい人だな自分、みたいに思っちゃってるけど、実は、ほんとに相手の側に立って考えてたわけじゃなかったな、って。後で気づく。

いや、たいてい気づかないか。ある意味、気づかないほうがしあわせか。私なんぞは、それ読んで、あっ、と思っちゃったクチで、やばいぞ、と。それに類することってずっとやらかしてきたかもしれないなぁ。やばいやばいやばいって、七転八倒する。

人殺しシーンが書けないのを、弱点のように思って悩んでたってなことも書いてたっけ。誰それが誰それに毒を盛った、って事実を淡々を書くだけなら、そんなに難しいことではないはずなので、おそらくそういうことではない。

「夏休みの犬」を書いた方のことであるから、おそらくそういうシーンを書こうと思ったら、やる側の視点から、こういう生い立ちで、こういう状況に立たされた自分が、こういうきっかけを得ればおそらく自分もやっちゃうだろうなぁ、と、その気持ちになりきれないと、書けないのではあるまいか。

そういう行為に実際に至ったことはなくても、小説を書く人としては、想像力を働かせて、そんなシーンにおけるやる側の自分、ってもんにちゃんとなりきれなくてはなるまい、と。で、がんばったけど、できなかった、と。そういうことなんではなかろうか。

うん、才能だね。『猫弁と透明人間』、この作者の小説としては初めて読んだけど、すでに全幅の信頼を寄せて、安心しきって読めたもん。

作者のサイト「ぶんぶん館」に「ぶんぶん便」のセレクションが載ってて、それも、いいです。
< http://homepage1.nifty.com/jyk/bun.html >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。

人形作家・清水真理さんの20周年を記念しての個展が開催中です。

「人形は生と死の中間に存在する」
2013年は熊本県天草出身の人形作家清水真理が、人形制作を始めて20年の節目の年にあたります。西欧・東欧の宗教美術や日本の土着的文化を取り入れながら制作してきた作品のルーツを、学生時代のスケッチやアニメーション作品、20年間清水の作品を撮影してきた田中流の写真作品などの資料とともに振り返ります。(サイトより)

田中流氏はプロの写真家で、清水さんの作品を、まだ無名だった初期の頃からずーっと撮り続けてます。しかも、撮っていると人形に引き込まれて、8時間ほどにわたって撮り続けたときもあったのだとか。言うまでもなく、清水さんの作品を撮影した枚数は、ダントツに多いです。けど、他にも多くの写真家たちが、みずから希望して清水さんの作品を撮っています。

今回の個展では、7人の写真家による作品がひとつの部屋に展示されています。よく、「写真は被写体が写るのではない、撮っている本人が写る」と言われます。厳しいことを言えば、もし写真がつまらなければ、それは撮った本人がつまらない人だ、ってことです。だから、写真を撮る行為というのは、自分が試される、非常に厳しい行為なのです。

同じ作家の作品を何人かの写真家が撮って、ひとつの画廊に展示、ってかなり珍しい企画なのではないでしょうか。「撮った本人が写っている」さまが、逃れようもなくハッキリ表れちゃいます。撮る者にとっては、非っ常〜にキビシイです。見る者にとっては、きっとすごく面白い。アートの高みに昇華して張りつめた表現もあれば、ロマンチックでメルヘンチックな表現もあります。

そんな中にあって、ワタシも一角を汚させていただいたのは、まったくもって光栄極まりないことであります。清水さんからは「感性が乙女だね」と言われました。

清水真理20周年記念個展1993〜2013「St.Freaks 〜聖なる異形〜」
会期:3月13日(水)〜3月24日(日)12時〜20時〈3月18日(月)は休廊〉
会場:ギャラリー新宿座(東京都新宿区新宿4-4-15)
入場無料
< http://shimizu20.com/ >


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編集後記(03/15)

●佐藤愛子「ああ面白かったと言って死にたい」を読む(2012/海竜社)。2006年に「まだ生きている」なんてエッセイがあったから、出版当時88歳の佐藤愛子のいよいよ最後のエッセイかなと思っていたら、新書判の「佐藤愛子の箴言集」であった。箴言(しんげん)とは「いましめとなる短い句・格言」のことである。編集者が佐藤愛子のエッセイ、小説43作の中から選び抜いた箴言となる一節が、一ページあるいは見開きで並ぶ。

しかも、ただ並べたのではなく、老い、死、人生、幸福、性(さが)、家庭教育、人間、男と女、夫婦の9分類。それぞれに一行タイトルをつけるから、かなり大変な作業となる。編集者の苦労を思いやるが、うらやましくもある。熱心な佐藤愛子ファンとは言いがたいわたしだが、こういう編集仕事をやってみたかった。

「教師らしい教師──立派ではないか。親爺らしい親爺──頼もしいではないか。姑らしい姑──嫁サンの立場から考えるとチト困るが、はたから見ていると溜飲が下がる。それぞれがそれぞれのらしさを放棄しはじめたときから混乱が生じた。」......たしかにその通りだ。なんでこうなったのか。腑抜けな戦後教育のせいだと思う。年寄りらしい年寄り、ではなさそうなわたしが言うのもなんだが。

楽天的で向こう見ず。他人の無理解、噂、誹謗、屁とも思わず生きてきた佐藤愛子。上機嫌で憤怒する佐藤愛子。好きだなあ。この箴言集、わたしには思っていたより退屈だったが、佐藤愛子、阿川佐和子の本が好きな妻はよろこんで読んでいた。いわく、林真理子や田辺聖子は女のいやらしさが滲み出てるからきらい、やっぱり作家も不美人はだめよ。辛辣なことを。でも、今日の新聞広告の林真理子「来世は女優」を見て、やはりこの人おかしくなってしまったと思うのであった。佐藤愛子はもとから大変な美人だったんだよ。(柴田)

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ああ面白かったと言って死にたい─佐藤愛子の箴言集


●何度も延期していたFIX窓の清掃。汚れの残っているフロアがあったらしく、おとといに点検と清掃。いつもは一度で終わるラッキーな方角だったのに、朝からまたブラインドを閉めての生活。のはずが強風のために来週に延期。業者さんは頭痛いだろうなぁ......。今日は雑配水管清掃なので、水回りの徹底掃除をしなければ。人が来ることを前提にすると普段見過ごしていた汚れに気づく。

ディアゴスティーニの週刊雑誌。購読者は身近にいないし、気の長い話だしで、自分には関係のないものだと思っていた。あれは創刊号だけを買うものだと思っていた。謹んでお詫びいたします。定期購読の申込をしちゃいました。週刊ロビ。

きっかけは友人(女性)。誕生日に妹さんから創刊号をもらったとのこと。その時は「何それ? ロビって?」状態。テレビは録画したものをザッピングするのがほとんどでCMを見ていなかった。「全部揃えると14万ぐらいかかるけど、ぼちぼちがんばるよ」とも書かれてあった。

友人は至って普通のOL。経理。いや普通ってことはないか。特撮やら宝塚やらが好きだし。倹約家で節約家で老後の資金まで考えてて、でも欲しいものにはお金をかけるタイプ。その彼女が14万出すってことだから、よほど魅力的なのだろう。続く。(hammer.mule)

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週刊ロビ Robi
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アマゾンのレビュー。そうなのよ。