[3451] 惑う中年男たちの肖像

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《せ、セーラー服を着たおじいさんはとしでんせつじゃなかった》

■映画と夜と音楽と...[583]
 惑う中年男たちの肖像
 十河 進

■Otakuワールドへようこそ![172]
 取材と逆取材
 GrowHair




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■映画と夜と音楽と...[583]
惑う中年男たちの肖像

十河 進
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>
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     〈スローなブギにしてくれ/赤い鳥逃げた?/バージンブルース〉

●藤田敏八監督を身近に知る人が書いた本

「映画がなければ生きていけない2010-2012」を読んだ方から、ていねいな感想文と著書を送っていただいた。その方は僕の本の版元の水曜社にわざわざ連絡する労をとり、水曜社から僕に転送されてきたのだ。送っていただいた本は「映画監督 藤田敏八」(映画芸術2012年9月号増刊)で、A5判で200ページ近くあり藤田監督の写真もふんだんに掲載されていた。

著者は林久登さんという方で、僕より8歳ほど年上である。1943年に満州で生まれ、藤田敏八監督のひとまわり年下の弟の同級生で、藤田監督をよく知る人だった。そういう関係からか、藤田監督のプライベートな写真も載っているし、生い立ちも詳しい。「なるほど、そういうことだったのか」と思うことの多い本だった。作品分析も的確で、藤田監督を知るための資料として貴重である。

このコラムでも何度か書いたが、若き日の僕にとって藤田敏八監督の作品は単なる映画ではない。僕の人生と密接に結びついている。まず、1970年には「非行少年 若者の砦」との出会いがあり、「野良猫ロック・ワイルドジャンボ」「野良猫ロック・暴走集団71」が続く。その間に「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」があり、1971年の夏の終わりに僕は「八月の濡れた砂」(1971年)と出会う。

僕が映画について初めて真摯に向かい合って書いた文章は、「破滅へのキックオフ──『八月の濡れた砂』論」だった。1971年の暮れか、1972年の春に出た同人誌「ラドリオ」に掲載した。大学時代の仲間たちとやっていた同人誌である。その頃のことを回想した「『ごっこ』のように生きていた日々」(「映画がなければ生きていけない1999-2002」131頁参照)は、僕にとって意味深い文章だった。

「八月の濡れた砂」の後、「赤い鳥逃げた?」(1973年)があり、翌年には秋吉久美子三部作「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」を見るために映画館に通った。そして、就職して3年目、「帰らざる日々」(1978年)は僕にとって大事な一作になった。その年、就職し結婚していたくせにまだまだ子供だった僕は、「大人の世界」に否応なく引きこまれた。だから、青春時代を苦い思いを抱いて回想する「帰らざる日々」の主人公は、僕自身だったのだ。

1979年、藤田作品はさらに苦みを増す。「もっとしなやかに、もっとしたたかに」「十八歳、海へ」「天使を誘惑」は、「青春映画の旗手」と言われた藤田監督の青春へのレクイエムを感じさせる作品群だった。「天使を誘惑」のように三浦友和と山口百恵のゴールデン・コンビ映画でさえ、藤田監督は自らの感性を貫き通し苦い青春を描いた。それは、47歳になった藤田監督の変化だったのかもしれない。

役者として出た鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)で新境地を拓いた翌年、藤田監督は「スローなブギにしてくれ」(1981年)を発表する。片岡義男の青春オートバイ小説を売りたかった角川映画なのに、藤田監督は中年映画に変えてしまう。この映画の主人公は、山崎努である。藤田監督の関心は、古尾谷雅人と浅野温子の若いカップルを通し不良中年を描くことにあった。

原作は、オートバイを走らせていた青年が、ハイウェイの真ん中で高級車から突き降ろされた少女を拾うところから始まる。彼女は猫のように青年の部屋に居つき、突然いなくなったりする。映画はそのふたりの物語を描くと同時に、少女を突き降ろした高級車の中年男を追うのだ。少女を車から放り出した男が帰宅すると、同年配の男女が同居している。

●青春オートバイ映画を中年映画にしてしまった

「スローなブギにしてくれ」の山崎努は、何歳くらいの設定なのだろう。映画を見た当時、僕は30を目前にしていた。その僕から見て山崎努は50過ぎの不良中年に見えた。しかし、同居している友人(原田芳雄)と女(浅野裕子)の設定から推察すると、せいぜい40代である。男ふたりと住んでいる女は、子供がどちらの男の子なのかわからない。その女の少し知的障害があるらしい妹が竹田かほりだった。

女癖の悪い山崎努は家庭があったが、家を出て原田芳雄と女の住んでいるところに転がり込み、友人の女と関係ができ、そのまま三人で住んでいるらしい。山崎努が別れた子供のピアノ発表会にいくシークェンスがあり、離婚がもめているのか妻の弁護士の伊丹十三と会場の外で会い、事務的な口調で妻のメッセージを伝えられる。

山崎努が演じた中年男は、好感が持てるタイプではない。すぐ女に手を出すくせに、女に対しては冷淡だ。別れた子供に会いにいき、ひとりで嗚咽するようなセンチメンタルな部分を持っているが、同居していた友人がジョギング中に急死しても悲しむ様子さえ見せない。藤田監督自身のプライベートなエピソードを知ると、この中年男は監督本人ではなかったのかと思えてくる。

太宰治は「家庭の幸福は諸悪のもと」と書いたが、藤田監督は太宰に似た破滅型の人間だったのではないか。妊娠中の妻を棄てて女優の赤座美代子の元に転がり込んだ話を、棄てられた妻の文章で読んだことがあるけれど、その妻も二度目の結婚相手だった。三度目の妻が赤座美代子で、彼女とも別れ生涯に四度結婚し、その間もさまざまな女性との関係があったという。

──当時の敏八は、この映画とは裏腹に妻の赤座と大林宣彦、小谷承靖監督らとテニスに興じ健全な生活を送っていた。彼のテニスのフォームは不格好だが、結構しぶとく、鋭いボレーが返ってくる。で、仲間の間では、この映画のタイトルをもじって「スローなボレーにしてくれ」と、言ってからかったとか。だが、それから数年後、「こんな(安定した)生活をしていたら映画が撮れなくなる」と言って家を出ることになる。(林久登「映画監督 藤田敏八」より)

拾った女を乗せたまま海に突っ込み、自分だけ救われて毛布にくるまって震えながら、死んだ女の腕が割れたウィンドウから突き出している愛車が引き上げられるのを見ている中年男、女の名を問われて答えられず茫然としている山崎努は、間違いなく藤田監督自身だったのだ。心の底の飢えのようなものに突き動かされ、家庭を否定し、次々と別の女性に甘え、映画を作り続けた......、林さんの著書を読み終えて、僕はそんなことを思った。

●野坂昭如のヒット曲をタイトルに持つ奇妙な作品

藤田監督が「もう若くはない」不良を登場させたのは、「赤い鳥逃げた?」が最初だと思う。もちろん、それまでも様々な中年男が登場したが、彼らは皆、青春のただ中にいる主人公たちにとっては否定すべき存在であり、ときには倒すべき敵だった。しかし、「赤い鳥逃げた?」の原田芳雄は、すでに青春を過ぎ不良中年になりかかった主人公だ。若い男女(大門正明と桃井かおり)を手下にして馬鹿な行為を繰り返す。

原田芳雄が演じた「赤い鳥逃げた?」の主人公は、時を経て「スローなブギにしてくれ」の山崎努になったが、相変わらず中途半端な生き方をしている。彼は何をして金を得ているのかはわからない。そのくせ、高級車を乗りまわす高等遊民である。だから、女を拾い、ブラブラと破滅的に生きることもできたのだ。しかし、生活者である中年男が、ある日、ふっと破滅的な衝動に襲われたらどうなるのか。それを描いたのが、「バージンブルース」だった。

「バージンブルース」は、野坂昭如のヒット曲である。「ジンジンジンジン血がジンジン...、箱入り娘は眠れない」と歌う「バージンブルース」は、当時、本当に大ヒットしたのだ。黒めがねをかけた直木賞作家が、テレビで本気で歌っていた。そのメロディーは今でも僕の耳に残っている。それをタイトルにして、演劇界の鬼才・内田栄一がオリジナル・シナリオを書いた。内田栄一は後に「スローなブギにしてくれ」を脚色している。

「バージンブルース」は不思議な映画だ。予備校生の少女ふたりが万引きを見付かって逃げるのだが、街でひとりの中年男(長門裕之)と知り合い、三人で旅に出る。その後、中年男と少女(秋吉久美子)のふたりはあてのないさすらいの旅をする。中年男は少女のバージンを守ることに使命感を持ち、男たちの誘惑から少女を守り続けようとする。

長門裕之が演じる中年男は安物のスーツにサラリーマンコートで、ひどく風采が上がらない。流行の脱サラをやってみたが、失敗続きという雰囲気の男だ。普通の中年男なのに、ある日、魔が差してフーテンのような存在になる。もしかしたら家庭があり、妻子が居るのではないか。それなのに10代のバージンの少女に惹かれ、あてのないさすらいに出てしまう。

普通の勤め人に、突然、破滅的な衝動が襲ったのだ。人生経験の豊富な中年男のすることではない。血迷ったのか。だが、長門裕之の姿から哀しみのようなものが漂い始める。中途半端で、フラフラと生きている男から、生きる哀しみが見えてくる。目的地もなく彷徨うふたりのラストシーンから伝わってくるのは、どんな人も心の中に抱えているだろう悲哀感である。その悲哀感のコアのようなものを伝えるために、藤田監督は「バージンブルース」を作ったのかもしれない。

人はいくつになっても、迷い、戸惑い、途方に暮れる。多くの人は、それを自分の中に押し込め、家庭を持ち妻子を養い、勤めに精を出す。だが、それができない人間もいる。40を過ぎようが、50になろうが、還暦を迎えようが、悟りなど訪れるはずもない。だからといって、太宰治や藤田監督のようにはなれない。彼らは才能に恵まれたクリエイターだったから、そんな無頼で破滅的な生き方が赦されたのだ。僕がやれば、単なる生活破綻者である。

●41年前の夏の中野公会堂が甦った

ところで、林久登さんの本を読んでいてエッと思ったのは、「一九七二年の夏、私と慶二は、東京の中野公会堂の木製の椅子に朝から座りっぱなしだった。四日市で見られなかった『非行少年 陽の出の叫び』を見るためにやって来たのだ」という文章を読んだときだった。慶二というのが、林さんの友人である藤田監督のひとまわり下の弟である。

──「敏八、安春、幸弘、惟二のクールな衝撃」と冠した早稲田大学の学生の主催する上映会は、朝十時から途中座談会を挟んでなんと七時間ぶっ通しで『非行少年 陽の出の叫び』『野良猫ロック ワイルドジャンボ』『野良猫ロック セックスハンター』(70年、監督長谷部安春)『反逆のメロディー』(70年、監督澤田幸弘)『不良少女 魔子』(71年、監督蔵原惟二)が連続上映された。(同上)

そして、林さんは座談会の司会を映画評論家の斎藤正治さんがつとめたこと、場内のヤジで司会者が立ち往生したことなどを書いていた。だが、僕にはおぼろげな記憶しかない。そうかもしれなかったなあ、と思っただけだ。そう、その日、僕も友人のTと一緒に朝から中野公会堂の椅子に座っていたのである。おまけに僕らは前夜から当日の明け方まで、新宿でオールナイトの鈴木清順作品5本立てを見て、ほんのうたた寝をしただけだった。

僕とTは、確かに映画が好きだった。しかし、前夜の午後10時から翌日の夕方まで24時間足らずの間に12本の映画を見たのは、あのときが最初で最後だ。僕もTも20歳だった。今から振り返ると、別人としか思えない。うらやましい体力である。僕にも、そんな時代があったのだと思うと、何だか単純に誇らしくなる。41年前のことだった。

あの日、中野公会堂の壇上には、藤田敏八、長谷部安春、澤田幸弘、蔵原惟二の四人が観客の方を向いて椅子に腰を降ろし、向かって左端に司会者が坐った。どの監督も憧れの存在だったし、どの作品もお気に入りだった。その日、初めて見たのは「不良少女 魔子」だけで、他の作品はすべて何度めかだった。しかし、あのときの藤田監督の記憶が僕にはほとんどない。

僕もTもよく憶えているのが、長谷部安春監督だった。レイバンの濃いサングラスを掛け、ハードボイルドな雰囲気が漂う監督だった。四人の中では最も強面で、いくつかの発言が今も甦る。長谷部安春監督は、「気がいくまで、映画を作りたい」と性的な比喩を用いて抱負を述べた。また、何かの質問に「マイク・ハマーのように...」と答え、軽ハードボイルド好きのTは「マイク・ハマーを出すところがいい」とひどく感激した。

長谷部安春監督は、その後、見かけ通りテレビや映画でハードなアクションものを山のように作り続けた。五本ある「野良猫ロック・シリーズ」のうち三本が長谷部監督で、二本が藤田監督である。テレビでは「大都会」のパート2、パート3や「大追跡」「西部警察」を担当し、「あぶない刑事」シリーズをヒットさせる。最近は「相棒」シリーズをよく監督していたが、2009年に半世紀近い監督人生に幕を下ろした。

あの日、藤田監督はひどく無口だった気がする。林さんの記述によれば「荒れた会場で、敏八はニヤニヤしながら成り行きを見守っていたのが印象的だった」とある。確かに僕にもそんな印象がある。おそらく、そのときに僕は藤田監督の顔や特徴的な長身を憶えたのだろう。その一年ほど後だったか、新宿で「野良ロック・シリーズ5本立て」をオールナイトで見ているとき、スクリーン横のドアが開いて藤田監督が入ってきたのに気付いた。

午前零時か一時という時刻だった。「野良猫ロック ワイルドジャンボ」が上映されていた。シルエットだったが顎の出た顔、少し猫背で目立つ長身、僕はすぐに藤田監督だとわかった。どこかで飲んでいたのだろう。ふらつく躯を壁にもたせかけて、空いている椅子にも座らず、じっとスクリーンを見つめていた。僕は視界の中に藤田監督を入れてスクリーンを見ていたが、そのうち映画に夢中になり、気がつくと藤田監督の姿は消えていた。

40歳を過ぎ、「青春映画の旗手」と言われ始めた頃である。「藤田監督の次作を...」とTBSの林美雄アナウンサーが煽っていた。彼は自分の深夜放送で石川セリが歌う「八月の濡れた砂」をかけ続け、ヒットさせた人だった。そんな時代、中年になった藤田監督は何を考えながら自作を見つめたのか。40を遠に過ぎた僕にはわかる気がする。何かを......、惑っていたのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

元旦の新聞30段全面広告を見て衝動的に「中島みゆきデジタルリマスタリングボックス8枚組」を注文した。受注生産で3か月かかるとなっていたが、3月下旬にようやく届いた。「私の声が聞こえますか」から「臨月」の8枚。「ピエロ」が入ってないぞと思いながら、「海鳴り」や「蕎麦屋」「船を出すのなら九月」を聴いて泣いています。

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< http://forkn.jp/book/3701/
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< http://forkn.jp/book/3707/
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■Otakuワールドへようこそ![172]
取材と逆取材

GrowHair
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●ネットメディア、アイドルのライブ会場で取材

中野にある行きつけのメイドバーのひよりちゃんからメールが来た。知り合いにライターさんがいて、私 GrowHair を取材したがってるとのこと。じゃ、メールアドレスを伝えといてください、と返信した。どんな知り合いかと後から聞いたら、とあるバーでナンパされたのだそうで。

そのナンパなライターさんからメールが来たのが3月25日(月)の夕方のこと。ヨッピーさんというお方。Twitterで話題になっている事柄を拾い上げて、「トゥギャッチ」というネット上のメディアでコラムを書いているのだそうで。「セーラー服おじさんの正体に迫る!」というような記事を書きたいとのことで、取材したい由。
< http://togech.jp/
>

その翌々日、アイドルのライブがあり、その格好で行く予定になっているので、そのときに取材に来てはどうかと提案したら、そうしますと返信が来た。

ヨッピーさんは、フリーのライターさんで、「トゥギャッチ」以外にも、「オモコロ」などにも寄稿している。ライターというよりはお笑い芸人ですか、な感じ。体を張って笑いをとる、意欲的な記事を書いている。「オモコロ」の最新記事では、ローマ法王のビミョーなコスプレで歌舞伎町を徘徊するとか。畏れ多いなぁ、おいおい。
< http://picup.omocoro.jp/?eid=1622
>

過去には、「ウルトラスーパークールビズ」と称し、海パン一丁に襟だけのワイシャツにネクタイというファッションを提案している。うっわ、それで電車とか乗っちゃってるし。オフィス街のエスカレータに乗っちゃってるし。危険を省みず、勇敢に攻めてるなぁ。
< http://picup.omocoro.jp/?eid=1137
>

ツタンカーメンのビミョーなコスプレで、「ツタンカーメン展」の初日に早朝から並んで一番乗りしたという記事もある。去年の8月4日(土)のことだ。それって、いろんなメディアで取り上げられてて、私も知ってたよー。
< http://picup.omocoro.jp/?eid=1451
>

そんな楽しいお方が私なんぞに取材とな! 私は、というと、ごくごく平凡で真面目なじいさんが、ちょっと戯れにセーラー服を着てみたってだけのもんで。それほど面白いかどうか、甚だ自信がない。どういう心がけで生きてると、そんなふうに濃ゆいキャラになれるのだろうか。これ、取材するほうとされるほう、逆でいんじゃね?

3月27日(水)、大塚にあるライブ会場にヨッピーさんが来てくれた。セーラー服のおじさんが二人になった。
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/xUfqJL#5860165531325290514
>

ヨッピーさんは、大学時代、法学を専攻していた。卒業して会社勤め。商社で営業職に従事していた。めちゃめちゃ堅実じゃん。けど、つまらなかったそうで。人間関係が面倒くさいことになっているわけでもないし、仕事がつらいわけでもないし、給料が安すぎるわけでもないので、積極的に辞める理由がなかった。けど、ただただつまらなかった、と。

'90年代、インターネットの回線が遅く、ウェブ上のコンテンツと言えば、テキストが中心だった時代、自分のサイトを立ち上げた。あの頃は、ブログだのSNSだのって便利なもんはまだ登場してなく、サイトを立ち上げるには、みずからHTMLをすべてテキストでタグ打ちするしかなかった。

逆に、そのハードルを越えて自サイトをもつ人はそんなに多くなかったもんだから、ちょっと面白いことを書けばアクセスが集まったという。

「童貞」と「無職」は、ネット社会を渡っていくためのパスポートなのだそうだ。そうとうの上から目線で高慢な発言をしても、このパスポートがあれば、どうせ負け犬の遠吠えだ、と許してもらえて炎上をまぬがれる。それを逆手に、「童貞」ステータスを振りかざし、エラそうな日記を書きまくっていたらしい。

人生のずっこけ始めって、往々にしてそんな罪のない、ちょっとしたお遊びが端緒となるのかもしれない。その日記サイトはけっこうな人気を博したそうで。

そんなある日、インターネット上のメディア「オモコロ」の編集さんから「一緒に書きませんか」とのお誘いが来た。本業の傍ら、そこに書くようになった。何年か書き続け、ついに続かなくなったのは、オモコロのほうではなく、本業のほう。

地方へ転勤を命ぜられたら、そのタイミングで辞めようと思っていた。そしたら、入社7年目に来た。仙台へ行け、と。で、辞めた。

辞めるまでは、いちおう会社の看板背負ってるわけだし、副業禁止の社則もあるので、ネットの活動は比較的地味にやっていた。辞めてから、急にハジケて派手になった。なんかおバカなことをやらかして、テレビに映ることを狙おう、とか。辞めてから2〜3か月ぐらいで、元の会社にバレたそうで。

その後、めでたく童貞は卒業したらしい。次のステータスは無職。

辞めたとき、経済のバブルはすでに弾けていた。次の職のあてもなく、ぱっと辞めて以来、ずっと無職。いただいた名刺の肩書きは「無職」。サラリーマン世界でやってけるような自分ではなかったと振り返っている。そんな世界でやってけないにもかかわらず、自分をだましだましやってるのがサラリーマンの悲哀ってもんだと思うけどな。

それはともかく、無職無職と言いながら、あっちゃこっちゃにモノを書いて、多少の収入にはなっているというわけだ。そんなヨッピーさんのモットーは、「人は二足も三足もわらじを履くべきだ」。なるほど、そういう生き方も面白いかもしれないなぁ。私は自分の凡庸さを反省しつつも、今の職をぱっと捨ててまでも面白い世界に飛び込んでいく勇気のない、小心者なのでありました。

ヨッピーさん、わざわざ取材されにお越しいただきまして、ありがとうございました。ヨッピーさんの記事は数日中に「トゥギャッチ」に上がるのかな?
< http://togech.jp/
>

●週刊実話、東京地裁前で痴漢撲滅運動を再現

去年の3月18日(日)の夕方、下北沢駅から小田急線に乗ったところで、カメ
ラを持ったおじさんから声をかけられ、電車の中で写真を撮っていただいたプロの写真家さんだった。

中山学氏は、写真家吉永マサユキ氏と森山大道氏が主宰している「resist写真塾」の卒業生なのだそうで。この卒業生の写真家グループは、四谷三丁目にある「GALLERY SHUHARI」にて、持ち回りで個展を開催している。

中山氏の個展「トレイン撮レインシリーズVol.1『電車の中のニッポン』」は、4月の後半に開催された。電車の中での光景がテーマの写真展であった。日常のような非日常のような奇妙な味わいのある作品が並べられる中、私が被写体のも使っていただけた。

見に行ったとき、中山氏は在廊していて、お話することができた。それからずっと音信がなかったのだが、今年の3月9日(土)に「ご無沙汰しております」というタイトルのメールを頂戴した。

代官山にて、resist卒業生によるグループ展が開催中なのだそうで。中山氏は、そこでも私が被写体のを再び展示しているのだそうで。3月7日(木)にオープニングパーティがあり、その写真のことで、ひとしきり話が盛り上がったそうで。フリーのライターさんがいて、この被写体と同一人物と思しき人を最近霞が関で見かけたとのこと。そのときは、痴漢撲滅運動をしていた、と。

その話になったとき、もう一人、「週刊実話」のライターさんが居合わせた。
そんな人がいるなら取材したい、と言ってきたそうで。中山氏からのメールの
内容は、霞が関でそんな運動をしてましたか、もしそうなら取材に応じてくれ
ますか、というもの。はいはい、もちろんOKですよん。

じゃあ、3月20日(水・祝)に撮りましょう、という話になった。編集の方と中山氏が来て、中山氏が写真を撮ってくれるのだそうで。また撮っていただけるとは光栄です。私はてっきり、編集者氏と中山氏とは旧来の知り合いで、中山氏の撮った写真が今までもちょくちょく「週刊実話」に使われているのかと思っていた。

ところがそうではなく、パーティで初めて会ったのだそうで。お互いよく知らなくても、何か面白いことを探し求めているという共通の波長が呼応しあっちゃうのだろうか。こういうことがぱっぱと決まっていく意欲的な姿勢に、精神の若々しさを感じる。

新橋駅前の蒸気機関車のところで待合せ。痴漢撲滅運動を再現したいとのことなので、私はいつものセーラー服に加え、日の丸を挟んで「痴漢●撲滅」と書いた例の鉢巻を締めて、向かう。私はそこで初めて編集のN田氏とお会いした。

モノクロの見開き2ページの企画を考えているという。4〜5枚の写真がドン、ドン、ドン、ドン、と大きく配置され、空いた小さなスペースに短めの文章を入れるという。N田氏が、こんなふうな写真が欲しい、といったことを中山氏に伝える。

新橋駅を背景に、電車が入線してきたタイミングで、とか。私の乙女心としては、かわいらしく笑って撮られたいところではあるが、なにしろテーマが痴漢撲滅運動なので、一貫して、「痴漢、ゆるさんぞ!!」というメッセージが表情に現れた怒り顔をしてください、という指示であった。

ううむ、そういうのは撮られ慣れてなくて難しいけど、だいたいこんなもんかな、とやってみる。中山氏が撮ったのをカメラの背の液晶画面でN田氏が確認し、「いいよ、いいと、絵になるなぁ」と喜んでくださっている。

それから、JRのホームに上がり、線路を挟んで向かいのホームから撮影。私は腕組みして仁王立ち。地下鉄に乗り、赤坂見附経由で霞が関へ。地下鉄の中でも撮影。座席はすべて埋まり、立っている人がちらほら。私はシートの前で、つり革につかまって立つ。中山氏がドア横から撮る。

静かな車内に一眼レフのシャッター音がカシャッ、カシャッと響き渡る。みんな、何事もなかったかのごとく、スルーしてくれる。笑ってる人もいるけど。中山氏の横に立って、便乗して撮ってく人もいる。裁判所の前で撮影。同じコースを戻ってくる。

N田氏は、「週刊実話」を発行している「日本ジャーナル出版」に移ってきてから、まだ2年だという。その前は某S出版にて、エロ本を作っていたという。

S出版に入るとき、年齢も学歴も能力も経験も不問で、とにかく出版界で生きていけるよう、修行させてくれるという触れ込みだったという。一見好条件でありながら、実際の修行の内容は想像を絶するものであったらしい。

当時、その業界では「素人ヌード」というジャンルが大流行りしてたらしい。その後、一気に廃れていったのは、どこかの雑誌で、それと知らずに未成年を撮って掲載してしまい、編集長が実刑を食らう事件が起きてしまったからなのだそうで。以来、恐くてそういう企画には誰も手が出せなくなったという。

その全盛期において、N田氏のミッションは、地方都市へ赴き、そこらの通行人をナンパして、掲載用のヌード写真を撮ってくること。いやそれは......。私は試したことがないので実感としはまったく分からないけど、どう考えても成功率低そう。

で、声をかけてもかけても収穫がないと、川に蹴り落とされたりしたんだとか。あるいは、顔じゅうにマジックで落書きされて、駅前に立たされたとか。修行というより、いじめなんじゃなかろうかという、すさまじいシゴキっぷり。

でも、そうやって人格崩壊させられて、やっとスタート地点に立てるというのが、その業界の習わしなのかもしれない。どんな職に就くにせよ、プロとしてやっていけるようになるための修行というのは並大抵ではないのだな、と妙な感慨が呼び起された。

さまざまな試練を経てきたであろう、中山氏とN田氏の手になる記事は、近々発行される「週刊実話」に掲載される見通しです。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。

ツイッター活用術。個人ログを他動的に生成。ただし、オレ様限定。

ついつい気になり、しょっちゅうエゴサーチ。「エゴサ」って略したりするらしい。

"セーラー服"に"おじさん"、"おっさん"、"おじいさん"、"おじいちゃん"、"髭"、"白髪"、"ハゲ"、"新宿"などを適当に組み合わせてツイッター内検索かけると、目撃情報がぼろぼろと。3月25日(月)にはざっと100件ほど。

これを時間順にソートすると、いつどこにいたか、個人ログがしっかり記録されてる、と。ツイッター、便利便利。

さらに最近の傾向としては、「まとめ」られることがよくあり。「あいつはいったい何者なんだ?」って疑問に答えてくれてたりなんかして。本名とか実年齢とか何してる人だとか過去の行状とか。ほぼ丸裸にされてる感じ。うぎゃっ!

▽個人ブログで。

【名前判明】「B級ニュースSHOW」で話題沸騰!セーラー服おじさんの名前は「GrowHair」
< http://blog.livedoor.jp/charismajk/archives/23721019.html
>

ツイッターのまとめサイト「togetter」でも。
最近目撃情報の多いセーラー服おじさんついに正体が判明!
< http://togetter.com/li/478718
>

同じく、「NAVER まとめ」でも。掘り起こされるハズカシイ過去。まるでタレントじゃんかと。
東京近郊で目撃が相次ぐ「セーラー服を着たおじいさん」の謎
< http://matome.naver.jp/odai/2136438591025580101
>

「ハムスター速報」でも。元ツイートはわずか2日で2万リツイートされてるし。
東京駅に女子高生のお孫さんとおじいちゃんが幸せそうに居たwwwwwww
< http://hamusoku.com/archives/7803563.html
>

もしかしてだんだん有名になりつつあるとか? やっばいなぁ。

▽以下はおまけ。ツイッター生成の他動的個人ログ。

今日池袋にセーラー服着たおっさんが女子高生と写真撮ってた!! あの年であーゆーことするとJKと写真が撮れるんだなと学ばせてくれたおっさんでした。
2013年3月24日 - 23:35

そのおっさん去年の夏コミでコスのまま出てきてるのかと思ったら普段からセーラー服だったのか
2013年3月24日 - 20:31

いけぶくろで乗って、新大久保辺りで降りてった!
2013年3月24日 - 20:24

おじちゃんJKと写メ。広めてほしいって言われたから皆RTして%7E(☆∀☆)
pic.twitter.com/OPvI46oVz9
10,803 件のリツイート
1,882 件のお気に入り
2013年3月24日 - 19:28

池袋にwww渋谷で有名なセーラー服おじさんがいたwwwwwwwww
くっそワロタwww足きれいwww
2013年3月24日 - 19:26

テレビでみたセーラー服着たおじさんや
2013年3月24日 - 18:58

下北沢いろいろ変わったなぁと思ってたら隣にセーラー服着たおじさん立ってた
2013年3月24日 - 18:19

おげえええええええwwwwww下北沢着いて降りた乗客にセーラー服着たヒゲジジイがいたorzヒゲにリボン付けてて見ちまって吐き気が
2013年3月24日 - 13:51

ちょっ待てよ。セーラー服着たおじいさんいたんだけど...サンタ顔の...新宿どうした...
2013年3月24日 - 13:20

Twitterでよくイジられてるセーラー服着たおじいさん小田急にいた!
写真の真ん中にいる人! pic.twitter.com/pz8KwVU2YT
2013年3月24日 - 13:14

せ、セーラー服を着たおじいさんはとしでんせつじゃなかった
2013年3月24日 - 13:10

テレビでやるのそんなことwww
2013年3月24日 - 10:49

テレビか何かでやってました(*^_^*)
2013年3月24日 - 10:45

中央線快速東京行き。目の前に白髪白髭のセーラー服がいるよ。しかも髭はピンクのリボンでおさげ。横に座らせてもらおうかな。てか がに股やめろよ、見えるだろ。
2013年3月23日 - 21:29

八高線にセーラー服のおっさんいたwwwwww 声かけようとしたけどひよった
2013年3月23日 - 20:55

今川越駅にミニスカセーラー服の白髪のおじいちゃんいた気がしたんだけど...なんか画像で見た事あるんだけど......ちょっと待ってあれノンフィクションだったの......!?
2013年3月23日 - 19:36

大宮駅でセーラー服着てたおじいさんいた(゜Д゜)
2013年3月23日 - 18:58

写真みにくい!
今日武蔵浦和にセーラー服のお爺さんいた(^ν^)怖
pic.twitter.com/G14R3Awwno
2013年3月23日 - 17:46

下北でもセーラー服着て三つ編みしたおっさんが天使のコスプレした女の子たちを引き連れて歩いてるの見たことありますよ!
2013年3月22日 - 17:46

高田馬場でセーラー服の爺さん目撃
2013年3月20日 - 19:30

非オタの友人から「ミニのセーラー服着て頭に八ツ墓村みたいなローソク差した50〜60代に見えるおじさん見たけど、何のイベント?」ってメール来たけどオレが知りたいw
2013年3月20日 - 17:30

帰りの山手線の車内で、白髪髭のおっさんが頭に蝋燭2本挿し、日の丸鉢巻きでセーラー服(もちろんミニスカート)を着ていた・・・どんなコスプレだよ! 車内ではだれも触れず。東京も恐ろしい所です
2013年3月20日 - 15:38

東京怖いよぉ( ;´Д`) 白髪でお髭モジャモジャのおじさんが髭三つ編みして(先っちょはピンクのリボン)、セーラー服着て(超ミニ)、頭に白い蝋燭2本さして(結構大きいやつ)、"痴漢撲滅"って書いた日の丸のハチマキしてる...。
2013年3月20日 - 14:23

セーラー服着てるハゲのおっさん神田で見てしまったwww辛い...
2013年3月20日 - 12:42

ひさぶりに中野駅でセーラー服にハチマキしてろうそくを2本立てたちょいハゲで白髪で長いお髭にメガネの50〜60代?もうちょい上のおじさんと同じ車両に乗ってる。ファッションは自由だ!足白っ!オレも固定概念に縛られない人間にならないと!
2013年3月20日 - 12:33


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編集後記(03/29)

●スペインのホラー映画「REC/レック3 ジェネシス」DVDを見た。主観映像で登場人物が遭遇する恐怖を描くシリーズの3作目で、前2作はわりと評価が高いようだが未見。カメラ主観視点というのが売りだが、どうにも好きになれないからだ。謎のウィルス感染者が凶暴化して襲って来るいつもの話。真性ゾンビとは違うのだが、まあ見た目は同じである。事件の舞台は結婚式場。始まってしばらくはビデオカメラで式場内を撮り歩くという設定で、ゆらゆらピンぼけのヘタクソで退屈な映像が続いてうんざりする。

15分くらい我慢したら、ようやく感染源の男(花婿のおじ)が暴れ出し、なだめる妻の首を食いちぎり、それから式場内は一気に阿鼻叫喚の世界へ。主観映像から普通の映像に。やっと見やすくなってよかったが、主観の緊張感はなくなる。醜悪なゾンビもどき血みどろ感染者たちに追われた花嫁と花婿は、混乱の中で離ればなれになってしまう。このふたりは再会できるのか、無事に脱出できるのか、ハラハラドキドキというのがこの映画の主題でじつにわかりやすい。ショッキングなシーンもあるからR-15指定だ。

見どころは、かよわいはずのヒロイン・花嫁が後半になって突然覚醒し、チェンソーを手にゾンビもどきに逆襲、首を刎ねたり、体をまっ二つにしたりと大暴走。これはなかなか痛快だが、花嫁の顔がコワい。一方花婿は甲冑で武装して花嫁を捜しまわるんだから、ギャグみたいで緊張感がない。神父の説教に聞き入って、ゾンビもどきが動きを止めるって設定はお笑いだが、そんな弱点あったのかい。感染者は悪魔の復活ってことらしいが。そして最悪なラスト、後味はよくない。

ところでカナダのBC州では、防災情報サイト上にゾンビ襲来に備えるためのマニュアルが掲載されている。アメリカ疾病管理予防センターは、ゾンビ来襲サバイバルガイドを発表している。もちろん、災害対策の啓蒙にゾンビを利用したものだ。しゃれたことをやる。わたしのゾンビ対策だが、自分でゾンビメークを施し、連中と行動をともにし隙を見て逃げる、ってのどうだろう。やった人いるかな。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008MTJD3Q/dgcrcom-22/
>
REC/レック3 ジェネシス


●うーん、ネタがない。仕事の話は書けないしなぁ。週刊ロビ2号が届いたぞ。あとは3号と時間。疲れがたまってて、頭や体の稼働率が低い。

そういや健康診断は実質今日までだった。ほぼ一年猶予があったというのに、また今年も受けに行けなかった。年明けてからの三ヶ月って本当にあっという間だなぁ。女性特有の期間を前もって予測しないといけなかったり、前日の夜21時以降や当日に何があるかわからないと思ったりして、なかなか予約できないまま。当日、ぽーんと受けられるところってないものかしらね。

予約キャンセルなんてのはよくある話なんだろう。予約時に「もしかしたら延期してもらうかも」って、ひとこと言っとけばいいんだろう。きっとそれほど迷惑をかけることにはならないんだろう。でも、相手の困った顔や声を聞くと想像するだけで胸が痛くなる。これがスーパーでの買い物のように日常化していれば、少々無理を頼めるのに、何か特別なことと考えてるみたいだわ。

予約したらよほどのことがない限り、時間やりくりして実現させるのはわかってるのに。とかいろいろ書いてた。ほんとこのあたりの欠点は文章にしてみるとよくわかる。1か0じゃないのに。「自分」のことで、何かを実現するための細工が苦手。相手が本当に困るかどうかやってみなきゃわからないのに、困るだろうなぁで思考停止。時間切れ。

そういやWii Uで、iOSやAndroid向けのHTML5アプリが動くんだって。WebKitベースの「Nintendo Web Framework」の発表記事があった。このフレームワークは、任天堂と開発者契約を結べば誰でも利用できるらしい。Wii U DEV-KITという開発機が必要らしいよ。 (hammer.mule)

< http://www.4gamer.net/games/032/G003263/20130328113/
>
[GDC 2013]「AndroidやiOS向けのHTML5アプリ,それWii Uでほぼそのまま動きます」。任天堂が「Web Framework」を開発者にアピール