映画と夜と音楽と...[583]惑う中年男たちの肖像
── 十河 進 ──

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〈スローなブギにしてくれ/赤い鳥逃げた?/バージンブルース〉

●藤田敏八監督を身近に知る人が書いた本

「映画がなければ生きていけない2010-2012」を読んだ方から、ていねいな感想文と著書を送っていただいた。その方は僕の本の版元の水曜社にわざわざ連絡する労をとり、水曜社から僕に転送されてきたのだ。送っていただいた本は「映画監督 藤田敏八」(映画芸術2012年9月号増刊)で、A5判で200ページ近くあり藤田監督の写真もふんだんに掲載されていた。

著者は林久登さんという方で、僕より8歳ほど年上である。1943年に満州で生まれ、藤田敏八監督のひとまわり年下の弟の同級生で、藤田監督をよく知る人だった。そういう関係からか、藤田監督のプライベートな写真も載っているし、生い立ちも詳しい。「なるほど、そういうことだったのか」と思うことの多い本だった。作品分析も的確で、藤田監督を知るための資料として貴重である。

このコラムでも何度か書いたが、若き日の僕にとって藤田敏八監督の作品は単なる映画ではない。僕の人生と密接に結びついている。まず、1970年には「非行少年 若者の砦」との出会いがあり、「野良猫ロック・ワイルドジャンボ」「野良猫ロック・暴走集団71」が続く。その間に「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」があり、1971年の夏の終わりに僕は「八月の濡れた砂」(1971年)と出会う。

僕が映画について初めて真摯に向かい合って書いた文章は、「破滅へのキックオフ──『八月の濡れた砂』論」だった。1971年の暮れか、1972年の春に出た同人誌「ラドリオ」に掲載した。大学時代の仲間たちとやっていた同人誌である。その頃のことを回想した「『ごっこ』のように生きていた日々」(「映画がなければ生きていけない1999-2002」131頁参照)は、僕にとって意味深い文章だった。

「八月の濡れた砂」の後、「赤い鳥逃げた?」(1973年)があり、翌年には秋吉久美子三部作「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」を見るために映画館に通った。そして、就職して3年目、「帰らざる日々」(1978年)は僕にとって大事な一作になった。その年、就職し結婚していたくせにまだまだ子供だった僕は、「大人の世界」に否応なく引きこまれた。だから、青春時代を苦い思いを抱いて回想する「帰らざる日々」の主人公は、僕自身だったのだ。




1979年、藤田作品はさらに苦みを増す。「もっとしなやかに、もっとしたたかに」「十八歳、海へ」「天使を誘惑」は、「青春映画の旗手」と言われた藤田監督の青春へのレクイエムを感じさせる作品群だった。「天使を誘惑」のように三浦友和と山口百恵のゴールデン・コンビ映画でさえ、藤田監督は自らの感性を貫き通し苦い青春を描いた。それは、47歳になった藤田監督の変化だったのかもしれない。

役者として出た鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」(1980年)で新境地を拓いた翌年、藤田監督は「スローなブギにしてくれ」(1981年)を発表する。片岡義男の青春オートバイ小説を売りたかった角川映画なのに、藤田監督は中年映画に変えてしまう。この映画の主人公は、山崎努である。藤田監督の関心は、古尾谷雅人と浅野温子の若いカップルを通し不良中年を描くことにあった。

原作は、オートバイを走らせていた青年が、ハイウェイの真ん中で高級車から突き降ろされた少女を拾うところから始まる。彼女は猫のように青年の部屋に居つき、突然いなくなったりする。映画はそのふたりの物語を描くと同時に、少女を突き降ろした高級車の中年男を追うのだ。少女を車から放り出した男が帰宅すると、同年配の男女が同居している。

●青春オートバイ映画を中年映画にしてしまった

「スローなブギにしてくれ」の山崎努は、何歳くらいの設定なのだろう。映画を見た当時、僕は30を目前にしていた。その僕から見て山崎努は50過ぎの不良中年に見えた。しかし、同居している友人(原田芳雄)と女(浅野裕子)の設定から推察すると、せいぜい40代である。男ふたりと住んでいる女は、子供がどちらの男の子なのかわからない。その女の少し知的障害があるらしい妹が竹田かほりだった。

女癖の悪い山崎努は家庭があったが、家を出て原田芳雄と女の住んでいるところに転がり込み、友人の女と関係ができ、そのまま三人で住んでいるらしい。山崎努が別れた子供のピアノ発表会にいくシークェンスがあり、離婚がもめているのか妻の弁護士の伊丹十三と会場の外で会い、事務的な口調で妻のメッセージを伝えられる。

山崎努が演じた中年男は、好感が持てるタイプではない。すぐ女に手を出すくせに、女に対しては冷淡だ。別れた子供に会いにいき、ひとりで嗚咽するようなセンチメンタルな部分を持っているが、同居していた友人がジョギング中に急死しても悲しむ様子さえ見せない。藤田監督自身のプライベートなエピソードを知ると、この中年男は監督本人ではなかったのかと思えてくる。

太宰治は「家庭の幸福は諸悪のもと」と書いたが、藤田監督は太宰に似た破滅型の人間だったのではないか。妊娠中の妻を棄てて女優の赤座美代子の元に転がり込んだ話を、棄てられた妻の文章で読んだことがあるけれど、その妻も二度目の結婚相手だった。三度目の妻が赤座美代子で、彼女とも別れ生涯に四度結婚し、その間もさまざまな女性との関係があったという。

──当時の敏八は、この映画とは裏腹に妻の赤座と大林宣彦、小谷承靖監督らとテニスに興じ健全な生活を送っていた。彼のテニスのフォームは不格好だが、結構しぶとく、鋭いボレーが返ってくる。で、仲間の間では、この映画のタイトルをもじって「スローなボレーにしてくれ」と、言ってからかったとか。だが、それから数年後、「こんな(安定した)生活をしていたら映画が撮れなくなる」と言って家を出ることになる。(林久登「映画監督 藤田敏八」より)

拾った女を乗せたまま海に突っ込み、自分だけ救われて毛布にくるまって震えながら、死んだ女の腕が割れたウィンドウから突き出している愛車が引き上げられるのを見ている中年男、女の名を問われて答えられず茫然としている山崎努は、間違いなく藤田監督自身だったのだ。心の底の飢えのようなものに突き動かされ、家庭を否定し、次々と別の女性に甘え、映画を作り続けた......、林さんの著書を読み終えて、僕はそんなことを思った。

●野坂昭如のヒット曲をタイトルに持つ奇妙な作品

藤田監督が「もう若くはない」不良を登場させたのは、「赤い鳥逃げた?」が最初だと思う。もちろん、それまでも様々な中年男が登場したが、彼らは皆、青春のただ中にいる主人公たちにとっては否定すべき存在であり、ときには倒すべき敵だった。しかし、「赤い鳥逃げた?」の原田芳雄は、すでに青春を過ぎ不良中年になりかかった主人公だ。若い男女(大門正明と桃井かおり)を手下にして馬鹿な行為を繰り返す。

原田芳雄が演じた「赤い鳥逃げた?」の主人公は、時を経て「スローなブギにしてくれ」の山崎努になったが、相変わらず中途半端な生き方をしている。彼は何をして金を得ているのかはわからない。そのくせ、高級車を乗りまわす高等遊民である。だから、女を拾い、ブラブラと破滅的に生きることもできたのだ。しかし、生活者である中年男が、ある日、ふっと破滅的な衝動に襲われたらどうなるのか。それを描いたのが、「バージンブルース」だった。

「バージンブルース」は、野坂昭如のヒット曲である。「ジンジンジンジン血がジンジン...、箱入り娘は眠れない」と歌う「バージンブルース」は、当時、本当に大ヒットしたのだ。黒めがねをかけた直木賞作家が、テレビで本気で歌っていた。そのメロディーは今でも僕の耳に残っている。それをタイトルにして、演劇界の鬼才・内田栄一がオリジナル・シナリオを書いた。内田栄一は後に「スローなブギにしてくれ」を脚色している。

「バージンブルース」は不思議な映画だ。予備校生の少女ふたりが万引きを見付かって逃げるのだが、街でひとりの中年男(長門裕之)と知り合い、三人で旅に出る。その後、中年男と少女(秋吉久美子)のふたりはあてのないさすらいの旅をする。中年男は少女のバージンを守ることに使命感を持ち、男たちの誘惑から少女を守り続けようとする。

長門裕之が演じる中年男は安物のスーツにサラリーマンコートで、ひどく風采が上がらない。流行の脱サラをやってみたが、失敗続きという雰囲気の男だ。普通の中年男なのに、ある日、魔が差してフーテンのような存在になる。もしかしたら家庭があり、妻子が居るのではないか。それなのに10代のバージンの少女に惹かれ、あてのないさすらいに出てしまう。

普通の勤め人に、突然、破滅的な衝動が襲ったのだ。人生経験の豊富な中年男のすることではない。血迷ったのか。だが、長門裕之の姿から哀しみのようなものが漂い始める。中途半端で、フラフラと生きている男から、生きる哀しみが見えてくる。目的地もなく彷徨うふたりのラストシーンから伝わってくるのは、どんな人も心の中に抱えているだろう悲哀感である。その悲哀感のコアのようなものを伝えるために、藤田監督は「バージンブルース」を作ったのかもしれない。

人はいくつになっても、迷い、戸惑い、途方に暮れる。多くの人は、それを自分の中に押し込め、家庭を持ち妻子を養い、勤めに精を出す。だが、それができない人間もいる。40を過ぎようが、50になろうが、還暦を迎えようが、悟りなど訪れるはずもない。だからといって、太宰治や藤田監督のようにはなれない。彼らは才能に恵まれたクリエイターだったから、そんな無頼で破滅的な生き方が赦されたのだ。僕がやれば、単なる生活破綻者である。

●41年前の夏の中野公会堂が甦った

ところで、林久登さんの本を読んでいてエッと思ったのは、「一九七二年の夏、私と慶二は、東京の中野公会堂の木製の椅子に朝から座りっぱなしだった。四日市で見られなかった『非行少年 陽の出の叫び』を見るためにやって来たのだ」という文章を読んだときだった。慶二というのが、林さんの友人である藤田監督のひとまわり下の弟である。

──「敏八、安春、幸弘、惟二のクールな衝撃」と冠した早稲田大学の学生の主催する上映会は、朝十時から途中座談会を挟んでなんと七時間ぶっ通しで『非行少年 陽の出の叫び』『野良猫ロック ワイルドジャンボ』『野良猫ロック セックスハンター』(70年、監督長谷部安春)『反逆のメロディー』(70年、監督澤田幸弘)『不良少女 魔子』(71年、監督蔵原惟二)が連続上映された。(同上)

そして、林さんは座談会の司会を映画評論家の斎藤正治さんがつとめたこと、場内のヤジで司会者が立ち往生したことなどを書いていた。だが、僕にはおぼろげな記憶しかない。そうかもしれなかったなあ、と思っただけだ。そう、その日、僕も友人のTと一緒に朝から中野公会堂の椅子に座っていたのである。おまけに僕らは前夜から当日の明け方まで、新宿でオールナイトの鈴木清順作品5本立てを見て、ほんのうたた寝をしただけだった。

僕とTは、確かに映画が好きだった。しかし、前夜の午後10時から翌日の夕方まで24時間足らずの間に12本の映画を見たのは、あのときが最初で最後だ。僕もTも20歳だった。今から振り返ると、別人としか思えない。うらやましい体力である。僕にも、そんな時代があったのだと思うと、何だか単純に誇らしくなる。41年前のことだった。

あの日、中野公会堂の壇上には、藤田敏八、長谷部安春、澤田幸弘、蔵原惟二の四人が観客の方を向いて椅子に腰を降ろし、向かって左端に司会者が坐った。どの監督も憧れの存在だったし、どの作品もお気に入りだった。その日、初めて見たのは「不良少女 魔子」だけで、他の作品はすべて何度めかだった。しかし、あのときの藤田監督の記憶が僕にはほとんどない。

僕もTもよく憶えているのが、長谷部安春監督だった。レイバンの濃いサングラスを掛け、ハードボイルドな雰囲気が漂う監督だった。四人の中では最も強面で、いくつかの発言が今も甦る。長谷部安春監督は、「気がいくまで、映画を作りたい」と性的な比喩を用いて抱負を述べた。また、何かの質問に「マイク・ハマーのように...」と答え、軽ハードボイルド好きのTは「マイク・ハマーを出すところがいい」とひどく感激した。

長谷部安春監督は、その後、見かけ通りテレビや映画でハードなアクションものを山のように作り続けた。五本ある「野良猫ロック・シリーズ」のうち三本が長谷部監督で、二本が藤田監督である。テレビでは「大都会」のパート2、パート3や「大追跡」「西部警察」を担当し、「あぶない刑事」シリーズをヒットさせる。最近は「相棒」シリーズをよく監督していたが、2009年に半世紀近い監督人生に幕を下ろした。

あの日、藤田監督はひどく無口だった気がする。林さんの記述によれば「荒れた会場で、敏八はニヤニヤしながら成り行きを見守っていたのが印象的だった」とある。確かに僕にもそんな印象がある。おそらく、そのときに僕は藤田監督の顔や特徴的な長身を憶えたのだろう。その一年ほど後だったか、新宿で「野良ロック・シリーズ5本立て」をオールナイトで見ているとき、スクリーン横のドアが開いて藤田監督が入ってきたのに気付いた。

午前零時か一時という時刻だった。「野良猫ロック ワイルドジャンボ」が上映されていた。シルエットだったが顎の出た顔、少し猫背で目立つ長身、僕はすぐに藤田監督だとわかった。どこかで飲んでいたのだろう。ふらつく躯を壁にもたせかけて、空いている椅子にも座らず、じっとスクリーンを見つめていた。僕は視界の中に藤田監督を入れてスクリーンを見ていたが、そのうち映画に夢中になり、気がつくと藤田監督の姿は消えていた。

40歳を過ぎ、「青春映画の旗手」と言われ始めた頃である。「藤田監督の次作を...」とTBSの林美雄アナウンサーが煽っていた。彼は自分の深夜放送で石川セリが歌う「八月の濡れた砂」をかけ続け、ヒットさせた人だった。そんな時代、中年になった藤田監督は何を考えながら自作を見つめたのか。40を遠に過ぎた僕にはわかる気がする。何かを......、惑っていたのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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