[3454] 愛しのソニー

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《パズルのピースがうまくはまらない感じ》

■ユーレカの日々[21]
 愛しのソニー
 まつむらまきお

■グラフィック薄氷大魔王[340]
 「知らないモノはおもしろくない?」「3Dプリンタ、すでに陳腐化?」
 吉井 宏




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■ユーレカの日々[21]
愛しのソニー

まつむらまきお
< http://bn.dgcr.com/archives/20130403140200.html >
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1969年か70年、大阪で万国博覧会が開かれた頃の話だ。父が海外に視察旅行に行くことになり、その取材のために一台のテープレコーダーを買ってきた。

当時ぼくは小学校3年生くらい。カセットテープレコーダーというモノは知っていたが、その真っ黒でコンパクトな製品は、身の回りにあるどんなものとも似ていなかった。

ソニーカセットレコーダー「TC-55」。ソニー好きの人なら、この型番にピンとくるだろう。「55」はトランジスタラジオTR-55を祖先とし、革新的なポータブル製品にのみ冠せられる、ソニーの誇り高き型番だ。

極力、凹凸をなくしたアルミのボディ。美しくフラットな面と対比するように、側面には小さなスイッチやメータがギッシリと並ぶ。

単三乾電池4本を収納する部分はカートリッジ式で取り外せ、予備のバッテリーと速やかに交換できる工夫がなされている。つや消しの黒い立方体は手に持つとずっしりと重い。

その存在感は比類なきものだった。当時の家電品は、子どもの目で見てもパーツの寄せ集めであり、その仕組が見て取れる素朴なデザインが主であった。それに対しこのTC-55は、複雑なパネル分割、整然と並んだスイッチ類、その埋め込みや化粧のディテールなど、今見ても完成度高いデザインだ。

まるで未来からやってきたような道具。まるで魔法で作られたかのような道具。

ぼくはこのレコーダーに夢中になった。何かを録音できるという機能よりも、その美しい形と、そしてたくさん並んだボタンを操作することに夢中になった。開閉部分や取り外し部分を何度も何度も動かして遊んだ。

なぜこんな形なのか。何でできているのか。どんな仕組みなのか。気になってしょうがない。

今ならわかる。ぼくはその時、恋に落ちたのだ。

●募る恋心

うちの父もソニー好きだったので、このレコーダーをきっかけに徐々に増えて
いった。

家電品としてのソニーのイメージは「生活臭さがない、プロっぽさ」だった。洗濯機や掃除機などなんでも作る松下や東芝とは違い、ソニーはテレビやラジオといった音響製品しか作らない。そのかわり業務用製品も作る。テレビや雑誌でみかける、プロが使う機材にはいつもソニーのロゴが光っていた。

家庭用の製品でも、無駄のない機能的なボディに高級感のあるディテール。それは他社とは一線を画す存在だった。

そして、その中に詰まっているとてつもなく高性能な品質と、常に消費者を驚かせるアイデア。

たとえば1972年に発売されたラジオ「スカイセンサー5500」はただラジオを聞くという単一機能なのに、ダイヤルやメーターが所狭しと並ぶ。そのプロっぽいルックスに、FMトランスミッターを使ったトランシーバー機能という、あまり実用的とはいえない、遊びのための機能を備えていた。

人に例えるなら、群を抜いて垢抜けた、完璧なスタイル。仕事を完璧にこなしながらも、楽しさを忘れない。それでいて、不要な派手さや押し付けがましいところがない、知的で上品な人。

僕はますます、ソニーへの恋心を募らせていった。

●自分だけのソニー

初めて自分だけのソニーを手に入れたのは中学生の時だ。ラジオカセット「スタジオ1780」というモノラルのFMラジカセだった。

当時、中高生の間ではラジカセが大流行していた。音質のよいFMラジオを自分の部屋で聞ける、それを録音し、何度も繰り返し好きな音楽を聞ける。

今のようなレンタルもダウンロードもない時代では、ラジカセは今の若者にとっての無料動画サイトと等しい存在だったのだ。友だちのラジカセと二台つないで、ダビング(コピー)編集をしたり、いろんな音を録音して遊んだ。

そして高校時代に手に入れたウォークマン。スピーカーも録音機能もない、そのかわりコンパクトで、ヘッドフォンからのステレオ再生が可能。外でも、部屋でも、寝るときも、いつも音楽と一緒に居られる。まさにソニーとの蜜月だった。

ラジカセ〜ウォークマンで若者の心をつかんだソニーは、それまでのビジネス・高級路線から、徐々にカジュアル路線へと変わってゆく。ウォークマンで常識を打ち破ることに自信を持ったソニーは、他社がどこも思いつかないような製品を発表してゆく。

中でも印象的だったのが、大学時代に買った、レコードプレイヤーのフラミンゴ(PS-F9とPS-F5 1983年発売)。

レコードというのはCDと違って、水平なところで回転させ、その上の溝を針がトレースして音を拾う。だからプレイヤーはとても場所をとる代物だった。

ところがこのフラミンゴという機種は、リニアトラッキングという再生アームを採用し、なんと立てた状態で使えるのだ。しかもレコードは本体からはみ出すようになっている。その結果、本体の専有面積は10cm四方程度。それまでのプレイヤーの1/10以下の占有面積という、驚異の小ささだった(文章だけではとても表現できるモノではないので、検索してみてください)。

そんな風にソニーはいつでもぼくを驚かせ、楽しませてくれた。いつでもどこでも、ソニーと一緒だった。

●はじめてのパソコン

ちょうどそのレコードプレイヤーが出た頃。大学の研究室で初めてパソコンに触れた僕は、自分のパソコンが欲しいと思い始めていた。大学ではどうしても使える時間が限られる。しかし当時のパソコンは安いものでもモニタなどを含めると20万円代。とても高価で、とても手が出るものではなかった。

ようやく貯めたお金で買えたのがテレビと繋いで使えるソニーのMSXパソコン、HB-101(1984年)だった。松田聖子の「人々のヒットビット」というCMで有名なこのパソコン。流線型に鮮烈な赤という、ソニーらしいデザインだった。

ところがこのHB-101、見た目はいいのだが、実際はキーボードがフニャフニャで、ガシガシとタイピングできるようなシロモノではなかった。

MSXという規格は、ゲーム機&パソコン入門機という位置づけだったため、キーボードは安価なものだったのだ。

MSXは、マイクロソフトとアスキーが開発提唱した、入門用パソコンの規格だ。当時、ソニー以外に松下、三菱、三洋、東芝、日立など、日本のほとんどの家電メーカーがMSXパソコンを発売していた。

今のWindowsと違い、当時のパソコンでは拡張できることが少なく、また、メーカーも家庭でパソコンが何の役にたつのか、模索中だった。だからどのメーカーのものでも「できること」はほとんど変わらなかった。

もちろん、それまでのラジカセやウォークマンも、他社とソニーでできる事はほとんどかわらない。同じ規格の電波、カセット、レコードを再生できた。

だからこそ、ソニー製品には機能ではなく音や絵という基本性能、モノとしての存在感を求めてきた。

それまでのラジカセやウォークマンの、カチッカチッと切れの良い操作感からあまりにもかけ離れたMSXの触感は、なんだかソニーにだまされたような、恋心が醒めたような気がしたものだ。

●最後の蜜月。ハンディカムの時代

ぼくが社会人になってしばらくした頃、パスポートサイズのハンディカムCCD-TR55(1989)が登場する。

家庭用ビデオ規格、ベータマックス対VHSの戦争では、すでにVHSに軍配があがっていた。ソニーの大きな敗北だったのだが、次の戦場はまだほとんど未開拓だった家庭用ビデオカメラ市場だった。

互換性重視のVHSーC規格と、まったく新しいフォーマットの8mmビデオ。当時まだどちらの陣営も決定打を出せずにいた。

マジックナンバーの祖、トランジスタラジオ「TR55」と全く同じ型番を冠したこのビデオカメラは、驚異的なコンパクトさと、大型機と変わらない高性能を実現していた。

TR55は一瞬でこの戦争に終止符を打つ。だれにでも一瞬で理解できる、コンパクトさと高性能。まさにソニーにしかできない大逆転だった。

個人的には、その後出たDV方式のパスポートサイズDCR-PC7(1996)が大好きだ。これぞソニー、というスクェアなデザイン。無骨なTR55は道具としてあまり思い入れがないが、DCR-PC7には心底惚れた。

後継機のDCR-PC10(1997)では、カール・ツァイスレンズを搭載。このカメラは我が家で未だ現役である。

この時期ぼくはごく当たり前のように、ソニーとつき合ってきた。CDオーディオも、ポータブルCDも、カラーテレビも、まだ何も迷うこともなく、ソニーを選んだ。ワープロ専用機「PRODUCE PJ-200」(1987)も買った。どの商品も持っていること、部屋に存在していること、触りまくることが喜びだった。

幸せな時代だった。それぞれの製品は基本的に、単純な目的で作られた装置たち。実用目的というよりも、使うという経験が新しかった時代。

デジタルという新しい波が生活にも徐々に押しよせてきているのに、まだそれが、昔ながらの道具と同じだと考えられていた時代の話だ。

●遊びを覚えたソニー

雲行きが怪しくなったのは、その後だ。PlayStationのヒットを皮切りに、ソニーはがらっと変わってゆく。

1994年 PlayStation
1996年 サイバーショット
1997年 VAIO
1997年 メモリースティック
1999年 AIBO
2000年 PlayStation 2

PlayStationは1も2も買った。たしかに革新的だったし、PS2はデザイン的にもソニーらしい、隙のないすぐれたデザインだった。

ジャンピン・フラッシュや塊魂で遊びながらも、どこか心の片隅で、これがソニーとつき合っているということなんだろうか、と常に違和感がつきまとっていた。

あの生真面目なソニーがいつのまにこんな遊びを憶えたのだ? これは僕が知っているソニーなのか?

まるで憧れていた勉強のできる素敵な同級生が、ある日突然けばけばしいアイドルとしてデビューしたような(そんな経験はないが)違和感だった。

この時期からぼくは徐々にソニーが嫌いになっていった。

1977年以降、ソニーの製品はVAIOという母艦と、メモリースティックという独自メディアを中心に展開されるものばかりになっていった。

デジタルウォークマンのようにMacでは使えない商品が増え、他社の機械でそのままでは使えないメモリースティック製品があらゆるものに搭載された。AIBOに至っては、なぜソニーがそんなものを売るのか、まったく理解できなかった。

孤高のブランドであるのは構わないが、ユーザーの囲い込み戦略ばかりが鼻につく行動。

知的で上品だった彼女が、ある日突然化粧も服も派手になり、取り巻きを連れて遊び回り、ヒトをあざ笑うような態度をとるようになった、とぼくの目にはうつった。それまで目もくれずソニー製品を選んできたぼくは裏切られたような気分だった。

今にして思えば、浮気したのは僕の方なのだ。ソニーだけを信じて、ソニーの製品だけを買い続ける道もあったのかもしれない。

その頃夢中だったMacはソニーと似た女...いやプロダクトだったけれど、中身はじゃじゃ馬娘、すぐにヘソを曲げる頑固者だった。

それでもMacが語る新しい世界は宗教にすら似ていて、それまでソニーしか知らなかった僕にとってあらがえない魅力に満ちていた。

我が家からは徐々にソニー製品が消えていった。テレビやオーディオ、コンピュータも買い換える時、ソニーを真っ先に選択肢からはずした。

まさに「もう顔も見たくない」絶縁状態。それが8年ほど続いた。

世間的には、ソニーが人気絶頂のアイドルとして君臨していた時代だ。それまでパソコン界で女王だったNECを蹴落とし、ゲーム界で女王だった任天堂を蹴落とし、世界の女王として輝いていた。だけど、そのワガママな態度からだんだん友だちを失っているように僕には思えた。

●堕ちていく女王

そして2001年。AppleからiPodが発売される。

MDやメモリースティック、著作権保護の仕組みに固執したソニーは出遅れ、ついにはiPodにポータブルオーディオの王座を明け渡すことになる。

それが契機だったのか、ソニーはテレビやビデオの世界でも、輝きを失っていく。液晶テレビはシャープ、ビデオやカメラはキヤノンや松下。コンピュータはDELLやMacBook。

ちょっとしたボタンの掛け違えだったのだろう。聞こえてくるソニーのウワサは、ひどくうらぶれた様子ばかりになっていった。

2008年。テレビで流れていた矢沢永吉のCM「せっかくのハイビジョンテレビ、Blu-rayじゃないともったいない」というCMがひんぱんに流れた。ぼくはあのCMが虫酸が走るほど大嫌いだ。
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DVDでなく、Blu-rayレコーダーならもっとキレイに録画再生できますよ、というメッセージ。よく解釈すれば「矢沢自身が反省している」とも取れるが、僕には上から目線で消費者を無知扱いしているように聞こえる。消費者の不安をあおっているように聞こえる。

「矢沢自身が反省している」のであっても、それをソニーがCMでやらせている、という構造は、なんて上から目線なんだろう。

なぜ、消費者を不快にさせるようなCMを流すのか。
なぜそれを矢沢永吉にさせるのか。
なぜこのCMが人を不快にさせていると気が付かないのか。

それはまるで、敗北が見えていることに気がつかない独裁者の演説のように聞こえた。「堕ちるところまで堕ちたな...」こういったことしか考えられなくなったソニーを哀れにすら感じた。

先のCMを放映していた最中に、リーマン・ショックが起きたのがとどめだった。ソニーの業績はどん底になった。いくらもがいても、脱出できない、まさに泥沼にはまってしまっているようだった。

●まさかの再会

それから2年たった2010年、使っていたパイオニアのビデオレコーダーが不調になった。修理をすることもできなくはないが、一年たてばアナログ放送は終了しこのレコーダーでは視聴ができなくなる。ならばもう、デジタル放送対応のレコーダーに買い換える潮時だろう。

色んなメーカーを検討する中で、意外な事にソニーが浮上してきた。利用したい幾つかの機能のすべてを満たすのがソニー製品だけだったのだ。

これには悩んだ。あの嫌なCMの商品そのものである。別れた女とどうしても会わなければならないような複雑な気分。

もしここでソニーと再会してしまえば、いずれ買い換えるテレビもその連動性からソニーを選ばざるを得ない。もし、その再会が不愉快なものになれば、その先何年もその状態が続くことになる。

彼女、いやソニーが変わった、という兆しがあることは耳にしていた。iPodのための周辺機器をソニーがコツコツと、ひっそりと販売していたのだ。

もう、あの嫌なソニーではないのではないか。未だつまらない意地をはって、iTunesに楽曲を提供していないけれど、それでも、更生してくれる兆しは見えているのではないか。

散々悩んでいた時、あることに気がついた。検討にあがっていたレコーダーには、カメラからの画像取り込み機能があるのに、メモリースティックの差込がないのだ。

ソニーのユーザー囲い込みのシンボルともいえる、メモリースティックのスロットがなく、カメラを直接ケーブルでつなぐUSBポートがついているのだ。

どういうことだ? あれほど自分の我を押し通そうとしてきた女が、それを捨てている。あのCMから2年。その間に一体何が起きたのだ?

メモリースティックのスロットがない。ただその一点に一縷の望みをかけ、ダメならオークションで売り払う決意でまずはそのレコーダーを買った。

地味な箱。地味な製品。それが第一印象だ。控えめなその製品は、初期不良もなく、あたりまえのように仕事をした。時折、わけのわからないことを言って来たが、恐れていた大きな混乱もない、素直なヒトになっていた。

付き合ってみて、いや、使ってみて驚いたのは、予約機能だ。あれだけMac、Apple製品を頑なに拒み続けていた彼女...いやソニーだったのに、このレコーダーの予約はiPhoneからでもできるどころか、パソコンからの動作保証環境にもしっかりと「Safari」が上げられている。

さらにこのWEBサービスを利用するのに、ソニー独自のIDを要求してくるのではなく、普段使い慣れているGoogleのIDでいいと言うのだ。

しかしまだ、油断はできない。まずは小さなテレビを買うことにした。この娘、いやテレビにも、メモリースティックスロットがない。

二人、いや二台はすぐに連携し、こちらが操作に煩わされることなく、黙々と仕事をしてくれた。

もう大丈夫だ。ぼくとソニーは和解した。

●そして、愛と平穏の日々

8年ぶりのソニーとの平穏な生活が始まった。

アナログテレビが停波した2011年、もう一台、中型のテレビを買い換えた。もちろんソニーの製品だ。そしてまた先月、我が家に新しく二つのソニー製品が仲間入りした。

コンパクトカメラのサイバーショットRX100は、あのカセットコーダーTC-55を思わせるパネル面とパーツ密度のバランスが絶妙なデザイン。キュートなトランジスタグラマーだ。

この子のためのパソコンソフトは、すべてMac版が用意されている。メモリはメモリースティックとSDカードのコンパチブルスロット。もう、あの頃のソニーではない。

もう一人はカーナビ「ナブユー」。この子は可哀想な子で、昨年、先がないという宣告をされてしまった事業の最後の一人だ。メモリースティックのみを受け入れる身体と、Windowsでしかメンテナンスできない心を持つこの子をあえてひきとったのは、もしかしたらこの2年の間になにが起きていたのかを知りたかったからかもしれない。

今やCMすらほとんど見かけなくなった、ソニー。数すくないCMの中に、ローラと山下真司のトンチンカンな会話のBlu-rayレコーダのCMがある。
< http://www.sony.jp/bd/special/ >

一見、おちゃらけた表現だが、よく見てみればただまじめに製品の機能を説明している。ユーザーにとっての利益を説明してくれている。

もう大丈夫だ。もう大丈夫だよ、ソニー。

ぼくは今、ソニーを愛している。

【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学准教授】
< twitter:http://www.twitter.com/makio_matsumura >
< http://www.makion.net/ > < mailto:makio@makion.net >

「よくわかるiPhoneアプリ開発の教科書(森 巧尚著)」の最新版、【iOS 6&Xcode 4.6対応版】が4/9に出ます。今回は歯車をモチーフにした表紙イラストを描きました。よろしく♪
< http://www.amazon.co.jp/dp/4839945330 >


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■グラフィック薄氷大魔王[340]
「知らないモノはおもしろくない?」「3Dプリンタ、すでに陳腐化?」

吉井 宏
< http://bn.dgcr.com/archives/20130403140100.html >
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●知らないモノはおもしろくない?

何にも似ていなく、何も連想させないようなモノってつまらないよね。何かを想起させたり、知ってるモノとの微妙な距離が「おもしろさ」の正体じゃないかなと。だから、自分に関係なく興味の手がかりもない知らないモノっておもしろくない。ってことは、他人が感じる面白さって推測不能じゃん!

「すごい大傑作ができた! これは深いぞ! オレが積み重ねてきた美意識の結晶!」な作品がスルーされ、「数合わせのテキトー作品」ばかりがなぜか絶賛される現象の謎がそれで解けたわ。僕が何かで体験した「深くてマニアックな感動」を他人は経験したことないわけで、単に知らないモノになっちゃうわけだw

つまり、僕と作品を見る人との間に共有できてない多くのものがあるってこと。あまり意識したことないけど、やはり、興味を引くためのフックっていうか手がかりっぽいモノを組み込んでやる必要があるわけね。興味を持ってもらえなくては意味がない娯楽作品・商業作品では特に。自然に受け入れてもらえる部分と、見慣れない新しさとのバランス。

以前、町山智浩氏のポッドキャストで「自分に関係ない話や現実から離れすぎた話は映画としておもしろくなりにくいので、脚本家は『テクニック』として現実の事件や人生に起きる様々なことを入れ込んで、『この話、なんかわかるぞ共感できるぞ』って感じてもらうようにする」って聞いて、イラストやキャラクターとかでも同じなんだろうなあと思ってたのでした。

●3Dプリンタのニュースがすでに陳腐化?

このニュース。「日本に数台しかないソリューションで制作した3Dフィギュア"栗原類"が完成」
< http://news.mynavi.jp/news/2013/03/28/094/index.html >

ショック! なんちゅうか、「話題/ニュース」的に、すでにフルカラー3Dプリンタが陳腐化しちゃってる〜〜! こんなの一般人だって喜ばないだろう。人やモノを3Dスキャンして、3Dプリントしてミニチュア化フィギュア化するってこと自体、元々おもしろいわけじゃないもんね。もうみんな飽きてると思う。テレビや雑誌でもたくさん特集されたし。

類くんが登場したのは、3Dプリンタを駆使した人形アニメ映画「パラノーマン ブライス・ホローの謎」の宣伝イベント。なので、類くんをフィギュア化して3Dプリンタの威力を見せる意味はちゃんとある。

しかし、類くんフィギュアを見て「へー! すごーーい!」って言い終わったら、もうそれ以上何の反応も示しようがないもんね。江戸時代に写真を初めて見て「へー! すごーーい!」って言ってた段階と同じ。

で、この「へー! すごーい!」以外に反応のしようがない状態ってのは、3D/2Dプリンタ出力物に限らず、ディスプレイ上で3Dモデルをぐるぐる回せるライブ3D表示にしたり立体視にしたりってのにも共通する「どん詰まり感」がある。その状態以上に動かず、進展しないことがわかってるからだろう。

(余談。よく、「大丈夫だよ。3Dでキャラクターをぐるぐる回して見れるだけでも十分おもしろいよ!」って言う人もいます。僕はさんざんやってみたのですが、ものすごく、激しく、つまらんです!! つまらんどころではなく、回して見たその3Dキャラクター自体に興味がなくなってしまうという、怖ろしい弊害すらあるのです! 360度見てしまうと、もう知りたい部分がなくなってしまう)。

3Dデータそのものに利用価値があるのであって、3Dプリンタ出力物は、プロジェクターで壁に投影された静止画と同じくらいの価値しかないと思う。そのへん、昔、大きくプリントされた写真やデジタル絵にぜんぜん価値を感じないけど、その理由は? と考えたことと同じだろう(表参道3D写真館の場合は、家族写真/記念写真というはっきりした目的があるためか違和感はない)。

この記事では、3Dプリンタ等の機器が2000万円で類くんのフィギュアは7万円などと書いてあるから、投影物でしかないものとのギャップをどう心が埋めようか悩んでしまうのが、僕の違和感だと思う。

なんでこう粘着的に書いてるかというと、先週書いたように、「3Dプリンタ出力物は作品になり得るか」ってのをまだまだ悩んでるのです。投影物にすぎない3Dプリントをどうしたら価値が伴う「作品」にできるのかって。

類くんフィギュアや表参道3D写真館みたいな現物のミニチュア化ではなく、自作のフィギュアやオブジェの実体化なら、もうちょっと面白みがあるというか造形そのものを鑑賞する姿勢にはなると思うけど。それ以上の何かないのか? ジブリやピクサーの3Dゾーエトロープはうまいこと価値を見出したよなあ。

この「パズルのピースがうまくはまらない感じ」ってのは、工業製品の試作等に普通に大活躍している3Dプリンタが一般に知られてきて、娯楽方面に使えるかどうか、しっくり来る使い方はないか、模索してる状態なんだろうな。

●告知! 銀座と日本橋の三越ショーウインドウに吉井作品

銀座三越と日本橋三越本店のショーウインドウに吉井作品登場〜! 各4か所計8か所のショーウインドウと、館内のあちこちにもマネキンとともに展示されてます。来月後半まで。ショーウインドウとしての構成やデザインは、ヤマトマネキンや三越のプロの人がやってます。

< http://yoshii-blog.blogspot.jp/2013/03/blog-post.html >

マネキンは昨年末にエコプロダクツ2012で発表されたものです。
< http://yoshii-blog.blogspot.jp/2012/12/tdw.html >

●告知2! Toy Art GalleryにYoshii作品

ロサンゼルスの有名Toyショップ&ギャラリーに、ひょんな事から以前作ったフィギュアが展示販売されることになりました。

< http://yoshii-blog.blogspot.jp/2013/03/toy-art-galleryyoshii.html >

【吉井 宏/イラストレーター】
HP < http://www.yoshii.com >
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/ >

新年度が始まった。1月新年に出遅れても今からがんばれば大丈夫! 4月始まり手帳みたいに。僕的には、昨年からじっくりと腰を据えていろんなことやろうと思ってたのに、周囲が予想外にどんどん動き出してしまい、あたふたしてる最中〜。

・iPhone/iPadアプリ「REAL STEELPAN」ver.2.0がリリースされました。
REAL STEELPAN < http://bit.ly/9aC0XV >
・「ヤンス!ガンス!」DVD発売中
amazonのDVD詳細 < http://amzn.to/bsTAcb >


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編集後記(04/03)

●高橋克彦の新作「ツリー」を読む(双葉社、2013)。上下巻で約850ページもの長編だ。しかし、ほとんど会話で話が展開するスタイルって、文芸の品格からいってどうなの? って気もするが、ともかくスイスイ先に進み、3日間であっけなく読了した。プロローグからは、東北の「かくれ里」の超能力がらみの話かと思う。結果として、その予感は合っていたのだが、荒唐無稽さは想定をはるかに超えて、UFOや終末論をまじめに論ずる高橋克彦ワールド全開という感じだ。

この小説は結末をばらしてしまうと、これから読む人は興味半減、というか読む気がうせるかもしれないので、「BOOK」データベースの商品解説の引用(一部編集した)でとどめるのがマナーであろう。

[ある新人賞に驚異的な小説が応募されたことから物語は始まる。書評家の私は、編集者から頼まれて、連絡のつかない作者・風森大樹を捜しに本籍地の青森に行くが、杳として行方が知れない。捜索の手伝いをしてくれた若者が不審な死を遂げ、事態は急転する。風森の一族は特殊な能力、技術を隠し、ひっそりと暮らしてきた。その力の獲得を目論む組織が介入し、戦いが始まる。情勢は混沌としてまったく予断を許さない。行動をともにする謎の女、名美。彼女の恐るべき能力が明らかになり、予想もつかないフィナーレへと導かれていく]

終わってみればわずか10数日間の出来事だが、事態はどんどんエスカレートしていき、先が読めない。やはりそうくるか、とはならずに、なんでそうなるの、という方向へ進むのだから、もう物語に身を任せるしかない。面白いことは面白い。でも、最初の不審死は風森側の早とちりだとか、寛容すぎる風森の一族とか、ちょっとおかしな設定が気にはなる。ツリーとは樹木ではなく系統図の意味らしい。ジャンルでいえば伝奇かSFか。高橋克彦おなじみトンデモ世界。壮大というか、無責任というか、苦笑のエンディングであった。  (柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4575238015/dgcrcom-22/ >
高橋克彦「ツリー」


●ソニーの囲い込み戦法でもPCだけは対抗したわ。MD不便だった〜。/ショーウィンドウを生で見たい〜。「4月始まり手帳」でがんばろ。

続き。で、この放送局のことが気になり、翌日昼からラジオをつけた。日曜日のようなクリアな音ではないものの、雑音は気にならない程度。また延々と音楽を流している。13時半になって、音楽が中途半端に途切れ、違う音楽がかかる。あれ?

と、関西弁が聞こえてきた。何やら番組が始まっていた。注意して聞いていたわけはないので、どこの放送局かわからないまま。曲の説明やら、ライブ開催日のことやらが聞こえる。と、放送局の名前をDJが口にした。やはり10km先のところだ! ここのサイトには番組表がなく情報もほとんどなかった。3年前から開局しているらしい。

番組は1時間で終了。終わるとまた音楽。サイトに情報はなく、DJもいないもんだから、曲名やアーティスト名なんてわからない。気になってiOSアプリ『Shazam』起動。10秒ほど聞き取って、曲名を表示してくれる。これがなかったら、歌詞を聞き取っての検索になってたわ。 (hammer.mule)

< http://www.shazam.com/ >
Shazam。AndroidやWindows Phone、BlackBerry対応アプリあり
< http://ja.wikipedia.org/wiki/エフエムさかい >
地域の様々な活動や意見を発信するため、柔軟な対応が必要であり、詳しい番組表を作成することが難しい
< http://blog.livedoor.jp/thp_cfm/archives/51674084.html >
放送時間は平日の9:30-10:30、11:30-12:00、13:30-14:30で、ホールの休館日となる水曜日は放送もお休み(終日ミュージックバードの再送信)
< http://www.egoistjam.net/index1.html >
この番組はサイトもってるわ「EGOISTJAM」