[3463] あの赤いテキストをもう一度

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《「いいね!」の便利さは異常》

■アナログステージ[96]
 あの赤いテキストをもう一度
 べちおサマンサ

■デジアナ逆十字固め...[131]
 驚くべき鳥瞰図絵師の仕事
 上原ゼンジ




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■アナログステージ[96]
あの赤いテキストをもう一度

べちおサマンサ
< https://bn.dgcr.com/archives/20130416140200.html
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あれやこれやと、いろいろ文句ダラダラでmixiを批判してきたが、先日、運転中にNapalm Deathを爆音で聴きながら、フと「なんだかんだ文句言いながらも退会していないのは、まだ彼女(mixi)のことが好きなんじゃないの?」って、プチバン(※1)しながら考えていた。

(※1:運転中や電車の中など、周囲の環境を配慮して、おもいっきり頭振れないので小刻みに控えめに頭を振る、ヘッドバンギングの控えめバージョン。たまに電車の中でブンブン振っている猛者もいるが、エキサイトしている気持ちは分かるが、周りからみると気の毒なだけなので、注意が必要。)

都度、デジクリで少しだけ触れたりしているけれど、mixiでしか繋がっていない友人も、まだまだたくさんいたりする。そんな友人たちへ、近況報告の意味合いも兼ねて、デジクリの更新(自分の配信)と、ポスタラ(Posterous)の更新をお知らせするだけに、mixiの日記を使用している。とくに意識しているわけではないのだけれど、プライベートな話は一切書かなくなってしまった。

2009年から2010年にかけて、自分の中で、どのような環境変化(ネットもリアルも)があったのかを思い出してみると、リアルでは社蓄廃人の真っ只中。ノイローゼ気味で、なにをしても面白く感じることができず、とにかく休息だけを欲していた時期だったようだ。よく挫けなかったと自分を褒めておこう。

ネットでの環境変化はというと、Twitterにどっぷり浸かっている状態(いまでもTwitterに浸かってはいるけれど)で、FacebookやほかのSNSは、気が向いたとき......というよりも、存在を思い出したときに更新するくらいで、殆ど出没していなかったようだ。

ちなみに、2010年1月に書いた、年明け一発目の日記に、廃人臭がプンプンしているのが分かる。

◆◆ 
あけまして おめでとうご。:2010年01月30日13:23

マイミクのみなさま、新年あけまして おめでとうございます。
今年も宜しくね、よろしくね、ヨロシクね。

ということでですね、最近の動向は、ネットだとTwitter にしか出没してませぬ。Posterous は、ミクと一緒でぜーんぜん更新してませんでしたけど、ボチボチ再開していこうかと。ぶるんぶるん。

(中略)

べちお家は相変わらず。年末に、ヨメと世紀の大喧嘩をしたくらいで、あとは平常。あまりのアホっぷりに、真剣に家出しよーかとおもーたです、ハイ。子供たちは大きくなっているからいいけど、イヌたちが心配だったので、家出決行できず。むねんむねん。

仕事は相変わらず... というより、さらにヘビー。とにかく会社全体が忙しい。ぜーんぜん追いついてない状態。いまは、技術提携しているベンダーさんのところへ出向中
◆◆

そうか、この頃は某社へ出向中だったのか。楽しかったな。唯一の心の逃避所になっていたんだわ。過去にデジクリで書いたコラムでも、2009年から2010年は、SNSが劇的に動いた時期だったのが、自分の過去ログを漁ってみて、よく分かる。

・アナログステージ[47]日本SNSは鎖国状態
< https://bn.dgcr.com/archives/20101214140300.html
>

●時系列で追いかけてみると明確になった

オイラの中で、mixi離れとなった直接の原因というものは、実は、特になかったような記憶がある。mixiの代表コンテンツというか、『売り』でもあった日記も、一時期の勢いは失せているものの、2009年の年末まで書いており、2010年1月から殆ど書いていない。では、なぜmixiから離れてしまうことになったのか、2009年中の、mixiの大きな変化を調べてみた。

・2009年07月:青少年保護施策の実施及び規約改定
・2009年07月:mixiミュージック終了の
・2009年09月:「mixiボイス」リリース
・2009年10月:「mixiアプリモバイル」リリース
・2009年12月:サイトデザインリニューアル

簡単にだけど、こうやって時系列で纏めると、なんで離れてしまったのか、よく分かった。招待制であり、未成年が立ち入りできなかったmixiという領域に、2008年からオープンになったこと。2010年には、完全招待制ではなく、登録制に移行したのも嫌気が差していたんだった。

「完全招待制」という鎖国空間で、優越感と安心感に近い感情を含んでいたものが、登録制になった瞬間に、オイラの中でmixiという価値を一気に下げた。そこには、知らないヒトは存在しなく、リアルの延長で安心して遊べる仮想空間だったものが、運営者の手によってとり壊されたような気持ちだ。

mixiミュージックの終了は、個人的に好きなコンテンツだったので、大げさに騒ぐ原因ではなく、ちょっと残念だっただけ。2009年9月のmixiボイスは、正式リリースするまえは、「エコー」とかいう名称で、Twitterの丸パクリコンテンツを、Twitterを知らないユーザーに、「うちが開発したんですよ! どうですか、面白いでしょ!」チックに宣伝していたのが気に入らなかった。

この辺から、mixiの『他所様アイデアパクリ道中』が始まったと言っても過言ではない。次に、2008年に登場したアプリ(ゲームコンテンツなど)が、2009年には、mixiの主要コンテンツとして加速してしまい、さらにサンシャイン牧場の大ブレークで、なにを売りにしているSNSだったのか、ユーザーも運営も迷走。

「これは金になる!」とアプリに力を入れだした運営だけれど、ゲームコンテンツが長続きするわけがない。終わり(結末)があるからゲームも映画も面白いのであって、終わりがないゲームや、結末が意味不明な映画など、誰が面白がって愉しむのだろうか。

サンシャイン牧場も、あまりの人気っぷりに、ストーリーとして終わるに終われなくて、植物や家畜を育てて収穫するだけの、ほのぼの純情なゲームが、畑では雛人形や大仏を育て、牧場では、酔っ払いのオヤジやティラノサウルスを育てて収穫するまでに至った。

オイラはもう2年くらい放置しているので、近況は知らないけど、80回ローンのマイカーとか、Eカップのブラジャーなんてアイテムを育てるくらいに進化していたり。

最後にサイトリニューアル。何回かデザインを含めた変更があったが、仕様的な変更がでたのは、この時期だった記憶がある。「玄関」だけに、大幅な仕様変更をリリースするのは、運営も肝が据わっているというか、何も考えていなかっただけなのかは知らないが、これがユーザー離れの本当の一因だったと、オイラは捉えている。

日記にコメントがついたときの、「○件の日記に対して新着コメントがあります!」という赤いテキスト。あの表示が出るのを楽しみに日記を書いていたのもあった。あの赤いテキストをみて、「うは、誰からのコメントだろう、にょほーん」とワクワクしながら、コメントがついた日記を覗いたり。

しかし、いまは「いいね!」で終わってしまう味気なさ。コメントも残せるが、「いいね!」の便利さは異常で、その便利さは、Facebookマニアなヒトならご存知で、これが離れる一番の原因になったというよりも、「まったく面白味がなく、どこにでもあるサービスをただ付けただけ」の存在に成り下がってしまっている。

そんなどこにでもあるようなサービスを、我がもの顔で付けていても、オリジナルに勝てるわけがない。オリジナルを超えて、いずれはオリジナルとなるような進化も見受けられないし、「あそこがこれやってるからウチも」みたいな、ついでに機能の枠に留まっている。

考えるに、mixiが再度SNSとしての地位を取り戻すためには、GREEやモバゲーのようなゲーム屋でも、Twitterのようなつぶやき機能でも、Facebookのような、同級生や同僚を探す、ストーキング機能でも、もちろん「いいね!」でもない。もともと持っていた、鎖国空間での日記を主軸に戻すべきだ。

来年は、mixiをスタートしてから10周年。これをきっかけに、2004年に登場したときのような楽しさが戻ってくることを願いたい。せっかく、ここまで企業として成長させてきたわけだし、もともと潜在しているコンテンツもあることだし、いちユーザーの意見として、mixiには頑張っていただきたいです。

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp
NDA拘束員であり、本当の横浜を探しているヒト。ぶら撮り男子。
Twitterはコチラ→< http://twitter.com/bachiosamansa
>
まとめはコチラ→< http://start.io/bachio
>

△▼過酒雑記──今日の酒は明日の肥し▼△

どうにもこうにも時間が流れていくばかりで(あたりまえなんだけど)、ひとつのことに、ゆっくり時間を割いている余裕がない。時間の余裕がないってことは、気持ちの余裕も失う。気持ちの余裕を失うということは、相手への気配りがまわらなくなる。そこに待っているものは......。

ムスコがカメラに興味を持ち始め、パパ、ちょっと嬉しい。ヨドバシでニコンやキヤノンのカタログを大量に持帰ってきて、「どんなのが撮りたいの?」など会話が弾む。一方、ムスメはまたおかしな方向へ旅立ちはじめており、「この自由っぷりはどこから産まれてくるんだろう」と親ながら不思議。


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■デジアナ逆十字固め...[131]
驚くべき鳥瞰図絵師の仕事

上原ゼンジ
< https://bn.dgcr.com/archives/20130416140100.html
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「大江戸鳥瞰図」立川博章著(朝日新聞出版)という本が刊行された。この本は友人が著者から書籍化の相談を受けて、出版社に持ち込んだものなのだが、最初から話を聞いていたので、本という形になりちょっと嬉しい。

友人というのは、美学校で赤瀬川原平さんに教えていただいていた時の同級生の森伸之。『東京女子高制服図鑑』という本を1985年に著しロングセラーとなった、女子高生の制服研究での第一人者だ。

赤瀬川さんの教室は考現学研究室という名称だったが、これは今和次郎が提唱した考現学からとったもの。今和次郎の考現学は、考古学のようなアプローチの仕方で現代を客観的に観察する学問だが、森伸之の制服研究も客観的な視線で行われ、写真を用いず、観察とスケッチによるフィールドワークから完成されたものだ。

そして「大江戸鳥瞰図」の著者である立川博章氏は、やはり美学校時代の別の友人のお父さん。元々は東宝でゴジラを始めとする映画美術に関わってこられた方だ。

その後、大阪万国博覧会、沖縄国際海洋博覧会、六本木ヒルズ、幕張メッセなどの企画策定に携わられ、2003年から東京新聞で江戸時代鳥瞰図を書き始める。リクエストに応えるような形で江戸全体の鳥瞰図を書くことに取組み始め、今年その作業が完成した。

パソコンなどは一切使わず、ロットリング(製図ペン)で緻密に仕上げた労作。一枚の大きさが162cm×82cm。それが全部で29枚あり、繋ぎ合わせると7.2m×6.4mになるそうだ。

鳥瞰図だから、空の上に視点があるわけだが、それが三浦半島の上空6万6000メートルに設定してあるらしい。もちろんそんな所から眺めてスケッチをしたわけではなく、設定した場所からどう見えるのかを計算して仕上げたとのこと。

季節は初夏の晴れた日の午前3時に設定してあるそうだ。それを想像しながら緻密に描き上げるというのは、まったく途方もない作業だと思う。

本の構成としてはまず鳥瞰図が見開きであり、次の見開きでその地図上に現在の主要建築物や鉄道路線などが記載され、現在のどこにあたるのか分かる仕組みになっている。トレーシングペーパーなどではなく、すべて同じ紙なので、めくりやすいし、分かりやすい。

この地図を見て改めて分かったのは、皇居を中心とする都心部には武家屋敷などが密集していてかなり栄えていたんだなということ。それらの多くはすでにないわけだが、瓦屋根の家々がずらりと並ぶ光景はかなり壮観。

吉原遊郭なんかも整然と家屋が並んだ様子、というのは今までに見たことがなかったが、ちょっと江戸時代に行って散歩をしてみたくなるようなリアリティーを持った地図だ。

逆にちょっと都心を外れて郊外に行けば、すぐに田んぼや林ばかりになってしまう。電車もなかったわけだから郊外に行くには時間もかかるし、都心と田舎の落差というのは大きかったんだろうな。

A4変型判で2600円なので、書籍としてはリーズナブルでいい本に仕上がっていると思う。でも、これとは別に電子書籍版というのも見てみたいと思う。

超高精細画像をどんどん拡大していく技術にはギガパンなどいろいろあるけれど、この鳥瞰図をiPadなんかで拡大して見られればけっこうな迫力だと思う。

元データが原寸で7.2m×6.4mもあるわけだから、かなり拡大のしがいがあるはずだ。それと現在の航空写真とをうまく連動できれば、面白いコンテンツができそう。

6年がかりでコツコツの仕上げた鳥瞰図絵師の仕事は称賛に値する。美術館で原画を展示しても迫力があるだろうし、多くの人の目に触れるようになればいいと思う。

◇「大江戸鳥瞰図」(朝日新聞出版)
< http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=14809
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◇江戸鳥瞰図ホームページ
< http://hoshi-kohboh.art.coocan.jp/birdview/birdview-index.html
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◇東京スカイツリー鳥瞰図
< http://hoshi-kohboh.art.coocan.jp/birdview/image/map/skytree/map-sky-tree >

【うえはらぜんじ】zenji@maminka.com < http://twitter.com/Zenji_Uehara
>
上原ゼンジのWEBサイト
< http://www.zenji.info/
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Soratama - 宙玉レンズの専門サイト
< http://www.soratama.org/
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上原ゼンジ写真実験室のFacebookページ
< https://www.facebook.com/zenlabo
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編集後記(04/16)

●「懲りない男」といわれているわたしは、またまた白雪姫映画DVDを見てし
まった。日本では劇場未公開の「アドベンチャー・オブ・スノーホワイト」(2012、アメリカ)である。パッケージを見ると、弓矢を構えるあかぬけない娘が白雪姫で、とても高貴に見えない男が王子で、意地悪そうな熟女が黒の女王で、チャチなCG造形の魔獣と魔犬(?)が吼えている。まさしくこの通り、とってもチープな仕上がりである。有名タイトル便乗・模倣で知られる、B級オリジナルビデオ映画会社のアサイラムの制作だ。

全体にいい加減な作品だが、大問題は俳優のクオリティだ。鏡からは世界一美しいと賞賛される女王さまがナントモ。目つきが悪く口元のいやしい中年女で、美しさからはほど遠い。そのまんま魔法使いの老婆をやれといいたいくらいだ(お約束通り老婆に化ける。ただしリンゴはない)。

鏡からはその女王さまより美しいといわれる白雪姫は、顔の造作がでかい芋娘で、あろうことかブロンドで、うす水色の衣裳着たきり雀で、どこがお姫様やねん。まるで不細工なアリス。嗚呼、本家「スノーホワイト」は美しかったな、この二人。

本家では影の薄かった王子が、こちらではそこそこ活躍するが、衣裳は質素で、見た目はフィギュアの高橋大輔だから、王子らしい風格がない。もっとも、政略結婚で黒の女王に近づくのに、直前に白雪姫をみそめてあっさり乗り換える男だからな。エルフのリーダーは若き日の楽太郎だし、山の上で青い火を守るのは嶋田久作だし......そう見立てて楽しむ。

見せ場のひとつであるはずの魔獣と魔犬のCGはお粗末で、しかもこいつらは意外に弱い。登場人物も少ない。姫と王子とエルフ7人、後から助っ人が数人、女王側だって数10人だろう。整列した兵士群のシーンは静止画のようだ。ところが、ストーリーは意外におもしろい。BC級マニアにはおすすめだ。とくにラストの白雪姫と女王の個人戦のあっけなさに大笑い。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00A21LI1M/dgcrcom-22/
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「アドベンチャー・オブ・スノーホワイト」


●昨日の続き。地震自体は、建物が免震構造のためか、そんなに揺れはせず、何ひとつ落ちたり倒れたりせず。室内干しの竿がぎぃぎぃと揺れたぐらい。

免震とはいえ、長時間揺れ続けたらどうなるかはわからない。東日本大震災の時は、建物自体がきしみ、大きくスライドした。遊園地の子供向けアトラクションぐらいには。震源地から遠い大阪なのに。この時は倒れたものはあっただろうか。覚えていない。上階の奥様宅だと引き出しが少しだけ開いていたそうな。

今回、甥1号、3号は泣いたそうだ。2号は寝ていたらしい......。親戚はすぐに玄関のドアを開けに行ったとか。(hammer.mule)

< http://www.jssi.or.jp/menshin/m_kouzou.html
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免震建築ビデオ。バンパーが古くなったり、想定以上の揺れ・時間だともたないが。