[3471] 高橋三千綱さんを巡る35年

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《デジクリ文庫『怒りのブドウ球菌』がKindleストアに登場》

■映画と夜と音楽と...[587]
 高橋三千綱さんを巡る35年
 十河 進

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 デジクリ文庫『怒りのブドウ球菌』がKindleストアに登場
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■映画と夜と音楽と...[587]
高橋三千綱さんを巡る35年

十河 進
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〈スローなブギにしてくれ/天使を誘惑/九月の空〉

●高橋三千綱さんの新作は「猫はときどき旅に出る」

村上春樹さんの新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ後、久しぶりに高橋三千綱さんの新作「猫はときどき旅に出る」を読んだ。主人公は「楠三十郎」という、まるで時代劇の主人公のような名前を付けられた小説家で、「私」の一人称で語られる。物語は、高橋三千綱さんが芥川賞を受賞して売れっ子作家になった頃に重なる。主人公は南極大陸にいこうとしたり、映画を制作したりする。

物語の現在時は「『1941』を翻訳している」という記述があるから、1979年から始まり、映画制作を始め公開されるところまでが語られる。おそらく1983年までの数年間の設定だ。その間にアメリカへ私費留学していた頃の思い出が挿入されたり、作家になってからの様々なことが回想される。スピルバーグの「1941」(1979年)公開に合わせて原作本が出たとき、実際に高橋三千綱さんが翻訳を担当していた。

「猫はときどき旅に出る」は、自身の子供の頃からの放浪癖を表しているタイトルなのだろう。売れない小説家の父親を持ち、借金を抱えた一家を支えたのは保険の外交員だった母親だ。ただ、テレビやラジオで子役として活躍していた三千綱さんは、小学生の頃は目立つ存在だった。初期の小説には、学校にいくと女の子たちに取り囲まれたという記述があった。

僕が初めて高橋三千綱さんの小説を読んだのは、初長編「葡萄畑」だった。当時、僕は文芸誌を定期的に買っていたのだけれど、「葡萄畑」が一挙掲載されたとき、各誌の文芸時評が一斉に取り上げて絶賛した。それまで短編集を四冊出していた新人作家は、どこか軽薄な印象を持たれていたらしく、カリフォルニアの日系人や移民たちが働く過酷な葡萄畑での体験を真っ正面から取り上げた長編を「やっと本気を出した」というニュアンスで評価されたのだ。

「葡萄畑」は圧倒的に好評だったが、同じ年に文芸誌に書いた連作小説で高橋三千綱さんは芥川賞を受賞する。その選評では多くの選者が受賞作の「九月の空」ではなく、「葡萄畑」についてコメントしていたと記憶している。「葡萄畑」で実力を認められたから受賞したのだ。「猫はときどき旅に出る」の中でも、私費留学していた頃、まとめて稼げる葡萄畑に働きにいくエピソードが語られていた。

「葡萄畑」を読んだ僕は、「退屈しのぎ」「彼の初恋」「グッドラック」「怒れど犬」「九月の空」「さすらいの甲子園」を買い込んで読破し、その後は新刊が出ると必ず買った。「天使を誘惑」「よろしく愛して」「いつの日か驢馬に乗って」などである。1978年から1982年にかけての僕にとって、高橋三千綱さんの本はそういう価値があったのだ。今でも処女作品集「退屈しのぎ」を読んだときの鮮やかな印象は忘れていない。

高橋三千綱さんは、「退屈しのぎ」で講談社の文芸誌「群像」新人賞を受賞して作家になった。1974年のことだった。26歳の新人作家の登場である。2年後の「群像」新人賞は、「限りなく透明に近いブルー」である。作者の村上龍は23歳。そのまま芥川賞を受賞し、大ベストセラーになった。僕は自分より年下(後に同じ学年だとわかったが)の男が受賞したことにショックを受けた。

村上春樹さんが「風の歌を聴け」で「群像」新人賞を受賞するのは、さらに3年の月日が流れた後だった。このとき、友人から電話があり「今度の群像新人賞はいいぞ。読め」と言われた。確かによくて僕は友人に感謝し、作者が2歳上だったことに安心した。以来、村上春樹さんの本は小説もエッセイもすべて読んできたが、あれほど熱心に読んでいた高橋三千綱さんの本はいつの間にか読まなくなった。

●「スローなブギにしてくれ」では本気で役者をやっていた

1981年の春、「スローなブギにしてくれ」(1981年)を見ていた僕は、突然スクリーンに登場した高橋三千綱さんに驚いた。さち乃(浅野温子)がゴロー(古尾谷雅人)と喧嘩をして深夜の街に飛び出し、フラフラ歩いている。そこへ軽トラックのような車に乗った男ふたりが現れる。作業服を着たふたりのおとこは、好色そうな視線を交わす。トラックの窓から身を乗り出したのは、間違いなく高橋三千綱さんだった。

ふたりの男の様子を見て、さち乃は逃げ出す。男たちが追う。次のシーンではレイプされたことをゴローに告げ、ゴローが「どうして舌かんで死ななかったんだよー」と身勝手にさち乃をなじるのだった。ゴローは男たちが働く現場を見つけ出し、近くの空き地へ呼び出す。その後のシーンが曖昧なのだが、鉄の棒を握って立つゴローに、「助けてくれ」とすがっている高橋三千綱さんの姿が浮かんでくるから、たぶんそんなシーンがあったのだろう。

それにしても...と、僕は暗い映画館の椅子に座って思ったものだ。「何もレイプ犯の役をやることはないんじゃないか」と。高橋三千綱さんは三年前の芥川賞作家であり、その当時は年に何冊もの本を出し、出せば売れる流行作家だった。少しのっぺりしているが、甘いマスクが自慢だったのだろうか。子役をやっていたから、演技に自信があったのだろうか。独特のハードボイルドな印象を与える文体が、僕は好きだったのに......

それがきっかけではなかったと思うけれど、「スローなブギにしてくれ」公開の翌年に出た「真夜中のボクサー」から、僕は高橋三千綱さんの本を買わなくなった。その年の秋、青春出版社から出たエッセイ集「こんな女と暮らしてみたい」がベストセラーになっていたが、そんなタイトルのエッセイを買う気にもなれず、そのまま僕と高橋三千綱さんの縁は切れた。

その後、高橋三千綱さんは劇画の原作も手がけ始めた。「我ら九人の甲子園」は野球マンガだった。タイトルは間違いなく柴田連三郎の「我ら九人の戦鬼」へのオマージュだ。「我ら九人の戦鬼」は、昔、栗塚旭が主人公の多門夜八郎を演じた連続テレビドラマがあり、おそらく高橋三千綱さんはその番組が好きだったのだ、と僕は思った。しかし、僕はもう「漫画アクション」を読むのはやめていた。

その後、ゴルフ漫画の原作も手がけ、ゴルフ雑誌での連載が増えた。数年前、名門だと聞く霞ヶ関ゴルフコースで僕の会社のゴルフコンペがあったのだが、そのとき隣で開かれていたのが講談社主催の「野間杯」だった。あいにくの小雨で、ハーフを終えて雨具を脱いでいた僕のすぐ横に、高橋三千綱さんがいた。「あっ」と思って見渡すと、「プロゴルファー猿」の安孫子素雄さんがいた。伊集院静さんがいた。

先日、講談社の人と会ったときに作家たちの話になり、「そう言えば数年前、高橋三千綱さんや伊集院静さんをゴルフコンペで見かけました」と言うと、「小説家でゴルフが上手なのは大沢在昌さん、伊集院静さん、それに高橋三千綱さんですね。三千綱さんは、本気でプロになろうとしていたんですよ」と言う。うーん、何でものめり込んじゃう人なのか、よく言えば集中する人なんだな、と僕は思った。

●15歳の剣道少年を主人公にした瑞々しい青春小説

「九月の空」は、とても好きな短編集だった。「五月の傾斜」「九月の空」「二月の行方」の三編が収められている。主人公は、15歳の剣道少年だ。高校一年生である。「五月の傾斜」で新しく始まった高校生活が語られ、「九月の空」では剣道の試合でのヒリヒリする緊張感が描かれ、「二月の行方」では売れない画家である父親との葛藤が顕わになる。その小説は、こんな風に始まっていた。

──半年前、刃をふりかざして吹きつけてくる寒風に、首を縮めた。肩に力が入り、骨が軋む。たまらずに背中を丸めると、耳が持っていかれ、顔だけ上げると鼻が削がれた。入学したいと思っていた高校を下見に行く途中でぶつかった十二月の風を見て、勇は芯から凍った躯の中央に、一本、確かな自覚を備えた緊張感が張りつめるのを感じた。

僕は、26歳だった。就職して3年余りが過ぎていた。その年の秋、僕らは3年目の結婚記念日を迎えた。僕は小説家になる夢を諦めず、六畳の部屋の片隅で原稿用紙を広げ、買ったばかりのペリカンで升目を埋めていた。朝、起きて会社にいき、夜、戻ってくると近くの銭湯に出かけ、その頃はまったく自宅では酒を飲まなかったから、本を読むか原稿を書いた。すぐ横でカミサンがテレビのバラエティ番組に声を上げて笑っていた。

その頃の僕は、兄の世代の作家たちが気になっていた。高橋三千綱、中上健次、立松和平といった人たちの作品をよく読んだものだ。もちろん、独特な作風で登場した村上春樹という作家も欠かさずに読んでいた。しかし、当時の僕は、ヘミングウェイばりの乾いた文体を持つ高橋三千綱さんに最も惹かれていた。情感を削りとり、サディスティックなまでにクールな文体だった。書いている自分を完全に客観視していた。

そんな文体で描かれる主人公の高校生活は、非常にリアルだった。僕自身が10年前に送っていた現実の高校生活を甦らせた。僕の隣にいるカミサンが高校の同級生だったことが、よけいに高校生活を振り返る要素になったのかもしれない。僕は3年間、毎年、参加していた剣道の寒稽古を思い出した。そして、その寒稽古で相手をしてくれていた剣道部の同級生が自殺したことも......

彼が、なぜ自殺したのかはわからなかった。何かを思い詰めたのか、どちらにしろ生きていく気を失ったのだ。僕は衝撃を受けたけれど、その後の10年間を生き抜き、出版社に入り、高校の同級生と結婚して阿佐ヶ谷の狭いアパートで暮らしていた。僕は遠くを見るような思いを抱いた。「九月の空」は、そんな風な感慨を僕にもたらせ、忘れられない短編集になった。それから数ヶ月後、松竹映画「九月の空」(1978年)が封切られた。

●「九月の空」は山根成之監督によって映画化された

もう20年以上前に55歳で亡くなった山根成之監督は、アイドル時代の郷ひろみ主演映画や「愛と誠」シリーズなどを撮り、青春映画の巨匠と呼ばれていた。アイドル映画の中で鈴木清順ばりのシュールなカットを散りばめ、独特の情感を描き出す手腕は高く評価された。何本も組んだ郷ひろみも信頼していたのだろう、「九月の空」にカメオ出演している。

主人公の小林勇を演じたのは、板東正之助だった。売れない画家の父親が長門裕之、保険の外交員として一家を経済的に支える母親が野際陽子、姉が風吹ジュンである。同級生の女生徒を演じたのが、当時、アイドル歌手として人気があった石野真子だった。剣道の試合シーンが頻繁に出てくるが、さすがに山根監督は印象的に描いた。瑞々しさが匂い立つのが山根作品の魅力だった。

高橋三千さんにとっては、初めての自作の映画化だった。翌年、しらけた主人公たちが登場する青春映画を作らせたらピカイチの藤田敏八監督が「天使を誘惑」を映画化する。主演は、山口百恵と三浦友和のゴールデンコンビである。それにしても「天使を誘惑」(黛ジュン「天使の誘惑」)や「よろしく愛して」(郷ひろみ「よろしく哀愁」)といったタイトルを平気でつけるのが、高橋三千綱さんの気取らないところである。

元々、高橋三千綱さんは映画制作に関心があったに違いない。「天使を誘惑」で知り合った藤田監督が「スローなブギにしてくれ」を作るとき、「出演しないか」とか「出演させてくれないか」といったやりとりがあったのだろう。その結果、僕が映画館で驚くことになった。

現場を経験したことで、たぶん映画への情熱は高まった。高橋三千綱さんは自作「真夜中のボクサー」(1983年)の映画制作へと邁進する。原作者であり、制作者であり、さらに脚本を書き監督をする。その辺のことが、「猫はときどき旅に出る」の後半に詳しく書かれていた。フィクションだから、映画のタイトルは「ミッドナイト・ボクサー」と変えられてはいるけれど......

「猫はときどき旅に出る」は、様々な思い出が突然に現れる。第三部の18章には父親(高野三郎という作家だった)のメモが挿入され、自分が剣道少年を主人公にした小説で芥川賞を受賞したときのことが語られる。19章には「春川書店の春川冬樹社長」が登場する。その社長が抱える人気女優である「薬丸博美」、その薬丸博美をほしがっている「北宝映画」といった名前も出てくる。

もちろん、それを「角川書店の角川春樹社長」「薬師丸ひろ子」「東宝映画」と僕は読み替えた。これって、ホントにフィクションか? と思いながら、作中で「北宝映画の洋画系の映画館11館で『ミッドナイト・ボクサー』の上映が決まったよ」という春川冬樹社長の言葉に、思わず「よかったですね」と反応した。制作者でもあった高橋三千綱(楠三十郎)さんは、多額の借金を抱えていたのだ。

高橋三千綱さんは、ある時期から時代小説を書くようになった。その新聞広告を見たとき、「ああ、時代小説を書いたんだな」と僕は感慨深いものを感じたが、結局、手を出すことはなかった。時代小説作家の津本陽さんは剣道の達人だが、高橋三千綱さんも剣道三段である。おまけに空手も有段者だ。剣劇の場面を書くときには、有利なのではあるまいか。「剣聖一心斎」というタイトルを見て、そんなことを考えた。

数年前のエッセイに、まったく小説を書いていないこと、自嘲的に「忘れられた作家」と自ら書いていたけれど、そんなことはない。「猫はときどき旅に出る」は、今年2月に出版され書評を読んで僕は読みたくなった。その小説を読むことで、僕自身の30数年が甦ってきた。その長い長い年月が過ぎて、村上春樹さんは世界的なベストセラー作家になり、高橋三千綱さんはプロ並みの腕を持つゴルフ好きの作家になった。僕は...何になったのだろう?

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

ついにゴールデンウィークがやってきた。30を過ぎた息子が勤務先の愛知県から久しぶりに帰ってくるという。海外旅行くらい出かける余裕はないのかい、と突っ込もうかと思ったが、内心は帰ってくるのを楽しみにしている。

●長編ミステリ三作が「キンドルストア」「楽天電子書籍」Appストアの「グリフォン書店」で出ています/以下はPC版
< http://forkn.jp/book/3701/
> 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/
> 愚者の夜・賢者の朝
< http://forkn.jp/book/3707/
> 太陽が溶けてゆく海

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■Otaku ワールドへようこそ![174]
半導体関連の国際学会の宴会を盛り上げてきた

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20130426140200.html
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半導体に関連する、ある技術分野をテーマとした国際学会が今月、横浜で開かれた。アメリカ、フランス、ドイツ、韓国、台湾などの国々(&地域)からトップクラスの研究者・技術者が集い、最先端の技術について発表しあった。

私は一年ほど前から半導体を離れ、今はただの変態と化しているが、昔のご縁で宴会盛り上げ役に一枚かませていただける話になっていた。セーラー服を着て、アイドルグループを引き連れて、乗り込んでいった。日本の最先端の文化を海外からのお客様にご覧いただくことができ、たいへんな好評を博することができた。

●ほんとはうだつの上がらないサラリーマン

私は写真を撮って展示する活動をしている関係上、趣味で撮ってますと言うわけにもいかないので、いちおう写真家を名乗っている。けれど、実のところ、それで食えているわけではなく、本業はごく普通のサラリーマンである。

'88年に入社し、最初は画像処理技術の研究開発部門にいたのだが、'98年ごろだったか、半導体関連部門に異動になった。あのころは、「斜陽産業に左遷されちゃったよ」なんて冗談で言えるくらい絶好調の部門だった。今、うっかり口すべらせてそんなこと言おうものなら、ただでさえ寒々とした空気が、一気に、バナナで釘が打てそうなくらいまで冷え込むであろう。

昨年の2月、過去の栄華を誇るその楽園を私は追放された。さしたる働きもなかったものだから、どんな辺鄙な片田舎の閑職に回されてもおかしくはなかったのだが、どんな温情と期待がかけられたのか、元に近い部門に戻していただけた。

そのご恩に報いるためにも、今の部署では、ちょっとばかりがんばらねば。ケバヤシが来ると部署が傾く、なんて貧乏神みたく言われても困るし。とは言え、一年もいると、仕事がデキないのが周囲にバレてくるし、やっぱり成果がぱっとしないし、で、首のあたりがすーすーする今日このごろである。

ところで、桜が葉っぱになり、つつじが咲き始めるころ、毎年恒例の半導体関連の国際学会が横浜で開かれる。この学会は、私が去年までいたほうの部署とつながりが深い。守備範囲である技術分野が一致する上に、当時まで私の上司の上司の上司の上司の上司の上司であったH氏は、学会の運営に関わっている。

この学会では、バンケット(banquet)と呼ばれる宴会が催されるのが恒例となっている。H氏は、ここ数年、毎年ジョーク映像を制作し、バンケットで上映して場を盛り上げている。社会的に地位の高い人はたいてい多忙な日々を送っているものだが、H氏だって例外ではない。日本を留守にする日も多い。

映像の収録と編集にはたいへんな手間隙がかかるはずだが、H氏は、それをいとわず、多忙な業務の合間に面白い映像を毎年作り続けて、今回が 8回目である。ご参加の面々に笑っていただいて場を盛り上げたいという献身的な精神もさることながら、震災からの復興状況など、日本の今の姿を海外の方々にお伝えし、人々の結びつきを深め、ひいては世界平和に貢献したいという高尚な志もあってのことである。

役者は社内外の関係者を起用する。間に合わせのキャストであるからして、たいていはどちらかといえば大根方面に属する役者なわけで、そこがまた面白い。私は過去に2回、サムライ、というか、浪人役で出た。メイクなど必要なく、着流し姿になっただけ。これで立派な落ち武者の出来上がり。「社内浪人でござる。どなたか仕事をくださらぬか」って、いやいや違いますって、それじゃリアルだ。

事業のよりどころとしている技術を、陳腐化させてしまいかねない新技術開拓を目指して最先端の研究にいそしんでいる研究者を、斬っちゃう役だ。斬られ役は社外の方で、こんなジョークにつきあってくれちゃうあたり、シャレの分かる方でもあり、また、H氏の人徳によるところも大きい。

私は、その学会で発表したことはない。なので、映像にだけ出てくる浪人として、業界内で認知されているようだ。「あの人は社外から起用した本職の役者さん?」とH氏は聞かれたそうである。「いえいえ部下ですが」と答えて、たいへん驚かれたそうである。社内浪人でござる。

その部署を離れてしまった私であるが、'13年も出てくれませんが、とH氏からオファーがあった。去年の10月のことである。ちょうどアイドルグループのプロモーションの機会を求めていたので、ダメモトで言ってみた。「アイドルも一緒にいかがですか?」と。

●サムライとセーラー服とアイドルと

1月13日(日)、アイドルグループとの顔合わせ、および打合せのため、H氏は下北沢に来てくださった。芸能事務所、兼、音楽スタジオである。私は、H氏と奥井氏が目の前にいるという状態を、非常に妙な気分で受け止めていた。

私にとって仕事モードと週末モードは、完全に分離したふたつの別世界。ぜ〜ったいに接点をもつことはありえないと思っていた。お互いに乗り気で、話はどんどん進んでいった。

15分の映像に、アイドルグループと私が出ることに。私は、サムライとセーラー服で。会社の看板を背負って、セーラー服姿で業界の面々の前に姿を現す、初の機会となる。H氏、思い切った決断をなさる。

さらに、映像の上映に引き続き、本人たちの生出演。あの学会に、中学生アイドルたちを呼んじゃおう、って話だ。しかも、私は、セーラー服姿をナマでさらしちゃおう、と。いやぁ、いいんですか?

アイドルグループが登場するシナリオをH氏が練ってくださることに。それにしたがい、2月16日(土)に、最初の収録。このときは、アイドル抜きで、私だけ。H氏と、11:00amに秋葉原駅改札口で待ち合わせ。私は、ウチからサムライの姿で。

襦袢に着物に地下足袋。手には巾着。腰には刀、......ではなく「カサナ」。つかの部分はどう見ても刀なのだが、身の部分は傘なのである。銃刀法違反の嫌疑をかけられた場合に「いやいや傘ですがなにか?」と切り返せる小道具である。H氏は私の姿に「ウチから着てきたの?」とずいぶん驚いていたが、セーラー服に比べれば、人々の反応はマイルドだったような気がする。

3月17日(日)、アイドルグループとともに、下北沢にて収録。音楽スタジオの近くにある写真撮影スタジオを借りて。アイドルグループは、ステージ用の衣装。私は、サムライで行って、前半を収録した後、セーラー服に着替えて後半の収録。

その後、ついでに小田急線、下北沢駅近くの踏み切りの前でも撮影。私がセーラー服姿で、アイドル3人がステージ衣装で、一緒に歩いていると、けっこう目立つようである。この日は、小田急線が地下に埋まる前の、最後の週末。鉄ヲタな人たちが熱心に写真を撮っている。その鉄ヲタたちのカメラでさえ、こっちへ向けられた。

3月27日(水)の早朝、元の職場の近くの公園で、元の職場の同僚たちと、収録。私はサムライ姿で。満開の桜の下、職場から起用したキャストが勢ぞろいするのが、毎年の恒例のようになっている。例年より早く咲くとのことで、その日までもつかどうか、やきもきしたが、結局もったのはいいとして、けっこう寒い日で、あんまり散らなかった。風が吹いても桜吹雪とはならず、枝にくっついたまま。

これにて収録、終了。その後は当日のナマ出演に向けた、練習だ。とは言え、3月後半から4月にかけて、ライブの出演やメディアからの取材が立て込んで、なかなか集中できない日々であった。ライブ出演の話は割と直前に来ることが多いため、すぐ目先のステージの準備に注力せざるを得ず、その先のことには気が回らない状態が続いた。

去年、ももクロがフランスで公演したときは、メンバーが一言ずつフランス語で台詞を覚えてきて、何かしゃべっていた。お世辞にも上手い発音とは言えず、内容が伝わったのかさえ定かではないが、よくここまでがんばったと非常に好意的に受け止められていた。われわれも、国際学会の公用語は英語であるから、自己紹介ぐらいは英語で行きたい。

......と思ってたのだが、英語の原稿をメンバーに渡せたのは、本チャンの3日前に赤坂で行われた公演の終了直後であった。これじゃ、覚える暇、ないよね、ごめん。

●メンバーたちの感想「楽しかった」

当日、学会の基調講演でしゃべったのはH氏。業界の顔なのである。学会が進行している部屋の隣の部屋ではバンケットの準備が進行していた。

控室でメイクしている間、メンバーたちはそうとう緊張しているようであった。まあ、大きなイベントだし、いつもの公演とは、客層がだいぶ違いますからなぁ。でも、笑いながら「あー緊張するー」とか言ってる程度なんで、まあ、なんとかなるでしょう。

私はかつて、この学会を聴講したことがある。聴講者の約3分の1が外国人という場で、英語で発表する日本人たちの緊張ぶりは相当であった。世界のトップクラスの切れ者たちが集って形成されるあの空気には、やっぱ大人でも圧倒されるよね。

私は、今回は聴講しない。すでに業界を離れているから、っていうのもさることながら、そういう格好で来ていないので。それにしても、この学会に、ウチからセーラー服を着て来る日がいつか来ることになろうとは、まったく思いもよらぬことであり、人生のズッコケっぷりが尋常じゃないなぁ。

バンケットには、200人ほどが集まった。聞くところによると、学会発表は聴講しないのに、バンケットだけ参加を申し込んだ方が今回は15名ほどいらしたそうで、異例のことらしい。なんか、今年の出し物はすごいらしいぞ、と噂が流れたとか。

主催者は、われわれの出番を最後に持ってきたかったらしいが、なにしろメンバーたちは中学生なので、遅くまではいられない。という事情により、トップバッターにしてもらった。

メンバーの一人であるサエは、長野に住んでいて、ほぼ毎週末、東京に通ってくる。学会前後のサエの動きがすさまじかった。土曜は公演で赤坂、日曜は学会のバンケットの練習で下北沢、月曜は普通に学校で長野、火曜は学会のバンケット本番で横浜、水曜は修学旅行で奈良、木、金曜も修学旅行で京都、土曜は長野、日曜は2つのメディア様からの取材で下北沢。

H氏の制作した映像の流れる15分間、われわれはついたての陰で待機する。メンバーのご家族の方々は、先に入って見守っている。H氏は、東北の震災からちょうど2年目の日に、みずから陸前高田に行き、映像を収録してきている。

さらに、社内外の業界人たちに、『花は咲く』を一節ずつ歌ってもらっている。海外出張の多いH氏は、その都度、飲み会のときなどを利用して収録していた。その数40人ほど。映像では歌を2回まわして、やっと全員が収まっている。

映像の最後は、ジョークでキメる。主役は私。秋葉原を闊歩するサムライ。悩んでいる顔。ふと横を見ると、大きなスクリーンにアイドルの映像が流れている。「ぽんっ! これだっ!」。停滞気味の半導体業界をよみがえらせる決め手は、やっぱりアイドルだっ!

サムライは、セーラー服姿のおっさんに変身! ヒゲは三つ編みにピンクのリボン。周囲から駆け寄ってきたアイドルたちに囲まれてポーズ! 映像が終了してもどよめきの収まらぬ中、本人たち、登場。

満面のいい笑顔と、パキパキしたキレのいい動きとで、空気を一気に華やいだムードにしてくれた。一番年下にみられることの多いアカリンは、屈託のない笑顔がいい。一番背が高いけど実は一番年下のミッシェルは、アメリカ人と日本人のハーフで、表情がモデルっぽい。大きな拍手で迎えられる。オリジナル曲を2曲、披露した。

それから、会場のお客さんたちも一緒に全員で『花は咲く』の大合唱。ピアノ伴奏はサエ。スクリーンには、日本語とローマ字で歌詞が表示され、海外からの方々もがんばって歌ってくださっている。

大きな拍手に包まれて、ステージを降りた。これはうまくいったと言っていいだろう。後で聞くと評判は上々とのことで、H氏もたいへん喜んでおられた。ちょっとした達成感。メンバーたちに感想を聞くと、みんな一様に楽しかった、と。登場するまでは、緊張するー、とか言ってたのに、登場してからは、ちっともビビることなく、持ち前の明るさを振りまいてたもんなぁ。

駅へ戻る途中、明日を作る技術のあの会社の方が声をかけてくださった。かつて、定期的に会社におじゃまして、ディスカッションのミーティングに参加していて、いつも顔を合わせていた方である。すごーく久しぶりにお目にかかります。その節はたいへんお世話になりました。......なんて言ってる私の姿がセーラー服なのが、ちょっと気まずかったり。

あらためて、会社の看板を背負ってわれわれを起用してくださったH氏の決断は、突拍子もなく大胆だったのだなぁと思う。ああ、楽しかった、っと。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。

4月21日(日)には、「ITMedia ねとらぼ」様が、下北沢まで取材に来てくださった。芸能事務所、兼、音楽スタジオにて、アイドルグループのメンバーと雁首そろえてインタビューを受ける。ま、取材の主な対象は私なんだけどね。

女装の原点について聞かれ、振り返ってみれば、小学生時代にスカートめくりばっかしてて、罰としてクラスのみんなの前でスカートを履かされたけど、あれがちっとも罰になってなかった、アレがそもそもの始まりだったかな? なんて答えたら、メンバーたちが思いっきりヒイてた。

2日後には記事になってアップされてる、ネットメディアのスピード感に驚き。ま、私も当日書いた原稿が配信されてるわけだけど、これはスピード感じゃなくて、書くのが遅いだけです。すみません。
< http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1304/23/news042.html
>

これがlivedoorニュースやアメーバニュースやmixiニュースにも転載されて、けっこう広まったかも。

さらに、この記事の一部等、あちこちから情報を拾い集めてきて、英語で記事を書いてくれた人がいる。アップされてからわずか一日で4万アクセスとか。コメントもいっぱいついてるし。グローバル化するワタシ。
< http://kotaku.com/this-is-just-a-middle-aged-man-dressed-as-a-japanese-sc-479226302
>

4月27日(土)、赤坂で開かれるイベントに出ます。
『ウタ娘定期ライブ4月27日・昼の部』
会場:赤坂GENKI劇場、開場:10:30、開演:11:00、出演:11:10
チケット 前売3000円/当日3500円(別途ドリンク500円)
< http://www.uta-musume.com/Entry/31/
>


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■おしらせ
デジクリ文庫『怒りのブドウ球菌』がKindleストアに登場

マイナビ 小木昌樹
< https://bn.dgcr.com/archives/20130426140100.html
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デジクリ読者の皆さん、こんにちは。(株)マイナビで電子書籍を担当している小木と申します。今日は電子書籍の最新刊のお知らせをさせていただきます。

デジクリから2005年に刊行された、永吉克之さんの『怒りのブドウ球菌』が電子書籍になりました。オリジナルは56編収録して一冊でしたが、電子版では前編/後編の二冊に分け、各26編を収録しています。もちろんイラストも完全収録していますので、独特の文と合わせて不条理な世界観をお楽しみ下さい。

発売はKindle Storeで価格は各238円。対応端末はKindle Paperwhite、Kindle Fire、iPhone、iPad、iPad mini、iPod Touch、Androidスマートフォン&タブレットです(iOSとAndroidは専用Appをダウンロードします)。

本日(4月26日)に発売開始しました。Kindle Storeで「怒りのブドウ球菌」をチェックして下さい。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00CIOU68M/dgcrcom-22/
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怒りのブドウ球菌 前編
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00CIOU67S/dgcrcom-22/
>
怒りのブドウ球菌 後編


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編集後記(04/26)

●デジクリは明日からGWメンテナンス休暇に突入します。次回発行は5月13日(月)になります。

●全国学力テスト問題と正解が新聞に掲載されていたので、さっそく小学算数に挑戦した。結果、満点ならず。あろうことか、小学4年生で習う「四捨五入」の問題に敗北した。「四捨五入して一万の位のがい数にしたとき、20000になる整数を下の5つからすべて選べ 14500 15000 19500 24999 25000」という問題である。(読者のみなさんもやってみましょう)

四捨五入とはじつに容赦ないルールであるが、大人のわたしとしてはマアマアそこはなんて思いからか(というわけではなく、単に勘違いしていたので)ひとつしか選ばなかった。正解は3つある。今年小6になった孫娘から以前もらった4年生の算数の教科書を引っ張り出し、たった今しっかり勉強し直したのであった。ちなみに彼女も昨日テストを受けて、この問題は正解だった。

算数のほかの問題は、図形の面積、合同、円周率、等分、割合、グラフなどで、これらは落ち着いて取り組めばまず間違いはない。新聞の極小に印刷された問題文をひとまず斜め読みして解答するが、後からじっくり見直したら、とんでもない勘違いをしていた問題がいくつかあった。算数の文章題は、解くために必要で充分なことしか書かれていないから、読み落としたり読み間違いすると正解は導けない。国語の読解力が必要だ。

小学校の算数とは国語の能力次第であると実感する。数学者の藤原正彦が「小学校における教科間の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下なのである」「国家の浮沈は小学校の国語にかかっている」と情熱的に説いていたことを思い出す。えらい人だ。文部科学大臣になってほしい。お友達や同志ばかりでなく、こういう方をお迎えすればいいんだ、安倍ちゃん。

じつは算数問題を解くのはヒヤヒヤものだった。わたしは数学がまったくできない。小学校、中学校の算数、数学はちゃんとできた。ところが、高校で因数分解に挫折して以来、数学とは決別した。いや、捨てられた。新聞に中学入試問題の連載があるが、算数はまったく歯がたたない。今回の全国学力テストは小6、中3が対象である。ということは、算数は新6年生がそれまでに習ったことが出題されているのだ。わたしができても当然、できないほうがおかしい。四捨五入、もうぜったい間違いません。(柴田)


●デジクリ文庫の創刊が嬉しい! マイナビさんありがとうございます。デジクリ文庫は第二弾を制作進行中! 続々と刊行予定です。読者のみなさま、ぜひ宣伝お願いいたします!!/やっとGWだ!

グランフロント大阪続き。いつだったか、記者会見的なものの時に、どこかの偉いさんが、「大企業」が入ってます、みたいなことを、誇らしげに言った。うろ覚えですまぬ。気持ちはわかるし、本当に大企業が入っているのは事実。けど、建前でも「企業」で良かったんじゃないの? と思った。産学連携をうたうなら、大企業も中小企業も関係ないよなぁ。大手もますます発展するように? 大手がスタートアップを支えてくれるってことか。

大阪って中小企業の街なのよ。支えてる。そして規模が大きくなったら、みんな東京に本社を構えてしまうから土壌なの。残ってくれている大手は応援したくなる。行く気持ちはわかる。大阪から情報発信してもキー局には取り上げられにくいけど、東京からなら全国に広がる。許可認可だって東京にいた方が便利。大企業同士の連携もはかどる。おこぼれにだってあずかれる。私だってあずかりたい!(笑)

京都はまた別のブランドがあって、世界でも認知してもらえたりする。大阪もそうなりたいわ。今後は中小はまずグランフロント大阪を目指すって構図にしたいのかなぁ。名を捨てて実を取る大阪っぽくはないけど、世界で戦うには必要なのかも。とにかく場所はできた。ここから何かが生まれるのを期待!

商業エリアとショールームやラボをまわる。最初に思ったのは大阪っぽくないってこと。東京の丸ビルやミッドタウンを連想し、その後にATCやWTCを思い出した。今度は場所がいいから大丈夫、なはず。飲食店がたくさん入っているのと、休憩スペースの多いのがいい。無印良品の大型店が大阪駅から見て一番奥の北館に入っているので、人は呼び込めそう。梅田界隈の人の流れが地下から空廊にうつりつつある。ヨドバシも繋いでくれーー。ま、しばらくは空くであろう既存店舗で過ごす予定だ。(hammer.mule)

< http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20130424/1048906/
>
グランフロント大阪の中核は"最先端体験施設"、目玉は米朝アンドロイド!?
< https://bn.dgcr.com/archives/20110826140000.html
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アンドロイド演劇については2011年8月26日に。以前より進化していたよ。
< http://ryutsuu.biz/store/f042415.html
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やっと大阪にIDEEが!
< http://www.grandfront-osaka.jp
>
グランフロント大阪。昨日はグランドフロント大阪と書いてた......