[3473] コミュニケーションと言語と不思議な友情

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《自分の気持ちはいつも嘘つき》

■アナログステージ[97]
 休日を台無しにするまでの経緯
 べちおサマンサ

■デジタルちゃいろ[35]
 コミュニケーションと言語と不思議な友情と
 browneyes

■新連載:どうしたらできるかな?[step:01]
 きっかけを与えてくれた人
 平山遵子

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◎デジクリから2005年に刊行された、永吉克之さんの『怒りのブドウ球菌』が
電子書籍になりました。前編/後編の二冊に分け、各26編を収録。もちろんイ
ラストも完全収録、独特の文章と合わせて不条理な世界観をお楽しみ下さい。
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■アナログステージ[97]
休日を台無しにするまでの経緯

べちおサマンサ
< https://bn.dgcr.com/archives/20130514140300.html
>
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これから、ものすごいほどに個人的な話をダラダラと書こうとしているのですが、社畜中年オヤジの哀れな過程と悩みごととして読んでいただければ幸いでござる。

「気がついたら趣味がなくなっていた」

うっすらと、心の奥深くに見え隠れしていたヤツは、今年のゴールデンウィークという連休によって、表に出てきた。元々は、広く深くの多趣味だったワタクシですが、デジクリで連載開始すると同じくらいの時期に、仕事がピークになってきていた。

分かりきったことではあるけど、休日まで仕事に時間を奪われるということは、プライベートで何かを削らないといけなくなる。削る優先順位として、趣味領域が侵されたり、ダラダラと昼まで寝てる時間領域を侵されるかのどちらかが多数でしょう。小さいお子さんがいれば、侵略域が拡大され、カミさんとのバトルも勃発する引き金になる。

幸い、ワタクシのおガキ様たちは、手が掛からないお年頃まで成長してくれたので、休日にどこかに遊びに連れて行くような行事は終わってしまったのですが、これはこれでかなり寂しいのだ。たまにムスメに「ヒマならパパとデートする?」と訊いても、「今日はデートだからダメー」とか、パパより彼氏が男として君臨してしまっている。それはそれで大変けっこうなことだ。

ワタクシは、性分的に昼まで寝ているということができなく、休日だろうが平日だろうが、起きて活動できる時間を大切にするタイプ。30代前半頃の、休日の過ごしかたを思い出してみると、

・AM 04:00〜 どこかしらの海でボディーボードで波乗りして遊ぶ
・AM 09:00〜 家族でどこかしら遊びに行く
・PM 17:00〜 近所の体育館にバドミントンやりに行く
・PM 21:00〜 お疲れさまで焼肉屋で飲み食い
・AM 0:00〜 寝る

というように、かなり体を動かしていた。バドミントンができない日は、スタジオでバンド練習していたりで、いずれにせよ、一日であちこち動きまわっていた。仕事がピークになってきた近年では、「体と気持ちが向いたら、どっかフラフラしに行こうかな......」くらいの無気力になってしまい、カメラを趣味として始めていなければ、休日引きこもり生活が確定していたであろう。

遊び仲間から「明日どーする?」という誘いも、「ごめん、明日仕事なんだ、また行こうねー」と断っていくうちに疎遠になってしまい、これまた気がついたら、「うげ、もしかして、友達って誰もいないんじゃね?」くらいの友人過疎っぷり。

年齢や環境によって趣味が変わってくることは確かにある。また、趣味の内容や範囲によっても友人も変わってくるが、趣味など関係なしに付き合える友人がどれだけ存在しているか冷静に考えると、「限りなくゼロじゃね?」と、目の前と心が真っ暗になる。

「あー、オレオレ、オレだけどさー、今日ってヒマ? オレ、すごいヒマなんだよねー、どっか遊びにいかない?」なんて自分都合で連絡することは絶対にできないし、「なんだコイツ、こっちが誘っても『仕事だから』っていつも断るくせに、自分がヒマなときは......ふざけんな、この、途中で歌詞が分からなくなってハミングで誤魔化し野郎!」って思われると妄想が広がってしまい、なかなか誘い難い。

カミさんに、「どっか行く?」と訊いても、「あんたさ、自分がヒマだからワタシもヒマなわけじゃないんだよ、今日はもう予定あるからダメ。急に言わないでよ。カメラもってフラフラしておいでよ、桜木町の鳩と友達になったんでしょ? 帰りに野毛で飲んでくればいいじゃん」といった具合に、まったく相手にされなくなってきている。

仕事の都合がまったく読めないので、前もって連絡して遊びにお誘いすることもできず、かといって、当日になって仕事を休めそうだから、いきなり連絡することもできず、孤立化の立ち往生。

そんなことを繰り返して休日を過ごしていると、自然と独り遊びが上手にってくる。良いことなのか寂しいことなのかは分からないが、上記に書いたように、「遊び=誰かしら相手がいる」という図式から、どこに行こうが何をしようが、自分の気の赴くままという、独りの気楽さに慣れてしまい、コミュ障の初期段階に近いものができてくる。

いや、これはこれで、自分という人間を素直に見ることができるチャンスと解釈したほうがポジティブだ。「独り=ネガティブ」は、暗黒街道に陥る近道なので忘れよう。

「気がついたら趣味がなくなっていた」を客観的に捉えると、趣味がなくなったのではなく、「同じ趣味を持つ人と交流しなくなった」が正解のようだ。仕事の重圧から、人と接するのが面倒になっているだけのような気もするが、自分の気持ちはいつも嘘つきなので、本当のことは分からなかったりする。

ウダウダといろいろ書いたところで、結局のところ、少し考えれば、こういう状況が出来上がることが分かっていながら、仕事の疲れと面倒が重なり、自分で招いた結果であるのは間違いない。

これらから抜け出すのは、土日のどちからは、どんなに多忙であろうと、しっかり休みを取る。これだけの話しなんですよね。なんか、デジクリに何回も自分で書いていたような......。

みなさん、家庭とお友達は大切に。

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp
NDA拘束員であり、本当の横浜を探しているヒト。ぶら撮り散歩師。
Twitterはコチラ→< http://twitter.com/bachiosamansa
>
まとめはコチラ→< http://start.io/bachio
>

△▼過酒雑記──今日の酒は明日の肥し▼△

ゴールデンウィーク、あけましておめでとうございます。ゆっくり休めましたか? 横浜では、連日のイベント開催で、マッタリ休んでいるどころではありませんでしたが、オイラはこれといってお出掛けしませんでした。中華街に買い物に出たのですが、もの凄いヒト、ヒト、ヒトで春節のときより人が多いのでは? という具合に、歩くのが疲れて本当に買い物だけして逃げてきました。

代々木公園で開催されたタイフェスティバルも、ヒト、ヒト、ヒトで、まったく前に歩けなく、会場を一周するどころか、半分も見ないで逃げ出してきました。次は、ブラジルフェスティバル! 毎年、とても楽しみにしております。

・第7回ブラジル・フェスティバル | 代々木公園にて7/21,22開催!!
< http://www.festivalbrasil.jp/
>

5月に入ってから、体調の悪い日が続いており、「更年期か?」と素人判断するも、さすがにきちんと検査しないとダメかなぁ......というくらい具合が悪いです。「中年働き盛り」と虚勢張っても、忍び寄る老化現象のようなものには勝てないですね。摂生した生活と、規則正しい生活が、実は一番の健康法なんだって、しみじみ実感するところです。


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■デジタルちゃいろ[35]
コミュニケーションと言語と不思議な友情と

browneyes
< https://bn.dgcr.com/archives/20130514140200.html
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ワタシは異国の方々とコミュニケーションするのが好きである。何故なのかは分からないが、幼い頃からそうなので、今更理由を探しても、知恵が付いた後の後付けにしかならなそうなので難しい。

コミュニケーションに使える道具は、日本語と拙い英語のみ。しかも英語は、過去の交友関係を忠実に反映している様で、米国人と話すと「きみ、ゲットー出身の友だちいるでしょ」と突っ込まれることもある。

アクセントで育ちや出身をシビアに嫌らしく判断するという英国人には、米語的の細分化は問われないものの、英国の外に出た事のない人には逆に、米語アクセントを面白がられたりもする。このあたりは場当たり的に耳で覚えている非ネイティブには如何ともしがたい。

その上、英語のブラッシュアップ欲は潰えてしまっているため、いつまで経っても仕事には活かせないレベルに留まっている。

英語をきちんと道具として使うようになったのは、ワタシの場合は非英語圏の友人とのコミュニケーションで必要に迫られてのことだった。相手は日本在住数年目だったこともあり、簡単なコミュニケーションは相手が耳で覚えた日本語でほぼ事足りる。

しかし、仲良くなっていくにつれ、どんどんと話題も内容も複雑になっていく。政治や経済や文化や、将来の夢や悩み事や相談事、仕事のことや家族のこと、等々。そうなると相手の日本語にも限界がある、かといって、こちらは相手の母語は一切わからない。

そこで共通言語として英語をしぶしぶ使うようになった。相手も非ネイティブが故に、発音や文法がラフなのはお互い様、という前提が、よくある「日本人は完璧な英語を話そうとする」の部分をスキップさせてくれて、道具としての英語を活用するコトが特別なことではない、しかも楽しい、という体験を与えてくれた気がする。

そんな感じで、相手が英語か日本語がわかる異人さんとであればコミュニケーションをオフラインでもオンラインでも積極的にとるようになって久しいのだが、最近になって共通の言語をほぼ持たない人とたまに出くわすようになった。さすがにこればっかりはオンラインではあり得ないことだけど。

昨年ちょっとしたご縁で知り合った中華料理店の中国人シェフも、必要最低限の共通言語を持ってるとは言えない知人の一人だ。厳密に言うと、ワタシ自身がその方自身とサシでコミュニケーションをとる仲、ではない。

ワタシとその中国人さんの間にいる、そのお店のホールを取り仕切ってる日本人の方とセットで知り合った。今年の春は、身内的な人たちだけの春節(というか春節大晦日)にも誘って戴いたりした。その二人の関係がとても興味深い。

シェフさんは過去の短期滞在を除いても、現在日本在住数年目。日本語はかなり苦手。苦手な割におしゃべりで、何かを伝えようと試みるものの、何が言いたいのかさっぱりわからないコトの方が多い。

同じ漢字圏なので、手元に筆記用具があれば、多少は補間可能。大事な話でシェフさんが「しっかり伝えたい」「しっかり聞きたい」と急いた気持ちになると(そう、シェフさんはせっかちでもある)、話半分で紙とペンを誰かに要求したり、なんてことも時折(笑)。

実はワタシ、以前、ボランティアで某自治体で日本語教師をやっていたこともあり、資格は取らずのボランティアながら、その際に、教えるための教育もけっこうしっかり目に受講させられた。

講座でも、日本語習得度の低い異国の方が話す不完全な日本語を、「実際は何が言いたいのか」推測するのは、人より得意な方だった。

シェフさんの場合は、そんなワタシでもお手上げレベル。なんでだろう、中国語話者だとなまじ日本語の音読み言葉と被ってしまって、耳から脳に届く前に色んなオトが混同されてしまうのかな。

しかも、その発話のせいなのか、せっかちな彼の日本語会話のクセなのか分からないが、何を聞いても、本当に必要最低限の単語の羅列の域を出ないセンテンス未満の言葉にしか聞えない。日本語未習得者とはいえども、ここまでの人はあまり出会ったことがない。

例えば、彼の作った辛い料理をこちらが「これ、おいしい」と言ったところ、前後に聞き取れない何かを言いながら「からい、おいしい」と満面の笑みで言ってくるが、オウム返しの同意なのか、辛いモノは美味しいね、なのか、辛いけど美味しいね、なのか、彼自身も辛いのが好きだと言いたいのか、全く判別がつかない。

考えてみると、上述の、始めて英語を使うに至った友人と、日本在住歴は同程度だと思うのだが、日本に限らずその土地の言語習得度合いは、その土地の中での母国(語圏)のコミュニティの大きさと反比例して下がるケースが多いように思う。

その土地の言葉を使わなくても暮らせる・暮らせない、仕事が出来る・出来ない、という違いは言語習得の必要性は大きく関わってくる。必要性があまりなければ、いくらその土地にいても、そんなコトに時間を使う余裕はないだろう。

恐らく日本で最も多い印象の中華料理店、料理人さんの腕もピンキリで、単純に母国の料理の提供なら出来そう、みたいな動機で始めただけ、みたいなお店もあれば、母国でもきちんとその道の経験を積んだ人もいる。

件のシェフさんは母国でしっかり修行をした料理人で、なにがしかの受賞もしているそう。メダルも見せて貰った。なので、日本で商売、と言っても、自ら積極的に言葉でアプローチする、というのは優先順位としては低いのかもしれない。自分の腕で勝負であり、腕が頼り、そして腕が誇りなのだろう。

そんなシェフさんと仲介日本人さんは、シェフさんの以前いたお店で、客と料理人として出会ったそうです。きっかけ詳細まではわかりませんが、何故か意気投合して、度々お酒を飲んだりする仲になり、彼の故郷、中国に何度か連れて行ってもらったり、そして、遂には共にお店を始めるに至ったとのこと。

仲介日本人さんからそんな話を聞いている間も、厨房を出たり入ったりしながらシェフさんは脇にいて、仲介日本人さんは折に触れ「ね、あの時はこうだったよね。」とシェフさんに話しかける。もしくは、仲介日本人さんの話題を把握して、シェフさん自ら、合いの手を入れる。

どこから日本語(のつもり)でどこから中国語なのかも判断のつかない言葉で。それに日本人さんは「ああ、そうだった、そうだった」的な相づちを打つ。

普段からそんなやり取りをしているのだが、ある時、今更的に「で、仲介日本人さん、中国語しゃべれるんですよね?」と尋ねると、ニコニコしながら「いいえ、全然」ときっぱり。これはある意味衝撃。

確かに、仲介日本人さんの方が中国語らしきものを話しているのは聞いたことがない。中国語の出来ないこちらに気兼ねして、ワタシがいる時は極力日本語のみでやり取りをしているのかと思ってたのに、そうではなかったらしい。

あなたたち、じゃあ、そもそもどうやって意気投合出来たの? しかも長いつきあいだよね? 挙げ句に一緒にお店やってるのに??

仲介日本人さん曰く、彼ら二人は、本人達も不思議なくらい本当に、言葉半分で相手の言わんとしていることが理解しあえていて、信頼し合っている、らしい。で、今に至っている、とのこと。

いくら考えても解せないのだが、実際、お店も続いているし、二人の友情は目の前で繰り広げられているのだから、確かにそうなのだろう。

恐らく、長年のつきあいで、仲介日本人さんにはシェフさんの話す中国語風日本語のパターンが、誰よりもきちんと把握できているのかもしれない。事実、シェフさんが日本語(らしきもの)を話しても、仲介日本人さんの通訳がないと、こちらの理解度は更に半減する(笑)。

日本人同士でも、コミュニケーションが不十分だと上手くいかなくなる場面も多々ある。でも、こうやって、トリガーになるキーワードさえあれば、豊かな表現力を持つ共通言語を、事実上持たずに上手くいくケースもある。

そうやって考えると、言葉は究極、不要になってしまうのか。いや、キーワードとしての最低限の共通語彙は必要なんだから、やっぱり道具としての言葉はある程度は必要なんだろう。

言葉とコミュニケーションは、しっかり別のモノとして考えないといけないっていうことなのかな。どちらか一方だけで成立するものではないから、これまでずっと、その二つをセットで考えていた気がするけど、そういうコトなんだ、という新たな気づき。

つい先日、お店を訪れた時は、仲介日本人さんが不在だった。シェフさんだけでも勿論ニコニコ迎えてはくれるけど、また彼ら二人が揃っている時の、不思議で素敵なやり取りを眺めに美味しいモノを食べに行こう。

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■今回のどこかの国の音楽

□BO Chamane Bartabas Spiridon Chirchiguin
└<
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今回は音楽というか、オトというか、しかもどこかの国限定という訳ですらありません。口琴びよよーん。ワタシのお得意の南亜細亜にも勿論、日本にも、あとはフィリピンやイルクーツクあたりも口琴では結構有名なようですね。

上記は以前見た「シャーマン」という、シベリア〜イルクーツクが舞台のフランス映画。映像と音がとてもよかった。トレイラーはこちら。

□Chamane (1996) Bartabas
└<
>

口琴については短いながらわかりやすい記事があったので、そちらを見るとざっくり把握できそうです。

□ヤクーツクで「口琴」の世界大会が開幕...日本からも代表参加
└< http://j.mp/13nPCnR
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こちらは印度。印度だとラジャスタン方面でよく見かける気がしますね。ちなみにパキスタンのカゥワーリの途中でもたまに演奏してるのを見かけます。

□LANGAS MUSICIANS FROM BARNAWA (Rajasthan, India) 6
└<
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勢い余ってワタシも、どこかのフェスで粗悪品を購入して持ってはいますが、せいぜい鳴らせても三往復くらいです。こんな風にきれいに奏でてみたいものです。

【browneyes】 dc@browneyes.in

日常スナップ撮り続けてます。
アパレル屋→本屋→キャスティング屋→ウェブ屋(←いまここ)
しつつなんでも屋。
□立ち寄り先一覧 < http://start.io/browneyes
>
□デジタルちゃいろ:今回のどこかの国の音楽プレイリストまとめ
└< http://j.mp/xA0gHF
>

ぼちぼちやっと暖かくなり始めて、都内近郊あちこちの公園で行われる各国フェスもシーズン到来! といった感じ。ワタシは4月下旬に上野で行われたパキスタンバザールしか行ってはいない。我ながらブレがない(笑)。

昨年に引き続き登場したBadar Ali Khanのカゥワーリを堪能してきた。来日にあたって、他にも単独ライブなどやっていたようだが、日本人しか見に来ないライブは今回はパスした。

昨年も思ったのだが、カゥワーリって、奏者は確かに固定されているものの、本来が音楽を通じて聴き手がトランス状態に陥って神との一体感を得る、というもの。なので、ただ演奏を聴くだけでは完結してないなぁ、ということ。

そうやって突き詰めると、カゥワーリに親しんでいる聴衆も必要不可欠なのだ。聴いたそれぞれが思い思いに熱狂する・踊り出す・陶酔する、そして札びらがバラ撒かれる。それを受け、手奏者も更に熱を帯びる。この相乗効果でやっと完結。

多少は知識があっても、ワタシですら、その、芯から熱狂する聴衆にはなりきれない。パキスタンバザールは近隣の在日パキスタン人も多く集まるので、色々な条件が一致するとそれが起きる。運良くワタシが見に行った回は今回最高の盛り上がりだったようだ。

ルピーやドルなどの紙幣(日本円は高額紙幣すぎるので無理)は終始空に舞い、老いも若きも正面に押し寄せて舞い踊る。それを見ながら、パキスタン人女性三人組の記念撮影を頼まれてパチリ、「あっ、これじゃちょっとかっこ悪いわね」とドゥパタ(頭のスカーフ)を下ろして、髪を整えて再度パチリ。聴衆を含めてのカゥワーリを眺めるワタシ自身も、外野として非常に楽しかった。


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■新連載:どうしたらできるかな?[step:01]
きっかけを与えてくれた人

平山遵子
< https://bn.dgcr.com/archives/20130514140100.html
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私はいま「思い出を形に 未来へつなぐハンドメイド」というコンセプトのもと、子供のためのハンドメイドぬいぐるみを制作するビジネスを模索し、展開しています。

どういう活動かといいますと、まず子供の絵や工作を数点お預かりします。その絵や工作をじっくりと観察し、その子がどんな子か、どんな色や形が好きなのかなどを想像します。そのイメージからキャラクターデザインが生まれ、心を込めて手縫いでぬいぐるみを制作します。

この制作活動を始める前の私は、イラストを描くのが好きでした。特に、オリジナルキャラクターを題材にしたイラストを多く描いていました。そのうち、自分のキャラクターを立体化したい、紙の世界から外に飛び出したらどんな風にみえるのだろう、と考えるようになりました。

ところが、立体物を作るのは苦手な私、裁縫はまったく出来ないし、ましてやぬいぐるみで立体化なんてもとんでもない。どうせ出来っこない。そう思ってチャレンジしなかったのが、2年前の私でした。

そんなある日の事、在学中だった大学の学内展である人に出会いました。その人とは、デジクリでもお馴染みの海津ヨシノリ先生です。

学内展で、私は自分の描いたイラストを展示していました。そこへ海津先生が来られたので、それまで面識がなかったのですが、私は恐る恐る話しかけてみました。「作品を見ていただきありがとうございます。大好きなキャラクターのイラストを描いています」。

すると、海津先生は不思議なことに、私の思っていた事を口に出したのです。「君、これ面白いよ。立体化したら、もっと面白いんじゃない。例えばフィギュアとかぬいぐるみとか」。

自分でもそうしたいけど、でも立体も裁縫も苦手だし......素直に伝えると、先生から「下手でも練習すればいい。手作りってそこがいいんだよ。手作りって、作り手が誰かのために時間を割いて作る。考えようによっては最高の贅沢品だと私は思う」

先生の話をワクワクしながら聞いていた私は、自ら可能性を殺していたのかと思えてなりませんでした。どうせ裁縫は苦手だし、タマ結びもまともに出来ないし、針と糸の扱いも下手だし、やっても無駄だ、上手くなりっこない、と思っていた私。

先生と出会ってからしばらく、やってみようか、いやできそうにない、相対する思いが常にぐるぐる回っていましたが、結局、何もせずに終わる日々が続きます。そんなある日、海津先生のある言葉を思い出しました。「作り手が誰かのために時間を割いて作る。考えようによっては最高の贅沢品だ」。最高の贅沢品! 私はそれを作ってみたい! と強く思い始めました。海津先生と出会った2か月後、ようやく重い腰が上がりました。そして、慣れない手つきで針と糸を持ち始めることとなったのです。

【平山遵子・ひらやまじゅんこ】
J★(Junko allstars)〜思い出を形に未来につなぐハンドメイド〜
< http://www.j-allstars.com/
>
夢は「世界一楽しいぬいぐるみ」を作る!


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編集後記(05/14)

●百田尚樹「夢を売る男」を読む(太田出版、2013)。出版社・丸栄の牛河原部長取締役は「俺たちの仕事は客に夢を売る仕事だ」とのたまう。この男は、客に金を出させて逆に感謝させる、ものすごい手腕の持ち主だ。丸栄の新人賞システムは、様々な賞をもうけて一般から原稿を募集し、落ちた客ひとりずつ電話して「このすばらしい原稿をそのまま埋もれさせるのは惜しい」と言葉巧みに誘導し、出版費用を出させる仕組みで、ジョイント・プレス方式と称する。

この仕組みは、本が売れなくても儲かる。丸栄の客は読者ではなく著者だからだ。1000人の読者を集めるより、ひとりの著者(カモ)を見つけるほうがずっと楽だという。カモを釣るメソッドは30以上あり、客に応じて使い分ける。金額も客の懐具合を推察しながらはじきだす。クレーム対応の基本的マニュアルもある。牛河原の客対応の熟練の技にはほれぼれする。しかし、なんとも阿漕な商売である。

厚顔な彼にも詐欺まがいという自覚はあるが「この商売で一番大事なのは、客を喜ばすことだ。人は精神的な満足と喜びさえ味わえれば、金なんかいくらでも出す」という屁理屈(正論)も用意している。「この商売は一種のカウンセリングの役目を果たしている」とさえ言う。牛河原部長ステキ。腹心の部下を相手に語る商売の要諦は、ことごとく納得出来る。やがて、丸栄の仕組みを盗用したライバル社が現れる。という、自費出版まがいビジネスの深層(ってほどでもない)をさぐる、実におもしろい小説だった。ラストがナイス(涙)。

先日の読売・読書欄に日本文学館という出版社の大きな広告が出ていた。出版大賞原稿募集、受賞3作無料出版、とある。サイトを見ると多くのコンテストをやっていることがわかる。「作家宣言」という公募では「弊社完全費用負担による全国出版」とわざわざ謳っている。「無料出版」と赤丸白抜きで記されている。なんか変。まともな文学賞では最優秀作品を出版しますというのは普通で、わざわざ無料でなんて謳わない。なお、この公募では、備考欄の最後に「応募者には出版(有料)のご案内を差しあげることがございます」とある。これって、もしかすると、いやきっと......。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4778313534/dgcrcom-22/
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夢を売る男


●疎遠になるなぁ。20代からそうだったから、半ば諦めている。いま付き合いがあるのは、理解してくれて、それでも誘ってくれる人たちだ。そういう人間にうってつけなのがSNSなのにそれも活用できてないわ。/異国が本当にワールドワイドなのがすてき。/平山さん、よろしくお願いいたします!

GW休み。甥らに会いに行った。可愛いし、慕ってくれるし、会うのはとても嬉しいのだが、帰宅するとベッドに倒れ込む。翌日は昼過ぎまで動けない。体力ないわ〜。友人らとも久しぶりに会う。宝塚歌劇団雪組の『ベルサイユのばら』を観に行って、その帰りに阪急うめだで開催されていた『ベルサイユのばら』展に足を伸ばす。翌日はまた昼過ぎまで動けない。昼過ぎまで何もできないと、その日のすべての予定が飛ぶ気がする......。(hammer.mule)
< http://www.asahi.com/event/berubara40/
>
40周年記念 ベルサイユのばら展