ショート・ストーリーのKUNI[138]めがね/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:7分(本文:約3,300文字)


ぐっすり7時間も寝たはずなのに、目覚めるととても疲れているときがある。綿のように疲れるというのはぼくの好きな表現だが、まさに綿のように疲れて寝たのに、さらに疲れて目覚めるという。いったい、ぼくは寝てる間に何をしていたのだろう。

ぼくは想像してみる。そんな疲れた日の夜は、ふとんに入って習慣で本を開いてはみたもののたちまち睡魔に襲われ、ぼくはぱたりと本を閉じるだろう。そして半分眠りに入った状態で電灯のスイッチにつながるひもを引き、ふとんを首もとまで引き上げる。

そこでぼくは、自分がめがねをかけたままだったことに気づく。そして、もうろうとした状態でなんとかめがねをはずし、枕元に置く。置いた瞬間にぼくはもうすうすうと寝息をたて、それからは容易なことでは目をさまさない。

めがねはぼくが寝入ったのを見届けた後、たぶん、指ぱっちんのひとつもしてから歩き始める。なんと、めがねにはぼくの目がついている。あんまり眠くて、目ごとめがねをはずしたことに気づかなかったのだ。ふつう、めがねは歩いたりしないが、目がついているとなると話は別なのだ。

めがねは一般的に「つる」と呼ばれる部分を交互に動かし、新種の昆虫みたいにとことこと歩く。ぼくのめがねは時代遅れの銀色のメタルフレームで、開閉が甘くなっているが、歩くとしたらむしろ好都合かもしれない。

ぼくのめがねはどこに行くのだろう。ぼくの想像では、彼はとりあえず広い場所を探す。だれもいない広い場所がいい、と思う。たぶん。




彼は天井近くの開けっ放しの小窓から外に出る。タイル張りの壁をクモのように這い、アパートの屋上に出る。出てはみたものの目に入るのは、劣化したコンクリートの床やさびの浮いた柵が夜の闇にさらされている姿で、それを見ていると心まで殺伐としてくる。ふうっとため息が出る。

それで屋上の柵の上からすぐ近くに見えている看板に飛び降り、さらに電線を伝って別の場所に行こうと思う。でも、失敗して電線につかまりそこなう。急速な落下。万事休す。めがねは自分が硬い路面にたたきつけられ、フレームが曲がり、レンズが粉々になる場面を思い浮かべる。仕方ない。いや、しかし、目はどうなるのだろう?!

だが次の瞬間、彼は街路樹の枝にひっかかった自分を見いだす。セーフ。胸があればなでおろしたい気分でいると、声がした。

「こっちよ。ほら」

声のほうを見ると、赤いプラスティックフレームのめがねが出窓にすっくと立ち、片方のつるを自分に差し出している。卵形のレンズの中心で「目」がこちらを見ている。深い茶色の、切れ長の目だ。つるには細かな水仙の模様があしらわれている。彼は自分以外の「目がついためがね」が出現したことでしばしあっけにとられる。

「何見てんのよ。さっさとあたしにつかまって。早く行かないと遅れるわ」

遅れる? 何に? 彼は何のことかわからないまま赤い水仙のめがねに、いかにも無骨なメタルフレームのつるを差し出し、ぐっと引っ張り上げてもらう。そして、早くも歩き出した赤いめがねの後を、あわてて追う。モルタルの壁から壁、月光照らすビルからビルへ。

「君の持ち主も・・・目ごとめがねを外したの?」
彼は後ろから声をかけたが
「ええ? 何言ってんの。○○○○でしょ」
通りを走る車の音でよく聞こえなかった。

着いたところは広い集会室のようなところだ。彼は驚く。その部屋には自分や、赤いめがねのように「目」をつけためがねが大勢集まっていて、ある種の興奮に包まれていたから。

「目をつけたままめがねをはずす人がこんなにたくさんいるのか」
彼は赤い水仙のめがねに示された位置に座り、自分が何もわかっていないことを悟られないよう注意を払いながらまわりを見わたす。どの「目」もこれから始まることにわくわくしている様子がみてとれた。

間もなく、前方の壇上に黒いセル縁めがねが現れ、それとともに会場のざわめきが急速にひいていく。黒縁めがねは永く思索的な生活を送ってきた人らしい深みを湛えた目で聴衆をゆっくり見回す。そして太く、つやのある声を放った。

「お集まりの諸君。諸君が本日、この場におられることを祝福せずにはおれません」
会場がどよめく。

「すべては今日から始まるのです。われわれはあらゆるしがらみ、あらゆる面倒、あらゆる社交辞令から自由になる。もう辛抱することはない。限られた時間を本当に気心の合う、自らを高め合うことができる仲間とだけ共有する。これこそが自由だ。だれにもこの自由は妨げられることがない。この自由なくして、生きている意味があろうか」

会場はさらにどよめく。めがねたちはつるで、どどどどんと床を踏みならす。何も知らずにやってきた彼にも、その興奮は伝わる。黒縁めがねの言うことは、自分も前から願っていたことのような気がする。まるで心の中を言い当てられたかのようだと思う。

かたわらの赤いめがねをそっと見ると、こちらも興奮で泣きださんばかりだ。彼もよくわからないまま感動し、自分をここに連れてきた赤いめがねに、口には出さないが感謝する。そのとき、壇上の黒縁めがねがひときわよく響く声で言う。

「さあ、それでは諸君! みんなの印を提出してもらおう。ひとりひとり、ここに来て。さあ!」

会場の興奮は極致に達する。席を立つ者、飛び上がって歓声をあげるもの、隣の席の者と抱擁する者たちでほとんど混乱状態だ。

印? 何のことだろう? 彼がぽかんとしていると、横にいる赤いめがねがじっと見つめてきた。

「まさか、あんた」

決して大きくはなかったのに、その冷ややかな声は、ざわめきの間隙をぬって会場中に広まった。

「え」
「だれだ、そいつは」
「まさか!」
「なんでここに、印を持たないものがいるんだ!」

彼は逃げ出す。たちまち大勢のめがねと目が彼を追う。両のつるがもつれそうになる。部屋を出る。階段を下る。後ろから倒される。もうだめだ。いや、そんなことはない、逃げるんだ! 彼はもがき、大勢のめがねのすき間から這い出た。と思ったとき、そこは何十にも折れ曲がりながら続く階段に囲まれた空間。どこまでもどこまでも、下へ、下へ、彼は落ちてゆく。

アラームが鳴った。ぼくは手探りで止め、それからやはり手探りで枕元のめがねをかける。ふだんどおりの朝。だが、ぼくはぐったりと疲れている。

身支度を整え、牛乳を飲み、新聞を斜め読みして出勤する。ぼくが疲れているのは単なる疲れであって、夜通し街をさまよっていたのではない。めがねのフレームが少し傷ついているのも、たぶん、前からだ。

そして、ぎゅう詰めの電車の中に、赤い水仙模様のめがねフレームを見かけてはっとするのは気のせいだ。離れたところから小さな模様が見分けられるはずもない。気のせいだ。そう思いながら、ぼくはいつしか無理矢理乗客を押しのけ、そのほうに近づいていく。顔をしかめる人がいる。たくさんの目が、驚いたようにぼくを見る。間近にきた。やはりフレームは赤い水仙の模様だし、そのむこうの目に見覚えがある。茶色の切れ長の目。

「教えてください」
めがねの主である女は驚いて目を見開いた。何なの? と言いたげに。
知っているくせに。

「教えてください。印って、何なんですか」
ぼくは無意識で女の腕をつかんでいる。女が全身で拒絶する。
「何すんのよ、離して! 痴漢!」

ぼくは次の駅で、何人もの男に抱えられるようにして駅長室に連れていかれる。警官がやってきてあれこれ聞かれたあげく、理解できない行動ではあるが痴漢かというとそうともいえないということでこんこんとお説教された後、解放される。

ぼくは反省する。めがねにまかせておけばいいのに、勝手なまねをしてしまったようだ。ぼくはめがねを信用しなければいけない。

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急に暑くなり、おととい、早くも蚊にかまれた。手の甲2個所。血液型がO型の人はよくかまれる(刺される?)とか、そんなの関係ないとか聞きますが、私はO型で、ほんとにかまれやすいような気がする。なんでかなあ。夏の夜に洗濯物を干してたりすると、次から次に襲ってきて、それを振り払ったり身をよじって避けたりと、もうたいへんなんですから。ほんと。