映画と夜と音楽と...[588]セクシーさと知性は反比例する?
── 十河 進 ──

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〈バイ・バイ・バーディ/ラスベガス万才/サイレンサー 殺人部隊/スインガー/泥棒を消せ/シンシナティ・キッド/愛の狩人/TOMMY・トミー/欲望という名の電車〉

●スクリーンを彩った女優たち33人を紹介した本

連休中に川本三郎さんの「美女ありき──懐かしの外国映画女優讃」(七つ森書館刊)を読んでいた。エリザベス・テイラーから始まり、フランソワーズ・アルヌールやジーナ・ロロブリジダ、ローレン・バコールなど、主に50年代から60年代にかけてスクリーンを彩った女優たち33人の紹介である。2002年4月から一年間、大阪産経新聞の夕刊に連載されたものだ。

川本三郎さんは僕より7歳年上だから、もちろん取り上げる女優に差が出る。ほとんどは僕も好きな女優だが、中にはなぜあの人が入っていないのかと思うこともあった。シルヴァ・コシナやミレーヌ・ドモンジョ、キャロル・ベイカーなど、全盛期でもマイナー感のあった(ごめんなさい)女優が出ているのはとてもうれしかったのだけど、やはり好みの違いは感じてしまう。

僕は現実では、勝ち気な男勝りの頭のいい女性が好きだ。しかし、映画を見始めた頃は、セクシーな女優に頭がクラクラした。まさに思春期だったのだ。川本さんの本で取り上げられている中では、前述のシルヴァ・コシナなどの他にグロリア・グレアム、キム・ノヴァクなどに悩殺されたものである。取り上げられていない女優だと、ロッサナ・ポデスタやクラウディア・カルディナーレといったところか。なぜか、イタリアの女優ばかりだ。

いやいや、忘れてはいけない。極め付き...スウェーデン生まれのセクシー女優が抜けている。スウェーデン出身の女優というと、グレタ・ガルボ(先日「グランドホテル」を見た。きれいだった)やイングリッド・バーグマンが有名だが、僕の世代だとアン=マーグレットに尽きる。アン=マーグレットが13歳の少年に与えた衝撃は、半世紀経った今でも忘れられない。目を閉じれば、歌い踊るアン=マーグレットの肢体が甦る。




もしかしたら、村上春樹さんもそうだったのだろうか。新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだら、何度も「ラスベガス万才」(1963年)についての記述が出てきた。主人公の多崎つくるが16年ぶりに訪ねた高校の同級生が、携帯電話の着信メロディに「ラスベガス万才」を設定しているのだ。エルヴィス・プレスリーのヒット曲であり、映画の主題歌である。「ビバ〜〜ラスベガス」と、鼻にかかった声でプレスリーは歌った。

──つくるは突然、その着信メロディーの曲名を思い出した。エルヴィス・プレスリーの『ラスヴェガス万歳!』だ。しかしそれはどう考えても、レクサスの辣腕セールスマンが着信メロディーとするのに相応しい音楽とは思えなかった。(「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」166頁)

多崎つくるの友人アオは、「三年前、おれは成績優秀なセールスマンとして、ラスヴェガスで開催された全米レクサス・ディーラーのコンファレンスに日本から招かれた。──(中略)──その街では『ラスヴェガス万歳!』がまるでテーマ曲みたいにしょっちゅう流れていた。おれがルーレットでたまたま大勝ちしたときにも、BGMとして流れていた。以来この曲はおれの幸運のお守りになっている」(同171頁)と語る。

この後も何度か『ラスヴェガス万歳!』への言及があり、村上さんのこだわり方は例によって意図的である。これは、間違いなく村上さんが『ラスヴェガス万歳!』が好きなのか、世代的な記号として刷り込まれているかだろう。だとすれば、映画版「ラスベガス万才」も見ているに違いない。エルヴィス・プレスリーがアン=マーグレットと初共演したノーテンキな(でも、とても出来のよい)ミュージカルである。

●アン=マーグレットがエルヴィス・プレスリーと共演した映画

1960年代のアメリカには徴兵制があった。だから、人気絶頂だったエルヴィス・プレスリーも兵役に就くことになった。現在の韓国の人気タレントと同じである。1958年3月24日、エルヴイス・プレスリーはファンの嘆きに送られて入隊する。2年後、1960年3月、彼は除隊し、再びヒット曲を量産し、多くの映画に出演した。「ラスベガス万才」は、そんな中の一本だった。

アン=マーグレットはスウェーデン生まれ、彼女が5歳のときに一家はアメリカに移住する。20歳の頃、バンドを組んで巡業していたがラスヴェガスのクラブに出演するようになり、やがてスカウトされて映画デビューする。最初から歌って踊れる女優だったのだ。最初にヒットしたアン=マーグレットの出演作品は、「バイ・バイ・バーディ」(1963年)だった。

「バイ・バイ・バーディ」は、アン=マーグレットが歌う主題歌がヒットした。当時、僕はラジオで何度もかかっているのを耳にした。それだけの記憶なのだが、今でも「「バイ・バイ・バーディ」とセクシーかつハスキーな声で歌うアン=マーグレットの声が耳をついて離れない(ネットで検索したらユーチューブで出ていた。久しぶりに聴いたけど、記憶と違って甘えた歌い方でした)。

「バイ・バイ・バーディ」はブロードウェイ・ミュージカルの映画化だが、題材はエルヴィス・プレスリーの徴兵騒動である。若者たちに絶大な人気を誇る歌手のバーディが徴兵されることになり、ファンたちは大騒ぎになる。誰が見たってバーディはエルヴィス・プレスリーなのだが、人気歌手バーディを演じたのはボビー・ライデルだった。

60年代のアメリカン・ヒットチャートでは、何人ものボビーが一位を獲得している。「マック・ザ・ナイフ」(1959年)のボビー・ダーリン、「トッシン・アンド・ターニング」(1961年)のホビー・ルイス、「サヨナラ・ベイビー」(1961年)のボビー・ヴィー、「涙の紅バラ」(1962年)や「ブルー・ヴェルヴェット」(1963年)のボビー・ヴィントンなどである。しかし、ボビー・ライデルには一位獲得のヒット曲はない。

1964年になると、4週間ビルボード・ヒットチャート1位を続けたボビー・ヴィントンの「ブルー・ファイアー」を、ビートルズの「抱きしめたい」が追い落とす。続いて「シー・ラヴズ・ユー」「キャント・バイ・ミー・ラブ」と3曲続けて1位を獲得し、14週にわたってビートルズがトップを独占することになる。ビートルズ、怒濤の快進撃の始まりだった。

「ハートブレイク・ホテル」(1955年)で初めてヒットチャート1位を獲得したエルヴィス・プレスリーは、ビートルズが登場するまでに16曲ものヒットチャート1位の曲を持っていた。徴兵されていた1958年から1960年までの2年間にも、「ドントまずいぜ」「冷たいおんな」「恋の大穴」「本命はおまえだ」で1位を獲得している。大した人気だったのだ。

そんな人気者のエルヴィス・プレスリーと、「バイ・バイ・バーディ」をヒットさせたアン=マーグレットが共演したのが「ラスベガス万才」だった。アン=マーグレットは、ホットパンツのような短いパンツ姿や水着姿を披露する。主人公を翻弄する、当時としては自立した女性の役だったが、やはり時代的な限界はあった。それは、プレスリーを見にくる客のための映画だった。それでも、僕はときどき見たくなる。

●「とにかくアン=マーグレットが見たい!」という人向け映画

アン=マーグレットは、男性客向け作品のお飾り的なセクシー女優として使われることが多かった。代表的な映画が「サイレンサー 殺人部隊」(1966年)だろうか。女好きで、おふざけスパイのマット・ヘルム・シリーズである。ディーン・マーティンのにやけ顔が浮かんでくる。もっとも、アン=マーグレットは美しさの全盛期にあり、この映画でも文句なく魅惑的だった。

セクシーさを前面に出した主演映画としては、「スインガー」(1966年)がある。こちらは「とにかくアン=マーグレットが見たい!」という人向けで、とりあえずのストーリーがあるプロモーション・ビデオ(?)みたいだった。20代半ばのアン=マーグレットのスタイルのよさと美しさが堪能できる。「スクリーン」や「映画の友」に掲載されたグラビアページを僕は密かに切り取った。

世界的な人気者になったフランスの俳優アラン・ドロンは、60年代半ばにハリウッドに進出し何本かの映画に出演した。ただ、どれも失敗作で、彼は賢明にも数本で見切りをつけてフランスに帰り、60年代後半に「冒険者たち」「さらば友よ」「サムライ」「仁義」「リスボン特急」と名作を残した。アン=マーグレットとの唯一の共演作である「泥棒を消せ」(1965年)は、ハリウッド時代の主演作だった。

「泥棒を消せ」が四国高松で公開されたのは、僕が中学2年生になったばかりの頃だ。13歳である。僕はアン=マーグレットとアラン・ドロンが抱き合うスチルが見たくて、自転車で何度も封切館であるライオン館の前を通ったものだ。頭をのけぞらせて、片手でドロンの首を自分の腹部に抱き寄せるアン=マーグレットの肢体が刺激的だった。そんな写真でドキドキした自分が、今となっては懐かしい。

「泥棒を消せ」は前科者のアラン・ドロンが真面目に働こうとすると、彼に恨みを持つ刑事が現れて雇い主に過去を暴露する。彼を支える妻がアン=マーグレットだった。豊かな金髪を当時流行のヘアスタイルにし、胸や肩が露出したドレスを着ていた。ドロンは「サムライ」のときのようなハードボイルドさはなく、何だかメソメソしていた。ドロンもアン=マーグレットも僕は好きだったが、好きな映画にはならなかった。

スティーブ・マックィーン主演「シンシナティ・キッド」(1965年)は、数年後に「夜の大捜査線」を撮るノーマン・ジュイソン監督の話題作だった。サム・ペキンパーが監督する話もあったようだ。「ジュニア・ボナー」「ゲッタウェイ」などスティーブ・マックィーンと組んだサム・ペキンパー作品の出来はいいので、ペキンパー版で「シンシナティ・キッド」を見てみたかった。

名作だったが、「シンシナティ・キッド」は男の映画である。「ハスラー」のポーカー版と公開時には言われた。シンシナティ・キッドと呼ばれる天才的なカード師である主人公が、その世界で何10年も君臨する大物(エドワード・G・ロビンソン)とポーカーの勝負をする。アン=マーグレットは、添えもの的な印象はぬぐえない。「男ばかりじゃ観客が飽きる。アン=マーグレットあたりがやれそうな役はないか」とプロデューサーが言ったのかもしれない。

●30歳を過ぎて演技派の評価を得たアン=マーグレット

「愛の狩人」(1971年)のとき、アン=マーグレットは30歳だった。まだまだ美しさの盛りである。監督は「卒業」で当てたマイク・ニコルズだ。マイク・ニコルズはセックスをテーマにすることが多く、「卒業」もそうだったけれど露骨なセリフが散りばめられる。最近では、ジュリア・ロバーツやジュード・ロウが出た「クローサー」が実にマイク・ニコルズ的作品だった。

ふたりの青年がいる。ひとりはセックスを単なる肉体の結合と捉える、漁色家の青年である。彼は女と寝ることしか考えない。もうひとりは、セックスは愛し合うふたりの到達点と考えるロマンティストである。彼らの学生時代から始まる女性遍歴を描いた作品だ。女優陣はキャンディス・バーゲンとアン=マーグレット、それにリタ・モレノも加わっている。

「愛の狩人」のアン=マーグレットの演技は絶賛され、ゴールデン・グローブ助演女優賞を獲得し、アカデミー賞にもノミネートされた。30歳を過ぎて、アン=マーグレットはセクシー女優から演技派に脱皮したのである。そして、伝説のロック・ミュージカル(あの変態監督ケン・ラッセルですね)「TOMMY/トミー」(1975年)の母親役でアカデミー賞にノミネートされる。

僕がアン=マーグレットと決別したのは、「愛の狩人」からだった。この映画が話題になった頃、僕は20歳の大学生だった。僕は性的に潔癖で、アート・ガーファンクルが演じた青年のようなロマンティストだった。セクシーだったから中学生の頃から僕はアン=マーグレットに憧れていたのだが、性的なテーマをリアルに取り上げた映画に出たアン=マーグレットには魅力を感じなかった。いや、夢が壊れた...という言い方が当たっている。

だから、その後長く僕はアン=マーグレットのことを忘れた。昔、そんな女優が好きだったなあと、ときどき懐かしく思い出した。だから、「欲望という名の電車」(1984年)がテレビ放映されたとき、アン=マーグレットがブランチ・デュボアを演じているのを見てひどく驚いたのだった。それはテレビ用に制作された作品で、40を過ぎたアン=マーグレットが熱演していた。

「欲望という名の電車」はテネシー・ウィリアムズの名作戯曲であり、ヒロインのブランチ・デュボアは日本では文学座の名女優・杉村春子が生涯の当たり役として亡くなるまで演じたし、ハリウッドではヴィヴィアン・リーが演じて二度目のアカデミー主演女優賞を獲得した。そんな有名な役にアン=マーグレットが起用され、彼女は金髪を振り乱し見事に演じていたのである。

ああ、この人はきっと頭のよい人なんだ、と僕は思った。60年代、ハリウッド映画はセクシー女優を何人も輩出したが、彼女たちの知性を描こうとはしなかった。「バストサイズと脳みその量は反比例する」とうそぶくプロデューサーや監督が大勢いた時代だ。そんな60年代初頭にデビューし、やがて演技派になり、現在でもCSIシリーズなどに出ているアン=マーグレットは、堅実で賢明な人生を選択してきたのだろう。

1967年、彼女はテレビの私立探偵ドラマ「サンセット77」に出ていた人気俳優ロジャー・スミスと結婚した。当時は、人気者同士の結婚として話題になった。それ以来、50年近くを共に暮らしているらしい。派手な男女関係ばかりが喧伝されるハリウッドだが、これだけ長く結婚生活を続けているのもアン=マーグレットの賢明さの証明だと思う。大きな声では言えないけれど...結婚生活を長続きさせるのは、ホント、大変です。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

昔、風景写真と憲法条文を組み合わせた「日本国憲法」をベストセラーにした小学館の島本脩二さんに会ったことがある。島本さんは写真誌「写楽」の編集者。その頃、僕も写真誌の編集者だった。小学館とは比べものにならない小さな出版社だが、あんな仕事がしたかったなあ。最近の改憲論議を聞いていて、そんなことを思う。

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