[3481] 過ぎ去った夏八木勲の47年

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《普通のセーラー服おじさんに戻りたい》

■映画と夜と音楽と...[589]
 過ぎ去った夏八木勲の47年
 十河 進

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 メディア取材は根性の試し合い
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  怒りのブドウ球菌 電子版 〜或るクリエイターの不条理エッセイ〜
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◎デジクリから2005年に刊行された、永吉克之さんの『怒りのブドウ球菌』が
電子書籍になりました。前編/後編の二冊に分け、各26編を収録。もちろんイ
ラストも完全収録、独特の文章と合わせて不条理な世界観をお楽しみ下さい。
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■映画と夜と音楽と...[589]
過ぎ去った夏八木勲の47年

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20130524140200.html
>
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〈野性の証明/骨までしゃぶる/柳生一族の陰謀/白昼の死角/ロストクライム──閃光/希望の国/牙狼之介/牙狼之介 地獄斬り/雲霧仁左衛門/闇の狩人/十一人の侍〉

●夏八木勲が夏木勲と改名していた数年間のこと

夏八木勲が角川映画「野性の証明」(1978年)に出演するときに夏木勲と改名したと知り、僕はひどく落胆した。「なんで...? 夏八木の方がずっといい名前じゃん」と映画好きの友人に同意を求めた。当時、角川映画は映画の出来に関わりなく、派手な広告展開でヒットさせてしまうという、映画ファンにとっては反発しか感じられない存在だった。そんな角川映画に媚びるように改名しなくてもいいじゃないか、と僕は思った。

「野性の証明」では高倉健をしつこく追う刑事を演じて、夏木勲は一般的な知名度を得た。娼婦役の桜町弘子が素晴らしい加藤泰監督作品「骨までしゃぶる」でデビューしたのが1966年のこと。すでに10年以上、主演映画はなかった。当時の夏八木勲は、ディープな邦画好きに名を知られるくらいだった。男っぽい目立つ容貌だったけれど、一般的な知名度はそれほどなかった。それが、大作「野性の証明」の重要な役が決まり、起死回生を願うように改名したのだった。

「野性の証明」で高倉健と拮抗する役に夏八木勲を指名したのは、角川春樹だと聞いた。「犬神家の一族」を大ヒットさせ、「人間の証明」も大がかりな広告展開で無理矢理ヒットさせた角川春樹は映画業界で一躍重要な存在になり、制作資金提供者として各映画会社が遇し始めた。角川社長のご機嫌取りのためか、東映は久しぶりに制作する時代劇大作「柳生一族の陰謀」(1978年)に出演を依頼した。駿府城を囲む家光軍を率いる総大将の役である。

その角川春樹の目の前で豪快な芝居を披露し目を丸くさせたのが、別木庄左右衛門を演じた夏八木勲だった。別木庄左右衛門は、家光と対立する駿河大納言忠長の侍大将である。家光に派遣された幕府軍と戦わず開門することを決めた主君に逆い、たった一騎で敵陣に向かう。敵の総大将めがけて馬を駆り、一斉射撃を受けて憤死する。鎧甲冑を身に着け太刀を高く掲げ持ち、馬と共に横倒しになる。出演はその一場面だけだったが、角川春樹の度肝を抜くには充分だった。

角川プロデューサーのひと声だったのだろう。「野性の証明」の重要な役を得た夏木勲は期待に応えて健さん以上の演技を見せ、その男臭さを一般的な観客に印象づけた。そう言っては何だけど、「野性の証明」は派手なばかりで大した映画ではなかったが、高倉健、夏木勲、中野良子というキャストはよかったし、大々的な公募で選ばれた薬師丸ひろ子の魅力もなかなかのものではあった。知名度を上げた夏木勲は、「白昼の死角」(1979年)で久しぶりに主演を果たす。

結局、夏木勲時代は5年ほど続いたようだ。気が付いたら、再び夏八木勲とクレジットされるようになっていた。以来、半世紀近くキャリアを重ねる。最近でも、「あっ、夏八木勲だあ」と思うことは多かった。数年前、三億円事件を題材にした伊藤俊也監督の「ロストクライム──閃光」(2010年)を見ていたら、ラスト近くになって重要な秘密を隠し続けてきたホームレスの老人役で出てきて、さすがに「うまいなあ」と唸った。

昨年、大震災後も放射能汚染地域にある自宅に棲み続ける老人を演じた「希望の国」(2012年)の紹介記事を新聞で読んだ。久しぶりの夏八木勲主演作品である。見なければ...と思っていながら、監督が園子温なので二の足を踏んでいる。こちらの生理に直接響いてくる暴力描写はないようだが、園作品を見にいくには覚悟が必要だ。見る前から緊張させる力を持つ園作品には敬意を払うが、僕にとっては敷居が高いのも事実である。

●「牙狼之介」という映画が四国新聞で広告されていた

「牙狼之介」(1966年)が公開されたとき、四国新聞に掲載された高松東映の広告を憶えている。タイトルが印象的だったからだ。一瞬、何て読むのだろう、と僕は考えた。ガローノスケ? と僕は首をひねった。「キバ・オオカミノスケ」と、すぐには読めなかった。語呂が悪い気がした。僕は15歳になったばかり、高校受験めざし勉学に励まなければならない時期だったが、本を読みレコードを聴くだけの日々を過ごしていた。

「牙狼之介」の広告には、「〈新スター〉夏八木勲主演」と大きく書かれていたと思う。それが、僕が初めて夏八木勲の存在を知ったときだった。いい名前だなあと思った。監督は五社英雄。当時の高松にはフジテレビ系の局がなく、五社英雄演出の「三匹の侍」は別の系列局が夜遅くに放送していたため僕は見せてもらえなかったが、その評判は聞いていた。ただ、色悪風の平幹二郎だけは好きにはなれなかった。

初期に五社作品の主演をつとめたせいか、夏八木勲は五社作品への出演が多い。シリーズ二作目「牙狼之介 地獄斬り」〈1967年〉を経て、「野性の証明」の前後にも「雲霧仁左衛門」(1978年)と「闇の狩人」(1979年)に出ている。盗賊(火盗改め)ものと仕掛け人もの、どちらも池波正太郎原作の時代劇だ。僕は「雲霧仁左衛門」で演じた洲走の熊五郎という役が記憶に残っている。最後まで生き残る雲霧一味の幹部だった。

先日、カミサンと近くの公園で開催されていた「大陶器市」を見にいったとき、歩きながら携帯電話を見ていたカミサンが顔を上げ、「夏八木勲が死んだって...」と口にした。昔から、僕が夏八木勲が好きだったことを知っているからだ。原田芳雄、地井武男、夏八木勲...、僕が最も夢中になって映画を見ていた20歳前後の頃、ひとまわりほど年上の俳優たちに惚れ込んだ。みんな、かっこよく見えた。僕は、男っぽい役者が好きだったのだ。

後に知ったのだが、彼らはみんな俳優座養成所の同期生だった。夏八木勲も、その「花の15期生」と言われるメンバーのひとりだった。他には、林隆三、高橋長英、前田吟、浜畑賢吉、河原崎次郎、村井国夫、竜崎勝などがいる。女優には、栗原小巻、太地喜和子、三田和代、赤座美代子などがいたというから、秀でた人たちが集まった特別の年なのだろう。ワインだって、特別出来のよい年がある。そういう巡り合わせは確かにある。

夏八木勲の死亡記事の多くに「個性派の名脇役として多くの映画、テレビドラマに出演した...」と書かれていた。これはキャリアを積んだ俳優の死亡記事では、紋切り型のように使われるフレーズだ。先日の三國連太郎の場合は扱いが大きかったが、ニュアンスは似たようなものだった。しかし、三國連太郎も主演でデビューしたし、夏八木勲だって主演者として映画デビューした。最初から「個性派の名脇役」だった人なんていない。長いキャリアの結果である。

三國連太郎も夏八木勲も芝居がうまかったために、次第に役の幅を広げ脇役をこなすようになる。若い頃の三國連太郎は配役としては二番目、三番目を演じることが多かった。石原裕次郎と共演した「鷲と鷹」が、デビューして10数年経った頃の三國のポジションを象徴している気がする。復讐を誓う殺人者の主人公(石原裕次郎)と風来坊の謎の船員(三國連太郎)、どちらにも花を持たせた映画だった。

デビューして10数年、「野性の証明」の夏木勲も似たポジションだった。過去に何かを抱えている謎の男(高倉健)、彼を怪しみ何かとまとわりつく刑事(夏木勲)、互いに相手には一目置いている。やがて、ふたりは共通の敵に向かうことになる。主役ではないが、花を持たせた役である。そんな役は、石原裕次郎や高倉健には演じられない。彼らは、主役しかできない。一方、三國連太郎や夏八木勲は主役から悪役まで、どんな役でも演じた。

●菅貫太郎が同じようなキャラクターを演じていた

残虐で凶暴な暴君がいる。演じているのは、スガカンこと菅貫太郎だ。そう言うと誰もが「十三人の刺客」(1963年)を思い出す。その映画から4年後に封切られた「十一人の侍」(1967年)は、評価の高かった自作を模倣するように工藤栄一監督が作った同工異曲の名作である。ストリーパターンはよく似ているし、ときどき同じようなセリフが飛び出す。しかし、作品から漂う絶望感は「十三人の刺客」をしのぎ、余韻はより深くなっている。

共に10万石以下の禄高しかない館林藩と忍藩が隣り合っている。館林藩主(菅貫太郎)は先の将軍の息子で、現将軍にとっては弟に当たる。彼は小藩の藩主であることを不満に思っている暴君である。その暴君に付き従っている切れ者の側近(大友柳太朗)がいる。ある日、彼らは狩りに出かける。しかし、獲物はなく暴君は苛立つ。ようやく見付けた鹿を追って隣藩の境界を越える。

馬に乗って獲物を追う暴君の前を、驚いた老人が立ちふさがる。老人はあわてて逃げるが、怒りに駆られた暴君が老人の背中を射抜く。そのまま立ち去ろうとした暴君を、領内の見まわりにきていた忍藩主が呼び止め、その暴挙をとがめる。苛立った暴君は弓を引き、忍藩主の目を射抜く。忍藩主は家来たちを止め、館林藩主と側近たちはそのまま館林領へ引き上げる。

場面が変わって江戸城。忍藩家老の榊原(南原宏治)が証拠の矢を添えて、告発状を幕府に差し出す。内容は館林藩主が領内に立ち入り、藩主を弓で射たために落命したことを告発し、さらに世継ぎの許可を求めるものだった。しかし、老中の水野(佐藤慶)は館林藩主が将軍家の血筋であることから告発状を握りつぶし、「ありもせぬことを申し立ててきた忍藩は不届きである」と取りつぶしを決める。

「十三人の刺客」では明石藩家老が切腹までして上訴した主君の隠居願いを拒否し、明石藩主におとがめなしと決めた老中(丹波哲郎)が秘かにお目付の島田新左衛門(片岡千恵蔵)を呼び出し、明石藩主を暗殺せよという密命を与える。賢明で公正な老中であり、密命とはいえバックに権力を背負った暗殺計画だった。だから豊富な資金があり、老中の添え書きによって様々な協力を得ることができた。

しかし、「十一人の侍」は最初からすべてがマイナスばかりだ。理不尽な藩主の死。権力を笠に着る暴君は忍藩を取りつぶさせ、館林藩に併合しようと狙っている。一気に禄高も倍増するからだ。将軍の弟である暴君の意を汲んで、老中は忍藩を取りつぶそうとする。最初から負ける戦いなのだ。権力は白を黒と言い、正義など存在しない。忍藩家老の榊原は老中と駆け引きをして、「即刻取りつぶし」の沙汰を一か月だけ猶予させる。

榊原は一か月の間に館林藩主を暗殺させ、それによって「取りつぶし」の沙汰を撤回させようと目論む。そのために同門だが剣も学問もかなわなかった旧友の千石隼人(夏八木勲)を脱藩させ、一介の浪人によって将軍家の弟である藩主が殺される形を作ろうとする。館林藩主を襲って主君の仇を討とうとした若侍たち6人(里見浩太朗、青木義郎など)と彼らの仲間の妹(大川栄子)、会計係(汐路章)たちを加え、恋女房(宮園純子)を棄てて隼人は江戸へ出る。

●モノクロームの美しい映像で描かれた集団抗争暗殺劇

「十一人の侍」が公開されたのは、一1967年の暮れのことだった。東映のプログラムの中心だった明朗時代劇があきられ、リアルな時代劇でなければ客が納得しなくなり、「十三人の刺客」を嚆矢として集団抗争時代劇と呼ばれる一群の作品が公開されて数年が過ぎた。一方で鶴田浩二や高倉健を主役にしたヤクザ映画が主流になり始めていた。つまり、東映がヤクザ映画に軸足を移していた頃、モノクロームの美しい映像で描かれた絶望的な集団抗争暗殺劇は公開されたのだ。

しかし、その当時の僕は「十一人の侍」を見て、生意気にも「なんだ『十三人の刺客』の焼き直しかあ」と思った。何しろ、その年の秋、ロベルト・アンリコ監督の「冒険者たち」(1967年)を見た僕はフランス映画に夢中になり、アラン・ドロン主演作ばかりを追いかけていた(本当はリノ・ヴァンチュラ映画を追いかけたかったのだが...)。だから、邦画を軽んじるところがあったかもしれない。

高校を卒業して上京し、名画座で再び「十三人の刺客」と「十一人の侍」をまとめて見たとき、その真価に気付いた。「十三人の刺客」は確かに格調高く、重厚で、物語に一分の隙もない名作であり、何度見ても飽きないけれど、「十一人の侍」の破天荒なところ、あるいは瑕疵にも思える甘さが、真に新しい時代劇になっているのだと僕は思った。それは、片岡千恵蔵ではなく、夏八木勲という若い俳優を起用したためでもあった。

「十一人の侍」は「十三の刺客」的な武士の世界を否定するところからスタートしたんじゃないか。そんな気がした。夏八木勲演じる隼人が初めて登場するとき、彼は柿の木に登ったまま降りられなくなった恋女房が飛び降りるのを受け止め、彼女を抱き上げたまま庭先で家老の榊原を出迎えるのである。それは、画期的な主人公の登場の仕方だった。

暗殺を企てる彼らは、権力に翻弄される。暗殺が単に主君の仇討ちだからではなく、忍藩の存続がかかっているからである。彼らの司令塔である家老の榊原も老中に対抗して様々に策謀を試みるが、権力者の謀とはレベルが違う。老中の読みは深く、どこまでも冷酷だ。そんな権力者たちのパワーゲームが、隼人たちの行動を規制する。だから、最後の最後に叫ぶ、隼人の言葉がせつなさを呼び起こす。観客の心の底まで響く。

──ここまでみじめに突き落とされた人間の思いを...、恨みを.........叩きつけてやるのだ

このせつなさは、御大・片岡千恵蔵には出せなかった。隼人の戦闘宣言の後、土砂降りの中の大殺陣は斬られていく男たちの心情を感じさせ、涙せずにいられない。かっこいい殺陣ではない。もつれ合うような戦いだ。斬る。突く。刺す。自らを鼓舞し、圧倒的な数の敵に向かっていく。「十三の刺客」のような仕掛けはない。肉弾戦だ。大友柳太朗と夏八木勲の戦いも、みっともなく延々と続く。それでも、夏八木勲は新しい時代劇のスターだった。

加藤泰監督作品でデビューした夏八木勲は、その後の47年間で300本を越える映画、テレビドラマに出演し、まだ何本もの公開予定作品を残したまま2013年5月11日午後3時22分、長く患った膵臓ガンのために自宅で亡くなった。享年73歳。僕が初めて彼を見たときは、まだ26歳の青年だった。あれから長い長い月日が過ぎ去り、彼は去った。二度と戻ってはこない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

朝日新聞の夕刊の追悼欄に、管洋志さんと安岡章太郎さんが並んで掲載されていました。管さんは67歳、安岡さんは92歳。掲載されていた管さんのポートレートが素敵でした。息子さんが撮影したものです。子供が仕事を継いでくれて、管さんもうれしかったことでしょう。

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■Otaku ワールドへようこそ![175]
メディア取材は根性の試し合い

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いきなりですが、告知です。本日深夜、電波を汚します。TBSテレビ『有吉ジャポン』。「ネット上で話題になっている人物」として取り上げられる二人のうち一人が「セーラー服おじさん」こと私です。関東では5月24日(金)24:20から放送されます。地域によっては、何日か遅れて放送されます。
< http://www.tbs.co.jp/arijapo/
>

このところタレント並みに忙しい。アイドルグループ「C(ハート)A」(シーアイエー)改め「かおすdeじゃぽん(仮)」がライブに呼んでいただける機会がどっと増えたことに加え、メディアからの取材攻勢がすさまじいのだ。

4月1日(月)、「ウタ娘」さん主催の『ウタ娘小中学生アイドル限定イベントvol.1』に呼んでいただいた。私も女子中学生アイドルとして、ステージに立っている。このときのパフォーマンスが「合格」とみていただけたのか、その後、4月13日(土)、27日(土)、5月4日(土)、5日(日)、11日(土)、18日(土)と、同じ主催者さんのイベントに出させてもらえている。

一方、メディアからの取材依頼もじゃんじゃん舞い込み、特に『有吉ジャポン』からは徹底的に密着取材を受けた。4月20日(土)、21日(日)、23日(火)、24日(水)、27日(土)、28日(日)、5月2日(木)の7回にわたる取材に加え、5月7日(火)にはTBSテレビのスタジオに呼ばれての収録があった。

5月17日(金)、24:20から放送された『有吉ジャポン』の最後の「次回予告」では、私の姿がちょこっと映った。同じ日、26:00から放送されたテレビ埼玉『ウタ娘』では、「かおすdeじゃぽん」のライブの模様が取り上げられ、私の姿も映っている。同じ日に2本の番組に出演! まるで売れっ子タレントみたいではないか。単なる偶然だけど。

●急に縁ができた赤坂

3月27日(水)、大塚にあるライブハウス「Hearts+」で、アイドルグループ5組の出演するイベント『大塚 乙女☆SUMMIT』があった。このとき、「トゥギャッチ」のヨッピーさんから取材を受けたことは、3月29日(金)のこの欄に書いています。
< https://bn.dgcr.com/archives/20130329140100.html
>

実は、同じ日、もう一件、『ウタ娘』の主催者の方からコンタクトがあった。4月1日(月)に小中学生アイドル限定イベントがあるので、出演しませんか、というオファーだった。え? 3日後? 開催の3日前になってもまだ出演者が決まってないイベントなんて、だいじょうぶなの? しかも平日? いろいろ不安はあったが、出演することにした。なにしろ、こっちも出演機会には飢えてたもんで。

この日はもうひとつ、変わったことがあった。「かおすdeじゃぽん」のメンバーの一人であるサエは、ほぼ毎週末、長野からバスで出てくる。この日は真夜中ごろ新宿を発つ夜行バスで帰る予定になっていた。バス停まで送っていくのは私の役目。

ところが、デジクリの原稿がまだ全然書けていない。2日後が配信日だというのに。20:04東京発の新幹線で帰りなさい、と強引に変更を決めてしまった。

東京駅の新幹線ホームで待っているとき、サエが誰かに向かって手を振るので、振り返ってみると、大学生ぐらいのおにーさんが、カメラを構えている。で、私も一緒にポーズ。写真はどうぞネットにアップして下さい、と言っておいた。

帰ると、ツイッターに上がっているのを見つけることができた。いちおうクラスメイトだと言ってあったのだが、孫ってことになってる。この投稿が4日間で27,000リツイートされている。ヨッピーさんが書いてくれた「トゥギャッチ」の記事でもこの写真のことが取り上げられ、「25,000RTされている」と書かれている。
< http://togech.jp/2013/03/31/834
>

公式リツイートでこの数だから、非公式なのも含めると、相当数拡散したに違いない。フェイスブック方面にも流れてたようだし。「ハムスター速報」にもまとめられてるし。
< http://hamusoku.com/archives/7803563.html
>

ウェブ版のR25にも書かれてるし。
< http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20130402-00029082-r25
>

なんか、これでネット民の間で私の存在が一気に知れ渡ったような感じがする。大塚でのお誘いを受けて、4月1日(月)は赤坂へ。赤坂はぜんぜんなじみがない街。高級飲食店が立ち並ぶイメージがあり、庶民にとっては敷居が高い感じ。

そんな街にある「赤坂GENKI劇場」は、やはりなんか洗練されたイメージ。音がすごーくきれい。照明もきれい。リハーサル時間が短いのも気になっていたが、他の出演者たちは手馴れたもので、ぱっぱと手際よくまとめていた。わー、プロっぽいな〜。

だいじょうぶか、とか、疑ってごめん。すんげー立派なイベントだった。ライブ中、テレビ埼玉のカメラが回っている。もし採用されれば『ウタ娘』という番組で放送していただけるとのこと。

『ウタ娘小中学生アイドル限定イベント vol.1』というイベントなのに、セーラー服を着たおっさんまでステージに立っているというのは、割と破天荒な部類だったかもしれない。次回以降も呼んでいただけるだろうか。

会場を後にすると、見知らぬおじさんが近づいてきて、ていねいにごあいさつしてきた。TBSテレビのディレクターさんだった。私にテレビ出演依頼を検討していて、ネットで情報を集めているところへ、ちょうど本人が通りかかったので、声をかけた、とのことで。そう言えば、TBSテレビって赤坂にあるんでしたね。目立つというのはいいことだなぁ。

●お互いの根性を試しあうテレビ収録

4月8日(月)、赤坂でお会いしたTBSテレビのディレクターさんからメールが来た。私の活動等に関する質問が何項目かあり、それに回答した。4月15日(月)、別のディレクターさんからメールが来た。その方が担当することになりました、とのことで、ついては、翌日に打合せできないでしょうか、と。

う、その日は、半導体関連の国際学会で横浜に行く日ではないか。学会発表や聴講ではなくて、「かおすdeじゃぽん」として宴会を盛り上げに行くんだけど。そのあと10:00pmから新宿でどうでしょうか? じゃ、そうしましょう、と。

4月16日(火)、学会の宴会でのパフォーマンスが大ウケで、達成感と高揚感を携えて、セーラー服姿のまま新宿に向かう。「面影屋珈琲店」にて、打合せ。『有吉ジャポン』で取り上げたいので、密着取材させてくれませんか、という話だった。打合せは2時間近くに及び、主に、私の活動やセーラー服を着る動機などについて、質問に答えた。

このときもそうだったが、テレビって、お互いの根性を試し合っているような空気がある。口に出しては言わないが「やる気のないものは去れ」と言っているようなプレッシャーを感じる。いきなり翌日に打合せどうですか、と無理をふっかけてくるが、夜10時以降なら、と無理で返すと、ちゃんと応じてくれる。

4月27日(土)の収録のときもそんなだった。数日前から、その日に収録を入れたいとは聞いていたが、前日の夜になっても連絡が来ないので、その話は消滅したものと思っていた。別のメディアからの取材を入れた。いちおう、こういうスケジュールになりました、とメールしておいた。

当日朝9時、「かおすdeじゃぽん」のメンバーとの待合せで赤坂見附駅に行くと、そこにはTBSのアシスタントディレクターさんが待っていた。「今日、収録どうですか?」。「夜9時までびっしり予定が詰まっちゃいました」「じゃ、10時に中野でどうですか?」「行きます」。

その結果、この日の動きは、こうなった。午前中は「赤坂GENKI劇場」で開催されたライブイベント『ウタ娘定期ライブ4月27日・昼の部』に、「かおすdeジャポン」として出演。控え室で、中高生アイドルたちがたくさんいる中、セーラー服からふつうの格好へと生着替え。新宿へ。メンバーたちは下北沢へ。

新宿にて、別のメディアから取材を受ける。ドキュメンタリー映像の収録。街歩きしながら、インタビューを受ける。カラオケ屋に入り、ふつうの格好からセーラー服への生着替えのシーンも収録される。神保町へ。

「神保町画廊」にて、口枷屋モイラちゃんのセルフポートレイト写真の展示が開催されている。6:00pmまでだったが、5:30pmごろ到着した。ご本人は、赤のセーラー服で在廊していた。そこも収録。時間になってもまだ開けててくれて、6:30pmごろまでいた。渋谷へ。

下北沢で待機していたメンバーたちにも出てきてもらい、渋谷で落ち合う。センター街で収録。えらい人だかりができた。予定通り、9:00pmまで収録。中野へ。

ちょこっとだけ喫茶店で休む時間ができた。10:00pmにTBSテレビの人と会い、収録。中野ではすでに一回収録しているのだが、追加で。一時間ぐらいでささっと。実に長い一日であった。

翌日、4月28日(日)は山へ。私が勝手に「スピリチュアルの森」と呼んでいるところで、とっておきのロケ地だ。人形作家の清水真理さんから作品をお借りして、沢べりで撮影。そこをTBSのカメラが捉える。

さすがに「もうちょっと近い場所になりませんか」と弱音を吐いてきたが、「なりません」と突っぱねた。電車にバスにケーブルカーと乗り継いで、そこから長い歩程。ひと山越えて、裏手の沢に降りる。

高低差50cmばかりのミニ滝があり、下は鏡を張ったように水面が広がっている。一端からまた50cmばかり水流が落下している。静かな水面の脇に人形を置き、自分は下のミニ滝の下の流れをまたいで立つ。水面から頭を出した石と石に左右の足を乗せて踏んばる。テレビカメラの人は、そのさらに後ろに同じようにして立ち、私が撮っている姿を収録する。

カメラマンが、苔の生えた斜めの石に足を前へすべらせ、仰向けに転倒した。水の流れの中に、派手に尻もちをつく。けど、テレビカメラは高く差し上げ、一滴も濡らさなかった。さすが、プロだ。もし水にボチャンしてたら一大事になってたとこだよね?

帰り道、レスキュー隊のバイクとすれ違った。遭難事故? 峠には消防署の車が停まっている。聞いてみると、巨大な一枚岩の向こう側の沢べりで人が倒れているという通報が入ったのだそうだ。ところが行ってみたら、そういう人は発見できなかったとのこと。えーっとワタシ、沢べりでうつぶせになって人形撮ったりもしてましたけど。ワタシのことじゃないよね? ね? ね?

みんな、限界近く疲れていた。峠の茶屋で休んだ後、下りケーブルカーの駅へ向かって歩いていると、茶屋の人が走って追いかけてきた。テレビカメラの人が、ケータイを店に置き忘れてた。礼を言い、ひとしきり笑って、また歩く。しばらくすると、また追いかけてきた。今度はバイクで。あ、私のカメラ。なんと、キヤノンのEOS 5D mkIIを丸ごとむきだしで置いてきていた。しかもぜんぜん気づいてなかった。

翌日、4月29日(月)は川べりの河川敷へ。前々日、新宿、神保町、渋谷と一緒に歩いたメディアからの取材だ。やはり、私が人形を撮っている姿を収録したいとのことだったが、TBSとの同時取材の提案には応じてもらえなかったので、別の日になった。

清水さんから別の作品をお借りして、入間川の河川敷へ。以前に、車の中で暮らしているおじさんと、橋の下で暮らしているおじさんのことを書いたが、その場所だ。橋は、塗り替える計画だかがあって、立ち退きを迫られている中、ずっと粘って居座っていた最後の一人だ。

あれから一年経つから、もういなくなっているかもしれない。ところが、行ってみると、橋は塗り替えた様子もない。で、いた。一年前とまったく変わっていない。いやぁ、よかったよかった。ここの人たちって、福祉の人のお世話でアパートに入って暮らし始めても、適応できなくて鬱みたくなっちゃう人がけっこういるらしい。

可能なら、こういう暮らしを続けられるのがいちばんいい。「今年の冬は寒かったよね」と言ったら「寒さなんて平っちゃらだよ」と。そう言えば、極寒で知られる栃木県泥部の出身なんだった。

車の人もいた。猫もいた。車から出てきてもらい、ブロックに腰掛けてトーク。そこを収録。私にとって貴重な映像になるだろう。放送が楽しみだ。

なんか激しい3日間だった。悲壮なまでの根性の試し合いバトルだった気が。「あなたはこれについて来られますか」とは言わないけど、言っているかのような無理難題の吹っかけ合い。なんとか乗り切りはしたけど、さすがに疲れた。

マスコミとか、芸能界とか、日常的にこんな感じなんだよね? いや〜無理無理無理無理。やっぱタレントよりも、サラリーマンでいいや、と思ったワタシであった。普通のセーラー服おじさんに戻りたい。

けど、このバトルに退却しなかったことが評価されてか、5月7日(火)には、TBSテレビのスタジオ収録に呼んでいただけた。元猿岩石の有吉弘行氏とTBSアナウンサーの田中みな実さんに挟まれて間に立ち、6人のゲストの面々と向き合った。

共演するのは、福岡のアイドルグループ「GLITTER」のゆみーるさん。ツイッターではフォロワーさんが8万人もいる。すげー、ネットの有名人。ちなみに私は2千人だ。

裏話に属することでアレだけど、田中アナから素敵なプレゼントを頂戴した。それは台詞。リハでは田中アナがしゃべっていた台詞を、本番では私にしゃべらせてくれたのである。言葉を生業にする方から言葉をプレゼントしていただけるなんて、素敵すぎます。

けど、田中アナが10秒ぐらいで流暢にまとめた内容、私がしゃべったらくどくどくどくど、すんげー長い独白になっちゃった。しかもここは、進行上、カットしづらいかもしれない。ごめんね。

収録後、ゆみーるさんと撮った2ショ。これ、ツイッターでゆみーるさんが発信してて、12時間で1万リツイートされてる。ゆみーるさんのネット情報伝達力(メディア力?)、けっこうでかいんじゃね?
< https://picasaweb.google.com/107971446412217280378/2013524
>

7日にわたる密着取材で、私の分だけでも優に6時間は収録している。これとゆみーるさんの分と、スタジオ収録の分とを合わせて、全体で30分番組になるよう編集するわけだ。つまり、収録した分のほとんどは日の目をみないことになる。おそらく、丸一日の収録分が全カットなんてことも起きるかもしれない。そういうもんらしい。

放送直前になって、収録前よりも緊張してきた。日本全国に飛んでいく電波を、ワタシなんぞが汚しちゃっていいんですか?

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
< http://www.growhair-jk.com/
>

このところメディア露出が多くなってきたのを受けて、あらたにケバヤシの個人ウェブサイトを立ち上げました。簡単なプロフィール、活動紹介、メディア露出歴をまとめています。ネット上に分散したケバヤシの断片情報をかき集めてきて、リンクを張っておこう、と。つつきまくればケバヤシが丸分かり。
< http://www.growhair-jk.com/
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『ウタ娘』さんのライブでは破天荒なパフォーマンスをやらかして来たが、いちおう「合格」とみていただけたようで、その後もじゃんじゃん呼んでいただいています。6月も出演予定がばんばん入っています。
< http://www.uta-musume.com/
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中学生アイドルグループ「かおすdeじゃぽん」のフェイスブック
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編集後記(05/24)

●武論尊「原作屋稼業 お前はもう死んでいる?」を読む(講談社、2013)。マンガ原作者・武論尊、別名・史村翔。超ヒット作「北斗の拳」はあまり好みじゃないから読まないが、池上遼一と組んだ作品は単行本を揃えて愛読した。wikipediaを見ると、この人はものすごい数のマンガ原作を手がけている。マンガ原作者といえば梶原一騎、小池一夫、その次くらいにエラいのだろうか。よくわからない。

「北斗の拳」誕生から30年という節目の年に、マンガ原作者という仕事が自分にとって何だったのかを振り返り、読者にはマンガ原作者の現実を知ってもらいたい、ということでこの本が生まれたという。12ページにわたる「ちょっと長いまえがき」を読むと、これはきっとマンガ業界の濃い話が満載のおもしろいエッセイかなと期待がふくらむ。ところが本文は、自伝でもない、エッセイでもない、虚実をないまぜにした、あまりガツンとこないフィクションであった。嗚呼、本格自伝を読みたかったんだよ。

29歳、独身、金ない愛ない希望ないの三重苦で人生に絶望しているオレ(ヨシザワ)が、酒場でブー先生(武論尊)と出会って、弟子入りを直訴する。唐突な無理筋イントロだ。それまではIT会社に勤めていて、創作の世界とはまったく無縁だった男が、奇人変人の編集者にしごかれ、ブー先生に原作者としての生き方やマンガ稼業のあれこれを教わりながら、悪戦苦闘して成長する姿を描く。だいぶご都合主義ではある。

登場するキャラクターやエピソードは実在の人物、団体とほぼ同じらしい。嘘もたっぷりまぶしてあるようだ。愛すべきキャラのブー先生はそのまんま武論尊だと思う。しかしながら、やっぱり「ちょっと長いまえがき」の内容をじっくり書いてほしかった。フィクション仕立てにして、自分もその中で泳がせ、あれこれ言い散らかすという手法は、イージーに走ったとしか思えない。もっと本音を聞きたい。いちおう面白いが、ずいぶんヘタな小説である。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062181266/dgcrcom-22/
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原作屋稼業 お前はもう死んでいる?


●有吉ジャポン。関西ではやってないよ〜。

続き。入団して組に配属されると、人事異動はあるものの、他組への出演はほとんどない。ダンスの好きな人にとっては、ダンスの下手な組に魅力を感じず、観劇をやめることだってある。好きな組の観劇回数を増やしたいがために、他組を見ないという人もいる。

私は好きな組はあるものの、どの組もまんべんなく見るほうだ。好きな組と書いたが、これも作品によっては冷めたり、再燃したりである。いくらスターが頑張ってても、作品がつまらないとスターがスターでなくなってしまうのだ。

で、そういう他組を見ない人にとっては、一度も生で見たことのないトップらが出演し、好きな組のスターと共演(競演)するわけで、滅多に見られない特別な公演となる。(続く)(hammer.mule)