映画と夜と音楽と...[589]過ぎ去った夏八木勲の47年/十河 進

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〈野性の証明/骨までしゃぶる/柳生一族の陰謀/白昼の死角/ロストクライム──閃光/希望の国/牙狼之介/牙狼之介 地獄斬り/雲霧仁左衛門/闇の狩人/十一人の侍〉

●夏八木勲が夏木勲と改名していた数年間のこと

夏八木勲が角川映画「野性の証明」(1978年)に出演するときに夏木勲と改名したと知り、僕はひどく落胆した。「なんで...? 夏八木の方がずっといい名前じゃん」と映画好きの友人に同意を求めた。当時、角川映画は映画の出来に関わりなく、派手な広告展開でヒットさせてしまうという、映画ファンにとっては反発しか感じられない存在だった。そんな角川映画に媚びるように改名しなくてもいいじゃないか、と僕は思った。

「野性の証明」では高倉健をしつこく追う刑事を演じて、夏木勲は一般的な知名度を得た。娼婦役の桜町弘子が素晴らしい加藤泰監督作品「骨までしゃぶる」でデビューしたのが1966年のこと。すでに10年以上、主演映画はなかった。当時の夏八木勲は、ディープな邦画好きに名を知られるくらいだった。男っぽい目立つ容貌だったけれど、一般的な知名度はそれほどなかった。それが、大作「野性の証明」の重要な役が決まり、起死回生を願うように改名したのだった。

「野性の証明」で高倉健と拮抗する役に夏八木勲を指名したのは、角川春樹だと聞いた。「犬神家の一族」を大ヒットさせ、「人間の証明」も大がかりな広告展開で無理矢理ヒットさせた角川春樹は映画業界で一躍重要な存在になり、制作資金提供者として各映画会社が遇し始めた。角川社長のご機嫌取りのためか、東映は久しぶりに制作する時代劇大作「柳生一族の陰謀」(1978年)に出演を依頼した。駿府城を囲む家光軍を率いる総大将の役である。

その角川春樹の目の前で豪快な芝居を披露し目を丸くさせたのが、別木庄左右衛門を演じた夏八木勲だった。別木庄左右衛門は、家光と対立する駿河大納言忠長の侍大将である。家光に派遣された幕府軍と戦わず開門することを決めた主君に逆い、たった一騎で敵陣に向かう。敵の総大将めがけて馬を駆り、一斉射撃を受けて憤死する。鎧甲冑を身に着け太刀を高く掲げ持ち、馬と共に横倒しになる。出演はその一場面だけだったが、角川春樹の度肝を抜くには充分だった。




角川プロデューサーのひと声だったのだろう。「野性の証明」の重要な役を得た夏木勲は期待に応えて健さん以上の演技を見せ、その男臭さを一般的な観客に印象づけた。そう言っては何だけど、「野性の証明」は派手なばかりで大した映画ではなかったが、高倉健、夏木勲、中野良子というキャストはよかったし、大々的な公募で選ばれた薬師丸ひろ子の魅力もなかなかのものではあった。知名度を上げた夏木勲は、「白昼の死角」(1979年)で久しぶりに主演を果たす。

結局、夏木勲時代は5年ほど続いたようだ。気が付いたら、再び夏八木勲とクレジットされるようになっていた。以来、半世紀近くキャリアを重ねる。最近でも、「あっ、夏八木勲だあ」と思うことは多かった。数年前、三億円事件を題材にした伊藤俊也監督の「ロストクライム──閃光」(2010年)を見ていたら、ラスト近くになって重要な秘密を隠し続けてきたホームレスの老人役で出てきて、さすがに「うまいなあ」と唸った。

昨年、大震災後も放射能汚染地域にある自宅に棲み続ける老人を演じた「希望の国」(2012年)の紹介記事を新聞で読んだ。久しぶりの夏八木勲主演作品である。見なければ...と思っていながら、監督が園子温なので二の足を踏んでいる。こちらの生理に直接響いてくる暴力描写はないようだが、園作品を見にいくには覚悟が必要だ。見る前から緊張させる力を持つ園作品には敬意を払うが、僕にとっては敷居が高いのも事実である。

●「牙狼之介」という映画が四国新聞で広告されていた

「牙狼之介」(1966年)が公開されたとき、四国新聞に掲載された高松東映の広告を憶えている。タイトルが印象的だったからだ。一瞬、何て読むのだろう、と僕は考えた。ガローノスケ? と僕は首をひねった。「キバ・オオカミノスケ」と、すぐには読めなかった。語呂が悪い気がした。僕は15歳になったばかり、高校受験めざし勉学に励まなければならない時期だったが、本を読みレコードを聴くだけの日々を過ごしていた。

「牙狼之介」の広告には、「〈新スター〉夏八木勲主演」と大きく書かれていたと思う。それが、僕が初めて夏八木勲の存在を知ったときだった。いい名前だなあと思った。監督は五社英雄。当時の高松にはフジテレビ系の局がなく、五社英雄演出の「三匹の侍」は別の系列局が夜遅くに放送していたため僕は見せてもらえなかったが、その評判は聞いていた。ただ、色悪風の平幹二郎だけは好きにはなれなかった。

初期に五社作品の主演をつとめたせいか、夏八木勲は五社作品への出演が多い。シリーズ二作目「牙狼之介 地獄斬り」〈1967年〉を経て、「野性の証明」の前後にも「雲霧仁左衛門」(1978年)と「闇の狩人」(1979年)に出ている。盗賊(火盗改め)ものと仕掛け人もの、どちらも池波正太郎原作の時代劇だ。僕は「雲霧仁左衛門」で演じた洲走の熊五郎という役が記憶に残っている。最後まで生き残る雲霧一味の幹部だった。

先日、カミサンと近くの公園で開催されていた「大陶器市」を見にいったとき、歩きながら携帯電話を見ていたカミサンが顔を上げ、「夏八木勲が死んだって...」と口にした。昔から、僕が夏八木勲が好きだったことを知っているからだ。原田芳雄、地井武男、夏八木勲...、僕が最も夢中になって映画を見ていた20歳前後の頃、ひとまわりほど年上の俳優たちに惚れ込んだ。みんな、かっこよく見えた。僕は、男っぽい役者が好きだったのだ。

後に知ったのだが、彼らはみんな俳優座養成所の同期生だった。夏八木勲も、その「花の15期生」と言われるメンバーのひとりだった。他には、林隆三、高橋長英、前田吟、浜畑賢吉、河原崎次郎、村井国夫、竜崎勝などがいる。女優には、栗原小巻、太地喜和子、三田和代、赤座美代子などがいたというから、秀でた人たちが集まった特別の年なのだろう。ワインだって、特別出来のよい年がある。そういう巡り合わせは確かにある。

夏八木勲の死亡記事の多くに「個性派の名脇役として多くの映画、テレビドラマに出演した...」と書かれていた。これはキャリアを積んだ俳優の死亡記事では、紋切り型のように使われるフレーズだ。先日の三國連太郎の場合は扱いが大きかったが、ニュアンスは似たようなものだった。しかし、三國連太郎も主演でデビューしたし、夏八木勲だって主演者として映画デビューした。最初から「個性派の名脇役」だった人なんていない。長いキャリアの結果である。

三國連太郎も夏八木勲も芝居がうまかったために、次第に役の幅を広げ脇役をこなすようになる。若い頃の三國連太郎は配役としては二番目、三番目を演じることが多かった。石原裕次郎と共演した「鷲と鷹」が、デビューして10数年経った頃の三國のポジションを象徴している気がする。復讐を誓う殺人者の主人公(石原裕次郎)と風来坊の謎の船員(三國連太郎)、どちらにも花を持たせた映画だった。

デビューして10数年、「野性の証明」の夏木勲も似たポジションだった。過去に何かを抱えている謎の男(高倉健)、彼を怪しみ何かとまとわりつく刑事(夏木勲)、互いに相手には一目置いている。やがて、ふたりは共通の敵に向かうことになる。主役ではないが、花を持たせた役である。そんな役は、石原裕次郎や高倉健には演じられない。彼らは、主役しかできない。一方、三國連太郎や夏八木勲は主役から悪役まで、どんな役でも演じた。

●菅貫太郎が同じようなキャラクターを演じていた

残虐で凶暴な暴君がいる。演じているのは、スガカンこと菅貫太郎だ。そう言うと誰もが「十三人の刺客」(1963年)を思い出す。その映画から4年後に封切られた「十一人の侍」(1967年)は、評価の高かった自作を模倣するように工藤栄一監督が作った同工異曲の名作である。ストリーパターンはよく似ているし、ときどき同じようなセリフが飛び出す。しかし、作品から漂う絶望感は「十三人の刺客」をしのぎ、余韻はより深くなっている。

共に10万石以下の禄高しかない館林藩と忍藩が隣り合っている。館林藩主(菅貫太郎)は先の将軍の息子で、現将軍にとっては弟に当たる。彼は小藩の藩主であることを不満に思っている暴君である。その暴君に付き従っている切れ者の側近(大友柳太朗)がいる。ある日、彼らは狩りに出かける。しかし、獲物はなく暴君は苛立つ。ようやく見付けた鹿を追って隣藩の境界を越える。

馬に乗って獲物を追う暴君の前を、驚いた老人が立ちふさがる。老人はあわてて逃げるが、怒りに駆られた暴君が老人の背中を射抜く。そのまま立ち去ろうとした暴君を、領内の見まわりにきていた忍藩主が呼び止め、その暴挙をとがめる。苛立った暴君は弓を引き、忍藩主の目を射抜く。忍藩主は家来たちを止め、館林藩主と側近たちはそのまま館林領へ引き上げる。

場面が変わって江戸城。忍藩家老の榊原(南原宏治)が証拠の矢を添えて、告発状を幕府に差し出す。内容は館林藩主が領内に立ち入り、藩主を弓で射たために落命したことを告発し、さらに世継ぎの許可を求めるものだった。しかし、老中の水野(佐藤慶)は館林藩主が将軍家の血筋であることから告発状を握りつぶし、「ありもせぬことを申し立ててきた忍藩は不届きである」と取りつぶしを決める。

「十三人の刺客」では明石藩家老が切腹までして上訴した主君の隠居願いを拒否し、明石藩主におとがめなしと決めた老中(丹波哲郎)が秘かにお目付の島田新左衛門(片岡千恵蔵)を呼び出し、明石藩主を暗殺せよという密命を与える。賢明で公正な老中であり、密命とはいえバックに権力を背負った暗殺計画だった。だから豊富な資金があり、老中の添え書きによって様々な協力を得ることができた。

しかし、「十一人の侍」は最初からすべてがマイナスばかりだ。理不尽な藩主の死。権力を笠に着る暴君は忍藩を取りつぶさせ、館林藩に併合しようと狙っている。一気に禄高も倍増するからだ。将軍の弟である暴君の意を汲んで、老中は忍藩を取りつぶそうとする。最初から負ける戦いなのだ。権力は白を黒と言い、正義など存在しない。忍藩家老の榊原は老中と駆け引きをして、「即刻取りつぶし」の沙汰を一か月だけ猶予させる。

榊原は一か月の間に館林藩主を暗殺させ、それによって「取りつぶし」の沙汰を撤回させようと目論む。そのために同門だが剣も学問もかなわなかった旧友の千石隼人(夏八木勲)を脱藩させ、一介の浪人によって将軍家の弟である藩主が殺される形を作ろうとする。館林藩主を襲って主君の仇を討とうとした若侍たち6人(里見浩太朗、青木義郎など)と彼らの仲間の妹(大川栄子)、会計係(汐路章)たちを加え、恋女房(宮園純子)を棄てて隼人は江戸へ出る。

●モノクロームの美しい映像で描かれた集団抗争暗殺劇

「十一人の侍」が公開されたのは、一1967年の暮れのことだった。東映のプログラムの中心だった明朗時代劇があきられ、リアルな時代劇でなければ客が納得しなくなり、「十三人の刺客」を嚆矢として集団抗争時代劇と呼ばれる一群の作品が公開されて数年が過ぎた。一方で鶴田浩二や高倉健を主役にしたヤクザ映画が主流になり始めていた。つまり、東映がヤクザ映画に軸足を移していた頃、モノクロームの美しい映像で描かれた絶望的な集団抗争暗殺劇は公開されたのだ。

しかし、その当時の僕は「十一人の侍」を見て、生意気にも「なんだ『十三人の刺客』の焼き直しかあ」と思った。何しろ、その年の秋、ロベルト・アンリコ監督の「冒険者たち」(1967年)を見た僕はフランス映画に夢中になり、アラン・ドロン主演作ばかりを追いかけていた(本当はリノ・ヴァンチュラ映画を追いかけたかったのだが...)。だから、邦画を軽んじるところがあったかもしれない。

高校を卒業して上京し、名画座で再び「十三人の刺客」と「十一人の侍」をまとめて見たとき、その真価に気付いた。「十三人の刺客」は確かに格調高く、重厚で、物語に一分の隙もない名作であり、何度見ても飽きないけれど、「十一人の侍」の破天荒なところ、あるいは瑕疵にも思える甘さが、真に新しい時代劇になっているのだと僕は思った。それは、片岡千恵蔵ではなく、夏八木勲という若い俳優を起用したためでもあった。

「十一人の侍」は「十三の刺客」的な武士の世界を否定するところからスタートしたんじゃないか。そんな気がした。夏八木勲演じる隼人が初めて登場するとき、彼は柿の木に登ったまま降りられなくなった恋女房が飛び降りるのを受け止め、彼女を抱き上げたまま庭先で家老の榊原を出迎えるのである。それは、画期的な主人公の登場の仕方だった。

暗殺を企てる彼らは、権力に翻弄される。暗殺が単に主君の仇討ちだからではなく、忍藩の存続がかかっているからである。彼らの司令塔である家老の榊原も老中に対抗して様々に策謀を試みるが、権力者の謀とはレベルが違う。老中の読みは深く、どこまでも冷酷だ。そんな権力者たちのパワーゲームが、隼人たちの行動を規制する。だから、最後の最後に叫ぶ、隼人の言葉がせつなさを呼び起こす。観客の心の底まで響く。

──ここまでみじめに突き落とされた人間の思いを...、恨みを.........叩きつけてやるのだ

このせつなさは、御大・片岡千恵蔵には出せなかった。隼人の戦闘宣言の後、土砂降りの中の大殺陣は斬られていく男たちの心情を感じさせ、涙せずにいられない。かっこいい殺陣ではない。もつれ合うような戦いだ。斬る。突く。刺す。自らを鼓舞し、圧倒的な数の敵に向かっていく。「十三の刺客」のような仕掛けはない。肉弾戦だ。大友柳太朗と夏八木勲の戦いも、みっともなく延々と続く。それでも、夏八木勲は新しい時代劇のスターだった。

加藤泰監督作品でデビューした夏八木勲は、その後の47年間で300本を越える映画、テレビドラマに出演し、まだ何本もの公開予定作品を残したまま2013年5月11日午後3時22分、長く患った膵臓ガンのために自宅で亡くなった。享年73歳。僕が初めて彼を見たときは、まだ26歳の青年だった。あれから長い長い月日が過ぎ去り、彼は去った。二度と戻ってはこない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

朝日新聞の夕刊の追悼欄に、管洋志さんと安岡章太郎さんが並んで掲載されていました。管さんは67歳、安岡さんは92歳。掲載されていた管さんのポートレートが素敵でした。息子さんが撮影したものです。子供が仕事を継いでくれて、管さんもうれしかったことでしょう。

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