アナログステージ[98]アイデアのエコシステム──前編/べちおサマンサ

投稿:  著者:  読了時間:7分(本文:約3,400文字)


またもや個人的な話をウダウダと書こうといているのだけど、ネタが尽きたわけではない。ネタをまとめあげる時間がないのが正解で、ネタをまとめてデジクリでリリースする頃には賞味期限が切れてしまっており、ゴミ箱に捨てるというのが大正解なのだ。もったいない。

肉や野菜、魚などの生もの素材を購入し、それを調理してデジクリのネタが出来上がるわけではないので、ネタを腐らせて捨てても現実的な出費はゼロ。これが仕事として受託し、時間換算すれば話はまた変わってくるのだけれど、デジクリでこうしてダラダラと書かせていただいているのは、お金に換算できない楽しさと面白さがある。

第三者な目で自分のコラムを読み返すと、「オマエの私生活なんかどうだっていいんだバカタレ。それよりも、もっと業界の際どい話を読みたいんだ、火のないところに煙は立たないような裏話を読みたいんだ、この、ワンオクのLIVEで年齢考えないで横のギャルたちとピョンピョン飛び跳ねていた擬装ヤング野郎!! ちゃんと書けぇぇっ!」と憤りを感じたりする。

ということで、今回は少し違う視点から「モノつくり」に携わる経緯を書いてみたい。何度も書いておりますが、ワタクシはクリエイターはクリエイターですが、作品を残すようなクリエイターではございませんので、なにかが歪んでいるような視点もあるはずですのでご承知くださいね。




●アイデアを分かり難く数式で表現してみる

ゼロからモノを考え、それをカタチとして世にリリースするクリエイターなら、いままで培ってきた知識や技術のストック量は相当なものでしょう。枯れて木の枝から落ちた葉から、街頭路の灯りから映される影など、アイデアの引き出しに仕舞えるネタは、人それぞれであり、対象となるものもそれぞれです。

引き出しの中に仕舞ってあるアイデアたちをひとつひとつ並べ、組み合わせを何度も何度も変えて、基となるアイデアの一つが出来上がる。そこから足りない部分をプラスしたり、過剰になった部分をマイナスしたり、頭の中で出来ているラフスケッチに近づけていく。

ここでいうラフスケッチとは、紙に描いた視覚的なラフスケッチではなく、その時点まではほぼ完成形に近い、脳内で描かれているラフスケッチ。なので、誰にも知られることはなく、全体のイメージを理解しているのは自分だけ。

テキストだと「なに言ってんのこの人? あたまへーき?」と、ニュアンスが伝えきれないかもしれないので、数字を小アイデア、アルファベット小文字を数字を組合わせた中アイデア、アルファベット小文字組み合わせてできたものをアルファベット大文字にして簡単に表現してみると......

1+2+4=a (中アイデア1)
3+5*6=b (中アイデア2)
a+b=A  (大アイデア)
A-余計な部分=Ab (Aのとりあえずの状態)

10+8+9=c (中アイデア3)
Ab+c=Ac  (Aとcのとりあえずの状態)

Ac+11=B  (Acに小アイデアを追加)
B-余計な部分=Ba

と、足し算と引き算、場合によっては掛け算の繰り返しではないでしょうか。ここまで書いていて気がついたんですけれど、制作中に割り算チックな考えかたってあまりというか、ほとんどしないかも。どちらかというと、割り算は制作が終わって生産に入ったりするときに出てくる。

一日で完成まで持っていけるものもあれば、数日、数週間かかるものもあり、日を重ねるということは、新しいアイデアも追加されてくる。制作途中でも、新しく引出しに仕舞ったアイデアのおかげで、途中まで出来上がっているものに追加で加えたり、ときにはゼロに戻して再作成というケースもあるでしょう。

人間の記憶力って、相当な高スペックであると同時に、一番あてにならない力であったりもする。歳を重ねると、嫌でも現実味深い症状が『物忘れ』だ。アイデアの量が増えると、消えてしまうアイデアもある。記憶から抹消されるわけではなく、一時的に忘れている。

これが、なにかの拍子に突然思い出して、「あ。あのときのヤツ、このアイデアを加えていればもっと違ったモノになっていたかもしれない」と、忘れてていいのに、いきなり思い出したものだから、作り上げたものに不満を持ち始めたりもする。その思い出したアイデアが逸材なアイデアなら、未練が付きまとったり。

それはそれでとてももったいない話だ。それらのアイデアたちを無駄にしないため、いつでも引き出せるために便利な道具となるのが、パソコン。時代の恩恵に授からない手はない。

100パーセントまでとはいかなくても、相当な量を脳ミソから引き出すことはできる。脳ミソの容量も気しないで済むので、エコなことこの上ない。思い出せないストレスからも解放されるので、身体環境保護だ。

アイデアのエコシステムは、その当人にしか使いまわしができない技だ。時間がなくなったので、久しぶりにネタ分割。次回は、自分にしか分からない(知らない)エコシステムを書いてみる。

【べちおサマンサ】pipelinehot@yokohama.email.ne.jp
NDA拘束員であり、本当の横浜を探しているヒト。ぶら撮り散歩師。
Twitterはコチラ→< http://twitter.com/bachiosamansa >
まとめはコチラ→< http://start.io/bachio >

△▼過酒雑記──今日の酒は明日の肥し▼△

●「忙しい忙しい」と毎回懲りずに念仏のように言っているが、もうどうしようもないくらい。おそらく過去最高。ベンダー(下請け)さんもまったく追いついていなく、納期遅延の連続。そりゃそうだ、いきなり「生産台数を増やしますから、御社のほうも対応お願いしますね」って、リードタイムを無視した納期で発注だせば、そうなるわ。

コンビニで買ってレンジでチンして品物が出来上がるわけではないのに、自分の都合しか考えていないバカな会社に成り下がっている。いやだいやだ。

●すでに、アチラコチラで話題になっている、乙武氏の「イタリアン入店拒否について < http://ototake.com/mail/307/ >」だけど、いろいろな声があがることはもちろん、飲食店など接客業の立ち位置すら揺れ動く騒ぎでした。「でした」というより、まだ継続中だけど。

その場に居て、事の内容を一部始終把握しているわけではないのでコメントは控えるけれど、どちらかが一歩譲って対応すれば、ここまで大きくならなかったのでは。お互いが一歩譲り合えば、なお良しだっただろうに。お互いもったいないね。乙武氏とお店の攻防は置いといて、オイラなりの別視点というか、ちょっとした意見を。

幸いにも、入院を強いられたりするような、病気や怪我を今まで患ったことはないんだけど、昨年の5月初旬に『酔っ払って階段から転げ落ちてキッチンのガラスドアにメガダイブ事件』で、右足を数針縫う怪我をした。

・アナログステージ[53]守る側と守られる側の隙間
< http://bn.dgcr.com/archives/20110419140300.html >

初めての松葉杖生活で、とにかく苦労したのが横断歩道を渡ることだった。歩行者用信号機がついていても、信号機の横断時間が短くて、道路を最後まで渡りきることができないのだ。信号を一回待って、歩行者用が青になってから渡り初めても、渡りきることができなかった。

片側3車線の広い道路だと、中央分離帯のところに退避所みたいな場所があるので、2回に分けてギリギリ渡ることができた。これ、まだ体力があるうちはなんとかなるけれど、体力が落ちている高齢者や障がい者には相当キツいのは実感として良く分かった。

信号機の横断時間は、日本の行政がやっていることだから、あれこれと統計をとった平均時間を採用しているんだろうけれど、その統計時間だって健常者時間の統計がメインであるはず(よく調べていないので間違っていたらごめんなさい)。

いまの日本の技術なら歩行者をカメラで判別して、いくらでも横断時間の加減はできるだろうに......と探してみらありました。車にも人にも、お互いストレス溜めずにスムーズな環境を築いていくのが一番。

・高齢者対応の信号機本格導入へ 渡りきれない人に時間延ばす
- 47NEWS(よんななニュース):
< http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011012301000225.html >