デジタルちゃいろ[37]地層から見るEvernote
── browneyes ──

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日々、相当数のウェブサービスが生まれては倒れ、喰われては消滅する中、こちらもこちらで試してはびっくりしたり、がっかりしたり、放り投げたりしていくワケだけど、淘汰を乗り越えつつ、こちらも長いお付合いになってくるウェブサービスというのはそれなりに絞られて来るワケで、そういうサービスは大抵、時間と共に愛着が湧いたり依存しきったりしはじめる。

そんな中、ワタシの中でずっと微妙な距離感を保って位置しているウェブサービスの筆頭があの緑の象さん、Evernoteだった。

改めて調べてみたら、どうやら2008年の4月2日から利用開始してるらしい。かれこれ満5年。flickrとLast.fmが2005年、Twitterは2007年の春先からだ。利用開始日がどこを探しても見当たらないが、Tumblrは、確かTwitterの1〜2か月後からだったと思う。

gmailみたいなメールサービスアカウントを覗くと、恐らくその次くらいに長くお付合いしているもののひとつであろう。

なのに、どんなに長い付き合いになっても、キリンさんも好きだけど象さんの方がもーっと好き! ...とはいかない。どうにもこうにも自分の生活の中でツールとしての役割が定まらない。だったら捨てればよいのに何故か捨てるにも至らない。

ワタシは性分的に、「ツールを単にツールとして利用する」という当たり前の目的以前に、「ツールそのものをしゃぶり尽くさずにはいられない」タイプなので、試してみては最終的に捨ててしまうウェブサービスでも、恐らく一般のユーザーよりは個々のサービス、それぞれ辛抱強く使ってみる方だと思う。




それが故に、「使いたい」かどうか以前に、新しいサービスが出来るとサインアップして試さずにはいられない。言わばウェブサービスヲタ。まぁ、ちょっと変な趣味だけど、その性分は自分の場合は結構仕事にも役に立つので、今後も時間の許す限りで飛びついては試していくと思う。

とはいえ、試用で5年は長すぎる。

これまでも如何に使えばしっくりくるのか、と、何度かEvernote Hackな記事を参考にするべく漁りに行ったりもしたのだが、どうも巷のEvernoteヘビーユーザー達の使い方にも馴染めない。

なんというか、それ、Evernote愛っていうより、ただの創意工夫愛じゃ...? としか思えないHackが妙に多いのだ。上述のとおりで、ワタシ自身、ウェブサービスしゃぶりつくしヲタなワケだが、だからといって、あるサービスを「工夫」してまで万能なものにしたいとはあまり思ってない。

前も書いたけど、「ツールは工夫して使っちゃいけない」が前職で四六時中各種CMSサイト制作漬けだった時代に身をもって学んだこと。ここ重要。そのツールに必要な機能なら、いずれツールに実装される筈だ。こちらが無理矢理工夫をして実装したものは、ツールのあるべき成長と共にどこかで破綻する。

確かにEvernoteはシンプルかつ柔軟な連携機能は既にしっかり持っているので、ワタシも実際あれこれ試してみたコトはある。しかし、自動連携で全てが読みやすくクリッピングされるかというとそうでもない。これがストレスになる。見返したくなくなる。放り込むだけ放り込んで、その後がそれではメモとして致命的。

最近になってやっと、自然な形で徐々に仲良くなりつつある。象さんとの距離感が自分なりに見えてきたのだろう。基本に戻って、場所を選ばないメモ帳として。メモ帳である、という認識に改めると、だいぶ高機能だし、どこでも使えて便利。そういえばこの数か月は、デジクリ原稿も初稿はEvernoteで書いている。

以前はワタシの中でEvernote=何でもクリップ出来るもの、というイメージを強く持っていたせいで、ウェブクリッパー的に使わねば、という意識が強かったのだと思う。それを一旦やめてみたのだ。ウェブクリッパー系サービスなら他にいくらでもある(とはいえ、先日も中堅どころのサービスが閉店してしまったが)。

そんな感じで多少仲良くなり始めると、長きに渡っていい加減に使ってたが故に、とっ散らかったノート達が気になり出す。分類ヲタク(でもある)の血が騒ぎ始める。そんなわけで最近、思いついては何回かやってたノートブックの整理がやっと終わった。いくらか大別しておかないと、見返せるものも見返せない。

分類のために、自分で作った大別用のノートブックと、「全てのノート」を行き来していてふと、時系列で並んだ「全てのノート」のリストこそ、ワタシのEvernotes使いあぐねの歴史が地層となってるじゃないか、と気づいた。ちょっと面白い。

登録自体は2008年の春なのに、最古のノートは何故か2009年の秋。登録してからそれまで全く使ってなかった筈はないので、一旦ここでリセットしたのだろう。恐らく、闇に葬られた一年半の間はTumblr的に無駄なウェブクリップをしては、コレジャナイ感を持っていたに違いない。

それで改めて2009年の秋、改めて防備メモとして使ってみよう、と、唐突に思いついたようだ。内容からすると、某所の変わり種ドメインを取得した時の記録だ。当時某SNSで仲良しだったアルジェリアのプログラマさんが、不思議な方法で変わり種ドメイン取得方法の指南をしてくれたんだ。懐かしい。

以降、思いついた時限定で何かのアカウント情報らしきものが書かれている。しかしなかなか常用アプリとしては根付かず、また半年空く。

半年後に初めて、常用メモとしての活用第一歩が始まる。当時勤務していた職場での各種案件メモやアイデア、あと日報用のログ。当時は公私混同社畜だったので、家でも、長い通勤時でもいつでもどこでも書ける、というのは便利だった。しかし、これも数か月にふっつり途絶える。理由は今でも鮮明に覚えている。

今はデスクトップアプリの機能向上も進んだが、当時は今ひとつ。なので、その頃はブラウザ(とiPhone)のみでEvernoteを使っていた。ブラウザ上でも自動同期が働くのだが、同期中に時折、激しくモッサリ状態になるコトがあり、常々そのあたりを不満に思ってはいた。

ある日職場で、社内向け文書の元原稿をEvernoteで書いていた。長々と長々と。そして、長編大作な文書の最終段落くらいにさしかかった時に、モッサリ同期が「モッ」で長らく止まったまま、Evernoteのページがビジー状態に陥った。

仕方がないのでタブを閉じ、再度Evernoteを開く。なんと。文書はきれいさっぱり闇に葬られてた。その文章を書いている間中、何度もモッサリ同期はしてた筈なのに、ワタシの大作は跡形もない。やる気は削がれ、大作だった筈の社内向け文書は、記憶に残っているあらすじのみで提出されることとなった。

以来、仕事マターでのEvernoteへの信頼感は失墜し、仕事メモは昔ながらの質実剛健なテキストエディタに戻ったのだった。ワタシとEvernote、2回目の冬の時代到来。

冬と言ってもここから数年、実は消極的利用度は上がってる。「工夫」Hack的な思想は好まないながらも、各種Evernote Hackな記事に書いてある複雑怪奇なややこしい連携実験は一通り試してみてたからだ。

FeedやYahoo! Pipesを利用して任意のキーワードのニュース記事を自動抽出してみたり、Twitterの日別まとめログを各種ツールで自動的に放り込ませたり、外部サービスの各種ナニカを特定のトリガーで自動的に放り込ませたり。

でもそんな、何が放り込まれたかすら把握し切れてない有象無象なんて、読み返さないのですわ。大抵。

睡眠の記録を取り始めたのもその頃かららしい。これは今でも続いてるのだが、データがEvernoteに至るまでの中継方法は様々な変遷を遂げている。あいほんの目覚ましアプリ内の機能を使ったり、Twitterで任意のハッシュタグのあるものだけ自動で放り込めるようにしたり。

あと、時折場所にまつわるログが多少増えてくる。利用再開当初から何故か一貫して、旅先や土地勘のない近距離の場所の移動についてのメモはEvernoteで取るコトが多かった。手動で利用する際の目的としては、まだどちらかというと、非日常向きな感覚だったのかもしれない。

2011年の夏〜冬は、日記のようなちょっとした吐露のような書き散らかし記録が混じる。2011年が終わるのとほぼ同時期に問題が自分の中で解決を見せたこともあり、また、今では私的な記録は別のツールを利用してるので、この時期限定の傾向だ。

秋になると本棚系サービス連携で読みたい本の情報も放り込み始めてる。まずは蠅の王再読でウィリアム・ゴールディング祭りから。これは始まってる割に、近所の図書館でも入手困難なのが意外に多くて、県内の図書館から取り寄せてもらったのを覚えてる。

そして、あっ、そうか。デジクリの書き初めがこの年の10月なんだな。ネタの元ネタアイデアっぽいメモも書き始めてる。netaタグが付いている。1行メモレベルで、芽も出てないネタのタネもまだいくらか塩漬けになってる模様。

この頃からポツポツとウェブクリッピングも再開。ほんのたまに。普段は読んだものも、後で読む系も、再訪可能性のあるブックマークも別ツールだ。ただ、特定の場合はEvernoteのクリッピング機能が活躍する。

例えば、最近よくある会員専用記事みたいに、いちいちログインしないと2ページ目以降が読めないヤツ。あれは見返そうと思った時にまたログインするのが煩わしい。そんなケースはEvernoteでうまいこと全文クリップが出来る。

ログインした状態で一度、FirefoxやChromeのページ継ぎ足し系アドオンで読み進めて、全文がひと続きのページ内に表示された状態でクリップする。これだとまるっとクリップ出来るのだ。

あとは、ブックマークしててもページやコンテンツ自体がなくなっちゃったら困るタイプのリソース記事くらいかな、Evernoteにクリップするのは。そんな感じで限定的にEvernoteにクリップされた記事たちを見ると、その時々の、どうでもいいマイブームが偏向デフォルメされて見えてくる。

電子書籍の流れで組版についてやたらと調べたかと思ったら、占星術について調べてたり。そうそう、当時は、受け身なお告げ的「占い」ではなく、西洋占星術における、各星の配置や関わりの意味づけに興味があったのですよね。後は......ああそうだそうだ、地元の石仏とか道祖神の眺め歩きもしなくっちゃ!

で、それらと相まって、手動の走り書きメモも徐々に増えてくる。出先のちょいメモ機会が増えるにつれ、あいほん上での操作が増えるのだが、あいほん純正の文字入力がどうももっさりストレスフルになるので、文字入力関連はATOK Pad中心だ。

しかし、一日の大半をお地蔵さまのようにPC前に鎮座している自分にとっては、モバイルデバイス上でメモを完結させてしまうのでは、その後があまり便利ではない。

書いたものはATOK Padの機能を利用して、状況に応じてEvernoteやその他ツールに流していったりする。ここも、自動同期の機能はあるのだが、敢えて使わず、明示的に流す先を選択する。一手間かかるが、その手間で何かしらの意識をするかしないかで、書いて流したものの扱いも変ってくる。過度な便利機能にスポイルされてはいけない。

Evernoteアプリもあいほんにはあるが、そっちは時折、手書きのメモを写真として放り込む必要がある場合を除いて閲覧専用機だ。

こうして、あまり頑張らずに能動ベースなメモ中心のツールとして使ってみてやっと、Evernoteとの関係がしっくりしてきた。

しっくりしはじめる迄にも時間がかかったが、かといって今後も恐らく、そんなに愛着を持つ類いのサービスになっていくとも思えない。若干よそよそしい距離感のまま長い付き合いを続けていくのかもしれない。

5年後にまたAll Notesを遡ったら、どんな地層が増えてるんだろう。

■今回のどこかの国の音楽

□Asrar "Waris Shah"
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某所で見かけて気に入ったので、詳細は知りませんが、Asrarさんは、パキスタンはラホールのアコースティックなスーフィロック歌手のようですね。長髪髭面ながらイマドキのオサレな若者で、スーフィロックと言えども非常にさっぱり清潔なアコギでいい具合に裏切られます。

映像も本気で作ってますね。クオリティもかなり高くて、南亜細亜らしい鮮やかな色味とか大好きです。橋のど真ん中で延々熱唱する中、ごくごく平均的な各種パキスタン人が彼を邪魔そうに避けつつ、または怪訝そうに振り返りつつ、通り過ぎていく、そんななんでもない映像がまたとても好きです。これもロケ地ラホール...のどこかなのかな。

曲のタイトルになってるのも人名っぽいな、と調べてみたら、16世紀のスーフィ詩人に同じ名前の方がいるようで、その方についての賛歌なのか、その方の詩の引用なのか...どうかは推測でしかありませんが、古きスーフィ詩や民話は今でもよく使われてるようなので、関係はありそうな気がします。あぁ、歌詞も解せたらいいのに。

コメント欄を見ると曲への評価も高く、期待の新人ぽい雰囲気がしますね。この人はちょっと注目してみよう。

【browneyes】 dc@browneyes.in
生業:アパレル屋→本屋→キャスティング屋→ウェブ屋&行政書士補助者などをしつつなんでも屋(←いまここ)。
ライフワーク:なんでもない日常のスナップ。
□立ち寄り先一覧 < http://start.io/browneyes
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□デジタルちゃいろ:今回のどこかの国の音楽プレイリストまとめ
└< http://j.mp/xA0gHF
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週末は、日本三大七夕祭りのひとつと言われている地元の七夕祭りが開催されていた。豪勢な七夕飾りと相当数の出店が並ぶ様は壮観なのだが、311以降、大きく会場規模が縮小してしまったままなのが少し寂しい。

期間中の夜の我が町の、ちょっと危なっかしくも、通常以上にユルく楽しむやんちゃな人々の喧噪は、会場近くに住む人間にとっては迷惑でありつつも、案外嫌いではない。

最終日の夜、静寂が戻った中、通りという通りに積み上がる膨大なゴミの山々を眺めながら散歩するのも、祭りの街の住人ならではの楽しみで結構好き。

□今年の七夕祭り
└< http://j.mp/12d36mD
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□去年の宴の後(ほんの一部)
└< http://flic.kr/p/ctfCmj
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