武&山根の展覧会レビュー 特別編 GrowHair藝術論(仮)/武 盾一郎&山根康弘

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武▼こんばんは!

山▽こんばんは〜

武▼『貴婦人と一角獣』観てきました! 国立新美術館! 「くにたち」じゃないよ。ギロッポンです!
< http://www.lady-unicorn.jp/ >

山▽お、そうなんすか。じゃあそのレポートで。

武▼では今回は武盾一郎の展覧会レポートです! ......と、見せかけて......

山▽なんすか。

武▼VICE『セーラー服おじさん - MY SCHOOLGIRL FANTASY 』
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山▽こ、これは!!w

武▼2/2の殆どがホームレスの人との会話なんだよなw 再生回数は後半の方が圧倒的に少ないけど、後半はなんかしみじみとするというか。

山▽構成的によくわかる。

武▼酔っぱらってきちゃったな。。大丈夫か、おれ。。

山▽もうそんな呑んでんのか!

武▼暑いんでね、焼酎の炭酸水割りをグビーッと呑んでますw 今日はね、実は難しいテーマに挑戦するんですよ。

山▽そうですね、今回のネタはデジクリ読者の方々には、いや、巷でおなじみの、GrowHairさんです! 公式サイトもあるのかw
< http://bn.dgcr.com/archives/15_growhair/ >
< http://www.growhair-jk.com/ >

武▼ズバリ「 GrowHair藝術論 -ケバヤシさんから人生を学ぼう!-」




●GrowHair藝術論

武▼まず、「ケバヤシさんはアートか?」俺たちは「GrowHairさん」ではなくて「ケバヤシさん」と呼んでるので、その言い方で進めましょう。

山▽それにしても、、ちょっとこれは、いろんな意味で荷が重いw

武▼「藝術とは宣言した時に藝術になる」んです。大体が自分で宣言するんだけれども、他者が宣言する場合もまれにある。アールブリュットとかね。

山▽そうやな。

武▼「宣言を必要とするのが藝術」とするとケバヤシさんは「アート」ではなくなってしまう。

山▽はい。

武▼最初のVICEの話からいこうか。インタビューではセーラー服を着て街に出たのは2011年の6月にラーメン屋さんのエピソードから、ということになっているけど、それより前に俺たちはケバヤシさんのセーラー服を知ってるよね。

山▽最初に見たのはどこでやろ。写真では見てたけど、実際に見たのはうちでやった忘年会とちゃうかな。2010年の。ということはラーメン屋より前ですね。
< http://www.ustream.tv/recorded/11651845 >

武▼9:11にケバヤシさんが登場します。セーラー服を忘れて取りに戻ってきたw

山▽僕は全然覚えてないけどなw

武▼「変な格好」って行為としてはプリミティブだよね。この時「いわゆるアートっぽい人たちによるパフォーマンス」よりも藝術な感じを受けたんですよね。当初のケバヤシさんのセーラー服。

山▽そうなんや。僕はそうは思わんかったんやけど。コスプレ、という印象やったな。

武▼ケバヤシさんはコスプレじゃないよね。「コスプレとはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為を指す」という。

コスプレ(wikipedia)
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC >

山▽元来は、ってことでしょ。僕はそこは全く知らなかったから、むしろ「近年は意味が拡大し、特定の職業で採用されている制服や特定の着衣を好む者が、その衣装を真似て作った服もしくは本物を着て、自らの意志でそのキャラクターになりきることもコスプレと呼ぶことがある。」ってとこの方が分りやすい。

武▼「私はアートという行為をしてるんです」という自意識臭がする美大芸大系の人たちのパフォーマンってのがすんごく「アートじゃない感」がしてたんです。アート自意識過剰の人たちのパフォーマンスが目指してるのは「アートしてるカッコいい自分」なんだろうなあ、と。

で、コスプレしてる人たちが目指してるのは「誰々(マンガ、アニメキャラ)になってる自分」を楽しんでるわけで、要するに両方とも「借り物」に完全に入り込む方向性なんですよね。

山▽サンプリングか。

武▼コスプレで「綾波レイ」を気取るのと、アート自意識過剰が「アーティスト」を気取るのと、似たようなところがあって、「真似っこ」なんですよね、「なんとか気取り」。

それに対してケバヤシさんは「セーラー服を着る」ってとろこに真っすぐなところを感じたんですよ。「女子高生気取り」とはちょっと違う。「女子高生気取り」だったらヒゲ剃るじゃんw 禿げ隠すじゃんw

山▽でも多分、「女子高生気取り」な部分もあるぞw

武▼確かにw けどね、「真似っこ」をしたい人ではないんだよね。

山▽マネではないんかな。

武▼だからパッと見、気持ち悪いんですよ。

山▽最初に見た時はやっぱり強烈やったな〜、もう見慣れたけど。

武▼そこに、「藝術性」を見て取れるんじゃないか、と。「個体のしょうもなさ」がスタイリッシュになり切らずに表出してる表現ってのはともかく最初に「奇妙な違和感」がある。初期段階からスタイリッシュになってるのはコピペしてるからなんですよね、大体が。

山▽ふむ。

武▼「アートをやってるワケではない」という自意識というか、アートに無自覚の行為の方が「アート」のエキスが濃い場合って往々にしてあるんだよね。初期段階に限るけど。

山▽それはわからんでもないけど。

武▼でね、例えばTBS テレビ『有吉ジャポン』2013年5月24日(金)深夜24:10〜24:50
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今はセーラー服着て街を歩くことに目的というか「意味」が生じてるよね。最初の頃は「セーラー服を着て街を歩いた。そうしたかったから。」っていう感じが強くて、街中では反応そのものを楽しんでいたりしてる感じなんですよね。そこの部分が特に「藝術的な状態」だなあ、って感じてたんですよ。合目的ではない感じ。好きだからやっていて「衝動」のようなものに支えられていた、と。

山▽なるほどね。

武▼で、やり続けて行くうちに、自分の行為に「意味」を発見して行くんですよね。発見するというか「意味付け」して行くというか。そうすると、初期衝動の「藝術状態」は沈静化するんです。

人を楽しませるため、人を幸せ気分にさせるため、というのは続ける上で最も大切なモチベーションで普遍的で素晴らしいことですが、その意味自体はアートではない、というか。アートじゃなくてもいいというかね。なので現時点ではケバヤシさんは「藝術状態」に居るかというと必ずしもそうではないかもなあ、と。

また、ケバヤシさんは『「女装なんてドラッグに比べたら健全!」中年おじさんが"不完全女装"にハマるワケ(日刊サイゾー)』で、

「今の社会って、システム至上主義なんだと思うんです。電車や電気、社会がキッチリ回っていることが人の命よりも重要という。そうなっちゃうと人間って、そのシステムをうまく回すための部品になっちゃう。別に自分がいなくなっても、別の誰かが埋め合わせすることになるし......アイデンティティというのがなくなっちゃうんですよね。そんな中にシステムから完全に逸脱した人が出てくると、スカーッとするんでしょうね。」と話していてる。
< http://www.cyzo.com/2013/07/post_13776_4.html >

やはりセーラー服に「人間を解き放つ気持ち」は根底としてあると思うんです。この「解放へのベクトル」は「藝術」と通じると思うんですよ。

デジクリの「Otakuワールドへようこそ![177]ポストシステム社会の幕開けの予兆か? 中高年の女装街歩きという現象」ではこの辺りのケバヤシさんの考え方感じ方が詳細に書かれてますね。グッと来るテキストです。
< http://bn.dgcr.com/archives/20130621140100.html >

●「GrowHair」はなぜ有名になったのか?

山▽ちょっと話題を変えましょか。なんで今こんなに有名になったか?

武▼続けたからでしょう。一回セーラー服着て街に出てカタルシスを得て終わりじゃなくて。

山▽まあ有名になる事が目的ではないんやろうしね。世の中には女装する方は大勢いらっしゃるわけじゃないですか。でもそういう人って、一般にはあまり知られないことが多いような気がするんよね。テレビタレントは別として。例えばドラァグクイーンの人とか。沢山いるよな。

武▼ドラァグクイーンってよく知らないのだ。。
山▽それこそアート系イベントなんかでは結構見る。

ドラァグクイーン(wikipedia)
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A1%E3%82%B0%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3 >

武▼オナペッツみたいなのね。あ、クリエイターだったのか。。

山▽あと、新宿なんか歩いてたら、いっぱい、かどうかわからんが、よく会うやん。2丁目で働いてる人って感じでもないけど、女装してます! って人が。で、ですよ。そういう方々とケバヤシさんって女装者とは言え全然、ウケ方が違うようなきがするんよね。

武▼そもそもアート系なんじゃないの、ドラァグクイーン。
山▽僕も詳しくわからんけど。ってか、アートとか関係なしに、女装、ってことで。

武▼ドラァグクイーンもジェンダー問題関係してるよね、で、ゲイって性対象が人じゃん。ケバヤシさんは嫁が二次元でしょ。ある意味ジェンダー問題だろうけどそこがちょっと違うんじゃないのかな。性の方向というか性のカテゴリーというか。

山▽うーん、こうなってくると、二次元すら関係ないような気もする。性的志向性とかあんまり感じへん。ケバヤシさんのセーラー服に。僕が見た印象では。

武▼確かに「性」が前面に出てこないよね。「ネオテニー」ってことなんかな。

山▽で、ですよ、結局なんなんやろ? って考えたら、やっぱりあの頭と髭なんですね。これは大きいw 見た人は、そこのギャップに反応する訳だ。当然気がつくし。そんで、なぜかはわからないけど、「すげーっ!」って思うんよな。というか、実はケバヤシさん、セーラー服着てなくても、けっこうなインパクトな訳です。

武▼そうねw

山▽あと、これもなぜかはわからないんですが、怖くないんです。愛嬌あるんよな。女装者の方って、ちょっと近寄り難い雰囲気やったりする。ケバヤシさんはそれがない、あるいは少ない。

武▼「攻め」というより「受け身」ってことか。

山▽というと?

武▼「真似っこ」ってのは共通項を最初に作ってるわけだから怖くなりにくいよね。観る人にしてみると想定範囲内になるから。ケバヤシさんのセーラー服は「真似っこ」ではないよね。

てことは「自己主張」してるし、当然発信してることになる。そうすると「怖さ」って出てしまう場合が多いんだけど、過剰に自意識を発射してないからなのかな。圧倒されるんじゃなくて、どちらかというと引き込まれるんでしょう。

「姿がまぶしい!」って見る者がのけぞるのは攻めの表現だけど、「なんだろあれ?」って近づいてみたくなるのは受け身の表現で、ケバヤシさんは「受け身」の表現なんじゃないかな。そこがウケてるのかな、と今ふと思った。禿げて髭でセーラー服なんか着てるのに、自己顕示欲が強そうに見えない。

山▽確かに、あれだけ奇抜wなのに、自己主張してます! って感じを強く受けない。

武▼実際ケバヤシさんは人を押しのけてでも目立とうする人じゃないですからね。そこにも何か人気の秘密がありそうだ。だけどエゴサーチをしっかりやっていて、自分関連のツイートがあると見逃さないでRT(リツイート)してるw

「私を見てー!」とはツイートしないけど、自分に言及されたツイートをRTする。自分の宣伝はかなりしっかりやってるんよね。そこはなんだか「表現者」的なんですよ。

山▽うーん、僕はそこを「表現者的」っていうふうには思わないんよね。それはなにか別のもんのような。わからんけど。

武▼自分に関わるツイートをRTしてる人はジャーナリストとか作家、アーティストだよ、おおむね。

山▽それは仕事やからな。ビジネスとしてやる、と。

武▼ケバヤシさんのRTは仕事としてじゃない、ってことかな?

山▽どうなんやろ、、例えば、現実に自分由来で起こっていることを、客観的にする為の方法、とか。

武▼どういうこと?

山▽自分は別に何にもしてない、という体(てい)をあえてとるわけですね。そうする事によって、客観的に判断する、と。自分も、周りも。分離してるんとちゃうかな。セーラー服を着てる自分と、RTしてる自分と。

武▼自分で自分のことを言うよりも、誰かが自分のことを言ってる方が格好がいいし、嬉しいし、説得力も増すよね。「俺の絵、すんごくいいんで観てください!」っていうより、誰かが「武さんの絵ってなんか好きなんだよね」と言った方が断然良い絵な感じするじゃん。誰かの証言が欲しいってのは、あるよ。

山▽説得力が増す、ってことは、当然わかっていらっしゃるでしょう。格好よさとは関係ないかもな。

武▼ふむ。ちょっとここでまとめると、なぜ有名になったのか? これまでのポイントは、「真似っこではない」「続けている」「インパクトあるのに受け身の表現である」「ちゃんと宣伝してる」かな。

でね、もうひとつ重要な要素があると思うんですよ。それはね「先駆者がいる」。つまりケバヤシさんは先駆者ではない。これって有名になるかなり重要なポイントかなあ、と最近思うんです。

山▽ああ、ケバヤシさんもよく言ってらっしゃる、、何さんやったっけw

武▼安穂野香さんだっけか。
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山▽あ、そうそう。

武▼「セーラー服おじさん」の元祖はこの人らしい。まあでもケバヤシさんは別にこの人の真似をしたわけではないんですよね。なんつったらいいんだろう、「元祖」ってだいたい「狂気」の香りがするんだよw

山▽笑えるww ホンマに怖いからかなw

武▼元祖が風穴を開けるんだけど、何かがポピュラリティに欠けてるんだよねw

山▽なんでやろね。まあ当然、ケバヤシさん自身の持っている能力があるんやろね。でだ、ここでアートの話に戻ると。

武▼ほい。

山▽真似かそうでないかは実はさほど問題ではなくて、真似をしたって、それを藝術として高める事ができる、ってことは言えるとは思うねんな。コスプレという行為が何かの真似でもそれは別にかまわない訳やし、とやかく言われる筋合いはない。

だけど、それがただの真似なのか(真似で終わらせたい人だってたくさんいるやろ)、真似に収まらないか、ってことなんやろね。まねまね言ってますがw

武▼真似から入るのはいいんですよ、別に。

山▽真似で終わっちゃあかん、ってこともないやろに。

武▼真似で終わる場合はフェイクを自覚すればいいんだよね。ケバヤシさんのセーラー服は「真似から入ってるわけではない」感じな所にアートを感じた、ということなんですよ。

山▽それはなんなんやろ、ってことやな。もうちょっと具体的に、何を感じたのか。

武▼俺がまずケバヤシさんのセーラー服姿を見た時に思ったのは、「それコスプレじゃないじゃん!」だった。オタクの専門家だったらキャラを引用したコスプレであって欲しかったんですよ。けど、ケバヤシさんがセーラー服の既存キャラクターに扮してたらここまで有名になってなかったと思うよ。

でね、元祖セーラー服おじさんはハードコアな香りが濃いけど、ケバヤシさんはどこか社会化されたポピュラリティを感じるよね。「病気じゃない感」なのかな、それって。

山▽あ、なるほど。そうかもね。

武▼「元祖」ってだいたい病的だよね。元祖がビョーキな部分を担ってくれるから次はもっとバランスとれた感じになれる。だから人々に受け入れられ易くなって有名になる、と。

山▽そこはあるかもね。病気ってのは社会化されて、なるもんよね。つまり、社会的に「意味がわからない」と病気、あるいは狂気である、と。

武▼風穴を開けてもまだそこにカテゴリーがないわけだから社会的に病だと判断されるのね。けど、本人にも病的な気質がなければこれまた風穴を開けなかったりするw

で、元祖はそこら辺の狂気臭が拭えずにハードコアに留まりがちになる。で、二番手か三番手が有名になるんだよ。有名になるというか広く理解される、というか。

山▽ただ、慣れてくるって話も知らんがw

武▼そうそう。0を1にさせるのが元祖で、1を展開させるのがその後の人たちだから、仕事の内容が根本的に違う。

でだ。なぜ有名になったのかをまとめると、
「真似っこではない」
「続けている」
「インパクトあるのに受け身の表現である」
「ちゃんと宣伝してる」
「先駆者ではない」
ということになる。

山▽あと、「メディアの力」かー。

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/目指せ年収800万】
facebookページ < http://www.facebook.com/junichiro.take >
Twitter < http://twitter.com/Take_J >
take.junichiro@gmail.com

グループ展に出展します!「トンドの夢想家達」展/ギャラリー オル・テール
< http://or-terre.jimdo.com/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/ >
会期:2013年8月3日(土)、9日(金)10日(土)、16日(金)17日(土)、23日(金)24日(土)、30日(金)全8日間 時間:13:00〜19:30

【山根康弘(やまね やすひろ)/ビアガーデン行きたい】
yamane.yasuhiro@gmail.com