電網悠語:未来IT編[201]7年後の〆切、2020年東京/三井英樹

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申し訳ないけれど、驚いた。勝算がある事すら知らなかった。なので、前日の「これは行けそうだ報道」にも、「またぁ〜」と思っていた。心は、iPhone5s/ 5cで目一杯w。で、未明のメールを寝ぼけ眼で見て、しばらく理解するのに時間がかかった。え? 2020年東京??

後追いで、猪瀬知事の焦燥しつつも満足そうな顔や、滝川クリステルの「お・も・て・な・し」や、本当に爆発するかのように喜ぶフェンシング太田選手を見る。おぉ、知らないところで、こんな熾烈な戦いを、されていたのですか。更に更に太田の計画性にも驚かされる。ほとんどPMの鑑だ。

「英語はダメでも、五輪招致プレゼンターは太田に」なった理由:日経ビジネスオンライン
< http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130910/253191/ >






先の東京オリンピックの時、私は一歳。記憶にあろうはずもない。テレビが家にあったかどうかさえ怪しい。でも折りに触れ、当時の熱狂の凄さは聞いて来た。皆が貧しかった時代、その中に粲然と輝くアスリートたちの勇姿。

ちょっとカクカクしたような白黒テレビの映像と、押さえ切れない感動をそのまま叫ぶアナウンサーの声。こんな声を聞いて、奮い立たない人はいないと感じていた。過去の話という位置付けよりも、どこか羨ましいなという感覚。

でも聞こえてくるのは、いつも試合の中身で、表舞台。その準備期間の話は殆ど知らない。伝える側の問題というよりも、聞く私がそこに興味がなかったからだろう。そう言えば、あの豪華とは言えない聖火台の生い立ちも知らない。世界のアスリートたちが、敗戦直後とは違うとはいえ、未だ未だ復興の道半ばの日本に来る。どんな気持ちで迎えたのだろう。それを私たちはこれから体験する事になる。

国立霞ヶ丘陸上競技場[Wikipedia]
< http://bit.ly/16aqWDO >



先がある事は良い事だ。しかも明確な〆切付き。長過ぎもせず、短すぎることもない、7年間。しかも、やって来る猛者たちはハズレなし。正しく迎え入れられたならば、成功は約束されている。盛り上がらないオリンピックなんてあり得ない。

人間がどこまで行けるのか、肉眼で見れるチャンスがやって来る。今までダメだと思って来た事さえ、「いやいや為せば成る」と思えるような、「人間ってすんげぇ」と心が震える4年(2年)に一度の感動の季節。それが日本に来る。

今ほどテレビもネットも普及していなかった時代に、少ない情報の中で予想し興奮していた当時の方々。私たちは、同じ感動を味わうのだろうか、違う感動に震えるのだろうか。

あり余る程の情報の中で、リアルな肉体が競り合う。視覚情報だけでなく、論理的な山ほどの情報の中で、それを見つめるはずだ。7年も先なのに、それほどスポーツ好きでもない私が、既に色々と妄想している。ぶらさげられた鼻先の人参のように、楽しみが先にできた。

今は冷静でも、直前になったら、見ないで死ねるかと元気付くご老人も増えるだろう。今から頑張って出場したいという子ども達も、荒唐無稽に感じなくて、なかなか眩(まばゆ)く逞しい。



でも同時に暗い想像も襲って来る。皆が貧しい時のオリンピックと、ここまで広がった格差のさなかでのオリンピック。根底が違い過ぎている気がしてならない。キーワードは「ブラック企業」。

儲ける者はガッツリと、酷使される側はグッタリと。そんな労働環境が、堂々と大手を振って闊歩するかのうに待ち伏せていそうで怖い。モラル崩壊の中で、身ぐるみさえ剥ごうとする「搾取する側」、未来ある若者を使い捨ててでも自分達が贅沢しようと思う輩が怖い。

山ほどの建築現場が生まれ、活気と危険に満ちあふれ、その中に外国人労働者も多くいる。多国籍の労働者で、多国籍のお祭りの準備をする。グローバルな視点が要るといって、英語だけ見つめていたところは、多文化という荒波も経験する事になる。

文字や映像だけでない、触れる事の出来る異文化が7年後には押し寄せる。「おもてなし」を強調したのだから、道はなお厳しくなるだろう。他国を攻撃するヘイトスピーチ等している暇など既にないのかもしれない。オリンピックの期間中だけ仲良くすれば良い訳ではない。根底的に協力協調し合わないと進めない道。

山ほどのボランティアグループも必要とされる。年齢差だけが問題となるのではなく、ここも多国籍化するだろう。小さくも根深い問題もほじくり出されるかもしれない。

この一年ほど私は自治会の活動に少し関わったけれど、正直言って年齢の問題だけでも凄く大きい。既に共通項としての「常識」などないに等しい。コミュニケーションの基盤が薄っぺらいのである。一夜の盆踊りの準備をするだけでも小競り合いがあるのに、ここに言語と文化の壁が入り込めのだ、こりゃ大変だなと溜め息も出る。

想定外でした、という言い訳ももうできまい。そもそも想定などしていなくて、考えていなかっただけであることは、既に露呈している。汚染水の問題でも、お粗末な話は未だに出続けている。

「コントロール下にある」と誇らしげに首相が言った直後に、んなことはないですと現場から声が出ている現状が多くを物語っている。想定出来ると思う事自体が驕りや慢心と捉えるべき、というのが肝に銘じるべき教訓だった。150もの文化が日本に到来する。言い訳を考えている暇はない。

安倍首相と東電幹部、汚染水制御の認識でズレ:日本経済新聞
< http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS13035_T10C13A9PP8000/ >



出来うる限りのことを想定して事に当たる、とは良く聞かされる言葉だけれど、もはやITの最前線でもそんなことは言っていない。牛歩のような想定論争をしている暇があったら、多くの状況に対応できる人材を育てて行く事こそがリスクマネージメントだと動いているように見える。そして対応するという事は、机上の話ではないので、現場との関わり方が最優先される。

日本が得意とされている分野と、これから進むべき道とが微妙にズレている予感もする。指示する/指示されるという作業は得意だけれど、臨機応変に各自が自律的に、更に協力し合って動くことは、あまり得意ではない分野だろう。でも進まざるを得ない。7年は、じっとしていても過ぎ去る。そして変化は間違いなく生まれている。今までの自分達を見直す動きは様々な部分で見え始めている。



東日本大震災後の地震学者たちは見ていて気の毒だった。本当に誠実な方が多いんだろうなと思ったけれど、今までの自分の給料がすべて泥棒でしたと自白しそうな悲壮感があった。

これほどの大きな被害を予知できなかったという恥辱。今まで俺は何して来たんだろうという失望喪失感。だからこそ、今立ち上がっている。同じ轍は踏むまいと誓っている。あの会議の場での、キレイ事を言うまいという雰囲気は、なかなか背筋を正させる。

それは他人事で論評していてもダメだという姿勢であり、データと睨めっこしてばかりいてもダメだという舵切りでもある。現場に役に立たない学問は無意味だと叫んでいるようにも見える。地震は人の命と直結しているだけに後悔の念も強いだろう。

未だに、他の分野では事故などを見て他人事のように、「私は前から危険だと思っていたんですよね」とシレッと言ってのける偉そうな学者も多いけれど、明らかに二極化し始めている。書斎引きこもり型と現場共生型。

それは、どこかこれからの大学の生き残る道を示唆しているようにも見える。ネットでハーバード大学の授業が聴ける今、知るだけでは足りない、参加や関与が出来ることこそが、「場」の提供できる強みでもある。それはネット配信しながらも、人気を集めるIT勉強会にも似ている。



そしてITである。それも東日本大震災以降のIT。果たして、ITは役に立ったのか。どこに役立ち、どこに無力だったのか。何があれば強くなり、何が足りなければ強くなれなかったのか。分析は未だ出来ていない。課題も整理されていない。

しかも、非常時の情報や権限の混乱は世界中に見せつけてしまっている。明らかにマイナスからの出発。メイドインジャパンの栄光からのスタートではない。その「答え」が7年後に求められている。

ITとネットは、様々な情報を集め広めて来た。美しいものも、悪しきものも、ほっこりするものも、ウンザリするものも、心を震わせるものも。でも、それを次のステップに活かすようには、未だ活用し切れていない。

今出来ているコト以上のことが、まだあるはずだ。未来は明るい方が良いに決まっている。だから、明日のITを、7年後の更に先のITを提示することが求められている。



オリンピックと聞いて、震災を想う人と、経済を考える人と、ここでもまた二極化するのだろう。2020年東京が決まったのは、震災に対するエールであって、経済優先の発想からではないと私は直感したし、そう思いたい。

これは打ち拉(ひし)がれている日本に対する応援だ。世界が「困難」にある国に出来る最上の贈り物の一つなのだろう。そしてそれは、勤勉で高品質で善良な日本だからこそ、贈りたくなった贈り物。単なる商業的成功を目指すのであれば、日本でなくてもいい。

他のどの国でもない、この日本で開催されて良かったと、参加者も支援者も観衆も思ってくれたなら、そんなに素敵な事はない。オリンピックは単なるスポーツ以上の何かであって欲しい。だからこそ、日本もただの開催国だけではない何かになって欲しい。

同時に、被災地に住むもの達への希望も忘れてはならない。過去は変えられない、でも未来は変えられると、ちゃんと伝えたいし支えたい。被災者を大イベント招致の客寄せパンダにしてはならない。

そもそも、この震災が響いたのは、先の阪神・淡路大震災で何を学んだのかという自問だった。そしてもうこんなことは起こらないという慢心。それが学んでいなかったことも、備えてこなかった事も、もっと酷い事だって起こるんだということにも気付かされた。同じ轍は踏めない。



泳ぐしか出来ないけれど、感動された。走るしか出来ないけれど、誰かの支えになっていた。自分の強さを求めることしか出来なかったのに、観る人を強くした。そして逆に弱いものから支えられた。

そんなドラマは山ほどある。飽きる程あるけれど、飽きない。聴く度に、「人間っていいな」と心の奥底で何かが囁く。肉体的に高度な祝福を得たものが、同時に与えられる「なし得ること」の豊かさ。そしてそれだからこその責任。

それが選手たちだけでなく、多くの人達に届けられる。ITしか出来ない者、裏方しか出来ない者、○○しかできない者たちが寄り合い、大きな大きな成功を目指して歩み出す。共に進む道を探り進む7年間。開催期間の一か月よりも、実は熱い季節が始っている。

追伸)

個人的には、2020東京は「卒業」がテーマかなと思っている。絶望からの卒業、搾取することからの卒業、搾取されることからの卒業、慢心する事からの卒業、人を使い捨てることからの卒業、憎しみからの卒業、攻撃からの卒業、戦争からの卒業。

平和ボケしていると言われつつ、もう何10年も戦争をしていない希有なこの国を、幸せな国の先駆けとして、世界に見せつけて欲しい。明日の命を心配せず、戦争に気を病むこともなく、スポーツを楽しみ競い合う喜びに浸たれる喜び。それが実は難易度が異常に高く、崇高なものであるのか。

そのためには、日本が幸せを実感できる国にならないとね。それが出来たら、唯一無二の世界ブランドだし、実は世界中が日本に期待していることではないだろうか。日本にしか出来ない事として。「Pray for Japan」運動から感じること。そして、期待には応えたい。是非とも。だからこそ、単なる「お金一杯使いましたお祭り」には終わらせたくない。

そろそろ「先の世界」も見たい。男性トイレの定型句ではないが、「一歩前に」。思考もイベントも世界も、一歩前に。

【みつい・ひでき】@weblyst | mit_dgcr(a)yahoo.co.jp

・お久しぶりです。単発ででも書けと命ぜられて出戻ってきましたw、単発で。
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