デジクリトーク/セミナー『新しい読書をめぐって...』から 柴田忠男

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●編集後記(09/26)

25日15時半から、8月16日に逝去された「青空文庫」富田倫生さんの追悼記念イベントが行われ、ニコ生で生中継された。ちょうどその時間、当日締切の途轍もなくめんどうな仕事(しかもノーギャラw)に血眼だったわたしは、とうとう参加できなかった。そこで、深夜になってから富田さんに関連する書籍や印刷物を手にとって、富田さんを偲んだのであった。

出会いはいつだったか忘れたが、DTPやデザイン、出版関連のセミナーの講師として何度かご一緒したことがある。そして、わたしの「ソーホー(SOHO)者」「デジタル部活者」という名乗りがとても気に入られたようで、いろいろな人を紹介してくれたのだった。

わたしは1996年12月に「日本語の文字と組版を考える会」の設立に参加し、ほぼ隔月で毎回200人を超える参加者があったセミナーを企画、運営した。これもノーギャラの「部活」だw。活動の第一期は1998年12月までで(第二期はわたしは運営から下りる)、毎回A4判文字ぎっしり24ページ前後の会報を制作していた。一回3時間以上のセミナーの様子をテープ起こしして原稿にまとめていたのだから、当時のわたしはむちゃくちゃ精力的だったのだ。その冊子は合本され280ページ超の大冊になった。第12回「新しい読書をめぐって......」では、富田さんに講師をお願いした。久しぶりにその回の会報を読んでみた。

メインスピーカーは、富田倫生、松本功(ひつじ書房)、萩野正昭の各氏。それぞれの語りは力強く、会場は熱気にあふれていた。最後の質疑応答では、さらにヒートアップ。「デジタルテキストの交換こそが本道で、組版は消失していい」という富田さんの意見に対し、鈴木一誌さんが鋭く突っ込む。富田さんは「テキスト交換の太い幹は、組版という美意識を排除したところに形成するのが賢明である。本道にはシンプルテキストに限りなく近いものを置くべきだ」と主張してゆずらない。すごかったな、DTP信者の巣窟ともいえる「日本語の文字と組版を考える会」に単身乗り込んで、この主張。

しかし、つくづく思う。わたしの頭脳の劣化だ。この会報をじっくり読んでみたが、もはやよくわからないところがある。原稿をまとめたのがわたしで、スピーカー本人にも手をいれてもらったもので、当時は100%理解して編集していたものである。ほかのページもパラパラめくってみると、セミナーのようすがみごとにわかる上手な編集がなされている。15年以上前にわたしがやった仕事なのだ(部活だけどw)。しかし、いまは......。富田さん、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。(柴田)

< http://www.aozora.gr.jp/cards/000055/card56499.html >
青空文庫 富田倫生「本の未来」
< http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130925/k10014805581000.html >
富田倫生さん追悼シンポ 本の未来は[NHK NEWS WEB]
< http://on-deck.jp/archives/751 >
インタビュー:「青空文庫」呼びかけ人 富田倫生氏〜日本が誇る「青空文庫」の軌跡〜[ON Deck]
< http://d.hatena.ne.jp/heimin/20130820/p1 >
メキシコの夏目漱石[平民新聞]


●再録【日刊・デジタルクリエイターズ】 No.0205 1998/12/15発行

12月6日(日)の「日本語の文字と組版を考える会」第12回セミナーは、いつもの文字や組版から少し離れて、「新しい読書をめぐって...」という文芸的なタイトル。隔月開催が原則なのに11月、12月は連続である。おかげで、いつもとは違うタイプの参加者も多かったように思う。

さっそく8日の本欄で、デジクリワーカーのGOGA Yukoさんがレポートしてくれたように、なかなかの盛り上がりをみせて、企画担当の私もほっとして、二次会のビールがうまかった。

富田倫生、松本功、萩野正昭の各氏の語りは力強く、こういう人たちの熱意は貴重だと思う。ところが、セミナー常連参加者で、彼らの語りには違和感を覚えた人もいるようだ。「電子出版の人はどうしてあんなに熱く語るのであろうか」と、軽い拒否反応を生じたという声がある。

それは私が、DTP の初期にマックのエバンジェリストたちに抱いた感覚と似たようなものなのかもしれない。だが、今や私も電子出版の渦中にいるのだから、冷やかにはなれない。萩野さんが繰り返し強調していた「書籍の魅力に匹敵する電子出版を具現化したい」という志には激しく共感する。




出版から志が絶えて久しい。今はとにかく「内容はどーでもいーからすぐに売れるもの」が出版の経営者から求められており、編集者もその方面に血道をあげている。もう何年も前から「バカ編の時代」と言いふらしている私としては、電子出版の方に志を語りあえる真っ当な編集者がいることを期待している。

さて、質疑応答が面白かった。誰もが単純に興味があるのは、無料で公開しているプロジェクトに携わる人たちの生活である。生活費である。

青空文庫の富田さんは「デジタル部活率99パーセントといった状態で、ご指摘の食い扶持という要素に関してはとても困っております」と言う。富田さんはデジタル部活者の私を度々引き合いに出すが、さすがに私は60パーセントを超えると黄信号だと思っている。

青空文庫はバナー広告を入れたり、企業や団体から支援してもらうなど色々なトライをしているが「ただこのくらいでは、関わる者、個々の生活を成り立たせるレベルには到底ならないではないかというと、まったくそのとおりです。まあ、人生の選択は色々あっていいわけで、確かに食い扶持の確保は大変だけれど、死んでないんだからいいじゃないかと、そこは実に無責任に構えているのが現状です」

ああ、トンデモな人たちがここにも。私も部活が多いことをグチったりしているが、傾斜角度がまるで違う。どっちがアホやネン? と問いたい。ひつじ書房の松本さんは、「過去現在のひつじの本の販売の利益を投入することによって書評のページを成り立たせている」と言う。

小零細の出版社がやるべきことなのか。「本当は、業界的なインフラなわけで、ひつじ書房が必ずしもやる必要はないのですが、21世紀の出版社をやろうと思うのであれば必要なことであると思って余裕というより切迫感でやっているのです」と言うが、大変だろうなー。21世紀には岩波を超えるという「決意」を持っているひつじだからがんばれるのだろう。

次が、神奈川インターパブリシング協会会長の高橋さんの質問。「富田さんは本の消失、組版の消失ということをおっしゃった。この会のコンセプトとは正反対で、敵陣に乗り込んできたというかんじなのですが、呼ぶ方も呼ぶ方、来る方も来る方だと思いました。どういうつもりでこちらに来たのか、また企画者はなぜ呼んだのか、真意を聞きたい」もちろん、論議を盛り上げる好意的なオモシロ質問である。

富田さんは「組版は消失してもいいと、私は思います。組む者の個人的な美意識が介在していなくても、テキストは受け取れる。それで通せる領域は、かなり広い。さらに、〈本〉という枠組みに関しても、捨ててかまわないと思うようになりました〜(略)〜

組版というものは、省けるのか、省けないのか。組版は、器をきれいに仕上げる美意識でしょう。これまで紙の器を巡って育まれてきたこうした美意識は、ウェッブページのような電子的な器作りの場でも、大いに発揮されるでしょう。けれどやはり、組版というものは、器を越える上位の概念ではない。あってもいいけれど、なくても通じる領域はある〜(略)〜

テキスト交換の本道は、そうした美意識を剥奪してしまったところに形成していった方がむしろ適当であると考えます」と「日本語の文字と組版を考える会」に対して挑発的ではある。

テキスト交換の本道はシンプルなテキストで持っておいて、組版も選択肢であるというのが富田さんの主張であり、そういう考えがあってもいいじゃないかと思う。テキスト至上主義か? 組版オプション論か? こういう概念的な話ならいいのだが、同じ組版オプション論でも、組版なんか好き嫌いだからどんなのだっていいんだ、組版なんかマニアの世界だという意見が印刷業界内にあるのには困ったもんだと思う。

企画した私としては、どういうつもりで呼んだのかと問われても、別に敵味方じゃないから、議論が盛り上がればおもしろいじゃないですかという曖昧な態度でいたところ、ちゃんとガツンと一発かましてくれた人がいた。会のバックボーン(背骨)である鈴木一誌さんだ。

鈴木さんは「さきほど富田さんは、イヴァン・イリイチを引用するかたちで、歴史の中で本が物神化したとおっしゃったが、テキスト交換も、テキストであることを純粋に追求していくと、テキストの意味内容の物神化が起こるのではないかと思う」とコメントした。物象化? 物神化? こうなると私の頭脳はついていけないのだが、すごく本質的な指摘だという印象はあった。

富田さんは、「電子テキスト自体の物象化、物神化が起こる、そういわれると......それは考えてみますってことですね」と、初めてそんなことを言われたと驚いていた。「それは本当に、痛いところにつながる指摘だと思う。そんなところを突いてもらえるんだから、やはり今日は出てきて良かった」

さらに鈴木さんは「テキスト交換を純化していくと、作品が作者という一点に回収されてしまうという、最終的な構造が厳然としてあるのではないか。それが富田さんの本意であったのか」と指摘した。

「新しい読書をめぐって...」のセミナーは、まだ質問者がいたのに時間切れで幕を閉じたが、言いっぱなし、聞きっぱなしで終わらないのが「日本語の文字と組版を考える会」のしつこいところである。講演内容、質疑応答はわかりやすく構成し直し、参加者の感想などもまとめて会報を年内に発行する(この号は本明朝で組む予定)。ホームページでも公開しようという企画もある。

この一週間は部活率85パーセントで、私の経済も赤信号だ。   1998/12/15