映画と夜と音楽と...[609]詩人たちが映画評を書いた頃/十河 進

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〈もどり川/恋文/離婚しない女/泳ぐひと/さすらいの大空〉

●気になる人の訃報が続いた10月だった

このところ、気になる人の訃報が続いた。10月18日には、長島良三さんの死亡記事が朝日新聞に載った。23日には、連城三紀彦さんと飯島耕一さんの大きな死亡記事が出た。長島さんは8行、連城さんと飯島耕一さんは写真入り二段で、本文だけでも36行あった。飯島耕一さんの扱いが大きかったので、やはり詩人として評価が高かったのだと僕は納得した。

長島さんは早川書房で「ミステリマガジン」と「SFマガジン」の編集長を兼務し、退社後は翻訳家として活躍した。おかげで僕はジョルジュ・シムノンの「メグレ警視」シリーズを楽しむことができたのだ。訃報が出た後、僕は昔買った「メグレと殺人者たち」を本棚から取り出して再読した。1976年の秋に河出書房から出た本だ。僕は24歳、慣れない会社勤めの合間にメグレ警視シリーズを読破するのが楽しみだった。

連城三紀彦さんは、まだ65歳だった。これから代表作が書ける年齢だ。もっと作品を発表してほしかった。連城さんの名前を見ると、僕は「戻り川心中」を思い出す。神代辰巳監督が萩原健一主演で「もどり川」(1983年)として映画化した。テレビ版は、後に古畑任三郎になる田村正和が主演した。こちらの方が先に映像化されたと記憶している。神代監督とショーケンのコンビは、連城作品を「恋文」(1985年)「離婚しない女」(1986年)と続けて映画化した。




女性遍歴を重ねる歌人が主人公の「もどり川」は原田美枝子、藤真利子、樋口可南子、蜷川有紀、池波志乃といった女優陣が妖艶さを競ったが、「恋文」「離婚しない女」のヒロインは倍賞美津子である。この頃の倍賞美津子には、一種の凄みがあった。「離婚しない女」では、珍しく倍賞千恵子と一緒に出ている。倍賞姉妹の共演は珍しい。実際のキャラクターを裏切るように、恋に積極的な女を姉が、慎重な女を妹が演じた。

飯島耕一さんの詩を初めて読んだのは、高校生のときだった。訃報に接して、僕は本棚から思潮社版の「飯島耕一詩集」「(続)飯島耕一詩集」を取り出した。懐かしい詩が並んでいる。小説集「別れた友」も持っていたのだが、納戸を探しても見つからない。数年前に本を少し整理したときに、古書店に出してしまったのかもしれない。箱入りの作品集で、装丁も気に入っていたのだけれど......

飯島耕一さんは83歳。僕の父より5歳若い。敗戦時は15歳。深作欣二監督などと同世代だ。僕が生まれた頃に、第一詩集「他人の空」を出した。僕の持っている「飯島耕一詩集」は、1969年の版である。高校三年生のときに買ったのだろう。「(続)飯島耕一詩集」は1981年の初版で、後期の代表的な詩集「ゴヤのファーストネームは」が全編おさめられている。

●飯島耕一さんが書き続けていた映画月評

飯島耕一さんは、小川徹さんが編集長をやっていた頃の「映画芸術」によく映画評を書いていた。あの頃は、詩人で映画評を書く人は多かった。日活映画の本を出している渡辺武信さんや後に芥川賞をとる清岡卓行さんも映画評をよく書いたし、長谷川龍生さんや富岡多恵子さんなどはシナリオも書いた。寺山修司さんはシナリオを書き、後には監督もした。詩人には映像的な才能が宿るのかもしれない。

思潮社版「飯島耕一詩集」には、「アパッチの眼」と題された映画月評が抜粋で掲載されている。1961年から63年にかけての月評からの抜粋だ。映画公開時の評だから、今読むと歴史的な面白さを感じる。今村昌平監督の「豚と軍艦」、大島渚監督の「飼育」、羽仁進監督の「不良少年」、恩地日出夫監督の「素晴らしき悪女」などが取り上げられている。

高校生の頃、僕はそれらの文章をほんの少し前に封切られた作品の評として読んだ。今村昌平の「昆虫記」というシナリオが「映画評論」に掲載され、「もし実現されたらちょっとスゴイ映画になるだろうと期待される」と飯島さんは62年6月に書いているのだが、僕が読んだ69年には「にっぽん昆虫記」(1963年)として、すでに高い評価を得ていた。今では、映画史に残る名作だ。

そんな飯島耕一さんの映画評を読み返していたら、おお、そうだ、昔の「映画芸術」があったはずだと思い出した。納戸の本棚をひっくり返したところ、1967年9月号と1969年11月号が見つかった。1967年9月号は今村昌平監督の「人間蒸発」特集だったが、もう一本「第三の教祖・鈴木清順のすべて」という特集があり、それが読みたくて買ったのだろう。高校一年生のときである。

当時、鈴木清順監督はカルト的な人気が出始めていた頃で、日活で「殺しの烙印」を完成させたばかりだった。この映画を日活の堀社長が「わけがわからん」と言って、鈴木清順監督を首にする前のことだった。この号も目次を見ると、天沢退二郎、寺山修司といった詩人の名前が並んでいる。映画評論家の松田政男さんが、「大島渚と今村昌平」という比較作家論を書いていた。

大島渚監督は、ちょうど「無理心中日本の夏」を完成させたところで、口絵にスチールが掲載されていた。僕がこの映画を見たのは大学生になってからだが、今見ると俳優たちがみんな若い。戸浦六宏、殿山泰司、佐藤慶、小松方正といった人たちは、みんな死んでいる。監督の大島さんも亡くなったから、その口絵に写っている人で生き残っているのは、少年役の田村正和だけか。この映画で、若き田村正和は「新人」とクレジットされた。

●1969年の映画雑誌に載っていた気になる出版広告

1969年11月号は、10月に発売になっている。その頃、僕は何をしていたのだろう。高校三年の秋だ。5月に生徒会長だった友人が、体育祭で造反演説をし、とがめを受けて退学した。受験まで半年を残し、周りの連中はみんな眼の色を変えていた。僕は受験勉強に身が入らず、映画を見たり本を読んだりするだけだった。あの頃、映画や本に対して僕は強い興味を持っていた。いや、興味というより情熱を抱いていた。

その「映画芸術」を買ったのはいろいろな理由があったのだろうが、当時、よく読んでいた戦後詩の詩人たちの名が並んでいたのもきっかけだったはずだ。目次には、加藤郁乎、吉増剛造、岡庭昇、長谷川龍生、飯島耕一、渡辺武信、長田弘、寺山修司と、きら星の如き詩人たちの名前が並んでいた。その他にも、佐木隆三、栗田勇、長部日出雄、佐藤忠男、浦山桐郎といった筆者陣だった。

44年の年月を経て、今、改めて本を開いてみると、広告に時代が反映されていて別の興味をひく。表紙を開くと「カーマ・スートラ」という映画の広告が載っている。「エクスタシー文学の映画化遂に完成」と惹句が踊る。監督はコビー・イエーガー。誰も知らないだろう。僕だって知らない。目次は観音開きの色頁だが、裏は広告で最初に「天井桟敷」の公演広告が載っている。

「第三次・時代はサーカスの象にのって 好評再々演」と出ている。寺山修司・
作で、萩原朔美・演出だ。開くと「勁草書房」の広告で、その対抗頁が「筑摩
書房」の広告である。広告されているのは、「白土三平集」「水木しげる集」
などである。あの頃、筑摩書房から「現代漫画全集」が発行され、話題になっ
た。さらに目次頁の広告は「北明書房」という出版社で、その内容に懐かしさ
を感じてしまう。

大きくタイトルが出ているのは、「造反潜行記」という本だ。「地下潜行三六五日 地底からの反撃宣言!」と勇ましい。筆者は、日大全共闘書記長の田村正敏という人だ。議長の秋田明大は有名だったが、この人の名前は知らなかった。その他に書名が出ているのは、井出英雄著「やくざ学入門」、人斬り五郎こと藤田五郎著「斬る(はする)」、それに日大全共闘編「バリケードに賭けた青春」である。

目次の次の頁を開くと、待ってましたと声を掛けたくなる「三一書房」の広告だった。広告のメインは「夢野久作全集」第四回配本「ドグラ・マグラ」だ。解説は、つい先日に亡くなった「なだいなだ(ナーダ・イ・ナーダ)」さん、推薦文を福永武彦さんが書いている。その他、小沢昭一著「私は河原乞食・考」羽仁進解説「アントニオーニ」佐藤忠男著「黒沢明の世界」が告知されている。

飯島耕一さんは特集「ハリウッド映画思想の分析」の最初に、「浦山桐郎のミツとアメリカ映画の陰気さと」というタイトルで原稿を書いていた。取り上げたハリウッド映画は、「泳ぐひと」「さよならコロンバス」「さすらいの大空」である。それに、浦山監督の久しぶりの作品「私が棄てた女」だ。すべて、1969年に日本で公開された映画である。

●確かにアメリカ映画は陰気な時代を迎えていた

1969年頃のハリウッド映画は、「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれ、それまでの脳天気な(アメリカの大義を信じている)ハリウッド映画とはまるで違う「悩める作品」が多かった。表現的な部分でも、従来のタブーを破る作品が多く出た。特に性的な表現に、その傾向が強かった。同性愛をテーマにしたり、セックス表現が直接的になったり、禁句だった四文字言語が口にされたりした。

その頃の世相の背景としては、泥沼になり始めたベトナム戦争があった。日本でも「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」が結成され、多くの若者たちがデモに参加したが、アメリカの場合は徴兵制度があったので若者たちは現実の「死」に迫られた。「ビッグ・ウェンズデー」(1978年)を見ると、当時の徴兵制度の実態がよくわかる。徴兵を逃れようとする若者も多かったのだ。

そんな中、ハリウッド生え抜きのスターだったバート・ランカスター主演映画でも、それまでとはまるで毛色の違った作品が登場した。「泳ぐひと」(1968年)や「さすらいの大空」(1969年)は、その最たるものだろう。もう若くはないバート・ランカスターを主演にした、この二本の映画はその当時だから受け入れられたのだと思う。どちらも暗い、陰気な映画だった。

「泳ぐひと」は、ジョン・チーヴァーの短編を原作にしている。映画を見る前に僕は、その短編を読んでいた。たぶん、中央公論社が出していた文芸誌「海」の海外短編特集で読んだのだと思う。ホントに短い小説だ。ある男が、自宅まで近隣の家のプールを泳いで帰ろうとする話だ。近所の家がすべてプール付きなのだから、そこは郊外(サバービア)の高級住宅地である。

その話を膨らませて映画は作られているから、バート・ランカスターはずっと水泳パンツ姿だ。元々、肉体美をウリにしたマッチョのバート・ランカスターだから、そのセクシーな裸を見たがる女性観客がいたのかもしれないが、男の僕としては主人公がずっと裸なのは、何となく落ち着かないものを感じた。当時、50代半ばだったランカスターの贅肉のない裸は大したものだったけれど......

「さすらいの大空」は映画好きの友だちに誘われ、授業をさぼって見にいった。彼はジョン・フランケンハイマー監督のファンで、「影なき狙撃者」(1962年)が大好きだったのだ。「さすらいの大空」は、アメリカ中を旅しながら航空ショーを見せるスカイダイバーたちの物語だった。年配ダイバーを演じたのが、バート・ランカスターだ。彼は若い頃にサーカス団で巡業していたから、そんな役が似合った。

この映画で驚いたのは、バート・ランカスターの相手役を演じた、イギリス出身で淑女のイメージが強い(「王様と私」が代表的)デボラ・カーがヌードになったことである。バート・ランカスターとは、「地上より永遠に」(1953年)での砂と波にまみれた浜辺の抱擁シーンが有名だったけれど、まさか、50間近になってヌードを見せるとは思わなかった。

「さすらいの大空」のラストシーンは衝撃的だ。空に魅せられ、スカイダイビングで空中遊泳をしているときに、至福の歓びを感じる男が主人公である。彼は、その至福の歓喜の中で、驚くような選択をする。今の僕なら主人公の気持ちを理解できるが、17歳だった僕はひどくショックを受けた。飯島耕一さんが書いたように「アメリカ映画の陰気さ」を実感した。

──アメリカ映画の陰気さ、すなわち現代アメリカの陰気さとつなげればよいのだが、そうも行かないかもしれない。だが、アメリカ的陰気さというものがたしかにある。「さすらいの大空」のバート・ランカスターら、スカイダイバーたちは、自殺がいつでもできるような状態のうちにあり...(中略)...死にたがっているアメリカ人たちがここにはいる。

飯島耕一さんは、そんな風に書いている。あれから44年が過ぎ、ルーカスやスピルバーグが登場してハリウッド映画を遊園地に変えたと言われ、事実、最近のハリウッド大作はコンピュータ・グラフィックスの進化を見せるだけの、脳天気な(アメリカが世界を守る)アクション映画ばかりだ。今となっては、飯島さんが書いていた、主人公がウジウジと悩む「陰気なアメリカ映画」が懐かしい。

【そごう・すすむ】sogo1951@gmail.com < http://twitter.com/sogo1951 >

「高倉健に文化勲章」は少し驚いたが、「文化功労者」15人の中に吉増剛造さんが入っていて「祝!!」の気分になった。代表的な長編詩の冒頭のフレーズ「朝霧たちこめ 狭霧たつ 地獄の扉へむかう」を、20代の僕は頻繁に暗誦した。「頭脳の塔よ 血しぶきあげて望遠撮影される頭脳の塔よ」......、懐かしいなあ。

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< http://forkn.jp/book/3701/ > 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/ > 愚者の夜・賢者の朝
< http://forkn.jp/book/3707/ > 太陽が溶けてゆく海

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