映画と夜と音楽と...[610]日米の戦後を描いた二本の作品
── 十河 進 ──

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〈われらの生涯のかゞやける日/我等の生涯の最良の年〉

●児玉清さんの本で知った巨匠たちと老優たちの姿

一昨年、77歳で亡くなった児玉清さんの本や読書に関するエッセイは読んでいたが、10年近く前に文芸誌「すばる」に連載された自伝的エッセイ集「負けるのは美しく」は読んでいなかった。8年前に出た本だが、映画界に入るところから書き起こされているので、先日、遅ればせながら手に取った。

児玉清という俳優は、東宝時代に数本の主役級の作品があるけれど、ほとんど目立たない存在だった。背の高さは際だっていたが、僕の記憶では端役ばかりだった。その辺のことは、「負けるのは美しく」でも詳しく書かれている。児玉清という俳優が知られるようになったのは、東宝専属を辞めてフリーになり、テレビ中心の仕事を始めてからである。

東宝時代の代表作を思い出そうとすると、黒澤明監督に嫌われたという「悪い奴ほどよく眠る」のワンシーンに登場する新聞記者などが浮かんでくる。どちらかというと、僕には奥さんの北川町子の方が記憶にある。特に成瀬巳喜男監督作品「女が階段を上る時」(1960年)での印象が強い。彼女は児玉清と結婚して、女優を引退する。賀原夏子が引退を惜しんだと、「負けるのは美しく」にも出てきた。




「負けるのは美しく」を読んでいて印象に残ったのは、あまり語られていなかった巨匠たちの裏の顔と老優たちの姿である。黒澤明監督の印象はあまりよくなかったらしく、ひどくしごかれ(本人はいじめられたと思い)監督を殴る決心をしたことが書かれている。慣れない映画会社で映画を作ることになり、現場スタッフや主要キャストに背かれた、晩年の今井正監督の孤独な姿も描かれている。

エッセイを読んでいたら、老優たちの姿が鮮やか浮かんできた。加藤嘉、信欣三、山茶花究、森雅之という人たちだ。30代の児玉清がテレビドラマで共演した相手である。すべて父親役だったという。名優たちは60をすぎ、主演男優の父親役が多くなっていたのだろう。児玉清と共演した後、山茶花究も森雅之もすぐに亡くなる。名優たちの貴重な晩年の姿を児玉さんは綴る。

信欣三は日活映画によく出ていた痩身の役者だが、代表作というとなかなか浮かばない。鈴木清順監督作品「野獣の青春」(1963年)の映画館を持っているやくざの組長、「いつでも夢を」(1963年)の孤児だった主人公(吉永小百合)を育てる人情医者などを思い出す。しかし、「ほらほら、あの人」と言って誰でも知っている役がない。

その点、山茶花究は黒澤明監督作品「用心棒」(1961年)での一方のやくざの親分である丑寅を演じている。弟たちを演じたのは、加東大介、仲代達也である。あばた面で、ひと目見たら忘れない。戦前、益田喜頓、坊屋三郎たちと「あきれたぼーいず」を結成し、お笑い芸人からスタートした人だから、名前の由来も「三三が九」をもじっている。

山茶花究はテレビドラマの収録現場でセリフが憶えられず、台本を写さないようにしてカメラアングルを決め、何とか収録を終える。ディレクターたちが去った後、「情無い奴だと軽蔑しただろうね。役者もこうなっちゃおしまいさ。真似しちゃだめだよ」と児玉清にささやく。しかし、なぜそんな状態になったのかを知った児玉さんは、哀惜の念を込めて山茶花究を偲ぶのだ。

●森雅之さんの晩年の姿を綴った一編が印象に残る

どれもよい話だが、読み終わって特にしみじみしたのは、「宙(そら)を見ていた」と題された回である。それは、6頁ほどの短文に人が生きる意味が込められており、心に残った。名優・森雅之の姿がくっきりと目に浮かんだ。僕は森雅之が62のときにガンで死んだことは知らなかったので、自分が62になる直前に読んだものだから、「そうか、森雅之が死んだ年になるのか」と感慨深く感じたのかもしれない。

──風薫る季節になると必らず心に浮ぶ、ある光景がある。それは、かつて名優と謳われた森雅之さんが、一人ぽつんとよみうりランドの庭園で空を眺めている姿なのだ。

その文章は、そのように始まっている。文章家としての児玉清の面目躍如といった感じの冒頭である。僕はNHKの「ブックレビュー」で颯爽と本を紹介していた児玉さんが好きだったが、好きになった理由が物事をはっきり言うことだった。明快で迷いがない。明晰な頭脳を持つ、頭のいい人なのだろうと思っていた。こういう文章を読むと、納得する。

さて、森雅之である。10代の頃、僕は森雅之のよさがまったくわからなかった。なぜ、こんな人が映画の主演をやれるのだろうと不思議に思っていた。その頃の僕は、映画の主演者は若い二枚目でなければならないと思っていたのだ。僕には、森雅之がフツーのおじさんにしか見えなかった。華やかさを感じなかった。僕が男の渋さがわかるようになるまでには、まだ数年の時間が必要だった。

20年前に出た「大アンケートによる男優ベスト150」(文春文庫)という本がある。映画好き291人が選んだというから、それがアンケートの回答人数なのだろう。年輩の人が多かったのか、海外編では1位がジャン・ギャバンという結果だ。その後、チャップリン、ゲイリー・クーパーと続く。ベストテン圏内で、今も現役なのはイーストウッドとデ・ニーロだけである。

日本編を見ると、トップは笠智衆である。2位が阪妻、3位が三船敏郎、そして4位に森雅之がくる。ベストテン圏内の現役は、高倉健、山崎努だけだ。他に、市川雷蔵、三國連太郎、志村喬、石原裕次郎が入っている。この顔ぶれを見ると、小津安二郎、黒澤明の作品が多くの人に好かれているのがわかる。

森雅之は、小津作品とは縁が薄い。黒澤明監督には、よく使われた。「続姿三四郎」(1945年)「虎の尾を踏む男達」(1945年)「羅生門」(1950年)「白痴」(1951年)があり、「悪い奴ほどよく眠る」(1960年)の悪役がある。しかし、森雅之と言えば、成瀬巳喜男監督の名前が一番にあがる。日本映画の最高傑作「浮雲」(1955年)を始めとして、数多くの成瀬作品に出た。

思い浮かべるだけでも、「あにいもうと」(1953年)「女が階段を上る時」「娘・妻・母」(1960年)などのシーンが鮮やかだ。渋い、渋すぎるほどの演技である。立派な人間も演じたが、優柔不断な男や小心者がうまかった。それでいて奥深さを感じさせる。どんな役をやっても、単純にはならなかった。僕が違和感を感じたのは、黒澤明の「白痴」の主人公だけである。

●戦後すぐの森雅之の「われらの生涯のかゞやける日」

森雅之の若い頃の映画を、最近、NHKの衛星放送で見た。以前から見たかった「わが生涯のかゞやける日」(1948年)だ。新藤兼人脚本で、吉村公三郎の監督。終戦後の占領時代の映画である。当然、GHQの検閲があった。旧軍隊は悪で、戦後の民主主義を謳い上げなければならない。退廃的な結末はダメで、未来に向かう終わり方をしなければならない。そんな教育的な映画が多かった頃だ。

冒頭、敗戦間際の事件が描かれる。終戦処理を進める政治家を、ポツダム宣言受諾に反対する軍人が暗殺する。その政治家の娘が、父を斬殺した軍人を目撃する。暗くて顔は判別できなかったが、目印は腕の傷だ。そして、物語は敗戦後になる。キャバレーのオーナーでクスリで儲けている男がいる。その組の幹部で、厭世的な生活を送っているのが森雅之だ。彼はクスリ中毒になっていて、クスリのためにボスの命令を何でも聞く情けない男である。

森雅之は、折り目正しい軍人として最初に登場し、次のシーンではだらしのない中毒者になっている。目に隈を作り、キリリとした軍人の顔が、堕落しただらしのない男の表情に変わっている。まあ、ありがちな設定だったのだが、その豹変ぶりはなかなかいい。いつもながら複雑な心境を漂わせてくれる。戦争中の理想主義的な軍人が、敗戦で何も信じられなくなった気分が漂う。

政治家の娘は、李香蘭こと山口淑子が演じた。この時代、山口淑子は様々な映画に出演している。黒澤明の監督で三船敏郎と共演した「醜聞/スキャンダル」(1950年)は、この映画の2年後のこと。僕の好きな井上靖原作の「戦後無頼」(1952年)では、野武士の娘おりょうを野性的に演じた。その後、日本を舞台にしたハリウッド映画にも出演し、やがて渡米する。

やくざの森雅之は、当然、零落した山口淑子と知り合う。彼の方は、自分が殺した男の娘だとわかるが、彼女の方は父を殺した男とは知らずに好意を持つ。彼女は犯人を見ているのだが、手の傷だけに見覚えがあり、これが後半の複線になる。森雅之は、山口淑子に親切にするのだけれど、何かというと手の傷を隠す。いつ、彼女が男の正体に気付くのか、それが観客の興味を惹く。

映画は時代を映す。宇野重吉が演じるジャーナリストは、戦時中に左翼思想で逮捕されて拷問され、今では杖なしでは歩けない身体になっている。彼は、自分を拷問した検事を見付ける。検事(清水将夫)は落ちぶれて、ヤクザのボスに金を借りにくる。そこで、宇野重吉に出会い、幽霊を見たように怯える。戦争中、権力を傘に人々を見下していた人間が、怯え震える様を大仰に演じた。

木下恵介監督の「大曽根家の朝」(1946年)を見たときにも感じたのだが、戦時中に権勢を誇った人間たちの情けない姿を当時の映画は際立たせるように描いた。「大曽根家の朝」では、小沢栄太郎が演じた軍人がそうだった。戦後も陸軍の隠匿物資を入手し要領よく生きているが、その強欲さ、情けなさが極端に誇張される。たぶん、当時の観客はそんな姿を見て溜飲を下げたのだ。

●ワイラーが監督した「我等の生涯の最良の年」

「わが生涯のかゞやける日」とウィリアム・ワイラー監督の「我等の生涯の最良の年」(1946年)の、タイトルの関係が昔から気になっていた。よく似ているからだ。吉村公三郎と新藤兼人は、ワイラー作品を見て発想したのだろうか。ワイラー作品は、原題をそのまま日本語に翻訳しただけだ。ふたつの映画のストーリーに内容的な共通性はない。ただし、勝利した国と敗戦国の違いはあるが、軍人の戦後をテーマにしているのは同じである。

この原稿を書くので、思い立って調べてみた。「我等が生涯の最良の年」は、1948年(昭和23年)6月1日に日本公開になっていた。「わが生涯のかゞやける日」は、4カ月ほど後の9月56日の公開だ。4カ月あれば、ワイラー作品を見てインスパイアされ、似たようなタイトルで映画を作ることは可能だろう。今の目で見ると、ワイラー作品に普遍性を感じるが、森雅之の若き日の姿が見られる「わが生涯のかゞやける日」もどこか愛しいものを感じる。

「我等が生涯の最良の年」は、第二次大戦が終わった翌年に制作されている。帰還兵たちの物語だ。戦争には勝利したが、彼らの存在は社会的な問題だったのだろう。ウィリアム・ワイラーは、それを3人の帰還兵の物語に凝縮した。戦場で両手を失い鉄の義手で帰還する兵士を演じたのは、本物の負傷兵ハロルド・ラッセルだった。彼は、この作品でアカデミー助演男優賞と特別賞を得た。

作品的にも高い評価を得た映画である。後に不滅の名作「ローマの休日」を撮るワイラーは監督賞、主演男優賞はフレドリック・マーチ、脚色賞、音楽賞、それにもちろん作品賞を得て、7つのオスカーに輝いた。当時のハリウッド映画の良心がうかがえる作品だ。もっとも、今の人たちが見ると「きれいごと過ぎる」と思うかもしれない。しかし、僕のお薦め映画の一本だ。

戦争が終わり、軍の飛行機に同じ街に帰還する3人の兵士が乗り合わせる。ひとりは将校(ダナ・アンドリュース)で軍務しか経験がなく、市民としての生活に少し不安を抱いている。年配の軍曹(フレデリック・マーチ)は銀行家で、家族が待つ家に帰るのを楽しみにしている。そして、両腕をなくした水兵は、彼を待つ婚約者に結婚をやめようと言い出すことを決意している。

帰還すると、将校の妻は別の男を作っていたことが判明する。よくある話だ。両手を失った水兵はコンプレックスを抱き、自分の両手を人に見られるのに耐えられない。軍曹は銀行に戻るが、退役者たちを相手の融資担当になり、様々な問題に直面する。戦後一年目で、早くもこれだけの問題を盛り込み、それを実に感動的な物語にする力量は、さすがにワイラーだと思う。

だから「我等が生涯の最良の年」というタイトルは、逆説的な意味で付けられたものなのだ。もっとも、原題では「THE BEST YEARS OF OUR LIVES」と、「年」が複数形になっている。一年だけじゃないということなのかなあ。戦場から帰還した3人は、改めてそれぞれの人生を生きていかなければならないのだ。重いテーマである。

しかし、敗戦によってまったく別の人間になってしまった「わが生涯のかゞやける日」の森雅之と、軍隊では将校だったが帰還すると貧しい寝取られ亭主にすぎないダナ・アンドリュースには、どこか共通するものがある。ダナ・アンドリュースには新しい理解者であり彼を愛する女性が現れるが、もし、妻の浮気や慣れない職場での屈辱が彼を自暴自棄に走らせたら、森雅之になっていた気がする。

戦争には勝者も敗者も存在しない、無数の死んだ人間と傷ついた多くの人間を生むだけだ、と誰かが書いていた。「戦争反対」と言えば、リベラルだ、左翼だと逆非難するのは、権力者たちの常套手段。誰だって戦争はイヤだ。最近の風潮から、「戦争したがっている権力者」を感じるのは僕だけかな。この似たタイトルを持つ2本の映画を見てほしい。勝者でも敗者でも、戦争は不幸しか生まない。

【そごう・すすむ】sogo1951@gmail.com < http://twitter.com/sogo1951
>

62歳になりました。森雅之が死んだ年齢であり、鶴田のアニィも同じ歳でこの世と別れました。小津安二郎は自身の60歳の誕生日に死んでいます。小津を2歳も超え、いまだ馬齢を重ねるか、と己に問うも、凡夫は生命力だけは強いようです。

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