[3584] 自然というフィクション──【ターナー展】を観て

投稿:  著者:  読了時間:26分(本文:約12,900文字)


《電気が焦げる臭いがする》

■武&山根の展覧会レビュー
 自然というフィクション──【ターナー展】を観て
 武 盾一郎&山根康弘

■グラフィック薄氷大魔王[367]
 大型作品集中制作、秋編
 吉井 宏




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■武&山根の展覧会レビュー
自然というフィクション──【ターナー展】を観て

武 盾一郎&山根康弘
< http://bn.dgcr.com/archives/20131113140200.html >
───────────────────────────────────
山:こんばんは〜。

武:こんばんは。早速ですが報告です。先月ですが取手の小文間(おもんま)でピカレスク主催のゼロネロという企画がありまして、簡単に言うと人気投票なんですけど。1票500円でポストカードを買って、3人の作家の3作品に投票するんです。

で、投票した作品が1位になったら、1位に投票した人の中から抽選で1名その作品がプレゼントされるんです。で、この企画が成立するにはトータルで200票以上集まっている条件があるんです。

山:つまり10万円売り上げたら、ってことか。

武:採算が取れるってことですねw

山:ポストカード10万円分って、結構すごいな。

武:抽選で当たった人は作品を貰える訳ですが、1位になった作者はその作品がピカレスクで売れたのと同額を受け取るんです。

山:ん? その人のポストカードが売れた金額、ってこと?

武:いえいえ、作品の値段です。

山:作品の値段は誰が付けるんや?

武:作家ですよw

山:ん? じゃあ10万円って付けてたらどうなるんや?

武:獲得票数が200ではなくなるんでしょうな。値段を付けてピカレスクに納品してるので、そこからゼロネロに出展する作品がチョイスされる。

山:あー、そういうことなのか。

武:期間は7月から10月。とまあ、そんな企画があったんですよ。で、結果はなんと、投票数は目標200票ピッタリで、1位が俺の作品になりました!
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20131013/1381639867 >

山:なんすかこの武さんの髪型はw

武:金正日みたいになっとるけどなw

山:まあ何はともあれ、おめでとうございますw

武:ありがとうございますw みなさまのおかげです。

山:投票ってたまに美術館でもやってたりするな。最近はあまりみないけど。

武:あとローカルになりますが、伊奈にある「森の音」というカフェで展示あります。11月7日(木)から12月2日(月)まで。『武盾一郎&mocostyle
「線画とパステルのマリアージュ」produced by TeamUttoco』
< https://www.facebook.com/#!/events/195717470611515/ >

山:ローカルって小文間もローカルやないか。

武:そうですね。伊奈は上尾の近所で地元のローカル、取手はちょっと遠いローカル。ローカルでのアーティスト活動をやっております。

山:ローカルと言うよりロートルやったりして。

武:あはは。俺はむしろトロールかも知れんw あ、俺、酔っぱらってる。。

山:なんでやねん!! もはやか!

武:もうね、こらえ性がなくなってしまってね。。ともかく、だ。今回は俺が展覧会に行けてない状態でチャットします! 何故かと言うと、家をリフォームしてるんですわ。

『アトリエ世界征服研究所、床をリフォームする』
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20131101/1383296384 >

山:なんかこういう状況も久しぶりですが、僕だけ展示を観てきました。ターナー展です!
< http://www.turner2013-14.jp/ >
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC >

武:世界中の棚、東京に召喚!

山:そうそう、ずらーっと世界各地の棚がならんで、、、並ぶかっ! ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーです!

武:棚卸しを競い合う!

山:もうええっちゅうねんw

武:ターナーっていうと、絵具のターナー、だよね。

山:ターナー色彩ね。アクリルガッシュの。

武:関係あるんの?

山:ターナーから取ったんでしょ。絵具会社は多いよね。ホルベインもそうなんちゃうか。

武:ヴァンゴッホもあるしな。じゃあ「武盾一郎」という画材が登場してもおかしくないわけだね!

山:......で、ターナー展です!

武:ティナターナー!

●ほとんどスルーしてた人、ターナー

山:さて、今回は僕しか観に行っていないので、僕の感想からですが、作品数めちゃめちゃ多いです。

武:そんだけ出展作品量多くても全作品ではないんだ。ずいぶん多作なんだね。

山:そんな感じやね。そして僕は実は初めてターナーの生絵を観たのですが、えーと、良かったです。小さい頃から非常に達者で、24歳でイギリスの画壇に認められた人ということで、ま〜、上手かったですね。

武:「上手な油絵を描いた人」というくらいしかイメージなくて、まるっきりスルーしていた画家ですw

山:僕もいわゆる真っ当な風景画にはさほど興味がなかったので、ほとんど気にした事がなかった。

武:上手な風景画ほど興味のそそらない絵ってないからなあ。写真が当然となった時代に生まれた人間の悲しさなのかな。。

山:でも、ターナーの時代もそうやったみたいなんですね。

武:ほう。

山:なので、ターナーは風景画の地位向上の為にがんばったみたいです。

武:ふむ。

山:やはり神話とか宗教画が強かったんかな。

武:神話も宗教も絵じゃないと表せないからね。「お話し」だから。風景は写真が登場しちゃえば絵に描く必要性はなくなるからねえ。

山:ターナー自身も風景の中に、神話も取り入れている絵も描いてる。

●風景とは何か?

武:「風景とは何か」ということだよね。

山:ターナーは風景画を、様々な感情や知性を表現出来るジャンルである、と証明したかったみたいですね。

武:なるほど、おもしろいね。

山:えーと、誰かの小説か詩かに強く影響をうけてるみたいだが、、だれだったかな。展示では、「崇高」を現すものとしての自然、それを表わす風景、と。

武:「風景」は崇高なんだ。確かに「自然の風景」は崇高なのは分かる。

山:人智を超えたもの、ってことなんやろね。

武:すると上尾の街並は崇高ではないってことなのかな? 上尾の街並には人智を超えた無意味なものがあったりするよ。巨大ショッピングモールとかw

山:上尾に限らんやろw

武:ショッピングモールをがっつり描いちゃう画家とかいてもいいってことじゃね?w

山:それ普通に面白いかもな。

武:数十年後にはどうせ消える訳だしな。まあ、それは写真の役目か。

山:そうやねー。

武:いや、だから、「風景を描く」ってどういう意味よ。

山:僕もわからんがな。でも風景を描くって聞くと、普通、自然を描いてるイメージがあるね。

武:そもそも、「風景」ってなんだ?

山:ふう‐けい【風景】1 目に映る広い範囲のながめ。景色。風光。2 ある場面の情景・ありさま。(大辞泉)

武:風景と景色は違う、という解釈もあるよね。

山:風景と景色、うーん。僕の勝手なイメージやけど、「風景」と言う言葉はどこか体感的なイメージ。景色は、視覚的イメージ。漢字に引っ張られてるかもしらんが。

武:「いい景色だねえ」とは言うけど、景色ってその時点で感動してるニュアンス。風景って言った場合、別に感動してなくてもそこには風景が広がっているわけで。。

山:「風景写真」って言うけど「景色写真」って言わんな。

武:風景っていうとどこか客観的な意味合いがあるんだね。景色は主観的なんだよ。きっと。

山:なるほど。風景の方がパブリックな訳だ。

武:そういう感じかな。

山:じゃあ「風景を描く」ってなった場合、主観ではないという、どこか約束のようなものがあるんかな。

武:目の前に広がる風景はそれを見た人の主観でしかあり得ないのに「主観じゃないです」って言ってるのだな。

山:そうなってまうね。

武:「神の目です」とかねw

山:でも主観が共感を得た場合、それは客観になり得るのかも。

武:共有されるからね。パブリックになるよね。「私にはこう見えた」というアプローチと、「絶対真実がそこにあって私はそれを客観的に写し取っている」というアプローチと。。

山:ふむ。で、ターナーに戻りますが、

武:はい。

山:そういう観点はあったように感じる。

武:どういう?

山:絶対的真実を写し取っている、という。

武:主観ではない、と。

山:いや、実際には主観、どころかフィクションな訳ですが、そういう気概、
かな。

武:なるほど。

山:劇的に描くよね。風景を。「ザ・ロマン主義!」って感じで。

武:劇的な風景を見たってことじゃないのかな。例えば俺だって普通に上尾ですんごい劇的な夕焼けとか見るし。そうすると、なんだか神々しい気分になるよね。

山:そう言う気分ってみんな持つことはあるよな。

武:その気持ちを留めておきたい、という衝動で絵を描くってのはよく分かる。

山:でですよ、そういう風に描いてるターナーなんですが、実は、そこにはあまり僕は感動出来なかったんよな。

武:えっ! そこがターナーのキモじゃないのか?

●ターナーの水彩

山:そうなんかもしらんねんけど、僕は水彩の方がずっとよかったんですね。

武:ほう。水彩。水彩は何を描いてたんすか?

山:たくさん描いてる。大量のスケッチもそうやし、そもそもターナーは水彩作品から始めてるんやな。油絵は後から始めた。って言っても若い頃ですけど。

武:てことは最初の頃の絵がいいってことなんかな?

山:僕はそう感じた。油絵が悪いってことではないねんけど、正直、あんまり、、、っていう油絵も多かった。なんせたくさんあったから。

武:表現衝動よりもテクニックで描くようになった絵は、イマイチだったって
こと?

山:そのテクニックがイマイチ、って感じたんよね。むしろ、水彩画家やったんやと思う。

武:「テクニックの萌えポイント」ってあるからなw

山:あるねw 水彩のちっちゃい作品とか、とても良かった。だけどやっぱり油絵の方が圧倒的に「物質感」はあって、迫力はあるんやけどね。でも絵画的質としては、水彩の方が良かった気がするんですよ。

武:水彩って油絵の下絵ってことなのかな?

山:下絵として描いてるのもあったな。写真がなかった時代なので、スケッチするしかないんやな。だから大量にスケッチがある。それは水彩やね。

武:鉛筆描きしないで水彩なの?

山:いや、鉛筆でも描いてる。あたりはつけてる。

武:まあ、ごくノーマルな鉛筆と水彩ってことか。写真がない時代の画家はやっぱり上手いことに意味があるからね。

山:そうなんやな。タブローとしてきっちり仕上げてるのもあるねんけど、時代的にはやはり水彩画は油画に比べると下位やったんやね。その地位向上の為に頑張ってた感はよくわかる。

●風景と人と

武:人とかもさ、難しいよな。ベンチに座って道行く人を描こうとしても描けないからね。通り過ぎてしまうし、服とか歩いてる感じのポーズとか特徴とか、覚えられないし描けないし。昔の人は作動記憶が優れてたに違いない。

山:あ、ターナーはね、人物はあまり良くないんですよ。

武:そうなん?

山:僕の好みやけど。なんやろ、丸っこくって。きびきびした感じがあんまり
ない。

武:建物の方が得意だったのか。

山:建物描くとすごいねんけど。昔の宗教画とか、ちょっと人物が丸っこい、ふくよかって言ったらいいのかな、そういうのあるじゃないですか。ターナーは、そこを「真似」してたって感じた。

武:ほう。

山:なので、ちょっと違和感がある。人物画を描けないので、風景画家になったのかも。

武:使う能力違うんだな、人物画と風景画って。

山:どうなんかな。もし、神の視点というものを本当に得ていた、得ていたと錯覚していたならば人物も風景やからね。木を描くのと、人物描くのと変わらずに描けないもんなんかな。

武:そっか、虫や鳥と同じように、そこいら辺にいるもの、として。。

山:そう。だから逆に、人にはいろんな感情を持ってたってことになるんかな。

武:なるほど。人物を描かない画家こそ、人に対して複雑な感情がある、と。

山:そんな感じした。

武:人との関係に疲れると風景画好きになるのかもなw 人を描くってどうしてもその人との関係性を描くことになる。

山:そうなんだな。

武:人が登場しない風景は、言ってみれば「自分そのもの」だったりするもん
なあ。

山:でも習練で、関係性を排除した人物画を描く事もできるんだよね。

武:ああね、キャラクターにしてしまえばよかったりね。

山:いわゆる点景人物ってあるやん。
< http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/153419/m0u/ >
そういう風にターナーも描いてんねんけど、それがあんまり僕には。。逆にスケッチとかで、すごくいいのもあるんやけど。きっちりキャラクター化されてると言うか、イラスト的にいい、と言うか。

武:てことは風景画の「物語り」に人がうまく溶込んでないんだな。

山:そうそう、この物語にはこういう人物だろ、とか、そういうのあるやん。

武:風景画に入る人物がなんか違和感ある絵って割とあるよね。「人」に対して意識し過ぎなのか、人が不自然になってる絵ってあるよ。「イバラード」とか。風景の世界観は大好きなんだけど。
< https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89&hl=ja&tbm=isch&start=20 >

山:イバラードってなんや。

武:宮沢賢治のイーハトーブ(岩手)に似せたの。

山:茨木、吹田、高槻、って、大阪なんか。僕は豊中ですがw
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89 >

武:大阪の人だよねw

山:ふむ。人がちょっと硬くみえたりするね。

武:逆に大竹茂夫とか風景と人がなんの違和感もないんよね。
< https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A4%A7%E7%AB%B9%E8%8C%82%E5%A4%AB&hl=ja&tbm=isch >

山:その物語世界にきっちり人物が溶け込んでる、ってことか。なんかあれやね、デルヴォーとか、バルチスとか思い出すな。

武:好きなんでしょうなw でね、「人」と「風景世界」をシームレスに結べないってことは、「人の物語り」と「風景の物語り」に乖離があるってことだよ。その感覚ってよく分かるんだ。「風景と人」って根深いよ、これw

山:人を自然だと観てないと、乖離が生じてしまう、とか?

武:「自然と観てない」ってことはなんだと思ってるんだろう?

山:異物w

武:観念? 「人を自意識」「自然を無意識」と捉えて分裂してるのかな?ひょっとしてこれは「近代」の問題なのか? シラフと泥酔に乖離がある人もいるしなw

山:なんすかそれ、僕かw

武:いやね、どうすれば風景に違和感なく人が入るのかな? 「人と自然の物語りの乖離」ってこと自体が言ってみればある意味普通というか、自然だったりするじゃないですか。「人と自然は乖離がある」ってことをうまく描き出せれば、風景に違和感なく人が入るんじゃないの?

つまり、「自然と人ってのは同じ物語り上で成立する(べきだ)」という考えに基づいて、風景に違和感のないように人を溶け込ませようとするからかえって違和感が出ちゃうんじゃないのかな?

山:ほう。乖離は乖離として描く、ってことか。

武:風景と人の問題って面白いなw

山:なんかあるんやな。

武:風景画に人が入るとだいたい変なんだよね。でも人が全く居ない風景は寂しいから人を入れたい。が、観念世界、理想世界は自分の脳内そのものだから人は入ってこない。

山:自己中心的世界、と言うかね。

武:そうね。風景という客観を描いてるようで自己中心性の強い絵。

山:王様になりきれないんだな。

武:あはは。その方が人として自然だけどね。

山:そうすると、ヘンリーダーガー思い出す。王様やん、きっちり。ほとんどトレースやのに。すごいよなw
< http://bn.dgcr.com/archives/20070501140100.html >
(ヘンリーダーガー幸福論)

武:そうだね。風景と人は違和感ないしね。物語りが分裂してないんだな。

山:そういうことになるね。

武:てことはターナーは風景と人で物語りが分裂してるんだね。

山:そんな感じはしたな。そんなには出てこなかったけど、神話を取り入れたりすると、人物はどうしても必要になるよね。

武:そうするとちょっと変になる、とw

山:僕にはそう感じた。

武:なるほどなあ。で、ターナーの大量な展示物から見えてきたものって他になにかある?

山:ああ、それはもう「気概」だよね。絶対に絵描きである、歴史に名を残す絵描きである、、と。で、自然という崇高をモチーフに描きまくった。

武:「自然」がテーマだっただのかあ。自然をターナーなりに抽象化してた、とか。

山:どうなんやろ。抽象化はターナー自身が意識的に求めた訳ではないような気もするんだが。体力的な問題とか、、そんな気もしないでもない。ターナーの風景画、特に後期の絵を、暴力的、そしてそれを産業革命との絡みで論じる人もたくさんあるみたいなんですが、それはそれで示唆的でもあるんだけどほんまにそんなこと考えてたのかなー、とか思うとこもあるね。

武:ふむ。で、後期の油絵作品より初期の水彩がよかったんだ。

山:僕はね。

武:それは面白いね。ひょっとしてそれは「能動性」の問題なのかもね。

山:能動性、ですか。

武:若い頃は能動性で描くじゃないですか。

山:はい。

武:段々歳くって来ると「能動性」とはちょっと違った場所で絵を描くようになる。

山:ちょっと違った場所、ってどこやろ。

武:「積み重ねてきた経験」とか「必要とされてる実績」とか。

山:能動性を積み重ねて、違う場所にたどり着くのか。

【ターナー展/東京都美術館】
< http://www.turner2013-14.jp/ >
会期:2013年10月8日(火)〜12月18日(水)
会場:東京都美術館 企画展示室
開室時間:9:30〜17:30(金曜日は20:00まで)入室は閉室の30分前まで
休室日:月曜日(ただし12月16日は開室)
観覧料:一般1,600円 学生1,300円 高校生800円 65歳以上1,000円

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/地に足ついた画家】
facebookページ < http://www.facebook.com/junichiro.take >
Twitter < http://twitter.com/Take_J >
take.junichiro@gmail.com
【山根康弘(やまね やすひろ)/数年ぶりに熱が出てどうも体調が】
yamane.yasuhiro@gmail.com


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■グラフィック薄氷大魔王[367]
大型作品集中制作、秋編

吉井 宏
< http://bn.dgcr.com/archives/20131113140100.html >
───────────────────────────────────
10月6日〜11月5日、実家で大型作品集中制作の続きをやってきました。完成まではたどり着けなかったけど、未塗装は目だけに。峠は越した感じ。年内に仕上げと発送作業をしに、もう一度実家に行く予定。

8月の制作はクソ暑くて大変だった。10月になって涼しくなったらまた制作に行こうってことで出かけたんだけど、10月前半は暑かった! 東海地方の10月は史上最高気温だったそうでw

それでも、一挙一動すべてに気合いを入れないと体が動かない夏とちがって、秋の制作は快適。虫もほとんど来ない。ただ、日が短くて夕方5時には外での作業を切り上げなきゃいけないのはキツかった。

Flickrに写真を追加アップしました。
< http://bit.ly/17p6ADF >

Twitterで制作実況中継はしなかったけど、Facebookには割と頻繁に書いてました。ブログにも転載しました。

Yoshii-Blog「立体造形」カテゴリ
< http://bit.ly/1fst75O >

で、夏に続いて、また作業中のトラブルや考え方の変化などいろいろありましたので、ランダムに書きます。

●Cintiq Companion Hyblidを一か月使ってみた感想

実家制作中に普通の仕事をするために、前回の8月後半実家作業ではMacBook Airとintuos4のSサイズを持って行った。

不便に感じたのは、MBA13インチの画面が狭すぎることと、ラフスケッチの作業にはやはり液タブを使いたいなってこと。とりあえず鉛筆でいいやとスキャナ(複合プリンタ)を買ったし、画面の狭さは安いフルHD液晶ディスプレイをそのうち買おうと思ってた。

今回は購入したばかりのWACOM Cintiq Companion Hyblid(とMBA)を持参。13インチとはいえフルHD、メガネをはずして画面に顔を近づければ立派な大画面。仕事する上で不足はぜんぜんない。そりゃ物理的に小さいので多少せせこましい感じにはなるけどさ。

っていうか、実家から帰ってきてから仕事してると、一か月間ほぼCintiq Companion Hyblid(とMBA)だけで仕事してたせいか、板タブintuosとシネマディスプレイでまどろっこしさを感じるほど。

13インチの液タブは、カーソルをほとんど意識しなくても操作できるけど、板タブだと狙った箇所にカーソルを動かさなくちゃならない感じ。また、13インチだと手を動かす距離が短くて済むから非常にラク。15インチあったらいいなあとは思うけど、22インチCintiqではこの距離感とダイレクト感はまったくない。13インチの没入感はなかなか。

ただ、板タブはUSB一本どころか無線でも接続できるけど、液タブだと電源2本に接続ケーブルウジャウジャになるのがなあ。その意味で、WIndows入りのCintiq Companionはスッキリ使えていいのかもねえ。外部PCに繋げないとしても、一台で完結ってのは魅力。それでもキーボードがスッキリ使えない問題は残るけど。

●電気が焦げる臭いがする

夏の制作時から、制作中の部屋で電気が焦げるような臭いがしていた。いつもではなく、ほんの時々。停車中の地下鉄でときたま感じるあのイヤな臭い。コンセントかな? 天井の蛍光灯かな? と、そこら中をくんくん鼻を近づけて嗅ぎまわっても、どこから臭うかわからない。僕は鼻がかなりイイほうなんだけど。

1975年に建て増ししてから蛍光灯から何からずっとそのまま使ってる部屋。もしかして漏電でもしてたらヤバい。先日、仕事関係でお話した北海道のデザイナーさんが、コンセントからの出火でマンションの部屋を全焼したと聞いたばかりなので、よけいにコワイ。

8月末に東京に戻るとき、親父に「電気点検しておいたほうがいいよ」とは言ったんだけど、10月に制作再開で帰ってみると、やはり点検してなかった。しばらく部屋で作業すると、やはり電気が焦げる臭いがする!! マズい! しかたないので、近所のホームセンターで電気設備点検の予約したけど、数日後になるとのこと。

再び、部屋中をくんくんと嗅ぎまわってたところ、机の下に置いてあった段ボールがどうも怪しい。漢方薬の煎じ器の空き箱。鼻をくっつけて嗅ぐと、漢方薬の臭いがする。こんな弱い臭いを電気が焦げる臭いと勘違いするはずないよなあ。

念のため、段ボールを廊下に移動してしばらく部屋で作業すると、臭わない。廊下に出ると、臭う! あ〜〜〜! これだったのか〜〜〜! がっくし。夏からほとんど恐怖症みたいになってたのに〜。

数日後、電気点検の人に一応何か所か点検してもらったけど、異常なし。煎じ器の箱の臭いを嗅いでもらったら、「あー、確かに電気が焦げる臭いにちょっと似てますね」だってw

●作品の強度

制作中の破損事故が2回。一つは、FRPでしっかり強化したうちの一つを外で洗浄中にコンクリートの壁に思いっきりぶつけてしまい、7センチくらいかすかにヒビが入った。修復するため彫刻刀で切り開いたところ、厚みが3mmくらいの薄い箇所だった。とはいえ、ガラス繊維もちゃんと入ってる部分。やっぱ割れるんだなあ。

もう一つは、FRPなしバージョンをスチロール樹脂塗り中、でかいパーツを机から落っことし、床に置いてあった箱の角に当たってベコッと大きな凹み。他数カ所も割れた。薄い樹脂だけなので強度はなく、割れるのは当然。

で、思ったのは、やはりFRPとはいえ、丈夫さと引き替えに重くなってるから落っことしたらタダじゃすまない。強度がない樹脂だけの作品と同じく破損する。じゃあ、FRPするのムダじゃん。陶器の作品だって落としたら割れる。木彫だって銅像だって壊れる。だから、注意して取り扱うわけで。絵だって表面に傷つけないように気を使うでしょ。

作品の強度に必要以上に気を使うのはあんまり意味ないなと思った。海に浮かべるわけでも空を飛ばすわけでも砂漠を走るわけでもないんだから。仮に未来の超複合素材とか絶対に壊れない素材で作ったとしても、落としたら塗料の表面が無傷じゃ済まないんだし。

後半、FRPなしで発泡スチロール用樹脂を厚く塗っただけの比較的小型作品を2個作ったけど、FRPと硬いパテの作業がない分、作業がどんどん進んで楽しかった。楽しさは重要! 次からそうしようっと。

【吉井 宏/イラストレーター】
HP < http://www.yoshii.com >
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/ >

東京に戻ってきて数日は、実家制作中の脇目も振らず超集中のクセがついたままで、びっくりするような勢いで細かい仕事やToDoをこなしてたのになあ。一週間もたつと、以前のペースにもどってしまう。キッチンタイマーPomodoroを発動しなきゃ。

・INTER-CULTUREの3Dプリント作品販売
< http://inter-culture.jp/Buy/products/list.php?category_id=63 >

・Cubifyの吉井ストア
< http://cubify.com/community/stores/yoshii_store.aspx >


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(11/13)

●「自民が民法改正案了承し今国会成立へ」と報道する新聞によれば、裁判に訴えていた婚外子らは「自分の価値が半分ではないことを、ようやく法律が認めてくれた」と語った。思わず首肯してしまいそうな気高いお言葉だが、騙されてはいけない。彼らの言う人生の(人間の)価値とは相続する金の額である。なんとさもしい思想であろう。そもそも相続なんてものは、それがプラスだったらラッキーで、マイナスであっても引き継ぐのが原則である。婚外子は相続がマイナスであっても「自分の価値が云々」と名乗り出て来るだろうか。

このたびの争点は、正妻・嫡出子側と、妾・非嫡出子側の遺産のとりあいの調整にある。当然、双方の利害や心情も考慮しなければならない。正妻・嫡出子をさんざん悩ませ、親の扶養義務を放棄しながら、相続の場面にだけ現れて権利だけを主張する人物を(まあ、そういう輩ばかりではないと思うが)、良識はどう見るだろう。最高裁大法廷は、正妻・嫡出子側を一顧だにせず、非嫡出子の利益にだけ目をむけた歴史に残る「偏向裁判」をしでかしたのである。

婚外子らは民法改正閣議決定に歓迎の声を上げ「法改正がまだ社会に残る婚外子への偏見の根絶につながれば」「これをきっかけに、子どもは平等だとの考えを社会で共有できれば」と話したという。しかし、相続の金額の差がなくなることで、子どもは平等だと考えるのがおかしい。莫大な遺産を得た子供と、わずかしか得られなかった子供は平等ではない、ということになる。

たかが個人の相続に平等だとか、人権だとかいうのが異常である。裁判に訴えていた婚外子らは案外マトモで、背後にいる人権屋や日本の家族制度を解体しようとする勢力に「言わされている」「利用されている」のかもしれない。いちばん婚外子への偏見を持っているのは、婚外子を「利用」する彼らである。

2012年に内閣府が実施した世論調査においては、現行でよいとするものは35.6%(1979年調査では47.8%)である。婚外子が相続できる金額を嫡出子と同じにすべきとするものは25.8%(同15.6%)、どちらともいえないとするものが34.8%(同20.3%)であった。また、厚生労働省の人口動態統計によると2011年の日本における婚外子の出生率も2.3%(1979年当時0.8%)と増加している。

この数字から、国民感情が「明らかに変化している」というのが最高裁の判断だが、YESとNOが拮抗しているのならともかく、こんな数字で「明らかに変化している」というのは詭弁だ。こんなバカな最高裁の判断に唯々諾々と迎合し、民法改正を急ぐ国会も大バカである。 (柴田)


●続き。運動前だから水分は多くとっておいた方がいいかもともらう。発売された当初、運動をしていない時に飲もうとすると、ちょっと重いなぁと感じてしまい敬遠してた。硬水を飲む時のあの感じに似ていたのだ。が、整列前、給水所では甘い水。するっと入った。

私の向かった50基ほどある女性用仮設トイレには長蛇の列。各1基の前に20人はいたと思う。トイレットペーパーを補充してくれるボランティアまでいた。ほとんど女性の宝塚歌劇観劇でのトイレの列には慣れていたものの、ひとり3分として、ええーーー! である。人が多すぎるため、フォーク並びでさえない。駅のトイレに並ぶ人たち大正解。あっちなら並んでも20分だろう。

どこも列だろうと迷っているうちに、後ろにも並び始める。待っている間にストレッチしたり、携帯で連絡をとっている。女性用なのに並ぶ男性もいて、男性用のは、左に見えている青いドアの方だよ、きっと男性用の方が早いよ、抜けてくれ〜と自分の列には関係ないものの、思ったりはした。女性用のはピンクのドア。男性用のにはドアのないのもたくさん。参加者の女性比率はどんなものだろうと考えたりした。暇なもので。10分経過、20分経過、30分経過......いやもう整列時間には間に合いませんよね。続く。 (hammer.mule)

< http://www.osaka-marathon.com/2011/result/ >
2011年
< http://www.osaka-marathon.com/2012/result/ >
2012年。女性が増えつつあるのね