武&山根の展覧会レビュー 自然というフィクション──【ターナー展】を観て
── 武 盾一郎&山根康弘 ──

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山:こんばんは〜。

武:こんばんは。早速ですが報告です。先月ですが取手の小文間(おもんま)でピカレスク主催のゼロネロという企画がありまして、簡単に言うと人気投票なんですけど。1票500円でポストカードを買って、3人の作家の3作品に投票するんです。

で、投票した作品が1位になったら、1位に投票した人の中から抽選で1名その作品がプレゼントされるんです。で、この企画が成立するにはトータルで200票以上集まっている条件があるんです。

山:つまり10万円売り上げたら、ってことか。

武:採算が取れるってことですねw

山:ポストカード10万円分って、結構すごいな。

武:抽選で当たった人は作品を貰える訳ですが、1位になった作者はその作品がピカレスクで売れたのと同額を受け取るんです。

山:ん? その人のポストカードが売れた金額、ってこと?

武:いえいえ、作品の値段です。

山:作品の値段は誰が付けるんや?

武:作家ですよw

山:ん? じゃあ10万円って付けてたらどうなるんや?

武:獲得票数が200ではなくなるんでしょうな。値段を付けてピカレスクに納品してるので、そこからゼロネロに出展する作品がチョイスされる。

山:あー、そういうことなのか。

武:期間は7月から10月。とまあ、そんな企画があったんですよ。で、結果はなんと、投票数は目標200票ピッタリで、1位が俺の作品になりました!
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20131013/1381639867
>

山:なんすかこの武さんの髪型はw

武:金正日みたいになっとるけどなw

山:まあ何はともあれ、おめでとうございますw

武:ありがとうございますw みなさまのおかげです。

山:投票ってたまに美術館でもやってたりするな。最近はあまりみないけど。

武:あとローカルになりますが、伊奈にある「森の音」というカフェで展示あります。11月7日(木)から12月2日(月)まで。『武盾一郎&mocostyle
「線画とパステルのマリアージュ」produced by TeamUttoco』
< https://www.facebook.com/#!/events/195717470611515/
>

山:ローカルって小文間もローカルやないか。

武:そうですね。伊奈は上尾の近所で地元のローカル、取手はちょっと遠いローカル。ローカルでのアーティスト活動をやっております。

山:ローカルと言うよりロートルやったりして。

武:あはは。俺はむしろトロールかも知れんw あ、俺、酔っぱらってる。。

山:なんでやねん!! もはやか!

武:もうね、こらえ性がなくなってしまってね。。ともかく、だ。今回は俺が展覧会に行けてない状態でチャットします! 何故かと言うと、家をリフォームしてるんですわ。

『アトリエ世界征服研究所、床をリフォームする』
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20131101/1383296384
>

山:なんかこういう状況も久しぶりですが、僕だけ展示を観てきました。ターナー展です!
< http://www.turner2013-14.jp/
>
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC
>

武:世界中の棚、東京に召喚!

山:そうそう、ずらーっと世界各地の棚がならんで、、、並ぶかっ! ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーです!

武:棚卸しを競い合う!

山:もうええっちゅうねんw

武:ターナーっていうと、絵具のターナー、だよね。

山:ターナー色彩ね。アクリルガッシュの。

武:関係あるんの?

山:ターナーから取ったんでしょ。絵具会社は多いよね。ホルベインもそうなんちゃうか。

武:ヴァンゴッホもあるしな。じゃあ「武盾一郎」という画材が登場してもおかしくないわけだね!

山:......で、ターナー展です!

武:ティナターナー!




●ほとんどスルーしてた人、ターナー

山:さて、今回は僕しか観に行っていないので、僕の感想からですが、作品数めちゃめちゃ多いです。

武:そんだけ出展作品量多くても全作品ではないんだ。ずいぶん多作なんだね。

山:そんな感じやね。そして僕は実は初めてターナーの生絵を観たのですが、えーと、良かったです。小さい頃から非常に達者で、24歳でイギリスの画壇に認められた人ということで、ま〜、上手かったですね。

武:「上手な油絵を描いた人」というくらいしかイメージなくて、まるっきりスルーしていた画家ですw

山:僕もいわゆる真っ当な風景画にはさほど興味がなかったので、ほとんど気にした事がなかった。

武:上手な風景画ほど興味のそそらない絵ってないからなあ。写真が当然となった時代に生まれた人間の悲しさなのかな。。

山:でも、ターナーの時代もそうやったみたいなんですね。

武:ほう。

山:なので、ターナーは風景画の地位向上の為にがんばったみたいです。

武:ふむ。

山:やはり神話とか宗教画が強かったんかな。

武:神話も宗教も絵じゃないと表せないからね。「お話し」だから。風景は写真が登場しちゃえば絵に描く必要性はなくなるからねえ。

山:ターナー自身も風景の中に、神話も取り入れている絵も描いてる。

●風景とは何か?

武:「風景とは何か」ということだよね。

山:ターナーは風景画を、様々な感情や知性を表現出来るジャンルである、と証明したかったみたいですね。

武:なるほど、おもしろいね。

山:えーと、誰かの小説か詩かに強く影響をうけてるみたいだが、、だれだったかな。展示では、「崇高」を現すものとしての自然、それを表わす風景、と。

武:「風景」は崇高なんだ。確かに「自然の風景」は崇高なのは分かる。

山:人智を超えたもの、ってことなんやろね。

武:すると上尾の街並は崇高ではないってことなのかな? 上尾の街並には人智を超えた無意味なものがあったりするよ。巨大ショッピングモールとかw

山:上尾に限らんやろw

武:ショッピングモールをがっつり描いちゃう画家とかいてもいいってことじゃね?w

山:それ普通に面白いかもな。

武:数十年後にはどうせ消える訳だしな。まあ、それは写真の役目か。

山:そうやねー。

武:いや、だから、「風景を描く」ってどういう意味よ。

山:僕もわからんがな。でも風景を描くって聞くと、普通、自然を描いてるイメージがあるね。

武:そもそも、「風景」ってなんだ?

山:ふう‐けい【風景】1 目に映る広い範囲のながめ。景色。風光。2 ある場面の情景・ありさま。(大辞泉)

武:風景と景色は違う、という解釈もあるよね。

山:風景と景色、うーん。僕の勝手なイメージやけど、「風景」と言う言葉はどこか体感的なイメージ。景色は、視覚的イメージ。漢字に引っ張られてるかもしらんが。

武:「いい景色だねえ」とは言うけど、景色ってその時点で感動してるニュアンス。風景って言った場合、別に感動してなくてもそこには風景が広がっているわけで。。

山:「風景写真」って言うけど「景色写真」って言わんな。

武:風景っていうとどこか客観的な意味合いがあるんだね。景色は主観的なんだよ。きっと。

山:なるほど。風景の方がパブリックな訳だ。

武:そういう感じかな。

山:じゃあ「風景を描く」ってなった場合、主観ではないという、どこか約束のようなものがあるんかな。

武:目の前に広がる風景はそれを見た人の主観でしかあり得ないのに「主観じゃないです」って言ってるのだな。

山:そうなってまうね。

武:「神の目です」とかねw

山:でも主観が共感を得た場合、それは客観になり得るのかも。

武:共有されるからね。パブリックになるよね。「私にはこう見えた」というアプローチと、「絶対真実がそこにあって私はそれを客観的に写し取っている」というアプローチと。。

山:ふむ。で、ターナーに戻りますが、

武:はい。

山:そういう観点はあったように感じる。

武:どういう?

山:絶対的真実を写し取っている、という。

武:主観ではない、と。

山:いや、実際には主観、どころかフィクションな訳ですが、そういう気概、
かな。

武:なるほど。

山:劇的に描くよね。風景を。「ザ・ロマン主義!」って感じで。

武:劇的な風景を見たってことじゃないのかな。例えば俺だって普通に上尾ですんごい劇的な夕焼けとか見るし。そうすると、なんだか神々しい気分になるよね。

山:そう言う気分ってみんな持つことはあるよな。

武:その気持ちを留めておきたい、という衝動で絵を描くってのはよく分かる。

山:でですよ、そういう風に描いてるターナーなんですが、実は、そこにはあまり僕は感動出来なかったんよな。

武:えっ! そこがターナーのキモじゃないのか?

●ターナーの水彩

山:そうなんかもしらんねんけど、僕は水彩の方がずっとよかったんですね。

武:ほう。水彩。水彩は何を描いてたんすか?

山:たくさん描いてる。大量のスケッチもそうやし、そもそもターナーは水彩作品から始めてるんやな。油絵は後から始めた。って言っても若い頃ですけど。

武:てことは最初の頃の絵がいいってことなんかな?

山:僕はそう感じた。油絵が悪いってことではないねんけど、正直、あんまり、、、っていう油絵も多かった。なんせたくさんあったから。

武:表現衝動よりもテクニックで描くようになった絵は、イマイチだったって
こと?

山:そのテクニックがイマイチ、って感じたんよね。むしろ、水彩画家やったんやと思う。

武:「テクニックの萌えポイント」ってあるからなw

山:あるねw 水彩のちっちゃい作品とか、とても良かった。だけどやっぱり油絵の方が圧倒的に「物質感」はあって、迫力はあるんやけどね。でも絵画的質としては、水彩の方が良かった気がするんですよ。

武:水彩って油絵の下絵ってことなのかな?

山:下絵として描いてるのもあったな。写真がなかった時代なので、スケッチするしかないんやな。だから大量にスケッチがある。それは水彩やね。

武:鉛筆描きしないで水彩なの?

山:いや、鉛筆でも描いてる。あたりはつけてる。

武:まあ、ごくノーマルな鉛筆と水彩ってことか。写真がない時代の画家はやっぱり上手いことに意味があるからね。

山:そうなんやな。タブローとしてきっちり仕上げてるのもあるねんけど、時代的にはやはり水彩画は油画に比べると下位やったんやね。その地位向上の為に頑張ってた感はよくわかる。

●風景と人と

武:人とかもさ、難しいよな。ベンチに座って道行く人を描こうとしても描けないからね。通り過ぎてしまうし、服とか歩いてる感じのポーズとか特徴とか、覚えられないし描けないし。昔の人は作動記憶が優れてたに違いない。

山:あ、ターナーはね、人物はあまり良くないんですよ。

武:そうなん?

山:僕の好みやけど。なんやろ、丸っこくって。きびきびした感じがあんまり
ない。

武:建物の方が得意だったのか。

山:建物描くとすごいねんけど。昔の宗教画とか、ちょっと人物が丸っこい、ふくよかって言ったらいいのかな、そういうのあるじゃないですか。ターナーは、そこを「真似」してたって感じた。

武:ほう。

山:なので、ちょっと違和感がある。人物画を描けないので、風景画家になったのかも。

武:使う能力違うんだな、人物画と風景画って。

山:どうなんかな。もし、神の視点というものを本当に得ていた、得ていたと錯覚していたならば人物も風景やからね。木を描くのと、人物描くのと変わらずに描けないもんなんかな。

武:そっか、虫や鳥と同じように、そこいら辺にいるもの、として。。

山:そう。だから逆に、人にはいろんな感情を持ってたってことになるんかな。

武:なるほど。人物を描かない画家こそ、人に対して複雑な感情がある、と。

山:そんな感じした。

武:人との関係に疲れると風景画好きになるのかもなw 人を描くってどうしてもその人との関係性を描くことになる。

山:そうなんだな。

武:人が登場しない風景は、言ってみれば「自分そのもの」だったりするもん
なあ。

山:でも習練で、関係性を排除した人物画を描く事もできるんだよね。

武:ああね、キャラクターにしてしまえばよかったりね。

山:いわゆる点景人物ってあるやん。
< http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/153419/m0u/
>
そういう風にターナーも描いてんねんけど、それがあんまり僕には。。逆にスケッチとかで、すごくいいのもあるんやけど。きっちりキャラクター化されてると言うか、イラスト的にいい、と言うか。

武:てことは風景画の「物語り」に人がうまく溶込んでないんだな。

山:そうそう、この物語にはこういう人物だろ、とか、そういうのあるやん。

武:風景画に入る人物がなんか違和感ある絵って割とあるよね。「人」に対して意識し過ぎなのか、人が不自然になってる絵ってあるよ。「イバラード」とか。風景の世界観は大好きなんだけど。
< https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89&hl=ja&tbm=isch&start=20
>

山:イバラードってなんや。

武:宮沢賢治のイーハトーブ(岩手)に似せたの。

山:茨木、吹田、高槻、って、大阪なんか。僕は豊中ですがw
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89
>

武:大阪の人だよねw

山:ふむ。人がちょっと硬くみえたりするね。

武:逆に大竹茂夫とか風景と人がなんの違和感もないんよね。
< https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A4%A7%E7%AB%B9%E8%8C%82%E5%A4%AB&hl=ja&tbm=isch
>

山:その物語世界にきっちり人物が溶け込んでる、ってことか。なんかあれやね、デルヴォーとか、バルチスとか思い出すな。

武:好きなんでしょうなw でね、「人」と「風景世界」をシームレスに結べないってことは、「人の物語り」と「風景の物語り」に乖離があるってことだよ。その感覚ってよく分かるんだ。「風景と人」って根深いよ、これw

山:人を自然だと観てないと、乖離が生じてしまう、とか?

武:「自然と観てない」ってことはなんだと思ってるんだろう?

山:異物w

武:観念? 「人を自意識」「自然を無意識」と捉えて分裂してるのかな?ひょっとしてこれは「近代」の問題なのか? シラフと泥酔に乖離がある人もいるしなw

山:なんすかそれ、僕かw

武:いやね、どうすれば風景に違和感なく人が入るのかな? 「人と自然の物語りの乖離」ってこと自体が言ってみればある意味普通というか、自然だったりするじゃないですか。「人と自然は乖離がある」ってことをうまく描き出せれば、風景に違和感なく人が入るんじゃないの?

つまり、「自然と人ってのは同じ物語り上で成立する(べきだ)」という考えに基づいて、風景に違和感のないように人を溶け込ませようとするからかえって違和感が出ちゃうんじゃないのかな?

山:ほう。乖離は乖離として描く、ってことか。

武:風景と人の問題って面白いなw

山:なんかあるんやな。

武:風景画に人が入るとだいたい変なんだよね。でも人が全く居ない風景は寂しいから人を入れたい。が、観念世界、理想世界は自分の脳内そのものだから人は入ってこない。

山:自己中心的世界、と言うかね。

武:そうね。風景という客観を描いてるようで自己中心性の強い絵。

山:王様になりきれないんだな。

武:あはは。その方が人として自然だけどね。

山:そうすると、ヘンリーダーガー思い出す。王様やん、きっちり。ほとんどトレースやのに。すごいよなw
< https://bn.dgcr.com/archives/20070501140100.html
>
(ヘンリーダーガー幸福論)

武:そうだね。風景と人は違和感ないしね。物語りが分裂してないんだな。

山:そういうことになるね。

武:てことはターナーは風景と人で物語りが分裂してるんだね。

山:そんな感じはしたな。そんなには出てこなかったけど、神話を取り入れたりすると、人物はどうしても必要になるよね。

武:そうするとちょっと変になる、とw

山:僕にはそう感じた。

武:なるほどなあ。で、ターナーの大量な展示物から見えてきたものって他になにかある?

山:ああ、それはもう「気概」だよね。絶対に絵描きである、歴史に名を残す絵描きである、、と。で、自然という崇高をモチーフに描きまくった。

武:「自然」がテーマだっただのかあ。自然をターナーなりに抽象化してた、とか。

山:どうなんやろ。抽象化はターナー自身が意識的に求めた訳ではないような気もするんだが。体力的な問題とか、、そんな気もしないでもない。ターナーの風景画、特に後期の絵を、暴力的、そしてそれを産業革命との絡みで論じる人もたくさんあるみたいなんですが、それはそれで示唆的でもあるんだけどほんまにそんなこと考えてたのかなー、とか思うとこもあるね。

武:ふむ。で、後期の油絵作品より初期の水彩がよかったんだ。

山:僕はね。

武:それは面白いね。ひょっとしてそれは「能動性」の問題なのかもね。

山:能動性、ですか。

武:若い頃は能動性で描くじゃないですか。

山:はい。

武:段々歳くって来ると「能動性」とはちょっと違った場所で絵を描くようになる。

山:ちょっと違った場所、ってどこやろ。

武:「積み重ねてきた経験」とか「必要とされてる実績」とか。

山:能動性を積み重ねて、違う場所にたどり着くのか。

【ターナー展/東京都美術館】
< http://www.turner2013-14.jp/
>
会期:2013年10月8日(火)〜12月18日(水)
会場:東京都美術館 企画展示室
開室時間:9:30〜17:30(金曜日は20:00まで)入室は閉室の30分前まで
休室日:月曜日(ただし12月16日は開室)
観覧料:一般1,600円 学生1,300円 高校生800円 65歳以上1,000円

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/地に足ついた画家】
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【山根康弘(やまね やすひろ)/数年ぶりに熱が出てどうも体調が】
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