ユーレカの日々[28]1パイントのビールで人は何メートル上がるのか?/まつむらまきお

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ビールが好きで、よく呑む。大学と自宅の中間である京都で呑むことが多い。ビールが売りの店といえば、昔はドイツ式のビアホールが中心だったが、最近はイギリス式のパブも増えてきた。パブでのオーダーはカウンターで先払い。ファストフード店と同じシステムで、一人飲みでも気楽に入れるのがいい。

そういった店でビールを呑むたびに気になるのがその量だ。イギリス式のバーでは、ビールは「パイント」という単位で設定されている。1パイントを基準として、HALFは1/2パイント、といった具合。

当初はこの量がわかりにくかった。mlにすると1パイントは568ml。缶ビールロング缶よりもちょっと多めだ。1/2パイントだと284mlでレギュラー缶より少ない。なのでいつも、呑み足りないか、呑みすぎるかになってしまう。


●パイントという単位

パイントという単位は日本ではほとんど馴染みがないが、ヤード・ポンド法、つまり主にイギリスとアメリカで使われている体積の単位だ。僕が初めてパイントという単位を聞いたのは、ハーゲンダッツ・アイスクリームの容器だった。

今はもうないが、お店で持ち帰りを買う時、パイントのパッケージに入れてもらったものだ。その当時は、パイントというのが単位だとは知らず、単に容器をそう呼んでいるのかと思っていた。パブで「1パイント」ビールを頼む時、いつもハーゲンダッツのことを思い出す。

日本が尺貫法を廃したのと同様に、すでにイギリスもアメリカも法律的にはメートル法が公式だそうだが、実情はヤード・ポンド法がスタンダード。

おかげで日本では未だにテレビを買う時に、32インチがどれくらいのサイズなのか悩まされる。パソコンの世界もハードディスクやメモリの幅や、昔のフロッピーなどすべてインチだ。手元にインチの定規があるわけではないので、「この封筒に入るかな」といったとき、悩まされる。

こういった例は他にも多い。妻に聞いたところ、バターは450g、1ポンドで売られているのだという。おかげで、ベニスの商人が賭けた胸の肉1ポンドの量が実感できるという。

そういば、ふだん家で呑む缶ビールは350mlだ。今まであまり気にしていなかったが、これはなぜ、そんな半端な数字なのだろう?

調べてみると、350mlはアメリカの12液量オンスをmlに直したことらしい。やはりヤード・ポンド法だ。

じゃあなぜ、12液量オンスなのか? 随分半端な数字だ。16液量オンスは1液量パイント...16?? 16倍で桁があがる、という考え方は日本では馴染みがないが、12は16の3/4だ。

なるほどねぇ。1パイントとハーフのちょうど中間、3/4パイントが350ml缶の正体だったわけだ。さらに、日本の体積の単位である「合・升」だと、約2合。日本の商習慣にも馴染んだのだろう。

調べてみてわかったのだが、イギリスとアメリカで同じ1オンス、1パイントでも容量が違う。ここで比較している缶はアメリカ式、パブはイギリス式なので、厳密には違うのだろうが、まぁ、だいたい3/4パイントということのようだ。

●割り切れないヤツと割り切れるヤツ

しかし、このヤード・ポンド法、Wikipediaで読めば読むほど訳がわからない。
英パイント -- 20英液量オンス
米液量パイント -- 16米液量オンス
8パイント -- 1ガロン
次から次へと、なんだかわからない単位や数字がぞろぞろと出てくる。

これらの換算を見ていると、よく出てくるのが8、16、128、160などの数字。コンピュータの単位であるバイトや、印刷の面付け・ページ数でおなじみの数列だ。これらは分割しやすいからよくわかる。

一方、長さの単位であるインチの方を見ると、1ヤードは3フィート、1フィートは12インチ。こちらがそれぞれ、バラバラなのは、インチは指の幅、フィートは足のサイズ、ヤードは肘から中指の先までの長さの倍、という、もともと別々の基準だったかららしい。

単位の上がり方がバラバラというのは想像を絶するが、12という数字は2、3、4、6と約数が多いことで知られる。特に1〜4までの数すべてで割れる、ということが実生活では便利だ。

1ダースの缶ビールなら1〜4人できれいに等分できる。箱にも入れやすい。10缶入りなら2と5しか約数がないから、3人でも4人でもケンカになる。12は日常で使いやすい数字というわけだ。だからアメリカ・イギリスではヤード・ポンドが生き残っている。

●72の謎

分割といえば、もうひとつ日頃気になっていた数字がある。1/72、1/144。航空機プラモデルの国際スケールだ。日本ではガンダムのプラモデル「ガンプラ」のスケールでもおなじみである。なんとなくそういうものだと受け入れていたが、なんで1/72なのか。

72は使いやすい「12」の倍数だ。初期のMacでは72ポイントが1インチになるということで、ディスプレイが72dpi、つまり、画面の1ピクセルが1ポイントという風になっていた。もともとディスプレイの設計もインチで行っていたわけで、すべて整合性がある。

しかし模型はどうだ? だいたい、模型を作る時の事を考えると、こんな半端な数字は使いにくい。実物が10mの長さだったとして、1/100なら10cmとすぐに換算してパーツを自作することができるが、1/72だと毎回毎回、電卓を叩く必要がある。どうしてこんな縮尺をなぜ採用したのだろう?

調べてみると、1/72という縮尺は6フィートを1インチにする、ということだそうだ。

なるほどわかった。1ヤードは3フィート、1フィートは12インチ。3と12をかけると、36になる。36の倍数なら、大きな実物を採寸するときのヤードと、小さな模型のインチで換算がしやすいのだ。

たとえば、1/72では身長6フィート(180cm)の人間が丁度1インチ(25mm)の高さになる。大きなものを測る時の単位と、小さなものを測る単位が異なるから、そのための換算が36の倍数だったわけだ。

もともと1インチというサイズは尺貫法の一寸とほぼ同じサイズで、どちらも指の幅が元になっていると言われる。人間一人がちょうど指の幅、と感覚的にもわかりやすい。メートル法ではほとんど意味のない1/72という縮尺はヤード法だと使いやすい。

●きっちりしたハズが、ハンパになったメートル

しかし、アメリカとイギリスで単位が同じでも実量や運用が異なるように、昔はいろんな国でいろんな単位が使われていた。貿易が盛んになってくると、それがとてもやっかいな問題になり、18世紀末にフランスでメートル法が制定され、国際基準となった。日本でも1960年代に尺貫法が禁止され、メートル法になった。

しかし、そのメートル法にしたおかげで、350mlだとかかえってやっかいな半端な数字を氾濫することになってしまった。日本の建築の世界でも、よく使われる基本単位は90cm。畳は90×180cm。

これは尺貫法の近似値で、一間=180cmだ。家具のサイズや、ホームセンターで買う材木のサイズは90cmやら60cmやら180cmやら、メートル法で見ると半端な数字になっている。もちろん、一間180cmは男性身長に近い、ヒューマンスケールだ。

世間に半端な数字を氾濫させているのは、メートル法という新しい「基準」に換算したためというわけだ。

じゃあ国際基準である1メートルはどういうサイズなのかというと、「地球の北極点から赤道までの子午線弧長の1000万分の1」。とんでもなく実感に乏しい基準である。18世紀末なのだから、当然飛行機もまだ発明されていない。だれもが「 (゚Д゚)はぁ?」とあっけにとられる基準だ。

もちろんこれには理由がある。サイズに絶対的な基準を求めようとすると、とてつもなく難しい。インチや寸は指のサイズなのだが、当然、指のサイズにはばらつきがある。

世界各国でそれまでは穀物のサイズを基準にしたり、普遍的なサイズを色々と求めたわけだが、自然界においてそういうモノは当時の技術では見つからなかったのだろう(現在は光の速度など物理法則に基準を求めている)。

そこで当時の人々は考えた。もっとも普遍的で計測が可能なサイズはなにか? と言うと世界にたった一つしか存在しないもの、「地球」だ。1000万分の1というのは、1ヤード(約90cm)に近い、丁度割り切れた数、といことだったようだ。さらに、それまでの「12分割の考え方」から、計算がしやすい「10進法」で大系が整備されたのだと思う。

おかげで計算や換算はしやすくなったのだが、それまでの「指の幅、人間の身長」という感覚的にわかりやすいヒューマンスケールから、地球の大きさという人間の感覚ではさっぱり直感しにくい基準になってしまった。

事実、身の回りの物を見てみても、メートル法で丁度、というサイズのモノはあまり見当たらない。先に述べたように建築物は90cm単位だし、アメリカ主導のコンピュータなどはインチ。カーナビの音声案内で「200m先を左折です」と言われても、200m先がどれくらいなのか、ぼくはすぐに判断できない。

そんなに運転する方ではないので、中学生の時の100m走で走った距離が......なんてことでしか自分の体験で換算できない。音声案内が尺貫法の都市スケールである「2町先」なら、だいたい曲がり角2つ分、と走行中でもわかるのに、と思う。

人間が作るものは、ほとんどが人間が使うものだから、地球サイズよりも、ヒューマンスケールであるヤード・インチや尺・寸由来の寸法の方が多くなるのは当たり前だろう。人間はどこまで行っても、身体感覚から逃れることはできない。それをメートルで表記しても、実感に乏しい数字しか出てこない。

様々な単位が乱立・混乱しつつも、それぞれがヒューマンスケールで人間が実感できていた時代と、単位が統一された代わりに半端な数字が氾濫してしまった現代。はたしてどちらがいい時代なのだろうか。

昨今、コンプライアンスだとか、憲法改正論だとか、安全基準だとか、特定機密保護法案だとか、いろいろ「基準作り」「基準順守」の話題が多いように思う。たしかにそういった基準はメートル法の制定と同様に、バラバラなものをシンプルにしていったり、違う考え方を換算していくのには役に立つだろう。

でも、基準ができても結局は、人はヒューマンスケールで生活せざるをえない。身体感覚からは逃れられない。

人の指の幅や身長に個人差があるように、人間なんて地球みたいに唯一でしっかりしているわけではない。ならばその基準はゆるいくらいで丁度いいんじゃないかとも思う。

そういえば、お酒を呑むと「メートルが上がる」と昔の人は言ったらしい。おや、ここにも単位が。調べてみると、ここで言うメートルとは、同じ語源の「メーター」、要は酒を呑んでテンションがあがる、という意味らしい。メートル上がれば、脳みそもゆるくなる。もちろん、このテキストの説明が正しい保証がない。

昔もビールを呑みながら、同じように単位に思いを馳せた人がいたのかも。そんな事を考えながら、パイントのビールを呑みほして店を出た。

【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学准教授】
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師走だなぁ。ぼかぁ、君と居る時が一番師走なんだ......ということで、大学教員も走る年末年始。忙しいです。