映画と夜と音楽と…[616] 60年たって家族は変わったか?/十河 進

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〈東京物語/東京家族〉

●超高齢化社会を迎え「老い」と「死」が重要なテーマに

2013年の最後のコラムになった。今年も何とか休まずに続けてくることができたが、こう書き始めても、今回は何を書くか、明確なテーマも、紹介する作品も決まっていない。週に三日しか出社しなくなったので、一週間を振り返っても、ほとんど変化のない日々を送っている。書くべきことも特にない。このまま歳を重ねるのかと思うと、少し焦る。


「泥棒を捕まえて縄をなう」ということわざがあるが、先日、新聞に大きく「定年後のお金と暮らし」というムックが広告されていたので、出社の途中、さっそく駅の構内の書店で買ってみた。朝にもかかわらず、大勢が立ち読みをしている。ムックのサブタイトルは「夫婦で考える60歳からの生き方」だった。真ん中あたりに「基礎からわかる介護のお金」という小冊子が挟み込まれていた。

最近、「超高齢化社会」だとか、「介護費用」だとか、「年金減額」といった言葉が目に付くようになった。人間とは勝手なもので自分に関係がないと関心は持たないが、身に迫るようになると目が自然にそんな言葉を見つける。先日も五木寛之さんの本の広告が目に付いた。高齢化社会を迎えて、これからの老人の生き方を示唆する本だった。「大河の一滴」あたりから五木さんはこんな本ばかり出していて、何だか宗教家になったみたいだ。

昔から、老人問題は存在した。だから姥捨伝説が各地にあるのだろう。誰でもいつかは歳を取る。働けなくなる。動きが鈍くなる。記憶があいまいになる。現実を把握できなくなる。自分で自分の始末ができなくなる。子供にとっては、お荷物になる。社会にとっては、金のかかる存在になる。医療費がかさばるのに、生産はしない。税金も多くは払わない。老人に支給する年金や生活保護費が国費を圧迫する。社会全体の負担が増える。

義理の父母は、職場結婚をした同い年の夫婦だった。80過ぎまで仲良くふたりで暮らしていたが、義父が認知症気味になって義母が面倒を見られなくなった。子供たちは相談し、義父をグループホームに預けた。帰郷した折りにカミサンが見舞うと、意識がはっきりしているときには「帰りたい、帰りたい」と言っていたという。しかし、亡くなるまで施設から帰れなかった。三年間の施設暮らしだ。

義父が亡くなって三年、義母はひとりで暮らしていたが、今年の夏に体調を壊して入院して以来、少し現実把握が怪しくなった。老人にはよくあることらしい。すでに80半ばを過ぎている。子供たちは頻繁に連絡を取り合い、何とか長男が暮らす神奈川県に義母を連れてきた。しかし、ときどき家が気になるらしく、「早く帰りたい」と口にするという。それを聞くと、少し切なくなる。

義母に初めて会ったのは、僕が高校生のときだった。当時、高校の同級生だったカミサンを送り、挨拶をしたのが最初だと思う。実は、あまり憶えていない。一番、記憶に残っているのは、大学四年の5月に「卒業したら結婚したい」と挨拶にいったときのことだ。緊張していたので、記憶に刻み込まれたのかもしれない。もう40年前になる。義父も義母も40半ばだったが、あの頃の印象は今も変わらない。だが、人間は歳を取る。

●50歳の小津監督が作った「東京物語」を80歳でリメイク

小津安二郎監督の代表作というより日本映画の代表作「東京物語」(1953年)を山田洋次監督がリメイクすると聞いたとき、まず「無謀な試みだ」と思った。松竹大船で作られた名作である。リメイクするのなら松竹だろうし、それを担えるのは山田洋次監督だとは思うが、オリジナルを越えるのは無理だろうと感じた。小津監督が「東京物語」を作ったのは、50歳のときだった。山田監督が有利だとすれば、80歳であることだ。

12月12日は、小津監督の命日だった。小津監督は自身の還暦の誕生日に亡くなったから、生誕110年、死後50年になる。山田監督は今年で82だから、28歳若い。ということは、小津監督が「東京物語」を大船撮影所で撮影している頃、山田監督はまだ東大生だったのかもしれない。東大を出て松竹に入り、「東京物語」の一番下っ端の助監督を務めたのは、後に小説家になり「風の盆恋唄」を書く高橋治である。

調べてみると、山田監督が松竹に入社したのは1954年だった。前年の秋に「東京物語」が公開されている。評判になっていたのは間違いない。当時の松竹には、木下恵介もいた。渋谷実もいた。山田監督は、彼らと大船撮影所で共に過ごした。助監督時代の山田監督は、小津監督にも出会っていたはずである。その間、小津監督は「早春」(1956年)から「秋刀魚の味」(1962年)まで、八本の作品を作った。

「東京物語」のリメイク(発表では「東京物語をモチーフにした」と言っているが)である「東京家族」(2012年)は、企画途中で東日本大震災があり制作を中断した。その後、震災後の日本に設定を変え、脚本にもそれを取り込んでいる。次男の昌次(妻夫木聡)が震災後のボランティアにいき、恋人になる紀子(蒼井優)と出会う。いかにも山田作品…という設定だ。

平山周吉(橋爪功)の旧友夫人の母親は、津波で行方不明になっている。このエピソードも山田監督らしいなと思う。今までの僕なら「あざといなあ」と感じただろうが、歳のせいかすんなりと心の底に落ちた。あれだけの人が亡くなったし、東京には東北出身の人は多い。登場人物のひとりの親族に被災者がいても不自然ではない。それに、老人たちは戦争経験者でもあるのだ。そのふたつの設定が、ひとつに結びつく。

平山周吉ととみこ(吉行和子)の老夫婦が、子供たちを訪ねて瀬戸内の島から上京する。「東京物語」では描かれていなかったが、周吉は数年前に亡くなった旧友にお線香をあげにいく。古い団地に住む未亡人の前で仏壇に手を合わせる。仏壇には老婦人の写真がある。訊くと、「昨年の3月11日に亡くなった母」だという。周吉はハッとする。

その母は戦争で夫を亡くしたが、戦死の公報があっただけで遺骨も戻らなかった。あきらめきれない母は、とうとう父親の墓を作らなかった。父は南方の海に沈んだけれど、母も海に流され、ようやく父と会えたのかもしれない、と老婦人は語る。彼女の父親も母親も遺骨がないのである。天寿をまっとうし、自然死を迎えたのならあきらめもつくだろう。

ここで、「東京家族」の大きなテーマが「死」であることが印象づけられる。「家族」「老い」そして「死」、それが二時間半をかけて「東京家族」では描かれる。「東京物語」が公開された昭和28年は、まだまだ戦後だった。それから60年近くが過ぎた日本を舞台に同じテーマを描けば、日本がどのように変化してきたのかが自ずと現れてくる。80の老監督は、そう思ったのかもしれない。

●「東京物語」と比較せずに「東京家族」を見るのは不可能だ

郊外を走る電車、多摩川の土手、町の風景など、小津調のカットが続き、「平山医院」という看板が映る。その家の中を、やはり小津調のカットをつないで見せていく。中学生の長男が帰ってくる。母親の文子(夏川結衣)が片づけをしている。長男は祖父母を自分の部屋に泊めると聞いて、「えー、ホテルに泊まればいいじゃないか」と不満を言う。そのセリフで、まず時代の差を感じた。

「東京物語」と比較せずに「東京家族」を見るのは不可能だ。冒頭から、僕はカット割り、セリフまわし、小道具や構図など、「東京物語」とどう違うかが気になってしまった。夏川結衣が登場すると、「ああ、三宅邦子の役だな」と思ってしまう。よほど時代遅れでない限り、名前も踏襲している。杉村春子が演じた長女の「金井志げ」は、さすがに「金井滋子」と変えてある。演じたのは中嶋朋子だった。ホタルちゃんもこんな役をやるようになったのか、と感慨深い。

その滋子が平山医院にやってくる。父母が新幹線で品川に到着するので、次男の昌次を迎えにいかせたと話す。そこへ、昌次から電話が入り、東京駅で待っているがいないという。品川と東京を勘違いしたのだ。滋子は母親の携帯電話に連絡すると、父親は待ちきれず「タクシーでいく」と言い出す。このシークェンスの日常性がいい。父親と次男のわだかまりも自然に伝わってくる。

普通の家族である。口うるさい長女、おっとりした長男、父親との確執にこだわる次男、長年教師を勤めた堅物の父親、そんな父親と子供たちの間の緩衝役になってきたのであろう優しい母親、義理の両親に気を遣う長男の嫁、ほとんど会っていない祖父母にとまどう孫たち、まるで僕自身の家族を見るようだ。特に老父母の会話や立ち居振る舞いに、僕は自分の両親を重ねた。

僕の両親は、ふたりとも米寿を迎えて元気に暮らしている。父親は、今年の秋にiPhoneを購入した。米寿でメールを始めるのも凄いと思うが、ときどきメールのやりとりができるので助かっている。母親も病院通いと縁が切れないとはいえ、日常生活には支障がない。電話でもしっかりしたものだ。しかし、確実に「老い」は迫っている。

橋爪功と吉行和子が演じた瀬戸内の島に暮らす老夫婦は、僕の両親よりずっと若い設定だが、地方から出てきた老夫婦の会話は驚くほど僕の両親と似ていた。夫と妻の会話の調子も両親を思い出す。世代的なものかもしれない。しかし、地方で暮らしている人間のリアリティは確実に出ていた。やはり、田舎と都会では流れている時間が違うのだ。

●子供たちの善意と年老いた両親の思いがすれ違う悲しさ

長居する両親の世話に困った長男と長女は相談し、ふたりを横浜の高級ホテルに泊めることにする。彼らの善意だが、両親の思いとはすれ違う。慣れないホテルで老夫婦は戸惑い、落ち着かない。夜中に従業員に大声でクレームを付ける中国人観光客がいるのは、いかにも現代らしいアレンジだ。「東京物語」では老夫婦は熱海の旅館に追いやられ、夜中じゅう続く麻雀の音で眠れなかった。

次のシーンは、「東京物語」で熱海の防波堤に腰掛けた老夫婦の会話の再現だった。笠智衆と東山千栄子が並んで座り、ゆっくりした会話を交わすシーンが浮かんでくる。海が見えるのは変わらないが、熱海の防波堤は横浜のみなとみらいになった。老人らしく見せるために浴衣の背中に薄い座布団を入れたという笠智衆だったが、ワイシャツ姿の橋爪功も老人の哀愁を見せていた。

「東京物語」より「老いと死」が鮮明になったのは、とみこが倒れるシーンを見せ、病室での臨終を見せたからである。小津はすべて子供たちが話すセリフだけで説明し、そのシーンは見せなかった。どちらがいいというわけではないけれど、臨終シーンはどうしても直接的なメロドラマになりがちだ。婚約者として母に紹介した紀子を連れて病室に現れた昌次が、そのドラマチックな部分を担った。

──地方から老いた夫婦、周吉ととみが成人した子供たちを訪ねて上京する。しかし、子供たちは自分の生活で精一杯であり、両親を歓待するのは二の次となってしまう。熱海の温泉旅行へ送り出してもらったものの、老夫婦にはどこか厄介払いのような気がして寂しくてならない。上京中、嬉しかったのは戦死した次男の未亡人、紀子がふたりを歓び迎えてくれたこと……(ビデオソフトの解説より)

これは、僕がもう20年以上も前に買った、「東京物語」のビデオソフトのパンフレットに載った物語の要約だ。昔から僕はこの要約が納得できない。しかし、ずっと「東京物語」はこのように紹介されてきた。妻の葬儀の後、血のつながらない義理の娘の紀子だけが親切にしてくれた、と笠智衆が口にするからかもしれないが、「東京物語」の子供たちは決して冷たくはない。普通の家族だと思う。いや、映画の中のセリフで言えば「よっぽどまし」である。

「東京家族」でも葬儀の後、喪服姿のまま長女が形見分けで「あの着物がほしい」と言い出し、昌次が「やめろよ」と非難し口げんかになる。だからといって長女が冷たい人間とは思えない。それは、「東京物語」の杉村春子も同じだった。美容院を経営し忙しいのに狭い部屋に何日も両親がいられたら、僕だって「温泉にでもいってきたら」と送り出す。費用は持つのだ。親孝行なのである。

だが、家族とはいえ、いや、身近で遠慮のない家族だから、気持ちはすれ違う。厄介払いのつもりではなくても、つい邪魔にしてしまう。親に介護が必要になり、世話をできなかったら施設に入れるという選択しかない。親の立場と子供の立場は違うのだ。それでも、ひとりになった父親に「東京家族」の長男(西村雅彦)は、「一緒に暮らしませんか」と言う。妻に建て増しの相談をする。いまどき、珍しい息子ではないか。

「東京物語」の紀子(原節子)の役は、若い書店員の紀子(蒼井優)に引き継がれた。彼女は母親に気に入られ、昌次を頼むと言われ、母親の臨終に立ち合う。葬儀にも昌次と同行し、兄や姉が東京に帰った後も父親のそばで数日を過ごす。「あんたはいい人だ」と父親に言われるが、それは血がつながっていない関係だからだ。遠慮もあるし、言いたいことも言えない間柄だからである。「東京家族」を見て、血のつながった家族はいろいろと面倒だなと改めて考えた。

【そごう・すすむ】sogo1951@gmail.com < http://twitter.com/sogo1951 >

「アラビアのロレンス」で有名になったピーター・オトゥールが亡くなったという。亡くなっても不思議ではない年齢だったけれど、やっぱり感慨深いものがある。アブノーマルな雰囲気が凄い俳優だった。ナチの将校を演じた「将軍たちの夜」の姿が甦ってくる。

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