Otaku ワールドへようこそ![187]もったいビジネスから承認ビジネスへ
── GrowHair ──

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カラオケは、その装置がスナックなどの店に導入され始めた当初からうるさいものではあった。将棋の芹沢博文九段は、『王より飛車が好き』(サンケイ出版、1984年)で書いている。最近は、どこのスナックへ行ってもカラオケ装置が導入されていて、うるさくてしょうがない。落ち着いて話ができやしない。

けど、画期的な対抗策がひらめいた。自分が歌っている間だけはうるさくないのだ。店に入ったらすぐに一曲歌い、さっさと会計して店を出る。それを次から次へとやってハシゴすればいい、と。おいおい、それってけっこうな散財になりませんかい?


会話を楽しみたい人たちにとっては邪魔な装置ではあったものの、いちおう、間をもたせ、場を盛り上げる機能を果たしてはいた。たまたま店に居合わせた赤の他人であっても、一曲歌い終わった後は、まあ、おざなりにせよ、拍手ぐらいはした。スナックのママさんとしてはお世辞を言う格好のタイミングであり、それなりの和やかなムードが形成されていた。

今は違う。無関係の客からはパラとも拍手が来ない。そもそも聞いちゃいない。スナックやキャバクラだと、横(あるいは向かい)についた女の子が、音が出るか出ないか程度の拍手をせいぜい3つくらい。店全体にシラッとした、いたたまれないムードが漂う。「歌唱後空虚感」とでも名付けようか。

女の子のいる店を、かつて私は「もったいビジネス」と称して揶揄した。普通に日常的な雑談をするくらい、川原の石ころ同然、タダのものではないかと思うのだが、それになんだかんだともったいをつけて、人の財布の中身を吸い上げる商売。

何回か通って馴染みになると、二人で外で食事ができたり、さらに進むと一緒にカラオケに行ってもらえたりする。それに応じて財布の中身は加速度的に吸い上げられるようになっているのだが、お客の側としては、ここまで使ってきたのだから、もうちょっと使えばもっといいことが起きるのではなかろうかと変な期待が高まってくる。

これをビジネス用語では「コンコルド効果」と呼ぶ。フランスが技術の粋を集めて開発した超音速旅客機が、機能的にはいくら優れていても、事業的にはちっともうまくいかず、それでもここまで莫大な予算をすでにつぎ込んでしまったのだから、もう少し続ければ明るい展開になるのではなかろうかという淡い期待から、撤退するタイミングを逸してずるずると赤字を垂れ流し続けたことに由来する。もったいビジネスにハマったお客は300万円ぐらい吸い取られてから目が覚めるものらしい。

今は、この「もったいビジネス」が「承認ビジネス」へと変貌しつつある。お客は承認を買いにくる。自分だけ特別視されたい。持ち上げられたい。ちやほやされたい。モテたい。たとえ、その場かぎりの形ばかりのものであったとしても。

サラリーマンは宮仕え。仕事でボロボロになった自尊心を修復してから帰りたい。そのためにお金を払っているのである。承認とお金の等価交換。だから、赤の他人の歌に拍手するなんていうのは、お金が減っていくのと同じことなのである。意地でもしてやるもんか。

仲間内4〜5人でカラオケボックスへ行って歌うときも、承認ゲームの様相を呈してきている。ただし、この状況における承認は、お金によって補完されない。つまり、AさんがBさんの歌に拍手したとすると、一定量の承認という名の価値がAさんからBさんへと移行したとみることができ、これによって、承認の総量に変化は生じない。つまり、承認保存の法則が成り立っている。ゼロサムゲームである。

かつては、思い思いのタイミングで曲を入れていた。その場では特に問題が起きなくても、後になって、誰それは続けざまに曲を入れて、人より多く歌いやがってだの、メドレー曲を入れて10分もぶっ通しで歌いやがってだの、不満爆発で第三者に愚痴ったり、mixiの日記に書いたりする者がよく出てきた。

人の歌など聞きたくもないけど、自分の歌は人に聞かせたい、という各自の思いが全員で共有されることによって、カラオケゲームは成り立つ。一人だけ得したりしちゃ、いかんのである。最初に、一番手と巡回方向を決め、あとは順繰りに入力パネルとマイクを隣へ隣へとまわしていくのが最近の流儀のようである。

もとよりゼロサムゲームなのであるから、承認の出を最小化し、承認の入りを最大化しようとする各自の力が均衡し、結果として、誰もが差し引きゼロになって終わるのが、公平で、平和的である。仲間内であっても、拍手などめったに起きないし、感想を述べることもめったにないので、歌唱後空虚感はやはり漂う。そういうもんだと、みんなあんまり気にせず、きわめて事務的にマイクが回されていく。

それって、合理的ではあるけど、楽しいんだろうか。承認ゲーム的マイク巡回カラオケに参加するか、ひとカラに行くか、選択肢があったら、私などは迷わず後者を選ぶけどなぁ。DAMの「精密採点 DX」で90点以上出したときに鳴るファンファーレと歓声のほうが、ナンボか気分がいい。

年の明ける瞬間をひとカラで歌って過ごすというのが、ここ数年来の私の密かな縁起かつぎの儀式となっている。その瞬間をあえて意識せず、一曲歌い終わってぱっと時計を見ると明けている、という具合にする。

今年はやのあんなさんの「Shape My Story」で年を越した。マイ・ラッキー・ソングである。YouTubeに上がっているMusic Video(MV)は、18万アクセスを稼いでいる。この曲、めっちゃ難しくて、精密採点DXでは 80点前後しか出ないんだけど。
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去年、歌って年を越したので、歌の神様の覚えよろしく、ご褒美にと、MV出演の機会を授けてくださった。今年も二匹目のどじょうを狙って、……というわけではなく、そのラッキーに感謝の意を込めて。

その後、中野へ行き、「アニソンカラオケバーZ」へ。おいおい、なんだかんだ御託を並べておきながら、結局お前ももったいビジネスだか承認ビジネスだかにハマってんじゃん。……いやいや、そういうわけではなく。このお店は別格なんである。

お客がステージに立って歌っている間、店のコスプレした女の子たちが「盛りあげ隊」として、タンバリンを叩きつつリズミカルに踊ってくれるだけではなく、お客さんたちも気を入れて、手拍子したり合いの手を入れたりヲタ芸を打ってくれたりするのである。

およそ承認の出し惜しみというものがなく、歌い終わった後も拍手と歓声が飛び交うので、歌唱後空虚感のムードはまったく漂わない。気分のいい店なんである。

ただ、このところ、あまりに人気が高まりすぎて、徒歩2分くらいのところに2号店をオープンしているにもかかわらず、どちらも満杯で入れないことがちょくちょくある。あ、こんなとこであんまり宣伝しないほうがいいか。

元旦の午前1時ごろは、ものすごいことになっていた。椅子の数の2倍ほどのお客さんで店内はひしめき合い、誰も座っていなかった。盛り上がりようが、ほぼクレイジーの域に達していた。

このお店は、最初の一曲だけは優先順位を上げてくれて、入店後、即、歌わせてくれる。このオーバーヒート気味の熱気の中、大してノリがよくもない私がステージに上がっていっては盛り下げてしまうんじゃなかろうかと、たいへん気が引けた。

ともかくも、今歌ってきたばかりの「Shape My Story」をば。これが、すんげー盛り上がって、こっちがびっくりしたほどであった。それほどみんながこぞって入れる曲というわけでもないのに、合いの手の入れ方が完璧だ。みんな、この曲、知ってるの? ヲタク、あなどれんな。

そういうわけで、お店の女の子もお客さんも区別なく発するスーパーポジティブなオーラで大盛り上がりする熱気の真っただ中にいて、幸せ気分で満たされた正月であった。明けましておめでとうございます。

前置きが長くなったが、「会うと幸せになれるセーラー服おじさん」とネットではうわさが広まっている私であるからして、年末年始、少しばかり、幸せについて考えてみた。

●煩悩に流されないための止観

仏教は、つまるところ幸せになるための方法論であると私は認識している。なので、幸せについて考えるのであれば、坊さんに聞いてみるのがよかろう。

「アニソンカラオケバーZ1号店」は「ワールド会館」の地下一階にあるが、同じビルの二階には「坊主バー」がある。安っぽい「もったい」や「擬似承認」を売り物にしているわけではない、という点において、両店は共通すると言ってよかろう。
< http://nakano-vowsbar.com/
>

暮れに2回、年明けに2回行った。特に年明けの2回は、私のいる間じゅう、他のお客さんの来店はなく、ずっと坊主独り占め。線香のかほりよろしい静寂な空気の中、ありがたいお話をたっぷり聞くことができた。

坊主の作るカクテルがなぜかめっちゃ美味く、私は「極楽浄土」と「空即是色」が気に入っている。

仏教は幸せに至るための思想、という私の基本的な認識は、さほど的外れではなかったようである。究極的には、解脱の境地に至ることにより輪廻転生から解放され、永遠なる魂の平穏を得ることを目指す。

そこへ行くことを妨げているのが煩悩である。欲と解釈してもよい。ただし、仏教の欲には大欲と小欲があり、われわれの言うところの下世話な我利我欲の類は後者である。仏の心を求める信仰心が前者である。

欲というのは何々を手に入れたいという願望である。すぐには手に入らないので、努力して手に入れる。そうしたら喜びを味わえる。それでいいじゃないかと思うのだが、それでよくないのが仏教の教えである。

十万円手に入ったら百万円欲しくなる。百万円手に入ったら一千万円欲しくなる。結局、欲しいものが入手できないという欠乏感はどんどん肥大していき、行けども行けども苦しみから逃れることができない。

米原万里氏が読売新聞に寄稿したエッセイをまとめた『真昼の星空』(中公文庫、2005年)という本がある。何の不自由もないリッチな生活を営んでいる母娘がいて、さぞかし幸せであろうと話を聞いてみると、娘の誕生石である縞メノウがダサいことを母娘ともども真剣に悩んでいた。人間とは、不幸の理由を発明する天才である、と書いている。

どうやら欲望のほうを何とかしないことには、幸せの境地には到達できないようになっている模様である。それを仏教は教えている。

社会のシステム化がどんどん細部まで浸透していく現代にあって、承認の欠乏感が人々の悩みの大きな部分を占めているのではなかろうかと私はみている。これがちゃんと満たされないことには人は幸せになれないのではなかろうか。

しかし、承認はもとよりゼロサムゲームである。誰かが多くを獲得すれば、誰かが多くを失うわけで、社会全体において承認格差が生じるのは回避のしようがない。賞賛を欲しいままにするやつもいれば、日々馬鹿にされっぱなしで過ごすやつもいる。

満足な量の承認を全員に配布することは、土台無理な話なのである。しかし、だからといって承認格差の底辺の人々がいつか大爆発して、やけくそな犯罪でも起こした日には、社会が不安定化して困る。みんなが幸せになるに越したことはない。

それこそDAMの「精密採点DX」じゃないけど、人工的に承認を発生させる装置でも発明しないといかんかなぁ、とも思う。

しかし、仏教の教えに照らしてみると、承認願望そのものが煩悩の一種なのかもしれない。そっちを何とかすることで、幸せになる道もあるのかもしれない。

どうやら、承認が得られないから幸せになれない、ではなくて、承認を得ることにこだわっているうちはなかなか幸せになれない、ということなのかもしれない。この発想は、いままで私にはまったくなかった。まさに天啓に触れた思いである。

そうは言っても、煩悩とはコントロールの難しいもののようで。よくないからといって、無理やり抑えつけようとすると、かえって大反発してくるものらしい。ダイエットや禁煙に失敗する所以である。

じゃあ、どうしたらいいか。「止観」という考え方があるらしい。欲望のうちでも、後先考えずに突っ走っちゃいがちなやつは、たいていが悪いものなのだそうで。せめて突っ走る前に一時停止して、前後左右の安全を確かめなさいよ、と、そういうことらしい。

とりあえず、ここまで聞いた。続きは今後、追い追い聞きにいこう。お寺に行かなくても、中野のバーで美味いカクテルを飲みながらありがたい説話が聞ける。いい世の中になったもんである。

ただし、私は話を聞いたというだけのことであり、仏門に入って悟りを求めて修行したというわけでも何でもない。ましてや悟りの境地なんてものは、霞の向こうにすら見えていない。

仏教において、悟ったふりをして、知ったかぶりして人々を惑わすことは、破門にも値する大罪である。そこには自覚的であって、そんなつもりは毛頭ありませんと、いちおうお断りしておきます。いや、はっきり言って、煩悩のカタマリです。

けど、悟れてない割には、私の内面は平穏と幸福感で満たされているような感覚がある。満たされてるどころか、パンパンで、早く人様に配って歩かないことには破裂しそうである。別に、宝くじで1億円当たったということもなく、キャバクラのねーちゃんといいことがあったということもない。

ただ、美味いものを食ってるときなどに、生きてるっていいもんだな、と実感できる瞬間が訪れたりする。

そう言えば、もう20年ほど前になるが、ちょっと重い病気にかかったことがあるんだった。血液1ミリリットル中に7万匹だかのウィルスがうじゃついていた。この状態になった人の生き延びられる確率は2分の1と言われた。

罹患したのは、おそらくそれよりもさらに20年近く前。潜伏期間が長く、その間は、まったく自覚症状がないことになっている。しかし、内面のどこかから、「お前は30歳まで生きられないんだから、やりたいことがあったら今のうちにやっておけよ」というかすかな声が届いていて、そのつもりで生きてきていた。

幸い、治療が功を奏して、あれほどいたウィルスを1匹残らず駆逐することができた。いちばん大事なコイントスで表を引くことができたというわけだ。後のくじなんて、全部はずれだって、別にいいじゃんね。

当時同じ状態まで病状が進行していた数十万人の人は、いま、この世にいない。なんで私はあの人ではなく、あの人は私ではなかったのだろう。

そう思うと、少しばかり努力して欲しいものを手に入れるといった、自分の力でコントロールできる領域なんていくらの大きさを有するものでもなく、自分はもっと大きな力によって生かされているのだという感覚に至る。あんまりじたばたせず、身も心も大きな力にあずけて、生きている間を安寧の心で過ごしきればいいのではなかろうか。

30歳以降の私の人生は、ボーナスゲーム。丸得なのだ。人からの承認なんてどうでもいい、生きてるだけで儲けもの、そう思えた者が、幸せ格差社会における勝ち組なのかもしれない。

みなさまにおかれましても、だまされたと思って、一度、セーラー服を着用の上、表を歩いてみてはいかがでしょうか。おっさんも女子高生も一如であるという真理をきっと悟ることでありましょう。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
< http://www.growhair-jk.com/
>

現役合格なら? 早稲田塾〜。去年の8月に同時にアイドルグループを卒業した豊田冴香と共演。
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YouTubeの動画を見ようとすると、その前に強制的に挿入される宣伝映像。最初の5秒はどうしても見ないとならない。その後、スキップボタンが押せるようになるが、それを押させず、最後まで見ていただこうという大作戦。

その狙い自体は成功の様相だけど、宣伝としてプラスに作用してるのだろうかというところが若干、心配。ツイッター内検索をかけてみると……

・ ワロタwwポージングかわえーww
・ わろたwwwwwwかわいいwwwwww
・ くそわろたwww
・ 不覚にも笑ってしまったwww
・ 冒頭めっちゃ釣られたw
・ フナッシーみたいなゲリラゆるキャラなんだろうか
・ 守りたい、この笑顔
・ 父より年下でなんかわろた。楽しそうでいい
・ さっきすれ違った、まんまあの格好で広告でてるww
・ 最後までしっかり見てしまった
・ 悔しいけど最後まで見ちゃった
・ 普段広告はすぐさまスキップするのに、じっくりと見とれてしまつた
・ ずるいっ!!あんなん最後まで見てまうやろっっっ
・ ビビった…w喋り方は普通の人なんだなー
・ 発言はまともだったwww
・ すごく流暢な口調で語ってていろいろ驚いた
・ ポジティブな方なんですね
・ すごく立派そうな方だった!
・ 何やら人生観ぽいことを話してた… ナニモノ?
・ 良い大学を出て良い仕事について且つ自由に楽しく生きようという感じが
  伝わる
・ もう講師になるしかないでしょ!
・ 隣の女の子かわいくね??
・ セーラー服おじさんと共演してる子かわいい
・ 早稲田塾のCMに写ってる女の子かわいい
・ このCMはさすがだ。着眼点がいい
・ かなり攻めてる宣伝(°_°)
・ こーゆー企画を飲み込む早稲田塾のすごさ
・ バカバカしいギリギリの線を極めている
・ どんだけ突っ込んだPR戦略やねん
・ w塾の迷走とチャレンジが今後どう出るか楽しみw
・ インパクト強すぎだよ早稲田塾
・ 何故セーラー服おじさん起用したし
・ 俺はセーラー服おじさんがコマーシャルする塾に通っていたというわけか!
・ 早稲田塾やばいwwwwwww通ってたことが恥ずかしいwwwwwww
・ 早稲田塾の方向性どーなってだよ笑
・ 早稲田塾が迷走してる…笑
・ 迷走しすぎなんだよなぁここ……
・ どこ行く早稲田塾…
・ 早稲田塾なにやってんだよwwwwwwwwwwwww
・ 何やってんだって思った
・ がち早稲田塾どうした?
・ 早稲田塾どうしちゃったんだ......
・ 早稲田塾だいぶキテるwww
・ 早稲田塾が狂った(笑)
・ 早稲田塾まじ気が狂ってる
・ 早稲田塾こわれてるな
・ うええええー、きもちわるい。どうかしてるな
・ キモすぎてどうにかなりそう
・ YouTubeの早稲田塾の広告ウザいwww
・ マジで気持ち悪かったし言ってること意味不明。割と本気でやめてほしい
・ 勉強を舐めてる
・ ほんとにイライラする。気持ち悪い系のやつは流さないでほしい
・ 吐きそうになった