映画と夜と音楽と…[619]果てしない流れの果て
── 十河 進 ──

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〈小説吉田学校/激しい季節/二十四時間の情事/モラン神父/愛、アムール〉

●「戦後史」を読み自分が生きてきた時代の意味を確認する

昨年の秋から時間ができたので、ずいぶん昔に買った経済学者の正村公宏さんが書いた「戦後史」を読もうと本棚から取り出した。ちくま文庫の上下二巻で背がそれぞれ2センチ以上もあり、上下合わせて2100ページになる。それを風呂に浸かりながら毎日少しずつ読んでいたら、二か月ほどで読了した。経済学者の視点で政治を振り返る通史で、戦後史が実によく理解できた。


戦後史とは言っても、前史として日中戦争が起こったあたりから書き起こしている。文庫が出たのがもう20年以上も前なので、1980年代に入った頃で終わっているが、僕自身が生きてきた時代を鳥瞰できたことと、現在の視点で様々な出来事を見返すことができたので、何だか目の前の霧が晴れるような気分だった。成長率などの具体的な数字が提示され、日本がどのように成長してきたかもよくわかった。

続いて、沢木耕太郎さんの「危機の宰相」というノンフィクションを読んだ。60年安保後に岸信介の退陣を受けて首相になった池田勇人、その派閥を仕切っていた人物、池田のブレーンになった異端のエコノミストを軸に、池田内閣が掲げた「所得倍増」というキャッチフレーズがどのように生まれたかを探る内容だった。池田勇人は、戦後の日本経済を高度成長路線へと舵を切った人物である。

沢木さんも「危機の宰相」の冒頭に書いているけれど、子どもながら(沢木さんは中学生だったと思う)60年安保はよく憶えているという。僕もそうだった。ニュースを見ていてデモ隊の側に何となくシンパシーを感じ、「岸を殺せ」などと言われた岸信介首相には漠然とした悪役のイメージを抱いた。写真を見ても、出っ歯の岸首相は悪党面だった。あんなに大勢の人が反対しているのに、岸という総理大臣は何て分からず屋だと思った。

子どもの頃、僕がはっきりと憶えている政治的な大事件は60年安保である。小学四年生だった。ただし、世間の騒がしさは憶えているが、その意味はわかっていなかった。東京にいてデモを見た小学生は違うかもしれない。僕は四国高松から出たことがなかった。その60年安保の意味が敗戦直後からの歴史的流れの中で把握できたのは、正村さんの「戦後史」のおかげだった。安保後の政治の流れを補完してくれたのが「危機の宰相」だった。

そこで、やはり昔買ったまま読んでいなかった岩波新書「岸信介」を書棚から取り出した。岸信介は「妖怪」と呼ばれ巨悪のイメージがあるけれど、どういう出自の人なのか、どういう経歴の人なのかを改めて調べたいと思ったのだ。長期政権だった佐藤栄作は岸信介の弟だし、現在の安倍晋三首相は孫に当たる。戦後だけで、一族から三人の首相を出したのだ。彼らは長州系とは知っていたが、岩波新書を読むとそれだけではない。閨閥は、「華麗なる一族」そのものである。

戦前、岸信介は満州国の経済官僚の実質的トップとして暗躍した。満州の関東軍を資金的に支えた。彼は統制経済を唱える国家主義者であり、関東軍時代の東条英機と密接な関係だった。戦後は戦犯容疑で巣鴨プリズンに数年収監されるが、東条英機たちA級戦犯が絞首刑になった翌日に解放される。講和条約を結んで日本が独立すると、政界追放が解けて国会議員に当選。何人かの首相が死んだり病気になったりしたので、アレアレという間に総理大臣になる。

彼の悲願は、吉田茂が講和条約と共に結んだ日米安全保障条約の改定(岸は対等の条約にするために集団的自衛権を盛り込みたかった)であり、憲法改正だった。新安保条約の成立後、池田勇人に首相の座を譲るが、その後も政界に多大な影響力を持ち、悲願の憲法改正に向けて暗躍した。現在、安倍晋三がやっきになって実現しようとしているのは、祖父の遺志を継ぐためなのだ。

●戦後の大きな分岐点だった60年安保の頃に公開された映画

戦後の政治史(保守党の変遷史)は「小説吉田学校」(1983年)を見ていたので、正村さんの「戦後史」を読んでもメージしやすかった。GHQの占領時代、吉田茂首相(森繁久弥)は「単独講和か、全面講和か」で揺れる。講和条約のとっかかりを求めて、側近の池田勇人とその部下の宮沢喜一を渡米させる。そのシーンは、よく憶えている。ふたりは何の伝手もなくアメリカにいき、途方に暮れる。

池田勇人を演じたのは、文学座の高橋悦史だった。宮沢喜一は角野卓造だった気がするが、あやふやだ。後に池田勇人は首相になり、任期中にガンを発症し、自民党総裁選で佐藤栄作に敗れる。党大会での失意に沈む池田勇人のシーンもよく憶えている。池田勇人も佐藤栄作もエリート官僚で吉田学校の優等生と言われたのだが、吉田茂は外交畑だったのに彼らはほとんどが大蔵省の出身だった。岸信介も戦前の商務官僚で、国家統制による経済政策を推進した。

「戦後史」に対する興味は、自分が生きてきた時代がどういうものだったのかを、改めて把握したい欲求からきている。僕は戦後6年経って生まれているので、敗戦直後を前史として戦後史が完全に自分の時代と重なる。ただし、社会の出来事や経済状況に対して関心が湧いたのは、ある程度の年齢になってからだから出来事の意味はよく理解していない。だから、本で再確認しているのだ。

出来事の意味は理解していなかったかもしれないが、僕の記憶には当時の空気が残っている。どんな曲が流行り、どんな映画がヒットし、どんな出来事が騒がれたか、みんなどんな洋服を着ていたのか、町の雰囲気はどんなものだったか、その時代に生きていないと感じられないものが記憶の底から鮮明に甦る。たとえば、反安保デモが最高潮だった1960年6月、僕は街角でセンセーショナルな映画のポスターを見た。

後に、それが大島渚監督の「青春残酷物語」(1960年)だと知るが、小学四年生の僕には「イヤラシゲーな」ポスター以上の意味はなかった。川津祐介と当時としては露出の多い桑野みゆきが写っていた。そのポスターからは、学校では教えてくれない悪徳の香りがした。そして、その当時、ラジオからよく聴こえてきたのがフランス・イタリア合作の「太陽がいっぱい」(1960年)とイタリア映画「刑事」(1959年)のテーマ曲だった。

「太陽がいっぱい」のテーマ曲は、後に「ゴッドファーザー」のテーマが大ヒットするニーノ・ロータが作曲した。「刑事」のテーマは、カルロ・ルスティケリが作曲し、ラストシーンに流れる「死ぬほど愛して」は娘のアリダ・ケッリが唄った。「アモーレ、アモーレ、アモレミーオ」という冒頭のイタリア語を小学生たちも口ずさむほどヒットした。ラジオのヒットチャートでは、一位、二位を占めた。

「太陽がいっぱい」は1960年6月第一週に公開になり、「刑事」は同じ月の第三週に公開になった。「太陽がいっぱい」はアラン・ドロンとマリー・ラフォレを人気者にし、「刑事」はクラウディア・カルディナーレの人気を高めた。僕は「刑事」に登場する、殺される美人の奥さんを演じたエレオノラ・ロッシ=ドラゴという舌を噛みそうなイタリアの女優が好きだった。肉感的なCCと違い、楚々とした知的な美人だった。

二か月前の1960年4月に、一本のイタリア映画が公開されている。バレリオ・ズルニーニ監督の「激しい季節」(1959年)である。幼い娘を持つ人妻役だったが、ヒロインはエレオノラ・ロッシ=ドラゴだった。そして、彼女に恋する若者がジャン=ルイ・トランティニャンだ。彼は後に「暗殺の森」(1970年)でファシストの暗殺者を演じるが、その映画ではファシスト高官の息子を演じ、エレオノラ・ロッシ=ドラゴに激しい想いを寄せる。

●80過ぎたジャン=ルイ・トランティニャンとエマニュエル・リヴァ

若きジャン=ルイ・トランティニヤンが日本で知られるようになったのは、ブリジット・バルドーのヌードが話題になった「素直な悪女」(1956年)からだろうか。ジャン=ルイ・トランティニャンは、日本では演技力を認められる前にバルドーの恋人(不倫相手)として有名になった。バルドーは「素直な悪女」のロジェ・ヴァディム監督と結婚していたが、彼女の自伝「イニシャルはBB」には次のよう書かれている。

──映画の共演者ジャン=ルイ・トランティニャンとのラブシーンで、自然にふるまおうとしたために、私は自然と彼を愛するようになっていた。私とヴァディムとの関係は兄と妹のそれのようになっていた。

ジャン=ルイ・トランティニャンもステファーヌ・オードランと結婚していたため、ふたりは手に手を取って駆落ちをする。駆落ち先からパリに戻り、アパルトマンを借りて生活を始める。ジャン=ルイ・トランティニャンはどちらかというと陰険な顔をした小男なのだが、若い頃から女性にはもてたようだ。バルドー、エレオノラ・ロッシ=ドラゴ、世界的にヒットした「男と女」(1966年)のアヌーク・エーメ、「暗殺の森」のドミニク・サンダなど、美女ばかりと共演した。

それから50余年、ジャン=ルイ・トランティニャンの新作が日本公開された。昨年のアカデミー授賞式を見ていて、僕は驚いたものだ。作品賞や主演女優賞など多くの部門に、非英語圏の作品である「愛、アムール」(2012年)がノミネートされていたからだ。主演がジャン=ルイ・トランティニャンとエマニュエル・リヴァと知って、僕はテレビの前で走りまわりたくなった。どちらも…80歳を超えているじゃないか。

エマニュエル・リヴァは、アラン・レネ監督作品「二十四時間の情事」(1959年)で日本の映画ファンには有名だった。後に「ヒロシマ・わが愛(ヒロシマ・モナムール)」と原題で語られるようになるが、ヒロシマを舞台に岡田英次が演じた日本人(設計師だったと思う)との情事、彼女が目撃する被爆から10数年後のヒロシマ、そしてナチ占領下での彼女の過去が錯綜する前衛的(というより実験的かな)作品だ。安保騒動の一年前、1959年6月に日本公開された。

数年前、日本では未公開だったジャン=ピエール・メルヴィル監督の「モラン神父」(1961年)がDVDで発売になったとき、僕はすぐに買って見た。モラン神父をジャン=ポール・ベルモンドが演じ、ヒロインをエマニュエル・リヴァが演じているのは知っていたが、日本では「二十四時間の情事」の女優としてしか知られていなかった彼女の別の面を見ることができたのは嬉しかった。

「二十四時間の情事」ではナチ協力者として戦後に坊主にされ、人々から罵られ嘲られた過去を持つヒロインだったエマニュエル・リヴァは、「モラン神父」ではレジスタンスに従事する若い母親を演じていた。メルヴィル映画らしく形而上学的セリフが交錯し、ストイックなモノクロームの映像が美しい。そして僕は、エマニュエル・リヴァがエレオノラ・ロッシ=ドラゴに似ていることに気付いた。

●現在とは長く続く歴史の流れの最先端に位置している

僕が「モラン神父」でエマニュエル・リヴァを見てから数年も経っていないが、「愛、アムール」を見たときにはエマニュエル・リヴァだとはわからなかった。82歳のジャン=ルイ・トランティニャンには若い頃の面影があったけれど、85歳のエマニュエル・リヴァには昔の面影はまったく見出せなかった。「モラン神父」から50年以上の長い長い年月が過ぎ去ったのだ…と僕は実感した。

「愛、アムール」は、凄い映画だった。85歳のエマニュエル・リヴァと82歳のジャン=ルイ・トランティニャンが、パリに住む音楽家の老夫婦を演じた。公開当時、新聞に「厳粛な物語」というタイトルで映画評が掲載された。確かに身をただしたくなるほどの厳粛さが漂う。年老い、歩けなくなり、やがて寝たきりになる妻。彼女は次第に意思表示さえできなくなり、コミュニケーションがとれなくなる。そんな妻を、夫はアパルトマンで看病し続ける。

夫は次第に疲れ、いらだつ。食べ物を吐き出す妻を、つい平手打ちする。自分の行為に、ひどく傷つく。妻が死に向かっているのは確実だ。しかし、いつ死んでくれるのか、と思うこともある。娘が訪ねてきて、妻の寝室に鍵を掛けていることを不審に思う。「会わない方がいい」と言う父親から鍵を奪って部屋を開けた娘は、母親の姿を見て衝撃を受ける。母親の姿は見せないが、父と娘の抑えた会話で妻が人間としても尊厳を失いつつあるのが伝わる。

面白い映画、よい映画、楽しめる映画などはいろいろある。しかし、凄い映画にはなかなか遭遇しない。僕が凄い映画だと思うのは、数えるほどしかない。それらは、人に衝撃を与え人生を変える。「愛、アムール」は、その凄い映画のひとつである。凄さを生んだ要素には、60年も女優と男優として生きてきた、ふたりの実人生がある。彼らは、長い時間を生きてきた。50年以上前に「二十四時間の情事」「激しい季節」は日本で公開され、その流れの果てに「愛、ア
ムール」が現れた。

60年安保に揺れた頃から、同じ50年以上の時間(2万回の朝と昼と夜)を僕も生きてきた。小学生は還暦を過ぎて分別くさいジジイになり、青年だった俳優は髪が薄く動きの遅い老人になり、女優はシワの目立つ老婆になった。時間の連続というものを、僕は「愛、アムール」を見ながら感じていた。時間は続いている。これからも続く。現在とは、果てしない時間の流れの最先端に位置するだけだ。

「果てしなき流れの果てに」というフレーズが浮かぶ。時間は連続し、常に流れている。長い時間の果てに位置する現在は、僕らが歴史と認識しているものの延長でもある。歴史は継続される。だから、岸信介ができなかったことを、半世紀後に孫の安倍晋三がやろうとしているのだろう。しかし、もっと別のことを継続してほしいと思っているのは、僕だけではないと思うのだけれど……

【そごう・すすむ】sogo1951@gmail.com < http://twitter.com/sogo1951
>

月に一度ほど西船橋に出かける。オーナーシェフのカルロス兄貴と会い、「おう、きょうでぇ、一杯いこうぜ」「あにき、いただきやす」などと言いながら昼過ぎから呑んでいる。どーでもいい話だけど、西船橋駅前には昔から「十河株式会社」という不動産屋さんがあり、ローマ字で「SOGOU」と出している。

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