映画と夜と音楽と…[621]イブ・モンタンを巡る夕べ
── 十河 進 ──

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 〈恐怖の報酬/戦争は終わった/仁義/さよならをもう一度/ギャルソン〉

●納戸から出てきたイブ・モンタンのパネル

我が家には、玄関横に二畳ほどの納戸がある。今風に言えばウォークイン・クローゼットだが、現実には雑多な物入れになっている。キャスターがついた大きくハードなバッグ(娘やカミサンが海外にいくときに使う)や、使わなくなった電気製品(除湿器や扇風機などの季節もの、ミキサーなどの料理用機器)が無造作に放り込まれている。

先日、何を思ったか、夜になってカミサンがごそごそと納戸の整理を始めた。翌日、資源ゴミを出せるというので、急に思い立って整理することにしたらしい。こういうときは手を出さない方がいいので傍観していたが、棄てるものがまとまった後に見てみるとイブ・モンタンのパネルがあった。前の家の壁に掛けていたものだ。すっかり忘れていた。


晩年のモンタンである。ステージ衣装を着てマイクを持っている。手を胸で交差させ、自分を抱きしめる格好だ。昔、財津一郎が「愛の賛歌」を「あなたの燃える手で〜」と歌い始め、「私を抱きしめて〜」のところで自分を抱きしめた途端「アチッ」と言うギャグを見たけれど、唐突にそれを思い出した。フランス語の歌詞が同じかどうかは知らないが、モンタンは「愛の賛歌」を歌っていたのかもしれない。

イブ・モンタンは、「愛の賛歌」で有名なエディット・ピアフに見出された人だ。20代前半のこと。その後、映画に出演し、日本では映画俳優として有名になった。60年代は、フランスの映画スターが人気を集めたのである。モンタンは1921年生まれだから、生きていれば今年で93歳になる。「そうか、もう死んで20年以上経つんだな」と、パネルを見ながら僕は感慨に耽った。

僕が初めてイブ・モンタンを見たのは、中学一年の秋のことだった。13歳である。四国高松の二番館(中劇という映画館だった)に、僕はどうしても見たかった「太陽がいっぱい」(1960年)を見にいった。その年の夏、4年ぶりにリバイバルされ、二番館に流れてきたのだ。「リオ・ブラボー」(1959年)と「恐怖の報酬」(19531年)が併映の三本立てだった。

「リオ・ブラボー」はジョン・ウエイン主演の西部劇だから、内容は予想がついた。しかし、「恐怖の報酬」は映画館のウィンドウに飾られた白黒のスチールを見ても、汚れた男たちが写っているだけでどんな内容かまったくわからなかった。僕は「恐怖の報酬」の途中から映画館に入った。スクリーンでは、山道の途中で大きなトラックがバックしているシーンだった。

●モンタンのイメージが変わった「戦争は終わった」

その日の映画体験が、僕を映画好きにしたのは間違いない。犯罪者を魅力的に描いた「太陽がいっぱい」、西部劇の醍醐味を味あわせてくれた「リオ・ブラボー」、それに人生の苦さを教えてくれた「恐怖の報酬」だ。「恐怖の報酬」は半分が過ぎていたけれど僕は夢中になり、もう一度最初から見たときには、より深い理解ができた。それに、変な顔だと思ったイブ・モンタンが男らしく見えてきたのだった。

「恐怖の報酬」は母国で食い詰めた男たちが流れ着いた南米の油田の町の描写があり、油田で火災が起こり爆風で鎮火させるために、報酬につられた流れ者たちがニトログリセリンを満載したトラックを油田まで運転する物語である。「フランスのヒッチコック」と言われたアンリ=ジョルジョ・クルーゾー監督作品で、奥さんの美人女優ヴェラ・クルーゾーが酒場の下働き女で出ている。

彼女はイブ・モンタン演じる食い詰め者と惹かれあう仲で、男ばかりの物語に花を添えた。しかし、四人の男たちがニトロを積んだ二台のトラックを運転し始めると、いつ爆発するかというサスペンスだけで観客を引き込む。一台が爆発しても巻き込まれないように二台は距離を置いて走るのだが、走路には障害ばかりが待ちかまえている。山道で切り返さなければならなくなり、トラックをバックさせるシーンもハラハラさせる見せ場だった。

当時、イブ・モンタンは30を過ぎたばかりの男盛りだ。ただし、役柄のせいか僕には不潔そうな男に見えた。モンタンは出演作「夜の門」(19461年)で主題歌「枯葉」を歌ったが、あまり評判にならなかった。しかし、その後、「枯葉」は世界的なスタンダード曲になる。「恐怖の報酬」の頃にはフランスの若手スターであり、人気歌手でもあったのだ。そして、その後も名作に出演し続け、名優になった。

「恐怖の報酬」を見た数年後、イブ・モンタンはまったく違う印象で僕の前に登場した。アラン・レネ監督の「戦争は終わった」(1965年)である。高松では自主上映として一回だけ見られる機会があり、高校生になっていた僕は初めてのアラン・レネ作品に期待して見にいった。何しろ、訳がわからないので有名な伝説の「去年マリエンバートで」(1960年)の監督である。

「戦争は終わった」も時制が錯綜し、内省的なナレーションが形而上的なフレーズをしゃべり、結局、何が起こっているのかよくわからなかったが、僕に強い印象を残した。スペイン市民戦争でフランコと闘った男がフランスに亡命し、20数年間、地下活動を続けている。その映画によって僕は「スペイン市民戦争」に興味を抱き、図書館でいろいろ調べたものだった。

「恐怖の報酬」のモンタンはランニングシャツ姿で流れ者を演じていたが、「戦争は終わった」では内省的なインテリ活動家を演じ渋い味を出していた。その後、「戦争は終わった」の政治映画路線はコスタ・ガブラス監督と組んだ「Z」(1969年)「告白」(1969年)「戒厳令」(1973年)と続く。イブ・モンタンは政治的な人間だったのではないか、と僕は思っている。

●ハードボイルドなキャラクターを創り上げた「仁義」

イブ・モンタンには、ハードボイルドな顔もある。僕がジャン=ピエール・メルヴィル監督の「仁義」(1970年)を見たのは、日本で初公開されたときだから1970年の末か71年の初めだ。イブ・モンタンが初めて登場するシーンには、ショックを受けた。何しろモンタンが寝ているベッドのシーツの上を、蛇やらサソリやらカエルなどがワサワサと這いまわっていたのだ。

それはアルコール中毒者の幻想で、モンタンが重度の中毒者であることを描いていた。次のカットではベルの音で現実に戻り、汗まみれでアラン・ドロンの電話に応える。だが、ドロンとの約束のナイトクラブにはスーツにリュウとしたコート、ソフト帽で現れる。その落差が鮮やかだった。彼は元刑事で、今は暗黒街のスナイパーである。モンタンのハードボイルドな雰囲気は、メルヴィル作品の中で見事に輝いていた。

「仁義」を頂点とするモンタンのハードボイルド路線は、アラン・コルノー監督と組んだ「真夜中の刑事/PYTHON357」(1976年)と「メナース」(1977年)へと続く。「真夜中の刑事」では、愛妻シモーヌ・シニョレとの共演が話題になった。警察署長(フランソワ・ペリエ)の病身の妻(シモーヌ・シニョレ)が夫の若い愛人を公認し、さらに夫の愛人殺しを隠蔽しようとする姿に、モンタンとシニョレの現実の夫婦生活を重ねるスキャンダラスな見方もあった。

そう、イブ・モンタンのもうひとつの顔は、「女たらし」である。出演作で最も多く演じたのは「恋多き男」であり、「女性遍歴を繰り返す男」だった。現実の人生でも、彼は女性関係が絶えることはなかった。彼を引き上げてくれたエディット・ピアフの若い愛人になり、やがてシモーヌ・シニョレと結婚。シニョレとは1985年の彼女の死まで添い遂げたが、その間も女性関係はいろいろあった。

有名なのは「恋をしましょう」(1960年)で共演したマリリン・モンローとの関係だ。モンローという人はほとんどの共演者とできてしまう人だったけれど、彼女と夫の関係を知ったシモーヌ・シニョレは自殺未遂を起こす。名女優も嫉妬に身を灼かれたのだろうか。シニョレの死後、モンタンは38歳年下のアシスタントだった女性と結婚し、67歳で初めての子を得る。当時、日本でも週刊誌ネタになったのを憶えている。

●「女たらし役」は実生活を反映した名演技だったのか

僕が最初に見たモンタンの女たらしの役は、フランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き?」を原作にした「さよならをもう一度」(1961年)だった。大学生のときである。パリに住むインテリア・デザイナーのイングリッド・バーグマンには、大人の男の魅力があふれる愛人イブ・モンタンがいる。しかし、彼は遊び人で、何人もの女がいる。それを含めて、彼女はモンタンに魅力を感じているのだ。

そんなバーグマンに惹かれるのが、若きアンソニー・パーキンスである。金持ちの息子でだらしなく怠け者だが、バーグマンを一途に慕う。彼女は年下の求愛者に次第に心を惹かれるけれど、モンタンと別れることもできない。この映画でテーマ曲として使われたのが、ブラームスの交響曲第三番第三楽章だ。僕はブラームスを聴く度に、「さよならをもう一度」を思い出す。

人気絶頂だったハリウッド女優キャンディス・バーゲンとモンタンが共演したのが「パリのめぐり逢い」(1967年)だ。監督は「男と女」(1966年)を世界的にヒットさせたばかりのクロード・ルルーシュだった。この作品では長く連れ添った妻(アニー・ジラルド)と別れて若いモデルと暮らし始める男を演じたが、僕にはアニー・ジラルドがシモーヌ・シニョレに見えて仕方がなかった。ふたりは、けっこう似ているのだ。

イブ・モンタンの「女たらし」路線は、「明日に向かって撃て」(1969年)で人気が出たハリウッドの若手女優キャサリン・ロスと共演した「潮騒」(1972年)、高貴な美しさをたたえるロミー・シュナイダーと共演した「夕なぎ」(1972年)、フランスを代表する美人女優カトリーヌ・ドヌーヴと共演した「うず潮」(1975年)へと続いていく。マリリン・モンローを含め、意外とハリウッド女優との共演が多い。

しかし、イブ・モンタンにも老いがやってくる。女たらしの老いたギャルソンを演じたクロード・ソーテ監督の「ギャルソン!」(1983年)で主演した後、老人役で脇にまわる作品が増える。彼の後にはジェラール・ドパルデューやダニエル・オートゥイユといった、新しい世代の俳優たちが現れ始めていた。そのふたりと共演したのが、「愛と宿命の泉/フロレット家のジャン」「愛と宿命の泉/泉のマノン」(1986年)だった。

しかし、「愛と宿命の泉/泉のマノン」で注目された新人女優エマニュエル・ベアールが、すでにキャリア30年のベテランになった。「愛と宿命の泉」の醜いウゴランを演じたダニエル・オートゥイユも、最新作「裏切りのスナイパー」(2012年)を見たら相当に老けていた。仕方がない。僕よりひとつ上だから、そろそろ60半ばになる。エマニュエル・ベアールとダニエル・オートゥイユの間には子供がいるはずだが、まだ一緒に暮らしているのだろうか。

●棄てられなくなったイブ・モンタンの水張りパネル

昔、サザンオールスターズの桑田佳祐は、「夷撫悶汰(イブ・モンタ)」という名前でシャンソンやジャズを歌ったことがある。エディット・ピアフの「愛の賛歌」もレパートリーに入っていた。「愛の賛歌」はフランス語の原詞より、岩谷時子が書いた「あなたの燃える手で〜わたしを抱きしめて」の歌詞が有名だ。桑田くんも日本語で歌っていた。テレビCMでも使われたから、聴いた人は多いだろう。

イブ・モンタンは映画出演が少なくなってからは、ステージに戻ったのだろうか。僕がパネルにして飾っていたポスターのイブ・モンタンは、頭髪も薄くなった60代の姿である。白いシャツに黒いベスト、両手で胸を抱き、マイクと左手のカフスボタンが目に付く。目を閉じて微笑んでいる。やっぱり「愛の賛歌」を歌っていると思いたい。恩人であり愛人だったピアフを思い出しているに違いない。

パネルはきれいに水張りされていて、周囲はパネル用のグレイの紙テープが貼ってある。レコード店でもらったポスターを、霧吹きで水をかけ折りジワものばした。昔、自室で暗室作業をやり写真パネルを作っていたときに持っていた、裏に水で濡らして貼るノリがついた紙テープのリールを思い出した。パネルの裏を見ると「72.2.28 F.D.1 No94」とあり、カミサンの名前が書いてあった。旧姓である。

そのパネルは、カミサンが卒業制作として提出したものだったのだ。もちろん、そのときパネルに貼られていたのは彼女の絵である。カミサンが文化服装学院デザイン科を卒業したのが、1972年3月だった。そう言えば、デザイナーの歴史を調べて卒業レポートを書くのを手伝ったなあ、と思い出した。そのレポートを書いたおかげで、僕はココ・シャネル、イブ・サンローラン、ジバンシィといった名前に詳しくなった。

結婚してアパートからマンションに移り、イブ・モンタンのポスターを手に入れ、「パネルないかな」と言ったとき、「卒業制作の絵を外せば使えるわよ」とカミサンが出してきたのだろう。何となく彼女の絵が記憶の底から浮かび上がってきた。ポスタカラーで描かれたデザイン画だった気がする。それをパネルから剥がし、イブ・モンタンに替えたのか。僕は、そのパネルを棄てられなくなった。そう言うと、カミサンは答えた。

──えー、せっかく整理したのに……。飾るのなら自分の部屋にしてよ。

【そごう・すすむ】sogo1951@gmail.com < http://twitter.com/sogo1951
>

大雪が降って、雪かきが大変だった。雪かきをしていると、昔、村上春樹さんの小説に「文化的雪かき」という言葉が出てきたのを思い出した。村上さんは、こういう言葉を創り出すのが本当にうまい。最近の著作には、初期にあった独特の比喩が少なくなっている気がする。

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