武&山根の展覧会レビュー 特別編 コラボレーション・ユニット「佐村河内守」について感想を述べる/武 盾一郎&山根康弘

投稿:  著者:  読了時間:16分(本文:約7,500文字)


武:こんばんは!
山:こんばんは〜

武:いやあ、しかしすんごい雪だよ。向かいの家の駐車場の屋根が倒壊してた。都内は雪どうなってるん?
山:そうやな、今日は新宿で仕事でしたが普通にバス乗っていきましたよ。足びっしょびしょになった。でも電車は軒並み止まってたみたいやな。地下鉄は動いてたんやろうけど。

武:へー、案外タフなんだな、都内。バスより鉄道の方が雪に弱いってちょっと意外。それにしても二週連続で週末に豪雪だもんね。
山:大きな通りは溶けるの早いんちゃうかな。帰りはもうすでに雪かきされてたんで、普通に帰って来れた。

武:そうでしたか。俺は昨日今日と雪かきしましたわ。でね、今回はね、巷で話題騒然の「アレ」についてチャットしてみようかな、と。
山:ほう、「アレ」ですか。


武:これです!
< https://pbs.twimg.com/media/BgBITCfCUAAgOyj.jpg >
山:おお、なんかすごい写真やなw これなんすか?

武:今、旬の話題。
山:この人たちは何やねんな。

武:正解は右上の人ですよね。
山:あ〜、みうらじゅんか。て、何を話すねん!

武:最近なにしてるのかなあ、とw いやいや。真ん中左の人ですね。
山:ウィキペディアが大変な事になってますね。
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E6%9D%91%E6%B2%B3%E5%86%85%E5%AE%88 >

武:こんなパターンもあるのかw
< https://o.twimg.com/2/proxy.jpg?t=HBgpaHR0cHM6Ly90d2l0cGljLmNvbS9zaG93L2xhcmdlL2R2Y2FhYy5qcGcUwAcUwAcAFgASAA&s=aN9K4dfAnAh2Mv4KYUAXdPsHN2PdAIir65HSA8nKTw8 >
山:だからこれはなんやねん! サングラスか、と思いきやそうでもない。

武:本物は誰でしょう!
山:わかりにくい進め方やめてくれw

●このニュースを見た時にまず何を思ったか?

武:はい。えっと、アレですね、いわゆる「ゴーストライター騒動」ですね。佐村河内守と新垣隆のコラボレーション・ユニット「佐村河内守」について、今回は感想を述べて行こうかと思うんです!(敬称略)
山:「感想」ですか。

武:そうそうあくまでも「感想」。もう既にいろいろブログとかコラムとか出ちゃってるから「あと出しジャンケン」的な理屈書いて「俺たち頭良くて分かってるアピール」してもつまらんじゃん。まず、このニュースを知った時に何を思ったか?

山:そうやなあ、、まずは何を思ったんやろか、大変そうやな〜、て思たかな。これから。

武:どっちが?
山:どっちも。関係者がいっぱいいるやろうから。

武:ああね。後処理問題か。
山:訴訟問題にもなったりするみたいやし、ねえ。めちゃめちゃめんどくさいやんか。下手したら、それに一生かかるかもしれへんやろ。

武:誰が一番めんどくさいんだろう?
山:誰って決めれないけど。二人はもちろんのこと、その関係者も含め、大変そうやな〜、と。

武:CDショップの現場スタッフかな? 商品撤収とか。
山:なんで。そんなんその時だけやんか。

武:そっかw したっけ「偽ベートーベン」と今は呼ばれている佐村河内守の方が大変ってことだよね。
山:本人はしょうがないんやろね。あからさまに「騙した」ことになってしまってるわけやから。

武:本人以外では誰がメンドクサイことになるんかな?
山:こういった事を逆にお金に換える、仕事に出来る人はいいんでしょうけど、そういった事もできない、まともに信じてた関係者とかは、やりきれないんでしょうね。

武:ああ。山根はまず「関係者」のことを思った、と。
山:僕はそうかなあ。

武:なるほどなあ。被害を被りそうな「関係者」ってどこらへんになるんだろ。
山:それは僕にはわからんが、レーベルの人とかは大変なんかな。逆に売れたりすんのか?w

武:てことはさ、レーベルは「音源」を売ってた、というより「物語」を売っていた、っていうことになるよな。
山:おお、「物語」。なんか最近この問題を見てたら、「物語」って言ってる人が結構いるね。まあ僕もさんざん「物語」って言ってきましたがw

武:俺も「物語とは何か」を考えざるを得なかったよ。レーベルの関係者が大変なのは分かったけど、ゴーストライター新垣隆の大学関係者は大変そうだと思ったの?

山:いや、ほんまにレーベルの人がどれだけ大変なんかは知らんで。どうなんやろなあ。まあ新垣隆は、実際に曲を作っている人間やから、ちょっと違うんかな。大変さが。「騙した」ということには違いないにしても。よくわからん

武:「騙した」かあ。。。
山:「嘘ついた」、ってことか。

武:「嘘ついた」かあ。。。
山:誰しも騙しもすれば嘘もつくw

武:そうなんだよね。俺は「関係者」より「共犯者」に興味がいったかなあ。

  「知らなかったことにして!」佐村河内守氏“仕掛け人”テレビマンとの
  共犯関係が暴露される?(日刊サイゾー)
  < http://www.cyzo.com/2014/02/post_16172.html >

山:盗作問題あったやん。デジクリでもやった。『盗作について語ろう』
  < http://bn.dgcr.com/archives/20060712140000.html >

武:なつかしいのう!
山:読み直してるとけっこうおもしろいw 勢いがあるw
武:ほんとだw
山:「ゴーストペインター」、とか言ってるし。すごいやん。

武:この「盗作について」のデジクリチャットはまるで今回のチャットの伏線みたいだw 俺の感想を言ってもいいかな?
山:どうぞどうぞ。

●名前も「物語」である

武:この事件を知るまでほとんど何も知らなかった。まずね、名前が読めない!「佐村河内守」!
山:どこで切ればいいかわからんな。

武:「さむら・こうちもり」
山:「さむらかわちのかみ」とか。「守」って「かみ」って読まんか?

武:読むよなw
山:そうやんなw
武:「さむらこうちのかみ」www
山:大名かよ!

武:あはは! まずね、名前が読めない。そこに何か「特殊性」を感じた。これ本名なんかな?
山:wikipediaには書いてないね。本名なんかな。

武:名前のインパクトってポイント高いよ。ていうのはね、ちょっと話は逸れるけどいいかな。都知事選候補者の「田母神としお」は名字がなにしろインパクトある!
山:ああ。凄い名前よな。

武:「田母神」も「宇都宮」も名字のインパクトがある。「細川」と「小泉」の名字のインパクトに勝っていたよ。田んぼの母の神だよ。宇宙の都の宮だよ。名字の最後の字を並べると、「神」「宮」、対して「川」「泉」。
山:はは、すごいなw

武:これさ、案外重要な要素じゃね?
山:確かにインパクトは大事かもな。名前、それも「物語」やな。

武:そうなんよ! でね「ゴーストライター騒動」に戻りますですよ。ゴーストライターが曲を書いていたって事実にも驚いたけど、それよっか「物語」の肥大化が凄いなあと思ったんですよ。コラボユニット「佐村河内守」は「壮大なスケールに見える嘘と壮大なスケールに聴こえるシンフォニー」で構成されている。このバランスの良さ!

  俺が知ったのはゴーストライターってカミングアウトした時なので、その時点でもうコンビが解消されてる。すでに終わって失ってるからなのか、そのコンビの物語の壮大さを感じたんですよ。なんか興奮した。

山:ってかね、そもそも僕は曲も聴いた事ないし、二人とも知らないし「どうでもいい」とも思た。
武:あははw

山:自分に「直接」、というか「間接」にも関係がない。だからよく分からんかった、ってのもあるな。政治のほうが関係あるよ。
武:あははw 確かにww けど俺は「めっさ関係あるな!」って思ったんです。これね、ひと言で言ってしまえば、「アートって作品では自立しない」ってことなんですよ。

  武盾一郎ブログ:作品と物語り
  < http://take-junichiro.blogspot.jp/2014/02/blog-post.html >

山:だからさんざん、「枠」だの「物語り」だの話しをしてきたやん。

●作品そのものについて

武:そうなんよね。結局、アートって「枠」の設定の仕方なんですよ。あ、そうするとさ、「作品そのものとは何か?」ってのも気になるな。「佐村河内守の曲」と「新垣隆の曲」は違うのか? と。
山:曲は一緒やとしても、そこに付随するものが違う、ってことなんかな。

武:クラシック、アカデミックな人たちは「佐村河内守の曲」と「新垣隆の曲」をキッパリ別けてる感じする。新垣隆も「佐村河内守」の曲は自分の曲ではない的なことを言ってる。

  「佐村河内守氏の耳は聴こえていた」新垣隆氏が会見(BLOGOS)
   < http://blogos.com/article/79742/ >

山:それはあれでしょ、新垣隆が作る曲は、もっとわかりにくい難しいペダンチックな音楽だからでしょ。むしろ万人にはわかってたまるか的な。

武:「新垣隆」の本当の曲は「藝術」で、コラボユニット「佐村河内守」の曲は詰め将棋のような曲で作曲に値しない、的な。純粋藝術の曲と、手垢のついた商売の曲で、これらは同一線上に置けないくらい違う、的な。
山:プライド問題なんかな。

武:こんなコラムもある。

  「創作」と「課題の実施」との間にある天地ほどの差この「私の仕事の本流ではありません」という短い一言に、多くの本質が集約しているのです。

  つまり、自分自身が一から創意を持って創作する真剣なチャレンジとしての「仕事」(ライフワーク)ではなく、初歩的な、既存の、別の表現を取れば、さんざん手垢のついた既成のスタイルでの楽曲書き、これは言ってみれば、「作曲課題の<実施>」に近いものと言えるでしょう。

  偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ(伊東乾)
  < http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905?page=3 >
山:ふむ。

●実際に曲を聴きいてみよう!

武:じゃあさ、実際に曲を聴いてみよう! 難しいけどさ。俺ね、両方聴いてなんか直感したんよ。同じ構築なんじゃね? と。つまり同じ画風を見て取れた、と。
山:ほう。

武:論より証拠。聴いてみよう!

  『Takashi Niigaki: Invention or Inversion III』
  < >

  『金スマ 両耳の聴力を失った作曲家の壮絶人生・佐村河内守!』
  < http://himado.in/197389 >

  交響曲第1番《HIROSHIMA》
  < >

山:いま聴いてみてる。最初のはなんか懐かしい感じするなあ。

武:どっちにしても「文脈」を配置・構成してるワケで。で、どっちもブツっと切ってギュッと詰め込んでる感じの配置。
山:うーん、僕にはさっぱりわからん!

武:もちろん、俺にも分からんよ! けどなんとなく自分と似た配置感じるw 俺がピカチュウやブラックジャック描くのと、線譜描くのと同じ特徴が出るようなw

  つかね、俺が言いたいのは実はそこじゃなくて、「著作権放棄」なんて言っている佐村河内守の曲の方に「新垣隆」が居ないだろうか? ということなんですよ。藝術とやらを追求してる「新垣隆」の曲よりも、コラボユニット「佐村河内守」に新垣隆を感じるんですよ!

山:佐村河内守の方は、まあ、クラシック音楽だなあ、としか分からん。というか、映画音楽か。サントラみたいですね。

武:会田誠のドキュメント映画のタイトルが『駄作の中にだけ俺がいる』なんだけどさ。これって分かる気がするんですよ。

  つまりね、「これが俺だ!」という作品には自分は居なくて、「こんなの俺じゃない」っていう仕事にこそ自分が居る、っていう、ね。

  「藝術」とか呼ばれてるところに辿り着いた場合、もはや自分は消失している。または、文脈を引いて配置構成した借り物だからもとから自分など居ないか、なんですよ。

  で、佐村河内守の『HIROSHIMA』には新垣隆が居るような気がしたんです。こんな曲は自分の本流ではない、とやってる仕事の方に新垣隆が宿ってる。
  < >

  で、むしろ『Takashi Niigaki: Invention or Inversion III』に新垣隆は居ないんです。本気の藝術の曲だろうけど文脈構成物っぽい。
  < >

  これを、商業藝術と純粋藝術とで別けて、商業藝術を卑しいものとして価値付けている藝術観がありそうだ。まあ、俺、言ってること間違ってるかも知れないけどさ。

山:あってるか間違ってるか、そんなことは僕にも分からんが、どっちにも新垣隆はいるんとちゃうかな。僕は「すくなくとも二人とも才能がある」という感想。才能を如何に使うか、ですかw

武:なるほど! どっちにも新垣隆は居るんだw うん、それでいい! 武盾一郎の線譜は楽譜なので、この機会にぜひ新垣隆に楽曲にして欲しい!!
山:なんやねんそれw

●嘘について

武:あとね、佐村河内守本人ですよ。彼はいったい何をしたかったんだ? このモチベーションの高さは何だ? って思うんです。
山:「さむらこうちのかみ」さんですか。才能ある人なんじゃないかな。使い方の問題で。

武:指示書書くだけでなく、音聴いてダメ出しって、無能じゃできないよな。
山:サンプリングの達人やったわけでしょ。DJやん。

武:そうだ!! DJ的才能、キュレーション能力。そしてプロデュース能力もあった。それから演技力。演技力が最も低かったのかなあー。
山:プロデューサーになれてたら、また違ったんやろか。

武:自分が出たかったんかね。どうしてそこまで自分が出たかったのか。どうして自分にそんな物語をあてがって、超能力者みたいなストーリー作って、それを自ら演じたんだろう。人に演じさせれば良かったのにw なんでそれ自分がやるw
山:好きやったんかなあ。そういうお話が。

武:自分で作った物語りに、自分で酔ってみたかったんかな?
山:そうねえ、なんか寂しくなってまうけど。

武:屈折したナルシシズムだよね。
山:屈折してないんちゃうか?

武:そか、直線的なナルシシズムかw けどちょっと陳腐w
山:限界やった、ってことやろね。

武:陳腐な方がリアリティが出るのかな。
山:うーん、だってね、もっと嘘つきまくってる人、おそらく沢山いるやん?

武:あはは、いるだろうなあ!www
山:そうやんなあ。だから、なんでもっときっちりやらへんのやろう? とか思てまう。

武:自分自身に関する嘘なんだよね。
山:んん? どういう意味?

武:佐村河内守は「嘘ついた」って非難浴びてるけどね、作品に対する「物語」についていた嘘なんですよ。つまり、佐村河内守の嘘は自身の身体からははみ出してないんですよ。

  例えばね「福島は絶対安全です」とか、「この壷を買わないとあなたは不幸になる」とか、そういう類いの嘘ではないんですよ。「自分が全聾である」、「自分が曲を作った」、自分に関して嘘をついてるんです。

●救済と藝術

山:結局そこでまた、嘘を重ねてしまう訳でしょ。なんかなあ、強弁に行って欲しかったってのはあるかな。今さらやけど。弱者を盾に取ってやる藝術なんて意味ない、気がするが。
武:障害者を語ったのはタチが悪いよな。

山:そう思う。

武:けどね、それを言うとね、「自分がちょっと悲惨」っていう切り口って誰でもやるんだよね。「私、こんなに寝ないで働いて、ボロボロで頑張ってます」的な悲劇アプローチ。または小学生の頃、怪我で包帯してたり眼帯してくるとちょっとカッコイイ的なアレ。佐村河内守はそんなやり口の肥大化なんだよね。

山:なるほど。いやね、僕もダンボールハウスに描いてたやないですか。だからね、というか、やっぱり思うんです。藝術にはならないよな、、、とか。

武:ふむ、なぜ?
山:つまり、弱者救済は悪いことでもないやろうし、それはちゃんと考えていかなくてはならない問題だ、だけど、そこと藝術とはあまり関係がない。と思う。

武:確かにね。だがしかし、そこに藝術があったっていい。
山:あったっていいけど、藝術ってやっぱ、ちょっと違うんちゃうかなあ。結果として誰かを助けることになった、ということはあり得るのかもしれないけれど、そこを目指すものでもなくて、、、自然で不自然、ホントで嘘、ってなに言ってるかわからんがw でもそういうとこってないか??

武:藝術はどこにでもあるとは思う。藝術家として生きてくのとは別として。新垣隆は大学があるから続けていけるだろうけど、佐村河内守はキビシい感じするなあ。
山:うん。たいへんやろうなー。

武:けど、どちらかというと「アーティスト」だったのは佐村河内守なんだよ。
山:そうやな、新垣隆は職人な感じ。

武:セルフパロディが出来ればいいんだけどね。自己相対化できればイリヤ・カバコフの作品みたいに、なるんじゃないの?

『シャルル・ローゼンタールの人生と創造』
< http://members.jcom.home.ne.jp/miurat/kabacov.htm >

山:そーはならんやろw

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/藝術で食う】
展示中です!!観に来てにゃ〜
アートラッシュ『ねこ展』
2014年2月11日(火)〜2月24日(月)
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20140128/1390900307 >
イノチコア『ねこと原発展』
2014年2月8日(土)〜3月2日(日)
< http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20140110/1389339291 >

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