ショート・ストーリーのKUNI[151]ギター弾き
── ヤマシタクニコ ──

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ある日私はギター弾きである自分を見いだす。いつからギター弾きであったか、どのようにしてギター弾きになったのか記憶がない。それは当然で、どうやら私は、さまざまな人にとっての、あるべきギター弾きとして存在しているらしいのだ。

今日、私の前にいるのはつやのないくせ毛で下がり気味の、目元が笑っているようにも泣いているようにも見える女だ。私と女はひと気のない公園のノウゼンカズラが絡まる棚の下にいる。


私はサムピックをつけ、静かな曲を何曲も続けて弾く。簡単なコードの、だれでも弾けそうな曲だ。時々、それにあわせて歌も歌う。私の声はほんの少しかすれている。

「とてもすてき」

女は微笑む。

「ギターってやっぱり好きよ」

私も微笑む。演奏をやめ、ギターを立てかけ、片手で女を抱き寄せる。くせ毛をなでてやる。女は私にからだを預け、おしゃべりを始める。勤め先の工場のこと、かつて恋人だった男のこと。その男とついこの間街でばったり会ったが、なんだか着ているものもみすぼらしく、荒れた様子だったこと。

「私がいないとあんなになるんだと思うとかわいそうで。でも、知らん顔してしまった。私、悪いことしたかしら」
女は目を上げる。私と目が合う。

「気にすることないさ」

「そう?」

「君はやさしすぎるんだ。もっと自分が楽しまなくちゃ」

私の答は女を満足させる。当然だ。私は女にとって、あるべき男として存在しているからだ。ギターの弾き方も、愛撫の仕方も、問いかけに対する答も。

その日はそんなふうに終わる。

翌日、私の前には目の周りを濃いアイラインとつけまつげで飾りたてた、短いスカートの女がいる。一見若そうだが、どうだかわからない。

私は鼈甲のピックを自在に使い、じゃかじゃかとギターをかき鳴らす。そこは女の住むマンションで、演奏中にドアががんがんとたたかれ、うるさい、やめろと苦情が入るが、女が蹴飛ばしそうな勢いで怒鳴り返し、相手は退散する。

「まったく、くそだわ」

女は酒を持って戻ってくる。私はギターをやめて女と酒を飲む。またギターを弾き、また酒を飲む。どんどん愉快になる。

「ああ、いい気分! やっぱりギターの弾ける男が最高だわ。私、音楽って何もわかんないけどさ」

「音楽はわかるもんじゃないさ。弾いてみろよ」

女にギターを渡す。ギターは小柄な女には大きすぎて笑いそうになる。女が無茶苦茶にギターを鳴らす。ものすごい不協和音。頭がおかしくなりそうだ。

私はギターを奪い、ショッキングピンクのソファの上に女を押し倒し、その上におおいかぶさり、キスをして、それからあちこちをまさぐる。ふと自分の手を見ると、私の手も若くてすべすべとして、手の甲にはタトゥーのナイフが不機嫌そうに横たわっている。

私には私というものがない。私というものがないということが私たるゆえんだ。私はその時々、目の前にいる女にとっての最適のギター弾きなのだ。

「この間、ドアをたたいて怒鳴っていた男が次の日、私に近づいてきたの。『おれだってギターは弾ける。あんなのよりずっとうまく。聴きたかったらおれの部屋に来い。膝の力が抜けるぜ』と言うの。何にもわかっちゃいないわ」

別の日、短いスカートの女が言う。

まったくその通りだ。ギターが弾ければ、うまければいいというもんじゃない。多くの男はそこを勘違いしている。

そうしてふと気づくと、今日の私は古びたアパートの一室にいる。目の前には中年の女が、木の椅子に腰掛けてほおづえをついている。目が大きく、名前は忘れたが、ある女優に似ていると思う。ウエーブのかかった肩までの髪にはちらほら白髪が交じり、それが電灯の灯りにきらめく。

そういう女が私の好みなのかと聞くのは愚問だ。たいていの女は男とつきあってはがっかりすることを繰り返してきた。女たちは疲れ果て「私なら私をこんなふうに扱うのに、どうして現実の男たちはそれができないんだろう」「私が男に生まれ変わったら、絶対もっとうまくやるのに」と、ため息をついてきた。

そこで私だ。私は、いわば彼女たちが男に生まれ変わったようなものである。私が彼女たちの理想型であるのは私が彼女たち自身であるからであり、女たちは自分自身とキスをしたり戯れたりしているようなものなのだ。

「むかしのあんたのギターをもう一度聴きたいもんだわ」

言われて私は、自分がギターを持っていないことに気づく。今日の私は、いまはギターを弾かないギター弾きらしい。

「いまだって弾けるさ。弾こうと思えば」

「そうなの?」

女は笑う。タバコに火をつけ、私にもすすめる。室内に青い二筋の煙が立ちのぼり、くずれる。

「最近はたばこを喫うひとって少ないのよ」

「らしいね」

それから女がワインを取り出し、ふたりで飲む。辛口の白ワイン。ひと瓶がたちまち空になり、ほろ酔い加減になったところで女が大発見のように叫ぶ。

「そうだ、廊下の電球が切れてるのよ。取り替えるのを手伝ってくれない? 私じゃ背が足りなくて」

「お安いご用さ」

私はそれほど背が高いほうではないが、浴室用の小さな椅子に乗れば楽に電球を取り替えることができる。私が作業をする間、女は腰に手をあて、現場監督よろしく横で見ている。

「よし、取り替え完了!」

大げさに指を立て、スイッチを入れると、廊下にまばゆいばかりの光があふれる。ふたりで手をたたき、それから大笑いする。何がおかしいんだか。私と女は互いの体を抱きしめる。ハグ、というようなものじゃなく、深く、深く、とても長い間。

そして、私は、今日の私の手がごつごつとしてしわだらけの、中年を過ぎた男のものであることに気づく。もちろん、ナイフのタトゥーもない。

「お祝いに飲みましょう」

新しいワインを取り出し、またグラスを重ねあう。私はギターを弾くふりをする。小さな声で歌も歌う。

「私、思うんだけど」

「うん」

「うれしいときとか感激したときにも涙が出るでしょ。どうして、悲しくもないのに涙が出るんだろうと言う人がいるけど」

「うん」

「本当はうれしいときも感激したときも、やっぱり少し悲しいからだと思うのよ」

女はそんなことを言う。私は見えないギターをかき鳴らす。私の指は長くて力強いから、どんなコードもやすやすと押さえることができる。

明日、私はどんなギター弾きになっているのだろう。

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朝ドラ「ごちそうさん」で「おつい」(「おつゆ」がなまった言葉)という言葉が出てくるが、いまや大阪でも若いひとたちの間では耳慣れない言葉らしい。私たちの子供の頃はふつうに使っていて、「おみそのおつい(みそ汁)」「すましのおつい」などと言ってた。「みそ汁」なんて、あまりきれいな言葉じゃないような気がしていた。おついをあつあつのご飯にかけた「おついかけご飯」、最近食べてないなあ。