武&山根の展覧会レビュー 特別編 かつてあった東京大学駒場寮という異空間/武 盾一郎

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こんにちは。今回は山根氏が多忙のためピン原稿となります。よろしくお願いします。さて、何を書こうかと考えてみたのですが、今は昔東京大学駒場寮についてにします。


1995から98年にかけて、僕は新宿西口地下道に暮らす人たちの家、段ボールハウスにペンキで絵を描き続けるのですが、その間に東京大学駒場寮にも出入りすることになります。

駒場寮を何で知ったかはよく覚えてないのですが、当時新宿の地下道でちょくちょく顔を合わせていたホームレス支援活動家の稲葉剛さん(現:もやい < http://www.moyai.net/ >)は東大の院生だったので、駒場寮って面白いよ的なことをちょろっと聞いたりはしていた。

大学の寮というと、木造で広めの玄関があってそこに寮生たちの靴が乱雑に置いてあり、家に上がると木の床の廊下がのびていて各々の部屋が分かれている。洗面所とトイレが共同で風呂はない、という貧乏臭いイメージしかなかったのでどこが面白いのかいまひとつピンと来なかった。

そして何の集まりだったかも場所も全く覚えてないのだが、いろんな人がごっちゃにいた飲み会の席で、実際に東大の駒場寮に部屋を借りている「エリセ」という女性と出会い、「駒場寮ってバーがあったりパフォーマンスする人がいたりして盛り上がってるんだよ、誰でも入れるんだよ」なんていう話を聞いたので、じゃあ今度行くよという話をしたのだった。

なんでも廃寮問題で揺れているらしかった。寮を潰そうとする大学当局、それに抗う寮生と、そこに学外者たちが流入して面白いことになっている、と。

●東大生でもないしOBでもない人たちが

1997年5月2日。僕は不登校のフリースクール「東京シューレ」に寄ったあと、初めて東京大学駒場寮に行きます。

なぜ日にちが分かるのかというと、ノートに日記を付けていたのだ。日記以上に具体的なことはあまり思い出せないのだが。あるとすれば、今の自分に都合の良いように編纂されたであろう記憶だけだ。なので、以下は日記に基づいた「物語」と言ったほうがいいだろう。

渋谷駅から京王井の頭線で駒場東大前駅に降りると、すぐに東京大学はあった。広い。新宿西口地下道は広いと思っていたが大学の方が広い。放課後のけだるい感じがだだっ広く横たわっていて、なんとなく心細くなる。

キャンバス内をしばらく歩いて、これは誰かに聞いたほうがいいな、と思った。古びた建物に覆いかぶさるように木や植物が生い茂る、暇を持て余してるような空間でふと見やると、ベンチに座ってひとりでギターを弾いている男子がいたので声を掛けてみることにした。

「すみません、駒場寮にいるエリセって人、知ってますか?」と、いきなりピンポイントな質問をしたのだった。

そしたら彼は「ひょっとして武さんですか?」と訊き返して来たのでビックリした。

なんでもちょっと前に呼ばれて出てたシンポジウム(確か野宿者支援とかがテーマの)を見に来ていたとのこと。

「え、あ、武です、武です。彼女が駒場寮にはバーもあって面白いって言うんで来てみたんです」
「ゼロバー? 俺、そこの仲間ですよ」
「あ、ほんと? 今やってるの?」
「いや、えっとじゃあ、いま店あけるよ」

みたいな感じで、いきなりハードコアにタッチできたのだ。ギター弾きの彼は「モリオ」と名乗った。

駒場寮には二つの大きな建物が残っていた。中寮と北寮だ。古くて頑丈そうな建物で、鬱蒼とした木々や蔦の這う外側から一歩中に入ると、とたんに真っ暗だった。さながらヨーロピアンな廃墟って感じで「かっこいい」と思った。というか、「すげえ」といった感じだ。

固くてボロくて天井がやたら高くて暗い。これは日本の屋内には全くない要素だ。どこに行っても日本は、「ソフトで新しくて天井が低くて白々しく明るい」のだ。僕はそういう風景にうんざりしていたので興奮した。

まるで日本じゃないみたいだった。空間も時間もコンパクトにうまくまとまってるわけでなく、何もかもとりとめのもなく漂っている感じだった。

ゼロバーは北寮の一番手前左側の小さな部屋で、カウンターといくつかテーブル席があるだけだった。そして汚い。瓦礫の中みたいだった。それがまたちょっとかっこよかった。

駒場寮のゼロバーで呑み始めて、夜になると徐々に人が集まってくるのだった。ゼロバーの店主は「エキン」と名乗る男だった。インドを放浪していた時にお坊さんにそう名付けられた、と関西弁で話してくれた。僕と同い年の28歳だ。

そして下北沢でエキンに「面白いところがあるからおいで」と言われて付いて来たら、ここ東大駒場寮だったという男「コーキ」24歳。年齢も素性も謎な「リカちゃん」という超かわいい女性。そしてギター弾きの「モリオ」。彼らがゼロバーを経営しているようだった。4人とも東大生でもないし、OBでもないようだ。

キャッシュ・オン・デリバリーで一杯200円とかだったと思う。「思う」というのはゼロバーでお金を払った覚えがほとんどないのだ。キャッシュオンでその都度払ってるから記憶に残ってないのかも知れない。

「新宿西口地下道の段ボールハウスに絵を描いてる画家だ」と言うと、大体誰もが、「えー、あれってホームレスの人が描いてるんじゃなかったんだ! すごいねえ!」とすぐに仲良くなれた。やっぱり人目に触れる「ストリート」で絵を描いていてよかったなと思った。

初めての東大駒場寮体験はなんだかんだで酔っ払いすぎて、そのままそこに泊まることになった。バーカウンターの椅子を並べて、横になってちょっとだけ寝た。

5月3日の次の日、駒場寮から新宿西口地下道に通い、段ボールハウスに絵を描く。たまたま山根康弘も来たので、制作が終わると一緒に東大駒場寮に向かい、ゼロバーで呑んだ。結局二日連続で駒場寮に泊まることになったのだ。帰宅して体重を計ると2kg痩せていた。

●入り浸った駒場寮での活動

あとから聞いて驚いたのだが、96年の夏、僕がホームレス排除突起物に絵を描き、逮捕されて新宿警察署に22日留置されてる前後のしばらく、段ボールハウスに絵を描いていた鷹野依登久も、駒場寮に部屋を借りていたのだ。

これで新宿西口地下道段ボールハウス絵画と、東京大学駒場寮が完全に繋がったのだった。僕は駒場寮に入り浸るようになった。

最初の何回かは井の頭線駒場東大前駅を使ったが、いかんせんお金もないし、距離もそう遠くないので、渋谷駅から歩いて行くことにした。

駒場寮で最初に入った部屋「ゼロバー」は、窓口としての役割を果たしていた。社会から幽閉されがちな大学空間にある「出島」だったのだ。いろんな有名人たちがゼロバーに来たという話をきいた。ゼロバーの店主「エキン」は天才的に話しがうまかった。

僕はしばしばカウンター側に入って店の手伝いもした。そうすると呑めるからだ。当時、大川興業の芸人だった「ヒデ」とう知り合いがいた。ヒデと僕は「サークル」として東大生と部屋を借り、「蟻天国」と名づけて、誰でも出入りできて、煮炊き寝泊りできる場所にしようとした。

駒場寮はひと部屋24畳で、天井も高い。とても都内とは思えない贅沢な空間だ。部屋を借りて場を作るにあたり、「蟻天国」では規律を二つだけ設けた。「そうじ」と「あいさつ」。

最初は知ってる人たちで飲み会とかやってる程度だったけど、そのうちかなりカオスな場所になっていく。
< http://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/5846/photos/ariten.html >

駒場寮は寮委員会の手続きを経て、一泊200円で泊まることができた。「借り宿」と呼ばれていた。ところが「蟻天国」は部屋を開放して無料で泊まれたので、どんどん溜まり場になっていってしまったのだ。

ゼロバーのスタッフ「コーキ」は「OBSCURE GALLERY」というギャラリーを中寮に開設した。そこでの最初の企画展として僕は「世紀末とのコラボレーション」という展覧会を開いたのだ。

< http://blog.goo.ne.jp/sekinema/e/9f218b1b73a5c4c9ffc6c84d2dd7a989 >
< http://blog.goo.ne.jp/sekinema/e/3326e868b4dba5b1447cf032a8b84c05 >
< http://blog.goo.ne.jp/sekinema/e/384fd332de6a428225bfb2a8a185a11a >

その後、オブスキュアは今で言うZineの「OBSCURE」をいくつか発行する。そこには新宿西口地下道段ボールハウスに絵を描いた鷹野依登久、山根康弘、そして僕も参加していた。

日本でもアーティストたちがスクワッティングで活動し、Zineの元にもなっていたのが、東大駒場寮と新宿西口地下道段ボールハウス絵画のラインなのだと思うのだ。

●20代中心のスクワット・アナーキー・コミュニティ

僕が体験した東大駒場寮とは、ひとことで言うと、廃寮に反対した東大生たちが寮に留まり学外者に寮を開放したところから生まれた「20代中心によるスクワット・アナーキー・コミュニティ」だった。

アーティストたちも駒場寮に流れ込んでいて、伊東篤弘や石川雷太も当時は駒場寮で活動をしていたのだ。

駒場寮に入ってくる人たちは、アート系だけではなく、国籍も学歴も職業も様々だった。イデオロギー的にも必ずしも左翼ということもなかった。

大学側が廃寮にしたい理由は、ここが共産党の産まれた場所「アカのメッカ」だったからなのかなあとうっすらと感じる。新宿の西口地下道も、かつてはフォークゲリラのステージであり、左翼文化の拠点でだったと聞く。

しかし、90年代後半にはそういった「古き良き学生運動文化」はもうない。残骸として建築物だけが残っているだけだ。

当時は反体制側にいた学生運動の若者たちは、みな転向し体制側に出世したのだろう。そして、若気の至りの黒歴史として遺っている忌々しい「場」は消えてもらいたいのだろう。

新宿西口地下広場も東大駒場寮も消える。僕はそういう「場」が消失する直前に、華やかに輝く奇跡の数年に居合わせたのだ。

ざっと駒場寮についてイントロを書いてみましたが、さらに突っ込んだ話はのちほど何らかの形で発表できたらなあと思っております。

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/さようならは新たな人生の始まり】
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