歌う田舎者[54]違う違う そうじゃ そうじゃない
── もみのこゆきと ──

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3月のハローワークは、新年度から勤務開始の求人情報を求めて、求職者がわんさと押し寄せていた。カウンターで整理番号を受け取り、待合の椅子に座っていた女は、喧騒の中、思いつめた表情でぼんやりと天井を見つめ続けている。


「72番の方、どうぞ」

少々くたびれてはいるが、人の良さそうな初老の男性相談員が待合席を見渡す。天井を見ていた女が立ち上がり、相談ブースの椅子に静かに腰を下ろした。

「はい、72番の方ですね。整理番号の紙をくださいね……ええと、A社への応募相談ということで……」

「……はい」

蚊の泣くような声で答えた女は、小さく鼻を啜る。

「A社について何かお尋ねになりたいこととか、ご不安なこと、ありますか」

「……年齢制限は書いてありませんが……実のところは……どうなんでしょう」俯いた女の目から、ぽとりと涙がこぼれた。

「あっ、だ、大丈夫ですか? ええ、年齢は書いてありませんね。いや、でもこの会社は業務を遂行する能力があれば、年齢のことはおっしゃらないので、大丈夫だと思いますよ」

「……」

「元気だしてください。ええ、年齢でね、断るなんてひどい話ですよね。そういう目に遭われたことがあるんですね。わかりますとも」

「給料が安いのは心配ですけど……これからの生活とか考えると……」涙と一緒に盛大に鼻を啜った女は、真っ赤な目でまた天井を見つめた。

「ええ、わかりますとも。さ、涙を拭いてください」
相談員はティッシュを差し出す。

「まずは、今の生活を立て直すことが大切ですよね。月給が安いところでも、とにかく少しでもお金を稼いで、そして仕事をしながら、もっと条件のいいところを探しましょう。うん、それが一番だ。ね。元気をだそうね」

涙と鼻水でドロドロになった顔をティッシュで拭き取り、女はまた鼻を啜る。相談員は箱ごとティッシュを差し出した。

「さあ、どうぞ。いくらでもお使いください」

「す……みません……」

「人生いろいろですよ。あなたを雇用しなかった会社は、あなたの人生には不要な会社だったんです。きっと巡り会えます。あなたの会社に。子どもさんのためにもがんばらなきゃ。自分の力を信じて。さ、前を向いて頑張りましょう」

「あ、ありがとうございます」

相談員は、しゃくりあげる女に紹介状を手渡し、慈愛に満ちたまなざしでその背中を見送るのだった。人生に幸あれと、祈るように。

─了─

ハローワークのおじさまは本当に心優しい方ですわね。親切が骨身に染みましたわ。でも……。

♪違う違う そうじゃ そうじゃない♪

涙と鼻水はすべて花粉症のせいなのでございます。

わたくしの花粉症は、鼻水と涙が1、2、3、ダーーーッと出続けたかと思うと、粘膜がカラッカラに乾燥してかぴかぴするのを周期的に繰り返すのでございますが、家を出るときは、カラッカラの時間帯で、鼻の中は♪It’s so dry dry♪でございました。

しかしながらハローワークに着いて待合席に座った途端に、鼻水が出始めました。し、しまったわ……かばんを探ったものの、ハンカチちり紙もろとも忘れていたのです。ああ、わたくしとしたことが。とにかく上を向いているしかありませぬ。

相談員に呼ばれ、確認用の登録票を机上に示されたので、下を向いたところ、天井を見つめてなんとかこらえていた鼻水がずるずると。同時に目からも涙がじんわりと滲んできました。

年齢制限について聞こうとしたら、溜まっていた涙がぽとりと落ち、ますます鼻水が止まらなくなりましてございます。このあたりで相談員の方は、わたくしについてこう思われたのでしょう。

生まれたばかりの乳飲み子を抱え、赤貧にあえぐ炭鉱暮らし。「あんた、なんであたしたちを残して死んだのよ……」炭鉱事故で死んだ旦那に恨みごとを呟きながら、途方に暮れてハローワークを訪ねた幸薄き女……。

いえ、赤貧にはあえいでおりますけれど、それ以外は ♪違う違う そうじゃ そうじゃない♪ のでございます。乳飲み子もおりませんし、戸籍にも一度だって×どころか○もついていないキレイな体のわたくしに、何を言ってるんだっつーのでございます。それもこれもすべて花粉症のせい。

これだけ鼻水が止まらないんだから、そろそろ執事の玉木宏がやってきて「お嬢様、その鼻水、たいへん見苦しゅうございます。パブロンを早くお飲みくださいませ!」とお盆に載せた薬を持ってきてもいい頃ではないかと思うのですが、そのような気配がちらとも見当たらないのはどうしたことでせう。いや、パブロンでは花粉症は治らないと、そういうことでございましょうか。

宏、遠慮しなくていいのよ。もしかしてあなた、ホントは「お嬢様、その鼻水、たいへん見苦しゅうございます。早く僕と結婚してくださいませ!」って言いたいんじゃなくて? 恥ずかしがらなくていいわ。さあ、ともに愛のカンタービレを歌いましょう。あ、ちょっとちょっと、どこいくの! 宏〜!! 

♪もう涙はいらない〜;;もう鼻水もいらない〜><

もとい、自慢じゃござんせんが、子どもの頃は今よりもずっと田舎町に住んでおりましたゆえ、花粉まみれで暮らしていたはずなのですが、なんともございませんでした。それなのに四十路を過ぎてから、愛は突然に、いや花粉症は突然に。

水温み花ほころぶ春になったというのに、外で桜など見上げていたら、鼻水と涙が止まらなくなって、桜の木で首吊りでもするんじゃないかと思われそうでございます。

体中の粘膜が花粉症に侵される季節が来るたびに思うのは、もし裸で歩いていたら、あのそのええと、あそこも花粉症に侵されてしまうのかということでございます。もう目は痒いし鼻の中も喉の奥も痒くなり、時には熱持ってるんじゃないかと思うくらいでございますが、ほら、一箇所だけ、外気に触れず、隠された粘膜があるじゃござんせんか。

原始少年リュウが生きていた時代だったら、パンツなんてものもなく、貫頭衣をかぶっただけで暮らしていたのではないかと推察いたします。そうなりますと、やはりそこもああなってこうなるんでございましょうか。……実験する勇気がない自分が悔しゅうございます。

そんなわけで、ただいま室内では、花粉症に効果があるといわれるユーカリ・グロブルスのアロマオイルを焚きまくっております。

花粉症の皆さん、お出かけの際は、ハンカチちり紙をお忘れなく。そして、体中の全ての粘膜に花粉がもたらす影響について、全裸で実験した勇者がおられましたら、ぜひとも結果をお知らせください。実験結果はまとめてネイチャーに提出いたしましてよ。

※「違う、そうじゃない」鈴木雅之
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※「Dry Dry」鈴木雅之
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※「もう涙はいらない」鈴木雅之
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※「お嬢様、その鼻水、たいへん見苦しゅうございます」大正製薬・パブロン
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【もみのこ ゆきと】qkjgq410(a)yahoo.co.jp

「花粉症で可愛さを演出する方法・6選」という記事を見つけた。
< http://howcollect.jp/article/3927
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読めば読むほど「頭おかしいんじゃね? ネタ?」と思われる内容である。

簡単に言うと、(1)花粉症女子は、さりげなく鼻セレブのポケットティッシュを使うことで細部まで可愛さにこだわっている印象になり、(2)鼻をかむときは「やだ恥ずかしい耳ふさいで」と甘え、(3)可愛いくしゃみの仕方を練習し、(4)空間認知能力の優れた男子に「あーん目薬さして」と頼り、(5)だてメガネで知的雰囲気を演出しつつ、(6)鼻声をいじってもらうことで、花粉症女子の可愛さをアピールできるのだそうである。ああ、やっと最後まで辿り着いた。

ぷぷ。なんだそれ。ああそうかいそうかい。鼻声で歌うたえばモテ女になれるというんだな。

♪くれーだずぶーばぢのー ひかーりとーかげどーだかー
♪あいーするーあだたへー おくるーこどばー

やだ恥ずかしい!
これで宏ばかりか、世界中の男子がわたしに恋するんだな、ほんとだな!