[3669] 具象の女たち、抽象の男たち

投稿:  著者:  読了時間:24分(本文:約11,600文字)


《こんな便利なメガネがあったのね〜!》

■ユーレカの日々[31]
 具象の女たち、抽象の男たち
 まつむらまきお

■グラフィック薄氷大魔王[383]
 「近近メガネで新世界」他、小ネタ集
 吉井 宏


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■ユーレカの日々[31]
具象の女たち、抽象の男たち

まつむらまきお
< http://bn.dgcr.com/archives/20140402140200.html >
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ようやく4月だ。年末から3月にかけて、本当に忙しかった。毎年のことだが、仕事にせよ、プライベートにせよ、いろんなことが怒涛のように迫ってきて、あっという間に時間が過ぎていく。

最近流行のネット慣用句に「おれ、この●●が終わったら●●するんだ」というのがある。3月の一番忙しい時期にふと考えた。自分はこの仕事が終わったら、一体なにがしたいのか自問自答してみた。暇になったら、一番なにがしたいのか。旅行か、散歩か、ゲーム? 映画? しばし考えた結果、思い浮かんだ答えが「プラモデルが作りたい」だった。

我ながら呆れてしまった。いやいや、もっとやりたいことは色々あるだろう?しかし、どうやらそれが私の本心らしい。思い返してみれば、自分の人生で過去、まとまった暇ができると、プラモデルにはまっていたように思う。

一度目は大学生時代。次は会社を辞めてフリーランスになった当初。三度目はフリーランス時代にたまたま、仕事がピタッと止まった時期。それぞれ1か月くらいは模型三昧だった。

プラモデルは、だれが組み立てても同じようにできる、気軽に楽しめるホビーだ。組み立てるだけなら、さほど時間がかかるわけではない。しかし、模型にはまった人たちは、それをそのまま組み立てるのではなく、ディテールや改造を加え、継ぎ目を消し、塗装をし、時には臨場感あふれるジオラマにまで仕上げる。

そうなってxい、というわけだ。

●立体で気づいた、二つのアプローチ

海洋堂の出来が良いカプセルフィギュアのおかげか、今、美術大学でもフィギュアなどの立体をやりたいという学生が多い。うちの大学でも、ドール作家&フィギュア原型師の卒業生が、授業を開講してくれていて毎年人気がある。ガンプラを愛するサークルもあって、顧問をやってたりもする。

そういう話を、大学のプロダクトデザイナーの先生と話していて、ふと気がついたことがある。

フィギュアやドールを作りたい、という人がプロダクト、つまり家電やクルマのデザインに興味があるかといえば、そういう例は少ない気がする。クルマや建築のデザインをしている人がフィギュアや模型を愛しているかといえば、こちらもやはり、あまりいない気がする。

どうやら同じ立体を作る行為であっても、プロダクトや建築といったものをデザインするのと、フィギュアやドール、模型を作るのとは、どうも根本的に立ち位置が違うようなのだ。これはどういうことなのだろうか?

現代のプロダクトや建築はモダニズムといって、機能美を基本に置いている。形をどうやって決めるのかを考えるとき、近世の工芸品や建築が「装飾性」を重視してきたのに対し、現代のプロダクトは「機能こそが美である」と考える。

この考え方の根本にあるのは、そのモノ独自のフォルムを追求する、ということだ。デザイナーたちは、それまでだれも考えなかった、また、世界に存在しなかった「フォルム」を作り出すことに情熱を燃やす。ただし、ホンネで言えば「機能美」というのは実はその拠り所にすぎない。機能的であるかどうかよりも、美しいかどうかが興味の対象らしい。

たとえば100円で売られるボールペンをどうデザインするのか。描く、持ち歩く、販売する、生産する。そういったことを多方面から検討し、それを大義名分としながら本心では「自分がカッコイイと思う筆記具の理想のカタチ」を追求するものらしい。

有名建築家が設計した建物が使いにくくてしょうがない、というのも、有名デザイナーが手がけたサインシステムの上から貼り紙がされる、というのもおそらく同じ理由だ。貼り紙されちゃうのはわかっているけど、自分の理想のフォルムが勝ってしまうのだろう。絵画でいえば、抽象画や抽象立体の世界だ。

これに対し、フィギュアや模型趣味、ドールといった造形は、実在であれ、アニメであれ、明確なモチーフが存在する。作者が「面白い」と思った対象を、立体として再構築する。

その興味は理想のフォルムの追求にあるのではなく、自分の視点、モノの見方をどうやって他人に伝えるか、というところにあるのだろう。

これは絵画でいえば、具象画、人物や風景をモチーフにした、具体的な事象が描かれている絵画の世界だ。

ここまで考えて、なるほど、と思った。

自分が建築の勉強をし、建築模型を作ったり建築を見て回るのが好きだったのに、建築そのものをデザインすることに今ひとつ馴染めなかったのはなぜか。僕自身は、模型やフィギュア、具象の人なのだ。それに対し、建築やプロダクトデザインに向いているのは、抽象の人なのだ。

どうやら、物を作る人間は「具象」の人と「抽象」の人に二分されるようなのだ。

●具象と抽象

具象はなにか具体的な物、そのものに意味がある。それに対して抽象は様々な既存の存在から逃れた、新しい存在だ。

抽象化する、というのは、シンプルにしていく、記号化していく、という行為とも言える。たとえばリンゴであれば、それがゴールデンデリシャスなのか、紅玉なのか。素人にはどちらもリンゴなのだが、生産者にとってはまったく違う存在だ。

しかし、小学校の算数の問題で、いちいち、それがどういったリンゴで、どういった場所で生産されたものなのかを説明していては、らちが明かない。リンゴ、という名前をつけて「記号化、抽象化」することで、だれもが適当に「リンゴ」を思い浮かべる。

どうやら、この抽象化という行為は、主に男性の思考方法らしい。女性の脳はマルチタスク、様々な存在をそのまま認識できるのに対し、男性の脳はシングルタスクなので、そのままの状態では認識に時間がかかる。

バナナやリンゴ、オレンジなどがたくさんあった場合、女性はそれを瞬時に把握するが、男性は一度に認識できない。そこで男性は「くだもの」「たくさん」という風に「抽象化」することで、対象を理解しようとするらしい。だから男性はルール、法則を見つけるのが好きだし、女性は具体的な物が好きだ。

抽象化、概念化というのは素早く意味を共有するためにはたしかにいい方法なのだが、現代のように社会の多様化が進むと、それぞれが勝手に意味を解釈してしまい、あとですったもんだするケースが多くなってくる。「あれはそういう意味ではなく、こういうつもりだった」などなど。

かといって、具象化ははてしなく複雑化する。法律や税金の控除など「定義はどう、こういう場合はこう、ああいう場合はどう」と但し書きが延々と続き、どれが該当するのか素人にはさっぱりわからない状態になったりする。

●具象から見たグラフィックデザイン

マンガやイラストという、僕が専門としている分野はどこまで行っても具象の世界なのだが、グラフィックデザインの世界はどちらかといえば抽象の世界だ。

僕自身、グラフィックデザインを行うこともあるが、「何かモチーフの感じを伝えるデザイン」が好きだし、それしか出来ない。たとえば「ナンバープレート」とか「ネジ」とか、そういう具体的なモチーフを持ち出さないと、デザインができない。

これに対し、多くのグラフィックデザイナーさんたちは、抽象的なアプローチが得意に思える。たとえば佐藤可士和氏のユニクロのブランディング。ユニクロというブランドを表現するのに最もいいグラフィックが、あのロゴだという理由が具象の僕にはよくわからない。

たとえばオリンピックのシンボルマークである五輪は100年ほど前に決められた。元は古典的な図案らしいが、オリンピックのマークとしては、世界の五大陸を表現しているという。

しかし、あれを見て大陸を連想する人がいるとは思えない。デザインした側も、大陸を連想されなくてもかまわない、ということだろう。五大陸ですよ、というのは万人が納得するための方便であり、他の何にも似ていない、新しいフォルム、つまり抽象であることが重要だったのだ。

だから、あれがオリンピックのマークとしていいのかどうか、具象の僕にはやはり、わからないとしか言えない。

僕の時代の美大受験には、「色彩構成」というのがあった。僕はあれがものすごく苦手だった。課題として出されるモチーフの具象にとらわれてしまい、どうしたってお手本のようなデザインができなかったのだ。

今にして思えば、あれは抽象化の試験であり、それが自分の中に皆無な人にとって、鬼門以外の何物でもなかったわけだ。

●フラットデザインという抽象化

そういえば最近、iOSのデザインが「フラットデザイン」と呼ばれるものに変わった。それ以前のデザインは、ボタンやスライダがスイッチなど具体物としてデザインされた「具象」だった。

フラットデザインでは、なにかを模したデザインではなく、記号やテキストのみがシンプルに表示されるのが特徴だ。これは具象から抽象へと大きな転換と言えるだろう。

画面全体はすっきりと整理され、見やすい印象になった反面、それが押せるのか、スライドできるのかなどは直感的にはわからなくなった。

iOSのデザインは単なるグラフィック、視覚認識だけではなく、自分でさわってみるという行為や、動きなども含めてデザインされているので、当初思っていたよりもずっと違和感なく馴染んでしまったが、日や時間を設定する場面などは、以前のドラム式の方が随分と使いやすかったと思う。

なぜiOSは抽象化されたデザインに変わったのだろうか?

文字や記号は抽象的だから、その意味を読み解く必要がある。たとえば、エレベーターの開くと閉じるのボタンをどうシンボリックにデザインするのか、なかなか正解が見つからない。

同様に、電源の「I/O」の表記も、日本人には馴染みがなく、いつまでたっても瞬時に判断がつかない。抽象化されたデザインは、インターフェイスとしてはわかりにくいはずだ。

コンピュータのインターフェイスは、最初、文字ベースだった。テキストを打つと、テキストで答えが返ってくる。どういった命令を打ち込めば何が起きるかを、使う人間はあらかじめ知っておく必要がある。つまり、抽象的で、専門家でしか扱えなかった。

Macのアイコンとプルダウンメニューは、インターフェイスを具象化した。それにより、プログラムが何なのか、何をしようとしているのかを、一般の人はそのモチーフから「連想」できるようになった。

そして現在では、多くの人がコンピュータを普通の道具として扱えるようになった。そうなってくると今度は「なにかを模したデザイン」よりも、より純粋なインターフェイスの「カタチ」を追い求めたくなるのが抽象的思考のデザイナーの考えなのだろう。

操作やセンサーによる反応まで含めた、それまでになかった、純粋なインターフェイスのありかた。おそらくデザイナーが目指しているのはそういうことなのではないか。

そういえばAdobeのIllustratorやPhotoshopのアイコンも、昔はビーナスや目玉という具象だったのが、いつからか、何のアプリなのか想像すらできない、頭文字だけのものに変わってしまった。ユニクロのシンボルも昔は男女のシルエットだった。

どちらも、唯一無二、何にも似ていない存在を目指すという考えから、現在の抽象的な物に変わっていったのだろう。そして、先に書いたようにそれはものすごく、男性的な思考だと思う。それがタイクツに思える僕は、かなり女性的なんだろうか。

抽象化を推し進めるデザイン。そう考えると、Appleがあのリンゴという具象シンボルを捨て、抽象的なシンボルを掲げる日が来るのかもしれない(そうなって欲しくはないが)。

●具象と抽象は対立するのか

どうやら人間というのは、このように具象の人と、抽象の人に分かれるようだ。立体の世界でも、図像の世界でも、いや、料理だろうが恋愛だろうが、ありとあらゆる事象にはこの二つの属性が存在する。

ありのままを認識する具象と、単純化しルールを見いだそうとする抽象。そして、おそらく、この反対の属性の思考をそれぞれが理解することは、おそらくできない。

抽象の人たちは、ルールを愛し、例外を認めない。純粋なルール、原理原則は美しいと感じ、理想の抽象化された法則を追い求めようとする。

これに対し、具象の人たちは抽象的概念を具象の近似値としてしか捕らえられない。だから、よく言えば臨機応変であり、悪く言えば原理原則を平気で無視する。これが対立してしまう、原因なのだと思う。

この二つの属性は、おそらくわかり合えないのだが、自分が具象の人なのか、抽象の人なのかを認識し、また、世界にはもう一方の人が存在していることを知ることはとても重要だろう。

ただ、自分が具象の人なのか、抽象の人なのかを認識し、また、世界にはもう一方の人が存在していることを知ることはとても重要だ。

具象の人がプロダクトやグラフィックデザインを仕事にする場合は、無理に抽象化しようとせず、具体的なモチーフを引用していった方が絶対いいものができるだろう。自分が見た印象をどう増幅して再生産し、人に伝えるかだけが興味なのだ。

抽象の人がフィギュアを作るなら、トイフィギュアの「ベアブリック」のようなシンボリックなアプローチが成功するだろう。モチーフはきっかけにすぎず、自分が理想とするルール、フォルムを追求することが作品世界を拡げることになる。

そして、この二つの考え方の違い、認識の違いを意識すれば、相手に説明することも随分と楽になるはずだ。クリエイターチームでも、クライアントとデザイナーでも、不要な衝突をする必要がなくなる。

考え方を押しつけるのではなく、自分にない属性もつ、相手を尊重すれば新しいことが生まれるに違いない。そう、人間が存続するために、理解しあえない「異性」が必要なように。

【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学准教授】
< twitter:http://www.twitter.com/makio_matsumura >
< http://www.makion.net/ > < mailto:makio@makion.net >

大学のプリントなどをつくるのに、Macのワープロ、Pagesを愛用しているのだが、これを最新版にバージョンアップして、ドツボにはまった。スタイルが従来の一覧パネルから、プルダウンメニューになってしまい、指定に2アクション必要になってしまったのだ。うーむ、つくづく抽象の人とはわかりあえない。やっぱりフラットデザイン反対。


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■グラフィック薄氷大魔王[383]
「近近メガネで新世界」他、小ネタ集

吉井 宏
< http://bn.dgcr.com/archives/20140402140100.html >
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●近近メガネで新世界

織田隆治さんが「今日、中近メガネを初めて使ってる」とツイートしてた。「え? 中近メガネって何?」。遠近両用メガネみたいなもんだろうと検索してみたところ、「中近メガネ」は手元〜室内用のメガネ。似たような「近近メガネ」は手元〜机の上用といった感じ。え〜〜! そんな便利なメガネがあったのね〜! 初めて知った。

僕的に「手に持った雑誌やiPad、ノートパソコンの距離、そして液晶タブレットCintiq 22インチの距離がものすごく見にくい」という問題が近近メガネで解決するんじゃないか?

そのままメガネ屋に直行、近近メガネを注文してきた。レンズを合わせてもらって具合を確認したんだけど、手元のタブレットや本と、目を上げて机の上のディスプレイで焦点が合うようになってる。確認用に置いてある新聞やiPhoneで見てみると、めちゃくちゃ見やすい。いろいろ仕事しやすくなりそう!

数日後、出来上がってきたメガネ。今まで一番苦手だったノートパソコンや雑誌を見る距離がめちゃくちゃよく見える見える!! SDからフルHDになった感じ! いや、4Kテレビ!

いや〜な距離だったCintiq22インチがようやくまともに使えるようになった。近眼メガネでは近すぎて見にくく、メガネなしでは全体がボケて見えなかったのでした。机の上のフィギュアとかも鮮明! 細かいところまでしっかり見える。立体制作とかでも役立ちそう。

実は、ワンフェスなどへ行っても、フィギュアがちゃんと見えないのでぜんぜん楽しくなかったのでしたw 夕方近くになるともう薄暗くて何も見えず、ほとんど興味なくしてた。もちろんメガネをはずして20cm以内で見ればちゃんと見えるけど、会場でそんなことできないもんね。

手元とディスプレイくらいの距離はめちゃくちゃ快適。13インチMacBook Airも見やすくなったけど、見えすぎて画面が粗く感じる。Retina画面の機種に買い換えたい! ただやはり、中距離以上はボケボケ。リビングの椅子でテレビを見れる感じじゃない。机を離れる時は普通のメガネで。

昼食べる時などに机の上にiPad置いて本読んだりするとき、近近メガネ、めちゃくちゃ快適〜! 遠くだと見にくいし、近くだと皿とかと位置がかぶって食べにくいのでしたw

中近メガネってアラブっぽいし、近近メガネは愛川欽也っぽい。あ、すいませんw

●ブルーライト軽減って色変わるんじゃ?

関連で、ずっと疑問に思ってた件がメガネ屋で聞けた。レンズを選ぶときに「ブルーライト軽減」を選べるんだけど、「色が変わって見えませんか?」と聞いてみたら、「色を扱う仕事ですか、じゃあダメですね」って。やっぱブルーライト対策のPCメガネは色が変わるんだ〜。色の確認の時だけはずすってのはアリだと思いますけどね。

●ハズキルーペ

あと、カウンターにあったハズキルーペ(石坂浩二が宣伝してるやつ)を試してみた。単に老眼鏡の一種かと思ってたけど、あくまでルーペなのね。メガネの上から使える。手元がすごく見やすくなる。近近メガネでなくてこれでいいかもと思ったけど、手元しか見えないのでダメ。

ルーペだけあって、ほんのちょっと大きく見える。本や雑誌やiPad見るときに良さそう。鉛筆でスケッチ描いたり、立体造形とかやってるときに、ちょっと見やすくするためにハズキルーペを使うのはアリだなと思った。

●新聞の文字サイズ

日本新聞協会調査:「新聞を読んでいる人」は83.6% - 毎日新聞
< http://bit.ly/1gyzqCL >

まさか、新聞紙上でアンケートしたんじゃないだろうな? は、おいといて、最近の新聞は文字が大きいね〜。で、思い出したのが、昔の新聞は文字めちゃくちゃ小さかったけど、1980年くらいに文字が一段階大きくなり、その後も何度か大きくなった。その結果が、今の新聞の文字サイズ。実家の押し入れの下に敷いてある新聞紙とか見ると、文字の小ささにびっくりする。小さい文字がビッシリ。

文字が大きくなったときに思ったのは、その分情報量は減ってるんだろ? じゃあ値下げしないといかんだろ? と。今じゃ昔の新聞の情報量の半分くらいになってるんじゃ? と思ったけど、ページ数が増えてるか。昔の新聞は8ページしかなかったらしい。文字を大きくしたのは要するに、新聞を読む層の中心年齢がどんどん上がったってことなんだろうけど。

新聞の文字サイズの記事。「新聞に巨大文字を求めているのは本当に読者か?」

< http://amesei.exblog.jp/7551802/ >

●雑誌の対象年齢

iPadのビューン(定額雑誌読み放題アプリ)の週刊誌とか見てると、もう僕が読むような内容じゃなくなってきてる。年寄りが読む内容。以前からのカンフル剤的な大学受験関連記事はもとより、長寿の話、病院の話、孫関連の話、子供に財産をどう残すかの話とかが話題の中心だもん。

以前買ってた週刊文春や週刊新潮はビューンで読めないけど、内容は週刊朝日やサンデー毎日と似たようなもの。やはり、対象年齢層が60代以上な感じ。僕は27歳で上京した90年くらいから20年くらいそういう週刊誌を買ってた。「大人の話題についていきたい」「大人はこういうのを読むもんだ」と思ったから。

その「大人」ってのは、自分より10〜30歳くらい上の人たちのことで、当時40〜60歳の働き盛りを対象にした雑誌という印象。その世代が平行移動し、現在は60〜80歳代が対象になってるっていう、そのまんまかw

最近も新しい中年女性向け雑誌の創刊が話題になってたけど、雑誌って年齢層によって「卒業」するもんじゃなく、そのまま平行移動すりゃいいじゃんね。「non・no」とか50〜60歳代向けになってたりみたいな。最近のPOPEYEはそれっぽいかも。

●NEXCO東日本「高速道路キッズ ハイウェイ島の大冒険」

が、公開されました〜! 日本最大どころか、たぶん世界最大のキッズサイトとのこと。キャラクターとキャラアニメ部分を担当しました。昨年後半はずっと膨大なアクション数を動かす作業をやってました。

MODOにキャラクターアニメーション機能が搭載されてから、本格的に仕事で使う機会がなかなかなかったのですが、これはその待望の仕事。堪能しました。いやまあ大変だったけど。

こういう「キャラクターデザイン&シンプルなキャラアニメ制作」がセットになった仕事は、僕的に理想形。もっとやりたい! 手に負えないような大がかりなアニメーションは無理だけど。

以下、サイトの説明です。

「『高速道路キッズ ハイウェイ島の大冒険』は、高速道路が持つ役割や維持・管理をしていく方法、環境対策などについて、ゲームや動画を通じて楽しみながら学ぶことができます。また、子どもたちの『わかりやすい』『おもしろい』『やってみたい』を満たすことのできる様々なコンテンツを用意しており、小学校の授業や家庭学習などの場でもご活用いただける工夫を行っています。」

ハイウェイ島の大冒険 < http://kids.e-nexco.co.jp >
プレスリリース < http://bit.ly/1geQbCY >

【吉井 宏/イラストレーター】
HP < http://www.yoshii.com >
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/ >

いまだに「笑っていいとも!」って、「笑ってる場合ですよ」の次に始まった新番組、って感覚が抜けない。って後記に書こうと思って、念のため検索したら、おととし9月に一字一句違わずそう書いてた。あぶねー。って結局載せちゃったけど。

・rinkakさんのフルカラー3Dプリント作品販売
< https://www.rinkak.com/shop/hiroshiyoshii >
・INTER-CULTUREさんの3Dプリント作品販売
< http://inter-culture.jp/Buy/products/list.php?category_id=63 >


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編集後記(04/02)

●「時をかける少女」を三つ見た。たまたま図書館にあった1983年制作「時をかける少女」を見た後で、レンタルショップで発見した2010年制作「時をかける少女」を見た。仕上げに筒井康隆の原作「時をかける少女」をあらためて読んだ。このジュブナイルSF小説は、映画、ドラマ、コミック、アニメなど何度も作品化されている。映画ではいまひとついい加減な説明に思えた、テレポーテーションとタイム・リープと呼ばれる能力については、何10年ぶりかで読み返した小説では矛盾なく説明されていた。しかし、それほど絵になる小説とは思えない。

1983年制作の最初の「時をかける少女」は、原田知世の初主演にして代表作でもある。監督は大林宣彦。ほぼ原作に沿っていたが、なんだか全体にとろい展開で退屈だった。ストーリーに関係ないシーンや、思わせぶりで意味不明なシーンもかなり多かった。主人公・和子が下駄履きで尾道のひなびた風景の中を歩くって、いつの時代の女子中学生なんだ。原田知世が全編でキラキラというわけではなく、寝起きの顔は不細工といえるほどで、もっとかわいく撮ってやれよと思う。弓道のシーンは絵になるけれど、原作にはない。なんと2010年版でもこのシーンがあった。崖の上での植物採集なんてのも映画オリジナル、その後の特殊能力場面は今思うとあきれかえるチャチさだったが、30年前はこれでいいのか。

2010年制作「時をかける少女」は仲里依紗の主演。この女優まったく知らなかった。とびきりかわいいわけでもなく、演技がうまいわけでもないが、元気でくるくる変わる表情がいい。原作や原田知世版と共通なのはラベンダーとタイムリープぐらいで、あとは全然別物だ。大学入学目前のあかりは、病床の母・和子から、「1972年4月6日に戻って、中学校の実験室で深町一夫と名乗る人に会う」という約束を、自分の代わりに果たすように頼まれるが、間違って1974年2月16日の大学実験室に着いてしまう。たまたま知り合った大学生・溝呂木と一緒に、若い頃の母と会ったり、8ミリ映画の撮影に協力したり、どたばたじみた行動がそこそこ面白い。だが、見知らぬ役者たち(安田成美しか知らない)がいまいちで、溝呂木のセリフなんかボリューム最大でようやく聞き取れるほどだ。「時をかける少女」の続編みたいな感じ。

というわけで、三つともいちおう楽しめたが、面白さは小説>仲版>原田版かな。映画二本は原田、仲の順で見たのが正解だった。大林宣彦の映画は独自の叙情的な映像表現などともてはやされてきたが、あざとさが感じられて、わたしはあまり好きではない。CMで売れ始めた頃に取材し雑誌で特集を組んだこともあったが、けっきょく正体がつかめなかった。

この人が「特定秘密保護法が成立した6日、僕は怖くて一日中震えていました。いまの空気は戦争が始まる時に近いのです」と朝日新聞に書いていた。一日中震えていた? 無知過ぎる、笑えるコメント。「敗戦で学んだ経験と知恵を失い、半世紀以上守ってきた奇跡的な平和を手放すことは決してなりません」っていうが、現実を見ず、なーんにも考えず、平和念仏唱えてさえいれば外敵は来襲しないってか。思考停止した愚かな人であった。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B008GX5PM6/dgcrcom-22/ >
「時をかける少女」1983
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003V31P48/dgcrcom-22/ >
「時をかける少女」2010


●自分は具象だなと思い、読み進めて抽象だなと思い直し、また具象だと思い。どっちなんだろう。フラットデザインは好きだけど、優しくないし、ごまかしきかないから困るよね、とか、機能を重視して欲しいと思ったり。

Web制作を受注してすぐ、公共系サイトの仕事をしたんだけど、ボタンがボタンに見えないとクレームが出たのを覚えてる。ラベルはたとえば「○○情報」だとしても、凸がないからボタンに見えないと。どこを押したらいいかわからないと。

えー、このぐらいわかるよね、と思ったけれどベベルをつけたら、ほらボタンってわかりやすくなったでしょ、と力説された。普段からWebサイトに接してばかりの私にはわからないけれど、このサイトにアクセスする人はそういう人たちなんだなと学んだ。

コーディング仕事もしていて、えー公共機関なのにこれでいいの? かっこ良くて好きだけど、とか、これ入れなくていいの? とか思うことは多々ある。

しばらく読んでいなかった雑誌。久しぶりに見たら「子育てと仕事の両立」的なコンセプトになってて、目が飛び出た。以前は優しめキャリアウーマンだったのに。同じ雑誌でターゲット年齢は変わっていない。他のその世代の雑誌は軒並み「子育て」「婚活」的なものに。こうやって上の世代と下の世代とで価値観の違いが出てくるんだろうなぁ。罪だよなぁ。(hammer.mule)