ショート・ストーリーのKUNI[152]春風
── ヤマシタクニコ ──

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ああ、春だ。さすがに鈍感なおれにも感じられた。外が明るい。空気が軽い。それでベランダ側のドアを開け放ったら思いのほか風が強かった。ひゅー、ばたん! と音を立ててドアが勝手に閉まった。あーあ。おれは座りかけた椅子から立ち上がり、ドアのほうに行くと、男が立っていた。


「だだだだれだ!」

口にした途端にばかなことを言ったと思った。なぜならそいつはおれそっくり、顔から体格、着てるものから寝癖だらけの髪まで、まさにどこから見てもおれそのものだったから。

「なんだよこれ、どういうことだ!」

もうひとりのおれはだるそうに椅子に腰掛けた。ああ、そのだれた感じ、やる気のなさ、びしっとしない感じ、人生めんどくさそうな様子、どれも同じようなものだが、それがもう、まったくおれなのだ。

「なんで来たんだよ、ここに」

「ドアを開けるからだろ。いまの季節、いろんなものが飛び込んでくるから陽気に誘われて安易にドアを開け放つもんじゃないんだよ」

「おまえは花粉か黄砂かPM2.5か!」

「るせえなあ。何かないの。食いもの」

「い、いまからパンを食べようと思ってたところだけど」

「じゃあそれでいいよ」

いいよと勝手に言われても、とおれは思いながら閉まったドアをもう一度開けた。閉め切るとなんだか暑苦しいのだ。それからメロンパンを半分、そいつに分けてやるために手でちぎっているとまた風が吹いてひゅー、バタン! とドアが閉まった。んーもー、と思いながらそちらに目を向けるとなんと、またおれがいた。

「いやいや、それはない!」

目をつぶってもう一度ゆっくり開けてみたが、やっぱりそいつはいた。やっぱりおれそっくりで、一人目のやつと同じようにだらっと椅子に座る。何これ。狭い部屋におれが3人。だらんとした冴えない男が3人。ええええっとおれは叫んだ。

「何のつもりなんだ…」

メロンパンを持ったままおれが言うと一人目のおれがめんどくさそうに言った。

「おれはさあ。未来からきたおまえなんだ」

「はあ?」おれが言うと

「で」ニ人目のおれが「おれは過去からきたおまえ」

なんだそれは。未来からきたとか過去からきたとか、子供でもはずかしくなるような昭和なSF風設定をよくも言ってくれるもんだ。

「でも、未来とか過去といっても見た目全然同じじゃないか。おれと」

「そこなんだよ」

「なあ」ふたりのおれが顔を見合わせて言う。

「この作者、つまりこれを書いてる書き手って、思い切った大胆な設定ができないんだ」

「そうそう。だから未来といっても1分先の未来」

「過去といっても1分前の過去」

ふたり声をそろえて「なっ」

「い、いっぷんまえの過去と、いっぷんまえの未来?! 細かすぎるってか、みみっちすぎ! 想像力ちっさすぎ!」

「だから」

「そういうやつなんだよ、われわれのことを書いてるこの作者は。今までもそんなものだったろ? はっと驚くような大胆かつ奇妙きてれつな仕掛け、胸躍る冒険とは無縁」

「結局なにも起こらないようなちまちました日常しか書けないんだよ」

「なぜならそれが楽だから」

「そうそう! 要はおれたちと同じ、だらだらしたやつなんだよ」

「作中人物は作者自身の反映」

「なっ」

なるほど。そういわれれば確かにそうだ。思い当たるふしありまくり。だが、そうはっきり言われるとにわかに、書き手であるヤマなんとかいうおばはんがかわいそうに思えてきて、あえて言うことないじゃん大人なんだしと思ったり。

だけど、そういうおれの心理もそのおばはんが設定してるわけだからどうなんだって話だが、いやいや、それより何よりこのシチュエーションをどうにかしてほしいものだとか、メロンパンをあらためて三等分しながらおれはあれこれ思った。

「とりあえず、おれたち3人で何すればいいんだろ。ていうか、わずか1分でも過去とか未来から来たおれたちが同じ室内にいるのは…どういうことを示しているわけ」

「おれに聞くなよ」

「単なる作者の思いつきだし」

「深く考えるほどのことじゃないと思うな」

「たぶんあれだよ、たとえばハワイマウイ島出身、みたいに1分前の世界出身のおれ、とかいうだけのこと」

「そ、そうなのか?」

「うん、たぶんそう」

おれはたまりかねて言った。

「た、たとえば未来の自分がきわどいところで過去に戻って、窮地に陥った自分をかっこよく救うなんてことは起こらないわけ、か?」

「あるかそんなもん」

「何甘いこと言ってんだよ」

「戻ろうかどうか迷ってるうちに1分たつさ」

「つまり、ほんとにまったく意味ないわけか…」

おれはがっかりしてメロンパンをほおばった。非ドラマティックにもほどがあるこの状況、いやドラマティックを極力拒否するかのようなこの状況の中で。そしてあっという間にメロンパンを食べ終わると言った。

「とりあえずだけど麻雀でもしようか」

「そうだな」

「おれもそう思った」

さすがみんなおれだから意見がすぐ一致する。

「でも4人のほうがいいよな」

「まあね」

「2分後の世界からもう一人やってきたりして」

「ないない、それ」

そのとき外でまた強い風がひゅ〜〜〜っと吹いて、ああそうだ、さっきまたドアを開けたんだっけと思っていると、それがばたん! と閉まる音がした。見るといつの間にか一人の中年女性がドアの前に立っている。どことなく謎めいて、どことなく影があって、どことなく暗い過去を背負っていそうだ。

「あのう、失礼ですがどちらさまで」

「蒲田美知子と言いますが、名前を言ってもご存知ないと思います。私、売れっ子作家・宮部かなえの作中人物なのですが、なぜか強い風が吹いて、気がついたらここにいたのですわ」

「え、そうなんですか」

女は迷いもせず麻雀テーブルのほうに歩いていく。

「ちょうど私の席があいていたようですね」

女はそう言って、パイを並べ始めた。おれたちもなんとなくそれに従う。

「あれはひと月ほど前のことでした。夜のうちにゴミ出しをしておこうと思って夜の10時頃に外に出ると、悲鳴が聞こえたのです。あ、と叫んでいったん止み、それからまた、あーっと長く聞こえました。まさかそれが事件の発端だとは思いませんでした。

聞こえてきたのは角の小西さんのお宅のほうでした。でも私は自分でもなぜかわかりませんが、その悲鳴は村田さんのお宅に関係あると思ったのです。実は私は結婚前は銀行に勤めていました。それというのも実家の両親が、銀行に勤めている人は信用できると固く信じていて私にもすすめたからでした。それで私は高校を出るとすぐ某銀行に勤め始めました。

ああ、私のことより村田さんのことでしたね。村田さんはこのあたりでは少々変わり者で通っていました。別に頭からこいのぼりをまとっていたとか青い口紅を塗っているとかそんなことではなく、どう言えばいいのでしょう、身のこなし、ものの言い方、歩き方などすべてにおいてどことなく周囲の人間の神経を逆撫でするものがありました。

その村田さんと私が初めて口をきいたのが、事件の2週間ほど前の金曜日のことです。村田さんの買い物袋からたこの足がはみ出ていたのでよく覚えています。私は」

おれたちはパイを並べながら突然独白を始めた女をあぜんとして見守っていた。なんなのだこれは。この女は何をしゃべっている。そしてこの違和感。おれたち3人との途方もない距離感。おれたちにはない何やらオーラめいたもの。

ああああっ、そうだ。おれたちは同時に気づいた。

「そうなんだよ」

「おれたちって、どういう経歴で何をしている人間なのか全然わかんないんだ
よな」

「名前もない!」

「ただだらっとしてるだけという」

「ひでえ」

「人数だけは3人もいるのに」

「作者、めんどくさがりにもほどがあるだろ!」

春の風に吹かれてどこかに飛んでいきたいと、切に願うおれたちであった。

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同じものを食べ続けて、ある日突然いやになるということを繰り返している私だが、少し前に突然「だしの素」がいやになり、天然系のだしパックに転向した。昆布も使ったりして、今んとこはこれをけっこう楽しんでいるが、そのうち突然またいやになるんだろうか? とりあえず最近、私としてはまじめに料理しているのが感心である。