ところのほんとのところ[110]教授になって初めて大阪芸術大学のキャンパスに行った/所 幸則 Tokoro Yukinori

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さて、[ところ]は久しぶりに天王寺から近鉄に乗って喜志駅でおりて、大学のバスで母校の大阪芸術大学へ行って来た。


学生時代はバスで大学に行くことはほとんどなく、喜志駅の隣にあったペニーレインという喫茶店で川村や南浦たちと待ち合わせ、愛車の117クーペに彼らを乗せて大学の近くに適当に車をとめていたなあ。

しかし、なんだろうなあ、卒業後何度か「作家論」の講師として大学には来ていたのだけれど、教授になってから初めて来てみると、学生時代の感覚に近くなって、すごく懐かしい気持ちがした。そんな不思議な感覚をおぼえた[ところ]です。

よく考えてみると、以前の講師のときはお客さん状態だったから、ちょっと懐かしいレベルだったのかな。これからは、この場所の学生のためになる何かをしなければならないという思いがあるから、身内意識というと言い方が変だけれど、そんな感じなんだろうか。

[ところ]の学生時代は、大学とはバスを降りてから急な坂を歩いて上がって行くものだったのが、今では大きなバスで上まで行けるようになったことが大きな変化だった。かつては、教授ぐらいじゃないと車で上まではいけなかったんだよなあ。

[ところ]が今でも鮮明に憶えているのが、ゼミの教授に車を動かしてくれと言われて、坂の上の車をくるっと回した時、後ろの車のバンパーにちょっと接触して真っ青になったことである。まあ、バンパー同士だし傷も見えなかったから内緒にしておいたけど(笑)

普段マニュアルの車に乗っていて、オートマを運転したことがなかったので、RとDを間違えちゃったということなのだが、高岡先生は当時大学内で一番尊敬していた人なので、その人の車を運転するのはなんか嬉しかったなあ。

今考えると、どうでもいい、たいしたことじゃないんだけどね。高岡先生にもまったく気づかれなかった自信はあるし。だけどまあ、[ところ]も教える立場になったのだから、高岡先生のような学生に思われる人でいたいなあと思ってます。

さて、玄関から最初の建物に入ってすぐに右に画材屋とかあって、左が当時まずいと評判の第一学食、カメラ機材の店も昔はあったのだけれど今はないんだなあって、少し悲しい気持ち(今もあるという噂も帰ってから聞いた)。

そこを抜けて行くと、すぐに見えるのが左側に写真学科の入っている建物。そこの一階にあるのが、大学時代に学内でいた時間が一番長い場所である。写真学科のゼミ室の下にある、喫茶店のエース。

まあ同期の数少ない友人と、写真についてよく語りあっていた場所です。川村悦生とか、南浦護、どかちん、などが主なメンバーだったかな。あのころは全員がヘビースモーカーで、すぐ灰皿がいっぱいになった。

写真学科専用の校舎は、上に上がったかと思うと少し降りて、今何階にいるんだっけ? という迷宮のような建物で、面白くて気に入っていた。というか、大学のキャンパス自体が、遊び心に溢れていて好きだった。

じっさい撮影にもよく使った。当時の[ところ]はモデル撮影、それも尖ったファッション写真を撮る練習をしていたので、同時代の写真学科の学生の間ではちょっと目立つ存在だったみたい。後に同級生の話を聞いてるとね。

今回は、まず副手(僕らの時代は助手と呼ばれていた)と呼ばれる人達がいる研究室に入って、織作峰子学科長に彼らを軽く紹介してもらった。

織作さんのところに相談に来ていた学生がいたので、しばらく副手と一緒に話したり、ゼミ室を見せてもらったりして、設備の変化も楽しんだ。[ところ]の頃は個人ロッカーとかなかったなあとか、機材室にいくとやっぱり今時はデジカメが並んでるんだなあとか。

そのあと織作ゼミの学生達が、今年の方向性とか一人一人面談していたので、そこにいた8人ほどの学生に将来の希望を聞いてみたり、出版社や社カメの話とか、フリーになるにはどうしたらいいかなど、[ところ]の知ってることを話した。

[ところ]の話した子達は素直で真面目な印象。はたして[ところ]は教授達からどんな風に見えていたんだろう。聞いて見たくなった[ところ]です。

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/ >