まにまにころころ[57]織田信長はかっこよく!
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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こんにちわん、コロこと川合です。「軍師官兵衛」、官兵衛が有岡城から救出されました! 一年の幽閉でボロッボロの官兵衛でしたが、血色はいい感じ(笑)この放送回と次回が黒田官兵衛のハイライト。次回もお見逃しなく。


そんな「軍師官兵衛」ですが、これまで何度か書いたように、江口洋介演じる織田信長が、どうもイマイチかっこよくない。いや、まあ、もちろん、実際の信長がかっこよかったかどうかなんて知りませんけれども、やはりこう、ほら、あるじゃないですか、あちこちで語られてきた「織田信長」像みたいなものが。それがどうも、今回の信長は、思い描く信長像に対してパッとしない。

毎回見ていて悲しいので、今回は信長特集。信長がどんな人物だったのか、意外なものを中心にあれこれ書いてみます。

◎──織田信長は華奢だったらしい。

織田信長はどんな人物だったのか。よく参照される史料は、宣教師として来日したルイス・フロイスが著した『日本史』と、家臣であった太田牛一が著した『信長公記』の二つ。前者は、フロイスが日本での布教活動の日々をまとめた歴史書、後者は織田信長の幼少から本能寺の変までをまとめた一代記。

その『日本史』でフロイスは信長について、こう評しています。

"彼は中くらいの背たけで、華奢な体躯であり、髭(ひげ)は少なくはなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。幾つかのことでは人情味と慈愛を示した"
(中公文庫『完訳フロイス日本史』より)

また、フロイスによると、信長は好んで酒は飲まなかったそうです。一方で、フロイスがお土産に持ってきた金平糖を喜んで、フロイスには干し柿をくれたとのことなので、下戸で甘党だったみたいです。

そんな信長の一生が記されたのが『信長公記』です。信長公記は古写本を全文PDF化して公開されている方がいらっしゃいますので、ご興味あれば是非。
< http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/kouki.html
>

最近、新刊の現代語訳本を書店で見かけたような気もします。

◎──織田信長は男の娘だった?

信長公記によると、信長は女装経験があります。(笑)

"上総介殿は天人の御仕立に御成り侯て、小鼓を遊ぱし、女おどりをたされ侯"
(『信長公記』首巻より)

領民をねぎらうために、天女のコスプレで踊ったそうで。領民も喜んでお礼に踊り、褒められて信長にお茶を振る舞われたそうです。

◎──織田信長は意外と裏切り者に甘い。

織田信長の弟、織田勘十郎信勝(織田信行)は、信長の支持者だった斉藤道三が亡くなったタイミングで、信長に対して兵を挙げるも失敗。でも母親の取りなしもあって、許してもらってる(翌年またやらかして、さすがに消された)。

足利義昭は、傀儡にされるのを嫌がって反信長勢力と結託。信長を攻め立てるものの、信玄の死もあって失速し失敗。でも、追放されただけで命は拾う。

松永久秀は、足利義昭にそそのかされたのか謀反。しかし包囲され降伏。また数年後にもう一度謀反。それでも信長は茶器の平蜘蛛茶釜を差し出せば許すと久秀を許そうとする(久秀は嫌だと言って自害)。

荒木村重は「軍師官兵衛」であったように、有岡城で謀反。でも信長はまず、明智光秀たちを送って説得しようとする。村重はいったん思い直して信長に謝りに行こうとする(側近が「許されるはずないやん」と言い、結局謀反)。

最期は明智光秀の謀反で命を落とす信長ですが、裏切り者に意外と寛大な信長。こうしてみるとよく裏切られている信長ですけれども、信長自身は、約束事はきちんと守って裏切らない人だったようです。

◎──織田信長は家臣に嫁を大事にさせる

安土でのこと。家臣が嫁を郷里に残して単身赴任していると聞き信長は激おこ。知ったきっかけは、家臣の家が火事になったことで、その家臣が単身赴任で。「家を守る嫁を残して出てくるから、火の不始末おこすんじゃー!」とお怒り。まあ、嫁のことを思ってかどうかは微妙なところなんですけどね。というのも、単身赴任者がけっこう多いと知った信長がどうしたかというと、その者たちの郷里の家を焼き払ったそうで……みんな大慌てで家族を呼び寄せたとか。(笑)

やり方は滅茶苦茶に思えますが、それでも、嫁を大事にしろっていう思いからかなと思わせるのは、秀吉の嫁に宛てた手紙から。

秀吉の正室おね(ねね)は、手土産持って安土の信長のところに行った時に、どうも信長に旦那のことを愚痴ったみたいで。その後、信長がおねに、土産のお礼状を出しているんですね。それが、

「先日はたくさんの土産をありがとう。(中略)それにしても、しばらく会わないうちに一段と綺麗になって。そんなあなたに秀吉が不満を言ってるなんて、言語道断だな。あなたほどの嫁、あのハゲネズミには、二度と見つけられないでしょう。ま、正妻らしくどんと構えて、嫉妬なんてしてちゃだめだよ。秀吉の女遊びを非難するのはもっともだけど、ほどほどにしてやって。あと、この手紙、秀吉に読ませて」と。

女性宛の手紙ということで、ひらがな中心の柔らかい文章で。お土産のお礼と、秀吉の浮気を愚痴ってたおねへの気遣いと、正室の心構えを伝えつつ、最後に秀吉への戒め……完璧ですね。(笑)

これを見せられた秀吉の心中を想像すると、苦笑いするしか……

◎──天下布武

信長の印章「天下布武」は、一般的には、武力で天下を取るというような意味だとされていますが、これには諸説あるようでして。「武」という字は、戈を止める、と書くことから、天下に平和を、の意味だという説も。また、「武」は、中国の書『春秋左氏伝』にある、

"夫れ武は、暴を禁じ、兵をおさめ、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和らげ、財を豊かにする者なり。此れ武の七徳"

から引いたもので、乱暴を禁じ、戦争を止め、大きくあり、成功を得、人民を安らかにし、大衆を仲良くさせ、財を豊かにするものが「武」だ、と。

つまり、徳によって天下を治めることを目指すのが「天下布武」だという説。ほかに、「布武」というのは布の幅ほどの歩幅で歩くことで、天下を歩く、という意味だという説。

最後の説は、礼儀作法を記した中国の古典『礼記』に

"堂上接武、堂下布武"
(堂では右足と左足が接する程度の小幅、その他では布ほどの普通の幅で歩く)

とあり、それをもじったものだとのこと。「天下布武」の言葉は、禅僧の沢彦が信長に贈ったとの話があるので、『春秋左氏伝』説か、『礼記』説か、そのどちらかがそれっぽいなーって感じですね。でも、諸説ありますけれど、これについては、ダブルミーニング、トリプルミーニングってのもアリだと思うんですよね。スローガンってそんなの多いでしょ。

◎──信長はかっこよくあってほしい

一般的な信長像である、苛烈な第六天魔王のイメージとは違った部分を中心にあれこれ書いてみましたが、それでもやっぱり、信長にはかっこいいイメージであって欲しいんですよ。それが「軍師官兵衛」の江口信長は、なんていうか、覇者のオーラがない。(笑)

今月か来月には本能寺の変を迎えると思いますが、なんとかもう少し頑張って欲しいと思いつつ、今回はこの辺で。

【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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≪日 時≫ 
平成26年6月3日(火)
16:30〜18:00 セミナー(無料)
18:00〜19:00 交流会 (参加は500円)
≪場 所≫ KCC/京都クロスメディア・クリエイティブセンター
京都市中京区室町通御池上ル御池之町323 ミサワ京都ビル4F