ローマでMANGA[76]MANGA制作システムも変わるのか
── midori ──

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90年代に講談社のモーニングが、海外の作家に書き下ろしてもらった作品をのせるという前代未聞の企画を遂行していたとき、にローマで「海外支局ローマ支部」を請け負って、そのときのことを当時のファックスをスキャンしつつ、それをもとに書いているシリーズです。

前回75回目は東京行きでこのシリーズを中断しましたが、また再開です。




●ボローニャでミーティング

74回目では、日本から編集者がボローニャへ行ってミーティングの話をした。私も通訳として呼ばれて行った。

ボローニャは南北に細長いイタリアの中で比較的北の方にある。中世の建物が多く残っていて、メディチ家の莫大な財産によってルネッサンス期に上書きされたフィレンツェの華やかさがみじんもない。色大理石を使わない石の暗色がどっしりと重い。

街の様子は重い石の色と雨が多い気候のせいで暗い、厳格な印象を受ける。その印象に反し、北のくせに住む人々はおしゃべりが好きで屈託がない。

世界で最古の大学がある街としても有名だ。昔からイタリア中から若い人が集まってきた町のせいか、重い暗い町並みの割には若い人が多く文化のニオイのする街だ。

学生が多く、若い人が集まって新しい文化の発生地になっていて、南のサルデーニャ島出身のイゴルトも、オーストリア国境近くの街出身のヨーリもボローニャに居を構えて仕事をしている。

今回、スキャンしたファックスの中に、1994年の11月にボローニャで行われたミーティングの時のメモがA4で3枚あった。正確に会談のすべてを書いたものではなく、ページ数などの数字とか発言の一部を大急ぎでメモったもの。

前前回の後半で、通訳をしてると頭が真っ白になることがある、と書いたけれど、その予防メモでもあり、イタリア語と日本語が混在して書き殴ってある。

3枚のメモのうち2枚がヨーリが進めている「不思議な世界旅行」に関してだった。おおよその構成は、ファックスでのやりとりを通して合意していた。つまり、一話8ページでオールカラー。上下で16ページになる話もある。11話で単行本を一冊。主人公のヨーリが旅をして様々な人やモノに出会って、次第にヒーローになっていく。

第一部では、ヨーリを誘う黒づくめの男、赤いゴムボート、赤いサメ、空飛ぶエイ、ジャクソン中尉、鷲の将軍、ヨーリの植物息子、死神に出会う。8体(?)の出会うもののうち人間は2体、残りは人間ではないものになっている。

ミーティングでは主に第二部の話とそれに関連して「不思議な...」全体の構成を話した...つもりだった。編集者としては。

まず、11話毎に一冊を作るが11話目はクライマックスを作り、とりあえずの結末になる。

第一部のクライマックスには「2つの空への扉」という名前の黒人女性が出てくる。「2つの空」は、彼女と性交できれば生き延びることができ、出来なければ死が待っている、生と死の扉となるからだ。

このキャラクターは美しい肉体を持ってヌードであり、顔を布で覆っているというかなりインパクトのある形状をしていて、担当編集者を喜ばせた。

メモを見ていくと、このキャラを中心にどのようにヨーリと関わっていくか話し合いが進んでいったのがわかる。

性交に成功すると生き延びる、という設定からやたらに近づけないことがわかる。主人公はトリックを使ってコトにおよび、性交の度に力を得て第一部が終わる。

二冊目で呪術師と会って、ヨーリがスーパーヒーローになる。担当編集としては、当初の設定「ヨーリが世界旅行をしてヒーローになる」の整合性を図ったわけだ。

話し合いは進む。性交の度に得る「力」というのは動物に対する何か、女性に対する何か(生と死の女王と性交できる)、死に対する何か。

呪術師に会って、さらなる「力」を得ていくのはどうだろう(スーパーヒーローになる)。例えば武器を得る(魂を殺す、とか)、時間を動かす、など。

話しながら、生と死の顔を隠した女王と呪術師が同一人物のほうがいいか、とか、やはり元のままでいいか、とか、メモもいろいろ迷った跡を残している。

2枚目のメモにはその後のアイデアが大急ぎで色々書いてあって、話が乗ってきた編集者とヨーリが、口々に楽しそうにアイデアを重ねていく姿を彷彿とさせる。

顔を隠した生と死の女王というキャラの存在が、どんどん大きくなっていった。生と死の女王なのだから、話題を魂、死、そして母性と父性へと進めていこうとメモにある。

編集者は第二部のほうがおもしろそうだ、いっそのこと二冊目から始めちゃったら? とメモの最後に走り書きがあって楕円で囲んである。

3枚目のメモは、鮮やかな色とシンプルな造形のミヌスについてだった。これについても、編集者の渡伊前にファックスで言い交わしたものの再合意だった。

ミヌス父、ミーア母、ミーオ息子の家族を中心にした話にする。その中でブラックも入れていい。「ファミリードラマ」という枠の中で可愛い表情をいれることで、たとえブラックでも救いがある。

当時のモーニング編集部ではキャラの顔の表情をとても重要に考えていた。編集長のMANGAも対する考え方でもあるのだが、「目は口ほどにモノを言う」ということで、一つエピソードがある。

「沈黙の艦隊」で一世を風靡したかわぐちかいじさん、当初はもっとリアルに人物の目を小さく描いていたそうだ。それを編集長がもう少し目を大きくして表情を一瞥しただけでわかるようにしてくれと注文をつけ、かわぐちさんはそれに従った。そのせいか、物語が良かったのかは分からないが、作品は大ヒットした。

ここで白黒で4ページの可能性を聞いている。モノクロ4ページだと掲載も簡単になる。ミーティングの段階では答えが出ていない。このミーティングを元に、作家であるヨーリがネームを作ることになる。

●ミーティングのその後

このあと、年が変わって1995年2月のファックスになる。

ヨーリからネームを受け取った編集者からの返答だ。これを読むと、日本の編集者とイタリア人作家の取り組み方が違うと痛感する。日本とイタリアの違いとくくってしまっていいのか、この編集者とこの作家の違いにすぎないのか。

返答では、ミーティングの後に提出された「ミヌス」のネームも「不思議な...」のネームもダメと言っている。

「ミヌス」には余計なディテールがついて、この作品が持つ本質的な力が失われてしまった。悪趣味で通俗的になってしまった。まず、ホームドラマで構想されるべきと話し合ったはずではないかと言っている。

「不思議な...」についても、重要なキャラ女王がヨーリよりはるかに大きいはずだったのに、普通の人間の大きさになってしまっている。アフリカの荒野を歩くヨーリの傍らに背が高く、武装した、裸で顔を隠した彼女がいるはずだったのに。

つまり、ボローニャのミーティングで編集者が図った物語全体のトーンやら構成やらという基本部分の合意を、ヨーリはまったく意に介さなかったということなのだ。

マネージャ頭を持つイゴルトへの、この頃の編集者の通信には「MANGAを研究した成果が現れている」とあるから、ヨーリ頭の問題なのだろう。割と思いつきで行動するタイプなのだ。

翌月になってしまってるヨーリからの返事では「物語のほうに力を注いで女王が大きいことを忘れていた(編集が大事だと思った要素を脇においてしまった)。ミヌスについては仰せのとおりに家族の話にします。降参です」とある。ボローニャまで編集が出向いてのミーティングが何もなってない。

編集と二人三脚でやっていくやりかたを、この期に及んでまだ理解していないというわけだ。一話ごとの構成に夢中になって、物語全般の構成に無頓着なヨーリだった。

●編集の役目

今、MANGA雑誌の売上が落ちていってるそうで、漫画雑誌の将来に悲観的な意見が多い。作家にあれこれモノ言う編集者の存在も、疑問視する作家もいるようだ。

商業誌に掲載する以上、商品としての価値を求められるわけで、価値がつくように務めるのが編集者の役目だと思う。

私がモーニングのローマ支局をしていた頃は、モーニングは毎週百万部を売り上げて価値がたくさんついていた。

その中で編集の仕事を垣間見て、しかも、何人も新人作家からヒット作を出す作家に押し上げた、天才と評したい編集者と近くで仕事をして、編集者の仕事の重要性を見てきた。

経験と編集者個人の素質から出てくる商品価値を上げるためのサジェスチョン、その枠の中で自分を出してくる作家。その両者がみごとに合致すると至極の作品が生まれる。ただの時間つぶしの漫画が後々まで読み継がれる「作品」になるのだ。

時代が変わり、テクノロジーが変わり、表現が変わり、大衆が求めるものが変わってMANGAも変わらざるをえない。

作家個人が好き勝手に描いていくものもあってもいいと思うし、第三者の意見を取り入れ磨かれたMANGAがあってもいい。

MANGA雑誌がなくなっていく運命にあるのなら、中野晴行氏の電子書籍「まんが王国の興亡 なぜ大手まんが雑誌は休刊し続けるのか」の中にあった「フリーランス編集者」という存在があっていいかもしれない。

【みどり】midorigo@mac.com

安倍内閣の移民問題、というか「出入国管理および難民認定法の法改正」について、巷で「移民が押し寄せてくる〜!」と心配の向きもあるようですが、どうもそうではないようです。

まず、法務省にちゃんと全文が出ているので、これをじっくり読んでから騒ぐべきは騒ぎたい。
< http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri05_00007.html
>

でも、法律の用語ってわかりにくいので、以下にわかりやすくまとまっていたサイトを参照します。
< http://twinklestars.air-nifty.com/sorausa/2014/05/post-b382.html
>

なかでも、上リンクの最初の方にある「入国・在留審査要領 第6編 上陸審査、 第4章第2節 寄港地上陸許可(入管法第14条)第3の2「許可の要件」」で、改正後は(9)到着便と乗継便の到着・出発時間など船舶・航空便の運航上の都合やその他の事項から本邦で寄港地上陸許可を希望することに合理的理由が認められ、かつ、不法就労その他わが国法令に違反するおそれが認められないこと。とあります。

いたって明確に不審者は上陸許可を与えないよ、といってるわけで、移民を推奨していることにはなりません。

他にも同リンクの下の方で、やたらな人ではなく、「高度外国人材受け入れの躍進」である事がわかり、入管職員の調査権限を整備して不審者を入れないようにしていると見受けられます。

民主党政権がやったような、中国人観光客へのビザ発行条件の暖和というような、問題ある国からの不法移民を増やす(観光でやってきて日本から出て行かないとか)政策ではないように思えます。

「グローバル」という言葉に騙されてはいけないのは確かです。お金の動きに国境がなくなるという意味で、一部のお金持ちだけがさらに儲かるようになる仕組みを隠した言葉であることが多いからです。

また、少子化が元凶で起こる年金問題を解決するために移民を入れる、というのも間違った対策です。安い(高くてもいいけど)賃金で働く外国人労働者を大量に入れたとして、その大量の外国人労働者が年金生活に入った時にどうするの? と単純に考えれば、正しい解決策ではないということが速攻でわかります。

だけど、今回の入管法改正と上の二項目はまったく別の問題であります。鎖国をしない以上、外国人の出入りがあるのは当然なので、誰に対してどのように日本への上陸許可を与えるのか、という法律を整備するのは当然なのです。

福島の放射能が怖いとか、鼻血が、と同じように、表面的な噂で騒ぐのではなく、公式な情報を元に正しく怖がる癖を身につけたいと思います。

「イタリアで新しい漫画を作る大冒険」
< http://p.booklog.jp/book/77255/read
>

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/
>