[3720] 上野界隈散歩の巻

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《でっぱりとひっこみだけで写真集作りたいな》

■わが逃走[142]
 上野界隈散歩の巻
 齋藤 浩

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ラストも完全収録、独特の文章と合わせて不条理な世界観をお楽しみ下さい。
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■わが逃走[142]
上野界隈散歩の巻

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20140626140100.html
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先日、ちょっとしたご縁でギャラリストTさんと図工の先生Nさんの散歩にまぜていただきました。場所は上野〜日暮里周辺。いわゆる谷根千エリアです。

下町情緒を残しつつ、しゃれおつなカフェ等が点在する東京お散歩王道ルートですが、何度歩いても知らない道に巡り会える味わい深い地域でもあります。

当日は晴れ。湿度が高めとはいえ死ぬほど暑いわけではなく、梅雨時の散歩としてはベストな一日でした。

午前中(遅め)に上野駅集合、芸大裏のギャラリーカフェにてはらごしらえの後、散歩スタートと相成りました。

このあたりの町並みは、かろうじて江戸の風情を残しており、細い路地を行くと共同の井戸に出会えたりする。

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くねる坂道。一歩進むごとに風景が変わる。
平地だったら区画整理の餌食になってしまったかもしれない貴重な坂。

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同、ヘアピンカーブを越えると美しい煉瓦塀が。
思わず小林少年や明智探偵の追跡シーンを妄想。

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その先に共同の井戸。これだけでもう完璧です。脇に置かれたブリキの洗面器の底のべこべこっぷりにドリフのギャグを思い出す。
5角形の水受け(?)部分の構造も楽しい。排水までの水の流れを見たかった。

言問通りを過ぎて三浦坂を登りつつ、ひょいっと路地に入る。

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重ねられた"しかくいもの"を未来派っぽく撮影。

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こういうシンプルな空間構成は子供の頃から大好きなのだ。
角の向こう側の景色を想像する。

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民家の脇の"でっぱり"。何故このような形状になったのかは謎だが、探してみるとこういった"でっぱり"や"へっこみ"は日本中にある。
でっぱりとひっこみだけで写真集作りたいな。売れないだろうな。

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『東京の階段』でも紹介された井戸脇の階段。井戸も一緒に撮るとセツメイくさくなるから階段だけ。

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素敵な木造家屋がなくなり更地に。そうすると隣接する木造建築の表層構成があらわになる。

水平垂直が微妙にずれていて、意外にリズミカルなパターンを見ることができた。隣に直方体をコピペしたような建売住宅が建ちませんように。

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円の上に円柱。ただそれだけなんだけど、けっこう好きな世界なので紹介します。太い電柱があったところに細いのが立ったというだけかもしれないけど、この痕跡から何10年という時の流れがイメージできてしまうところがオモシロイ! と思う。のはオレだけ??

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有名なY字路。相変わらず横尾センセイが降臨しそうな風景です。
噂ではマンションになっちゃうそうな。

景観がなくなることのダメージを、エライ人にもわかってもらえるようにするにはどうしたらいいのだろう。おじいちゃんと孫とが同じ風景を共有できないことで生じる損失を人ごとじゃなく考えてもらえる仕組みとは?

スクラップ&ビルドと同じくらいの利権が生まれて、エラい人が金儲けできるようになれば、これ以上景観も破壊されないですむのだろうか。池波正太郎センセイが「東京オリンピックまではぎりぎり江戸を見ることができた」という言葉をのこしておられるが、こたえが出ないまま二度目がやってくる。

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美しすぎる雑貨屋さんのディスプレイ。こういう店こそ風景のひとつとして残さなければならない。そのためにもタワシはここで買おう。

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風情あふれる良い廃車。

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佃煮を買うTさんとNさん。今日はありがとうございました。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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編集後記(06/26)

●本日登板予定のふたりのピッチャーがそろってダウン。こういうこともあるんですね。昨日は東京都内にヒョウが降ってまるで雪景色。いつなにがあるかわかりません。ということで、本日は齋藤浩さんワンマンショーとなりました。


●現代の青年がタイムスリップして信長に仕える、という構成の漫画がいくつもある。いちおう現代の知識があるから、それが有効な知的武器になる。タイムスリップは安易で便利なしかけだ。車浮代「蔦重の教え」もその手の「時空を超えた実用エンタテインメント小説!」である(飛鳥新社、2014)。リストラ寸前のサラリーマン・武村竹男がタイムスリップした先は江戸は田沼の時代、見かけは25、6歳で中身は55歳のおっさんが、20も年下の男、当時の出版界の風雲児・蔦屋重三郎に拾われる。

蔦重は始終柔和な人懐っこい笑みを浮かべ、言葉遣いも丁寧で、常に自分を下に置き、相手を褒め殺す如才ない人物である。しかし、武村(タケ)に対しては傲慢で横柄で短気で身勝手である。戸惑う彼が一番相談をもちかけ、蔦重の言動を解釈してもらう相手は歌麿だ。

蔦重は「おめえに教えてやるよ。人生の勘どころってやつを」と折りにふれタケを叱咤激励し、ものづくり、商売、ひいては人生の極意を伝授してゆく。よく知る(名前だけだけど)当時の有名人も続々登場する。描かれる江戸の風俗、料理、浮世絵などについては、著者は専門家なので安心して読める。

江戸の天才プロデューサー、カリスマ経営者である蔦重の考え、仕事ぶりはじつに興味深い。凄まじい思考力とモチベーションの高さに驚かされる。たいした策略家でもある。そして、タケに垂れる人生の勘どころなる講釈は、ストーリーの中で説得力満点である。タケは大きな気付きを得る。読者も共感できるだろう。

巻末に、何ページのどんな場面で、どんな教えが出て来たか、まとめて解説されているのが新趣向。ところが、本文の蔦重の語りに納得し感心したものの、格言っぽいタイトルにされるととたんにつまらなくなる。「情報収集を怠らない」「進言は素直に聞く」「好きな仕事で人の役に立つ」なんて平凡の極みで、どこが面白いんだ。まったくよけいなサービスだ。

「夢をかなえるゾウ」もそうだったが、「実用エンタテインメント小説」というジャンルは興味深い。それに歴史小説、SFも交じった構造だからますます面白い。読んでいる最中はね。読み終わったら、いいこと教わった気がしたというだけで、人生の勘どころとやらはサッパリ頭に入っていないのであった。タケは「私自身、会話や気配りというものに対して、これまであまりに無防備だったのではないだろうか」と反省する。激しく共感するが、もう直りません、わたしの「軽率」は。

タイムスリップものというと、まず間違いなくもといた時代と場所に戻って来るというご都合主義が蔓延しているが、本書も同様。それなりに納得はできる仕掛けにはなっている。写楽の正体もわかる(違うような気がする)。ところで、信長の時代に飛んだ人たちはどうなっているんだろう。(柴田)

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「蔦重の教え」


●肘の痛み続き。結局のところ原因不明だそうで、薬と冷湿布で安静という流れになった。たまにあるんだって。よかった大したものじゃなくて。待合室にいる時間が長かったものだから、手が使えなくなったら、次はどういう仕事があるのだろうと考え込んでしまっていた。

痛みが治まるまでは一〜二週間とのこと。そんなに待てやしない。ただでさえ仕事が山積みなのに。と、私の表情を見てか、注射を提案された。「注射したら......」「二日ほどで痛みは治まります。」

やったらどうなるのか、やらなかったらどうなるのか? 放置して時間が解決するなら身体に余計なものは入れたくない。「治るってことですよね?」「いえ、痛みが二日ほどでなくなるだけです。」

私が聞きたかったのはそういうことではない。「単なる痛み止めなのですか、それとも治療するものなのですか?」「炎症を抑える薬です」先にそれを言って欲しかった。

もうこのあたりで、先生若いもんねとか何とか思いはじめていた。自分の仕事にも置き換えていた。当たり前だと思ってやっていることを、いちいち質問されたら、頭ではわかっていても説明しにくいものだよね。

で、お願いする。それならやってくだされ、仕事があるんだよ、家事もできないんだよ......と心の中でつぶやく。先生が看護師さんに「1と1.5」だか何かの数字を伝えると、「先生どっちが1ですか」と突っ込まれていた。せ、せんせぇ......。

そうして看護師さんが注射の準備をしている間に、先生はぼそっと「これは一回だけですからね」と言った。「何故ですか?」「回数使うと筋が弱くなるんです」

それを先に言ってよ〜! それでなくても年取って、血管や骨や筋やらがガタついてくるのだから大事にしなきゃいけないのよ。やはり筋を鍛える何かをしなきゃいけないのではないのか? やめてもらおうとしたら、看護師さんの準備完了でひくにひけずに注射してもらうことに。続く。(hammer.mule)