[3721] 起立する言葉──【茨木のり子展】を観て

投稿:  著者:  読了時間:23分(本文:約11,300文字)


《野次にもセンスが必要だ》

■武&山根の展覧会レビュー
 起立する言葉──【茨木のり子展】を観て
 武 盾一郎&山根康弘

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■武&山根の展覧会レビュー
起立する言葉──【茨木のり子展】を観て

武 盾一郎&山根康弘
< http://bn.dgcr.com/archives/20140627140100.html >
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武:こんばんはー!

山:はい、どうも。最近どうですか、なんかくだらないことありましたか?

武:なんすかそれw くだらないことかあ、セクハラやじとか。

山:あー、ありましたね。どう思った?

武:あれな、「議会」ってそういう慣習なんじゃね、って思ったよ。「議員になったら、まず、ヤジを覚える! ヤジに強くなる! そういうもんだよ」っていう無意識的慣習。ある種の「伝統」と言ってもいいかもな。例えばどんな学校にもアホな伝統ってあったりするじゃないですか。

山:ふむ。

武:例えば、某G大学のとある部活では一番上の先輩が酒を口に含み、後輩に◯◯◯で◯◯◯◯◯◯◯すよ。で最後輩はそれを◯◯◯。「ひきつぎの儀式」って呼ばれてた。

山:おいおい、何を引き継いでるんだwww

武:埼玉県立某U高校のとある部活では先輩が後輩に◯◯◯◯◯◯◯◯◯く儀式があった。そう言う類いのものってどこにもあると思うんよ。表に出しちゃうと問題になるよな。こういう内々の世界のムラ慣習なんだろうな。

山:でも議会は内々ではないわな。

武:そうなんだよ。けど昔は議会なんて「内々の世界」だったんだよ。

山:今は中継とかもあるわけやし、わかりそうなもんだが。慣習となってしまうと、あまり何も思わないのか。

武:誰もそんなもん気にしてなかったんだよ。

山:で、一人名乗り出てきはりましたね。

武:そうなんだ。まあ名乗り出たならそれはそれでいいけどさ。本質は「誰」とかいう問題じゃなくて、「議会のヤジ」にみるその「慣習そのもの」がくだらないんだよ。連綿と続けられてきたんだろうな。言った議員も笑った議員もなんの罪の意識もなかったと思うよ。

山:こんなんあった。< http://www.huffingtonpost.jp/takao-hirose/story_b_5517266.html >

武:なるほど。日本の議会じゃあ、ユーモアに富んだヤジが出て、民主主義のプロセスを支えるとは到底思えないな。

山:なんかの試合みたいやね。

武:議会そのものの設計・デザインを変えた方がいいんじゃね? ちゃんと試合みたいになるようにしちゃうとかね。

山:日本の議会ってどんなんやったっけ。

武:都議会< http://mainichi.jp/select/news/20140623k0000e040239000c.html >

山:ほう、イギリスと違うな。国会も同じ感じか。

武:ヤジもさ、「匿名性にまぎれてヤジる」のと、「質問者ではないが俺にも言わせろや!」と名を出した場外乱闘なのとさ、分けた方がいいよ。ヤジ主が確かなヤジなら、ヤジも民主主義のプロセスにもなりそうだけどな。なんだろな、日本って「議論」になりにくいんかな。

山:そういう風には言われるよね。よく。

武:で、ヤマネはどう思ったん?

山:ん? 僕ですか。どう思ったんやろ、、、野次にもセンスが必要だ、ってことよな。

武:なるほど。

山:だって野次る行為自体が良くない、とはなってない訳でしょ。差別発言はもちろんダメでしょうけど、品がないからダメ、ってことなんとちゃうの。

武:ああね。品のいいヤジを飛ばしなさい、と。けどな、なんかそれは問題を矮小化してる気がしてならないんよ。俺は議会でヤジが伝統的慣習となってること自体が問題だと思った。議論すればいいのに。

山:それだけやと面白くないとか? ひょっとしたら。

武:ニコニコ超会議とかみたいになればいいんじゃないの? よく知らないけどw

山:ニコニコ超会議ってどんなんだ。コメントがいっぱい流れる感じ?

武:ヤジるのは視聴者でさ、議員は議論をやるんさよ。

山:ニコ動で国会中継とかやってなかったけ、、あ、やってる。これもひどいがなww

武:議会がサッカーの試合みたくなってもいいとは思うんだけどな。多少は。

山:じゃあ野次そのものはあっていい、ってことじゃないすか。

武:そういう設計ならね。

山:設計の問題なの?

武:そうそう。今の議会は慣習としてのヤジが惰性で続いてるだけなんだよ。ヤジもプレイになるように、議会のデザインを見直すとかさ。

山:ふむ。でも、こういうことが問題に上れば、変わってきたりしないんかな。

武:そうだね。なんかちょっと変わりそう。議論が萎縮しない方向にいくといいけどな。

山:慣習として続いてきたってことは、問題にあがらなかった、ってことやもんな。

武:「なんかへんだよなー」とか思いながらも朱に交われば赤くなる。って感じで続いてきたんじゃないのかな。

山:という訳で! 今回は茨木のり子展です! 世田谷文学館。初めて行きました。< http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html >

武:いきなり!!

山:はい、いきなりです。いやー、世田谷文学館って、なんかいいとこですね。


●【茨木のり子展/世田谷文学館】を観て


武:芦花公園駅だっけ。駅からまっすぐ歩いてしばらくすると、林のようなところにありますね。デートにピッタリの場所。ってひとりで行ったけど。

山:ああいうとこは異性といくべきですよw

武:え!! さてはヤマネ、誰か女性と行ったのか!! このっ!!

山:いえ、一人です。

武:なんだよ! おっさんがひとりで世田谷文学館に茨木のり子展を観に行く。か。凄い絵だな。なんかその光景は、むしろポエムだな。

山:そのあと下高井戸の居酒屋に友達呼んで、おっさん二人で飲んだくれましたけどねw

武:それはそれでまたポエミィだ。。。

山:やはり女性が多かったですね、観に来てた人。

武:女性多かった! おばさんというか、おばあさんというか。

山:若い人も結構いたよ。

武:俺が観に行ったときはあんまし若い人はいなかったな。ともかくおばちゃんがわんさかいた。

山:へー。

武:わんさかってほどじゃないけどw

山:なんやねんw

武:けど、混んでたよ。ちょっとビックリした。

山:そうやね、ファン多いんやね。

武:ファンが多くていいなあ。なんで知ったのかな、茨木のり子。教科書?「一般教養として名前くらい知っておくべき詩人」って感じでした。

山:僕は予備校で誰かに聞いたんやな。その時はなんにも思わなかったけど、なんか覚えてた。

武:けど、与謝野晶子の方がメジャー、みたいなイメージ。

山:与謝野晶子は教科書にありましたね。君...なかれ...、なんやったっけ。「君死にたまうことなかれ」か。弟を歌った詩ですね。戦争やな。

武:ふむ。茨木のり子も戦争は大きく関係してるよね。

山:やはり戦争という極端な状況というのが、創作を誘発させるのでしょうか。

武:今だって、そうかもね。原発爆発してダダ漏れのこの状況が創作を誘発させてるってあると思うよ。

山:でも茨木のり子が、戦争反対とかジェンダーとか、そういった事柄を声高に叫んでいる、そんな印象はあまり受けなかったな。

武:そだね。まあ、優れた表現者なら「戦争反対」なんて言葉を使わないもんな。日常にある暮らしの風景を描写することによって、非戦をほのめかす、とか。あえて「戦争反対」という言葉をレトリックとして使う以外は、ね。

山:非常に抑制の利いた静かな告発者、という印象は受けたかな。

武:エキセントリックな感じはしないよね。性的に奔放、とかじゃなさそだし。

山:しっかりした親戚のおばさん、という印象。

武:俺は「品行方正」っていうイメージかな。まあ二人とも茨木のり子の印象は似てるってことか。

山:似てますね。いわゆる「芸術家」というイメージとは違うな。どちらかと言えば「教育者」か。

武:けど、「啓蒙」っぽい感じでもないんよね。

山:ああ、確かにそんな感じもしないけど。


●壁の文字


武:詩が壁に展示されてる訳じゃないですか。けどそれって本を読んでもいいわけだよな。絵とかの原画と違って、壁に展示されてるものは一点ものじゃないし。文字なわけで。「なんかそれってどうなのよ」とか思いながら、壁に大きく書かれた詩を読むんですけどね。

山:読んだぞ。ちゃんと。

武:壁に展示されてる詩を読むと分かる気がしたんですよw

山:どういう意味?

武:詩ってさ、何言ってるんだか分からないことがよくあるんよ。茨木のり子は比較的分かり易い言葉使いだけどさ、壁に文字が書かれてる(貼られてる)のって理解し易い感じがしたの。なんだろこの感覚。

山:ほう。

武:あれかな、小中高と黒板の文字を読んで理解する訓練を受けてきたからかしら? 壁に書かれた文字って理解しようと努めるよな。つか、「壁に文字がある現象」ってなんか面白いなw

山:確かに「壁」っておもしろい。詩はだいたいが本な訳やから非常にパーソナルですよね。一人で読むし。壁って「公」て感じよね。開かれている。立ち止まらせたり行手を阻む、のに「公」。いやむしろ、阻むからこその公か。

武:そうだね。壁という「公」な場所に、「私的な宣言」のような茨木のり子の詩が書いてる。これが面白く感じたのかな。

山:僕は、あー、やっぱ文字を壁に展示するとしたら、カッティングシートになっちゃうよね。これってシート屋が寸法出して律儀にはってるよな。でもそれやったらシルクのほうがええやん、こういう時は印刷やろ、印刷。刻印しろよ、刻印。でも、そんなんいろいろかかって無理なんかな、、、って思た。

武:それは分かる! 貼るんじゃなくて、ダイレクトにインクを壁にくっつけて言葉を顕わして欲しかった! その方が「言霊」が強くなるじゃん!って。

山:そう思うよなー。

武:壁で詩を読むってのがなんか面白かったのは、詩ってのはひとりで読むものっていう固定観念があるからなんかな。個人の言葉を個人に向けて発するのが「詩」であるような。けど、そのような「詩」は割と最近のものなんかもね。

山:どうなんやろ。

武:そもそも「詩」って、最初は詠むもので「音」だったわけだよね。

山:そうね。

武:「音」だったてことは、わりと「公」だよね。

山:はい。

武:詩の媒体として「本」が前提になったことによって、本の仕様に合わせて、私的なメッセージになっていった、とかあるんかね。

山:どうなんやろ、本も「私」と「公」両方でもあるんやろうけどね。

武:一冊の本を同時に複数の人で読むことはあんまりないよね。茨木のり子の詩が壁に展示されてたのが、なんか妙に面白かったのは、茨木のり子の詩は「壁」をメディアとして考えて作られてないから、なんじゃないのかな。

山:あ、それはあるかもな。当然、茨城のり子は「本」を考えていたはずやろうし。

武:茨木のり子の詩って、朗読するようなものでもない感じがするしね。読むため限定に作られた言葉。

山:朗読はもちろんあってもいいけど、発表のイメージは、本やったんやろうな、とは思う。壁に文字、とはイメージしてないやろね。

武:『わたしが一番きれいだったとき』は壁に書かれてなんか分かった気がした。あの詩は「壁」っぽいw

山:どう思うかはそれぞれですが、その時々の状況によって理解が変わってくるのが詩のいいところだと思う。


●金子光晴


武:茨木のり子が金子光晴を好きだった事実に驚きました! あの品行方正なお嬢さまが。。。展示を観ていくと金子光晴が出てきたんで「えーっ!」と驚いたよ。おかげで、一気に親近感湧いて茨木のり子が俺の中に入ってきたw

山:すごく好きやったみたいやな。

武:茨木のり子ったら、あんな真面目そうな顔してアナーキー・エロ・詐欺師ジジイが大好きだったとは!! くそうくそう!!

山:茨城のり子からしたら、相当偉大なんやろうなあ、芸術家肌の金子光晴。詩を書いてなかったら、ただのいいかげんなジジイかもしらんがww

武:自分を生きた人として尊敬できる、ということか。

山:ってか、そもそも武さん、金子光晴好きやったっけ?

武:うん。アナーキストだからね。やっぱり「藝術家はアナーキストなんだ!」と勇気を貰ったのが金子光晴ですから。

山:そこだけかいw

武:茨木のり子と金子光晴と谷川俊太郎の講演音声は聴いた?

山:展示の最後にあったな。聴きましたよ。

武:金子光晴の声はドスがきいてたよね。谷川俊太郎は軽いというか、機転が利くというか、軽妙というか。茨木のり子の声はなんかあんま印象にないな、地味な声だったのかな。

山:ほう、金子光晴こそ軽妙だと思ったが。

武:へえ、そうなん! あー、落語家みたいな喋り方だったからね。俺はなんかそこがむしろどっしりした印象を受けた。谷川俊太郎はみんなを取り持つために、あっちいったりこっちいったりしてる感じ。茨木のり子は低姿勢で。

山:実際そういう役回りやったんやろw

武:谷川俊太郎って、やっぱりなんでも出来る人なんだなあって思ったよ。器用なんだろうな。ともかく、金子光晴の声が聴けて嬉しかったなあ。

山:あの録音で、茨城のり子が金子光晴の詩に対して「言葉が立っている」という表現をしてましたね。金子光晴はそれをのらりくらりとかわしてたけど、つまり、茨城のり子的には、「立つ」ということが最重要な問題なんやろな、と思た。自立ですね。

武:言ってたねえ。てことは、よっぽど立ててない自分が居たってことだよね。立っていたい欲望が強いというか。父の期待に応えようとし続けたってことかしら?

  茨木のり子の父は「女性は自立しないとならない」とか言って学校に行かせるんだよね。で、薬学を学ぶけど落ちこぼれちゃうw そんで、自分が立つために「詩」を選んだ、と。

山:そう言うことになるね。

武:詩で自立できるんかねw いろんな意味で。

山:結果できたんとちゃうんかな。

武:最終的にはそうなるか。

山:「立つ」ってどう言うことなんだろう、ってことですかね。僕が思うに、詩人が詩人たるには、「洞察」なんやと思うねんけど。

武:洞察。何かを見てるわけだ。

山:何を観るか、ですね。

武:自分の心を観てたりするよね。

山:もし自分の心だけを観ていたら、それは「自我」の問題に固執することになるんちゃう? 「自我」を俎上に載せるだけならそれはいいかも知れんけど、詩ってそれだけとちゃうよな。

武:洞察、ということになると思うけど、茨木のり子の壁に書かれてた詩で『汲む ─Y・Yに─』から

  「あらゆる仕事すべてのいい仕事の核には震える弱いアンテナが隠されている きっと......」

  とあるけど、これって自分に対する洞察だよね。

山:「震える弱いアンテナ」って、宮澤賢治の「仮定された有機交流電燈」じゃないですか、と思たけど。

武:あー、なるほどそうなんかな。Y・Yてのは女優さんだっけ?

山:そうやね。Y・Yって、僕かと思ってドキッとしたけどw

●詩人のしのぎ

武:あははw ところで、茨木のり子はなにでしのいでたんだ? 旦那か?

山:まあ多少はそういうのもあるかもね。

武:詩人を讃えるのはいいんだけど、何で喰っていたかをつまびらかにして欲しいよな。金子光晴なら詐欺と春画でしのいでた、とかw

山:それだけとちゃうやろw

武:詩では喰ってないでしょ、だって。

山:晩年は食ってたんちゃうんかなあ。取材とか講演とか。詩で食う、というか、その周辺的な仕事もいろいろあるやろし。

武:なるほどね。

山:茨城のり子かって、印税はけっこうあったんちゃう? 詩としては珍しい、みたいな感じで本売れた訳やし、エッセイも多い。僕かって金子光晴の詩の本よりも、自伝三部作が好きやしな。

武:エッセイを売ってたってのもあるのか。エッセーの方が面白かったりするしね。

山:そういう仕事ができるよね。言葉のプロやから。

武:俺、詩のアプローチとしては童話や絵本が好きなんだよ。

山:詩と絵本の親和性は高いな。

武:金子光晴は絵本つくったのかな?

山:春画は描いてたけどw 子どもに向けて作ってないのかな。

武:大人向けなんだよな。茨木のり子も全体的には大人向けだよね。谷川俊太郎はオールマイティ。絵本とか童話とかってさ、詩人がかろうじてお金になる仕事だから書いた、ってのもありそうじゃね?

山:なるほど、それはあるかも。なんか小難しいことやってても、あんまりわかってもらえなかったりするやろうし。子ども向けなのに、深い、とかの方が受けるわな。

武:なんとか金に繋げる体裁があるんだろうね。「子ども向けということにして出版しましょう」とか。

山:体裁があると言うか、理解はされやすいでしょう。

武:詩そのもので喰う、って可能なんかね?

山:詩で食う、ってけっこうすごいことやとは思う。絵の方がまだわかるよね。モノやから。

武:そうだよね。

山:だから詩だと本になるか。

武:「言葉を売る」わけだよな。それで喰ってる人はいるけど、「詩」はなかなか売れないよな。

山:コピーライターって言葉売ってるけど、詩人とは言われないですね。

武:確かに。同じ言葉なのに。じゃあ「詩」ってなんだ?

山:詩人は言葉のプロでしょ。絵描きはじゃあ「扱う素材のプロ」という側面もあるよね。で、素材に限って言えば、そういう志向性は職人になる気がする。

武:まあ、俺、紙に詳しくないけど。ボールペンにも。

山:うん、だから素材にプロ意識向けると、職人になるんだよ。

武:メディアとフェティッシュ、かあ。

山:だから詩人も、言葉(素材)そのものに向かった場合、職人的なんだよな。

武:谷川俊太郎ってそういう感じするよね。糸井重里なんかもそういう感じなのかな。

山:そういうとこ感じるよね。全然悪い意味じゃないけど。素材を自由に操る、という感じの人は、職人的だよね。

武:ふむ。なるほどね。そうすると、なんとなくだけど、茨木のり子って職人的じゃあない感じするな。素材を自由に操ってる感じはしない。自分と合致した言葉を選んでるというか、やっぱ自分の証明であって、素材(言葉)の証明じゃあないんだよなあ。

山:そうですね。『汲む』という詩に体現されてるよね。

武:言葉に対するそういうスタンスは金子光晴の詩もそうなのかもね「自分」。


●全俺が泣いた


山:やっぱり茨城のり子は、個人なんだよね。そこから立脚してる。

武:個人だよね。あるいは個人に立脚しようと頑張った、というか。

山:その戦い。その叙事詩。

武:抒情詩ではない、てことかあ。ふむー。

山:まあ、全部の詩を読んだ訳じゃないからわからないけど、そう解釈した。だからか、最後で図らずも泣いてしまった。

武:『歳月』の展示場所ですか?

山:そう。

武:俺も!! 原稿読んでたら、泣いてしまった。

山:同じかいw

武:自分でもびっくりしたよー。詩からは品行方正な人だなあと感じたところもあったから、ちょっと硬いというか、こっちの心を緊張させる言葉もあったりするじゃないですか。女性なのにちょっと硬質というか。

山:はい。

武:けど、歳月で、ものすごくやわらかく、よわく、もろく、はかなく、でも、凛とする、感じ、、なんといったらいいのか、泣いた。。。

山:ここは叙情詩に感じたんですよね。

武:「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と茨木のり子は書いてるけど、茨木のり子の詩が「感受性豊かな言語表現」って感じは受けないよね。あんまり危なくないし、言葉は決して踏み外さないし「えーっ?」みたいな言葉はないし。

山:これって「自分の自我ぐらい〜」と読み替えれないかな。

武:ああ、なるほど。詩人ってさ、時に神がかったりするじゃないですか。

山:詩人じゃなくてもそうやと思うでw

武:神がかるって「自我が崩壊する」だったり「自我が消失する」わけでしょ、一瞬。インスピレーションを天とか神とかから「降って来る」と感じることは、誰しもあるよね。

山:あるよな。どんな仕事でも。

武:けどさ、茨木のり子はそれを感じないんすよね。

山:ほう。

武:エキセントリックじゃないんだよな。俺はエキセントリックな女性が好きなんだなw

山:インスピレーションに関する詩もあったんちゃうかったかな、、ってか、今日もう無理、、、

武:なに! 酔っぱらったのか?

山:はい、ひどくww

武:自分の酒量くらい 自分で守れ ばかものよ


【茨木のり子展/世田谷文学館】< http://www.setabun.or.jp/exhibition/exhibition.html >
会期:2014年4月19日(土)〜6月29日(日)
会場:世田谷文学館2階展示室
料金:一般700円 高校・大学生 65歳以上500円障害者手帳をお持ちの方=350円 中学生以下無料

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/売れっ子画家になる心の準備はできています】
■7月4日(金)19:00〜20:00 渡辺篤『ヨセナベ展』イベント「ブルーシートハウスで座談会」で会田誠さんとゲスト出演します!
会場:アートラボ・アキバ< http://art-lab.jp/alab_075.htm >

■『記録魔 ─関根正幸のお蔵出し─』にて関根氏とのコラボレーション作品を展示します!会期:2014年7月19日(土)〜8月3日(日)土日祝のみ 13:00〜19:00
会場:アートスタジオDungeon< http://chikashitsu.blog.shinobi.jp/%E8%A8%98%E9%8C%B2%E9%AD%94/%E8%A8%98%E9%8C%B2%E9%AD%94%E3%80%80%E3%83%BC%E9%96%A2%E6%A0%B9%E6%AD%A3%E5%B9%B8%E3%81%AE%E3%81%8A%E8%94%B5%E5%87%BA%E3%81%97%E3%83%BC >

■イノチコア『ねこと原発』特別展 in ねこじゃねこじゃ・猫祭り vol.6 無事終了しました!
< http://inochicore.web.fc2.com/gallery.html >

take.junichiro@gmail.comfacebookページ< http://www.facebook.com/junichiro.take >Twitter< http://twitter.com/Take_J >

【山根康弘(やまね やすひろ)/快調】yamane.yasuhiro@gmail.com


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編集後記(06/27)

●「武&山根の展覧会レビュー」が茨木のり子テーマだと聞いたので、茨木のり子「ハングルへの旅」がなつかしくなって本棚から取り出す。この本は1986年の発行で、彼女が50歳から学び始めたハングルについて書いたエッセイである。その当時、わたしもハングルに興味があってNHKのハングル講座など見ていたし、茨木のり子の詩も好きだったので買った本だ。彼女はハングルを学んで10年を経て、韓国語の魅力、おもしろさに、いろんな角度から光をあてて、日本人、特に若い人たちに「私もやってみようかな」と、ふと心のうごくような、いわば誘惑の書を書きたかったとあとがきに書く。

ところが、あとがきには「私自身たのしみながらと始めたのだが、実際は苦渋に満ちた仕事になった。過去の歴史──日本側の一方的な非が重たくのしかかってきて」という記述もあるではないか。現在ならいざ知らず、20年以上前の韓国には「本当の日韓関係」を知るお年寄りがまだ生存していた頃だ。現地を度々訪れていながら、茨木はどんな見聞をしてきたのだ。

「日本が朝鮮を植民地化した36年間、言葉を抹殺し、日本語教育を強いたことは頭で分かっていた」「朝鮮語抹殺政策を徹底させながら、遂に叩きつぶせなかったことは、日本が敗退してすぐ、ハングルが息を吹き返し芽ぶいてきたことでもわかる」「日帝時代の弾圧にもかかわらず、ハングルは滅びず健在である。苛烈な歴史の中で今日まで、自分たちの言葉を守り抜いたということはなんといってもすばらしい。誇っていい事であろう」──こんなありもしないことを本気で信じて、感情的に語っているんだからどうかしている。

「李氏朝鮮は清国に従属下にあり漢字が重視される一方、ハングルは軽視され教育されることはなかった。また、一般人(特に女子)のための教育機関は皆無で、大多数の朝鮮人は読み書きができない状況だった。日本統治下においては学校教育における科目の一つとしてハングルと漢字の混用による朝鮮語が導入されたため、朝鮮語の識字率は一定の上昇をみた」「朝鮮語を奪おうとしたというのは、有り得ないことであった」Wikipediaの言い分だが、じつに正しい。茨木の憤りは完全に間違いで、事実はその正反対である。わたしは今読んで腹立たしいが、1986年には何も感じていなかったことを白状する。

いい話もある。「私の詩が、入試に使われたことが何度かあり、試験が終わってから入試問題が送られてきて、キャッ! と叫ぶことがある。試験問題だからすべて事後承諾で、否も応もない。自分の詩でありながら、設問になんら答えられず、0点間違いなし。これに答えなければならない受験生たちに、まったく同情する。」ははは、そうなんですか。この本はいかにも茨木のり子らしい素敵な文章で楽しく読める。そして、一部にとんでもない記述がある理由がわかった。朝日新聞図書編集室の広田某のすすめで書いたとある。きっと、たっぷりのステキな情報(笑)が提供されたことであろう。(柴田)

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茨木のり子「ハングルへの旅」


●肘の痛み続き。肘への注射なんて初めてだったんだけど、全然痛くないのに驚いた。神経が通っていないのかと思うぐらい。あのあたりって鈍感なのね。針も進化しているって聞くなぁ。

で、まぁ会計して、薬局に行って薬もらって、まぁそのあたりでもいろいろあったりはして。

薬飲んで湿布したら、翌日の夜にはほとんど痛みを感じなくなっていたわ。麻痺しているだけかもしれないから、無理はせず。肘が痛くないと仕事がはかどったよ〜。

肘って鈍感なのねと思いつつ、前腕の柔らかいところで瓦割ると全然痛くないのよねぇと連想した。先輩に教わってそこで割ってた。パンチやキックを受けるのもそこ。

友人は肘で割ってたなぁ。肘だと失敗して痛い(響く)ところで割りそうだからやめてたよ。格闘技でも肘や膝、かかとは強力な武器になる。続く。(hammer.mule)