[3724] 「間違えてはいけない」という呪い

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■ユーレカの日々[34]
 「間違えてはいけない」という呪い
 まつむら まきお

■グラフィック薄氷大魔王[395]
 「Adobe CC代替の続編」「いいね! リクエスト」他、小ネタ集
 吉井 宏




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■ユーレカの日々[34]
「間違えてはいけない」という呪い

まつむら まきお
< http://bn.dgcr.com/archives/20140702140200.html >
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僕は絵を描くのが本業だが、文章を書くことも好きだ。しかし、いくら書いても何度見なおしても、誤字脱字、誤った記述は一向になくならない。

前回の原稿も何度も読み返したはずなのに、「天動説」と「地動説」を逆に書いてしまっていた。毎回毎回、一〜二箇所の誤字などがあって、柴田編集長から指摘されるのだが、前回は柴田さんの目もすり抜けてしまったようだ。

誤字脱字というのは不思議なものだ。何人もが入念にチェックしたのに、必ずあとから見つかる。何年かたってから、誤字が見つかることもある。夜中に活字の間から誤字が湧いて出ているのではないかとさえ思う。

昔は文字の修正は大変だった。一文字でも増減すれば、そのあとの行にも影響が出る。写植や写真製版の時代は修正には手間もコストもかかったため、それぞれの段階での校正が重要だった。それでも誤字脱字は湧いて出る。

ぼくがコンピュータに興味を持ったのは、デジタルグラフィックもそうだが、何よりもワープロが欲しかったからだ。

●アンドゥとの出会い

ワープロであれば、文章を跡形も残さずに修正ができる。文章は頭から順序よく書かなくても、後から編集して文章を形作ることができる。絵を描く時、頭から一筆書きで描く人はあまりいない、全体のバランスを見ながらあちこちをいじって、仕上げていく。ワープロなら絵を描くように、文章を書くことができる。

もっとも、80年代に市場に現れたワープロ専用機のほとんどは、編集機能が弱いただの清書マシンで、なかなか使い物にならなかった。一方、当時のNEC PC98では「一太郎」「松」といったワープロアプリが販売されており、640×400ピクセルという当時としては広大で詳細な画面で、文章を作成することができた。

大学時代にタイピングをおぼえておいたお陰で、就職してすぐに会社のワープロで文章を書くようになった。文章を書く環境として、夢のように快適だったが、今の常識からすれば、不便きわまりないものだった。

何が不便かといえば、当時のパソコンでは、実行したコマンドは取り消せないのが普通だったのだ。たとえばワープロで、ある文節を他の場所に移動させる時は「移動」コマンドを選んでから「範囲」を指定し、「移動先」を指定する(コピー&ペーストという概念もMac以前はほとんどなかった)。で、ミスった時はもう一度、その部分を選択して移動させるわけだ。

だからMacを初めて買った時、感動したのはシステムレベルでの「カット&ペースト」「アンドゥ(取り消し)」だった。あらゆるアプリの、あらゆるコマンドで「切り貼り」「取り消し」ができる。それはまるで、魔法のようだった。

アンドゥだけではない。重要なコマンドではダイアログが現れて、「本当に実行しますか?」と聞いてくる。これもシステムレベルで行われていた。

間違えてコマンドを選んでも、アンドゥやダイアログのキャンセルのお陰で、実行を取り消すことができる。そうなのだ、Macは人間が間違えることを前提に作られていたのだ。その思想に心底驚かされた。

それまでは「間違えないようにする」「間違える方が悪い」のが当たり前であって、「間違えたらやり直す」しかなかった。「安心して間違えてください」なんて話はそれまで、聞いたことがなかった。

考えてみれば鉛筆も、以前紹介したフリクションペンも、墨や万年筆と違いアンドゥができる。貼り直しができる接着剤ペーパーセメントも、マンガで使うスクリーントーンもアンドゥができる。油絵の具もそうだ。プラモデルの塗装で複数の溶剤を使い分けるのは、アンドゥがしやすい(下塗りを侵さず、上塗りを拭い去るなど)からだ。

そう思って見渡してみれば、西欧文明の道具というのは、できる限りアンドゥを追求してきたように思える。日本文化が「間違えないように自分を鍛える」のとは全く対照的だ。

●プランBで行こう

当初のMacは一日に何度も何度も、システムエラーを起こし、すべての作業が無に帰すことが当たり前だった。フロッピーディスクはある日突然、読めなくなった。

現在のMacでは、タイムマシンというバックアップ機能がそれを防いでくれる。システムが止まっても、多くのアプリが直前の状況を再現してくれる。

プランBという言葉がある。ハリウッド映画などでよく見かける、作戦が失敗した時のためにあらかじめ用意しておく「次善策」のことだ。

軍やスパイなどが作戦がうまくいかない時に、プランBを使う、という描写を見かけたことがあるだろう。目的を遂行するために、あらかじめ複数のプランを持っておく、という、プロフェッショナルな感じがする演出だ。

Macのタイムマシンはまさに、プランBだ。おかげでMacを使っての作業時に、データが失われることを恐れる必要はほとんどなくなった。

アンドゥができない実世界では、プランBが失敗を救ってくれる重要な方法となる。原稿が来なかった時に備えて代原を用意しておく、違うルートを見つけておく、といったことだ。

人間は間違える。どんなに優れた人間でも、間違えないなんてことは有り得ない。機械だってシステムだって間違える。不慮の事故、イレギュラーな状況。故障しないシステムは、ない。

だったら、重要なのは「間違えないようにしましょう」よりも、「間違えた時、どう対処するか」のはずだ。「間違えないようにする」ことも重要だが、それと同じくらい、間違いに備えることが重要なはずだ。システムレベルでアンドゥを用意したり、プランBを持っておくことだ。

●今の社会のしんどさ

ところが考えてみれば、子どもの頃から「間違えた時の対処」というのを教えられた記憶がない。小学校の頃から「間違えないように気をつけましょう」とか、「今度は間違えないようにしましょう」なんてことばかりを言われてきた。「間違えた時」は最初からやり直すか、罰が与えられる。

僕が教育を受けた昭和は、努力と根性の時代だったから「間違えないようにしましょう」しかなくても、いたしかたなかっただろう。努力と根性でアメリカに勝てると信じていた人たちがまだ元気だった時代だ。

しかし、学校を卒業してからもう30年もたつが、その傾向は変わっていないどころか、より強くなっているように思える。

学生たちを見ていても、課題などでどうも極端に「失敗を嫌う」傾向にある。「それくらい両方やってみて自分が納得すればいいじゃないか」と思うような、些細な事でも聞いてくる学生がいくらでもいる。

学生だけではない。学校側も「失敗させない」ことに腐心している。キャリア・デザインと言われる、就職対策講座では、名刺の出し方、お辞儀の仕方、服装など、事細かにアドバイスしてくれるようだ。そんなことは就職先の企業がやることだろう、企業だって学生がそんなビジネスの常識を知らなくても当然と思って求人すればいいのに、と思うのだが。

社会、企業も同様だ。バイトの失敗をバイトに賠償させるような企業があるという。政治家でも経営者でも芸能人でも、一度でも仕事を失敗した者は世間から非難を浴び、一線から追いやられる。現在ではちょっとした発言で、ネット上ですぐに炎上する。まるで集団リンチのように「失敗を非難」する。

その結果、皆が失敗を忌み嫌う状況になってしまった。「正解」に合わせることだけが重要になり、正解しないくらいなら、最初からやらない方がマシ、という思考。言われたことにしたがっておくことが何よりも無難、という思考。そういった気分が社会に蔓延している。

器用にそれに合わせられる人だけが地位を得、合わせることができない人は自信をなくし落伍していく。一旦地位についた人間は、間違いを隠すことしか考えない。今の社会のしんどさは、このような「間違えてはいけない」という呪いによるものではないだろうか。

●なぜ間違いを忌み嫌うのか

もともと日本は「間違えてはいけない呪い」が強いのだろう。失敗は許されず、失敗した物は即座にすげ替えられる。それによって、穢(けがれ)は取り除かれるという、禊(みそぎ)の文化だ。

一見、それにより問題は取り除かれ、気分一新、仕切り直しができるように思えるが、実際は失敗したプランAに費やされたコストは全く回収されない。前任者の教訓が「失敗したらクビ」という結果以外、なにも継承されないからだ。日本人は反省しない。過去の教訓を「失敗したら大変なことになる」以外、一切、活かさない。

なぜ日本では、そんな風に過去の教訓が継承されないのかというと、日本の国土が自然資源に恵まれていたからのように思える。

自然資源が乏しい場所では、人々は自分たちの生活を維持し続けるために、継続した努力が必要となる。こういう世界では、人が変わっても過去の教訓を継承していかなくては世界が滅びてしまう。

日本列島は、定期的に台風や津波、火事といった災害が起きる。それまでに築いてきた都市や生活があっというまに崩壊する。しかし、自然風土に恵まれているため、災害地でもほんの数年で草が生え、木が茂る。魚はまた採れるようになる。ほんのすこし我慢していれば、また豊かな自然環境が戻ってくる。こういう世界では、過去の教訓はあまり重要視されない。

そんな風土の中で、失敗は教訓ではなく、穢となっていったのではないだろうか。そして現代でも、「間違えてはいけない」という言葉は幼年期から繰り返され、それはまるで呪いのように、私達を支配している。

●セクハラやじのこと

先日の「セクハラやじ」で党を辞めた都議会議員の件もそうだった。彼はプランBも、アンドゥも持っていなかった。だから問題になった時、隠そうとし、ごまかそうとした。

思想信条はともかく、彼がすぐに過ちに気づき、対処できていたらもうちょっと状況はましだったろう。さらにその過ちを社会に訴えることができれば、信頼を獲得することすらできたはずだし、社会も彼の失敗を利益とすることができたはずだ。

しかし彼のような言い訳と行動は、単に「失敗したバカな奴」「自分は間違えないようにしよう」という、「間違えない呪い」を増長させるだけになってしまった。実際に必要なのは、偏見がなぜいけないのか、そうしてしまう原因がどこにあるのかを明確にし、歯止めをかけることのはずなのに「失敗したことがいけない」という、呪いを強めただけになってしまった。 

●呪いを解くために

人間、どれだけ慣れても、万全を期しても、コンピュータを使っても、間違える時は間違える。もういい加減「一度も失敗したことがない人が素晴らしい」と思うのを辞めるべきだ。間違えた後、どう対処したのかに着目すべきだ。

間違えることに無条件で寛容になれ、と言っているのではない。間違いがないよう、入念に準備をすることは必要だ。しかし、間違った時の責任とは、その間違いをどう次のアクションに反映させるのかであり、退職したりリセットすることではない。間違いに備えて、次の時にどのようなプランBが用意できるかどうかなのだ。

30年前、Macはコンピュータの世界で「間違えてはいけない呪い」を解いてくれた。僕たちは、アンドゥという考えも、プランBという考えも知っている。それが試行錯誤や思い切ったチャレンジを可能にしてくれていることを知っている。

まだ、現実世界での呪いは解かれていない。少しづつでも、この呪いを解いていけないものだろうか。


【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学准教授】
< twitter:http://www.twitter.com/makio_matsumura >
< http://www.makion.net/ > < mailto:makio@makion.net >

十河さんがデジクリのレギュラーを降りられた。実は僕自身、十河さんと同じ理由でこの一年以上、連載から降りようと何度も思ってきた。編集長の主義主張は別に個人の意見だから構わないが、偏見や嘲笑うような表現は人を不愉快にさせる。また、本文と編集後記というステージの違いもずるい。

十河さんが降りたことで、この数週間散々考えたが、一つだけ続ける理由が見つかったので、もう少し続けてみることにします。


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■グラフィック薄氷大魔王[395]
「Adobe CC代替の続編」「いいね! リクエスト」他、小ネタ集

吉井 宏
< http://bn.dgcr.com/archives/20140701140200.html >
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●Photoshopの代替としてのCLIP STUDIO PAINT

先週の続き。アルファチャンネルが扱えるかどうか、CLIP STUDIO PAINTで試してみたら、おお! 使えるね〜! PSD形式ではアルファチャンネル何枚あってもレイヤー何枚でも、普通に開く! アルファチャンネルから選択範囲を作るのも一発。レイヤーリストの上にアルファチャンネルがある違和感以外、機能的にはPhotoshopにいちばん近いかも。

MODOからレイヤーPSDで書き出して、CLIP STUDIO PAINTで「アルファチャンネルから選択範囲を作ってレイヤーにし、キャンバスレイヤーの影の色調整」とかの、いつもの手順が普通にできちゃう。意外なところにこんな優れものアプリが!

っていうかCLIP STUDIO PAINT、最初に優待で買ったとき間違えて別々に2つ買っちゃったんだよな。安いからよかったけど。そっか。3台目のマシンでPhotoshopを使うの面倒くさいとかの件は、普段はCLIP STUDIO PAINT使えばいいかな。少なくともホビーユーザーが無理してPhotoshopを使う理由はぜんぜんないと思う。

CLIP STUDIO PAINT < http://www.clipstudio.net >

●Adobe CCやめられるか? のまとめ

こんな記事もありました。
「Adobe製品の代わりに使える無料アプリ10+」
< http://www.webcreatorbox.com/webinfo/adobe-alternatives/ >

After Effectsの代わりにBlenderって?? と思ったら、Blenderには動画編集機能があるらしい。

というか、Photoshopプラスアルファでいいならサブスクリプション料金が5分の1になるわけだし、PhotoshopとIllustratorもやめるならCLIP STUDIO PAINT+Inkscape最強。しかし結局、普通にAdobe CCを使うのが最も面倒が少ないということに落ち着いてしまう。それでお金を稼いでいるプロなら、やっぱどう考えても「超激安!」なんだよね。

「やめられるか?」って考えて抜け道を探したりしちゃうのは、「Adobeに支配される」的な感情の「はけ口」っていうか、まあ、完全に娯楽の一種になってるなw

......要するに、PhotoshopとIllustratorくらいしか使ってないから微妙なのであって、計5個くらいのアプリを普段から使っていればこういう感情は封じることができるのだー。何を使おうかな? After Effectsはちゃんと使えるようになりたいし、Museでホームページ作るかな。

●Facebookの「いいね!」リクエスト

「○○さんがいいね! をリクエストしています」。初めて見たときは、えええ〜〜っ!  そんな恥知らずなことするヤツいるのか〜〜! と思った。

外国人からのリクエストはしかたないと思ってたけど、最近は普通に日本人もやるようになった......嘆かわしい。普通の感覚からすると信じられない! でも、もう普通のことになっちゃったみたい。

友達関係だから「いいね!」を拒否できない的な心理が働いてしまうのがウザいです。その友達がウザいのではなく、過剰に馴れ合いを共用するFacebookの考えがウザい。

今のところ「いいね!」リクエストされてもクリックしません。「いいね!」は自分で判断してクリックするわっ! とか言っても、クリックするようになっちゃうんだろうなあ。

●Facebookの編集履歴

なんだこりゃー! 「編集済み」をクリックすると編集履歴が全部表示されることに気がついた。これはいかん仕様だろ??

他の人へのコメントも、衝動で書いてから書き直すことが多いけど、その履歴も見えちゃってたわけだ......。そんな機能って必要なのか? オフにできないのか? ブログを編集しながら書くみたいな感覚じゃダメってことか。

「ちょっとキツいこと書いちゃったかな」とか、「誤解されそうかな」とか思って、コメント書き直しすることけっこう多いもん。バレバレだったのかー!

Twitterの次に気軽に書き込む場所としてFacebookを利用してきたけど、ちょっと考え直さざるを得ない。どうも、最初書いた内容にコメントした後に編集された時のため、以前の内容が見れるようになってるらしいんだけど、むしろ再編集できなくしてくれたほうが気が楽かも。

でも、......楽しみが増えたw 「編集済み」を見かけるとクリックしたくなる。修正履歴で裏の会話をするとか、やってみたよw

●Facebookの感覚の個人差

「これを投稿したら危険」っていう基準が人によってマチマチ。よくこんなのアップできるよなあってあきれてしまうこともある。子供や自宅の写真とか。ネットのベテランで、そのへんちゃんと考えてるに違いない人もやってるので、自信を持ってやってるなら文句の付けようもないんだけど。

危険とかじゃなく、本人が楽しくても他人には不快ってのもある。家庭内の生々しい事情など読みたくないよ〜。どうしようもなく暗い告白とか。プライベートと仕事と完全に分けるならGoogle+のほうがいいんでしょうけど。

......ふと思い当たった。そっか。作品を作る人や写真を撮る人とか、何かの意見を持ってたり趣味などの活動をしてる人は、それらが投稿する話題の中心になる。でも、職場の話を投稿できない普通の人は、プライベートしか投稿するものがないわけか!

●Facebookの友達リクエスト承認

知らない人からの友達リクエストは、「共通の友人」が10人程度以上だったらほぼ無条件で承認してます。「友達」はリアルの友人や同級生もいるけど、ほとんどが会ったことない知らない人。アーティストだったりクリエイターだったり、ファンだったり。

リアルの友人関係の電子版というFacebookのテーマはもう関係なくなり、もう一つのインターネットとも言えるほど広くなってるのに、検索などが不自由なのが歯がゆい!

●Twitterでのネタ温存技w

先週、べちおサマンサさんが書かれていた、「吉井さんのように、Twitterでのネタ温存技が効果的な気配」の件。

Twitterで思いつくまま書き飛ばしたり、友人とのやり取りから話題がふくらんだり、「ネタのタネ」はどんどんたまっていきます。面白かったり重要と思われる自分のツイートをEvernoteにコピペしてます。時間があるときにブログやデジクリ用にまとめてますが、それが膨大な量になってます。

考えたら、とんでもなくアホなことをやっているなあ、と。

だって、会社に行って同僚なんかとおしゃべりする代わりにTwitterをやってるようなもの。会社や飲み屋でおもしろかった会話を、いちいち全部テキストにまとめてるヤツいないだろっ!

【吉井 宏/イラストレーター】
HP < http://www.yoshii.com >
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/ >

SNSなどでコメントするときに、少しでも笑いのニュアンスが入ってると、薬指が自動的に「w」を連打してしまうようになってるww もう普通に笑い声を口から出すのと同じ感覚w 自分の文章を見てウザいと思う。「wは一日10個まで」とかにでもしないと。

・rinkakインタビュー記事
『キャラクターは、ギリギリの要素で見せたい』吉井宏さん
< https://www.rinkak.com/creatorsvoice/hiroshiyoshii >
・ハイウェイ島の大冒険 < http://kids.e-nexco.co.jp >
・INTER-CULTUREさんの3Dプリント作品販売
< http://inter-culture.jp/Buy/products/list.php?category_id=63 >


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編集後記(07/02)

●数学者の藤原正彦の自伝的小説「ヒコベエ」を読む(新潮文庫、2014)。満州で生まれた筆者が、苛酷な引き揚げの後、終戦後一年余りして両親の故郷諏訪にたどりついた頃から、東京に転居し小学校卒業までを描いている。背景は昭和20年代、日本が貧しくても明るく力強く立ち上がって行く時代だ。ほとんどが事実を回想して書いたという。母は「流れる星は生きている」の藤原てい、父はあの新田次郎。「両親の才能を継がなかったことを無念に思ったり、小説家の両親ほど嘘つきでなくてよかったと思ったりした」とあとがきにあるが、生き生きとしたヒコベエの描写はすばらしい。この年齢の男の子の世界は、女性にはわかるまい。男にとっての黄金の時代を描いた「ヒコベエ」は、何度読み返しても懐かしい。

熱血少年ヒコベエは腕力と頭脳で学級に君臨するが、完璧ではないところがじつにかわいい。両親のキャラがまた興味深い。父は藤原家伝来の喧嘩必勝法「水車戦法」をヒコベエに授ける。喧嘩に勝って帰って来ると父は「我が家の武士の伝統を守ったんだな、よくやった」と褒めるが、「何が武士の伝統よ。バカバカしいったらありゃしない。この父にしてこの子ありね」と吐き捨てるように言う母。このほかにも、父に対し面と向かって冷水をかける母の姿がよく現れるが、自分は貧困の中で文筆から遠ざかるを得ず、逆に作家としての評価が着実に高まる夫に対する嫉妬なのだと思う。ヒコベエが横で聞いていてハラハラする気持ちがよくわかる。作家一家の「業」である。

やはり算数の問題を解くいくつものエピソードがおもしろい。早くも数学者の片鱗を見せるヒコベエ。「1に2を加え、それに3を加え......というようにして10まで加えたらいくつになるか」を独特の計算方法で解く(説明されてもわからなかったが)。4年の時の図工の先生は抜群のユーモアを持ち、なぜか算数好き、彼の出題をヒコベエだけがみごとに解く(説明されないとわからなかったが)。美・数理・ユーモア・独創的なものの見方など、ヒコベエの中に眠っていた何かを揺り動かしてくれたのが、後の安野光雅だった。日教組先生の社会主義と、父から叩き込まれた武士道、とりわけ惻隠の情、そしてヒコベエのバイブルだった「クオレ」の教えの三者は、ほぼ同じことを言っていると感じた早熟の小学生。おそろしい子!

小学生男子という時間。解説で小川洋子は「小さな男の子としての時間」を「神様から与えられた特別な時間」と書く。女性でもわかる人はわかっている。わたしにとって小4こそ人生の転機であった。2学期、清水先生のたった一言で(それが何か忘れてしまった。あれは夢だったのかとも思うのだけど、それはとにかく)引っ込み思案でいじめらっれっこの劣等生が、一転やたら積極的になって成績は急上昇、体育と音楽以外は常に上位に座り、ずっと学級委員長。しかしながら、同時に「軽率」も身に付いてしまったお調子者。舌禍、筆禍は度々。これからは、感情を抑制して軽率な表現を排し、読む人に不快感を与えないような書き方をしなければならないと思います。まつむらさん、ご忠告ありがとうございます。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062163756/dgcrcom-22/ >
ヒコベエ


●一つの理由って何なんだろう。確かに後記はズルイですよね。書いてて思います......。

LiveScribe続き。個人輸入しようとしたら、国内でもソースネクストが販売開始してくれて、安く買えてラッキーであった。

Evernoteにノートがアップできないトラブルがあって(ノートのみ、音声はあがる)、いろいろ試した後、ダメ元でソースネクストに問い合わせたことがあった。こっちのメールちゃんと読んでくだされ、それもこれも試しましたってば、という回答ではあったが、とことんつきあってくれるサポートに驚いた。いいところですわ。

日本語での回答はありがたいし、簡単に交換しますと言わないところにも気概を感じたぜ。国内販売代理店を通じての購入って楽だと思ったわ。トラブル自体は本家ドライバがアップデートされて解決。たぶんEvernote側の仕様変更。二か月ぐらいはトラブってたよ。たまにしか使わないし、ノート自体は紙で残っているから仕事で困ることはなかった。続く。(hammer.mule)