Dの憂鬱[33]Facebookについて最近思うこと(愚痴)/笠居トシヒロ

投稿:  著者:  読了時間:7分(本文:約3,400文字)


まいど、笠居です。いま7月9日の朝6時15分、サッカーワールドカップの準決勝、ブラジル対ドイツ戦を観ながらこの原稿を書いてます。うーん、しかし、いくらブラジルが、ネイマール、シウバという二人の主力選手を欠くとはいえ、ここまでドイツのワンサイドゲームになるとは。。。

まぁ、それはいいとして本日のテーマ。テーマというか、今回は単なる愚痴を書き連ねるだけになりそうな気が。。(うぁ、6点目入っちゃったよ。。。)

最近、Facebookでなんとなくイライラする事が多い。オレ自身はあまり積極的に投稿をすることはないし、ネットの記事をシェアすることも(とあるクローズドなグループへのポストは除いて)ほとんどないんだけど、オレの「友だち」たちは、そこそこいろんなことをコンスタントに投稿しているみたいだ(もちろんそうでない人のほうが多いと思うけど)。

自分の近況をポストしている記事については「ああ、今そんな感じなんだね」とほほえましい気持ちになることがほとんどなんですよ、ええ。(ああ7点目)

イラッとするのは、ネット記事の「シェア」について。それがニュースだったり、テクニカルなTipsの記事だったりした場合は、「ほうほう、そんなことが!」「いやーいろんな方面にアンテナ向けなくても、友だちが代わりに記事探してきてくれて便利だなー」とありがたがるだけなのだが、びみょーなのはブログの記事だったり、比較的新しく「メディアの仲間入りしました」サイトの記事だったり、といった「なんか主張したいんだワタシ」的な記事である事が多い。




んで、そういうのをシェアするときに、自分のコメントを何も添えずに、ただシェアしてあると、「この人はこの記事を良いと思ってシェアしたのであろうか? それとも悪いと思ってシェアしたのであろうか?」と小一時間悩むことがある。(おぉ、ようやくブラジルが1点返した。でも遅すぎ。。7-1かぁ)

まぁ、ほとんどの人は記事が「良い」と思ってシェアするのだろうから、コメントがない場合もおそらくは「こんな良い記事を見つけたから友だちにも知らせてあげよう」という善意からシェアするのだと思う。

「こんな胸糞悪い記事を見つけてしまった。オレ一人が嫌な気分になるのは腹が立つから友だちも同じ目にあわせてやろう」と思ってシェアする人は、少なくともオレの友だちにはいない(はずだ)。

そうはわかっているのだが、やはりコメントがないシェアには悩んでしまう。なぜなら、その記事を素直に「良い」と思えないことが多々あるからだ。

「この人はどうしてこんな記事をシェアしたのであるか?」と思いつつもいったんスルーし、別の友だち(直接の友だちでないこともあるが)が、そのシェアポストにコメントを付け、さらにシェア主である友だちがコメントを返しているのを見て、初めて「ああ、やはりこの人は、この記事を良いと思ったからシェアしたのだ」と納得するわけだ。

とはいえ、これは「友だちの意図がわかった」ことに対して納得しただけであって、そのシェアされた記事に対して納得したわけではない。オレは、友だちが賛同しているからといって、記事に対する見方が変えられるほど、器用でも柔軟でもない。

それどころか、「なんでこんなのを良いと思えるのか小一時間問い詰めたい」と思うことすらある(しないけど)。友だちのシェアに対して、ほぼ100%賛同するコメントを付けている人をよく見かけるが、こういう人って大丈夫? とわけもなく心配してしまう。

ちなみにこういった「100%賛同」コメントは、そこそこネットでも名前の通った方がポストした記事に、たくさん寄せられる傾向があるようだ。

では、オレが「良いとは思えない」記事とはどんなものか、ちょっと挙げていってみよう。

●世の中に不安をばらまくような記事

原発絡みの放射能汚染だったり、人々が避けては通れない食材の話は、よくネガティブ・キャンペーン的に扱われることがある。とくに「食材」。

「コンビニで売っている食品が長持ちするのは、実は......」とか「レストランの裏側では......」「どこそこのファーストフードで使われている原料は......」など、まぁよく飽きもせずに同じような話題をこねくり回すなぁ、と感心するほどだが、こういった記事がまことしやかにあげているデータには、出典がどこなのかはっきりしないものが多く、信憑性が怪しまれるものも多い。

こういうのを見つけた人は、「これは大変、みんなにもおしえてあげなきゃ」と思うのだろうが、シェアすることで単に不安をばらまく手伝いをしているだけなんじゃないか、と思うオレはひねくれているだろうか?

●個人的な感想をあたかも識者の意見であるかのように書いている記事

そういう意味では、オレのこの原稿もそのひとつだと思う。改めてお断りしておくが、この駄文は最初に書いたようにあくまでもオレの感想(というか愚痴)である。「こうあるべきだ」などという主張はないので、そこのところよろしく御了承下さい。

言い訳が長くなってしまったけど、こういった種類の記事は、身近な(会社や学校、地域社会)小さな社会の中で起きた物事をきっかけとして持論をふくらませ、最終的には「人間とは」「社会とは」こうあるべきだとワタシは考える、といった締めくくりになっていることが多い。

いや、別にそういったことをブログやネットメディアに書くことは自由だと思う。が、これがシェアされ、賛同コメントが付き、特定の知り合いの「お墨付き」がついて「本物っぽい鎧」をまとって流通していくことには、なんか危険な雰囲気を感じてしまう。元の記事はあくまでも「個人の感想」の延長線でしかないのだ。

●作品の紹介

いや、こんな素敵な作品があるよ、という紹介記事はいい。ドンドンしていただきたい。が、本当に「良い」作品にたいして行なってほしいなあ、と思う。とくに「シャーペンだけで描いた◯◯」とか「写真と見まごう◯◯」とかの、やたらアナログを持ち上げる記事を見るとゲンナリしてしまう。

おそらく今ネットの主役となっている世代は、こういった手技によるスーパーリアリズムの全盛期を知らない人たちが殆どなのだろう。
< http://goo.gl/9VxCZO >

「デジタルだったらやれるかもだけど、これアナログで描いてるんだぜ? すげー」。馬鹿か、アートは手段そのものを評価するようなものではない。いくら写真ソックリに描かれていても、そこに何も表現意図がなければ「写真でええやん」という評価にしかならない。少なくともオレはそう思う。

●とあるハードルをクリアする必要のある記事

「いいね!」しないと読めない、とか、ここから先は有料です、とか、メンバー登録してから読んで下さい、といった、ある種のハードルが用意されている記事がシェアされていると、かなりがっかりした気分になる。勘ぐり過ぎかもしれないが、「シェアした奴は、この記事を載せているメディアから金でも貰ってるんじゃないか」とすら思ってしまう。

注意したいのは、「いいね!」しないと読めない記事だが、シェアした友だちの人となりと、シェアした記事のテイストとをよく見比べてみてほしい。「あれ? この人こんなことに興味あったっけ?」と違和感を感じたら、そのシェアポストは「いいね!ファーム」の罠かもしれない。

さて、いろいろと書き連ねてきたが、だからどうだということはない。最初に言ったように単なる「愚痴」だ。そんなに嫌ならFacebookやめりゃいいじゃん、ヤメないまでも見なきゃいいじゃん、と言われるだろうが、それはできない。

広告業界のネットという狭い括りの、さらにその片隅で生息しているオレとしては、Facebook(に限らずSNS全般)というメディアから、目を背けて生きていくことはできんのであります。

【笠居 トシヒロ/WEBディレクター、デジタルハリウッド大学院客員教授】
< http://www.mad-c.com/ > < kasai@mad-c.com >

今週末、沖縄に行って、セミナーでスマホアプリについてちょこっと喋ります。
沖縄の皆さま、もしよろしければ脚をお運び下さいませ。
< http://goo.gl/2cSqXY >
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