ショート・ストーリーのKUNI[156]黒ごきぶりの会[2]
── ヤマシタクニコ ──

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紳士たちの集まり「黒ごきぶりの会」は閉店後の某うどん店を会場に、月一回開かれている。梅雨明け間近の今夜も、蒸し暑さをものともせず五人の男達が極上のうどんを賞味しつつ歓談を楽しんでいた。

「まったく蒸し暑いときこそ『けいらん』ですな。いやあ汗をかきながら食べるのがたまらん。しょうがの風味もよく効いている」

とタクシー運転手の本山がいえば

「このきつねうどんの二枚の三角揚げときたらどうです。悪魔の背に生えている一対の翼のようで、しかも天国を思わせる甘さ。まったく困惑と至福のひとときです」

と自称一流企業のサラリーマンの中島がおおげさに言い

「素直じゃないな。夏はやっぱりざるうどん、ざるうどんに決まってます!」

とフリーデザイナーの小田が勢いよくうどんをすすりながら反論しつつ

「おっと、カレーうどんの汁を飛ばさないでくださいよ」

と高校教師・塩尻に言うと、塩尻が眉をひそめる。それを見ながら黙々と月見うどんを食べていた地方公務員の安田がふと、ため息をついた。

「どうかなさいましたか」

冷たい茶を各自の湯のみに注いでいた従業員の辺利が声をかけた。

「いやあ、実は......」

「私の父は団地で一人暮らしをしているのですが、最近どうも認知症が始まったのではないかと思われるのです。団地は私の家から近いので、時々様子を見に行っています。ところが、少し前に父が妙な行動をとったところを目撃してしまったのです」




「妙な行動?」

「といいますと?」

「たまたま父が歩いているところに出会ったので、声をかけようとしましたが、なんだか元気がないのです。足取りも気のせいかふらふらしているように見えました。私は、親父も老けたんだな、となんだかしみじみした気分になり、そんな意図はなかったのですが、離れたところからそっとうかがい見る感じになりました。

すると、父はふと立ち止まると道端で小石を拾い、草の芽をむしりました。なんだかほうけたような表情でした。そしてそれを郵便受け...団地の各棟の階段ごとに並んでいる、集合郵便受けですが...そのひとつに、ぽとり、と入れたのです。道で拾った小石と草の芽を、です」

「......何のために」

「何のためかわかれば苦労はしません。そのあと、またふらふらと歩き去っていきました。私はなんだかショックでした」

「はあ」

どう反応すればいいのか、一同、しばしうどんをすする手をとめて考え込んだ。安田は話を続けた。

「郵便受けといえばあたりまえですが、さまざまな郵便物が届けられます。大事な手紙や通知もあるでしょう。そこに葉っぱや小石が交じっているのはあまりいい気分でないと思います。それで私はなんとなく責任を感じ、父がその場を立ち去るのを見届け、あたりに人気がないのを確認してから、その小石と草を取り除こうとしました。

ところが、そのポストには南京錠が取り付けられてあり、上部の隙間から何かを入れることはできるが取り出すことはほとんどできないつくりでした。困った私は取り出すのをあきらめました。代わりにほかのポストにも同じように草や小石を入れることにしたのです」

「え、なぜそんな」

「カモフラージュ、ですな!」

「ええ、みなさんご存知かどうか知りませんが、団地の郵便受けといえば、子ども達がよくいたずらをすることがあります。まあ、子どものいたずらと思えばそんなに腹も立たないじゃないですか。とにかく私は父の取った行動がなんだか恥ずかしく、隠したい思いでいっぱいだったのです。

それで、わざと適当な感じを出すために、あるポストには草を二、三本放り込んだり、別のポストには小石ひとつだけにしたりし、何も入れないポストもありということにしました。元の、父が小石と草を入れたポストにはそこらに落ちていた真新しい洗濯バサミも放り込みました」

「うん、意図はわかる」

「確かに。子どものいたずらといっても、それが自分の家だけだと『あのガキ、おれに恨みでもあるのか!』となるんだ。実際、近所のアパートでそういうトラブルがあったことがある。だから不特定多数が『被害』に遭ったように見せるのは正解だと思う」

「わかってくださってほっとしました。とりあえず、その日はそんなてんまつで、私はなんとなく父と顔を合わせるのが気まずい思いでしたが、父には一言もいいませんでした。私がすっかり見ていたこと。そして私の取った行動についても。

それ以後も父はなんとなく元気がありませんでした。好物の酒饅頭を持っていっても手をつけません。父は地元のミステリー同好会に入っていて、国内外のミステリー小説をよく読んでいましたが、それもあまり気がすすまないようでした。

ところが、それからしばらくして、私はまた同じような場面に出会ったのです。同じように、団地の中の小道を父が歩いていて......」

安田は深刻な表情になった。

「今度は小さなピンクの花が咲いている草......名前はわかりません、私は植物にくわしくないので......と、遠目からでは何かよくわからない小さなものを、またポストに入れたのです。私はまた父が去ってからそうっとポストに近づき、覗き込んでみると、花と、小さな蛾が見えました」

「蛾、ですと?」

「ということは......死んだ蛾ということですな?」

「ええ。黄色い羽の蛾でした。ぱっと見た感じはきれいといえなくもないのですが、よくないですよね。そんなものを他人のポストに入れるなんて」

「はあ」

「私は前回と同様、ほかのポストにも似たような花や、そこらにあるものをランダムに入れました。そして、父には何も言いませんでした。でも、それから一週間くらい経ちますが、父はますます元気がなく、毎日ぼんやりと暮らしています。私は気が気ではありませんが、どうしたらいいのやら......」

「うーん。やはり認知症ですかな。奇妙な行動といい、全般的に意欲をなくしているらしい様子から、その可能性はある。一度専門家に診てもらったほうがいいかもしれないぞ」

「そうだな。安田さんにはつらいことだろうが......」

「この高齢化の時代、ちっとも珍しいことでも何でもないんだ。来るべきものが来たんだよ」

「介護保険もこのためにあるわけだし」

メンバーが口々に安田を慰めかけたとき、この集まりのための特製デザート・黒蜜がけわらび餅を運びながら辺利が口を開いた。

「お父様が認知症かどうか、まだわかりませんよ」

「辺利、何か心当たりでもあるのかい!」

デザイナーの小田が言うと、辺利はにっこりと微笑みながら

「心当たりというほどでもございませんが、男でも女でも急にふさぎこんだり元気がなくなったときにまず考えられるのは『恋の病』ではないでしょうか」

「恋の病だと!」

「そうなのか、安田くん。お父さんには意中の人が?!」

「え......いや、そんなことはないと......思いますが......」安田はうろたえながら答えた。「父は......今年81歳ですし」

言いかけると本山が

「年齢は関係ないさ。とすると、郵便受けにものを入れていたのは何かのメッセージだったりして?!」

さらに中島が

「あ......その、お父さんが石や草を入れていたのは同じポスト、なのかい?」

「確かに......二列並んでいる下の方で、一番外側でした。二回とも」

「なんというお宅なんだ?」

「いえ、名前は表示されていませんでした。特に名前を出さないお宅がほとんどなんです。みなさん、慎重というか......」

「たとえば、石と蛇の皮だったら『何すとーんじゃ』とか!」

小田が大きな声で言うと

「小田さん、蛇の皮ではありません。石と草です」塩尻がいさめる。

「それに、それじゃけんかを売ってるみたいです」

「そのポストは恋敵のものかもしれないじゃないか!」

「ああいえばこういう」

「蛇の皮は財布に入れておくとお金がたまると言うし」

「わかったわかった」

辺利が安田に聞いた。

「安田さん、お父様はミステリー同好会に入っておられるとかおっしゃってましたね」

「はい」

「どんな活動をしておられたのかわかりますか」

「ええ......毎月例回を開いているみたいです。テーマとなる本を決めておいて......例会の案内ははがきで来るので私も見たことがあります。今月は確か『樽』......あ、そうそう、会長さんは女性なんです。会長さんの名前がはがきに書かれて

いるので知ったのですが」

「どんなお名前でした?」

「それが......名字は原田というのですが、下の名前は......難しくて読めないんです。お恥ずかしいことですが」

「もしやこんな字ではありませんでしたか?」

辺利はポケットからボールペンを取り出し、紙ナプキンにさらさらと書いてみせた。

「そそそ、そうです、この字です」

そこには「嫩」という文字が書かれていた。

「ふたば、ですね。双葉と同じですが、名前のことですからひょっとしたら『みどり』とか『わかば』と読ませるのかもしれません。女性の名前によく使われる文字ですね」

「さすが辺利さん、なんでもよく知っている。そういえば......父がポストに入れたのはまだ芽が出たばかりのような、葉が二枚出たやつでした!」

「とすると」中島が遠慮がちに言った。

「ベタすぎるかと思って言わなかったのですが、小さな石って、要するに『こいし』ですよね。こいしい......」

「ああっ!」

「これはやっぱり」

「恋文だったんだ!」

辺利がにっこりとうなずいた。

翌月の黒ごきぶり会。

安田が前月とはうってかわってにこやかな表情で切り出した。

「みなさん、おかげさまで父もすっかり元気になりました」

「それはよかった」

「認知症じゃなかったんだ!」

「恋の病だったんですね!」

「ええ。あのポストはやはりミステリー同好会の会長さん・原田嫩さん宅のものでした。原田さんと父は以前から仲の良い友達だったそうですが、例会でふとした意見の食い違いから口論になってしまい、口も聞いてくれなくなったのだそうです。さびしくてしかたない父は、なんとか関係を修復したいと思った。

手紙を書きかけて、そうだ、ここはミステリー同好会の会員らしいやりかたにしようと考え直したのだそうです。ほかの女性ならともかく、嫩さんならすぐにぴーんときて、にたりと笑ってくれる。恋文とはいってもそう深刻にならずに済む。『おもしろいひとねえ』そう思ってくれるかもしれない、と」

「ところがそうはいかなかった」

「だれかが洗濯バサミを追加したおかげでね」

「はい、私がメッセージを台無しにしてしまいました。結局、私のねらいどおりといいますか、原田さんは子どものいたずらと結論づけた。父のメッセージは届かず......父は無視されたと思ってますます落ち込みました」

「そして、あせって2度目のメッセージを出した」

「二度目のメッセージの意味がわかりませんな。花のついた草。そして、蛾」

「父に聞いたところ、『花』と『死体』で『はなしたい=話したい』だそうで......」

「あー、そ...それは」

「あせる気持ちはわかるが......ちと苦しいでしょう!」

「私もそう思います。そもそも蛾の死体を入れられて喜ぶ女性がいるとも思えません」

「ほとんど呪いです」

「警察に通報されてもおかしくない!」

「実際、原田さんの棟の入り口には『最近、郵便受けに悪質ないたずらをされるケースが相次いでいますのでご注意ください』と張り紙が出される始末です。どうも父にはセンスがないようで。それで、大人同士なんだからふつうに話したらと私から申しまして、結局それでうまくいったようです。ちなみに嫩さんは今年78歳ということです」

「まあ結果オーライということで」

「これも辺利さんのおかげです」

辺利がにっこりとほほえんだとき、小田が言った。

「いま思いついたんですが、蛾のことを英語でモスと言うじゃないですか」

「ええ」

「私なら蛾を二匹、ポストに入れますな。モスモス......」

「もすもすがどうしたんですか」

「意味がわかりませんな」

「話しかけてるんじゃないですか」

「わかりませんよ、それじゃ」

「いや、だから」

今夜の黒ごきぶりの会もそろそろお開きである。

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ご存知アシモフの「黒後家蜘蛛の会」のパロディのつもりで以前書いた「黒ごきぶりの会」。ふと思い出して[2]を書いてみた。前回書いたのはいつだっけ......と思ってみたら、なんと2008年7月。もう6年も前なのであった。
< https://bn.dgcr.com/archives/20080703140300.html
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