[3739] 道程青年団(ザ・ディスタンス)の巻

投稿:  著者:  読了時間:23分(本文:約11,000文字)


《こいつあ重厚さんのお導きかもー!》

■わが逃走[144]
 道程青年団(ザ・ディスタンス)の巻
 齋藤 浩

■もじもじトーク[02]
 Webフォント基本講座(1)
 関口浩之

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  怒りのブドウ球菌 電子版 〜或るクリエイターの不条理エッセイ〜
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◎デジクリから2005年に刊行された、永吉克之さんの『怒りのブドウ球菌』が
電子書籍になりました。前編/後編の二冊に分け、各26編を収録。もちろんイ
ラストも完全収録、独特の文章と合わせて不条理な世界観をお楽しみ下さい。
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■わが逃走[144]
道程青年団(ザ・ディスタンス)の巻

齋藤 浩
< http://bn.dgcr.com/archives/20140724140200.html >
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第141回で道程青年団(ザ・ディスタンス)結成について書いたわけだが、今回はそのつづき、プレスリリース制作について、というか、出来上がったプレスリリースをそのまま紹介しちゃおうと思う。

そもそもプレスリリースなんてものは作ったことがなかったので、そういった意味からもいっしょうけんめいやりました。とても。

構成は
1.ご挨拶+基本情報
2.展示予定作品の一部を紹介
3.小河孝浩の紹介
4.齋藤浩の紹介
5.美術館の紹介
6.西米良村の紹介

と、かなり盛りだくさんな内容になった。

私にとっても、こうして文章にまとめることで初めてこのユニットの全貌を知ることができたと言っても過言ではない。

うーん、面白そうじゃないか、道程青年団(ザ・ディスタンス)!!



PRESS RELEASE

関係者各位

写真家小河孝浩とグラフィックデザイナー齋藤浩は、この度フォトグラフィユニット"道程青年団"(ザ・ディスタンス)を結成、第一回展覧会を2014年9月3日より宮崎県立美術館にて開催いたします。

展覧会タイトル:旅の途中〜出会いこそ人生の醍醐味〜
アーティスト:小河孝浩×齋藤浩
会場:宮崎県立美術館 県民ギャラリー1,2
会期:2014年9月3日(水)〜7日(日)(会期中無休)
開場時間:10:00〜18:00(最終日は16:30閉場)
観覧料:一般400円(高校生以下無料)

[ギャラリートーク]
9月6日(土)13:30〜
15:00 1Fアートホールにて 作家による写真論的世間話 入場無料

[フロアレクチャー]
土曜を除く毎日開催。平日16:00、日曜14:00 会場にて
作家による作品解説的世間話

お問合せ先 小河写真工房 E-mail opf@nishimera.net



そう! 憧れのギャラリートークデビューなのだ。たのしみだなあ。

デザインの講義なんかだとそれなりに段取りが大切だったりするけど、今回の写真展ではその場のノリと勢いに任せちゃう感じだろうか。

私も小河孝浩も極限まで研ぎすました写真を、気合いじゅうぶんに「これでもか!」と見せつけるつもりではいるけれど、これらはある意味ものすごく敷居の低いカジュアルな風景やモノたちの写真でもあるのだ。

漫才的写真ショーになる確率も高い。客席からいろいろとツッコミが入る感じか。いいねえ。本人達も目からウロコな意見を是非聞きたい!

また会期中は「フロアレクチャー」と称し、ギャラリーで来場者とアカデミックな写真の解説をするふりをして世間話に興じます。こちらもたのしみ。

さて、この後プレスリリースでは挨拶文が入るのだが、〈わが逃走♯141〉と重複するので省略。そして、展示予定作品を掲載。ここでは10点を紹介。



小河孝浩
< http://bn.dgcr.com/archives/2014/07/24/images/01.jpg >
齋藤浩
< http://bn.dgcr.com/archives/2014/07/24/images/02.jpg >
小河孝浩
< http://bn.dgcr.com/archives/2014/07/24/images/03.jpg >
齋藤浩
< http://bn.dgcr.com/archives/2014/07/24/images/04.jpg >
小河孝浩
< http://bn.dgcr.com/archives/2014/07/24/images/05.jpg >
齋藤浩
< http://bn.dgcr.com/archives/2014/07/24/images/06.jpg >
小河孝浩
< http://bn.dgcr.com/archives/2014/07/24/images/07.jpg >
齋藤浩
< http://bn.dgcr.com/archives/2014/07/24/images/08.jpg >
小河孝浩
< http://bn.dgcr.com/archives/2014/07/24/images/09.jpg >
齋藤浩
< http://bn.dgcr.com/archives/2014/07/24/images/10.jpg >



示し合わせたわけじゃないのに、妙に対比的。そして妙に通ずるものがあると思う。正直言って、想像以上の相乗効果。意味のある2人展になると確信したオレであります!!

次に、小河孝浩と齋藤浩の紹介文。これも名文が揃ったので、ギャラリー入口にパネルにして掲出しちゃおうかな。



小河孝浩のこと

小河さんとは10年前にネット上で知り合いました。まるで子供の頃からの長い付き合いのような気がしていますが、改めて思い返すと実際に会ったのは昨年6月のことで、これには我ながらオドロイてしまいます。

想像通りの九州男児、義理堅く漢儀あふれ、写真と西米良のことを語りはじめたら止まらない。

小河さんから故郷の話を聞く度、自分も西米良出身のような気がしてしまうから不思議です。これこそが小河孝浩の力。故郷と人々を繋ぐ力です。

彼の写真の魅力をひと言で表現することはできませんが、あえて言うなら「未完結」だと思います。

絵の中の行ったことのない風景、会ったことのない人物に見る者の思い出が重なることで完成し、あたかも自分の記憶のように心に留まってゆくのです。《齋藤浩》


気配を感じる写真

写真を撮り始めて40年が経つ。写真雑誌を読みあさって、ありとあらゆる写真を真似た中学時代。ピント、露出、構図。セオリーどおりの写真を撮るが満足できない。

職業として生計を立てると、撮影は楽しかったが、出来上がった自分の写真を好きにはなれなかった。

帰郷した頃、仕事で撮った写真を見た息子が「お父さんの写真ってつまんないね。僕は西米良で撮った写真の方が好きだよ」と言った。

切り花が溢れんばかりに生けられた、無駄のないきれいな写真だった。

ある時、余計なものだと決めつけていた人工物が、自然と共生している景色に惹かれた。人の暮らしや気配を感じて、自分の写真を好きだと思えた。

誰でも出くわす日常の風景だが、写真として捉える重要な条件は、撮影者の心の在り方だ。
あれから13年、大学生になった息子は父の写真を観て何と言うだろうか。《小河孝浩》


小河孝浩◎略歴

1961年宮崎県西米良村生まれ 在住 13歳の頃白黒写真の引き伸し機を伯父から譲り受け、現像液から写真が生れ出る瞬間に感動して撮影を始める。

高校3年生の時に全国規模の写真コンクールで一番になり、その気になって広告写真家を志し上京するも、凄まじい修行が待ち構えており、かなり凹んだが耐え抜く。

1988年独立。憧れの南青山に撮影スタジオを設立するが、あまりにも同業者が多い事を知ってがっかりする。

40歳まで広告写真を中心に人物、静物の撮影を手掛ける。2001年、西米良村に帰郷。以後、村をテーマにした写真展や写真集で継続的な発表を続けている。2013年、前年に刊行した写真集「結いの村」が宮日出版文化賞を受賞。県内外で写真展多数。

著書『おかえり』(石風社刊)『結いの村』(同)『西米良神楽(撮影)』
(鉱脈社刊)『オガワタカヒロ 毎日行進』(忘羊社/9月発刊予定)
日本広告写真家協会(APA)会員
小河孝浩公式Website < http://www.ogawatakahiro.com/ >


齋藤浩のこと

顔の見えない付き合いが大嫌いである。出会いはクリエーター仲間が自由に繋がるWebサイトに参加していた10年前、面識のない齋藤氏の日記を読んでメッセージを送ったことがきっかけだった。

そのサイトが閉鎖になり、Facebookの登場でネット上にて再会の後、遂に齋藤氏と対顔する。嫌いなはずだったバーチャルの世界で、旧知の友に出会えた「錯覚」に驚いた。

彼の写真には無駄がない。削ぎ落されたシンプルな画面だが、被写体の存在が最大限に伝わってくる。

感性のアンテナに狙われた標的は、齋藤浩の適切なフレーミングによって美しく切り撮られる。それは技術だけでは真似のできない、圧倒的センスから生み出される写真といえる。《小河孝浩》


削ぐ写真

デザイナーとして忘れてはならないこと。良いデザインとは騒いだり飾ったりすることではなく、必要な情報を簡潔かつ的確に伝えるために工夫することだと思うのです。

ということは、カメラ一台でそれを作ることも可能なのでは?? と思い立った齋藤浩はその日からノンコピー・ワンビジュアルのポスターをデザインするつもりでシャッターを切ることにしました。テーマは「趣味の構造美」。

私の撮る「構造美」は、暮らしてゆくための工夫の痕跡であることが多いように思います。本来人が住まない場所に無理矢理造られた、いわゆるニュータウン育ちのせいか、人がそこに暮らす必然のある場所で出会えるカタチにとても魅力を感じるのです。《齋藤浩》


齋藤浩◎略歴

1969年生まれ(生まれが千葉で育ちがサイタマ)。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟りデザイナーをめざす。

武蔵野美術大学短期大学部デザイン科卒、同専攻科修了。1999年独立。有限会社トンプー・グラフィクス主宰。

文化庁メディア芸術祭優秀賞、世界ポスタートリエンナーレトヤマ銅賞×2、ニューヨークADC merit賞、準朝日広告賞、朝日広告賞入選×3、毎日広告デザイン賞優秀賞・奨励賞、グラフィックアートひとつぼ展グランプリ、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ入選、その他受賞多数。ニューヨークADC、日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)会員。

2007年より日刊デジタルクリエイターズ(www.dgcr.com)にてコラム『わが逃走』連載中。
tong-poo graphics < http://www.tongpoographics.jp >



こうして読んでみると、図らずも対比と調和とでもいうような概念が出来上がっているみたい。この後、宮崎県立美術館の紹介というか、会場へのアクセスが入るのだが、ここでは省略。くわしくは美術館ウェブサイトにてご確認を。
< http://www.miyazaki-archive.jp/bijutsu/ >

そして西米良村についての紹介文です。なぜこの文が必要なのか。それは、最後まで読んでいただければわかる!



西米良村について

最後に小河孝浩の出身地であり、道程青年団(ザ・ディスタンス)結成の地でもある宮崎県の西米良村について紹介したいと思います。

県西部に位置する山々に囲まれた静かな村。風光明媚にして、食べ物は旨く、温泉も最高。思わず撮影旅行に行きたくなる、絵になる村。それが西米良です。

主要産業は農林業。近年は柚子やほおずきの栽培も盛んに行われています。宮崎で最も人口の少ない村でありながら、地域に根ざした体験ができる「おがわ作小屋村」が国交省「地域づくり表彰」最高賞を受賞するなど、その身軽さをポジティブに捉えた行政も注目されています。

そして九州写真史を語る上で欠かせない人物、写真家・浜砂重厚 安政3(1856)─昭和6(1931)の出身地もまた西米良村です。

彼が100年前に撮影した風景や人々の暮らしは、九州そして日本の歴史・風俗を研究する上でも貴重な資料となっています。その浜砂重厚、実は西米良村の初代村長でもあったのです。

つまり、西米良は村として誕生した時から写真と所縁のある地だったのです。

さて、彼が写真家として活躍した100年後にこうして運命的な出会いを遂げた道程青年団(ザ・ディスタンス)、「こいつあ重厚さんのお導きかもー!」などと思わなくもない。

こうなると俄然テンションが上がり、ここだけの話、西米良村を「写真の村」として盛り上げてゆく構想が水面下で進行中のようですよ。



7月10日、プレスリリースの配布がようやく完了した。今日が23日だから写真展まであと42日。これから作品のプリントと案内状の制作と作品集のデザインをしなければならない。
間に合うのか?? と思い、心配して小河孝浩に相談してみたところ、彼は、「ギリギリまで撮影する主義だから。」だそうで、それ聞いちゃったら、まあなんとかなるかなー。なんて思った次第。

しかし油断は禁物である。

密度の濃い写真生活は続く。

※東京やその他の都市での巡回展は未定ですが、是非やりたい。ギャラリーを(比較的というかかなり安く)貸して下さる親切な方を常に募集しております。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/ >

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■もじもじトーク[02]
Webフォント基本講座(1)

関口浩之
< http://bn.dgcr.com/archives/20140724140100.html >
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こんにちは。前回、デジクリデビューしました関口浩之です。

前回は「デジタルフォントが豊富に手に入る時代」と題して、文字の持つ情報伝達力について、そしてデジタルフォント化によって広がる表現力についてのお話をしました。

今回のテーマはWebフォントです。「Webフォントってなに?」って方もいると思いますので、まずは「Webフォントの基本講座パート1」をお送りします。かなり基本的なお話ですので、知ってるよって方はスルーしてください(笑)

●システムフォントと画像文字、そして、Webフォント

まず、この二つのバナーサンプルを見比べてください。おっ、なんか、懐かしいバナーですね。月曜日にデジクリ書かれてる川合さんとこのイベントです。

< http://goo.gl/gfhr3s > ← 画像文字
< http://goo.gl/jLtYIB > ← Webフォント

原寸表示だと同じに見えるかもしれませんが、拡大表示してみてください。画像文字のほうは、拡大すると文字がだんだんギザギザしてきますよね。Webフォントのほうは、いくら拡大してもギザギザにならずにきれいですよね!

ブラウザに文字を表示させる方法は、一般的に二通りあります。まずひとつはパソコンやタブレットなどに入っている、システムフォントで表示させる方法です。もうひとつは、画像編集ソフトなどで作成した画像文字を表示させる方法です。

「えっ、なんでわざわざ文字を画像で作らなくちゃいけないの?」と素朴な疑問をお持ちの方はいませんか? そんな方はこちらのバナーサンプルをご覧ください。

< http://goo.gl/yKuDRC > ← システムフォント

なんかあっさりしすぎですよ......。やはり、キャッチコピーや見出しには、お気に入りのフォントで表現したいですよね。なので、画像編集ソフトでボタンやバナーをせっせと制作してました。日本語Webフォントが登場するまでは。

●日本語Webフォントサービスの登場

システムフォントは、プラットフォームやOSバージョンによってまちまちです。搭載されてるフォントは数書体(ゴシック体と明朝体)なのが一般的です。Mac OS Xにはヒラギノ書体、Windows7や8ではMSゴシックやメイリオなどが標準搭載されています。

ブラウザはアウトラインフォントが表示できるんだから、筑紫明朝とかUD新ゴNTとかを、Webサーバから配信すればいいじゃんと思ってましたが、フォントワークスLETSやMORISAWA PASSPORTでは、そのような利用方法は使用許諾範囲外です。

では、ライセンス上そのような使い方が許諾されているフリーフォントを探して、Webサーバーに置いて使える形式に変換して利用することを考えてみましょう。でも、フォントをフルセット配信すると3〜15MBと大きなフォントデータになってしまいますね。なぜなら、日本語はAdobe-Japan1-6(Pr6)を例にとると2万3千文字以上あるからです。

また、Webフォントフォーマットは何種類もあって(WOFF/EOT/SVG/OFT/TTF)、ブラウザごとにデータを出し分けしないといけないのです。自分でWebフォント配信する仕組みを作るのは、かなりしんどいですね。

そこで、3年ぐらい前から日本語対応したWebフォントサービスが5社から提供開始され始めました。FONTPLUS、TypeSquare、デコもじ、アマナイメージズ WEBフォント、もじでぱの5つです。

PV数などに応じて料金が掛かりますが、Webフォントサービスの料金には各フォントメーカーのWebフォント使用許諾料が含まれているので、安心して使用できます。また、そのページで使用している必要な文字だけを配信するので、フォントデータ容量が軽くすみます。

この記事の総文字数とユニー文字数(重複文字は1文字で計算)、Webフォントデータサイズを計算してみました!
総文字数:2,568文字
ユニーク文字数:397文字
配信データサイズ:約50KB ※ロダンNTLGのWOFF形式

おおぉ、ひらがなとかは結構重複しているので397文字しかないのですね。このページをWebフォントで作成してみました。書体はロダンNTLGです。実際にChrome開発ツールなどでダウンロード容量を確かめてみてください。たしかに約50KBですよね......。重くない......。
< http://goo.gl/5yeMB6 >

注:編集部が原稿整理しているので、まったく同一ではありません

●Webフォントって何がいいの?(閲覧者視点)

あなたのホームページの訪問者にとっては、文字が画像で作られているか、Webフォントで作られているかを気にして読んでいる人は少ないと思います。なぜなら、そのサイトに欲しい情報があるかないかのほうが重要だからです。

でも、こんなことでイライラしたことありませんか?
・お店の名前や住所がコピーできない
・電話番号をタップしても電話がかけられない
・商品名をコピペしたかったけどコピーできなかった
・ナビゲーションの文字や見出しの文字が読みづらい

そうです。このようなケースは、文字は画像文字なのです。

僕は気に入ったフレーズをWebサイトで見かけるとコピペしたくなるのですが、マウスでドラッグしてコピーしようとしたら、「名前を付けて画像を保存」と出てきてコピペできないことが多いんですよね。

あと、僕は出張が多いので、宿泊するホテル名と住所を自宅にメールしようとしたら「あれ〜、画像文字じゃん」てことで、紙でメモしてからメールすることも少なくありません。前もって宿泊先を家族に伝えることを忘れているのも問題なんですが......。

Webフォントを利用すれば、デザイン性を損なうことなく、文字をテキスト化することができます。なので、ユーザーエクスペリエンスの向上につながります。

最後に、自分の会社のWebフォントサービスのPRになってしまいますが、FONTPLUSの無料トライアル版の利用方法ページを記載しますので、ご興味のある方は、一度、実際に試してみることをおすすめします。
< http://goo.gl/jmwlWp >

次回は、WebサイトオーナーやWeb制作会社にとっての日本語Webフォントの導入メリットをお送りする予定です。

【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com

Webフォント エバンジェリスト
< http://fontplus.jp/ >

1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。

その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。

小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。


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編集後記(07/24)

●わたしはスキャンダルが大好きだ。文化人・知識人といわれている人たちの、化けの皮をはがすスキャンダルほど面白いものはない。矢崎泰久「人生は喜劇だ」に書かれていた「五木寛之への手紙」という章で知ったことを紹介したい。矢崎が生涯で一番衝撃を受けたのが、五木寛之が彼の前から忽然と姿を消したことだという。それ以前の10年間は濃密かつ親密な関係が続いていた。突然去って行き、おおよそ30年の歳月が流れた。ニアミス程度はあったが避けられ続けて、いまになっても会って話す機会がないという。

それはいまや伝説となっている、空中分解した政党のいきさつを記したものである。市民政治運動として、革新自由連合(革自連)が発足したのは1977年6月1日、渋谷公会堂に2000人の聴衆(賛同者)を集め「マニフェスト'77」が開催された。そこに立候補を期待された大橋巨泉、野坂昭如、渡辺貞夫、羽仁五郎、赤塚不二夫、花柳幻舟ら11人が並んだが、五木寛之の姿はなかった。

1976年の夏、五木は青島幸男(当時・参議院議員)と竹中労と三者会談を持ち、革自連の構想をまとめた。1977年7月の参議院選挙で知識人、文化人(著名人、有名人に限る)を10人擁立し全国で全員を当選させ、青島の所属する二院クラブを法案提出可能な発言力のある会派に発展させ、参議院本来の使命を遂行しようという計画だ。日本一の流行作家でノンポリの論客だった五木が中心人物として立ち上がった。五木は矢崎をコーディネーターに任じ、早急に百人委員会の結成を依頼する。

そうそうたる人たちに声をかけ、秘密裏に動いていたが、竹中労をはずしたことから情報が漏れ、五木は「今後、マスコミにあることないこと書かれたら失敗に終わる可能性がある」と心配する。4月20日の結成集会で、五木が最初に立候補宣言をすれば、必ず決意する人が何人もいるから大丈夫だろうと矢崎は考えていたが、当日五木は姿を見せず、連絡がとれない。4月26日の記者会見に臨んだのは、中山千夏、ばばこういち、青島幸男、大島渚、加東康一。〈五木寛之はすでに消えてしまっていたのである。おそらく日本にいなかったのではないだろうか〉

マスコミからは、革自連は不発、空騒ぎ、仲間割れ、腰砕けと酷評される。〈むろん五木だけが悪いわけではないだろう。しかし、自分が中心になって発案し、私をはじめとする多くの協力者をないがしろにして、ついには行方不明になった。こんなことが許されるわけはない〉。結局10人の立候補者をそろえたが、追加公認した横山ノック一人が当選を果たしたのみ。革自連は1986年まで苦しい戦いを続け、中山千夏が上位当選しただけにとどまる。

筆者は1977年以来、五木を探し続けた。〈私は改めて問いたくなるのである。なぜ革自連を捨てたのか、何かの圧力を受けたのか、それとも、それからの作家活動のために必要な変身だったのか。利害得失だけで仲間を裏切ってもよいのか、と〉。なお、矢崎は革自連が惨敗した直後に、文藝春秋の幹部役員から「内緒だけど」と前置きされて、「五木には田中清玄(右翼の大物)からきついお灸をすえてもらった。作家を続けたいなら、政治なんかに手を出すなとね。相当ビビったらしいよ」と伝えられたことも書いている。翌年、五木は直木賞の選考委員に抜擢され、翌1979年には日本ペンクラブの国際委員長に就任している。いやー、小説よりおもしろいですねえ。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4864102929/dgcrcom-22/ >
「人生は喜劇だ 知られざる作家の素顔」


●ウォーキング続き。おかしすぎる。一時間もの間、途中雨に降られても、何もない道路にいる成人男性ら。そしてまだまだ動きそうにない。相変わらずスマホをいじる人と、会話もせず立っている人。

雨が降ってきたら軒先や喫茶店に避難しないだろうか。その時は軒先に避難していたのだろうか。待ち合わせ相手が一時間遅れるなら、その間喫茶店に行かないだろうか。たまたま戻ってきたようには思えない。

また、連絡がないなら一時間待つだろうか。サラリーマンらしき姿だ。相手は一時間も遅れるだろうか。遅れるとして連絡がないはずはない。

少し歩けば喫茶店やコンビニはある。スマホ持ちなら検索だってできよう。駅へは徒歩10分程度だ。続く。(hammer.mule)

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く、くやしい。おもしろすぎる。
2014年6月29日DDT後楽園ホール大会「スーパーササダンゴマシン 煽りパワポ」