武&山根の展覧会レビュー 消えゆくもの、残るもの──【記録魔─関根正幸のお蔵出し─】展を観て/武 盾一郎&山根康弘

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(メールでのやり取り)

武:アイチャットが繋がらない。。

山:なんで?? こっちは繋がってますよ。

武:なんでだ、せつぞくできない。。Googleでチャットできる?

山:Googleチャット? どうやるんだ。

武:直接Googleドキュメントでチャットするのはどう?


(Googleドキュメントでデジクリチャット)

武:こんばんはー。動く?

山:はい、こんばんは。今んとこいいけど、どうなるかわからんなー。

武:できるとこまでやってみようw

山:そうすね。勝手が違うからなんかやりにくいぞ!

武:やりにくいな。ある意味、画期的だなこれw

山:おお、編集しながらチャットができる! 酔っぱらってるとおそろしいことになりそうw

武:俺はもう呑み始めました。焼酎のトマトジュース割。

山:もう飲んでんのかいな。あ! トマトハイやないか!

武:缶チューハイを買ってる時間がなくて、たまたまトマトジュースがあったから。残りの焼酎を割って呑んでます。

山:なかなかうまくない? その飲み方。

武:トマトジュースがちょっともったいけどね。美味しいよ。

山:確かにその飲み方をすると、トマトジュースがすぐなくなる。

武:そんな感じで、今日は俺のアイチャットがなぜか接続できなくなってしまったので、グーグルドキュメントに二人で直接書き込みながら原稿をつくっております。

山:これ、相手が書いてるのリアルタイムでわかるから、おもろいな。




武:そうなんよw

山:変換の癖がわかるな。相手の邪魔もできるw

武:おいおいw あんま余計なことするとまた不具合が生じるから穏便に行きましょうw

山:酔っぱらってきたらよく覚えてないから、武さんが言ったことにすり変えることができる!

武:酔っ払ってどっちが書いたのか分からなくなることって起こるかな?

山:まあ、あとで見りゃほぼわかるけどなw

武:そうか。なんかでもこの現象は面白い。って原稿では伝わらないが。。。

山:皆さんも試してみて下さい!

武:文字数も分かるし、いいな、これ。

山:いいですねー。......うわ! こんなこともできる!

武:便利だ! って原稿じゃあ分からないがなwww っていうか問題はね、いくら便利に使えても一銭にもならないってことだよなw このまま一銭にもならずに、ずっと続けるしかないんだろうか。。。

山:今に始まったことでもなし、ここで稼ごうと思うから良くないんですよw

武:そっか。。。で、ですね、今回のチャットはどうしましょうか。

山:えっ?

武:内輪っぽくなるが、展示を紹介しましょうか。あらたまって紹介するとなると、ちょっと照れるな。

山:照れる必要ないやろ! さっき展覧会場で会った時に言っときましたよ。「これからチャットする」って。そしたら、「うん、うん、ありがとうございます」って言ってた。

武:あはは。今回はさ、キョージュこと「関根正幸」を肴にあれこれ語りましょうよ。

山:そうですね。キョージュがよくわかる何かないのか。テキスト。

武:そう言えば、プロフィール的なものは...、これになるのかな。
  「地下室ブログ」
< http://chikashitsu.blog.shinobi.jp/%E8%A8%98%E9%8C%B2%E9%AD%94/%E8%A8%98%E9%8C%B2%E9%AD%94%E3%80%80%E3%83%BC%E9%96%A2%E6%A0%B9%E6%AD%A3%E5%B9%B8%E3%81%AE%E3%81%8A%E8%94%B5%E5%87%BA%E3%81%97%E3%83%BC >

山:丁寧に書かれてるので、これが一番わかりやすそうですね。沼放談でもいろいろ聞いてるけど、一気に身内感でてまうな。
< >

武:なんでこんなに無駄に凝ってるんだwww それから、俺のブログにも書いたよ。
< http://take-junichiro.blogspot.com/2014/07/blog-post_19.html >


●写真とチャリンコのキョージュ

山:キョージュこと関根正幸さんとは、付き合いとしてはずいぶん長いので、客観的に見るのはなかなか難しいんですが、武さんはキョージュの印象ってどんなんですか? 僕はやっぱり写真とチャリンコですが。

武:そうですねえ、俺もそうだけど。。。えーっと。バンダナで服が黒いw 

山:見た目かい!

武:あとは、地下室ブログにも俺のブログにも書いてないけど、東大理学部数学科の博士課程を出てる人。

山:そうやね。数学の講師なんやけど、なぜか僕らはキョージュと呼んでいる、という。どうやら武さんが言いだしたらしいがw

武:坂本龍一が芸大出てるから「キョージュ」と呼ばれてるじゃん、東大出てるし「キョージュ」がいいんじゃないかなあって。

山:安直やなw まあ、何にしても僕らはキョージュと呼ばしてもらってるんですが、そんなキョージュはチャリンコに乗って写真を撮って、中山道を研究して大学で数学を教えている、そんな方の展示なんですね。

武:初の個展となるわけですが、写真を撮り始めたのは20年近く前になるのかな。まとまった展示をするわけでもなく、ひたすらに写真を撮り続けて20年。そのアーカイブを一挙公開、という展示です。

山:撮り始めたのは20代中頃から、らしい。最初は普通に旅先の写真なんかを撮ってたみたいやね。僕らと会ったのが16、7年ぐらい前ですから、その頃には写真は普通に撮ってたんですね。

武:へー。そんな前段階があったんだ。

山:確かに出会った頃からずっとカメラは持ってて、いつも撮ってましたね。

武:ただ、最初はガッツリ撮ってる感じではなかったかな。

山:うん。僕らの周りは作品として写真を撮ってる人もたくさんいたけど、そんな雰囲気はまるでなかった。っていうか、今もない。

武:「写真撮ってます!」みたいな感じはないよね。「表現者」という立ち位置ではない、というか。

山:そうよな。めちゃめちゃ撮るんですけどね。枚数。

武:そこら辺の立ち位置もどこか写真に現れてるかもね。イベントとかあると写真を撮りまくって、後で写ってる人に写真をあげてたよね。

山:くれますねw 何も言わずに次に会った時におもむろにくれるんですよw

武:カメラ持った女子とか、そういうことよくやらない?

山:女子に限らず、今みんなやるじゃないですか。プリントはしないでネットにあげる。

武:そうなんだよね、今だとネットになる。「プリントを渡す」てのは今はもうそんなにない一昔前の文化なのかもね。


●庚申塔を撮り続けるキョージュ

山:で、キョージュは「庚申塔の所在確認」なのかわからないけど、現地にチャリンコで行って写真を撮り、記録している。展示にもあるんですが、マッピングみるとすごいんですね。

武:これですね。
< >

山:そうそう。これも全部じゃないらしい。

武:なぜ「庚申塔」なのかはキョージュに聴いてみないと分からないが、というか、聴いても分からなそうだけどw 面白いなあと思ったのは、「庚申待ち」なんていう信仰というか習慣がこれだけあったということだよね。今はほとんどの人が知らない。

「庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である」
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%9A%E7%94%B3%E5%A1%94 >

  庚申待ちをやったよー。という証を野ざらしの道に建てる、という習慣もまた、面白い。

山:江戸時代に広く行なわれるようになった、ってのはなんでやろね。二十三夜講とかも似てる。月待ち。やっぱり夜通し寝ないで宴会するんやな。

武:昔から何かにかこつけて宴会をやってたってことだろうね。こんだけポピュラーな習慣もやがて廃れて庚申塔だけが名残となる。宴の残像なわけだ。宴の痕跡というか。

山:それをキョージュがせっせと調べている。

武:いろんなイベントの写真も膨大な量撮ってるけど、それらの写真も言ってみれば、「宴の残像」なわけだ。

山:あとキョージュは中山道も研究していて、何を調べてるかと言うと、昔の地図と今の実際の道路との比較をしてるようなんですね。僕にはよくわからんが、そうらしい。また、消失物件の写真もよく撮ってる。消失物件で検索したらキョージュのブログが出てきた。懐かしい。
< http://blog.goo.ne.jp/sekinema/c/3d7f11eb561818d8a556311d0aa04cd6 >

武:そうすると「諸行無常」がどこかキョージュの写真のテーマに流れているてことか、写真に限らず中山道も。けど、「諸行無常を撮った写真」って感じはしないな。

山:情緒的に撮る訳ではないんやろね。やはり「記録」の意味合いが強いんかな。本人が意識してるしてないに関わらず。

武:あとさ、「主人公」があまり居ない感じするよね。誰かがバーンと写真に登場して、その人の魅力に迫る、ていうね。キャラクター寄りではない。だから、一点の写真で表紙を飾るような強い写真ではない、というか。連作で見えてくるような。ある意味「現代美術」っぽさもある。「マルチチュード」っぽさもある。

山:人を撮るっていうより、場を撮るって感じやね。

武:そうなんだよね。「コミュニティ」を撮ってる、とも感じるんすよ。

山:それはどうなんやろ。っていうのは、人が集まる場所ももちろん撮るんやけど、それ以外の被写体は、人というよりモノやんか。

武:駒場寮で撮ってるところからキョージュの写真を認識したから、ってのがあるんだけど。駒場寮はコミュニティだよね。例えば庚申塔も夜通し近所の人達と起きて宴をしてたわけで、それはコミュニティの証しともとれる。

山:だけど庚申塔の写真見て、あんまりコミュニティを感じないやんか。

武:まあねえ。石だよw

山:庚申塔は確かに、元となるコミュニティがあったからこそ建てられたものなんやろうけど、写真だけ見てそこまで思いはなかなかいかんな。


●キョージュ自身が見えてこない展示

武:展示を観ると、「庚申塔が見えてくる」、というより、「キョージュの行為」が見えてくるんさよね。

山:それはあるな。

武:実は「写真展」という見せ方ではないんだよね。入口入ってすぐにある写真が一杯ある部屋「Scene around me」も、右奥の部屋「蟻鱒鳶ル」※もそうだけど、見えてくるのは「キョージュの行為」、或いは「キョージュが見た人たちの行為」であって、「キョージュが撮った写真」ていう感じは、ない。そこが面白いんだけどさ。
※ < http://arimasutonbi.blogspot.jp/ >

山:庚申塔の写真からも、キョージュ自身は見えてこないよな。膨大な数の庚申塔が見えてくるだけで。でもそれを撮っているのはキョージュ、という。

武:作品より行為が見えてくる。もとより「行為が作品だ」、という。それって、ある意味「素人」ってことなんだろうけど。

山:ある種のアマチュアリズムなんやろか。

武:そうだと思う。そしてそれは藝術の最も重要な母体のようなもので。

山:例えば、って例えとしてあってるかどうかわからんが、山本作兵衛的な、とか。
< http://bn.dgcr.com/archives/20130417140200.html >

武:そうね。ヘンリー・ダーガーでもいいし。そういったアマチュアリズムこそ藝術の母体なんすよ。苗代というかね。
< http://bn.dgcr.com/archives/20070501140100.html >

山:ヘンリー・ダーガーは妄想だが、山本作兵衛は事実、記録ですよね。キョージュも事実を記録している。

武:山本作兵衛の場合、本人だからね。記録であるとともに自伝なんだよね。

山:でも自分のことを描いてる訳とちゃうやん。見たものの記憶を描いてる。自分出てこない。

武:けど、「自分が生きた証し」、のような客観的とも言い切れないリアリティがあるよね。

山:まあヘンリー・ダーガーも妄想にせよ、その記録か、、、そうすると、みんなキョージュと一緒やなw

武:アウトサイダー・アートw

山:でも実際そういうとこあるな。あれだけずっとチャリンコ乗って写真撮って記録して、、って凡人にはできないことですよ。

武:なんだろな。すんごい秀才なのに、なんかドロップアウト風情がある。言ってることも分からないことあるし。

山:キョージュみたいな人には他に会ったことがない。

武:馬鹿と天才は紙一重、みたいな。

山:何を言ってるんだw

武:いや、キワキワなところ、あるよ。キョージュ。

山:まあそうやけどw で、今後はどうなるんでしょう、キョージュは。

武:もし、写真を売っていきたい、って思うなら、「行為」から「作品」に移行する必要があるよね。写真一点で観せるくらいの。

山:でも、「記録としての価値」と考えると、必ずしもそうならなくてもいい気がするが。

武:なるほど。行為を変えることはしなさそうだしな。そうすると、その「記録」を編集する能力が必要になる。或いは誰か編集する人と出会うとか。記録魔として撮り続け、パートナーがそれを編纂する、と。そうすれば価値化できそうだよな。

山:原島さんかな。。。< http://edimantokyo.com/ >

武:いや、理想は女性だなw

山:あんまり想像つかないw

武:記録が価値を持つのはさ、なんらかの角度から編集して体系化した時だからね。キョージュはいわば膨大なソースが混沌としてるだけだからな。まあ、それが面白いんだけど。

山:ふむ。

武:だから、今回の展示は本当にすごいと思ったよ。ディレクター、キュレーションの力は大きいな。

山:「地下室」オーナーの戸野倉あゆみさん、手伝われてる安藤さん、参加作家の皆さん、他にも多くの方の協力なしには出来なかった展示なんでしょうね。で、これからどうなるんだ。やっぱり撮り続けるんやろうけど。

武:そうあってほしい。というか、そうするでしょうw

山:他に今後期待することは?

武:今後に展示の機会があるとしたら、ひとつのテーマで展示できるようになるといいよね。例えば、岩槻にフォーカスした庚申塔だけとか、蟻鱒鳶ルだけとか。

山:蟻鱒鳶ルのはやってるんとちゃうかったっけ。

武:複数の写真家でやってたかな。

山:そっか。でも今回も複数ですね。個展なのにw

武:カオスになっちゃうところが初期っぽいというか、アマチュアリズムなんじゃないのかなあ。

山:てか、庚申塔だけとかだと、美術、藝術的文脈が薄まってしまうのだろうか。学術的ではあるのかもしれないけど。中山道研究にしても。

武:案外とアカデミズムの方が評価されるのかも知れない。けどキョージュの好みがアートなんだよw

山:そうやな。じゃないとこれだけ膨大なアンダーグラウンド・シーンの写真が撮れない。でも、それって好みなのかな。何か必要があってのことなんではないだろうか。

武:恐らく本人の中では繋がってるんだろうね。けど、今のところ他の人がキョージュを文脈化できない。アーティストはやっぱり自分自身を文脈化するか、或いは誰かから文脈化されないと、「評価」に至らないところあるからなあ。


●文字通り「アンダー・グラウンド」

山:今回のキョージュの展示の場所、「地下室」なんですが、ほんとに地下で、僕は設営の手伝いで初めて行って、なぜか自分の20代の頃を思い出したんですよね。

武:なんかな。地下室の雰囲気がまた20代にうろちょろしてた場所と似てるというかね。ああいう雰囲気が好きだったんだよな。文字通り「アンダー・グラウンド」。

山:まさしく。でも、なんでやろ?? と思ったんですよ。なんで20代の自分はそういう場所が好きだったのか。いや、今でも全然嫌いではないですが。

武:生命力に溢れてたから、死の匂いというか、うらぶれた場所がカッコよく感じたんでしょうな。これまた、オッサンになって自分自身がうらぶれちゃうと、もうアンダー・グラウンド的なものは要らなくなって、キラキラとみずみずしい生命力溢れる場所が恋しくなるんですよ。

山:恋しくなるかどうかは知らんがw でも、ああいう場所って今の20代の人でも好きなんかね?

武:地下室が具体的なポイントになるかは分からないけど、今の20代の人たちだって生命力に溢れてるんだから、やっぱ死の匂いのするところに惹かれると思うよ。20代のゴスロリ系文化って「死の匂い」への憧憬がある気がする。

山:そうか。それはともかく、いい場所ですね。居心地良かったw

武:地下室だけど「洞窟」って感じも強いからね。プリミティブな要素もありそうだよ。

山:昭和39年には存在は確認されていたそうです。

武:古さも魅力だよね。

山:あと「死の匂い」ってのとちょっと被るが、「なくなってしまう感」あるんよね。

武:ああねえ。諸行無常、あるねえ。

山:なぜ人は、そういう場所に感ずるんでしょうか。

武:刹那こそ永遠、だったりするんじゃないのかな。

山:で、キョージュは、ふらっとチャリンコでやってきてそこを切り取る、いや、「記録」するわけだ。


【関根正幸「記録魔─関根正幸のお蔵出し─」展/アートスタジオDungeon】
< http://chikashitsu.blog.shinobi.jp/ >

会期:2014年7月19日(土)〜8月3日(日)土日祝のみ 13:00〜19:00
会場 アートスタジオDungeon(東京都板橋区大和町2-1)入場無料
< http://chikashitsu.blog.shinobi.jp/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9-%E5%9C%B0%E5%9B%B3/ >

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/アーティスト活動でベーシックインカムが当面の目標】
地元上尾にあるアウトドアカフェ「山小屋」にポストカード
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