《広い。広すぎる! コワイ!!》
■わが逃走[146]
宮崎で燃え尽きるの巻
齋藤 浩
■もじもじトーク[04]僕の好きな書体の仲間達(1)
丸明オールド:書体設計家の片岡朗さんをお訪ねして
関口浩之
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怒りのブドウ球菌 電子版 〜或るクリエイターの不条理エッセイ〜
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00CIOU68M/dgcrcom-22/
>
◎デジクリから2005年に刊行された、永吉克之さんの『怒りのブドウ球菌』が
電子書籍になりました。前編/後編の二冊に分け、各26編を収録。もちろんイ
ラストも完全収録、独特の文章と合わせて不条理な世界観をお楽しみ下さい。
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■わが逃走[146]
宮崎で燃え尽きるの巻
齋藤 浩
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丸明オールド:書体設計家の片岡朗さんをお訪ねして
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電子書籍になりました。前編/後編の二冊に分け、各26編を収録。もちろんイ
ラストも完全収録、独特の文章と合わせて不条理な世界観をお楽しみ下さい。
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■わが逃走[146]
宮崎で燃え尽きるの巻
齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20140911140200.html
>
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ネット上では10年前からの知り合いだったが、実際に会ったのは昨年6月のことだった。すぐに気があって居酒屋の閉店まで語り合い、「一緒に展覧会やろう!」となって、その翌日には美術館のギャラリーを予約したとの連絡が入った。写真家・小河孝浩の中にはすでにこの時点で確信があったのだ。
先週、宮崎県立美術館にて開催された小河孝浩と齋藤浩の写真展は、好評のうち無事幕をおろすことができた。
「目からウロコがおちました」と泣きながら握手を求められたり、あまりにもおかしな被写体が多いので「子供が撮った写真かと思った」と素直すぎる感想を述べられ大笑いしたりと、まさに笑いあり涙ありの密度の濃い、充実した日々だった。
その日は朝4時過ぎに起きて宮崎入りし搬入・設営、翌日スタートというスケジュールだったのだが、実はそれまでお互いの出品作品を見ておらず、その場のノリと気分で設営するという計画。
それって計画って言えるのか? とも思ったが、このあたりは何度も場数を踏んでいる小河氏に委ねるべきだろう。
午前10時過ぎに会場へ到着、入った途端息をのむ。広い。広すぎる! コワイ!!
< >
早くも腰が引ける齋藤浩であった。この広大な空間に二人の作品をいかにして配置するか。
小河空間と齋藤空間を完全に分けて展示しようという案も出たが、せっかく二人の展示なのだから同時に楽しめた方がいいということになり、向かい合わせで展示することとした。
つまり、小河孝浩の世界を見た人が回れ右すると、齋藤浩の世界を見ることができる。それぞれの作品群を堪能しつつ常に対比を楽しむことができるわけだ。
そうと決まれば後は早い。広大な空間は一気にリズミカルな写真空間へと変貌していった。
まさに対比の面白さ。西米良という小さな村の自然と、それにとけ込んでゆく人工物を撮影した大きなカラープリントと、北海道から沖縄までの各地で気になる構造物を撮影した小さなモノクロプリント。
一見真逆の表現だが、いずれも人を見せずに人を語るというコンセプトなので、不思議な統一感のある空間が出来上がった。
三か月ほど前に、きちんと図面を引いて計画的に展示しようと小河氏へ相談したのだが、当日の気持ちを反映してこそ生きた展示に繋がるという。なるほど、こういうことか。
手伝ってくださった小河塾の皆様、西米良の皆様、ほんとにありがとうございました!
< >
< >
午後7時、美術館を後にして西米良村の小河邸へ向かう。基本的に毎日一時間半かけて、山の中から都市部まで通うことにしたのだ。たしかに市内にホテルをとった方が楽ではあるが、私としては昨年滞在したあの美しい山間の村の空気をほんの少しでもいいから吸っていたい。
ワインディングを抜け、西米良に着くと、まずは村営温泉「ゆたーと」でひとっ風呂だ。一年がかりの仕事を終えて入る湯はまた格別である。
温泉は貸切状態。露天風呂から見上げると、わずかに月の光が見えたような気がした。風呂は上がった頃から効いてくる。体中がほかほかのふにゃふにゃである。
ふにゃふにゃのまま小河邸へと向かう。小河氏の奥方・A子姐さんの手による旨すぎる料理で飲む酒はまた格別だった。
まさにシアワセの極み。明日はいよいよ初日である。10時に開館するので、8時過ぎにはここを出ねばならない。起きられるのか、と思う間もなくそのまま意識を失いぐっすりと眠る。
しかし、朝6時になると屋外スピーカーから大ボリュームで西米良村歌が流れ、嫌でも目がさめる仕組みになっていたのだ。
初日、翌日ともあいにくの天気にもかかわらず、けっこうな人が入ってくれた。来場者と語らいつつラジオの収録や新聞の取材等を受け、なにやら有名人になった気分である。
土日は幸い好天に恵まれ、客足も上々、楽しみにしていたギャラリートークもあっという間に終わってしまった。もっと言いたいこと言えばよかった!
< >
いろんな人と話をした。私が撮ったモノたち(蛇口や戸板など)を見て、普段絶対見ているのに気づかずに通り過ぎていました! などの声多数。
どうすればこういう被写体に気づくことができるのですか? などの質問が最も多かったが、印画紙は何ですか? プリンターは何ですか? テクニック的なことを気にしている人も少なくない。
気づきのコツは、常に面白がって歩くこと。プリントのときに気を付けたことは黒をツブさず白をトバさず。そのくらいしか考えてない。
いずれにせよ、被写体に対しいかに感動するかということに尽きると思う。その感動を第三者にもわかりやすく伝えられているか? と自問自答を繰り返しながらシャッターを切ること。
私の作品の中には、道端に落ちてるようなものをケータイで撮ったものも含まれていたので、こんなものを額装して展示するとはけしからん! と思った人もいたと思う。しかし、ほとんどの人たちは好意的に受けとめてくださったようだ。
いつも思うけど、プリンタとか画素数を聞いても無意味だ。画家に対して消費した絵具の量なんて聞かないし、同じ筆を使ったところで同じ絵は描けない。くどいようだが、要はいかに感動するかだ。
西米良に生まれ育ち、西米良の写真を撮り続けている小河氏も、普通だったら見慣れてしまう村の風景を、常に初めて見たかのように感動するよう、日頃から努力しているはずだ。
まあしかし気持ちはわからんでもない。学生の頃、私も「感動しないからデッサンがつまらんのだ」と言われ、毎日同じモノを見せられて感動なんかできるか! と思ったけど、仕事をするようになって、あ、そういうことだったのか!と気づいた訳だし。
感動できるものを探すというよりも、そのへんにあるものでも感動できるように自分を訓練していくこと。いいものを作るために努力するというよりも、常に自分の気持ちを高めるための努力をすることが良い仕事につながるのではないかと、素直に振り返る齋藤浩であった。
おかげでこの一年、ずいぶん成長したと思います。ご来場の皆様、応援してくださった方々、ありがとうございました。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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■もじもじトーク[04]僕の好きな書体の仲間達(1)
丸明オールド:書体設計家の片岡朗さんをお訪ねして
関口浩之
< https://bn.dgcr.com/archives/20140911140100.html
>
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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。
今回のお話は「僕の好きな書体の仲間達」第一回目です。
丸明オールドという書体を見たことがありますか?
先日、Webクリエイターが集まったセミナー会場の80人に質問しました。「カタオカデザインワークスというフォントメーカーを知ってますか?」「丸明オールドという書体知ってますか?」と…。
手を上げたのは、たったの5人でした。
そこで、丸明オールドの書体を使用したポスターの事例を紹介したところ、「あっ、見たことある!」という反応がほとんどでした。
ちなみに事例とはこれです。ふらふらと街中を歩いている時に僕がiPhoneで撮影したポスターなどの写真です。
< http://goo.gl/ixNFQZ
>
うんうん。たしかに、大手企業の広告キャッチコピーや製品ロゴなどで使用されていますよね。電車の広告、街中のポスターで、この丸明という書体、けっこうよく見られます。
僕がエバンジェリストしている日本語Webフォントサービス「FONTPLUS」に、先日、カタオカデザインワークスの「丸明」ファミリーと「山本庵」が使えるようになりました。早速、丸明オールドと山本庵を使ったサンプルページを作成してみました!
丸明オールド:
< http://goo.gl/qT3I0y
>
山本庵:
< http://goo.gl/4I1b9R
>
どちらの書体も素敵です。ささっと作成したサンプルですが、パソコンのシステムフォントで表示した場合に比べて、雰囲気がだいぶ変わりますよね。
システムフォントのサンプルも作成してみました。
Font-family指定なし:
< http://goo.gl/bcGOe8
>
丸明オールドは、カタオカデザインワークスの書体設計家である片岡朗さんが、2000年に発表した書体です。実は「丸明オールド」は発表前にサントリー・モルツの新聞広告で使用され、それが反響を呼びました。下記リンクは、その時の広告です。
< >
●書体設計家の片岡朗さん
カタオカデザインワークスの代表であり、書体設計家の片岡朗さんとは何度かお会いする機会がありました。その度、文字に関する深〜いお話をさせていただきました。いつもあっという間に時間が過ぎてしまいますね。
さて、印象に残っている会話ですが、「文字に詳しい専門家の意見も大事だけど、一般の方からの意見や感想もすごく参考になる」とのことです。
文字を制作している過程で、奥様に書体を見せることがあるらしいのですが、「これ、ぜんぜん、だめじゃない」と即答されることもあるようです(笑) こういう反応も参考になるみたいです。第一印象での反応は重要ですからね。ちなみに片岡さんの奥様は書体にそれほど詳しくないらしいです(本当のところ、詳しいのかもしれません)。
こんなこと書くと、僕よりも13才先輩の片岡朗さんには失礼かもしれませんが、片岡さんの書体はどれもすごく身近に感じます。敷居が高くないという感じでしょうか。身近なんだけど、それでいてすごく上品。文字が情緒で訴えてくるようです。
書体設計家と聞くとなんか身構えてしまいがちですよね。気難しい方なのかなぁ……とか、書体に関して素人的な質問をすると怒られちゃうかなぁ……とか。でも、ぜんぜん、そうじゃなかったんです。
はじめてお会いしたのが2012年夏だったと思います。その時、書体を制作している事務所ではなく、書斎というかアトリエのような素敵な部屋でお会いしました。そこには、片岡さんが収集した、いろんな文字見本帖、何種類もの康煕字典、ガリ版(謄写版)で刷られた書物、夏目漱石の初版本(復刻版)、などなど。
もう、それだけで、心が満たされます〜(笑) そして僕が興味を示すと、片岡さんがそれら書物の説明やエピソードを楽しそうに語ってくださるのです。いま考えると、録音してちゃんと文字に起こしておけば良かったなぁ……と思いました。
さて、片岡さんの経歴をお伺いしました。
片岡さんは大学を卒業してからレタリング事務所で働いたそうです。晴海などで行われていた、展示会の新製品パネルなどを描いていたようです。僕にとって、晴海といえばビジネスシヨウやエレクトロニクスショー、データショウです。今はもうビジネスシヨウはやってないし、エレクトロニクスショーとデータショウはCEATECになりました……。
当時は1960年代〜70年代でしょうから、DTPシステムはありません(笑) 展示会のパネルは印刷するほどの部数は必要ないから、手描きでパネルを作成したわけですね。やぁ、人間の手が植字装置なんですね。レタリングデザイナーってすごい! かっこいいです。
言われるがままに文字を描いているうちに、「この明朝体はここはこうしたほうがいいじゃないかな……」とか疑問を感じるようになり、「デザインを真面目に勉強しないといけないんじゃないか」と思ったそうです。
そして、デザイン会社の制作部門で働くようになり、書体について深く知ることになったそうです。日々、アートディレクターがもってくるラフをみているうちに、いろんなフォントがあることを学んだそうです。まだ、活版印刷や写植から印刷をする時代ということですね。
その後、広告代理店で18年間、アートディレクターとして活躍し、文字についてさらに深く研究したとお聞きしました。
●丸明オールドができるまで
ゴシック体には「丸ゴシック」があるけど、明朝体に「丸明朝」ってないよね? そう言われればそうですね。
どうして「丸明オールド」を制作することにしたかを聞いてみました。
結論から書くと「手元に文字を作るのに便利なMacがあったから」だそうです。手描きだったときは、水平や垂直を描くのがすごく大変だったですが、Macを使えば、線は簡単に引けるわけです。しかも太さも自由に変えられる。
でも、直線ばかりで構成される書体だと冷たい印象になってしまいがちですよね。なので「丸」を使うのがいいと思ったそうです。Macなら「丸」を描くのも簡単ですしね。
丸明オールドを拡大して観察してみてください。トメ、ハライのエレメントが「丸」で構成されているのがよくわかります。
丸明の仮名で参考にしたのは、初期の秀英明朝だそうです。神田の古本屋にぶらっと立ち寄ったときに、夏目漱石の「吾輩は猫である」の初版本の復刻版と出会って「この書体、いいなあ」と感じたからなんですって。
へぇ〜、書体設計家でも過去にあった書体を参考にするんだ。何人かの書体設計家とお話する機会があったのですが、結構、そうみたいです。もちろん、真似するということではなく、この活版印刷書体のこのエレメントのテーストをヒントにしようとか、そういうことだと思います。
あと、結構おどろくことは、丸明オールド一書体を完成させるのに五年もの歳月がかかっていることなんです。たしかに、味わいのある文字って時間が掛っているんだろうなぁと思います。
ひとつひとつの文字を作成・調整を繰り返し、そして文章で組んでみて、全体のバランスが悪くないか、濃淡が変な感じになってないかなどのチェックも重要なのでしょう。
日本語書体って10,000文字以上作成するわけですから、本当に良い書体を完成させるには五年かかってもおかしくないですね。その間、知人のアートディレクターに感想を聞いたり、実際にDTPデザイナーとか、文字にあまり詳しくない一般の人とかにも感想を聞いたりとかするそうです。最初に出てきた一言や反応が非常に参考になるみたいですよ。
文字って、その書体が持っている表情、言い換えれば、書体を設計したデザイナーの感性が形になって情緒をアピールしている、すごいクリエイティブなんだとつくづく思いました。
片岡朗さんプロフィール:マイナビニュース
< http://news.mynavi.jp/articles/2010/09/17/ktok/
>
カタオカデザインワークス・アトリエ訪問の写真(関口浩之):
< http://30d.jp/swing/4
>
【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
< http://fontplus.jp/
>
1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。
その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。
小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。
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編集後記(09/11)
●オールタイム・ベスト日本映画遺産【心に残る珠玉の10本】第4位の「幕末太陽傳」(1957)を見た。品川宿の相模屋という遊郭で「居残り左平次」をきめこんだ男が、口八丁手八丁で相模屋のトラブルバスターとして大活躍するさまを描いた痛快な時代劇である。ドラマーから役者に転じたばかりのフランキー堺を主役に、石原裕次郎、小林旭らが脇役に回る50年代のオールスター・キャストが、緻密なセットで「居残り佐平次」「品川心中」「三枚起請」「お見立て」など、古典落語を引用して展開する、いままでになかった、これからもない(たぶん)粋なコメディ時代劇。フランキー堺がこんなにうまい役者だとは知らなかった。どんな俳優を主役にもってきても、フランキー堺には敵わない(この映画に限っていえば)。
左平次をめぐって対立する看板女郎が南田洋子と左幸子。可憐な女中の芦川いづみもいる。しかし、映画では誰が誰だか分からなかった。若き日の山岡久乃、菅井きん、市村俊幸、小沢昭一、金子信雄、西村晃、殿山泰司、二谷英明などは分かる。こんな映画に外国人が、と思ったら岡田真澄だと気がついた。みんなうまい。当時の流行が太陽族で、それを幕末に配置したという趣が石原裕次郎の高杉晋作らしいが、この映画で一番ヘタだった。左平次(イノさん)は威勢がよくて、始終廓の中を走り回っているが、時々咳き込んで薬を飲んでいる。こんな男が不治の病を抱えているという設定が、明朗快活な物語に陰影をつけていて、その塩梅がとてもいい。「若き日の名優たちを眺めることができる作品」とか「日本映画の名作にしてカルト映画の定番」という評判に素直に納得する。もっと早く見ておけばよかった。
オールタイム・ベスト日本映画遺産【心に残る珠玉の10本】第5位の「仁義なき戦い」(1973)を見た。パターン化された任侠映画と全然違い、広島ヤクザ戦争のドキュメンタリーを見ているかのような生々しさで迫る、じつによくできた実録抗争映画である。だが、気合いを入れて見ていないと、この悪人どもの人物像や関係、抗争の構図がわからなくなる。時間をおいて二度見しないと全貌がつかめない(いや、わたしの場合)。彼らがつかう広島弁がやけに魅力的で、徹底した手持ちのカメラで生じるリアリティも気持ちいい。過激な暴力シーンも重なるが、見終わって生じる不思議な爽快感はなんだ。あぶないあぶない。醜悪で滑稽な権力闘争を安全な場所から見ているのもなかなかいいものだ。主演の菅原文太は2年前に役者業を引退、いまは「反戦・反核・反原発」とか似合わない活動をしている。ものすごくヘタクソである。
【心に残る珠玉の10本】全12本をすべて見たが、わたしのつけた「心に残る」順位は、……嗚呼、むずかしい。たぶんまた見るであろうという作品を挙げるだけにとどめるとして、順不同で「東京物語」「七人の侍」「幕末太陽傳」「二十四の瞳」「太陽を盗んだ男」「丹下左膳餘話 百万兩の壺」である。昭和10年(1935年)製作だから知らない人が多いと思うが、「丹下左膳餘話」はものすごく面白い。絶対のおすすめです。普段はSFやBC級映画ばかり見ているが、こういう古い映画もいいもんだなあと思う【心に残る珠玉の10本】鑑賞の旅でありました。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006YXRV/dgcrcom-22/
>
「幕末太陽傳」
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B005FCX6YU/dgcrcom-22/
>
「仁義なき戦い」
●丸明オールド! LETSで使えたらいいのにな〜。
宝塚歌劇のショー主題歌。観劇後、頭の中をぐるぐる回る。鼻歌を歌ってしまう。いまだにすぐに出てくるのが「ル・ポアゾン」。たぶん宝塚ファンなら頷いてくれると思う。
逆に頭の中からするっと消える曲もあって、こだわった感じの曲なんだろうけど、寂しいなぁと。ショー主題歌は、単純で勢いのある、タイトル連呼のパワフルな曲の方がいいんだよ〜。ショーの中身は一部しか覚えてなくても、あまり良いショーでなくても、主題歌がパワフルなら楽しく帰れるんだよ〜。
宝塚のグッズを売っているショップでは、約2,000曲からピックアップしてカスタマイズCDが作れる。その場で焼いてくれるサービス。時代に逆行したようなこのサービスを今までは使う気がしなかったんだけど、ここだけでしか扱っていない曲があって、どうしても欲しくて試してみた。続く。(hammer.mule)
< >
「ル・ポアゾン」55分って……まるまる上がってるのかも。1990年だって。涼風真世が出てるよ。この時の月はお芝居の組だったと思う。踊りは……汗
< >
頭の中を回るのがこの部分。るぽあぞーん、るぽあぞーん、あいのあいのびやく〜
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天海祐希は入団3年目という超下級生。なのに抜擢されて場面もらってるわ。凄いなぁ。
■わが逃走[146]
宮崎で燃え尽きるの巻
齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20140911140200.html
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ネット上では10年前からの知り合いだったが、実際に会ったのは昨年6月のことだった。すぐに気があって居酒屋の閉店まで語り合い、「一緒に展覧会やろう!」となって、その翌日には美術館のギャラリーを予約したとの連絡が入った。写真家・小河孝浩の中にはすでにこの時点で確信があったのだ。
先週、宮崎県立美術館にて開催された小河孝浩と齋藤浩の写真展は、好評のうち無事幕をおろすことができた。
「目からウロコがおちました」と泣きながら握手を求められたり、あまりにもおかしな被写体が多いので「子供が撮った写真かと思った」と素直すぎる感想を述べられ大笑いしたりと、まさに笑いあり涙ありの密度の濃い、充実した日々だった。
その日は朝4時過ぎに起きて宮崎入りし搬入・設営、翌日スタートというスケジュールだったのだが、実はそれまでお互いの出品作品を見ておらず、その場のノリと気分で設営するという計画。
それって計画って言えるのか? とも思ったが、このあたりは何度も場数を踏んでいる小河氏に委ねるべきだろう。
午前10時過ぎに会場へ到着、入った途端息をのむ。広い。広すぎる! コワイ!!
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早くも腰が引ける齋藤浩であった。この広大な空間に二人の作品をいかにして配置するか。
小河空間と齋藤空間を完全に分けて展示しようという案も出たが、せっかく二人の展示なのだから同時に楽しめた方がいいということになり、向かい合わせで展示することとした。
つまり、小河孝浩の世界を見た人が回れ右すると、齋藤浩の世界を見ることができる。それぞれの作品群を堪能しつつ常に対比を楽しむことができるわけだ。
そうと決まれば後は早い。広大な空間は一気にリズミカルな写真空間へと変貌していった。
まさに対比の面白さ。西米良という小さな村の自然と、それにとけ込んでゆく人工物を撮影した大きなカラープリントと、北海道から沖縄までの各地で気になる構造物を撮影した小さなモノクロプリント。
一見真逆の表現だが、いずれも人を見せずに人を語るというコンセプトなので、不思議な統一感のある空間が出来上がった。
三か月ほど前に、きちんと図面を引いて計画的に展示しようと小河氏へ相談したのだが、当日の気持ちを反映してこそ生きた展示に繋がるという。なるほど、こういうことか。
手伝ってくださった小河塾の皆様、西米良の皆様、ほんとにありがとうございました!
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午後7時、美術館を後にして西米良村の小河邸へ向かう。基本的に毎日一時間半かけて、山の中から都市部まで通うことにしたのだ。たしかに市内にホテルをとった方が楽ではあるが、私としては昨年滞在したあの美しい山間の村の空気をほんの少しでもいいから吸っていたい。
ワインディングを抜け、西米良に着くと、まずは村営温泉「ゆたーと」でひとっ風呂だ。一年がかりの仕事を終えて入る湯はまた格別である。
温泉は貸切状態。露天風呂から見上げると、わずかに月の光が見えたような気がした。風呂は上がった頃から効いてくる。体中がほかほかのふにゃふにゃである。
ふにゃふにゃのまま小河邸へと向かう。小河氏の奥方・A子姐さんの手による旨すぎる料理で飲む酒はまた格別だった。
まさにシアワセの極み。明日はいよいよ初日である。10時に開館するので、8時過ぎにはここを出ねばならない。起きられるのか、と思う間もなくそのまま意識を失いぐっすりと眠る。
しかし、朝6時になると屋外スピーカーから大ボリュームで西米良村歌が流れ、嫌でも目がさめる仕組みになっていたのだ。
初日、翌日ともあいにくの天気にもかかわらず、けっこうな人が入ってくれた。来場者と語らいつつラジオの収録や新聞の取材等を受け、なにやら有名人になった気分である。
土日は幸い好天に恵まれ、客足も上々、楽しみにしていたギャラリートークもあっという間に終わってしまった。もっと言いたいこと言えばよかった!
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いろんな人と話をした。私が撮ったモノたち(蛇口や戸板など)を見て、普段絶対見ているのに気づかずに通り過ぎていました! などの声多数。
どうすればこういう被写体に気づくことができるのですか? などの質問が最も多かったが、印画紙は何ですか? プリンターは何ですか? テクニック的なことを気にしている人も少なくない。
気づきのコツは、常に面白がって歩くこと。プリントのときに気を付けたことは黒をツブさず白をトバさず。そのくらいしか考えてない。
いずれにせよ、被写体に対しいかに感動するかということに尽きると思う。その感動を第三者にもわかりやすく伝えられているか? と自問自答を繰り返しながらシャッターを切ること。
私の作品の中には、道端に落ちてるようなものをケータイで撮ったものも含まれていたので、こんなものを額装して展示するとはけしからん! と思った人もいたと思う。しかし、ほとんどの人たちは好意的に受けとめてくださったようだ。
いつも思うけど、プリンタとか画素数を聞いても無意味だ。画家に対して消費した絵具の量なんて聞かないし、同じ筆を使ったところで同じ絵は描けない。くどいようだが、要はいかに感動するかだ。
西米良に生まれ育ち、西米良の写真を撮り続けている小河氏も、普通だったら見慣れてしまう村の風景を、常に初めて見たかのように感動するよう、日頃から努力しているはずだ。
まあしかし気持ちはわからんでもない。学生の頃、私も「感動しないからデッサンがつまらんのだ」と言われ、毎日同じモノを見せられて感動なんかできるか! と思ったけど、仕事をするようになって、あ、そういうことだったのか!と気づいた訳だし。
感動できるものを探すというよりも、そのへんにあるものでも感動できるように自分を訓練していくこと。いいものを作るために努力するというよりも、常に自分の気持ちを高めるための努力をすることが良い仕事につながるのではないかと、素直に振り返る齋藤浩であった。
おかげでこの一年、ずいぶん成長したと思います。ご来場の皆様、応援してくださった方々、ありがとうございました。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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■もじもじトーク[04]僕の好きな書体の仲間達(1)
丸明オールド:書体設計家の片岡朗さんをお訪ねして
関口浩之
< https://bn.dgcr.com/archives/20140911140100.html
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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。
今回のお話は「僕の好きな書体の仲間達」第一回目です。
丸明オールドという書体を見たことがありますか?
先日、Webクリエイターが集まったセミナー会場の80人に質問しました。「カタオカデザインワークスというフォントメーカーを知ってますか?」「丸明オールドという書体知ってますか?」と…。
手を上げたのは、たったの5人でした。
そこで、丸明オールドの書体を使用したポスターの事例を紹介したところ、「あっ、見たことある!」という反応がほとんどでした。
ちなみに事例とはこれです。ふらふらと街中を歩いている時に僕がiPhoneで撮影したポスターなどの写真です。
< http://goo.gl/ixNFQZ
>
うんうん。たしかに、大手企業の広告キャッチコピーや製品ロゴなどで使用されていますよね。電車の広告、街中のポスターで、この丸明という書体、けっこうよく見られます。
僕がエバンジェリストしている日本語Webフォントサービス「FONTPLUS」に、先日、カタオカデザインワークスの「丸明」ファミリーと「山本庵」が使えるようになりました。早速、丸明オールドと山本庵を使ったサンプルページを作成してみました!
丸明オールド:
< http://goo.gl/qT3I0y
>
山本庵:
< http://goo.gl/4I1b9R
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どちらの書体も素敵です。ささっと作成したサンプルですが、パソコンのシステムフォントで表示した場合に比べて、雰囲気がだいぶ変わりますよね。
システムフォントのサンプルも作成してみました。
Font-family指定なし:
< http://goo.gl/bcGOe8
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丸明オールドは、カタオカデザインワークスの書体設計家である片岡朗さんが、2000年に発表した書体です。実は「丸明オールド」は発表前にサントリー・モルツの新聞広告で使用され、それが反響を呼びました。下記リンクは、その時の広告です。
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●書体設計家の片岡朗さん
カタオカデザインワークスの代表であり、書体設計家の片岡朗さんとは何度かお会いする機会がありました。その度、文字に関する深〜いお話をさせていただきました。いつもあっという間に時間が過ぎてしまいますね。
さて、印象に残っている会話ですが、「文字に詳しい専門家の意見も大事だけど、一般の方からの意見や感想もすごく参考になる」とのことです。
文字を制作している過程で、奥様に書体を見せることがあるらしいのですが、「これ、ぜんぜん、だめじゃない」と即答されることもあるようです(笑) こういう反応も参考になるみたいです。第一印象での反応は重要ですからね。ちなみに片岡さんの奥様は書体にそれほど詳しくないらしいです(本当のところ、詳しいのかもしれません)。
こんなこと書くと、僕よりも13才先輩の片岡朗さんには失礼かもしれませんが、片岡さんの書体はどれもすごく身近に感じます。敷居が高くないという感じでしょうか。身近なんだけど、それでいてすごく上品。文字が情緒で訴えてくるようです。
書体設計家と聞くとなんか身構えてしまいがちですよね。気難しい方なのかなぁ……とか、書体に関して素人的な質問をすると怒られちゃうかなぁ……とか。でも、ぜんぜん、そうじゃなかったんです。
はじめてお会いしたのが2012年夏だったと思います。その時、書体を制作している事務所ではなく、書斎というかアトリエのような素敵な部屋でお会いしました。そこには、片岡さんが収集した、いろんな文字見本帖、何種類もの康煕字典、ガリ版(謄写版)で刷られた書物、夏目漱石の初版本(復刻版)、などなど。
もう、それだけで、心が満たされます〜(笑) そして僕が興味を示すと、片岡さんがそれら書物の説明やエピソードを楽しそうに語ってくださるのです。いま考えると、録音してちゃんと文字に起こしておけば良かったなぁ……と思いました。
さて、片岡さんの経歴をお伺いしました。
片岡さんは大学を卒業してからレタリング事務所で働いたそうです。晴海などで行われていた、展示会の新製品パネルなどを描いていたようです。僕にとって、晴海といえばビジネスシヨウやエレクトロニクスショー、データショウです。今はもうビジネスシヨウはやってないし、エレクトロニクスショーとデータショウはCEATECになりました……。
当時は1960年代〜70年代でしょうから、DTPシステムはありません(笑) 展示会のパネルは印刷するほどの部数は必要ないから、手描きでパネルを作成したわけですね。やぁ、人間の手が植字装置なんですね。レタリングデザイナーってすごい! かっこいいです。
言われるがままに文字を描いているうちに、「この明朝体はここはこうしたほうがいいじゃないかな……」とか疑問を感じるようになり、「デザインを真面目に勉強しないといけないんじゃないか」と思ったそうです。
そして、デザイン会社の制作部門で働くようになり、書体について深く知ることになったそうです。日々、アートディレクターがもってくるラフをみているうちに、いろんなフォントがあることを学んだそうです。まだ、活版印刷や写植から印刷をする時代ということですね。
その後、広告代理店で18年間、アートディレクターとして活躍し、文字についてさらに深く研究したとお聞きしました。
●丸明オールドができるまで
ゴシック体には「丸ゴシック」があるけど、明朝体に「丸明朝」ってないよね? そう言われればそうですね。
どうして「丸明オールド」を制作することにしたかを聞いてみました。
結論から書くと「手元に文字を作るのに便利なMacがあったから」だそうです。手描きだったときは、水平や垂直を描くのがすごく大変だったですが、Macを使えば、線は簡単に引けるわけです。しかも太さも自由に変えられる。
でも、直線ばかりで構成される書体だと冷たい印象になってしまいがちですよね。なので「丸」を使うのがいいと思ったそうです。Macなら「丸」を描くのも簡単ですしね。
丸明オールドを拡大して観察してみてください。トメ、ハライのエレメントが「丸」で構成されているのがよくわかります。
丸明の仮名で参考にしたのは、初期の秀英明朝だそうです。神田の古本屋にぶらっと立ち寄ったときに、夏目漱石の「吾輩は猫である」の初版本の復刻版と出会って「この書体、いいなあ」と感じたからなんですって。
へぇ〜、書体設計家でも過去にあった書体を参考にするんだ。何人かの書体設計家とお話する機会があったのですが、結構、そうみたいです。もちろん、真似するということではなく、この活版印刷書体のこのエレメントのテーストをヒントにしようとか、そういうことだと思います。
あと、結構おどろくことは、丸明オールド一書体を完成させるのに五年もの歳月がかかっていることなんです。たしかに、味わいのある文字って時間が掛っているんだろうなぁと思います。
ひとつひとつの文字を作成・調整を繰り返し、そして文章で組んでみて、全体のバランスが悪くないか、濃淡が変な感じになってないかなどのチェックも重要なのでしょう。
日本語書体って10,000文字以上作成するわけですから、本当に良い書体を完成させるには五年かかってもおかしくないですね。その間、知人のアートディレクターに感想を聞いたり、実際にDTPデザイナーとか、文字にあまり詳しくない一般の人とかにも感想を聞いたりとかするそうです。最初に出てきた一言や反応が非常に参考になるみたいですよ。
文字って、その書体が持っている表情、言い換えれば、書体を設計したデザイナーの感性が形になって情緒をアピールしている、すごいクリエイティブなんだとつくづく思いました。
片岡朗さんプロフィール:マイナビニュース
< http://news.mynavi.jp/articles/2010/09/17/ktok/
>
カタオカデザインワークス・アトリエ訪問の写真(関口浩之):
< http://30d.jp/swing/4
>
【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
< http://fontplus.jp/
>
1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。
その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。
小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。
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編集後記(09/11)
●オールタイム・ベスト日本映画遺産【心に残る珠玉の10本】第4位の「幕末太陽傳」(1957)を見た。品川宿の相模屋という遊郭で「居残り左平次」をきめこんだ男が、口八丁手八丁で相模屋のトラブルバスターとして大活躍するさまを描いた痛快な時代劇である。ドラマーから役者に転じたばかりのフランキー堺を主役に、石原裕次郎、小林旭らが脇役に回る50年代のオールスター・キャストが、緻密なセットで「居残り佐平次」「品川心中」「三枚起請」「お見立て」など、古典落語を引用して展開する、いままでになかった、これからもない(たぶん)粋なコメディ時代劇。フランキー堺がこんなにうまい役者だとは知らなかった。どんな俳優を主役にもってきても、フランキー堺には敵わない(この映画に限っていえば)。
左平次をめぐって対立する看板女郎が南田洋子と左幸子。可憐な女中の芦川いづみもいる。しかし、映画では誰が誰だか分からなかった。若き日の山岡久乃、菅井きん、市村俊幸、小沢昭一、金子信雄、西村晃、殿山泰司、二谷英明などは分かる。こんな映画に外国人が、と思ったら岡田真澄だと気がついた。みんなうまい。当時の流行が太陽族で、それを幕末に配置したという趣が石原裕次郎の高杉晋作らしいが、この映画で一番ヘタだった。左平次(イノさん)は威勢がよくて、始終廓の中を走り回っているが、時々咳き込んで薬を飲んでいる。こんな男が不治の病を抱えているという設定が、明朗快活な物語に陰影をつけていて、その塩梅がとてもいい。「若き日の名優たちを眺めることができる作品」とか「日本映画の名作にしてカルト映画の定番」という評判に素直に納得する。もっと早く見ておけばよかった。
オールタイム・ベスト日本映画遺産【心に残る珠玉の10本】第5位の「仁義なき戦い」(1973)を見た。パターン化された任侠映画と全然違い、広島ヤクザ戦争のドキュメンタリーを見ているかのような生々しさで迫る、じつによくできた実録抗争映画である。だが、気合いを入れて見ていないと、この悪人どもの人物像や関係、抗争の構図がわからなくなる。時間をおいて二度見しないと全貌がつかめない(いや、わたしの場合)。彼らがつかう広島弁がやけに魅力的で、徹底した手持ちのカメラで生じるリアリティも気持ちいい。過激な暴力シーンも重なるが、見終わって生じる不思議な爽快感はなんだ。あぶないあぶない。醜悪で滑稽な権力闘争を安全な場所から見ているのもなかなかいいものだ。主演の菅原文太は2年前に役者業を引退、いまは「反戦・反核・反原発」とか似合わない活動をしている。ものすごくヘタクソである。
【心に残る珠玉の10本】全12本をすべて見たが、わたしのつけた「心に残る」順位は、……嗚呼、むずかしい。たぶんまた見るであろうという作品を挙げるだけにとどめるとして、順不同で「東京物語」「七人の侍」「幕末太陽傳」「二十四の瞳」「太陽を盗んだ男」「丹下左膳餘話 百万兩の壺」である。昭和10年(1935年)製作だから知らない人が多いと思うが、「丹下左膳餘話」はものすごく面白い。絶対のおすすめです。普段はSFやBC級映画ばかり見ているが、こういう古い映画もいいもんだなあと思う【心に残る珠玉の10本】鑑賞の旅でありました。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006YXRV/dgcrcom-22/
>
「幕末太陽傳」
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B005FCX6YU/dgcrcom-22/
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「仁義なき戦い」
●丸明オールド! LETSで使えたらいいのにな〜。
宝塚歌劇のショー主題歌。観劇後、頭の中をぐるぐる回る。鼻歌を歌ってしまう。いまだにすぐに出てくるのが「ル・ポアゾン」。たぶん宝塚ファンなら頷いてくれると思う。
逆に頭の中からするっと消える曲もあって、こだわった感じの曲なんだろうけど、寂しいなぁと。ショー主題歌は、単純で勢いのある、タイトル連呼のパワフルな曲の方がいいんだよ〜。ショーの中身は一部しか覚えてなくても、あまり良いショーでなくても、主題歌がパワフルなら楽しく帰れるんだよ〜。
宝塚のグッズを売っているショップでは、約2,000曲からピックアップしてカスタマイズCDが作れる。その場で焼いてくれるサービス。時代に逆行したようなこのサービスを今までは使う気がしなかったんだけど、ここだけでしか扱っていない曲があって、どうしても欲しくて試してみた。続く。(hammer.mule)
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「ル・ポアゾン」55分って……まるまる上がってるのかも。1990年だって。涼風真世が出てるよ。この時の月はお芝居の組だったと思う。踊りは……汗
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頭の中を回るのがこの部分。るぽあぞーん、るぽあぞーん、あいのあいのびやく〜
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天海祐希は入団3年目という超下級生。なのに抜擢されて場面もらってるわ。凄いなぁ。