わが逃走[146]宮崎で燃え尽きるの巻/齋藤 浩

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ネット上では10年前からの知り合いだったが、実際に会ったのは昨年6月のことだった。すぐに気があって居酒屋の閉店まで語り合い、「一緒に展覧会やろう!」となって、その翌日には美術館のギャラリーを予約したとの連絡が入った。写真家・小河孝浩の中にはすでにこの時点で確信があったのだ。


うち無事幕をおろすことができた。

「目からウロコがおちました」と泣きながら握手を求められたり、あまりにもおかしな被写体が多いので「子供が撮った写真かと思った」と素直すぎる感想を述べられ大笑いしたりと、まさに笑いあり涙ありの密度の濃い、充実した日々だった。

その日は朝4時過ぎに起きて宮崎入りし搬入・設営、翌日スタートというスケジュールだったのだが、実はそれまでお互いの出品作品を見ておらず、その場のノリと気分で設営するという計画。

それって計画って言えるのか? とも思ったが、このあたりは何度も場数を踏んでいる小河氏に委ねるべきだろう。

午前10時過ぎに会場へ到着、入った途端息をのむ。広い。広すぎる! コワイ!!
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早くも腰が引ける齋藤浩であった。この広大な空間に二人の作品をいかにして配置するか。

小河空間と齋藤空間を完全に分けて展示しようという案も出たが、せっかく二人の展示なのだから同時に楽しめた方がいいということになり、向かい合わせで展示することとした。

つまり、小河孝浩の世界を見た人が回れ右すると、齋藤浩の世界を見ることができる。それぞれの作品群を堪能しつつ常に対比を楽しむことができるわけだ。

そうと決まれば後は早い。広大な空間は一気にリズミカルな写真空間へと変貌していった。

まさに対比の面白さ。西米良という小さな村の自然と、それにとけ込んでゆく人工物を撮影した大きなカラープリントと、北海道から沖縄までの各地で気になる構造物を撮影した小さなモノクロプリント。

一見真逆の表現だが、いずれも人を見せずに人を語るというコンセプトなので、不思議な統一感のある空間が出来上がった。

三か月ほど前に、きちんと図面を引いて計画的に展示しようと小河氏へ相談したのだが、当日の気持ちを反映してこそ生きた展示に繋がるという。なるほど、こういうことか。

手伝ってくださった小河塾の皆様、西米良の皆様、ほんとにありがとうございました!
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午後7時、美術館を後にして西米良村の小河邸へ向かう。基本的に毎日一時間半かけて、山の中から都市部まで通うことにしたのだ。たしかに市内にホテルをとった方が楽ではあるが、私としては昨年滞在したあの美しい山間の村の空気をほんの少しでもいいから吸っていたい。

ワインディングを抜け、西米良に着くと、まずは村営温泉「ゆたーと」でひとっ風呂だ。一年がかりの仕事を終えて入る湯はまた格別である。

温泉は貸切状態。露天風呂から見上げると、わずかに月の光が見えたような気がした。風呂は上がった頃から効いてくる。体中がほかほかのふにゃふにゃである。

ふにゃふにゃのまま小河邸へと向かう。小河氏の奥方・A子姐さんの手による旨すぎる料理で飲む酒はまた格別だった。

まさにシアワセの極み。明日はいよいよ初日である。10時に開館するので、8時過ぎにはここを出ねばならない。起きられるのか、と思う間もなくそのまま意識を失いぐっすりと眠る。

しかし、朝6時になると屋外スピーカーから大ボリュームで西米良村歌が流れ、嫌でも目がさめる仕組みになっていたのだ。

初日、翌日ともあいにくの天気にもかかわらず、けっこうな人が入ってくれた。来場者と語らいつつラジオの収録や新聞の取材等を受け、なにやら有名人になった気分である。

土日は幸い好天に恵まれ、客足も上々、楽しみにしていたギャラリートークもあっという間に終わってしまった。もっと言いたいこと言えばよかった!
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いろんな人と話をした。私が撮ったモノたち(蛇口や戸板など)を見て、普段絶対見ているのに気づかずに通り過ぎていました! などの声多数。

どうすればこういう被写体に気づくことができるのですか? などの質問が最も多かったが、印画紙は何ですか? プリンターは何ですか? テクニック的なことを気にしている人も少なくない。

気づきのコツは、常に面白がって歩くこと。プリントのときに気を付けたことは黒をツブさず白をトバさず。そのくらいしか考えてない。

いずれにせよ、被写体に対しいかに感動するかということに尽きると思う。その感動を第三者にもわかりやすく伝えられているか? と自問自答を繰り返しながらシャッターを切ること。

私の作品の中には、道端に落ちてるようなものをケータイで撮ったものも含まれていたので、こんなものを額装して展示するとはけしからん! と思った人もいたと思う。しかし、ほとんどの人たちは好意的に受けとめてくださったようだ。

いつも思うけど、プリンタとか画素数を聞いても無意味だ。画家に対して消費した絵具の量なんて聞かないし、同じ筆を使ったところで同じ絵は描けない。くどいようだが、要はいかに感動するかだ。

西米良に生まれ育ち、西米良の写真を撮り続けている小河氏も、普通だったら見慣れてしまう村の風景を、常に初めて見たかのように感動するよう、日頃から努力しているはずだ。

まあしかし気持ちはわからんでもない。学生の頃、私も「感動しないからデッサンがつまらんのだ」と言われ、毎日同じモノを見せられて感動なんかできるか! と思ったけど、仕事をするようになって、あ、そういうことだったのか!と気づいた訳だし。

感動できるものを探すというよりも、そのへんにあるものでも感動できるように自分を訓練していくこと。いいものを作るために努力するというよりも、常に自分の気持ちを高めるための努力をすることが良い仕事につながるのではないかと、素直に振り返る齋藤浩であった。

おかげでこの一年、ずいぶん成長したと思います。ご来場の皆様、応援してくださった方々、ありがとうございました。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。