[3795] 東京デザイナーズウィーク2014 出展レポート

投稿:  著者:  読了時間:28分(本文:約13,800文字)


《「一点物」という恐怖》

■ローマでMANGA[81]
 「Henshu-sha」という存在
 midori

■グラフィック薄氷大魔王[410]
 東京デザイナーズウィーク2014 関連の小ネタあれこれ
 吉井 宏


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■ローマでMANGA[81]
「Henshu-sha」という存在

midori
< http://bn.dgcr.com/archives/20141105140200.html >
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90年代に講談社のモーニングが、海外の作家の書き下ろし作品をのせるという前代未聞の企画を遂行していたときにローマで「海外支局ローマ支部」を請け負って、そのときのことを当時のファックスをスキャンしつつ、それをもとに書いているシリーズです。

前回は、「ユーリ」のイゴルトと「ミヌス」のヨーリがイタリア(の一部)で注目され、マンガとポップの情報、及び作品掲載の雑誌に特集され、その記事の訳文を紹介しました。

今回は、同じ記事の中の囲み記事の訳文により記事全体を網羅します。そして、本文中で興味深い部分を抜き取って、イタリアと日本のマンガ世界の違いなどに言及してみたいと思います。

○MINUS

1977年12月、LINUS誌上でオレステ・デル・ブオノの名付けで誕生したミヌスはその丸っこい特徴を保ちながら日本で豊かに成長した。主要なものだけで成り立ち、会話をなくしたことで国際的になった。モーニング誌(週に120万部)に掲載。

○ヨーリの人生と奇跡

イタリアの撃術シーンで重要なヨーリは、80年代の歴史を作った展示会に参加。ベネツィア・ビエンナーレに二回参加。国内外で個展を開く。現在トリノの近代美術館で、レナート・バレッリ主催の「新しい新(I nuovi nuovi)」展に参加。

「禁じられた遊び」の場としてマンガに強烈に惹かれ、匿名でリヌス誌に掲載を始め、そしてアルター、フリジダー(注・いずれも70年台から80年代半ばに新しいマンガを発表して、イタリアのコミックスに一時代を築いた月刊誌)、およびフランスのレコ・デ・サバネス(L'echo des Savanes)にも作品を発表。

ボーグ・バニティ(注・モード誌)でも仕事。80年台の始め「バルボリーネ」グループの創始者の一人。また、マッシモ・リベラトーレ(注・圧倒的な画力で当時のヨーロッパマンガ界を風靡した作家)、パツィエンツァ(注・それまで誰も題材にしなかった生きた若者の生態を描いたマンガ家)など、いわゆる「新イタリア・コミックス」の一人。

80年代半ばに充分楽しんだ後、マンガをやめる。そして90年、拒否できぬ申し出をたずさえて日本人がやってくる。全世界に通じる偉大なコミュニケーション手段としてやってみないか。そして、LINUSもさらに難しい要求をした。日本でしていることをイタリアのためにしてみないか。不可能に近い企て。だからこそ、やってみたい!

○イゴルトの人生と奇跡

この10年間、ボローニャ、パリ、トーキョー、カピターナを飛び歩く。視覚と音楽の世界で作品制作。本はイタリア語、英語、日本語、スウェーデン語、フランス語、ドイツ語で出版。

そのタイトルの一部は「NERBORUTO」「GOOD BYE BAOBAB」 「IL LETARGO DEI SENTIMENTI」 「L'ENFER DES DESIRS」 「THA'TS ALL FALKS」 「DULLED FEELING」 「MANGARAMA」 「CARTOON ARISTOCRACY」等々。

1993年、ベネツィア・ビエンナーレでミュージシャン、造形美湯柄として参加。他に個展をニューヨークのTREAT WAXING SPACE、ミラノのエオス・ギャラリー、パリのTOUR DE BABEL、東京の西武で開催。

80年代の初めからヨーロッパ内外のコミックス誌で仕事。LINUS、フリジダー、アルター、ザ・フェース、メタル・ハーラント、エコ・デ・サバネス、モーニング、ブルータスなどなど。

新聞各種:マニフェスト、リポーター、コリエレ・デッラ・セーラ……。

創刊、企画した雑誌:イル・ピングイーノ(1980)、ラ・ドルチェ・ビータ(1980)、フエゴ(1990)。日本とイタリアで掲載されたマンガのために坂本龍一と仕事。坂本龍一の「未来派野郎(SOUNDBYTES)」のレコードジャケットはイゴルト作。

ダイター・マイヤーのイエロと共同して、ドイツ・フォノグラムのミュージカル企画。企画の名は「SLAVA TRUDU」。1987年かたLPを発表。ドイツとイタリアで録音。「マカロニ・サーカス」というミュージカル・ナレーション企画を制作。劇・ミュージカルで脚本と背景。スウォッチでYURIを発表。1993年度スウォッチ・オブ・ザ・イヤー。

デザイン分野でメンフィスとアルキミアで仕事。1991年5月から講談社で仕事。日本で最大の出版社。現在、現代の小説としてのマンガを仮想して仕事。カフターコン(?)、フェルトゥレリネッリに絵を描き、ドゥ・セビル社のために子供向けカラー本を終えたばかり。(写真はイゴルトと当時のモーニング編集長・栗原氏)

○AMORE

アモーレは白黒作品で、イタリアの家庭を物語ることに着想を得たストーリー。マリオは21歳の青年で、人生を愛し、女の子を愛し、おいしい料理を愛す。それで友人は「アモーレ」とあだ名する。彼の家は力のあるマフィア。

ストーリーは死と犯罪の理論に入りたくない21歳の青年の困難な人生を描く。日常を崩していく最初のマフィア闘争から長の位置に着くまで。作品は東洋の市場に於いて、これまでヨーロッパ作家が描くことのない長さを持つ。1000枚予定し、7年かかる見込み。

○編集者からの手紙

親愛なるイゴルト様 『アモーレ』の原稿をお送りいただきましてありがとうございます。力強いコマが次から次へと展開され、読みながら興奮しました。更に、前回まで頂いたものに比べて日本人読者にとってとても理解しやすくなっています。あなたのMANGAに対する研究が明らかに実を結んでいるのだと思
います。

アクションシーンはとても強いインパクトがあり(ベジタリアンと言うのは残酷なんだね)、どうぞたくさん野菜を食べてどんどん残酷なシーンを描いてください。もちろん、今のところ壮大な『アモーレ』のごく一部しかその姿を現していません。どんどん描いてその全貌を早く現していただけるように強く望みます。良いお仕事を、そしてイタリアにとって野菜が豊作であるように祈ります。(モーニング編集部 堤泰光)

○不思議な世界旅行

この作者は読者を楽しませるには、まず自分が楽しむ事が肝心と確信。日本という自分が信じさえすれば、どんな狂気も許されるところで、あらゆる規制、恥から解放されて、子供のころの夢を実現することができる。

スーパーヒーローをやる。二本足の普通の人間にはできよない事をやる。エイの上に乗って飛ぶ。動物や植物と話す。有名な故人と話す。どんな知性も解り得なかったことを理解する。「冒険が不可能な事であればあるほど現実性を持たさねばならない」の原則に則り、映画風な手法を用いる。底の底まで信じるために主人公の役を自分がやる。

○YURI

ユーリは初の子供宇宙飛行士だ。ママのウバと一緒に過去を探して宇宙をさまよう。ウバは第五世代の木製ロボット。人工ママであり、遊び相手であり、チビさんのいたずらの犠牲者でもある。ユーリも他の同じ年頃の子供と同じように遊び、テレビを見、マンガをたくさん読む。時々、夜中に怖い夢を見る以外は元気でハツラツしている。

ユーリのストーリーは日本の週刊誌モーニングに今年中に掲載開始予定。イタリア人はユーリをスラバトルドゥのミュージカルビデオにちょっと出たのと、1993年スウォッチの小さな画面に登場したのを見ている。

●MANGA編集者は『マンマ』

では前回のテキストからの抜粋コーナーに行きます。インタビューの中でヨーリはこう言っている。

「かの栗原さんは間違えない人として知られていて、ヨーロッパ作家との共同作業を試みると決めていた。その仲間に入れてもらえるのは光栄だ。イタリアのマンガ出版界の困窮は遠い話だった。講談社は巨大な出版社だ。でも、僕が惹きつけられたのはMANGA編集者の存在という制度だった。この編集者が僕には必要だったのだ。『マンマ』のような、いや、むしろコーチの役割を担う編集者。彼らが前進を助けてくれる」

イタリアを始めとするヨーロッパと、日本とではMANGA編集者と作家の関わり方違う。まず、私のテキストをずっと読んでくれている人には繰り返しになるけれど、海外のマンガ界の様子を少し。

イタリアでマンガ家がマンガだけで食べて行ける数少ない機会が、ボネッリ社のシリーズ物か、
< http://www.sergiobonelli.it/sezioni/3107/home >

ディズニーマンガのチームに入ることだ。ストーリーを作る人と作画は別々の
担当、彩色も別の担当、更には表紙専門の人もいる。
< http://www.topolino.it/ >

アメリカの場合は殆どDCかマーベルで既存のキャラクターを描くことになる。
DC < http://www.dccomics.com/characters >
マーベル < http://marvel.com/ >

こうした伝統的なキャラクターを中心にした作品の他に、たまにペーパーバックのオリジナル作品が出てくることもあるけれど、今のところイタリア人で出たのはマッシミリアーノ・フレッツァートの「Margot in Badtown」がUSA Magazine に出たものと、メタル・ハーラント誌に出たサベリオ・テヌータの短編しか知らない。懸命に探していないので、他にもあるかもしれないけれど、つまり、耳に入ってくるほどのものは出ていないということだ。

自分のオリジナル作品を出そうと思うと、フランスのB.D.(業界では「ベーデー」と発音。フランス語のマンガを表す「バンド・デスネ」の頭文字。バンドはベルトのこと。デシネは描かれた、の意味で、イタリアを始め、昔のヨーロッパ・マンガは横長の紙に描かれていたので、そう呼ばれるようになったと思われる)界にその活路を求めることになる。

でも、フランスは自国の文化を大切にするので、外国人に一作品全部を丸投げすることはあり得ない。すると、フランス人による原作付きか、彩色担当として仕事をする。

唯一、イタリア人で自作のストーリーと作画でBD出版を果たしたのは、前出のサベリオ・テヌータの「紅の雲」だ。
< http://www.humano.com/album/35298#.VFjPofSG8ts >

さて、本題。イタリアのボネッリ、ディズニーも、アメリカのDCやマーベルも、アメリカの作家独自のストーリーも、フランスのBDも、日本のようなMANGA編集者はいない。その企画に出版社が乗り、原作脚本があって作画家がいたら、後は作業を進めるのみ。

この企画中、イゴルトは何度も「今まで僕たちは孤独な作業をしていた」と繰り返したものだ。日本国内でも話を一般化することはできないにせよ、少なくとも、私が出会ったMANGA編集者は一様に「担当編集者は最初の読者です」と言って、まず、出てくる作品の話がわかるようにすることを最優先に置いた。

作品がわかる、とは共感できることを意味するのではなくて、作者が言いたいことが伝わるかどうかの意味だ。作者がわざとわかりにくくして、それが物語の中で効果があるのなら、そのわざと作るわかりにくさが伝わればいいのだ。

要するに、誤解がなるべく出ないように言うならば、作者の意図が伝わる構成かどうかを見るのが、最初の読者である編集者の仕事なのだ。

そのためには作家に丸投げではなく、時には企画の段階から、そしてネームの段階では注意深く話し合いを進める。この段階が欧米にはないのだ。

モーニング編集部は、日本人以外の作家に描き下ろしてもらう企画を進めながらこの事実を発見した。そして「MANGA」とか「anime」のように「Henshu-sha」という言葉も浸透させようというアイデアを出した。

言葉というのは概念だ。新しい言葉は新しい概念ということだ。「編集者」を「editor(イタリア語だとeditore)」と訳している限り、日本のMANGA界の編集者の特異性は伝わらない。

実際には、この頃ヨーロッパでのコミックスフェアや図書展などで、機会がある度に「Henshu-sha」の言葉を使うにとどまった。この企画は90年代で終了したので、世界中には広まらずに終わってしまった。つまり、「Henshu-sha」の存在(概念)は外に知られていない。ちょこっと顔を出しただけだ。

日本のMANGAがこれだけの広がりを見せたのは、もちろんMANGA家のすさまじい努力と向上心によるものだけれど、最初の読者となり、作者の意図を伝えるための作者の外側からサジェスチョンをし、取材を手伝うMANGA編集者の存在も大きかったであろうと思う。

その編集部が大きな出版社であれば、例えば私も通訳としてお伴したけれど、海外(イタリア)の取材も可能になるのだ。写真や映像だけで見るオペラ座、コロッセオ、ベネツィアの運河の上の街と、実際にその場所に行って大きさに圧倒され、綿密な細工に感心し、年月を経て丸くなった大理石の彫刻の模様はさまざまな影響を作家に及ぼす。絵の中に現実感を入れられるし空気感も入れられる。物語は大きくなる。

海外へ行かなくても、若い作家をなるべくいい店に連れて行く、というMANGA編集者もいた。自分が知っている小さい範囲の世界から外へ連れ出すためだ。趣味が合ってクラシックのコンサートへ一緒に行った編集者もいる。そこで、作家と編集者が同時に同じインスピレーションを受けた、というおまけのエピソードもある。

今、日本ではMANGA雑誌の売上げが落ち、かと思うと発行部数の少ない雑誌からいきなりのヒット作(「テルマエ・ロマエ」とか)が出たりして先が読めないらしい。もっとも今までも、作家と編集者の手探りであり、なにか、こうしたらこうなるという条件があったわけではない。

それでもMANGA編集者の存在というのは、MANGAの内容の広がりに大いに役立つものだと思う。作家が自分の知ってる世界だけで描いていると、もちろんそういうものもあってもいいのだけれど、小さく縮こまってしまうのではないかと危惧する。

往年のMANGA読みとしては、60年代、70年代の夢と希望にあふれたストーリーよ、もう一度、なのだけど。

次回、また記事の中からイゴルトかヨーリの言葉を取り出してコメントします。

※このコラムで「MANGA」とローマ字で表記する時は、アメコミやBD(フランスマンガ)などを含まない、こちらでも外来語となっている日本の漫画のことを指しているのでお含みおきください。

【みどり】midorigo@mac.com

10月の終わりから11月のはじめにかけて、例年のごとくトスカーナの珠玉の町、ルッカで行われるコミックスフェアに行ってきた。

毎年入場者の数が「歴史上最高」になり、今年も上書きされたそうだ。帰ってきたばかりなのでまだちゃんと調べがついていない。

イタリア各地であるコミックスフェアは、人が呼べてお金になる日本のMANGA、アニメ、ゲームのグッズが中心になる傾向があるけれど、ルッカコミックス&ゲームスは日本だけに偏らないように、ちゃんとコミックス全般に注意を向けているのが良い。自費出版組にも毎年スペースがある。

私はここ4年、公式な日本人ゲストの通訳として呼ばれる。今年は小学館で描いていらっしゃる柿崎正澄さんの通訳を仰せつかった。正直作品を知らなかったのだけれど、今回でファンになりました。他の作家さんとは漫画家になった経緯も、絵の特徴もちょっと特異。
< http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E6%BE%84 >

COMICO 無料マンガ 「私の小さな家」
< http://www.comico.jp/manage/article/index.nhn?titleNo=1961 >

「イタリアで新しい漫画を作る大冒険」
< http://p.booklog.jp/book/77255/read >

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/ >


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■グラフィック薄氷大魔王[410]
東京デザイナーズウィーク2014 関連の小ネタあれこれ

吉井 宏
< http://bn.dgcr.com/archives/20141105140100.html >
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一昨日、東京デザイナーズウィーク2014、終了しました。会期中に思ったこと
いろいろ。

今回のブースの全景。
< http://www.yoshii.com/dgcr/TDW2014-PB031841.jpg >

●10日間という長さ

あまりにも長いので、ほとんど気を失ってる状態になってくる。知り合いが来ると我に返るw 仕事のアイディアやデジクリネタなどの考え事もほとんどできない。足は痛かったけど、3〜4日目から一日中立ってるのが平気になっちゃった。三連休の人の多さにも参った。

何がキツいって、10日間ほとんど仕事できなかったこと。11時〜21時の開場時間と行き帰りや準備だけで13時間以上かかる。「部屋で仕事できる時間は2〜3時間しかないかも」とか思ってたけど、甘かった。1時間もMacに向かって仕事できないんだよ〜。その1時間も業務連絡や処理とかだけでほぼ終わる。

海外旅行とか含めても、10日間を完全に拘束(違う)されたのはフリーランスになって以来初めてだったかも。

●何でもほしくなる

10日間、ブースからほとんど離れられないと、普段気にも留めていないことが気になったり、ほしくなったりする。

近所のブースでバッグや革の財布を売ってた。財布をほしいなんて思ったことないのに、ものすごくほしくなって困った。ああ、あの財布をバッグに入れたらどんなに幸せだろう! とかw

隣のブースの何の変哲もないDellの23インチ液晶ディスプレイの裏側が見えてたんだけど、黒と銀色カッコイイ! Dellのロゴがステキ! ほしい! あれで仕事したらどんなに快適だろう。検索したら古いモデルで、今は手に入らないんだけど、それでもほしい!

あと、やはり近所のブースで展示してた高級一体型オーディオ。大音響で鳴らしすぎて音が割れてる。オーディオ屋さんにあるまじきデモw なのに、ああ! あのオーディオセットほしい!

●床置き作品キック事件

東京デザイナーズウィーク、8日目。「作品に触らないで」にキレた小さい男の子が、床置きの作品を足で思いっきり蹴るという事件発生。どう蹴ったかというと、腿を大きく上げて体重をかけてかかとで着地して、何かを踏みつぶすときのアクション。思わず悲鳴上げちゃったわw

詳しく書くと、5〜6歳くらいの男の子が台の上の作品を触っていた。台の上に貼ってある「手を触れないで」マークを母親に示したところ、母親は男の子に注意。そしたら今度は男の子が床置きの作品をいじり始めたので、母親が男の子を引き戻した。男の子はキレて作品に引き返して、キック! ぎゃー!

母親は謝らないし、「台の下にもマークを貼ってもらえれば」とか言う始末w うちの奥さんが「これは作品で、大切なものなんですよ」と言ったらマズいと思ったのか、ようやく「すみません」と小さく謝ってそのまま立ち去ったのでありました。そういう世代だか種類だか…… orz

被害にあったのはガラスマットを入れず樹脂だけで軽く仕上げた作品。制作中に20cm落としたら割れたものと同じく、強度がないもの。とりあえず、ヒビは入ってなかった模様。三連休で人も多いし、こわいのでその作品は展示しないことにした。

子供は悪くない。親の責任が100%。子供を連れてきてる親でちゃんとした人は、子供が悪さしそうな状況だったら手をしっかりつかんで離さないなど、しっかりコントロールしてる。それができないのなら連れてくるべきじゃない。こういう会場やお店だけの話ではなく、家の外へ出る場合は全部! 子供が危険な場合だって同様。

Facebookに書いたら、みなさん「作品やアートにそんなことするなんて信じられない」とか書いてくれましたけど、東京デザイナーズウィークって作品展でも美術展でもないもんなあ……。一点物の「作品」をああいうところに展示すること自体、適当ではないかもしれないと思ってます。複数ある作品や量産のプロダクトならいいんだけど。

事件直後、「もう作品片づけて帰る!」とか口走ったり、子供連れが近づいてくると作品に近寄れないようにマークしてブロックするくらいにテンパってましたw その後、友人たち何組か来てくれて、いっぱいしゃべったので気が晴れました。

僕の立体作品は子供に大人気(?)で、ほっとくとみんな触りに来ます。まあ、普通、作品じゃなくオモチャか遊具に見えるよなあw オバチャンもオッサンもペタペタ触ります。本当は触ってもらってもぜんぜんかまわないんですけど、管理がたいへんになるんで一律に「触らないで」ということで。

「ペンキ塗り立て」が効くかなとも思いましたが子供相手じゃ無効かー。もう冷静に「これ、○○万円なんですけど、どうします?」とか。

●「在る」ことのメリットと恐怖

立体作品を初めて展示したわけだけど、仮想的な存在であるデジタル作品と違って作品が「在る」ということのメリットとデメリットが、今回の出展で明確になった気がする。

モノが実在してて目の前に在るのはものすごい説得力があるのは確実。「パソコンの中でデザインして、プリントやディスプレイで提示した作品」と「何週間も何ヶ月もかかって手で作った、質量がある作品」ではパワーが桁違い。

でも、僕的には「大きな物体として見せたい」の気分は、プロジェクターで壁に巨大に投影するのとそれほど変わらない(いや、ぜんぜん違うんだけど、その気分は残しておきたいと思ってる)。しかし、大きな立体はどうしても「時間や手間をかけた労作」と思ってしまうのが、ちょっと足枷っぽい。作品が、自分にとって必要以上に「重い存在」になってしまう。

あと、「一点物」という恐怖。複製を前提にせずに制作することは、手軽さと自由さの一方で、「一個しかない」はいつも不安の種だった。オリジナルはCGなのでそれほど不安に思う必要もないのにもかかわらず。

ついでに書いておくと、東京デザイナーズウィーク2014のクリエイティブライフ展で「作品」を展示してるのはごくわずかでした。やはり、ちょっと場所が違ったかも。次回参加するとしたら、展示場所を変えるつもり。

●来場人数の多さ!

それでも、出展してる意味は大きい。作品に対する反応がすごいリアルにわかる。いや、「かわいいー!」「ツルツル〜!」がほとんどだけどw 東京デザイナーズウィークは撮影可なこともあって、みなさん写真撮って行かれる。作品と並んで撮ったり。それもうれしい。

一日に一組くらいの来場者の人から「ちょっとすごいことに繋がるかも」っていう感じの話があったりする。こういうクリエイター系の大きな展示会(デザフェスやクリエイターEXPOなど)のブース展示は、通りすがりの人数の多さがやはりメリット。数万人〜十数万人が展示作品を目にするわけで、個展に数百人来場するのとはわけが違う。

個展に来るのはあらかじめ作品に興味を持ってた人だけだもん。ブース展示ではほとんどの客が予備知識なしに初めて作品を目にする。そういう人たちの反応はすごく参考になります。

●非売品

今回の展示は主に「初めて展示する立体作品がどう見られるか?」を確認するためで、販売はなし。せっかく作ったのでまだ2〜3回はどこかで展示したいし。なので、最初は単に作品を展示台に並べてあっただけだった。ところが、妹(橋田規子 東京デザイナーズウィーク常連のプロダクトデザイナー)の助言、値段がわかるようにしておくほうがいいとのこと。

確かに、何の説明もなしに変な立体キャラクターを並べておいても、見る人には何が何だかわからない。頭の上に「?」マークを出したまま立ち去る人も多い。あと、欧米人が大きい作品をほしがるんだけど、非売品なことを説明するのが面倒。

それで3日目から値段表を作って台に載せておいた(大きい作品は非売品、小さい作品は受注生産ってことにした)。そしたら「あ、売ってるものなのか」と頭の上の「?」マークは出なくなったw 外国人も値段表を見て一応納得。

それでも受注生産の小さい作品に興味を持ってくれる人がよくいたんだけど、「すみません、作るの面倒なんで注文しないでいただけると助かります」とかw

●その他いろいろ

・10日も何度も繰り返してると、作品の説明がだんだん洗練されて上手くなるw ウケる部分を集約/強調したり、立て板に水だったり。良くないw

・「iPadでお絵描きや音楽制作」について、「どうせ一日中Macの前にいるんだから、わざわざ使いにくいモバイルデバイスで制作なんてアホらしい」とか思ってましたが、一日中外出してると「どうにかこの状況でも制作できたらなあ!」などと思い始めたりする。通勤通学してる人の気分を、久しぶりに味わえたw

・「材料/素材は何ですか?」と聞かれて「FRP、グラスファイバーです」って答えが通じない人は、どうすりゃいいんだ? どんな材料を知ってるんだ? というw あと、英語の準備をすればよかった。「発泡スチロール」さえ英語で言えなくて困った。

・近所のブースのオヤジがサイテー。いかにもふんぞり返って女の子たちに呼び込みさせてるのはおいといても、僕のブースに来て「これはどういうものかね?」とパンフレットの背でカンカンカンカンと作品を叩きながら話すとか(怒)。最終日の撤収作業中の透明ゴミ袋に、僕のパンフが思いっきり見えてたとか(怒怒)。捨てるのはかまわないけど、ちょっとは気を使えよ!(怒怒怒怒)

・こういう営業的な展示会は10年前から何度も出展してるわけですが、特に期待してる来場者はもちろん「大きな仕事に繋がりそうなコネや力を持ったおじさん」w 今回、大きな勘違いが判明。

僕自身が52歳になってしまったため、10年前に考えたイメージ「10歳くらい年上の仕事バリバリ風のおじさん」がいなくなってる! そういう人は同世代か年下なんだよ! 気がついたときはちょっとショックだったw

・後半の三連休なんて、通路に人がぎっしり。次から次へ知らない人が押し寄せる中で、友人が来るとホッとするw え? もう行っちゃうの? もっといて、ずっといて! とか。

・10日間もあると、基本的に人見知り&無愛想な僕でさえ、周囲だけでなくあちこちのブースの人たちと仲良くなっちゃった。同志なのかな。あいさつさえ楽しいなんて!

・蹴った子供とは別の子供が「そんなに大事な作品なら展示しなけりゃいいじゃん〜!」だってさ。もっともでございますw そのとおりでございますw

【吉井 宏/イラストレーター】
HP < http://www.yoshii.com >
Blog < http://yoshii-blog.blogspot.com/ >

翌日、「今日から東京デザイナーズウィークに行かなくていいんだ!」って思ったw 会社を辞めた直後の気分。期限を延ばしてもらった仕事にようやく取りかかれる〜。

・rinkakインタビュー記事
『キャラクターは、ギリギリの要素で見せたい』吉井宏さん
< https://www.rinkak.com/creatorsvoice/hiroshiyoshii >
・ハイウェイ島の大冒険 < http://kids.e-nexco.co.jp >
・INTER-CULTUREさんの3Dプリント作品販売
< http://inter-culture.jp/Buy/products/list.php?category_id=63 >


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編集後記(11/05)

●楠部三吉郎「『ドラえもん』への感謝状」を読む(小学館、2014)。アニメ制作会社「シンエイ動画」の元社長で現名誉会長である筆者が、アニメ界に身を投じて40年をふりかえる。今ならあの時のことを話してもいいかなという心境だそうで、赤裸々な自伝にもなっている。300ページくらいあるが、文字が大きく行間が広いので、ほんとにあっという間に読み終えた。なんという面白さだ。楠部の役割はアニメ制作の環境整備と営業一筋だ。作品の細かな部分に興味はない。作るのはスタッフだ。その代わり全責任を負う。放送局にも出版社にも広告代理店にも、まだサムライがいた時代だ。ビジネスの初対面で啖呵を切り合う。認め合ってからの話は早い。このやりとりが痛快ったらない。

兄と一緒に設立したばかりのプロダクション、シンエイ動画には何の仕事もなく、先の見通しが立たない。藁にもすがる思いで、知り合いだった藤本弘(藤子・F・不二雄)に「ドラえもん」のテレビアニメ化をもちかける。藤本はどんなときでも喜怒哀楽を前面に出すことはなく、柔和な表情で平然としている。だが、そのときの藤本はずっと黙ったままだ。ようやく口を開くと「楠部くんがいったいどうやって『ドラえもん』を見せるのか、あなたの気持ちを書いてきてください」とだけ言う。数日後、高畑勲の協力で書いた企画書を持って行くと、一読した藤本は「わかりました。あなたにあずけます」と即答した。後日、楠部は一年間の営業権ですと言って、100万円の小切手を渡そうとする。

「先生は怒ったね。後にも先にも、形相も口調も変わるような怒りは、この時が最初で最後でした。先生の怒りはしかし、静かで悲しい怒りだったのです。《いままで自分の作品は、良縁に恵まれてきました。『オバQ』にしても、『パーマン』にしても、みな幸せな家庭へ嫁に出すことができました。でも、『ドラえもん』だけは出戻りなんです。さんざんな仕打ちを受けて戻って来た、かわいそうな娘です。でも僕にとっては目の中に入れても痛くない、かわいい娘なんです。だからもし、もう一度嫁に出すことがあったら、せめて婿は自分で選ぼうと、そう決めていました。それで、失礼は承知の上で、レポートを書いてもらったんです。そして、私があなたを選んだ。私が選んだ婿から、お金を取れますか?》」

いい話だ。読み返す度に涙が出る。『ドラえもん』は一度テレビアニメ化されたが、低視聴率で打ち切られたことがあるのだ。楠部は一年間のセールを続けたが何の進展もない。こうなったら百聞は一見にしかず、腹を決めて赤字覚悟でパイロット版をつくる。声優は大山のぶ代(ドラえもん)ら、小原乃梨子(のび太)、野村道子(しずか)らで、その後リニューアルする2005年3月18日まで26年間「ドラえもん」を支えた。パイロット版を見終わった藤本は「びっくりしました。ドラえもんってこういう声だったんですね」と一言発して、その場を一気に和やかな空気に変えた。このパイロット版のおかげで、テレビ朝日での放送が決まる。1978年秋のことだ。放送開始は翌79年4月である。つづく。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093883793/dgcrcom-22/ >
楠部三吉郎「『ドラえもん』への感謝状」


●どなたかデザイン、WordPress、コーディング、Flashなどのお仕事を手伝ってくださいませんか? フットワークが軽く、連絡を密にしてくださる方。実績や費用目安などを教えてください。zacke@days-i.comまで。手を挙げてくださった方々、ありがとうございます。

吉井さんの事件に驚愕。親御さんの責任ですよね。それはこちらの台詞だよと言いたいことってありますよね……。気に入ったんだろうな〜。触りたかったんだろうな〜。興味のない退屈な展示(子供にとって)が多い中、興味をひく楽しそうなものに触れることを止められたから爆発したんじゃなかろうか。人が多いだけでもストレスになりますよね。

「TAKARAZUKA 1万人のラインダンス」続き。告知の段階で振り付けが発表され、動画が見られるようになっていた。簡単なもので、これならできそうと思う人は多かったように思う。ところが、私の周囲は「そんなのに参加したくない」「恥ずかしい」という意見ばかり。私も恥ずかしいけど、そんなことより機会だったの。

イベントを主催してきた経験上、参加者が集まらなくて企画倒れになることがつらいことはわかってる。実際、なかなか集まらず、まだ1,000人か〜、まだ2,000人か〜とカウントアップされる参加人数を見て、寂しい気持ちにはなっていたよ。

5,000人で応募締切と告知されてから慌てて申し込んだ人もいたようで、最後にはキャンセル待ちが出ていた。これについては後に書くけど、本当にたくさんの人の動くイベントって難しいなと。

就学前の幼児から、老人まで、文字通り老若男女が参加。個人から家族から、地元団体から宝塚ファンまでいて本当にユニーク。でも雑多な人が集まるってことは、まとまらないってこと。「みんなーー、先生の話をよく聞いてーーー」と言いたくなるような場面がちらほら。学級委員かい。 (hammer.mule)