私症説[23]再掲載 なぜ美女を愛することが背徳なのか?/永吉克之

投稿:  著者:  読了時間:7分(本文:約3,100文字)


独身は自由だ。何と素敵な生存形態なのだろう、まるで毎日が生ける屍のようだ。にもかかわらず、なぜ人は結婚という罠にいともたやすくはまるのか。今は相手がどんなにきらきら輝いて見えても、それがいつまでも輝き続けるものではないことを知っていながら。〈結婚は勢いでするものだ〉とは、まったくよく言ったものだ。

そんなわけで、俺は結婚することにした。といっても俺ももう年だ。3月には55歳になる。もちろん若い女は望まない。25歳までならなんとか妥協する覚悟はできていた。

最近はあまり見かけなくなったが、かつては縁談をまとめるのが趣味のような年輩の婦人がどこにでもいて、亡母の友人だった北門さんも今では少なくなった世話焼き婆さんのひとりだ。この人も6年前に亡くなったのだが、死後も世話焼き活動は一向に衰えを見せていない。

その北門さんの仲立ちで見合いをすることになった。相手の女性は、美山あかね、という無闇に可愛いらしい名前の25歳の歯科衛生士で、ヨーロッパあたりに旅行に行った時のものと思しきスナップ写真が、紹介状に添付してあった。

その写真に写っている彼女が無闇に美人だったので、絶対に結婚するつもりで見合いを決めたが、美人だから決めたとは言えず、北門さんには、バロック音楽が趣味というところで話が合いそうなので、会ってみてもいいかなと思います、と伝えておいた。

場所はホテルのレストランで、食事をしながらというのが北門さんの提案だったのだが、俺の両親も北門さんも、みな、とうの昔に死んでいるので、見合いは全部俺ひとりで段取りをつけて手配をせねばならず、しかも美山あかねは、ちょっと可愛いと思っていい気になっているのか、手伝いを申し出る様子も見せないので俺はすこし頭に来ていたが、まあ、いい女だから、と赦してやった。




                 ●

そんなわけで、仲立ち人の同席もなく、ふたりっきりで会うことになった。俺はまるで几帳面な人間でもあるかのように几帳面な性格なので、遅刻が大嫌いで、約束の20分前にレストランに着いた。

ウェイターが俺を予約席に案内しようとすると、その席にはすでに『スターウォーズ』に出てくるジャバ・ザ・ハット( < http://bit.ly/h6tw8T > )のような生き物が蜷局(とぐろ)を巻いていて、俺に手を振っているのが見えた。そして俺は、その生き物の向かい合わせの席に腰かけた。見ると、生き物は俺の写真を手に持っている。

「美山あかねですぅ。いゃん、もう」

俺は、背広の内ポケットから美山あかねの写真を取り出して、生き物と見比べたが、別人という言葉だけではとても表現し尽くせないほどの別人で、写真の美山あかねがウサギだとすると、実物の美山あかねは溶岩だった。

「写真とはずいぶん違うんですけど」

「いゃん、もう。ママったら去年の写真送っちゃったんだぅわん」

「去年どころか、500年くらい前の写真じゃないかと思うほど、年もぜんぜん違って見えるんですけど」

「いゃん、もう」

もしかして、と思った俺は100円ライターを取り出して、写真を裏からあぶった。美山あかねは、コラ、なにさらすねん、おっさん! と叫んで椅子からやおら立ち上がり、俺に向かってきたが、あまりの巨体ゆえに動作が鈍く、俺に手の届く位置にくるまでに2〜3分はかかると見て、ゆっくりとあぶり出しを続けた。

写真で笑っている美女の像にオーバーラップして、カエルのような顔が浮かび上がったと思ったら、目の前にいる美山あかねの顔になった。そしてさらに顔の上に〈六十五歳〉という筆文字がタテ書きで現れた。

「思った通りだ。この詐欺師! 40歳もサバ読みやがって、貴様ぁ」

美山あかねはまだこっちに向かって突進中で、俺を捕まえるにはまだ30秒はかかりそうだったので、俺はフォークトレイからフォークを掴み出して逆手に持つと、美山あかねをこちらから迎え討ちに出て、脳天に突き刺そうとしたが、有刺鉄線のような頭髪に阻まれて、逆に俺の手が血まみれになった。

                 ●

「冷静に話そうじゃないか」

美山あかねは、フォークを持った俺の手首を掴んで言った。その金剛力に手首の骨が軋む音がしたので、俺はおとなしく話に応じることにして、ふたりは着席し、俺はワカメカレーを、美山あかねは青椒肉絲を注文した。俺はカレーもフォークで食べた。美山あかねの急襲に備えるためだ。

「なぜ、最初にワシを見たときに、あたかもジャバ・ザ・ハットを見るような目つきをした?」

俺は答えに窮した。実際にジャバ・ザ・ハットに似ていたからだが、それは口にできなかった。仮にも相手は女性である。愛せない理由を容貌に求めるなどということは吉本新喜劇以外の場ではしてはならないのだ。

俺は血に染まった手首を右左に回して、骨折していないことを確認してから答えた。

「写真とあまりに違うからだ」

「ウソをつけ。現物のワシを見て気に入ったら、写真通りかそうでないかは、たいした問題じゃないはずだ」

たしかにその通りだった。写真と同じか違っているかなど何の意味もなさない。男はみな、女が美人でさえあれば愛することができるからだ。見かけとは裏腹に、美山あかねが相当な論客だということがわかった。

「答えにくいだろうから、ワシが代りに言ってやろう。お前はワシの顔が気に入らないのだ。どうだ、図星だろう」

図星もなにもそれ以外に理由が思いつくのなら、教えてほしいものだ。しかし、相手が本音で話そうとしているので、こっちもそれにつき合うことにした。

「その通りだ。俺はお前の顔立ちも体つきも声も匂いもぜーんぶ大嫌いだ」

「そうか。しかしワシはお前が大好きだ。その白髪混じりの幾分クセのある髪の毛、境界線のはっきりしないちぎれ雲のような眉毛、垂れた目。なにもかもが大好きだ」

「なんだ、結局お前も容姿を基準にして男を判断してるんじゃないか」

「当たり前だ。お前まさか、人間の価値を、容姿じゃなくて人格というやつで判断すべきだとか言い出すんじゃないだろうな」

「お前は、容姿がすべてだと言うのか」

「そうは言わん。ワシはただ、人間の価値を人格で判断するのも容姿で判断するのも同じことだと言いたいのだ」

「ほう。というと?」

「容姿よりも人格を重んじると言えば、そりゃ聞こえはいいさ。しかしな、それにしたって、結局は自分の好き嫌いの感情で決めているわけだ。コンナ人格の人が好き、というのと、コンナ容姿の人が好きというのとでは何が違うというのだ。容姿であろうが人格であろうが、結局、人間は好きになれるものしか愛せないのだ」

「そうか。つまり男が美人で巨乳で脚のきれいな女と結婚したいと思っても、女がイケメンで背が高くて有名大学を出ている資産家の息子を誘惑しても、後ろ指を指されるいわれはないわけだ」

「そういうことだ。モナリザの美しさを賞讃する者は数多(あまた)いるが、モナリザの人格を云々するものはいない」

「よくわかった。俺はいま無知の檻から解放された!」

「だったらワシと結婚しろ」

「死んでもイヤだ」

俺は、皿に残っていたワカメカレーをかき込むと、レストランの支払いをすべて美山あかねに押しつけて店を後にした。〈人は心だ〉という教条にがんじがらめになっていた俺の魂は、いま無限の自由を得たのだ。これで誰にはばかることなく、グラマーでヤングな別嬪と結婚することができるのかと思うと、俺は気が変になりそうになった。

何時の間にか街は猥らな夜の賑はひを見せ、往き交ふ人びとの顔(かんばせ)は一様に何かを秘匿してゐるやうな笑みを浮かべてゐた。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
このテキストは、私のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz >